2017年04月

「永遠の都」ローマは今年でたったの2770歳




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伝説によると「永遠の都」ローマは紀元前753年4月21日に誕生した。今から2770年前のことだ。つまり今日(2017年4月28日)現在、ローマ市の年齢は2770歳と7日になる。

ローマを建設したのは、ギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫で、オオカミに育てられた双子の兄弟ロームルスとレムス。2人はローマの建設場所を巡って争い、ロームルスがレムスを殺害する。

造られた街は、勝ったロームルスにあやかってローマと名付けられた。その後ロームルスは初代のローマ王となり、王政ローマはロームルス以降7代に渡って続いた。

ローマ帝国の首都だった街にまつわる逸話はそれこそ数え切れないほどあるが、2770歳を記念して最近のエピソードに絡ませ、思いつくままに幾つか書いておくことにした。

現在のローマ(都市)の人口は 290万人弱。古代でも同都市の人口は100万人を越えていて欧州一の大都会だった。その地位は産業革命で大発展したロンドンに抜かれる19世紀まで続いた。それでもローマは世界の文化遺産の
16%余りを有する重要都市である。

ローマの面積は約1,285 km²。多くの公園や庭園や緑地帯と郊外の農村地を合わせると、ヨーロッパで最も緑豊かな街という顔が現れる。そこは欧州最大の農業都市でもあり、農耕地の面積はおよそ52、000ヘクタール。自然保護区の面積も40、000ヘクタールに及ぶ。

ローマには3つの大学がある。そのうちのラ・サピエンツァ大学 は欧州で最も学生数が多い。ローマ大学といえば普通この大学のこと。英国のオクスフォードやケンブリッジほどの知名度はないが、欧州でも最も古い大学の一つで伝統と格式を誇る。

ローマには1年でおよそ800万人程度の観光客が世界中から訪れる。街には多くの魅惑的な観光スポットがあるが、最も訪問客が多いのがコロッセオとバチカン美術館。一年間にそれぞれ400万人余りの観光客を引き付ける。

コロッセオは剣闘士が猛獣などと戦うのをローマ市民が観て楽しんだ娯楽施設。ローマ皇帝ウェスパシアヌス(在位:69年 – 79年)の命令で紀元70年頃に建設が始まり、息子のティトゥス(在位:79年 – 81年)帝が紀元80年に完成させた。

天衣無縫な古代ローマ市民は、凄惨な殺戮の模様を楽しむばかりではなく、戦いで死んだり傷ついたりした剣闘士の血を競って買い求めた。それは健康飲料としてまた不妊治療薬としても熱く取引されたのだ。人間の血を飲むと女性は多産になると信じられ、癲癇(てんかん)にも効くと考えられていた。

コロッセオは記録に残っている大きな地震だけでも少なくとも3回の被害を受けた。しかし全体が円筒形の、力学的に安定した構造になっているために全壊することはなかった。コロッセオは古代の建築技術の粋を集めた革新的な建造物だったのだ。

2016年8月と10月の中部イタリア地震は、300人近い犠牲者のみならず建築物にも多大な被害をもたらした。その時の地震の強烈な揺れはローマにも届いて、コロッセオの外壁が剥がれ落ちるなどの損害が発生した。

残念ながらその修復は、ローマの地下鉄工事にからまる混乱に巻き込まれて、未だに成されていない。イタリアは地震の度に先進国とは思えない災難に見舞われる。日本に似た「地震大国イタリア」の問題は実は、耐震技術そのものよりも「政治の堕落」が真の、そして最大の障壁なのである。

コロッセオよりもさらに古い共和制ローマ時代の遺跡、トッレ・アルジェンティーナ広場は、古代の面影を残したまま極めて現代的な 職能 を付与されている。野良猫保護法によって猫のコロニーと定められ、250匹~300匹ほどがのんびりと生きているのだ。野良猫たちはエサを与えられ、ワクチン接種などを施されている。

コロッセオと並ぶ人気観光スポットのバチカンは、ローマ内部に存在するもう一つの街であり国家である。そこはカトリックの総本山でもあり、世界の約12億人のカトリック信者の聖地である。またバチカン市国の全体はユネスコの世界遺産に登録されている。

1年に400万人余りの訪問者があるバチカン美術館は、バチカン市国のど真ん中にあるサン・ピエトロ大聖堂に隣接している。世界最大級のその美術館は、バチカン宮殿の大部分を占めていて、ミケランジェロの「創世記」と「最後の審判」が圧倒的な美を放つ、システィーナ礼拝堂を始めとする複数の施設から成っている。

ローマは世界一噴水の多い街でもある。その数は2000余り。そのうち50は歴史的遺産と指定されている。中でも最も知られているのがトレビの泉。願いごとの成就を祈って人々が泉にコインを投げ込む。その額は一年でおよそ1億7千万円。全て慈善団体に寄付される。

「永遠の都」はヨーロッパで最も写真に撮られる土地でもある。おびただしい数の歴史文化遺産は全てがフォトジェニックだ。ローマよりも多く被写体にされる街は、世界ではニューヨ-クだけだ。しかし映画などで印象深いシーンを提供するのは、ニューヨークよりもローマの方が多いように思う。

2016年6月、ローマに史上初の女性市長が誕生した。 ローマではそれまでの過去2769年間、皇帝や執政官や独裁官やローマ教皇や元首など、男性一辺倒の支配体制が続いた。それが古来はじめて転換し、37歳のヴィルジニア・ラッジ氏が市長に当選した。それによってローマは、女性の地位向上を示す画期的な出来事をまた一つ経験した。

ローマはパリと最も長く且つ重要な姉妹都市協定を結んでいる。“ローマはパリと、パリはローマと”をスローガンにする2都市の友情は1956年に始まった。ローマはほかにも、ロンドン、東京、ニューヨーク、モスクワ、北京、カイロ等々と姉妹都市になっているが、パリほどには重要な意味を持たない。

など、など、など・・・。2770年という長い歴史を刻んできた「永遠の都」ローマにまつわる、逸話や事件や出来事や騒動や異変や事象は、冒頭でも断ったように数え切れないほどある。それらは尽きることなく生まれて、今も生まれ続け、将来も生まれ続けることが確実である。



仏大統領選「マクロン有利」説をマユツバで見る気がかり


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フランス大統領選の第1回投票は、ほぼ事前の予測どおりマクロン氏とルペン氏が勝った。得票率も事前の統計通りだった。あっけないほどの正しさで世論調査結果が当たった。その意味では米大統領選挙とは全く様相が違った。

予想が当たった欧米の各メディアは安心したのか、これまたかねてからの論調である「マクロンの大差での勝利」を予測する報告を嬉々として開陳している。接戦を予測する者はほとんど見られず、ルペン勝利を予想する者は僕が知る限り皆無だ。

第一回目投票と同様に、実は僕もそれらの見方とほぼ同じだ。そして再び、第一回目と同じように密かな懐疑も胸に抱いている。その疑念は第一回目の時よりもはるかに強い。安心感は選挙では得てして敗北につながる。マクロン勝利を規定路線のようにみなすのは、陥穽を招く油断に至る可能性がある。

極右のルペン候補が決選投票に進むであろうことは十分に予測されていた。そして決戦投票では誰が彼女の相手であろうが、その対立候補が最終勝利する、というのがほぼ一致した見方だった。たとえ出遅れた感のあった極左のメランション候補が相手になった場合でさえ、6:4の得票率でルペン候補が負ける、というのが大方の意見だったのだ。

その意味では、ルペン候補に最も強いと考えられてきたマクロン候補が決戦投票に進むのだから、勝利は間違いないと断定してもおかしくはない。たとえ5月7日の投票日までに、ルペン候補を利するあらたなテロなどが起きても、大勢には影響がないだろうと見られている。

そればかりではない。敗北を認めたフィヨン候補、政権与党のアモン候補 、またオランド大統領と複数の閣僚経験者、政界の重鎮などもマクロン候補への支持を表明している。彼らの中にはマクロン候補の積極的な支持者ではないが、「極右のルペンを阻止する」ために、と明言してマクロン支持を訴える者も多いのである。

フランスは極右のルペン候補が大躍進した「異常事態」を容認した上で、「ルペン阻止」で大同団結しつつあるように見える。米英を席巻したポピュリズムの大波は、イタリアも飲み込んで(国民投票)殺到したが、オーストリア(大統領選挙)とオランダ(総選挙)の海で勢いを殺がれて、フランス(大統領選)でようやく力尽きたのかもしれない。そうであってほしいものである。

だが、楽観はできない要素も多くある、と僕はゲンを担ぐのではなく思う。理由がいくつかある。

一つ、第一回投票で敗退した2候補やオランド大統領など、多くのフランス政界の「主流派」がマクロン支持を表明したが、彼らに従う有権者の割合は不明だ。現状に不満を持つ若者や貧困層などが反発し、逆にマクロン候補を見放してルペン氏に流れる可能性も高い。

それを裏付けるように、第一回投票で敗退した急進左派のメランション候補はマクロン支持は打ち出さず、支持者に自主投票を呼びかけている。彼はルペン候補同様に反EU主義者であり、米大統領選挙における民主党サンダース候補に似て若者層の不満の受け皿となった。格差の是正も呼びかけて支持を広げた。彼に投票した有権者が大量にルペン候補支持に回る可能性もある。

二つ、ルペン候補が強く敵視しているフランスのイスラム教徒は、実はルペン大統領誕生をそれほど怖れてはいない、という耳を疑うような情報もある。それというのも、フランス全土に400万人~600万人いるとされるイスラム教徒は、大統領候補の全員がルペン氏と同じかそれ以上に反イスラムだと見なしているからだ。誰が大統領になっても同じ、というわけだ。

また多くのムスリムは、ムスリム以外の多くのフランス人と同様に、国家から見捨てられていると感じていて、やはり誰が大統領になっても自らには関係ない、と感じているからだ。たとえば前回2012年の大統領選では、ムスリムの86%が現職のオランド大統領に投票したが、彼らのほとんどには何の見返りもなく、今ではオランド大統領に裏切られたと感じている。

ルペン氏はたとえ大統領になっても、フランスの憲法と政敵に阻まれて、彼女が目指す政策を全て実行することはできない。国民戦線は間違っても議会で多数派になることはできないだろうから、彼女の権限は制限される。たとえばムスリム女性のスカーフをルペン大統領が法律で公共の場から剥ぎ取ろうとしても、反対勢力によって阻止される可能性が非常に高い。

また彼女は党首になって以来、党のイメージを高める努力をしてきて、それはイスラム教徒の意見にも良い影響を与えている。それどころか、ルペン候補を積極的に押すイスラム教徒さえいる。なぜなら多くのイスラム教徒は彼女と同様に「イスラム過激派」を憎んでいて、それを排撃しようとする彼女に賛同している。さらに彼女が同性結婚を禁止したい、と願っていることに共感するムスリムも少なからずいる。

三つ、ムスリムと同じように、ルペン候補に疎まれているはずの同性愛者たちの中にも、彼女に投票すると表明している者が相当数いる。彼らはルペン候補の主張が、LGBTを嫌う国民戦線支持者に向けてのポーズであり、実際の彼女はそれほど反LGBT主義者ではないと考えているのだ。またLGBTの中には「敵の敵は味方」の論法で、「LGBTを嫌うムスリム嫌いのルペン」は自分たちの味方、と信じてルペン候補を支持する者もいるのである。

そのように分断されたフランス社会の内実は複雑だ。決戦投票はマクロン氏の圧勝、と単純に片付けるのは極めて危険だ。世論調査の数字が正しいことを祈りつつ、僕は第一回投票の時のように固唾を呑む思いで、フランスの選挙戦を注視している。

ここまで書いたところで一つの朗報を知った。

ルペン候補が国民戦線党首を辞める、と表明したのだ。それは彼女が、党よりも国全体を重視していると示すことで 、極右思想に反感を持つ人々を自らの側に取り込もうとするポーズなのだろう。欺瞞にしか見えない姑息な言動は、彼女に有利どころか、逆に不利に働くだけではないかと思うのだが。。。


仏大統領選~EU崩壊か存続かを問う天下分け目の戦い

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左からフィヨン、マクロン、メランション、ルペンの各候補

EU(欧州連合)の命運を決めるフランス大統領選の第一回投票日がとうとうやって来た。マクロン、ルペン、フィヨン、メランションの4大候補が支持率僅差でひしめく大混戦である。

昨年6月の英国EU離脱国民投票、11月の米大統領選、12月のイタリア国民投票に次ぐ、ポピュリズムのうねりが勝利するか、民主主義と欧州の良心がそれを蹴散らすかの分水嶺となる選挙だ。

おそらく「欧州最大のグローバル反体制運動」と位置づけても過言ではないフランスのポピュリズムは、選挙戦開始から極右のルペン候補に集約されていた。ところが終盤になって極左急進派のメランション候補が急追して、さらのそのうねりが大きくなった。

極右と極左のポピュリズムが相まって、フランスの大統領選挙は混沌の極みに達したように見えた。そこに追い討ちをかけるようにISのテロがまた発生して、いよいよ風雲急を告げる状況になっている。

今日の第一回投票を経て、おそらく得票数上位2者が決戦投票に進むであろう選挙戦。主要候補4人の最終支持率(4月21日現在)と政策主張の概要は次の通りである。

前経済相マクロン:24,5%。中道無所属の彼は親EU派である。EU統合をさらに推進し、ロシアには厳しい姿勢で対して行くことを公言している。だが選挙戦終盤になって、政策に具体性がないという批判にさらされ支持率の伸びが止まった。

国民戦線党首ルペン:22,5%。 いわずと知れた極右のトランプ主義者。自らの党に穏健右派のイメージを与えようと躍起になって「脱悪魔化」を進めているが、内実は変わっていない。EU離脱を問う国民投票の実施、反移民・反イスラムを隠さず、自国通貨フランの復活も唱えている。 

前首相フィヨン:19、5%。中道右派の彼は、人の移動制限などEU改革を要求しているが、親EU派である。ロシアとの融和策も主張。支持率トップにいたが、勤務実態がない妻と子供に多額の報酬を支払っていた疑惑が明るみになって失速。決選投票への進出は厳しいと見られている。

欧州議会議員メランション:18,5%。 EUとの関係見直しを主張する反EUの急進左派。 NATOやIMFからの脱退も明言し、富裕層への課税と最低賃金大幅増を主張。YouTubeなどで自らを語る姿勢は、米大統領選のトランプ・ツイート作戦をも思い出させる。終盤になって支持率が急伸した。

レースが混沌としているとはいえ、第一回投票で勝利するのはマクロンとルペンという意見は依然として多い。だが上位2人が決選投票に挑む組合わせはいろいろと考えられる。例えばマクロンvsフィヨン、マクロンvsメランション、ルペンvsフィヨン、ルペンvsメランションなど、など。

特定の候補や党派のプロパガンダ媒体を別にすれば、欧米の大手メデイァやWEBメディアのほとんどが、勝者を予測するのは難しいが、紆余曲折を経て結局極右のルペン候補以外の誰かが大統領に選ばれる、とあからさまにまた密かにも思っているフシがある。

僕も実はそう思うが、同時に米大統領選の苦い体験も思い出す。これだけ混戦になっているのは、結局フランス社会が揺れ動いているからである。世界が揺れ動き欧州が揺れ動き、その波動がフランス社会を揺り動かしている。

その巨大な揺れは、あるいはルペン勝利を告げる天のシグナルかもしれない。それはつまりEU崩壊を宣告する神の声である。ルペン候補の勝利より衝撃は少ないだろうが、極左のメランション候補の勝利もやはりEU崩壊の前触れと考えていいだろう。EUはBrexitや伊国民投票などとは比べ物にならない瀬戸際の瀬戸際に立たされているのだ。

僕は日本国籍を捨てる気は毛頭ないが、今のところイタリアで骨を埋める公算が高いEU(欧州連合)信奉者の「欧州住民」の1人である。EUの崩壊は僕にとって、自らのアイデンティティーが揺らぐほどの、巨大な喪失感をもたらす事態になるだろうと思っている。

僕はEUの存続の可否に大きなインパクトを与え続けているBrexit、トランプ主義、伊国民投票とポピュリズムなどを、強い関心と不安を抱きつつ凝視してきた。その中でも最大のイベントがフランス大統領選だ。フランスがEUを脱退すればそれはつまりEUの終焉だ。僕にとっては全く他人事ではないのである。




チョーお笑いトランプ無敵艦隊?深謀遠慮?

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北朝鮮の将軍様を威嚇するために、勇んで朝鮮半島方面の海域に向かっているはずのトランプ大統領の無敵艦隊は、なんと北朝鮮ではなく完全に逆方向の海に向かっていたことが明らかになった。

米政府当局は4月8日、北朝鮮の挑発行為への対抗処置として「空母カール・ビンソンを中心に編成された無敵艦隊すなわち空母打撃群が、シンガポールを出発し西太平洋北部に向かう」と発表した。

その時アメリカ当局は、朝鮮半島への空母派遣は金正恩政権に軍事力を誇示するものだと述べた。またその翌日には米国家安全保障担当補佐官が、軍事力をそれとなく示すために艦隊を朝鮮半島に向かわせたと語った。

さらにドナルド・トランプ大統領自身も4月12日、「我々は非常に強力な艦隊を北朝鮮海域に送った。空母よりもさらに強力な潜水艦も付随している」などと強調してFOXニュースで表明した。

それらを受けて、世界中のメディアが米朝戦争勃発の兆候か、とまで騒ぎ立てた。米軍がアフガニスタンで使用した、通常兵器では最強クラスの「大規模爆風爆弾(MOAB)」も 、北朝鮮への脅しの一環だと考えられた。

またその直前に米海軍が巡航ミサイル「トマホーク」59発をシリアに撃ち込んだ軍事行動も、実は北朝鮮への威嚇を兼ねていたのであり、新たな核実験やミサイル発射などの挑発行為に出るな、というトランプ大統領から金正恩一派へのメッセージだったという見方さえ出た。

中でも日本の報道の加熱振りが目立った。韓国などと共に日本も北朝鮮の挑発の被害者であることを考えれば当然とも言えるが、日本の場合には、別の意味でも報道が過熱する理由があったのは、隠しようもない事実だろう。

つまり多くの日本人が、アメリカの威嚇を危険行為と思い不安を感じつつ、しかし米海軍の動きは「日本防衛」の一環でもあると頼もしく思った。

あるいはそれを、将来日本が危機に陥った時にアメリカが起こすであろう行動にも重ね合わせて見て、米軍の北朝鮮打撃への「期待」も胸中に抱きつつ固唾を呑んで見守ってきた、というあたりではないか。

ところが米艦隊は4月15日には朝鮮半島から約5600キロも離れたインドネシアのスンダ海峡を通過してインド洋に入っていた。そこで行われたオーストラリア海軍との演習に参加するためだ。

冒頭で述べたように北朝鮮とは逆の方向に向かって進撃(!?)していたのだ。その事実が米主要メディアによって4月19日に暴露された格好だ。

まるでトランプ大統領得意の「フェイクニュース」じみた話が、4月19日朝のBBCやロイターなどの英語圏大手メディアのトップニュースになっていた。

笑い話みたいなこの実話は、本物の笑い話なのだろうか、それともトランプ政権の深謀遠慮が隠されている動きなのだろうか?

米軍って、本当に日本を守ってくれるの?と日本人はそろそろ本気の本気で考えて見る時期に来ている、と僕はこのエピソードを知って「また」思ったのだけれど。

なにしろ言うこととやることが、キリンとオタマジャクシくらい違うことが多いからなぁ・・・だからといって、日米同盟をやめろ、というわけでは毛頭ないが。



※なお米艦隊は4月19日現在は朝鮮半島に向かって北上中とされ、「最高速度で航行すれば4日間程度」でトランプ大統領が初めに示唆した海域に移動できるらしい。無敵艦隊(打撃群)は、戦闘機60機余が搭載できる空母カール・ビンソンをはじめ、ミサイル駆逐艦やミサイル巡洋艦などで構成されている。







「いつまでも死なない老人」も「いつまでも死なないでほしい老人」もいる~117歳の大往生~


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117歳の誕生日を祝福されるエンマ・モラーノさん

2017年4月15日、イタリア北部マッジョーレ湖畔のヴェルバニア町で、世界最高齢者のエンマ・モラーノさんが亡くなった。117歳だった。

モラーノさんの誕生年は1899年。世界でただ一人の19世紀生まれの人物で
「3世紀にまたがって生きた女性」とメディアにもてはやされた。

昨年のモラーノさんの117歳の誕生日と、先日の彼女の大往生のニュースに接した時、僕は今年で91歳になる義母・ロゼッタ・Pの名言「いつまでも死なない老人」を思い出していた。

義母のロゼッタ・Pは先年、日本の敬老の日を評価して「最近の老人はもう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」、と喝破した荒武者である。

その言葉は、自身が紛れもない老人である義母の口から言われた分だけ、僕にとっては目からウロコ的な名言に聞こえた。以来僕は、その言葉と高齢化社会について、頻繁に考えるようになった。

義母の言う「いつまでも死なない老人」とは、「ムダに長生きをし過ぎて世の中に嫌われながらも、なお生存しつづけている厄介な高齢者」という意味である。

そして再び義母の規定に従えば、世の中に嫌われる老人とは「愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい」人々のことである。僕は彼女の見立てに結構共感している。

同時にこうも思う。「いつまでも死なない老人」の中には、いつまでも生きていてほしい、と願いたくなる高齢者もいる、と。それは例えば、愚痴を言わず穏やかで優しかった僕の死んだ母のような老人だ。

エンマ・モラーノさんの場合もそういう風だ。モラーニノさんの生涯はつましいものだったが、彼女はそれに満足して生きてきた。少々の病気では医者にかかることさえせずに自然体で過ごした。

それは逆に考えれば、彼女が大病を患わない健康な人だった、ということだろうが、何かというとすぐに大げさに騒ぎ立てて、医者に駆け込む無体な老人ではなかった、ということでもあるのだろう。

またモラーノさんは100歳を過ぎてもカクシャクとしていて周りに迷惑をかけず、明るくひっそりと生きた。そんな女性がやがて世界一の長寿者とギネスブックに認定されたのだから、僕を含めた多くの人々が「いつまでも生きてほしい」と願っても不思議ではないだろう。

モラーノさんは今からほぼ80年前の1938年、暴力的な夫と決別した。それは彼女の幼い息子が亡くなった直後のことだった。以来彼女は、ジュート(黄麻) の袋を生産する会社で75歳まで働きつつ独身を貫いた。

2016年11月29日、117歳の誕生日を迎えるに際して、モラーノさんは長生きの秘訣は「毎日卵を2個食べること」と話した。

それと同時に「独身でいることも大事」と示唆した。欧州の中でも暴君気味の夫が多いとされる、イタリアの女性らしいコメントだと僕はそのとき感じた。

イタリアでは先ごろ、夫に先立たれた女性は、そうでない女性よりも長生き、という調査結果が発表されたばかり。暴君から解放された女性たちは、ストレスがなくなって元気になり、長生きする傾向があるという。

その調査結果が真実なら、恐らく日本の女性たちにも当てはまる現象に違いない。僕が知る限り、日伊両国のうち暴君気味の夫の割合は圧倒的に日本が多いように思う。

暴君気味の夫とは、男尊女卑の因習に影響されている男、という言い方もできる。そのコンセプトで見れば、イタリアの男性が日本の男性よりも陋習からより解放されているのは明らかではないか。

イタリアはまがりなにりにも欧州の一員だ。欧州は男尊女卑の悪習を切り捨てる努力を続けてある程度成功している。前述したようにイタリアは、その方面では欧州内の遅れた国群に属してはいるけれど。

モラーノさんは116歳になった頃に、寝たきりではないがベッドからあまり離れられない状態になって、フルタイムの介護が必要になった。耳もひどく遠くなった。視力も落ちてテレビ鑑賞もままならなくなった。

しかし、頭脳は明晰でおしゃべりが大好き。食事も小食ながらよく食べた。前述の卵2個とクッキーが定番。加えてベッド上でのスナックの間食も大いに楽しんだ。

モラーノさんが亡くなった今、世界最高齢者の栄誉はジャマイカのヴァイオレット・ブラウン(Violet Brown)さんに引き継がれた。ブラウンさんはモラーノさんより約4ヶ月若い1900年3月10日生まれである。

ブラウンさんについては僕は何も知らないが、モラーノさんの跡継ぎの彼女は、その事実だけでも「いつまでも死なないでいてほしい老人」の一人であることは、最早火を見るよりも明らかな成り行きではないか。

動物愛好家の“食罪”~復活祭のごちそう子羊~ 


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カナリア諸島・フエルテベントゥーラ島1番の味とされる子ヤギ料理


人が子羊や子ヤギの肉を食らう罪深い季節がまたイタリアにやって来た。すなわちパスクア。日本語で復活祭。イエス・キリストが死後3日目に再生したことを祝う、キリスト教最大のイベントである。

復活祭では各家庭の食卓に多くの伝統料理が並ぶ。主役は卵と子羊である。子羊は子ヤギにも置き換えられる。新しい命を宿した卵はイエス・キリストの再生の象徴。また子羊はイエス・キリストそのものを表す。

復活祭になぜ子羊料理なのかというと、イエス・キリストが贖罪のために神に捧げられる子羊、即ち「神の子羊」だとみなされて、子羊を食べてイエス・キリストに感謝をする習慣ができた。子羊の肉はやがてそれに似た子ヤギの肉にも広がっていった。

イタリアでは復活祭の期間中に400万頭内外の子羊や子ヤギが食肉処理されてきたとされる。それ以外の期間にも80万頭が消費されてきた。

しかし、その数字は年々減ってきて、ここ2年間では半分に減少したという統計もある。消費の落ち込みは主に動物愛護家や菜食主義者たちの反対運動が功を奏したと言われている。

今年はあのベルルスコーニ元首相が「復活祭に子羊を食べるのはやめよう」というキャンペーンを張って、食肉業者らの怒りを買った。

ベジタリアンに転向したという元首相は、彼の内閣で観光大臣を務めたブランビッラ女史と組んで、動物愛護を呼びかけるようになった。アニマリストから拍手喝采が起こる一方で、ビジネス界からは反発が出ている。

僕は正直に言ってその胡散臭さに苦笑する。突然ベジタリアンになったり動物愛護家に変身することも驚きだが、子羊だけに狙いを定めた喧伝が不思議なのである。食肉処理される他の家畜はどうでもいいのだろうか。

動物の食肉処理の現場は凄惨なものである。僕は若いころ英国で豚の食肉処理場のドキュメンタリー制作に関わった経験がある。屠殺される全ての動物は、次に記すそこでの豚と同じ運命にさらされる。

彼らは1頭1頭がまず電気で気絶させられ、気絶している20秒~40秒の間に逆さまに吊り上げられて喉を掻き切られ、血液を抜かれ、皮を剥がれ、解体されて、またたく間に「食肉」になっていく。

その工程は全て流れ作業だ。すさまじい光景だが、工程が余りにも単純化され操作がスムースに運ばれるので、ほとんど現実感がない。肉屋やスーパーに並べられている食肉は全てそうやって生産されたものだ。

菜食主義者や動物愛護家の皆さんが、動物を殺すな、肉を食べるな、と声を上げるのは尊いことだと思う。それにはわれわれ自身の残虐性をあらためて気づかせてくれる効果がある。

だが、人間が生きるとは「殺すこと」にほかならない。なぜなら人は人間以外の多くの生物を殺して食べ、そのおかげで生きている。肉や魚を食べない菜食主義者でさえ、植物という生物を殺して食べて生命を保っている。

人間が他の生き物の命を糧に、自らの命をつなぐ生き方は誰にもどうしようもないことだ。それが人間の定めだ。他の生命を殺して食べるのは、人間の業であり、業こそが人間存在の真実だ。

大切なことはその真実を真っ向から見据えることだ。子羊や子ヤギを始めとする小動物を慈しむ心と、それを食肉処理して食らう性癖の間には何らの矛盾もない。

それを食らうも人間の正直であり、食わないと決意するのもまた人間の正直である。僕は1年に一度、イタリアにいる限りは復活祭の子ヤギあるいは子羊料理を食べると決めている。

ただし今年は、3月に旅したカナリア諸島で美味いヤギ料理を十分に食べたので、明日の復活祭には定番の子羊も子ヤギもやめて魚を食べることにした。

カナリヤ諸島では、島で1番といわれる子ヤギ料理店を訪ねた。そこの炭火焼き子ヤギ肉は疑いなく一級品だった。だが島ではもっとすごいヤギ料理に出会った。

ヤギの成獣の肉料理を提供するレストランがあったのだ。ヤギの成獣の肉は、イタリアでは皆無と言って良いほど食べられない食材である。強烈な臭いが嫌われるのだ。

その料理には臭みが全くなかった。恐らくハーブや香辛料やワインまた蒸留酒なども駆使して、異臭を除き肉を柔らかくすることにも成功しているのだろう。味も秀逸である。僕は地元の人々が、島1番の味と言う前出の子ヤギ料理よりもこちらに軍配を上げた。

その味は僕がこれまでに体験したヤギ料理のうち、2番目に美味いものだった。僕が独断と偏見で判定しているこれまでの1番の味は、数年前にギリシャのロードス島の山中の料理屋で食べた子ヤギ料理である。

今年の復活祭でも供される料理はありがたくいただこうと思う。しかし、年々食材は「食罪」だという感覚が強くなっている。中でも動物を食することはなんとも罪深い業だ。深い食罪を意識しつつ、それでも今のところは食べるのみである。


娘の頭を丸刈りにするムスリムの悲哀


怒った顔の子供


先日、イタリア・ボローニァ市でバングラデシュ生まれの14歳の少女が、両親に無理やり頭を丸坊主にされた。彼女はヒジャブ(スカーフ)を頭に被らなかったために、罰として親に髪を切られたのである。

警察は両親を虐待の疑いで取り調べた。それによると少女は、ムスリム女性が身に着けなければならないヒジャブにうんざりしていて、家の中では両親の手前それを着用していたが、外でははずしていた。母親がそのことに気づいて娘を責め父親が髪の毛を剃った。

警察は事態が明るみになったことを受けて、両親が娘にさらなる懲罰を与えかねないとして、少女自身と彼女の姉妹らを児童養護施設に一時的に保護した。

それと似た事件が同時期にシエナ市でも起きた。ボスニア出身のイスラム教徒の父親が、娘がヒジャブ(スカーフ)を着用せず、コーランも読まず、アラブ語も勉強しないなどの理由で彼女に暴行を加えた。

少女は自分から父親を告発することはなかったが、学校のクラスメートや教師が異変に気づいて警察に訴えた。父親は傷害容疑で身柄を拘束された。

イタリアに限らず、欧州では似たような事件が頻発する。そうした蛮行は、イスラム教徒への偏見を助長するのみならず、「過激派のテロリストとイスラム教徒を混同してはならない」という原則をも吹き飛ばしかねない、忌まわしいエピソードだ。

キリスト教徒が大多数を占める欧州には、ムスリムへの偏見や差別が歴然としてある。それは是正されなければならない。同時にイスラム教徒も欧州の規律を尊重し、女性への抑圧や暴力をやめるべき、と主張するのはおかしいだろうか。

イスラム教徒に限らず、非欧州人への偏見や差別は欧州にはよく見られる。日本人への偏見や差別も皆無ではない。それどころか欧州人同士でも似たようなことが起こる。世界のどこでも見られる光景だ。

そうしたことは無くさなければならないし、徐々に無くなっていくだろう。その方法は、偏見差別する側はもちろん、される側も共に事態の本質を見つめて対話し、行動し、歪みを正す努力を怠らないことだ。

イスラム教の戒律はその信者らの祖国では尊重されても、欧州その他の国々では理解されないことが多い。ましてや女性への暴力や抑圧や差別は、理解されるどころか、人々の怒りを買うばかりだ。

人も宗教も変わるのが世の常だ。女性差別や偏見はキリスト教徒も過去にしてきたことだ。日本を含むその他の地域の宗教社会も同じことだ。だがその因習は捨てられつつある。今やそうした時代錯誤な態度や思考は許されない。

イスラム教だけが変わらずにいることは不可能だ。特に女性蔑視の悪習は一刻も早く改善されるべきだ。それでなければ、欧州におけるムスリムの地位はいつまで経っても改善しないだろう。

欧州にはムスリムの女性が身にまとうヒジャブ(スカーフ)を問題にする歴史がある。

1989年、フランスでヒジャブをまとった女子中学生が校門から中に入ることを拒否された。ヒジャブが政教分離の原則に反するとみなされたのだ。以後欧州では、様々な形でムスリム女性のヒジャブ着用の是非が議論され続けている。

欧州社会の大半は、ヒジャブを女性抑圧や差別の象徴とみなしてこれを禁止しようとする。対してイスラム教徒は、ヒジャブを禁止しようとするのは信仰の自由への介入だと反発する。ムスリム女性は自らの自由意志でヒジャブを被っているのであり、強制ではないと主張するのである。

欧米では最近、イスラム過激派によるテロの横行によって、イスラムフォビア
(嫌悪)が急速に高まりつつある。それに伴ってヒジャブを巡る議論は、欧米側のイスラムフォビアに油を注ぐ形になることが多くなってしまった。宗教論争というよりも、憎悪の応酬の様相を呈するようになったのである。

そうした中で起こる、イスラム教徒家族内での娘や女性への理不尽な扱いは、人々のさらなる反発や嫌悪を呼んで、対立がますます深まる原因の一つになっている。

宗教は絶対的なものではない。宗教者とその周りの当事者また関係者は、自らの権威を守るために守旧派になる。だが変わらない宗教はいつか崩壊する。

繰り返すが人も社会も絶えず変化している。流転変遷が世の常だ。人と世の中の変異に合わせて宗教も変わる勇気を持つべきなのである。イスラム教だけが変わらずにいることはあり得ない。

特に女性蔑視の風習は一刻も早く改善されるべきだ。他者の信奉する宗教にイチャモンをつけるのはタブー、と知悉しながらも僕は、一部のイスラム教徒が自らの信教の評判を傷付ける事件を引き起こすたびに、ひとり思わずにはいられないのである。

「“冥福を祈る”は間違い」という考えはあるいは間違いかもしれない



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僕は2015年11月のブログ記事「北の湖親方をサルコジ元仏大統領に会わせたかった」の終わりに、

「僕のその願いは、前述したように僕自身の「北の湖体験」と深く結びついている。一昨年の大鵬親方の死に続いて昭和の大横綱がまた1人姿を消した。残念極まりない。心から冥福を祈りたい。」

と書いた。すると匿名のメッセージ欄に「冥福」という」表現は使わない方がいい、というとても控えめな遠慮しいしい書いているのが分かる便りをいただいた。おそらく浄土真宗の信者の方か、それに近い方なのだろうと思う。

そのことについて書こうと思いつつ、時事ネタに押され、また書きたいテーマの優先順位や時間の無さなども手伝って、ずっと後回しにしてきた。ここで自分の中の優先順位に沿って--どうしても今書かなければならないというテーマではないが--言及しておくことにした。

冥福とは死後の幸福のことである。冥は「死後の世界」や「くらやみ」などを意味する。仏教では亡くなった人は49日間冥土をさ迷いながら生前の行いの裁きを受ける。いわゆる中陰である。「冥福を祈る」とはさ迷う死者が良い世界に転生できるように祈ること。それは真摯な祈りの心を表す言葉だ。

ところが仏教の中でも親鸞を開祖とする浄土真宗では、亡くなった人は阿弥陀如来の本願によってすぐに成仏する。冥土をさ迷うことはないのである。それはいわゆる「浄土往生」の教義のうちの即得往生、つまり臨終即往生の考え方だ。

その考え方は、真言宗で説かれる 「即身成仏」すなわち生身のままで仏となること、あるいは修行者が「行」を行うことで大日如来の真実の姿と一体化して仏になること、にも似ている。浄土真宗では死者、真言宗では生者が仏になるだけの違い、と言っても大きな間違いではないだろう。

浄土真宗では、人は信心を得た時点で往生が定まり、前述したように亡くなると同時に極楽浄土に行く。つまり幸せになるのだから既に幸福になった死者の幸福を祈るのは失礼、というか余計なお世話だ、というのが「“冥福を祈る”は間違い」説の根拠だろうと思う。

また浄土真宗では「往生即成仏」なのだから、遺族が故人を仏にしようと7日ごとに祈る(法要)必要もない。同宗における法要は、故人を縁として遺族(生者)が集い、彼らを見守る故人に感謝しつつ釈迦の教えに接すること、つまり仏縁に出会う機会なのである。

葬儀や法要を含むあらゆる宗教儀式は、死者のためではなく「生者(遺族)のために」存在する。われわれは宗教儀式を行うことによって、大切な人を亡くした悲しみや苦しみを克服しようとするのだ。その意味では故人を縁として遺族(生者)が集い、慰撫し合い、また鼓舞し合う浄土真宗の法要こそ真実ではないか、と僕は思う。

また弔辞は死者への祈りにかこつけた、人々の生者(遺族)へのいたわりやエールだ。「冥福を祈る」という表現もその一つである。従ってそれを無神経と否定するのは少し硬直過ぎるのではないか、と考えて敢えて意見を述べてみたいのである。

僕は親鸞聖人を尊崇する者であり、また決して浄土真宗の信者の方々を誹謗するつもりもない。誹謗どころか、先刻述べたように浄土真宗の法要の教義に心酔さえしている。しかし、二つの理由で「冥福を祈る」という表現を擁護してもいいのではないか、と思うのである。

一つは冥という言葉には前述の訳合いのほかに、ある意味ではその対極にある「神仏のはたらき」という意味もある。従って「冥福を祈る」は亡くなった方に神仏の加護がありますように、と願う心のことでもある。

二つ目は、「冥福を祈る」という表現が一般に定着していて、且つそこには死者への尊崇の思いが込められているだけであり、それ以上でも以下でもないという現実である。間違った表現が市民権を得て「正しく」なっていくのはよくあることである。

少し意味が違うかもしれないが、たとえば「ら」抜き言葉が本来は間違いであるにもかかわらず、一般化したために最早間違いとは言えない、という現実にも似ている。「食べられる」が正しいので「食べれる」は間違い、と言ってもある面では詮無いことである。言葉は人間が使うものだから、より多くの人が使う言葉が最終的には正しい。

とはいうものの、僕などは「ら」抜き言葉に違和感を持つ者なので、こだわっていまだに「食べれる」と言えない。ためしにそう口にしてみると、気持ち悪い、というのはさすがに言い過ぎだが、かと言って、違和感がある、と形容するだけでは物足りない、という程度の「違和感」を覚える。それと同じで、「冥福を祈る」という表現にどうしても不審感を抱く皆さんがいらっしゃることは、分かり過ぎるくらいによく分かる。

そしてこうして公に意見を述べた以上、今後僕は「冥福を祈る」という表現を支持しつつ、浄土真宗の信者の方々やキリスト教などの非仏教徒の皆さんなどを尊重する立場から、僕自身はその表現を使わないようにしようと思う。それは少しも難しいことではない。亡くなった方に“謹んで哀悼の意を表します” あるいは“心からお悔やみを申し上げます”などの言い方で十分なのである。

ところで、浄土真宗には「赦し」の教義(哲学)を巡って僕がこだわるもう一つの命題がある。それは「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と説いた、親鸞聖人の言葉の真意についてである。いわんや悪人をや、の「悪人」は現在の犯罪者や無法者という意味の悪人ではなく、衆生つまり全ての人という意味である。

彼らこそ阿弥陀如来の本願(功徳)によって救われるべき人々である。彼らは自らが悪人であることを知るとき(もはや悪人ではなくなって)救われる。一方善人とは、自らが悪人であることに気づかない「自らが善人である」と思い込んでいる人々のこと、というような解釈も可能な入り組んだ説だ。

それは単純化して考えれば、善人は阿弥陀如来を信じる者のこと。悪人はそうではない者のこと、という解釈も可能であるように思う。阿弥陀如来の本願を知る者(善人)は救われる。しかしながら阿弥陀如来を知らない蒙昧な衆生(悪人)もまた救われるのである。

そう考えればあらゆる人を赦す(救う)のが信心、という結論になる。この考え方ではありとあらゆる宗派に属する日本人はもとより、キリスト教徒もイスラム教徒も無心論者も誰もかもが赦され、救われ、成仏できる、ということである。

それが「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」、つまり「善人でさえ極楽往生を遂げるのだ。ましてや悪人はもっと極楽往生を遂げることができるのは自明だ」という表現ではないか。原意にこだわってあれこれ解釈をこねくり回す必要はないし、ペダンチックに中世の悪人と現代の悪人の意味を取りざたするのもあまり意味がない。

その言葉の偉大は、念仏さえ唱えれば全ての人が救われる、という「赦しの心」の大きさの中にこそある。つまり親鸞聖人の心はあらゆる人を赦すイエス・キリストの心と正確に同じなのである。それどころか、逆説を用いて「悪人が仏の慈悲によって極楽往生を遂げる」と説くのは、あるいはキリスト教をも越えるとてつもなく大きな「赦し」の哲学である可能性さえある、と思うのである。

イタリア式あだ討ちの因果応報


di lello夫婦&    d‘Elisa
デリーザ&ディ・レッロ夫婦


2017年3月24日、イタリア第一審は、交通事故で妻を殺された腹いせに加害者を銃撃殺害した男、ファビオ・ディ・レッロを30年の刑に処する、と決定した。僕は直感的に「ずいぶん重い刑罰だな」と思った。

今年2月初めに起きた銃撃事件を受けて、僕はここに次のような趣旨の記事を書いた。

2016年7月、イタリア・アブルッツォ州のヴァストの交差点で、スクーターに乗った女性が信号無視の車にはねられて死亡した。女性の名はロベルタ・スマルジャッシ(33)。加害者はイタロ・デリーザ(22)。

それから7カ月後、事故のあった同じ町の路上で、加害者のデリーザは1人の男に至近距離から拳銃で撃たれて死亡した。撃ったのは、デリーザの車にはねられて亡くなったロベルタの夫、ファビオ・ディ・レッロ(34)。彼は妻を殺された報復に若者に銃弾を浴びせた。

悲惨な事件は、イタリア司法制度の最大の欠陥の一つ、審理の遅滞と混乱が引き起こした悲劇である。同時にイタリア司法制度の長所である厳罰回避主義も関係しているのが皮肉だ。
 
撃たれたデリーザは裁判所の審理を待つ間、住人の全てがお互いに顔見知りのような小さな町を、何の制約も受けずに自由に動き回っていた。デリーザとディ・レッロが道で行き合うことさえあった。
 
また加害者のデリーザは、裁判では恐らく刑務所に入ることもない軽い刑罰で済み、結審後もほぼ自由であろうことが予想された。イタリアの法律では、交通事故の犯人は酒気帯び、麻薬摂取、あるいはひき逃げなどの悪質なケースを除いて刑罰が軽くなるのだ。その観測が妻を殺されたディ・レッロの苦悩となっていた。そして事件が起こった。

厳罰主義を否定するイタリアの司法の精神は素晴らしい。そこにはキリスト教最大の教義の一つ「赦(ゆる)し」の哲学が込められている。しかし、裁判の極端な遅滞が重大問題だ。

動きの遅い司法の鈍感と無能のせいで、事故の加害者と被害者が小さな町で日常的に顔を合わせる、という苦しい残酷な状況が生まれ、やがて衝撃の結末が訪れたのである。


そこで指摘したように、銃撃事件を引き起こしたのは、イタリア裁判所の怠慢から来る遅滞と鈍感だと僕は思う。

赤信号で交差点に進入して、被害者をスクーターごとはねて死亡させたデリーザは、事故後はまるで何事もなかったかのように小さな町を自由に徘徊していた。

事故で愛する妻を殺されたディ・レッロは、その状況に憤り、悲しみ、苦しんでいた。ディ・レッロの悲憤を知っている町の住民の多くも彼に同情した。

ロベルタに正義を400pic町の人々は「早く裁判をしろ」「ロベルタ(被害者)に正義を」などと叫び、デモさえ起こして、動きの鈍い司法を強く非難した。住民の怒りは日ごとに高まった。


しかし、遅滞で悪名高いイタリアの裁判のあり方が、すぐに改善されるはずもなかった。そうこうするうちにディ・レッロは町中で加害者のデリーザと行き逢った。

デリーザは彼に謝罪するどころか、まるで挑むように乗っていたバイクのエンジンを噴かしてディ・レッロを威嚇した。ディ・レッロの憤懣が最高潮に達した。そして4発の銃弾が放たれ、3発がデリーザの体を破壊した。

事件後、司法はそれまでののろまな動きがまるで嘘のように迅速に動いて、被害者(の夫)から加害者に変わったディ・レッロを断罪した。

検察の求刑は、死刑のないイタリアではもっとも重い刑罰、終身刑だった。それは減刑されて30年になった。が、僕は30年という刑の重さと裁判所の素早い動きに強い違和感を覚えた。

そこには、交通事故後に湧き起こった裁判所への批判に対する、司法の意趣返しのニオイが強く漂っていると思うのだ。裁判所は時の権力や世論から完全に自由ではあり得ず、中立平等でもあり得ない。

つまり司法も自らの主観の影響下で判断をし断罪をするのだ。司法の中立平等とは、裁判官がそのことをどこまで自覚して、どこまで主観を殺して権力や世論の影響を排除しようと努力するか、の度合いに過ぎない。

当事案を担当した所轄のイタリア地方裁判所は、交通事故を受けてディ・レッロに味方し、彼らを批判する世論に苛立っていた。そんな中、まるで民意にも後押しされるようにして、ディ・レッロが事故加害者を殺害するという暴挙に出た。、

裁判所は、これ幸いとばかりに急いでディ・レッロを断罪し、彼らに批判的な世論にも仕返しをして溜飲を下げた・・というのはさすがに言い過ぎかもしれないが、それに近い心理状況が裁判所にあったのではないか。

それが奇怪なほどに速い審理、結審となって現れ、かつ「厳罰主義を採らない」という伊司法の原則を無視したような30年の断罪、という重い判決を招いたように思う。

銃撃事件の原因となった交通事故の裁判審理では、司法は加害者のデリーザが飲酒や麻薬を使用していなかったことなどを理由に、彼を強く責めなかった。それどころか自由にしておいた。

つまりそこには、カトリックの「赦し」の哲学に基づくデリ-ザへの寛容があった。ところが、彼を殺害したディ・レッロには、終身刑は避けたものの30年もの重罰が課せられた。不自然で一貫性がないのである。

デリーザが起こした事故は偶発的なものであり、ディ・レッロの銃撃事件は計画的犯罪だったという重大な違いがもちろんある。それでもデリーザは信号無視を犯し、ディ・レッロには被害者遺族という情状酌量の余地がある。

30年という刑期への感じ方は人それぞれだろうし、特にデリーザの遺族にとっては、もしかすると30年でも足りず、むしろ終身刑を望んだかもしれない。だがディ・レッロに対する裁判所の態度は、必要以上に厳しいものであるように僕の目には映る。

加害者の過失によって妻を路上で殺され、且つその加害者がなかなか罰せられず、それどころか自由の身でいる、という状況に苦しみぬいた挙句にディ・レッロが犯行に及んだ点を考慮すれば、30年の重刑に処するのは酷だと思うのである。

僕のそうした反応はもしかすると、ディ・レッロの復讐心に共感する心理から出ているのかもしれない。彼が実際に報復行為に出たことは理解不可能だが、僕は彼の苦しみと怒りは分かるような気がするのだ。そして僕のその心機は、キリスト教の強い「赦し」の哲学を知らない日本人特有のものである可能性がある。

ならばそれは恐らく、死刑賛同者が8割にも達する日本の世論とも無関係ではない、と僕はさらに自らを怪しむ。僕は理性では死刑制度に反対しつつ情感でそれを認める、というあいまいな立場から未だに自分を解き放すことができず、その由無い状況を自身でいつまでも持て余している、という類の人間なのである。


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