2017年03月

大歴史の小さな島、カナリア諸島


アダン浜


スペインのカナリア諸島にいる。スペイン本土から遠く離れたアフリカ大陸の北西洋上にある島々である。7つの主な島と諸小島がある。

かつてスペインが南米大陸を支配した時代、軍事・商業・政治の中継基地として重要な役割を果たしたのが、ここカナリア諸島である。

群島のうちでも最もアフリカ大陸に近いフエルテベントゥーラ島が今回の訪問地。例によって仕事を利用して少し滞在を伸ばし、観光と見聞にも時間を割く計画旅。

カナリア諸島には以前から興味があった。スペイン本土の遥か南に位置するところが、日本の南方にある故郷の沖縄のあり方を思わせ、冬も暖かい常夏の島だと聞いていたからだ。

フエルテベントゥーラ島の印象は、少なくとも気温はまさに沖縄である。ところが3月も終わりに近い季節にしては寒い。強い風が間断なく吹き募るせいで体感温度が低いのだ。

風は、海を隔ててたった100km先にある、アフリカ大陸のサハラ砂漠から吹いてくる。その風の名前はイタリア語でアリゼイ(Alisei)。

旗ランタン青空あああイタリア人のコロンブスはアメリカ大陸発見の旅に出るに際して、「カナリア諸島でアリゼイをつかめば幸運が舞い込む」と言った。帆船の命は風なのである。

実はコロンブスはカナリア諸島の前にも大西洋の強風の恩恵に与っている。それがスペインのアンダルシアに吹く強風だ。

アンダルシアの大西洋沿岸に吹き付ける風は、主に狭くて暖かい地中海と冷たく広い大西洋の空気がぶつかることによって起こる。

コロンブスはアンダルシアの強風に押されて大海に出、カナリア諸島で水と物資の補給をした後、サハラ砂漠由来の順風アリゼイを待って再び大航海の荒海へと乗り出して行った。

2年前の夏、僕はスペインのアンダルシアにいた。そこでは大航海時代のドラマを作った、大西洋と地中海のせめぎ合いが生み出す風に接して感動した。

今年は偶然にもこうして、アンダルシアの風と共に大航海のドラマを織り成した、カナリア諸島の強風アリゼイに吹かれている。

スペインとポルトガルの海の男たちは、大西洋の風をつかんで大海に乗り出し、アフリカ西岸沖の島々で英気を養ってさらなる冒険の船出を敢行した。そうやって南米大陸のほとんどが彼らの手中に納まった。

歴史はその後、欧州の列強を巻き込んで興亡を繰り返しながら大英帝国の圧倒に収斂し、やがて米国が勃興し支配して現在に至っている。古代ローマの次に欧州の力の源泉を作ったのが、大航海時代だ。

そんな歴史の雄大にかかわる小さな島で「歴史」を思いつつ、僕は故郷の沖縄に似た空気感を満喫し、仕事も「仕方なく」頑張りつつ、もうひとつの個人的趣味「独断と偏見の子ヤギ料理紀行」にも精を出している。

気が向けばそのことも、また別事案も,ぼちぼち書いていこうと思う。



シチリア島に見るアラブ・イスラムの息吹 


見上げ後ろにアマトラーナ400pic
サン・カタルド教会


イタリアのシチリア島は1860年、ガリバルディ率いる千人隊によって統一イタリア王国に併合されるまでの2千年余、列強に支配され続けた。

支配者の名を時系列に並べると紀元前のギリシャに始まり、ローマ帝国、ビザンツ、アラブ、ノルマン、フランス、スペイン等々である。

このうちアラブ支配期を除けば--ビザンツに少しの議論の余地があるかもしれないが--支配者は全てが欧州の強国や大国だった。

つまりシチリア島はれっきとしたヨーロッパだが、そこに侵入支配し、島を蹂躙したパワーもまたヨーロッパのそれだったのである。

そこに9世紀から11世紀にかけてアラブという異質な力が入り、島を統治した。シチリア島最大の都市パレルモを筆頭に、同地には今でもその痕跡が残っている。

例えばアラブのモスク風の赤い丸屋根を持つ教会。シチリアに、そしてイタリア全土に“数え切れないほど”多くある「西洋風」の教会の中にあって、全く違う雰囲気をかもし出している。

そのひとつがサン・カタルド教会。3つの赤い丸屋根が放つイスラム風の情緒が鮮烈な印象を与える、アラブ・ノルマン様式の建築物の一つ。パレルモ市中心の広場に、バロック様式の美しいファサードを持つマルトラーナ教会と並んで建って、有名観光スポットの一つになっている。1160年頃に建設された。

サン・ジョバンニ・デッリ・エレミティ教会の佇まいも琴線に触れる。こちらもモスク風の5つの赤い丸屋根を有する。もともとは6世紀に作られた修道院。キリスト教の施設が、アラブ人によってモスクに作り変えられた往年の姿を偲んで、19世紀に再現された。

観光客もあまり訪れないジーザ城のシンプルな佇まいも面白い。ムスリム排斥後のノルマン時代に建てられたアラブ・ノルマン建築の傑作である。外見もそうだが城の構造とコンセプトがすごい。暑いパレルモの風の動きを計算して、城中に涼しい風を呼び込む工夫がされているのだ。

海風と山風の通り道を計算して建設場所が決められ、さらに風を取り込むために建築構造が考案された。その上に噴水の水を建物内の壁に引き込んで循環させる仕組みが隠されている。いわば原始的なクーラーのコンセプトだ。

クーラーのアイデアは、当時の進んだアラブの技術をノルマン人が取り込んだのではないかと思う。1787年にここを訪れたゲーテは、建物の美と機能に感嘆して、「北国には向かないかもしれないが南国の気候には最適の構造だ」という趣旨の文章を書き残している。

アラブはスペインも支配した。支配地域や権力の変遷はあったものの、紀元711年に始まり、1492年にナスル朝グラナダ王国が滅亡するまでの約800年間、アラブはイベリア半島を席巻した。そこではアラブ支配の痕跡は珍しくない。珍しいどころか、特に支配期間が長かったアンダルシア州などでは、むしろ普通の光景だ。

アラブのシチリア支配はスペインより1世紀余り遅れた。紀元827年に始まり1061年までの200余年に過ぎない。従ってアラブの痕跡はスペインのアンダルシアなどに比較するとはるかに薄い。しかし、数少ない彼らの足跡はやはり鮮やかだ。

実をいうと、アラブ支配時代の「オリジナル」の建物や建造物は、シチリアにはほとんどない。前述の2教会やジーザ城も、アラブの後にシチリアを制したノルマン王朝が、イスラム文明の優れたものを模造したり再建したり修復したために、今日にまで残る道筋ができた。

シチリア島を支配していた当時のアラブ世界は、数学や天文学や医学、薬学、化学、また灌漑技術などもヨーロッパより進んでいた。アラブ人は彼らの進んだ技術や学問や優れた建築・芸術様式などをシチリア島に持ち込んだ。その中でも特に灌漑技術はシチリアの農業を飛躍的に発展させた。
 
島の名産物の代名詞であるオレンジやみかんなどの柑橘類もアラブ人がもたらしたものである。さらに彼らは、サトウキビ、綿花、ピスタキオ、メロン、数々の薬草、ナツメヤシなども初めてシチリア島に導入した。養蚕と桑の栽培も彼らが始めて、絹織物の生産が盛んになった。

アイスクリームの原型とされるシャーベットもアラブ人がもたらした、という説さえある。

彼らは島にあるヨーロッパ最大の火山、標高約3330メートルのエトナ山頂の雪を利用して夏もシャーベットを作り、それはやがて発祥地がナポリともフィレンツェとも言われるアイスクリームへと形を変えていった、というものである。

シャーベットとアイスクリームは別物だと思うが、夏の暑い盛りに冷たいものを食べたい、という人々の欲望に応えた技術の開発という意味では、アラブのかつての進んだ文明を思い起こすにふさわしいエピソードのようにも見える。
 
アラブの優れた文物が、シチリアにもたらされた歴史をしっかりと認識している島の人々は、「アラブはシチリアの一部だよ」とまで断言して、アラブ・イスラム文化を讃える。
 
現在イスラム過激派のテロなどの蛮行が世界を震撼させている。欧州にはいわゆるイスラムフォビア(嫌悪)の感情が日ごとに高まっていく状況がある。そんな中で、アラブ・イスラムを自らの一部とまでとらえて賞賛するシチリアの人々の正直と、懐の深さが僕は大好きである。

彼らは歴史を直視することで「テロリストと一般のイスラム教徒を混同してはならない」という当たり前の原則をやすやすと実践し、泰然として揺るがないように僕の目には映る。



「赦(ゆる)す」ということ



僕は今のところは死刑制度に賛成である。しかしこの賛成は、かなりためらいながらの賛成である。

誰にも人を殺す権利はない――死刑も殺人である――のは明らかだし、死刑を執行された犯人が実は冤罪(えんざい)だったという、決してあってはならない事態の起こる可能性等を思えば、「死刑制度に賛成」と大手を振って言うことはとてもできない。

それに加えて、世界の民意も風潮も、また僕自身の理性も、死刑制度には反対と言っている。でも僕は、たった一点の迷いのために、やはり現在は死刑制度に賛成、と表明しなければならないのである。

例えば僕は、僕の家族の誰かが理不尽に殺害されたとき、その犯人を赦(ゆる)せるかどうか自信がない。いや多分赦せない。犯人が赦せないのではない。犯人が生きていることが赦せないだろうと思う。したがって終身刑でも納得できない。必ず犯人の死を要求しそうな気がしてならない。

つまり、僕は今のところ、自分の復讐心を制御できないのではないか、と感じるのである。その一点を正直に認めるために、僕はどうしても死刑制度に反対、と主張することができない。

(ヨーロッパのほとんどの先進国と同じように、僕が今住んでいるこの国)イタリアには死刑制度はない。それどころか、多くのイタリア国民が死刑というものに激しい嫌悪感を示し、あまつさえ活動的な人々は、差し出がましくも他国の死刑制度に噛み付いて、がんがんそれを罵倒し制度の廃止をヒステリックに叫んだりもする。

その気持ちは実は僕は分かる。くり返すが僕も「理性」では死刑制度に反対なのだ。でも前述した感情のもつれ、つまり赦せない気持ち、復讐心らしいものの存在がどうしても僕の行く手を阻んでしまう。

そんな自分の「悩み」にはお構いなしに、イタリア人があらゆる機会に見せる「赦(ゆる)し」の哲学も僕を惑わせる。

この国では犯罪被害者や被害者家族などが、「過ちは償われるべきだが、公正な裁きが下された後は犯罪者を赦す」という趣旨のことをごく普通に表明する。それは高尚高潔な偉人や聖人の言葉ではない。市井の犯罪被害者たちのメッセージなのである。(実はそれはイタリアに限らず、欧米の多くの人々に共通する態度だ。)

僕は自分が彼らに比較してより冷酷だったり、残忍無慈悲な人間であるとは思わない。それなのに彼らは楽に「赦す」ことができて、僕にはできないのはなぜかと考えたとき、どうもそこには宗教の存在がかかわっているのではないかと気づく。

僕はキリスト教徒ではないが、この国にいる限りはイタリア人でキリスト教徒でもある妻や妻の家族が行うキリスト教のあらゆる儀式や祭礼に参加しようと考え、またそのように実践してきた。

一方妻は日本に帰るときは、冠婚葬祭に始まる僕の家族の側のあらゆる行事に素直に参加する。それは僕ら異教徒夫婦がごく自然に築いてきた、日伊両国での生活パターンである。

どんな宗教にも美点があり欠点があると思うが、僕が長い間キリスト教の教義に接してきた中で見た美点の一つは「赦(ゆる)し」の観念である。「過ちや罪や悪行を決して忘れてはならない。しかしそれは赦されるべきである」という教えはキリスト教の最重要な理念の一つである。異端者の僕だがこの教えには非常に深い敬意を覚える。

イタリア人が死刑制度を廃止し、犯罪者を赦すことができるのは、その宗教の教えがあるからではないか。もちろん誰もが簡単に「赦し」を実践できる訳ではない。むしろ実践できない者がほとんどである。だからこそキリスト教では、そのことを敢えてくり返し信者に諭し、強調するのだろう。

統計上、日本人の8割ほどが死刑制度を容認しているのは周知の事実である。そのことに思い至ると僕は、われわれ現代の日本人は、どちらかというと赦すことが不得手な国民ではないのか、という考えにとらわれたりもする。

しかし、日本人は常に「赦さない」国民であったわけではない。

かつて親鸞聖人は

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」  

と説いた。これは原意を敢えて拡大解釈して言えば、「善人でさえ極楽往生を遂げるのだ。ましてや悪人はもっと極楽往生を遂げることができるのは自明だ」という意味である。

逆説を用いて、悪人が仏の慈悲によって極楽往生を遂げると説くこの思想は、キリスト教をも越えるとてつもなく大きな「赦し」の教義だと言っても過言ではあるまい。

それなのに僕を含む8割の日本人の「赦さない」心は、一体どこから来たのだろうか・・

日々の生々しい人間関係の中では赦すことができない事柄が多々ある。それどころか赦すことが苦しい場合さえ少なくない。しかし「赦さない」ことはもっと苦しい。それは憎しみを抱え続けることだからだ。赦すことで人は相手を救い自らも救われるように思う。

キリスト教異端の徒である僕は、不信心から宗教的に「赦す」ことができず、さらに人間ができていないゆえにますます「赦す」ことができずにいつも苦しんでばかりいる。「赦さない」態度は悲しい。いつの日か赦すことができる人間になりたいものである。

そのときこそ僕は、誰はばかることなく「死刑制度反対!」と叫ぶことができるに違いない。


「クイ食いネー」と言われても食えねェ場合もある  


ペルー2012年クイ料理800pic
クイの丸焼き:クスコのレストランで


ペルーは南米でもっとも観光客に人気のある国とされる。アンデス山脈、アマゾン川、ナスカの地上絵、マチュピチュなど、など・・ペルーには魅惑的な観光スポットが数多くある。

そのぺルーを旅した時の話。旅では標高約5千メートルの峠越え3回を含む、
3700メートル付近の高山地帯を主に移動した。

目がくらむほどに深い渓谷を車窓真下に見る、死と隣り合わせの険しい道のりと、観光客の行かない高山地帯の村々や人々の暮らしは、見るもの聞くものの全てが新鮮で大いに興奮した。

その中でもクイと呼ばれる「ペルーの豚」料理が特に面白かった。面白かったというのは実は言葉のあやで、僕は「ペルーの豚」料理に閉口した。

ペルーには2種類の豚がいる。一つは誰もが知っている普通の豚。山中の村では豚舎ではなく道路などで放し飼いにされている。これはとてもおどろきだった。

でももう一種の豚はもっとおどろきである。それは普通の子豚よりもずっと小さな豚で、ここイタリアを含む欧米で「ギニア(西アフリカ)の豚」とか「チビ豚」また「インド豚」などとも称される。

ペルーでは「クイ」と呼ばれ、それの丸焼き料理がよく食べられる。つまりそれが「ペルーの豚」料理である。レストランなどでも正式メニューとして当たり前に提供されている。

クイは見た目は体がずんぐりしていて頭が大きく、確かに極小の豚のようでもある。だがクイは本当は豚ではなく、モルモットのことだ。日本語では天竺鼠とも言う。

僕はクイの丸焼き料理がどうしても食べられなかった。天竺鼠の「ネズミ」という先入観が邪魔をして、とても口に入れる気になれないのだった。

クイの丸焼きの見た目はウサギである。イタリアでよく食べられるウサギも、実は僕は長い間食べることができなかった。が、郷に入らば郷に従え、と自分に言い聞かせて何とか食べられるようになった。

ウサギ肉は、自ら望んで「食べたい」という思いには今もならないが、提供されたら食べる。クイもそのつもりでいた。しかしモルモットでありネズミであるという思いが先にたってどうしてもだめなのだった。

実を言うと僕がクイを食べられなかったのは、ネズミという先入観が全てではない。僕が田舎者であることが真の理由なのだろうと思う。

誤解を恐れずに言えば、田舎の人というのは新しい食べ物を受けつけない傾向がある。いわゆる田舎者の保守体質である。

日本でもそうだが、ここイタリアでも田舎の人たちは、たとえば僕が日本から土産で持ち込む食べ物を喜ばないことが多い。悪気があるのではなく、彼らは食の冒険を好まないのだ。

生まれが大いなる田舎者の僕は、イタリアに来て丸2年間生ハムを口にしなかった。それが生肉だと初めに告げられたのが原因だった。ウサギ肉どころの話ではなかったのだ。

イタリアでは生ハムは、ほぼ毎日と言っても良いくらいにひんぱんに食卓に供される食物である。2年後に思い切って食べてみた。以来、今では生ハムのない食卓は考えもつかない。

ウサギを食べられるようになったのは、生ハムのエピソードからさらに10年以上も経ってからのことだ。僕はそんな具合に田舎者にありがちなやっかいな食習慣を持っている。

日本のド田舎を出て、ついには日本という祖国も飛び出して外国に住んでいる身としては、この「食の保守性」というか偏向性はちょっとまずい性癖だ。世界の食は多様過ぎるほど多様なのだから。

それは良く分っているのだが、その面倒くさい性分は、標高が富士山よりはるかに高いアンデス山中でも変わることはなかった。

変わるどころか、土地の珍味を食べなくても別に死にはしない、と開き直っている自分がいた。まさに田舎者の保守性丸出しだったのである。


オランダのトランプ・Wildersの欺瞞 ~ ペテン師とトランプ主義者の違いってなに?


オランダ総選挙で躍進するのではないか、と見られていたヘルト・ウィルダース党首率いる極右の自由党は、最終的には失速して敗北とみなされる第2党にとどまった。

17世紀の独立以来、寛容と自由と移民受容を国是として発展してきたオランダにも、不寛容と排外主義と差別を旗印にする米トランプ主義の風が吹きまくっている。

その風を捉えた極右自由党ウィルダース党首は、米トランプ大統領を賞賛し、欧州の主たる極右勢力であるフランス国民戦線やイタリア北部同盟などとも連携している。

トランプ主義者の中でもウィルダース自由党党首は知恵者の趣があって、欺瞞と詭弁とペテンを駆使して選挙戦を戦い、あわや大勝利かというところまで支持を伸ばした。

彼の手法はこうだ。『オランダは寛容と自由と移民の受容を重視する国である。それが国の根幹であり、オランダ社会の規範だ。ところが今、それを揺るがす事態が起こっている』。

『それがイスラム教系移民の増大である。われわれは彼らを阻止することで、寛容と自由と人種共存というオランダの国是を守る』、というものである。

ペテン師も真っ青のその主張は、いわばこう主張するようなものだ。即ち『私は寛容な人間である。私が大嫌いなものは、そう、人種差別主義者と黒人だ』と。

あるいは、『私はオランダの自由と寛容の精神を守るために「全体主義」のイスラム教を排撃する。そう、我こそが“自由の番人”である』、と。

米トランプ大統領を首魁とする世界の反ポリコレ・差別・排外・不寛容主義者らは、全てがウィルダース氏と同じ論法を振りかざしている。が、表向きの主張には違いがある。

米トランプ大統領は、良く言えば傲慢・率直、もっと良く言えば米国人的子供っぽさで、イスラム教徒を排撃し国境に壁を作り、陰では女性器を思いのままにわしづかむ、とも豪語する。

一方、ウィルダース氏はある意味で欧州的な老獪さを発揮して、前述した邪悪な言い回しで真意を隠し、事実を隠蔽して支持を広げた。

ウィルダース氏の権謀術策は、フランスの国民戦線党首・ルペン氏にも通低するものだ。欧州の極右は、米国的な直截な言い回しよりも、歴史の重みがある邪知深い言動が得意なのだ。

それら極右政治家の思想信条は社会への脅威だが、実はそれを支持する欧米諸国民が多く存在する、という事実が真のそして最大の脅威である。

幸いオランダにはウィルダース氏の狡悪 を見破る冷静な国民が相当数存在した。4月~5月に予定されているフランス大統領選でも同じことが起こる、と信じ祈りたい。

正気を保ったさすがのオランダ



オランダのトランプといわれる、ヘイト、いやヘルト・ウィルダース党首が率いる極右の自由党が総選挙で敗れた。寛容を国是にして移民を多く受け入れ、多文化社会を築いてきたオランダはさすがに米国とは違った。

もっともオランダの結果は、アメリカのトランプ主義が、新政権発足後につまずいて混乱している状況が影響したとも考えられ、ポピュリズムあるいは極右排外主義が完全に後退したとはお世辞にも言えない。

オランダは人口約1700万人の小国だが、移民の抱擁と寛容を重んじる国民性という意味では、欧州最強の国、という形容もできる。また移民受容国家というくくりで言うならば、ヨーロッパの米国とも呼べる国だ。

1648年にスペインから独立して以後、オランダはカトリックとプロテスタント、さらにはユダヤ教徒などが混在・共存する国になった。

異なる宗教と人々が共に住まう国家は、必然的に寛容の精神を獲得したが、国土が狭く貧しい同国は、世界中の国々との貿易によって生存を確保しなければならない事情もあった。

オランダは貿易立国という実利目的からも、さらに寛容と自由と開明の精神を広げる必要があった。そして同国はその方向に進んだ。

第2次大戦後には旧植民地のインドネシアから、また経済成長が進んだ60年代以降は、労働力として中東や北アフリカからの移民も受け入れたのがオランダである。

また経済成長期には、欧州の主に南ヨーロッパの国々からの移民も受け入れ、EU(欧州連合)が拡大した2004年以降は、東欧の旧共産主義国家からの移民も多く受け入れるようになった。

欧州の中でも、たとえばここイタリアなどとは比べものにならないほどの、移民受容と多文化主義を育んできた「大寛容」の国がオランダなのである。

そのオランダで、反イスラムや反移民、さらにはEU離脱までを叫ぶ勢力が台頭するのは、米国のトランプ主義が世界を席巻する時代とはいえ、やはり驚くべき現象だと僕には見える。

今回の選挙では極右の最大規模の躍進はとりあえず抑えられた。しかし、続いてやって来るフランス大統領選やドイツ総選挙で、トランプ主義が躍進する可能性は消えていない。

それでもオランダで極右勢力のウィルダース自由党が敗退したことは、「欧州の良心」がトランプ主義に打ち勝つ前触れ、と捉えることもできる朗報には違いない。

オランダ総選挙



英国のEU離脱(Brexit)、米トランプ大統領誕生、伊国民投票につづいて、欧州のポピュリズム(大衆迎合主義)がさらに勢いを増すきっかけになりかねないオランダ下院選(定数150)が15日に実施される。

ウィルダース党首が率いる極右政党の躍進は間違いないとされ、焦点は極右の自由党(PVV)が第一党になるかどうか。

事前の世論調査では、政権与党の自由民主党(VVD)がわずかにリードしているとされるが、予断はまったく許さない。

自由党は反イスラム、反EU(欧州連合)を旗印にして、米トランプ政権や仏極右の国民戦線、またここイタリアの極右、北部同盟などと連携している。

ウィルダース氏の自由党はたとえ第1党になっても政権を握ることはない。なぜなら他のどの党も自由党との連立には参加しないことが確実だからだ。

しかしながら自由党が勝利すれば、4月から5月に行われるフランス大統領選や9月のドイツ連邦議会(下院)選で、反EU勢力がさらに台頭する引き鉄になる。

そうなればEUがさらに揺らいで、欧州のみならず世界の政治経済が混迷する可能性が高くなる。それは最終的には局地紛争も招きかねない重大事態だ。

オランダの人口は約1700万人。EU全体の3%程度に過ぎないが、ほぼ70年前に独仏伊などと共にEUの原型組織を作った6ヶ国の一つである。

その後もEUの連携と統合を強く支持してきた国。そこで反EUを旗印(掲げる)にする極右勢力が躍進すればEUが受ける打撃は大きい。

昨年のイタリアのポピュリズムの躍進と同様に、オランダの極右ポピュリズムの勢力拡大は、EUの崩壊にもつながりかねない危険なものだ。

EEC(欧州経済共同体)として発足したEUは、その後政治の一体化も目指しながら、欧州での「究極の戦争回避装置」としての役割も果たしてきた。

そのEUが消えてしまえば、欧州内の国々の分断と対立が加速し、紛争や戦争が絶えなかった過去に戻る可能性が高まる。由々しき事態なのである。

スイスで死ぬイタリア人は幸せなの?日本人は?


eutanasia-belgio-生命維持装置の管を鋏で切る400pic



2017年2月27日、イタリアの一部で著名だったDJのFabo(ファボ:本名Fabiano Antoniani)さんが、スイスの病院で薬物摂取による幇助付きの自殺をし、安楽死・尊厳死をめぐる大きな議論を巻き起こした。

Faboさんは2014年6月、交通事故で失明し、首から下が完全に麻痺した上に、絶え間のない激痛が全身を襲う、という後遺症に見舞われた。

彼は死に際して公表した音声メッセージで、自らのその状況を「ただ痛みと痛みと痛みがあるだけの地獄」と形容した。

Faboさんは事故後しばらくは望みを捨てずに治療やリハビリに取り組んだ。しかし回復の兆しは見えず、やがて安楽死を願うようになった。

彼は安楽死を認めるようにSNSなどを使って国に訴え始めた。だが国の反応は鈍かった。Faboさんは結局、安楽死が容認されているスイスで死ぬことを選択した。

彼にはイタリアから1人の男性がサポートとして付き添った。安楽支援団体所属の政治家、マルコ・カッパート氏である。同氏はスイスの安楽死専門病院でFaboさんの自殺を幇助した。

Faboさんの死後、カッパート氏 はイタリアで自殺幇助の罪に問われていて、禁固10年の刑罰が科される可能性がある。

イタリアでは安楽死また尊厳死は認められていない。そのため毎年約200人もの人々が、自殺幇助を許容しているスイスに安楽死を求めて旅する。そのうちの6割程度は実際にスイス側に受け入れられるとされる。

安楽死に対するイタリア社会の抵抗は強い。そこにはカトリックの総本山バチカンを抱える特殊事情がある。自殺は堕胎や避妊などと同様に、バチカンにとってはほぼタブーだ。その影響力は無視できない。

それでも安楽死は、堕胎や避妊に続いてイタリア社会の中で頻繁に議論の的になり、従ってそれを受け入れる空気も、やはり堕胎や避妊のそれを追いかけて次第に醸成されてはいる。

今回のFaboさんの自殺に対しても、多くのイタリア人が理解を示し、SNSなどで彼への賛美を表明した。それは25年前に起こり8年前に終結した、エルアナ安楽死騒動とは様相が大きく違っていた。

エルアナ・エングラロ(22 )さんは1992年、交通事故で植物人間状態に陥り、17年に渡って生存を続けた。彼女の父親は、事故から7年後に娘の安楽死を求めて裁判を起こした。

カトリック教会と信者、また彼らに同調する人々からの激しい非難を受けながら、父親は闘い続けた。裁判闘争は長く続き、その出来事を通してイタリア社会には安楽死への理解が深まった。

Faboさんの安楽死に多くの賛同者が出たのは、エルアナさんの父親を始めとする過去の安楽死事案の関係者の努力があったからだ。イタリアでは安楽死への反対が常に多かったが、今回は賛成が74%にのぼった。

安楽死・尊厳死に関しては多くの論考があり賛否両論が逆巻いているのは周知の事実だ。僕はいわゆる「死の自己決定権」を支持する。安楽死・尊厳死は公的に認められるべきだと考える。

ただしそれには、安楽死・尊厳死を求める本人が、意志表示のできる環境にあって、且つ明確にその意志を表明し、そのあとに安楽死・尊厳死を実行する状況が訪れた時、という厳然たる条件が付けられるべきだ。

そうした僕の立ち位置は、世界で初めて安楽死を合法化したオランダや、民間団体が合法的に自殺希望者に薬物を処方して生命を絶つ、幇助付き自殺を行うスイスなどの立場とほぼ同じである。

生をまっとうすることが困難な状況に陥った個人が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死、つまり自殺を要求することを拒むのは、自然のまた人の生の摂理に楯突く僭越な行為ではないか。

安楽死・尊厳死を容認するときの危険は、「自らの明確な意志」を示すことができない者、たとえば認知症患者や意識不明者あるいは知的障害者などを、本人の同意がないままに安楽死させることである。

そうした場合には、介護拒否や介護疲れ、経済問題、人間関係のもつれ等々の理由で行われる「殺人」になる可能性がある。親や肉親の財産あるいは金ほしさに安楽死を画策するようなことも必ず起こるだろう。

人の弱さに起因するそうした不都合を限りなくゼロにする方策を模索しながら、回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願うならば、これを公的に認めるべきである。

Faboさんは自らの明確な意志で安楽死を望んだ。これを容認しないのは間違いだと思う。エルアナさんは植物状態だったから「自らの明確な意志」を示すことができなかった。そのため父親が代わって安楽死を願った。

父親はエルアナさんを彼女らしく死なせてやりたいと主張し裁判に訴えた。娘への愛情からの行動である。この場合は尊厳死という形容が適切だろうと思う。彼の願いは裁判を起こしてから10年後にようやくかなえられた。

エルアナさんのケースでは患者本人の意思表示がない。肉親である父親が彼女の気持ちを忖度して、恐らく娘は植物状態のまま生き続けることを拒否するだろう。従って生命維持装置を外して自然死をもたらすことが最善の道、と判断した。

僕はエルアナさんの父親にも共感する。その場合の僕の判断基準は、もしも自分がエルアナさんの立ち場に置かれたならば、果たしてどう考えいかに結論を下すだろうか、と繰り返し真剣に考えた上での断案だ。僕もやはり死を選ぶと思うのである。

僕の考えはいうまでもなくエルアナさんのものではない。彼女はもしかすると、いかなる状況になっても生命維持装置を外さないでほしい、と考える類の人かもしれない。

しかし、エルアナさんの意思を確かめる手段はなく、彼女を最もよく知り最も深く愛している父親が、昏睡状態から回復する見込みのない娘に代わって自然死を願い出ているのだから、僕はそこにも賛成するのみなのである。

人類は将来、植物人間状態になって通常の意思疎通ができない患者の真意を知る手段も必ず手に入れるだろう。たとえば電気信号のようなものを駆使して、口もきけず意思表示もできない人間の心の内を知るようになると思う。

そこに至るまでは、我われはエルアナさんのような苦しい境遇になった人の気持ちを忖度して行動するしかない。その場合は、自らの立場に置き換えて考えてみるのが最も誠実な態度だと思う。

一方、Faboさんのように回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願うならば、これを公的に認めるのが筋ではないか。

唐突なようだが、それは高齢者の生のあり方にも示唆を与える得る重要なコンセプトだと思う。つまり長命者は「どこまで」また「どんな風に」生きるべきか、という問いへの答えの一つだ。

高齢化社会で「超高齢」になって介護まで必要になった者が、「自らの明確な意志」に基づいて将来の死を選択することができるかどうか。またそうすることは是か非か、という議論はこの先決して避けて通れない命題であるように思う。

高齢者が死ぬリスクよりも、むしろ「無駄に長生きをするリスク」の方が高いようにさえ見える現代を生きる者は、誰もが早い段階から自らの「行く末の始末」を考える習慣を持つべき時が来ているような気がしてならない。

もしも僕の予感があたっているなら、最重要なことはそこでもやはり個人の意志の有無である。全ての人が考えて意を決して、自らでは考えることも身動きすることもできなくなった時を想定し、生き続けるか否かをリビングウイルにして、元気な時に明示しておく仕組みが作られてもいいように思う。

いかに死ぬかという問いはつまり、いかに生きるか、という問いである。死は生を包括しないが生は死を包括する。あるいは生は死がなければ完結しない。死は生の一部にほかならないのである。ならば死に対しても、逃げることなく大いに議論がなされるべきだと考える。



掲載し遅れたこと~ベルルスコーニさんお大事に、そしてきれいな余生を~

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イラスト by KA Nakasone


僕のPCのブログフォルダには、ある程度書き進んだネタや、ほぼ書き上げて後は推敲するだけのテーマ、などというものも結構ある。それらは時事ネタである場合がほとんどである。時事ネタだから腐ってしまっている。しかし、書き進んだテーマにはその時々の自分の思いが既にきっちりと現れている。そこで、《過ぎた時事ネタを今振り返る》みたいなコンセプトで「掲載し遅れたこと」あるいは「投稿し忘れたこと」というカテゴリにまとめてそうした事案も公表してみようと考え付いた。つまらなければさっさとやめるつもりで。


【2016年6月11日付け・掲載し忘れ稿】
ベルルスコーニ元首相、愛称ベルルスカ(以下ベルルスカ)さんが、心臓手術のために入院し、大動脈弁を人工心臓弁に取りかえる手術を受けた。同氏は10年前にアメリカで心臓ペースメーカーの手術を受け、最近電池交換の手術も受けていた。元首相は入院したとき命の危険もある重篤な状態だったが手術は成功。経過も順調でリハビリなどを経て1ヶ月後には政界復帰も可能とのこと。

病気からの回復は良かった。めでたい。お大事に。と心から思うが、御歳 ほぼ80歳の元首相がまだ政界復帰を目論んでいるという話には、そういうのが政治家然とした成り行きだと知りつつ、またそいういう脂ぎった性格でないと強い政治家にはなれないことなども熟知しつつ、余計なお世話ながら、ここで政界から足を洗って静かに余生を生きれば彼の人生も大きく変わるだろうに、惜しい。とも思う。

元首相は、イタリア第3の政治勢力であるForza Italia党の党首である。だが脱税の有罪判決を受けて2013年11月に議員資格を剥奪され、その後いかなる公職にも就けない前科者の身である。他のいわゆるまともな先進民主主義国ならそれだけでも十分に政治生命が終わる事態だが、ここは不思議の国アリス、じゃなく不思議の国のベルルスカさん。よく言えば寛大、悪く言えばいい加減な国民も多く住むイタリア共和国である。しっかりと生き延びてきた。

しかし、もうそろそろそういう無駄な戦いは終わりにしたほうが良い。そうすることで彼は、政治的に晩節を汚した(晩節ではなくずっと汚れていたという厳しい声もある)あまたの汚職疑惑、未成年者買春容疑、贈収賄容疑、そして議員生命に止めを刺した脱税有罪判決など、100件以上の裁判沙汰や、ブンガブンガ乱交パーティ疑惑などで地に落ちた評判を回復することも可能だと思うからだ。

なぜ可能なのかというと、ベルルスカさんが基本的にはコミュニケーション能力に優れた楽しい面白い人だからだ。そして数々の放言暴言差別発言などにもかかわらず、彼は多分それほどの極悪人ではないと考えられるからだ。ベルルスカさんの放言暴言差別発言は、深刻な根を持たない軽はずみな、誤解を恐れずに言えば「イタリア人的な趣味の悪いジョーク」の類ではないか、というのが僕の持論である。

あるいはイタリア人的な「ノリ過ぎ」から来る軽佻浮薄発言といっても良い。要するに子供メンタリティーから出たもの。いつまで立ってマンマ(おっかさん)にド頭をなでられてかわいがられていたい、イタリアの「コドモ男たち」の一人ベルルスカさんならではの、お調子者丸出しのおバカな言動なのである。

性格が明るくジョーク好きな彼は、政界入りする前には実に輝いていた。こ ぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明朗と人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてきた。それはイタリア政界を牛耳る権力者になってもからも変わらなかった。

ベルルスカさんのポジティブな一面は、軽薄や際限のないお喋りや隠蔽や利己主義や鈍感や無思慮などのネガティブな面と表裏一体なのだが、ポジティブ好きの多くのイタリア国民によって裏の要素は無視されて、表の要因ばかりがスポットライトを浴びてきた。そうやって彼はイタリア政界のスターであり続け、スターであることが彼にカリスマ性を付与してきた。

一代で巨万の富を築いた自信満々のベルルスカさんは、政界に打って出た当初、ドロ沼のように停滞したイタリアの古い政治体質を変えるのではないかと期待された。それは表面的には成就されたように見えた。だが、3期およそ9年に渡って政権を担い、野にあった時期も含めると20年もイタリア政界を牛耳った男が腐らない訳がない。彼は自身のビジネス王国を守り発展させることと、国政とを混同して最終的には失脚した。

2011年に失脚したものの、ベルルスカさんは普通の政治家とは違っていた。民放テレビ3大ネットワークを中心とするメディアグループを筆頭に、「ベルルスコーニ・ビジネス王国」が巨大な力を持ち続けて、イタリア政治経済のあらゆる局面に影響力を行使した。結果としてそこの主である彼の政治基盤も揺らぐことなく存在し続け、今も存在している。

当然彼の主たる関心はビジネスであり、国を思い国を憂う、英語で「公正でりっぱな政治家」と表現されるいわゆる『Statesman(ステイツマン)』としての高邁な哲学ではない。そんな具合いに、全てが真っ黒とは言わないまでも、灰色一色の政治家生活を病気を機会に捨てて、彼本来の面白い人『Simpatico(シンパーティコ)』に戻ればいいのに、と僕は余計なお世話に思うのである。

イタリア には人を判断するのに「Simpaticoシンパーティコ⇔Antipaticoアンティパーティコ」という基準があるが、これは直訳すると「面白い人⇔面白くない人」という意味だ。そし て面白いと面白くないの分かれ目は、ひとことで言ってしまえば「おしゃべりかそうでないか」ということなのである。自己表現に長けたおしゃべりで面白い人が『Simpatico(シンパーティコ)』であり、しかもそれは、イタリア人が人を評価するときに頻繁に用いる、最上のほめ言葉なのである。

彼が『Statesman(ステイツマン)』と呼ぶにふさわしいい政治家だったならば、ベルルスカさんは自らの後継者も育てるはずだった。しかし彼はそれをしなかった。そのため今回、彼の入院手術の報が出ると、即座に元首相の後釜に座るのは誰かという憶測が流れた。ベルルスカさんの支持を受けてミラノ市長に立候補しているParisi氏や元教育相のGelmini 氏、また彼の片腕とみなされる81歳のLetta氏(レッタ前首相の叔父)などが取りざたされたが、いずれも強い調子で否定。

まるで噂に上ることはベルルスカさんの不評を買う、とでもいいたげな性急な否定の仕方が、ちょっと不自然な感じだった。彼らが後継者ではないなら、党内にトロイカ体制が組まれるのではないかなどとも噂されたが、これは党の指導部が強く否定するなど、ベルルスカさんのほぼ独裁体制を思わせる動きが矢継ぎ早に出た。

こういう動きからも、ベルルスカさんが常に私利私欲で行動しているらしいことが分かる。彼は恐らく自分の子供らに家督、つまり党首の地位を引き継ぐ形以外には後継者には興味がないのではないか。以前はアルファーノ内務大臣が後継と見られていたが、彼はアルファーノ氏をこき下ろすような言動もいとわず、同氏は2013年にベルルスコーニ党(FI)を割って出て、新党「新中道右派(NCD) 」を結成した。

ベルルスカさんはそのころは、どうやら娘のマリーナさんを自らの後継者にする構想を持っていたようだ。その計画は彼女の拒否で立ち消えになったが、ベルルスカさんは前述したように多分彼自身の家族以外には党の権力を譲る気持ちにはなれないのだろう。つまり、家族以外の人間には心を許せないのだ。それって典型的な独裁者の心理状態と同じ不穏なものだ。

ベルルスカさんには男女4人の子供がいて、全員が彼のビジネス王国で重要な役職を担っている。そうした事実も相まって、ベルルスカさんの行状の全ては私利私欲のため、という批判が絶えない。ならば彼は今こそ、我欲オンリーの自らのあり方を捨てて、若かりしころの『Simpatico(シンパーティコ)』な男に戻るべき、と僕は再び老婆心に思うのである。


2017年3月7日現在、 ベルルスカさんはいたって元気。この記事に書いた心臓手術のあと、予定通りほぼ1ヶ月後の2016年7月5日に退院。その後は順調に回復して、昨年12月4日に行われた憲法改正を問う国民投票では、当時のレンツィ首相降ろしのキャンペーンに暗躍して成功。現在は単独での政権獲得が無理なことを察して、連立政権の一角に食い込むか、少なくとも影響力を行使することを念頭に、相変わらずイタリア政界最強の魑魅魍魎振りを発揮している。


安倍首相夫人、昭恵さんのこと



AKIEお辞儀切り取り


大阪の森友学園を巡る問題で、安倍首相と共に夫人の昭恵さんもいろいろと叩かれている。金銭の問題と学園の教育方針を巡る問題の2つがあるようだが、僕は後者について少しひっかかるので意見を述べておくことにした。

2015年7月28日、僕はこのブログで安倍昭恵さんについて好意的に書いた。彼女がミラノ万博会場で見せたパフォーマンスは賞賛に値すると思ったからだ。その気持ちは今も変わらない。

記事の概略は次のようなものだった。

イタリアきっての高級紙「 CORRIERE DELLA SERA」が、「万博訪問中の日本首相夫人が伝統に挑戦」というタイトルで、万博会場での昭恵さんの挨拶の言葉を大きく報じた。

記事の趣旨は、昭恵さんが「日本の女性の地位は変わらなくてはならない。私はこれまで批判を怖れて言いたいことを言わずに来たが、今後は自分の意見をきちんと表明して行く」と明確に述べて、男尊女卑の風が色濃く残る日本の因習に挑む決意を表明したというもの。

記事はこうも述べた。「Akie Abeは夫の安倍首相と政治的スタンスが違うことでも知られている。例えば彼女は原発にもまたその再稼動にも反対で、緊張関係にある中韓に対してはもっと柔軟な態度で臨むべき、という考えを持っている。

形式と儀式を重んじる日本社会では、宰相夫人が公の場では決して言わないはずの「自らの意見」を、彼女は優雅な、しかし決意に満ちたやり方で表明した。夫から「家庭内野党」と呼ばれている彼女は、沼のように淀んだ、女嫌いの日本の権力機構に風穴を開けることができるだろうか、云々。

僕は2重の意味で昭恵さんに関するこの記事を嬉しく思った。彼女が公けの場であたかも日本女性を代表するように堂々と自立宣言をしたこと。また彼女が夫よりもリベラルな考えを持っていて、しかもそれを表出することを怖れていない点だ。

彼女にはぜひ安倍首相の右カーブ一辺倒の政治姿勢に待ったをかけてほしい。そうすれば安倍首相の政治スタンスは、今よりもより中道方向に軌道修正されて望ましいものになるかもしれない、云々。


僕は冒頭で述べたように、万博会場に於ける彼女の主張はすばらしいものだった、と今でも思っている。

しかし彼女が、極右思想を園児に強いる森友学園の教育方針に賛同し、小学校の名誉校長にまでなっていた報道に接して、ひどく裏切られたような気分になっている。

世界基準では「極右」とさえ規定されることが多い安倍首相の政治的スタンスは、引用した記事でも、また他の機会でも繰り返し指摘したように驚くにはあたらない。

しかし、夫とは違う政治信条を持っているように見えた昭恵さんが、ウルトラナショナリスト的な思想に共鳴しているらしいのは、ちょっとした衝撃だ。僕は自分の不明を恥じる気分でさえいる。

森友学園問題では土地取得にからむ疑惑も噴出している。金銭疑惑は重要なものだ。だが金銭トラブルは、どんな形に落ち着くにせよ、穴埋めや賠償や処罰によって一応の解決を図ることができる。

思想信条はそうはいかない。教育のあり方を正すという法による解決策がたとえあったとしても、思想信条が消えることはない。それが思想信条だからだ。幼い子供たちに植え込まれる国粋思想も同じだ。

そんな学校に首相夫人の昭恵さんが心酔しているらしいのは残念だ。彼女が「自立した保守派の女性」でいるならすばらしい。「自立したリベラルな女性」なら理想的だ。だが「自立した極右の女性」では、「自立した極左の女性」同様にあまりぞっとしない。

投稿し忘れたこと~パク・クネ大統領の功罪~

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僕のPCのブログフォルダには、ある程度書き進んだネタや、ほぼ書き上げて後は推敲するだけのテーマ、などというものも結構ある。それらは時事ネタである場合がほとんどである。時事ネタだから腐ってしまっている。しかし、書き進んだテーマにはその時々の自分の思いが既にきっちりと現れている。そこで、《過ぎた時事ネタを今振り返る》みたいなコンセプトで「掲載し遅れたこと」あるいは「投稿し忘れたこと」というカテゴリにまとめてそうした事案も公表してみようと考え付いた。つまらなければさっさとやめるつもりで。


韓国の特別検察官チームは2017年2月17日、サムスングループのトップ、サムスン電子副会長のイ・ジェヨン容疑者を贈賄容疑などで逮捕、2月28日に起訴した。同チームはサムスンが贈賄、パク・クネ統領と友人のチェ・スンシル被告が収賄側に当たり、2人が「利益を共有していた」とみている。

「名声が地に落ちた」どころか、地獄にまで崩落したとさえ言えそうなパク・クネ韓国大統領には、「功などは無く、ただ罪があるのみ」と考える人もきっと多いだろう。今となってはその主張を否定することは難しい。

しかし彼女には、日中韓の「3大東アジア女性蔑視国」にあって、大統領にまで上り詰めた実績がある。それは、米国で黒人初のオバマ大統領が誕生したことにも似た、歴史的に大きな意味のある出来事だ。その思いから僕はこの記事のタイトルを「パク・クネ大統領の功罪」とした。

【2014年9月28日付け・投稿し忘れ稿】

ここのところ政治や国際関係やグローバル経済等にまつわる事案について、大げさに言えば大上段に構えて自分の主張を展開するような気分になれない。それは何よりも先ず自らの能力の低さによるものだが、一つの問題が起こると多くの論者や自称記者やライターや主張者などが、寄ってたかってそれについての論評を言い募る風潮にうんざりしているからでもある。

たとえば慰安婦問題。アジア人、特に韓国人蔑視の暗い情念を持て余す一部の日本人は、強制連行の有無にこだわって、軍の強制を証明する資料はなく、従って韓国の主張はおかしい、という結論にたどり着く。そこまではいいのだが、彼らは鬼の首でも取ったようにそのことを言い募るうちに自らの論弁に酔ってしまって、ついには慰安婦は存在しなかった。存在していてもそれは戦時中世界各国に同様に存在していたことであり、日本だけが悪いのではない。いや日本は少しも悪くない、と主張がエスカレートして、やすやすと問題のすり替えが成される。

韓国と中国を除く世界の多くの人々は、従軍慰安婦(という言い方を敢えてする)を旧日本軍が強制的に徴用したかどうか、などには誰も関心を抱いていない。従軍慰安婦はそれがどこで起こった事案であっても、現代の感覚・価値観では「悪」なのであり、その悪を犯した日本軍は糾弾されなければならない。それなのに日本は今になって慰安婦の存在を否定しようとしている。それは安倍首相を始めとするナショナリスト(世界のジャーナリスムの感覚では極右)が台頭して、過去の日本(軍)のおぞましい顔を化粧してごまかそうとしている、まやかしの一端である、というのがグローバル世論の真の論点である。

もう少し分かりやすく言う。例えばドイツとポーランドとの間に従軍慰安婦問題があったとする。ナチスドイツは従軍慰安婦を雇い実際にこれを管理営業していたが、たまたまそこに強制的に、あるいは騙されて、あるいは仕事として割り切って慰安婦になった女性がいて、彼女が戦後、私はナチスに強制徴用されて慰安婦になった。だからドイツは私に謝れ、と申し立てたときは一蹴されるのが落ちである。韓国人慰安婦の主張もそれと同じだ、などとも歴史修正主義者は強弁する。しかし繰り返すが、論点はそこではなく、慰安婦の存在が現代の感覚や価値観では悪である、というのが問題の核心なのだ。

世界の論調とは大きくずれる「軍隊による強制性があったかどうか」を問題視する見解は、遺憾なことに日本国内に多い「世界から目を逸らしたまま民族主義を声高に強弁する<引き籠りの暴力愛好家>」たちに支持されて、小さな閉じたサークルの中で熱気を帯びて行き、膨張し、増長してやがて熱狂となる。それがネット上の従軍慰安婦問題にまつわるネトウヨや「中道を騙る隠れネトウヨ」論者らの正体だ。

誤解なきようにここで強調しておきたい。日本による韓国併合は侵略であり悪であり指弾されるべきである。それは直接には関与していない戦後世代の我われ自身にも責任がある。繰り返す。「罪はないが責任はある」のだ。過去なくしては現在の我われは存在しないからだ。

また朝日新聞は、従軍慰安婦問題に関して誤報と捏造(今となってはそうとしか考えられない「誤報」が多過ぎる)を繰り返してきた責任を十分に取って、最終的には世界の主要メデァ(例えばNYタイムズ)にそのことを認める論文を発表するべきである。なぜなら同紙の誤報が国際世論に与えた影響は無視できないものだからだ。

論文が認められない(ボツになる)ようなら、誤報の事実と謝罪広告を「金を払って」掲載するべきである。この場合の謝罪とは韓国国民に向けて、彼らをミスリードしたことを詫びる、という趣旨であり日本国民や世界に向けての謝罪という意味ではない。

なぜなら同紙は世界に向けては謝罪をする理由はなく、同紙が誤報を流し続けたという事実が世界に向けて発信されれば良い。また日本国民への謝罪とは、同紙購読者への謝罪という意味だから、それは日本語で成されるべきであり、実際に木村社長の謝罪、という形で実行されていて解決済みである。

その上で主張したい。韓国、特にパク・クネ大統領が、頑なに日本政府との対話を拒んでいるのは愚かであり醜悪である。対話拒否は蛮人の態度だ。自由と民主主義を信奉する韓国の姿勢にそぐわない。

頑な過ぎるパク・クネ大統領の態度は、もはや私怨としか見なせない域にまで落ちた、と批判されても仕方がない。彼女の態度は、国粋主義的な思想信条を隠して、米国を始めとする世界世論の顔色をうかがっては右顧左眄する、安倍晋三首相の態度と何も違わない。

パク・クネ氏は過去の日本を糾弾する姿勢を捨てないならば捨てないなりに、そのことを懐に抱え込んだままで、とにかく日本との対話を始めるべきだ。そうすることによって、彼女は自らの主張を日本に認めさせる道を開くことができるだろう。

また安倍首相は、頭隠して尻隠さずの滑稽な似非保守の演技を捨てて、潔く「右翼思想」を前面に出して己のスタンスを明らかにし、日本国内と国際世論に訴えてその審判を受けるべきだ。そうすることによってしか彼は日韓、日中関係の進展を図り、国際世論の賛同を得ることはできないのではないか、と考える。


僕は過去には、パク・クネ大統領が女性であることを特別に賞賛し敬仰 しつつも、日本との対話を拒否する彼女の頑なな姿勢には批判を禁じ得なかった。その後大統領は少し軟化して、日本との対話を模索する方向に動き出したが、醜聞に見舞われて沈んだ。彼女が収賄をしていたのなら全く同情の余地はない。が、残念な出来事だと思う。

パク・クネさんが女性でありながら、日本と同じ男尊女卑社会の韓国で大統領にまでなった事実を、僕はどうしても評価しないではいられない。アジアの国が世界で真の先進国になれないのは、女性の地位の低さが障害の一つになっているからだ。世界の国々の「文明度」は、女性の地位の高さに正比例する。あるいは世界の文明国のランクは、女性差別の重さに反比例する。

その意味では女性差別の撤廃に向かって積極的に歩み、且つ成就させている欧米の国々が、日本や韓国あるいは中国などよりもはるか上位にランク付けされるのは必然である。女性差別を無くさない限り真の民主主義はあり得ず、人間性の解放もない。パク・クネ大統領は東アジアに於ける女性解放気運の象徴的な存在だった。挫折したことを返す返すも遺憾に思う。


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