2016年03月

復活祭~イエス様を食べて幸せになろう~

ここイタリアを含むキリスト教世界は復活祭で賑わっている。英語のイースター。イタリア語ではパスクア。イエス・キリストが死後3日目に復活したことを祝う祭である。

キリスト教の祭典としては、非キリスト教国を含む世界中で祝される祭礼、という意味でクリスマスが最大のものだろう。だが、宗教的には復活祭が最も重要な行事である。

クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝うイベントに過ぎないが、復活祭は磔(はりつけ)にされた救世主イエスが、「死から甦る」奇跡を讃える日である。

死からの再生は神の子であるイエス・キリストにしか起こり得ない。それを信じるか否かはさておいて、宗教的にどちらが重要な出来事であるかは明白である。

イエス・キリストの復活があったからこそキリスト教は完成した。われわれが現在知るキリスト教をキリスト教たらしめているのが、復活祭なのである。

祭りは春分の日が過ぎて最初の満月の後の日曜日と決められている。あるいはイエス・キリストが金曜日に磔になり蘇生した2日後の日曜日。毎年春と共にやってくるイベントである。

復活祭は年ごとに日付けが変わる。が、祭りの中身は例年ほぼ同じ。家族・親戚・友人などが集って、定番の食事会を開き大いに食べて飲んで陽気に過ごす。

復活祭ではクリスマスと同様に多くのご馳走が食べられる。グルメの国ここイタリアの食卓を飾るのは、カラフルで多様な食材だが、中でも輝やかしい主役が卵と子羊である。

卵は新しい生命の象徴。ヒナが殻から生まれ出ることを「キリストが墓から出て復活する」ことにたとえたもの。イエス・キリストの再生を示唆すると同時に命の溢れる春を喜ぶ。

異彩を放つ復活祭のもう一つのメインの食べ物が子羊肉である。復活祭になぜ子羊料理なのかというと、その由来はキリスト教の前身ともいえるユダヤ教にある。

古代、ユダヤ教では神に捧げる生贄として子羊が差し出された。子羊は犠牲と同義語である。イエス・キリストは人間の罪を贖(あがな)って磔(はりつけ)にされて死んだ。つまり犠牲になったのである。

そこで犠牲になったもの同士の子羊とイエス・キリストが結びつけられて、イエス・キリストは贖罪のために神に捧げられる子ヒツジ、すなわち「神の子羊」とみなされるようになった。

そこから復活祭に子羊を食べてイエス・キリストに感謝をする習慣ができた。それもまたユダヤ教に原型がある。ユダヤ教では生贄にされた子羊は後で食卓にも上ったからだ。

復活祭に子羊を食べるのは、そのユダヤ教の影響であると同時に、「人類のために犠牲になった子羊」であるイエス・キリストを食する、という意味がある。

救世主イエスを食べる、という感覚は日本人には中々理解できないものだが、よく考えれば実はそれは、日本人が神仏に捧げたご馳走や酒を後でいただく、という行為と同じことである。

神棚や仏壇に供された飲食物は、先ず神様や仏様が食べてお腹の中に入ったものである。後でそれらを人が押し頂いて食べるとは、つまり神仏を食するということである。

われわれは神様や仏様を食べて、神仏と一体化して煩悩にまみれた自身の存在を浄化しようと願う。キリスト教でもそれは同じ。そんなありがたい食べ物が子羊料理なのだろうと思う。

悪運の強いドナルド・トランプの星回り

門ベルギーカラー

ベルギーのテロは米大統領候補のトランプ氏に資するだろう。さらに多くの無防備な人々がテロを恐れ、テロリストを憎み、テロリストとイスラム教徒を結びつけて考えてしまうからだ。

それはテロリストの思う壺だ。欧州も世界もここが踏ん張りどころだ。ここで心が折れてしまうと、世界は分断され、憎しみと疑惑と恐怖が支配するだけの、ISの願う通りの世の中になりかねない。

トランプさんが期待する事件、というのは言い過ぎだろうが、彼が「ほら見ろ、俺の言うとおりだろう」と、ドヤ顔でさらに息巻くかもしれない事件が相次いで起こっている。

悪運の強い男、と規定してしまえばあまりにも主観的嫌悪感に満ちた表現、と眉をひそめられそうだから、トランプさんは強運の持ち主らしい、と言おう。

彼のビジネスマンとしての成功を見れば、トランプさんが強運にも恵まれているのは明らかだ。それに加えて、彼が政治的にも強運の持ち主ならば、事態は深刻だ。

頻発するテロや事件は、もしかするとトランプさんの主張の正しさを担保するものではないか、とわれわれが考えるとき、自由な世界の終焉が始まるかもしれない。

ベルギーテロに関連して、彼は「ISを核兵器で攻撃することも辞さない」と宣言した。トランプさんが“米国大統領の立場なら”という前置きでしゃべっていることを考えれば、それはいつものムチャクチャな、笑い話の世界だ。

だが、政策とさえ呼べない、北朝鮮の将軍様然としたそんなタワゴトを、彼の多くの支持者が喜んで気勢を上げる図は、まことに奇怪、危険、且つおそろしい。

さらにトランプさん自身が“大統領になったらそうする”と本気で考えているらしい事態は、もっとさらに奇奇怪怪、危うさもお粗末もここに極まれり、というところではないか。

僕はどうやらトランプさんに魅せられてしまって、彼の一言一句に神経質に反応する大げさで珍妙な、且つある種の人々が見れば不愉快で許しがたい心理状態になっているようだ。

ならば僕は、彼が大統領選で自爆し消滅するまで、彼に魅せられ続けようと思う。そして「アメリカよ、早く目を覚まして“トランプNO!”と叫んでくれ」と、言い続けようと思う。

トランプさんよりももっと面白い野菜作り

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最近どうしても気になるのはアメリカ大統領選。中でもトランプさんの動向である。合衆国大統領は米国民が選ぶのだから、外国人がとやかく言っても詮ないこと、という考え方もあるだろう。

だが、好むと好まざるにかかわらず、米国大統領のあり方は世界中のわれわれに大きく影響するのだから、そこに関心を持つのは意味があるし、できればいろいろと意見を発信したほうがいい。

なぜならそれは国際世論の一部となって米国の有権者に作用し、ひいては将来の米国大統領にも影響する。世界最強の権力者である米大統領といえども、グローバルな民意を無視しては政治は行えないのだから。

トランプ星条旗







それにしても、もしも トランプさんが今のままの主義主張を大幅に修正することなく大統領に選ばれるならば、世界は本当に破滅的な状況に向かいかねないと思う。

僕の中にある米国への尊敬と憧れと信頼も跡形もなく崩れ去るだろう。それほどに“トランプ大統領”は不吉だ。いや、その前に僕にはどうしても米国民が彼を選択する図がイメージできない。

などと気にはしつつも、もちろん朝から晩までそのことばかりを考えているわけではなく、僕の日常は他の人々と何も変わるところはなく、ごくごく普通に過ぎていく。



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そんな中、去った週末に菜園で今年初めてサラダ菜の種をまき、プランターの苗床も作った。3月に種まきをするのも苗床を作るのも生まれて初めてのこと。冬が暖かく、さらに最近は春が一気に進んだみたいな陽気なので、思い切って作業してみたのだ。

苗床を含む種まきには実は、適した日とそうではない時間があるとされる。日本ではそれは旧暦、つまり「太陰太陽暦」に合わせて太陽と月のリズムを見ながら種をまき、栽培し、収穫するとされる。だが、その真偽については賛否両論があってよく分からない。

少なくとも僕が知る限りは判然としない。種まきに適するのは満月の5日前から満月までの間、という説が辛うじて納得できるかも、という程度である。

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一方、ここイタリアにも野菜の種まきに適した期間というものが広く信じられている。新暦に基づいた説だから、現在の日本で信じられているものとほぼ同じようにも見えるが、やはり判然としているとは言い難い。一般にそう信じられている、というふうである。

多くの実験で満月の前あたりに種をまくと発芽率がよくなると確認はされているが、科学的に実証されていることではない。そこで僕は今回、自分で確かめてみることにしたした。

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イタリアカレンダー3月ヨリ (1)200picイタリアの種まきカレンダーによると、僕が種まきをした3月18日は良くない日とされる。24日以降が適正期となっているので、同じような苗床をもう一つ作って育苗をしてみようと決めた。


確かに蒔いた種は育ちが良い場合とそうでもない場合があり、それは月の満ち欠けに関連すると聞き知ってはいた。しかし僕はそういうことをほとんど考慮しないまま野菜を栽培してきた。

それを踏まえて種まきをするほどの時間も情熱もなかった、というのが正直なところ。また菜園の野菜で家族を養う必要もないから深く考えなかった、とも言える。

仕事にするなら農夫のように真剣になったことだろう。僕の時々の農作業はどこまで行っても趣味の域を出ることはないのである。それでも、いや間違いなくそれだからこそ、野菜作りはとても楽しい。

トランプVSポリティカル・コレクトネス


no trump no fascism

米大統領選、共和党の候補者指名獲得に向けてのトランプ氏の進撃は止む気配がない。同時に先日のシカゴに続いて、アリゾナ州とニューヨークなどでも反トランプデモが起きた。前者では反トランプ派の人々によって道路が封鎖され、後者ではマンハッタンにある同氏所有の「トランプ・タワー」や「トランプ・ホテル」 前などで市民が抗議デモをした。そこでは「移民がアメリカを強くした」などのプラカードを掲げる人々が「人種差別主義者のトランプは退場しろ」などと叫んだ。

トランプ氏は米国内の、特に低所得、低学歴に代表される白人層の不満や怒りを捉えて支持を広げているとされる。それは目新しいことではない。あらゆる米大統領候補はそれぞれの支持層の不満や怒りや主張を背中に負って選挙戦を戦う。また彼の支持者には既成政治家への強い不信感があり、実業家で政治素人のトランプさんに新鮮な変化を期待しているとも言う。それもまたまっとうな期待であり願いである。

民衆の不満にまず答えるのが真の優れた政治家だ。だからトランプ氏が大衆の不満の受け皿として評価されるのは、賞賛に値こそすれ決して悪いことではない。悪いのは彼のレトリックであり、主義主張の仕方であり、政策論争であり、行動規範である。つまり差別や偏見や不寛容を煽ることで「大衆の不満を吸い上げて癒している」と錯覚される、彼の全ての言辞のことだ。

トランプ氏はポリティカル・コレクトネス(政治的正当性あるいは妥当性 )の重要さを理解しない。理解しないどころか、それを「まやかし」だと糾弾し人種差別や排外思想や憎しみに満ちた言動をあえてする。支持者はそこに彼の本音を見たと感じて拍手喝采する。重大なのは人々がトランプ氏に拍手を送るポーズで、彼と同様に自らの差別偏見や憎悪の心根を吐露して狂喜しているように見えることだ。それはとても危険な兆候だ。

わかりやすく話そうと思う。ここから先はあえて差別用語も使うのであらかじめ了解をいただきたい。

たとえばカタワという言葉がある。この差別用語は幸いにも人々の認識を得て今は死語になった。だがこの言葉はつい最近まで、つまり日本人が「ポリティカル・コレクトネス」に目覚めるまで普通に使われ、体の不自由な人々を傷つけてきた。カタワという語はほかの差別用語と共に使われなくなり、他にも少なくない言葉が差別をあらわしたり、それを助長する言葉として意識されて消滅しようとしている。

それらの言葉に関して差別主義者たちは、自らが差別主義者であることを隠して、あるいはさらに悪いことには、自分自身が差別主義者であることにさえ気づかないまま、良くこう主張したりする。いわく、言葉を変えたからといってカタワが直るわけではない。言葉を変えて差別が無くなったと思うのは偽善でありまやかしだ、と。だがその非難こそ自らの差別の本性を隠そうとする偽善でありまやかしだ。

言葉を禁止することでもちろん即座に差別や偏見がなくなるわけではない。それは変化の「きっかけ」なのである。あるいはきっかけにつながる重大な第一歩なのである。人々はカタワという言葉が使用禁止になっていると気づいて、「あれ?」と一瞬立ち止まる。そしてなぜそうなっているのかと考える。やがて調べ、確認する。

そうやってこの言葉が身体の不自由な人々を傷つける言葉だから禁止されていると知る。そこから差別撤廃への小さな一歩が始まる。人々が「あれ?」と一瞬立ち止まる行為が重要なのである。一人ひとりの一歩はささやかだ。だが無数の人がささやかな一歩を踏み出して、社会全体がまとまって動くことで巨大な流れが生まれる。そうやって差別解消への道筋ができる。

「本音を語ることがつまり正直であり正しいこと」と思いこんで、本音の中にある差別や偏見から目をそらしたり、それらを無くそうと努力をしている人々をあざ笑う者は、さらなる偏見や差別思想にからめとられる危険を犯している。トランプ氏が汚れたレトリックを縦横に使って選挙に勝利するということは、人類が長い時間をかけて学習してきたポリティカル・コレクトネスの哲学や知恵やコンセプトが、全て無駄でゲスでつまらないことだと認めるにも等しい。

彼が中国の不公平な貿易を責めるのは良い。また氏が日本の安全保障のただ乗りを非難するのも構わない。核に固執する北朝鮮の狂気を糾弾するのはもっともなことだ。またメキシコからの不法移民を指弾するのも彼の政治的スタンスを明らかにすることだから一向に構わない。だが彼が不法移民を批判するついでに、全てのメキシコ人を「レイプ魔」と断定して侮辱することは許されない。

さらに言えば、彼がイスラム過激派のテロを断罪しテロリストを殲滅すると叫ぶのも自由だ。自由のみならず正義でさえある。僕もその考えに賛成だ。だがそこで続けて氏が、テロリストと無辜のイスラム教徒を一緒くたにし一般化して、
(全員がテロリストだから)イスラム教徒をアメリカに入国させるな、と言い張るのはほとんど狂気の沙汰だ。

そうしたレトリックは、悪貨は良貨を駆逐するごとく、人々の心の中に差別意識と偏見と不寛容と憎しみを植えつけるのみだ。あるいは既に人々の心の中に巣食っているものの、ポリティカル・コレクトネスのタガで押さえ込まれていて、やがて矯正され強い正義心に変貌するかも知れない今は弱い精神を、完全に破壊してしまいかねない。

ポリティカル・コレクトネスは合衆国大統領どころか、われわれ全てが文明社会の一員として懸命に守り尊重しなければならない倫理基準であり人類の知恵だ。そうした規範の第一級の保護者でもあるべきアメリカ合衆国大統領が、こともあろうに率先して人類の叡智に唾吐くような人間であってはならない。だからドナルド・トランプ氏をアメリカ大統領にしてはならない、と繰り返し思う。

性迷宮~50歳母のレスビアン宣言~

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日本では、国・地方の各種議員やおなじみのネトウヨ系レイシストらによる、同性愛者やLGBTの人々へのヘイト・偏見・差別発言や意見開陳が相次いでいると聞く。

バチカンを抱えて、その方面ではガチガチの保守国であるここイタリアでも、同性婚法の成立に向けて是々非々喧々諤々の議論が沸き起こって、かしましい毎日が続いている。

LGBTを巡る現実は、欧米をはじめとする世界のそれと同様に、イタリアでも法律の遥かな先を行っている。事実は小説よりも奇なり、と言うが「LGBTを巡る現実は法律よりはるかに奇」でありシビアであり斬新である。

破局と波紋

あたかもそんな騒がしい世情に触発されたように、シチリア出身の友人夫婦ジュリオとローザが離婚した。妻のローザがレスビアンであるとカミングアウトして、短い協議期間を経て夫婦は別れたのである。

2人はおよそ30年連れ添った。破局した数年前、あるいは敢えて言えば「事件」が起きたとき、ジュリオは57歳、ローザは間もなく50歳を迎えようとしていた。2人には3人の子供がいる。

ほぼ30年にも渡って夫婦でありながら、また3人の子供までもうけながら、突然レスビアンであると宣言したローザのアクションは、衝撃と形容するのが空しいほどの爆震を周囲にもたらした。

ローザの爆弾宣言にもっとも打ちのめされたのはジュリオである。彼は離婚を機に落ち込んでしまって、2016年3月半ば現在、まだそのショックから回復していない。回復どころか沈みぱなしである。

ローザの両親とジュリオの老いた母親には2人の離婚は知らされたが、ローザのカミングアウトの件は伏せられた。老いた親たちが、どこかから洩れくる噂で真相を知ったかどうかは定かではない。

僕ら夫婦は初めローザの真意を疑った。彼女のレスビアン宣言はもしかすると、亭主関白の域を超えて少し暴君的な傾向さえある、夫のジュリオへの反乱ではないか、と思ったのだ。

2人は仲の良い夫婦ではあったが、家族の何事もジュリオが独断で決めてローザはそれに従うという風だった。ひどく女性的で大人しいローザはそのことへの不満をほとんど口にしなかった。

だが彼らの関係は、ジュリオの一人舞台が過ぎるように常に僕らの目には映った。僕ら夫婦のその懸念はローザと妻が女同士の会話をする中で追認され、ローザの不満がくすぶっていることが明らかになっていった。

疑問と困惑

ローザの突然の同性愛者宣言は、彼女が街のレスビアングループに接触した直後に飛び出した。そのグループは反男性あるいは反マッチョを旗印にして、かなり激しい活動をすることで知られている。

グループは「レスビアン団体」を名乗っているが、夫からDVを受けたり虐待されたり等の不当な扱いをされた女性たちも多く加わっている、という噂がある。ローザもそうした女性の一人ではないか、と僕らは疑ったのだ。

僕らがそう推測した理由は先ず、ローザが夫の亭主関白ぶりについて不満を言うことが多くなっていたこと。彼女がグループの集会に参加して、虐待被害者の女性らに強い連帯感を覚えた、と話していたことなどがある。

それに加えて彼女が夫との間に3人もの子供もうけている事実、また前述したようにローザが人並み以上に女性的で、良き母、良き妻の典型のような女であることなども、ぼくらの目をくらました。

女性を好きな女性が子供を作れる筈はなく、さらに良き母であり良き妻である女性が、同じ女性を好きになるというのは大いなる矛盾だ、と僕らは無意識のうちに断じてしまっていた。

しかしながら彼女の中には、同性愛者の素質が確かに眠っていて、たまたま
「男を糾弾する会」的な要素も持つレスビアン・グループに出会って一気に花開いた、というのが真相らしい。

ローザの再生

ローザは間もなく恋人と称する女性を連れて帰宅したりもするようになり、全く後戻りのできない又その気もさらさらない地点にまで到達した。その後さっさと家を出て恋人と同棲を始めた。

滑稽なことだが、そうなっても僕らは彼女のレスビアン性を完全には信じられずにいた。本当はレスビアンではないのだが、夫への怒りから男性を忌み嫌うようになり、反動で気持ちが強く女性に惹かれていくのではないか、とどうしても考えてしまうのだ。

ところがそうした推測は全て間違いだった。その間違いはローザをレスビアンと思い込むところから起きていた。ローザは正確に言えば実はレスビアンではない。彼女は「バイセクシュアル」なのである。男も女も愛せるのがローザの性なのだ。そう気づくと全てが腑に落ちた。

彼女はジュリオと夫婦生活を続けながらも、女性もまた好きだったのだ。その真実が一気に表に出たということなのだろう。ではなぜ今になってローザの隠されていた感情が噴出したのか。それはいたって単純な理由によると僕は考えている。

つまりローザはもはや夫のジュリオが好きではなくなったのだ。彼女は夫に愛想をつかしてしまった。それが破局の原因なのである。要するにそれは、夫婦の一方に好きな人ができてしまい結婚生活が破綻した、というその意味ではごくありふれた話。ローザの好きな相手がたまたま女性だっただけだ。

未来の再生

ジュリオは、前述したように人生を投げたようになって今も立ち上がれない。僕は彼に「頑張れ」とか「過去を忘れてやり直せ」などとはとても言えない。彼は2重の衝撃に打ちのめされていると考えて気が重いのだ。気休めの軽い励ましなどとてもできない。

彼の中には妻に裏切られた(彼から見ればそうだ)ショックに加えて、その妻が同性愛者だったという困惑と不可解と驚愕があるに違いない。後者はもしかすると、妻の不貞(彼から見ればそうだ)という事実よりもずっと大きな不信と怒りを彼にもたらしているのではないか、とも考えてしまうのだ。

心に深い闇を抱えたジュリオがひどく疲弊してしまうのは仕方のないことだ。僕は友として静かに見守ってやることしかできないし、またそうしているのだが、そのうちに彼は復活するだろうともひそかに思っている。復活してほしいと強く願っている。

この「事件」ではジュリオとローザが育んだ一つの家族が壊れた。辛く悲しいことだがそれが現実だ。一方ではローザと恋人の新しい家族が生まれた。彼女はそこで生き生きと日々を過ごしている。「事件」の決算書は今のところはプラスマイナスゼロだ。一つが死んで一つが生まれたのだから。

だがこの先ジュリオが立ち直って、新しい連れ合いを見つけるなりして新生活を始めることができれば、+(プラス)が一つ加算される。そうなれば不幸も伴ったローザのカミングアウトは価値あるものとなるだろう。なにしろポジティブな事案が一つ増えるのだから。

同性愛者は多様性の象徴だが、彼らの存在は象徴であるばかりではなく、われわれの世界に多彩なアイデアや喜びや希望をもらす確実でポジティブな存在でもある。それが最重要なポイントだ。そこを踏まえて見れば、同性が同性を好きとか嫌いとかのどうでもいい議論は、まさに「どうでもいい」と思うのである。


あの日から5年

ミモザ花瓶全体300pic













僕の中では3月8日の女性の日(ミモザ祭り)と3月11日の東日本大震災の発生日が分かちがたい記憶として刻印されている。

ブログを始めて間もなかった2011年3月11日の朝(日本時間の午後)、僕は3日遅れの「イタリアのミモザ祭、女性の日」について何か書こうと思ってPCを開いた。

そこに日本から津波のニュースが飛び込んだ。衛星テレビの前に走った僕はそこで固まった。東北を襲う惨劇の映像が日本との同時生中継でえんえんと流れていた。

あの日から5年。忘れたわけではないが、あわただしい日々の時間の流れの中で、大難の地獄絵図は記憶蓄積の奥の片隅に追いやられることも多くなった。

そのことへの後ろめたさも手伝うのだろう、3月11日が訪れるたびに僕はブログや新聞投稿その他の表現の場で、いつも何かを語ろうとしてきた。

だが大震災から5周年の今年は、凶事の記憶が鮮明によみがえり始めた3月8日のミモザ祭りの日も、また3月11日当日も、僕はそれについては何も言及しなかった。

映像やネットなどのニュースや論説を静かに見守るだけにしたのは、何かを口にすることがどこか軽く、意図しないままただの見せ掛けや嘘を披瀝しているような、不誠実な気分がするからだった。

しかし、そうやって静かに5周年の「イベント」の数々を見ていくうちに、被災地への思いや被災者の皆さんへの惻隠の情がふつふつと湧き起こった。

それは偽らざる自分の気持ちの動きである。そこで僕はやはり今年もその心慮を書き留めておくことにした。忘れないために。あるいは忘れないでおこうと努力する自分がいることを確認するために。

多くの情報、消息、分析告知などの中でもっとも心を撃たれたのは、青森県から千葉県に至る被災地自治体の、「復興の今」を語ったNHK番組だった。

そこには再生の進んだ地域もあるが、未だ多くの市町村が災厄の傷跡に苦しむ様子が描かれていた。そこに心を揺さぶられながら、僕はもう一つのNHK番組の報告にも深い感慨を覚えた。

イタリア・バチカン、ドイツ・ベルリン、インドネシア、エジプト、オーストラリアなどを結んで、合唱隊や有名オーケストラが日本の被災地を偲んで公演をする様子を伝える放送だった。

その中でインドネシアの子供たちが、東北の被災者への連帯を表明して≪♪花は咲く♪≫を合唱した。おなじみのシーンに合わせて流れた情報が僕に強い衝撃を与えた。次のような内容である。

“2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島沖で起こった大地震とそれに伴う津波では、インド洋沿岸各地で合計23万人近くが犠牲になった。最も多くの犠牲者が出たのはここスマトラ島のアチェ・・・”
子供たちはそこで歌っていた。

約23万人の犠牲者の中には日本人もいた。しかし、23万人という衝撃的な数字は、東北の犠牲者と遺族また被災者を思う時のような身近な悲しみを僕にもたらさない、と気づいた。その落差に僕は内心おどろいた。

つまるところ人は、遠い場所の事件や災害には、真に大きくは心を動かされないものなのかも知れない。やはり身内の事件だけが重要なのだ。その意味では人間とは利己的で冷たい存在でもある。人はそのために無関心という罠に嵌まり、やがて多くの間違いや無神経な言動に走る可能性が高まる。

突飛なようだが、それは戦争で人が敵を散々に打ちのめす行動原理にも似た危険な代物だ。敵は遠くにいて、顔も見えず、親しみも感じない。だから人は冷徹に相手を殺戮することができる。身内ではないが、敵にも家族がいて日常があって喜怒哀楽の普通の感情があるなどとは考えない。

考えたら殺す手が鈍る。だから敢えて考えないようにするのが戦争遂行の処世術である。それに抗して考えろ!考えよう!と叫ぶのが反戦平和運動である。考えるとは、無関心ではない、ということだ。それは「忘れない」と同義語でもある。

多大な不幸や悲嘆をもたらす天変地異は避けようがない。だが無関心とエゴイズムと冷徹がもたらす戦争などの人為の兇変は避けることが可能だ。また自然の惨禍からは逃げようがないが、被害を最小限に留める方策を取ることは十分に可能だ。どちらもキーワードは『忘れない』である。

忘れるとそこにはいつも落とし穴がある。人は東日本大震災という巨大な不幸でさえともすれば忘れがちである。僕自身がまさにそうだ。被災地の皆さんのために『忘れない』努力をするべきではないか、と考えるうちにそれは被災者のみならず全ての人のために、何よりも自分のために、重要なことなのだと遅ればせながら僕は気づいたのである。

何度でも、繰り返し、なぜトランプ大統領はNGかを語ろう



米大統領予備選でスーパーチューズデーを制した後もドナルド・トランプ氏の躍進が続いている。トランプさんが共和党候補としてまた将来の合衆国大統領の可能性としても、真剣に相対しなければならない男であることはもはや否定できない。

僕はこれまで彼を「有力泡沫候補」と呼び、トランプ氏は「大統領に“なれない」と言ってきたが、ここからはトランプさんを「大統領に“してはならない”」と主張しようと思う。

トランプさんは大統領になれない、というのは米国の良心と知性を信じる僕の確信である。同時に僕は彼には合衆国大統領になってほしくないという願望も持っている。なぜ執拗にトランプ氏に反対するのか。僕は再び、再三、そして必要なら今後も際限なく語り主張していこうと思う。

トランプ氏が人種差別と不寛容と憎しみを煽る主義主張を修正することなく、このまま共和党の候補者指名を受けたとしよう。それは既に事件である。大げさに聞こえるかもしれないが、彼の政治的スタンスはヒトラーのそれをも髣髴とさせるトンデモ・コンセプトだからだ。

これを言うと、法に即して選挙運動をしている候補者をヒトラー呼ばわりにするな、という意見が必ず出る。そういう意見にはこう返したい。ヒトラーもきちんと法に則って、且つ民主主義の手続きを踏んで“ヒトラー”つまり誰もが知る独裁者になったのだ、と。

トランプ氏はヒトラー同様に民主主義の手続きを踏みつつ合法的に選挙戦を戦っている。そしてそのままの形で共和党の候補になり、ひいては第45代アメリカ合衆国大統領に就任するかも知れない。ヒトラーにも似た主義主張と政策(案)を掲げたままで・・というところが論点だ。

それはドイツ国民がヒトラーを選んだことよりも深刻な事態だ。なぜならヒトラーを選んだ人々は“ヒトラー”を知らなかった。つまりヒトラー以前にも世界には多くの独裁者が存在したが、民主主義の手続きを踏んでその地位に就いた者はいなかった。民衆は望んで、民主主義によって“ヒトラー”を誕生させたのだ。

その苦い体験と歴史をアメリカ国民は知っている。それでもなお且つヒトラー的にも見える人物を彼らの指導者にしようとしている。歴史が歯止めになっていない。だからトランプ大統領の誕生はヒトラーの誕生よりも深刻である可能性が高い。

そのトランプ氏がアメリカ大統領になることだけでも由々しき事態だが、彼の勝利はさらなる負の波紋を世界に広げることが確実だ。波紋は真っ先にここ欧州の極右勢力に到達するだろう。

中でもフランスの国民戦線が勢いづきそうだ。仏国民戦線は元々人種差別と不寛容と憎悪を旗印に政治主張を続けてきた。そこにイスラム過激派によるテロが相次いだ。最大のものは2015年11月のパリ同時多発テロである。フランス国内にはイスラム過激派への怒りが一気に広がった。

それは理解できないことではない。が、不幸なことに、テロリストと無辜のイスラム教徒を同じものとみなすイスラムフォビア(嫌悪)も台頭した。物議を巻き起こしたトランプ氏最大の問題発言「イスラム教徒をアメリカから締め出せ」も元はといえば、フランスの同時多発テロに触発されている。

ルペン国民戦線はフランス国内の混乱とヘイト感情に乗じて、直接間接にイスラム系移民ひいては全ての外国人排斥気分を煽り、欧州議会選挙などで躍進、勢力拡大が著しい。党首のマリー・ルペン氏は、2017年の仏大統領選挙では有力な候補になることが確実視されている。

国民戦線のルペン党首とトランプ氏の政治的スタンスは一卵性双生児のように似通っている。トランプ氏が世界最大最強の権力者である合衆国大統領になれば、ルペン氏にとってこれ以上の追い風はない。またたく間に欧州にも「トランプ主義」が浸透してしまうだろう。

フランス国民戦線の躍進は、ナイジェル・ファラージ氏が率いる英国の兄弟政党(同じ穴のミジナという意味でこう表現する)イギリス独立党(UKIP)、イタリア北部同盟、オーストリア自由党、ギリシャ黄金の夜明け等々の極右勢力も調子づかせるだろう。

一様にEU懐疑論を唱える欧州のそれらの極右政党は、各国内の移民嫌悪感情を巧みに利用して勢力を広げつつあるが、これまでのところは互いに手をつなぎ合う兆候はなかった。しかし、トランプ大統領の誕生を機に急速に接近して欧州に一大極右勢力が生まれる可能性もある。

彼らはロシアとも接近するだろう。ロシアは欧州の統合・連携の象徴であるEU(欧州連合)への強い対抗心を持ち続けている。反欧州・EU懐疑論を掲げるそれらの極右政党は、EUを内部から崩壊させたいロシアにとっては格好の来客となるだろう。

極右欧州とロシアが手を取り合う言わば欧露同盟は、アメリカでさえ仲間に引き込む可能性がある。トランプ氏はプーチン・ロシア大統領との親和性を公言してはばからない。だがそれだけで米露が手を取り合うとは考えにくい。

では欧州の極右とロシアとトランプ米政権が手を結ぶ理由はなんだろうか?それはおそらく「白人同盟」とでも置き換えたときに明らかになる。白人優越主義を自らの中に密かに増幅させているそれらの勢力は将来、手に手を取って世界を白人の支配下に置こうと考えないとは誰にも言えない。

そうした見解は、例えば世界全体がイスラム過激派ISの支配下に入って、自由と正義を奪われた人類が絶望の中で生きている状態、を想像するくらいに大げさで荒唐無稽なシナリオに見えるかも知れない。

だが、“トランプ大統領”誕生の可能性を考えるのも、ついこの間までは荒唐無稽なシナリオだったのだ。また再び歴史に目を移せば、人々はかつてヒトラーが“ヒトラー”に変身することを全く予測できなかった。

しかしトランプ大統領さえ出現しなければ、「あるいは」というその恐怖のシナリオ自体がそもそも存在し得ない。その意味でも“トランプ大統領”という悪夢は避けておいたほうが良い。何が起こるのかは誰にも分からないのだから。


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