2018年05月

どんでん返しがつづくと元の木阿弥になる


イタリア連立政権樹立騒動にまたドンデン返し。ドンデン返しがきわまって元の木阿弥。コッタレッリ首相候補をスタンバイにし、コンテ首相候補を元に戻して、マタレッラ大統領がノーを突きつけた財務相候補のサヴォナ氏を別職に移動する案が浮上。大統領も再考を了承した。

「コンテ首相+サヴォナ「非」財務相」案は、五つ星運動のディマイオ党首の提案。これに対し連立相手のサルヴィーニ同盟党首は「検討する」と述べるにとどめた。強烈な反ユーロ・反EU主義者のサヴォナ氏を財務相に熱く推しているのはサルヴィーニ氏である。

極右政党・同盟のサルヴィーニ党首は連立政権では内務大臣就任が確実視されている。移民・難民問題は内務省の管轄。サルヴィーニ氏は内務相となって反移民政策を強力に押し進める腹づもりである。そこでEU懐疑派のサヴォナ氏を財務大臣に仕立て、連携してEUとの対決姿勢を鮮明にしたい思惑があるのだ。

マタレッラ大統領にとっては、サヴォナ氏が政権外に去るのが最も受け入れやすい案だろうが、コンテ内閣の成立を否認した彼の動きへの批判が高い現状では、あるいはサヴォナ氏が財務相以外のポストならやむを得ない、としてコンテ内閣の船出を容認するかもしれない。

今日(5月31日)、ディマイオ&サルヴィーニ会談が開かれる。そこでサルヴィーニ氏が「サヴォナ財務相」案を引っ込めてディマイオ氏に同意すれば、いよいよ欧州初の反EU・反移民のポピュリスト政権が成立しそうな情勢。

「反EU・反移民のポピュリスト政権」とはいうものの五つ星運動と同盟は、選挙キャンペーン中の激しいEU批判や移民への敵意発露を抑え気味に動いている。単一通貨ユーロからの離脱は考えない、と言明するほどだ。その真意は分からない。政権発足と同時に牙をむき出して彼らの元もとの主張を実現しようと狂奔するかもしれない。

だがもしかすると、彼らは「極論」を排してユーロ圏にとどまりつつ「EUの経済政策の抜本的な変換」と「EUの移民対策の徹底的な改正」を声高に主張する政権、になるのかもしれない。イタリアの政治勢力は四分五裂している分、過激論者は他の勢力を取り込もうとしてより穏健になる傾向が強い。

「イタリア国内の政治家や官僚の腐敗を除き」「EU本部の現場軽視の横暴な政策の数々に物申し」「イタリア一国が重責を負わされている難民・移民の保護・受け入れをEU全体で背負え」という、彼らの真っ当な要求がEUにすんなりと受け入れられるなら、彼らはEUの敵どころか、EUにとっても建設的な提案をする政権になる可能性も高い。


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イタリアは大統領独裁国家なのか



マタレッラ600


権力乱用?

イタリアのマタレッラ大統領は、五つ星運動と同盟の「ポピュリスト連合」が推薦したコンテ首相候補を否認した。もっと正確にいえば、首相候補を介して五つ星運動と同盟が提出した閣僚名簿のうち、財務相候補のパオロ・サヴォナ氏を拒否することで、コンテ内閣の成立を阻止した。

そしてほぼ同時に、と形容しても過言ではない素早さで、国際通貨基金(IMF)の元財務局長でエコノミストのカルロ・コッタレッリ氏を、大統領独自の首相候補に指名し組閣要請を出した。コッタレッリ氏はガチガチのEU信奉者で緊縮財政にも積極的。「ミスター・予算カット」のあだ名さえある。

イタリアでは過去に何度も実務者(テクノクラート)による中立政権が樹立された歴史がある。政府予算や次の選挙法などを成立させるのが主な目的で結成される。コッタレッリ内閣も成立すれば2019年予算案の通過と、再選挙に向けた選挙法の制定が主な役割になる。

マタレッラ大統領の一連の動きは全て憲法に合致したものである。イタリア共和国大統領は、首相指名権と閣僚認否権を有し、理論的には彼の一存で政権樹立を阻止して解散総選挙を行うこともできる。

大統領が議会と対峙したり、上下両院が全く同じ権限を持つなど、しばしば政治混乱を引き起こす原因にもなるシステムをイタリア共和国が採用しているのは、ムッソリーニとファシスト党に多大な権力が集中した過去の苦い体験を踏まえて、権力が一箇所に集中するのを防ぐ意味がある。

そうはいうものの、しかし、選挙で第1党と第2党に躍進した五つ星運動と同盟が、提携して過半数を制し連立合意に達した民主主義の成果を、民主主義を強く支持する大統領があっさりと否定する、というのはきわめて異例の出来事である。

道義的責任

マタレッラ大統領は、憲法に沿って「制度としての大統領の権限」を行使した形だが、連立とはいえ過半数に達した政党が政権を樹立する、というこれまた
「民主主義の正統な制度」に、真っ向から挑むというジレンマに陥り、敢えてそれを犯した。

なぜそれが可能になったのかというと、大統領には道義的な理由で時の政権や議会に物申す権限も託されているからだ。彼は自身の良心に基づいて政治的なアクションを起こすことができるのである。それはドイツ大統領などにも共通する欧州発祥の基本原理だ。

マタレッラ大統領は、財務相候補のサヴォナ氏が強力な反ユーロ・反EU主義者であることから、彼が財務相に就任すれば政府支出を大幅に増やし、あまつさえユーロ圏からの離脱も画策しかねない、と憂慮した。

イタリアはEU圏内最大の約300兆円もの累積債務を抱えて呻吟し、借金を減らすための緊縮財政をEUに迫られてこれに合意している。五つ星運動と同盟が主張しているバラマキ政策が実施されれば、イタリア経済はさらなる打撃を受け国民が不幸になり、EUとの約束も守れなくなる。

五つ星運動と同盟は、先ずユーロ圏からの離脱、そして将来はEUからの離脱も目指すという主張を引っ込めているが、それは恐らく選挙対策上の欺瞞だ。彼らが政権を奪取すれば、いつでもその主張を蒸し返すことができる。それが彼らの狙いだ、という見方は根強い。

マタレッラ大統領は、EUへの信義や国民生活を守るという「道義的責任」に基づいて、反EU且つ反緊縮財政の立場を採るサヴォナ氏を否認し、それによってコンテ内閣全体も否定した。結果、五つ星運動と同盟の2大ポピュリスト勢力による政権樹立を阻んだ。

問題点

いわば欧州の良心、あるいは民主主義国家の道徳意識の体現ともいえる理由での大統領の政治介入は、前述のごとく制度上の権力行使と並んで受容されるものだが、今回のマタレッラ大統領のように政権樹立へのあからさまな妨害、とも形容できる仕方で実践されることはほぼ皆無だ。

マタレッラ大統領が、制度的権限と道義的権限を行使してポピュリスト政権の成立を阻んだのは、2つの意味で問題だ。一つは単純に、民主主義国家のイタリアで、選挙の洗礼を受けた2政党が連立を組み過半数制覇を成し遂げて、政権樹立を図った真っ当な行為を妨害したこと。

もう一つは、マタレッラ大統領が元々左派の民主党に属し、民主党と同様の
「親EU主義者」である点だ。彼は成立しかけている連立政権が、自らの政治信条に合わない「反EU・反体制のポピュリスト政権」だからこれを潰した、という見方もできる。それは権限の乱用と指弾されても仕方のない動きだ。

僕はEU信奉者であり、五つ星運動と同盟のほとんどの政策には違和感を覚える者である。それでも長い連立協議を経て政権合意に至った両党が、政権を樹立する権利は認めなけれならない、と考える。民主主義の重要原理の一つは主義主張の違う者を認め尊重することだ。

イタリア国民の大半は、五つ星運動と同盟の連立政権に一度チャンスを与えたほうが良い、と考えているように見える。それが選挙を介してあきらかになった民意だ。マタレッラ大統領の「良心」は理解できるが、拒否権発動は行き過ぎではないか、というのが僕の率直な思いである。

トランプ主義政権

一度政権が走り出せば、現在は異様に見える五つ星運動と同盟の主義主張は「普通」になる。それは米国で証明済みだ。つまり異様に見えたトランプ主義が、トランプ大統領の就任によって多くの問題を内包しながらも「普通の光景」になっていったように。そして両党はトランプ主義信奉者だ。

トランプ主義の是非については歴史が判断する。トランプ主義はこれまでのところ、排外差別主義を「当たり前のこと」と人々に思い込ませた一点だけを見ても、明確な不正義だと僕は考える。イタリアで成立するかもしれないポピュリスト政権ももちろん同様だ。

だがそれらは選挙を介した民意によって誕生した魔物だ。ただ頭ごなしに否定するのではなく、歴史の試行錯誤の一環として受け入れ考察するべきる時期に来ている。そして試行は一度行き着くところまで行くべきだ。行き着くところが地獄でも、それは国民が選んだ結果だ。

イタリア国民は地獄に至れば必ず真の目覚めを獲得する、と僕は考える。彼らは賢明な国民だ。大統領という一個人が、元を正せば彼も民意によって選出された存在とはいえ、「今の民意」を反映した政権の樹立を阻止するのは、やはり誤謬なのではないか、と考えざるを得ない。

イタリア人好みの大統領とは


最後に付け加えておきたい。大統領が制度として議会に対抗できる力を持つと同時に議会や時の政権に道義的勧告もできる仕組みは、前述したようにイタリアの専売特許ではない。それはドイツなどを含む欧州の国々に共通の体制だ。

例えば昨年のドイツ総選挙後に政治空白が発生した際、ドイツのシュタインマイヤー大統領は連立政権に参加するようにと社会民主党に強く働きかけた。その行為は制度上の合法的な動きであると同時に、EUの結束とドイツの極右勢力を抑制するという「道義的」心情も強く反映したものだった。

イタリアの場合には制度に加えて、大統領自身の人気やコミュニケーション力や人柄によって、「制度以上の力」を持つ場合がままあるのが特徴、と言える。過去にはペルティーニやチャンピ、またナポリターノ前大統領も個人的な人気の高さを利用して、議会に物申してきた強い大統領の1人だ。

だがマタレッラ大統領は、イタリア人好みの明朗や雄弁やコミュンケーション力に欠けるきらいがある。つまり彼は絶大な人気を誇る大統領とは呼べない。権力乱用にも見える今回の彼の政治介入は、大統領自身の存在感を高める可能性もある、が、逆に反感を買って大きく失墜する恐れもある、と思う。

現に五つ星運動のディマイオ党首は、マタレッラ大統領の介入を違法と見なし
「大統領の弾劾」を議会に提案する構えだ。過去には例のない反応であり動きである。それもこれもマタレッラ大統領がこれまでのところ、前述の3大統領に共通のいわば「国父」的な尊敬を集めている存在、とはいい難いところにある。


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マタレッラ大統領が新たに首班指名



マタレッラ600pic


伊マタレッラ大統領は、コンテ首相候補が組閣を断念したことをうけて、国際通貨基金(IMF)で財務局長を務めたエコノミストのカルロ・コッタレッリ氏を首相に指名し、組閣要請を出した。

64歳のコッタレッリ氏はIMF時代にはイタリアの公共支出を削減し「ミスター・予算カット(シザーズ)」とあだ名された。がちがちのEU信奉者である。

イタリアでは過去に何度も実務者(テクノクラート)による中立政権が樹立された歴史がある。予算成立や次の選挙法などを成立させるのが主な目的で結成される。

五つ星運動、同盟、イタリアの同胞の3党は、コッタレッリ内閣を信任しない可能性が高い。また「大統領弾劾は無責任」と述べていたベルルスコーニ元首相のFI党も、不信任投票をすると表明。

それらの勢力が反対すれば、コッタレッリ内閣を支持する有力政党は民主党だけとなって政権運営は不可能になる。そうなった場合、早ければ9月にも総選挙の可能性がある。


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伊新政権は船出どころか港内で座礁、沈没した!



座礁船600に拡大


ジュゼッペ・コンテ首相候補による組閣作業が頓挫した。

マタレッラ大統領がコンテ氏の閣僚名簿を憲法規定に沿って拒否したからだ。

正確に言えば、財務大臣候補のパオウロ・サヴォナ氏を大統領が否認した。

これによってコンテ首相候補は組閣を断念。イタリア政治不安がさらに深まった。

コンテ氏を首相候補に推薦し、彼を通して組閣名簿を大統領に提出した五つ星運動と同盟は激怒。

五つ星運動のディマイオ党首は大統領を弾劾するべきと発言。

一方、前政権与党の民主党は早速マタレッラ大統領を支持すると表明。

同盟と袂を分かったフォルツァ・イタリア党首のベルルスコーニ元首相も、マタレッラ大統領を弾劾しろという主張は無責任、と発言した。

マタレッラ大統領が強い不信感を示した81歳のサヴォナ氏は、過去に大臣経験もある経済学者。

EUの基本精神が詰まっている1993年発効のマーストリヒト条約(欧州連合条約)に激しく反対していることで知られる。

マタレッラ大統領は「サヴォナ氏が財務相に就任すれば、イタリアがEUと合意している財政矯正策を反故にし、最終的にはユーロからの離脱を画策するだろう」と否認の理由を説明。

サヴォナ氏を財務大臣に強く推していたのは、極右政党・同盟のサルヴィーニ党首。

サルヴィーニ氏は内務大臣になって反移民政策を強力に押し進めると見られていた。

彼はEU懐疑派のサヴォナ氏を財務大臣に仕立て、連携してEUとの対決姿勢を鮮明にしたい思惑があった。

ディマイオ氏と同様に怒りをあらわにした同盟のサルヴィーニ氏は、即刻総選挙を、と叫んだ。

マタレッラ大統領は独自に首相候補を指名して組閣要請を出すかもしれない。彼にはその権利がある。

しかし、議会で過半数を握る五つ星運動と同盟が連携してそれを阻止すれば政権は樹立できない。

二転三転する米朝首脳会談の行方よろしく、イタリア政局も再び駆け引き満載の政治ショーに終始しそうだ。


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伊サッカー「イチレンタクショー」のマンチーニとバロテッリ



師弟ハート


イタリアサッカー代表のマンチーニ監督は先日、5月28日のサウジアラビアとの対戦、6月1日の対フランス、同4日の対オランダ戦へ向けての招集メンバーを発表した。

マンチーニ監督の初指揮となるそれらの試合では、ニースのFWマリオ・バロテッリも招集される。バロテッリはインテル・ミラノとマンチェスターシティでマンチーニ監督の下でプレーした。

バロテッリはイタリアチームを主導すると見られた逸材。2012年の欧州選手権では期待通りの活躍を見せた。

しかしその後は低迷。激しやすく協調性を欠く性格などもあいまって、2014年を最後にイタリア代表の座からも遠ざかっていた。

マンチーニ監督は教え子ともいえるバロテッリをいち早く招集したが、一方で現在のイタリアチームの主柱の1人であるローマのダニエレ・デ・ロッシを外した。

マンチーニ監督は、インテル・ミラノで3連覇し英マンチェスター・シティでは44年振りに優勝を呼び込むなど、指揮官としてすばらしい実績を持つ。

その一方で、マンチーニ監督は国際試合に弱い、という陰口にもさらされ続けている。チャンピオンズリーグなどでの成功がほとんどないからだ。

ジンクスは破られるためにある。マンチーニ監督の「国際試合に弱い」というジンクスもそのうちに破られるかもしれない。だが破られないジンクスもある。それが運命、あるいはもっと重い言葉でいうなら宿命だ。

彼の教え子ともいえるバロテッリは、ここ2年ほどは所属のニースで調子を取り戻しつつあるものの、依然として不安定な要素に満ちている。

また前述のようにイタリアチームには突出した選手がいない。11人のレベルは世界クラスだが、「違いを演出」できる選手、特にファンタジスタがいないのだ。

それは致命的な欠陥だ。イタリア最高峰の監督の一人であるファビオ・カペッロはかつて「勝利への監督の貢献率はせいぜい15%かそこら。残りは選手の力で試合に勝つ」という趣旨のことを言った。

ゲームを支配するのはほとんどが選手の力なのだ。その選手の能力が今のイタリア代表にはない。いや、10人の卓越した選手はいるのだ。10人を活かす「イタリア然」とした選手、つまりファンジスタがいないのである。

マンチーニ監督はそれを作り出せない。マンチーニ監督に限らない。全ての
「ナショナルチームの監督」は、選手を育成することはできない。国際試合の時だけ選手と接触する彼らにはそんな時間はないのだ。

招集された30人の選手を見るとため息がで出る。いずれも小粒、どんぐりの背比べのような印象。バロテッリの招集は期待を抱かせてはくれるが、やはり未知数だ。

だが、繰り返しの指摘になるが、全体としての彼らのレベルは高い。しかしファンタジスタの不在がチームをひ弱に見せる。見せるだけではなく実際に勝てない。

マンチーニ監督が自らの「運命」を変え、バロテッリを救世主に仕立て上げ、それによってイタリア代表チームにかつての輝きをもたらすかどうか。

試金石となる3戦がいよいよ明日から始まる。


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反EU 伊新政権の危うさ

過半数を制する政党がなかった3月4日の総選挙を受けて、イタリアの政治不安が続いている。支持率1位の五つ星運動と2位の同盟は、議席を合計すれば過半数に達することから連立政権樹立を目指してきた。

5月21日、両党は政権合意に達し首相候補として法学者のジュゼッペ・コンテ氏をマタレッラ大統領に推薦。ところがその直後にコンテ氏の学歴詐称問題が飛び出して、政権発足が再び頓挫しそうな状況に。 

大統領はもともと五つ星運動と同盟の連立政権には懐疑的な立場。両党は分かりやすく言えば左右のポピュリスト(大衆迎合主義)勢力。バラマキとも批判される政府歳出の大幅な拡大と「反EU(欧州連合)&反移民差別主義」をかかげて支持を伸ばしてきた。

増大する難民・移民への反感はイタリアのみならずEU各国に共通した現象。イタリアの特異な点は2010年に始まった欧州債務危機の後遺症からまだ回復していない点だ。EU圏内最大の約300兆円もの累積債務を抱えて呻吟している。

EUは借金を減らせ、緊縮財政を続けろ、とイタリアに強く迫っている。ところが五つ星運動と同盟は、EUと合意している財政緊縮策をほごにして政府支出を大幅に増やすと主張。マタレッラ大統領はそこに異議を唱えている。

彼は憲法の規定によって首相候補の認否権を持つため判断が注目されている。

財政赤字を解消するどころか、さらに借金を増やそうとする連立政権は船出をすれば即座にEUと対立するだろう。新政権は最悪の場合、英国に続いてEUからの離脱を要求するかもしれない。

それは自殺行為と形容しても過言ではない愚かな策だ。たとえ「反EU」を掲げ続けても、連立政権はEUとの対話を模索し決して離脱を考えるべきではない。


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学歴詐称の未来のイタリア首相は日本人に似ているかも



コンテ常時流通




学歴詐称の真相

連立政権樹立を目指すイタリアの五つ星運動と同盟は、首相候補として弁護士で大学教授のジュゼッペ・コンテ氏(Giuseppe Conte54歳)を推薦した。

ところがコンテ氏が学歴を詐称しているのではないか、という疑問がとつぜん飛びだして騒然となり、マタレッラ大統領が彼を首班に指名するというシナリオも白紙に戻りそうな状況にった。

しかしマタレッラ大統領は、コンテ首相候補との長い会談を経て、彼に組閣要請を出した。学歴詐称問題はメディアが騒ぐほどの問題ではない、との判断が下されたのである。

学歴詐称問題は、コンテ氏が短期に学んだというニューヨーク大学の記録にその記述がない、という報道から火が点いて一気に燃え上がった。

コンテ氏の学歴にはニューヨーク大学のほかに英ケンブリッジ大学、仏ソルボンヌ大学、米イェール大学でそれぞれ短期に学び、オーストリアやマルタの大学での短期受講なども含まれている。

結局それらは、勉強熱心だった若かりし頃のコンテ氏が、休暇や空き時間を利用してせっせと世界中の大学に通い、交流し、体験を積み重ねた過去を書き連ねたもの、という程度のことらしい。

陰謀説

ニューヨーク大学の反応の速さと、直後の騒ぎの広がり方の激しさに驚いた人々は、五つ星運動と同盟の連立政権構想に恐怖感を抱く「体制」側の陰謀ではないか、との疑問も呈していた。

そこでいう体制側とは、まず誰もが思い浮かべるのがベルルスコーニ元首相とその周辺だろう。元首相は五つ星運動とほとんど「陰惨な」と形容してもよいような政治衝突を続けている。

そこに朋友だった同盟が五つ星運動と連立を組み、元首相と同盟党首のサルヴィーニ氏との間にも齟齬が生まれ始めた。元首相はいま「恨み骨髄に徹する」心境であろうことは容易に推察できる。

また元首相は、彼に科されていた公職追放処分をミラノ地裁が破棄したことを受けて、選挙に立候補し再び首相職を目指すこともあり得る、と公言している。

元首相は、2013年に脱税容疑で有罪判決を受け、議員資格を剥奪された。同時に6年間の公職追放処分も科された。が、ミラノ地裁は彼の行動が模範的であるとして先日、刑期を前倒しして免責処分とした。

それに気を良くしたベルルスコーニ元首相は、五つ星運動と同盟が共に推薦する首相が誰になるのか一切わからなかった数日前には、「我こそ首相にふさわしい」と臆面もなく発言したほどだ。

そんな元首相が、自らが所有するメディア王国の情報収集力を縦横に使って、「どこの馬の骨ともしれない」コンテ氏の首相昇格を阻むために動いた、と想像するのは荒唐無稽とは言えない。

もっともその意味では、五つ星運動および同盟と犬猿の仲にあるレンツィ元首相と、彼が支配する民主党主流派にも、同じ嫌疑がかかって然るべきである。

元妻の証言

突然脚光を浴びたジュゼッペ・コンテ氏は、人柄の良い生真面目な人物であるらしい。風貌にもそれが現れているように思うが、僕は一つのエピソードを知ってさらにその感を強くした。

コンテ氏は10歳の男児の父親だが妻とは離婚している。その別れた妻、ヴァレンティーナさんが次のように発言したのだ。

“私の元夫に対する誹謗中傷は馬鹿げている。ジュセッペはすばらしいイタリア首相になるでしょう。彼の履歴には嘘はありません”と。

離婚は世の中のありふれた不運だ。だが別れた相手を尊敬し、また尊敬される関係でいるのは、決して「ありふれた」ことではない。

僕はコンテ氏の元妻の発言に、彼の人柄の良さがにじみ出ていると感じて、少し心が温かくなったような気がした。

日本人vsイタリア人

コンテ氏の学歴詐称は、世界中の各大学での短期の受講や研究や交流などをこれでもかと、とばかりに書き連ねたことにある。

また休暇などを利用して授業に出る外部の学生の記録が、大学に残らないことは珍しくない。ニューヨーク大学の受講生記録にコンテ氏の名がなかったのは、そういういきさつなのだろう。

それにしても、有能な弁護士であり大学教授でもあるコンテ氏は、多くの「どうでもよい」学歴など無視して「フィレンツェ大学法学部卒業」と記せば済むことだった。

実をいえば学歴や履歴を必要以上にごちゃごちゃ書き込んだり、時には誇張とさえ見られかねない書き方をするのはイタリア人の特徴なのである。

そして実は、これが一番言いたいことなのだが、日本人も同じ性癖を持っている、と諸外国では見なされているのだ。

欧米の大学などでは、イタリアと日本からの留学生が携えてくる彼らの大学や担当教授の推薦文はよく似ている、という評価がある。どちらも言わずもがなのことをごちゃごちゃ記載しているというのだ。

学生に対する大学の推薦文は、普通は卒業証明と成績を簡潔に述べるだけだが、イタリアと日本からの推薦文は卒業証明と成績に加えて、身体頑健で活動的で明るいとか、外交的で思いやりがあり協調的などなど、「余計なこと」を書き連ねたものが多い、とされる。

イタリア人はほめまくることが好きである。人々が顔を合わせるとお互いに相手の様子を賞賛し、装いの趣味の良さに言及し、学業や仕事や遊びで相手がいかにガンバッテいるかと元気づけ合う。

続いて家族や恋人に言及して持ち上げ、誰かれの噂話をした後には再びお互いの話に戻って、これでもかこれでもか、とばかりに相手の美点を言いつづける。それが対人関係の全般にわたって見られるイタリア人の基本的な態度だ。

その流れで、大学や大学の恩師は学生をほめあげる推薦文を書き、一般的な履歴書や学歴紹介書でも、人々はこまごまと「自らと他人をほめる」 言葉を連ねるのである。コンテ氏の学歴紹介もそうした習慣によるものだろうと思う。

さて、ほめたり自慢することよりも、謙遜や慎み や韜晦が好きな日本人は、そうした態度が世界ではあまり理解されないことを知って、「外国向け」の履歴書や推薦文などを書くときに「正直」を期そうと懸命に意識する。

意識し過ぎるあまり、日本人は常軌を逸して思わず余計なことまで記載するのではないか、と思う。そうやっていわば明と暗、動と静、顕示と韜晦、のように違うイタリア人と日本人の文章が似たものになるのだ。

実体験

実は僕はそのことを体感する経験をしている。日本で大学を終えて英国の映画学校に入学しようとするとき、僕も東京の大学の卒業証明書と恩師の手書きの推薦書を持っていた。

映画制作の実践を教えるその学校は、入学の条件として学生が大学卒業資格を持っているか2年以上の映画実作の助監督経験があること、としていた。その上でオリジナルの英文のシナリオを提出させて考査する。

僕の恩師の推薦文には、まさしく日本人の性癖・慣習が顕著にあらわれていて「彼(仲宗根)は成績優秀で、健康で社交的でかつ協調性も強く云々」という趣旨のことがえんえんと書かれていた。

僕は全く優秀な生徒ではなかったので、「成績優秀で」のくだりはあからさまな嘘と言っても構わないが、それに続く健康で社交的で云々、という記述は、ま、あたらずとも遠からずというところだったろうと思う。

そうした感傷的な推薦文は、何度も言うように日本人とイタリア人に特徴的なものなのだが、僕はそのときはそれが当たり前だと考えて何の感慨も抱かなかった。

それがちょっと普通ではない推薦文だと知ったのは、何年か後にアメリカでドキュメンタリー制作の仕事しているときだった。ある大学関係者が笑いながらそういう事情を話してくれたのだ。

あれからずいぶん時間が経って今の状況は知らない。知らないが、ある意味でメンタリティーが水と油ほども違う日本人とイタリア人の、外国向けの履歴書や推薦文が良く似ているというのは面白い。

極論者は皆似ている

それぞれの国内向けの履歴書や推薦文は、イタリアと日本では違う部分もきっとあるのだろうが、いずれにしても双方共にあまり合理的ではなく、どちらかといえばやはり情に訴えたい気持ちがあらわな、感傷的で大げさなものである場合が多いのではないか。

履歴書や推薦文の世界でイタリアと日本が似ているのは、あるいは例えが突然かもしれないが、本来は違う道を行くはずの左翼と右翼が、過激に走って
「極左」と「極右」になったとたんに瓜二つになる、ということにも似ている。

嘘ではないものの、本来は書くべきではない些細な勉学の体験をいちいち書き連ねたために、まるで世界のトップ大学を幾つも卒業したのでもあるかのような印象を与えてしまった、未来のイタリア首相ジュセッペ・コンテ氏の学歴詐称にはそんないきさつがあったのである。


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報道に不偏不党はあり得ない



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マスメディアあるいは報道機関はよく不偏不党の報道姿勢を前面に打ち出す。だが、不偏不党の報道など元よりあり得ない。

報道には必ずそれを行う者のバイアスがかかっている。事実を切り取ること自体が、既に偏りや思い込みの所産だ。

なぜなら事実を切り取るとは、「ある事実を取り上げてほかの事実を捨てる」つまり報道する事案と、しない事案を切り分けること、だからだ。それは偏向以外のなにものでもない。

少し具体的に言おう。例えば日本の大手メディアはアメリカの火山噴火や地震情報はふんだんに報道するが、南米などのそれには熱心ではない。

あるいはパリやロンドンでのテロについてはこれでもか、というほどに豊富に雄弁に語るが、中東やアフリカなどでのテロの情報はおざなりに流す。そんな例はほかにも無数にある。

そこには何が重要で何が重要ではないか、という報道機関の独善と偏向に基づく価値判断がはたらいている。決して不偏不党ではないのだ。

だからこそ報道者は自らを戒めて不偏不党を目指さなければならない。「不偏不党は不可能だから初めからこれをあきらめる」というのは、自らの怠慢を隠ぺいしようとする欺瞞である。

報道機関は不偏不党であろうとする努力を怠ってはならない。「不偏不党は不可能」だからこそ、不偏不党の報道を追求する姿勢を持ちつづけるべきだ。

そして資金や人的資本が豊富な大手メディアのうちの「まともな」報道者は実は、不偏不党を目標に事実に裏付けられた報道をしようと努力している場合がほとんどだ。

一方ブログなどの個人報道ツールを用いる者には、自己以外には人材もなく金もないために、足と労力を使って得た独自情報やニュースは少ない。せいぜい身の回りの出来事が精一杯だ。

そこで彼らは大手メディアが発信する情報を基に記事を書く場合が多くなる。そしてそこには偏向や偏見や思い込みに基づく記述があふれている。それはそれでかまわない。

なぜならブログをはじめとするSNSは、事実や事件の正確な報告よりも「自分の意見を吐露する場」であるべきだから。あるいは事実や事件を「考察する」ツールであるべきだからだ。

そこでの最も重要なことは、報道者が自らの報道はバイアスのかかった偏向報道であり、独断と偏見による「物の見方や意見」であることをしっかりと認識することだ。

自らの偏向独善を意識するとはつまり、他者の持つ違う見解の存在を認めること、である。他者の見解を認めてそれに耳を貸す者は、やがて独善と偏向から抜け出せるようになる。

個人の報道者はそうやって自らの不偏不党を目指すべきである。ブログなど個人の情報発信者が、大手メディアを真似てニュースを発信しようとするのは間違っている。

独自の記事として書いても、また「シェア」という形で他者の記事を紹介しても事情は変わらない。自身の足と金と労力を注ぎ込んで集めた情報ではないからだ。

SNSでの「発信」を目指す者は、あくまでも情報や事実や「報道」等に基づく、書き手の意見や哲学や思考を述べる努力をするべきだ。それでなければ個人で情報を発信する意味はない。

客観的な情報は大手メディア上にあふれている。あふれているばかりではなく、それらは正確で内容も優れている場合が多い。個人の発信者の比ではないのである。



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伊連立政権の首相候補が明らかになった



ディマイオ&コンテ
ディマイオ党首(左)&コンテ氏



連立政権樹立を目指すイタリアの五つ星運動と同盟は、首相候補としてジュゼッペ・コンテ氏(Giuseppe Conte54歳)を推薦した。

コンテ氏は五つ星運動のディマイオ党首の顧問を務める弁護士。大学法学部でも教鞭をとっている。

ほとんど無名だったコンテ氏が首相になれば、チャンピ、ディーニ、アマート、モンティ、レンツィに次いで国会議員ではない者が政権を率いる6番目のケースになる。

また、解散総選挙を経ない者が首相になるケースとしては、モンティ、レッタ、レンツィ、ジェンティローニに次ぐ5期連続の非常事態である。

マタレッラ大統領は、首相候補が明らかにされたのを受けて今日(5月22日)、上下両院議長と意見を交し合う。

その後、首相候補を信任して組閣要請を出すか否かの決断を下す。大統領は憲法の規定で首相候補を否認することもできる。

マタレッラ大統領は、他の欧州諸国の首脳や政府幹部などと同様に、五つ星運動と同盟が野放図な財政運営を計画していることに不安を抱いている。

従って彼らの連立政権を阻止する目的で、首相候補を否認し独自の内閣案を提示する可能性もある。

だが、選挙の洗礼を経ないいわゆるテクノクラート(実務者)内閣には、五つ星運動も同盟も強く反発している。そのため議会の信任が得られない可能性が高い。

マタレッラ大統領は依然として、政権合意への認否か解散総選挙の宣言か、の大きな選択をしなければならない岐路に立たされている。

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イタリア政局アップデート~毒を食らわば皿まで 


電話し合う2人600


連立協議を続けている2大反体制ポピュリスト党の五つ星運動と同盟は、首相候補以外のほとんどの政策で一応の合意を見た。

2党のディマイオおよびサルヴィーニ党首は、21日月曜日に首相候補名を含む彼らの政権構想をマタレッラ大統領に報告する。

大統領は首相候補を含む彼らの計画に納得すれば、政権樹立を首相候補に要請して五つ星と同盟の連立政権が正式に発足する。

政権の目玉は同盟主導の反移民政策。地中海を介してイタリアに流入する難民・移民を制限する目的で、国外退去処分を含む厳しい規制や禁止条項を強化する。

さらに欧州への難民・移民の入り口になっているイタリアが、EUの難民・移民ポリシー立案の主導権を握ることを強く要求する、などの声高な内容。

だが政権の最も重大な政策は、バラマキという批判も強い支出拡大案。彼らがそれを実施しようとすれば、ただちに年に13兆円から16兆円もの資金が必要である。

主なものは3つある。一律15%の所得税導入。貧困層への1ト月一律10万円余のベーシックインカム支給(最低所得保証))、年金給付年齢の「引き下げ」である。

イタリアは2009年にギリシャから始まった欧州財政危機の後遺症に苦しんでいる。その最たるものが国の借金だ。EU圏内ではGDP比率でギリシャの次に借金の多いイタリアは、緊縮財政をEUに迫られている。

新政権はEUと合意している財政緊縮策を反故にして、政府支出を大幅に増やそうとしている。国家の巨大な財政赤字を解消するどころか、さらに借金を増やそうとする連立政権はEUと激しく対立するだろう。

最悪の場合にはイタリアは、英国に続いてEUからの離脱を模索するかもしれない。もしも離脱をすればそれは、「自殺行為」と形容しても過言ではない愚かな策だ。

EU離脱後のイタリアは、例えて言えば孤独と貧困に満たされた生きる屍のような国になるだろう。反EUを掲げている連立政権は、EUとの対話を模索し決してそこからの離脱を考えるべきではない。

イタリアにポピュリスト政権が誕生することに対しては、同国内はもとよりEU各国からもまた世界のそこかしこからも、懸念の声があがっている。

英ファイナンシャルタイムズ(FT)は、提携する2政党の党首ディマオイオ氏とサルヴィーニ氏を「奇妙なカップル」と形容して、不信感と警戒心をあらわに論評している。

またフランスのリベラシオン(Libération)紙は、あまりにも主張が違う2政党の安易な握手は危険だ、としてやはり懐疑的に報道。

ドイツの保守系日刊紙ディ・ヴェルト(Die Welt )はもっとさらに悲観的である。同紙は連立政権の誕生を欧州ソブリン危機、Brexit(英のEU離脱)、難民危機などに匹敵するほどのEUの一大危険、と規定して深く憂慮している。

欧州のほとんどのメディアや政府は五つ星と同盟の連立政権に懐疑的だ。その中でイギリスの日刊紙 Daily Telegraphは、確かに頭の中身を疑いたくなるバカな政策も多いが、イタリアの新しい試みは悪いことばかりではない、と弁護する。

その一つが例えば全国一律15%の所得税である。多くの専門家は歯牙にもかけないが、そのアイデアはもしかすると、税制に革命的な変化をもたらすものであるのかもしれない、とTelegraph紙は主張する。

欧州委員会のドムブロヴスキス(Dombrovskis )副委員長は、イタリアの内政には口出ししないしするべきではない、とした上で次の政権が誰であろうと、イタリアはEUが定めた財政規律に従うべき、と強調した。

それに対して五つ星運動と同盟は「選挙の洗礼を受けていない」EUの官僚が、「選挙で選ばれた」われわれの政策に口出しをするべきではない、と激しく反発。

仏マクロン大統領は、「異質のもの同志が手を組んで政権を運営しようとするところに不安を覚える。同時にマタレッラ大統領が新政権はEUと協調して進むことになる、と明言したことに希望も覚える。それが新政権の施策の基本であることを願う」とコメントしている。

どこを見ても否定的な意見が多い。僕も基本的には同じ立場だが、一方で一度トライさせてみるのも良いことかもしれない、と考えたりするようにもなっている。誰が何を言おうが、五つ星運動と同盟という「異端者」の連立政権は発足することになったのだ。やらせてみるしかない。

一度政権が走り出せば、彼らの異様は普通になる。米国で異様なトランプ主義が普通になったように。それは阻止されるべきだったが、米国民はそうはしないでトランプ政権を発足させた。そして後戻りができないほどトランプ主義は蔓延した。

トランプ主義の功罪に対する歴史の評価はもちろんまだ出ていない。北朝鮮問題が好結果をもたらして、トランプ主義は正義へと変貌するかもしれない。だがこれまでのところ、排外差別主義を「当たり前のこと」と人々に思い込ませた一点だけを見ても、同主義は不正義だと僕は考える。

五つ星と同盟という反体制ポピュリスト勢力が走り出せば、トランプ政権と同じ結果になる可能性が高い。だが人々が後悔してももう遅いのだ。彼らを阻止したいのなら選挙によって阻止するべきだった。いまさら何を言っても遅い。一度やらせてみるしか手はないのである。

手はないのだからジタバタするのはつまらない。ただ頭ごなしに否定するのではなく、歴史の試行錯誤の一環として眺めてみるのも重要だ。試行は一度行き着くところまで行くべきだ。行き着くところが地獄なら地獄でかまわない。そこに至ってイタリア国民は真の目覚めを獲得するはずだから。

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マンチーニ監督は伊サッカーの救世主になれるか



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イタリアサッカーのナショナルチーム監督にロベルト・マンチーニが就任することになった。

マンチーニ監督は元セリエAサンプドリアの攻撃的ミッドフィルダー。正確かつ意表をつくパスを繰り出すのが得意で、得点能力も高かった。イタリアで言ういわゆるファンタジスタの一人である。

現役時代はいくつかのチームでプレーしたが、絶頂期を含むキャリアの大半をジェノバが本拠地のサンプドリアで過ごし、センターフォワードのヴィアリとのコンビは一世を風靡した。

イタリア代表選手でもあったが、同時代にはイタリア最高のファンタジスタ、ロベルト・バッジョが君臨していたため、彼の控えに回る不運が続いた。

引退後はSSラツィオのエリクソン監督の助監督になった。が、すぐに監督に昇格。フィオレンティーナを皮切りにラツィオ、インテル・ミラノ、マンチェスターシティなどを指揮した。

インテル・ミラノではセリエA3連覇を果たし、英国のマンチェスター・シティではチームに44年ぶりの優勝をもたらすなど、イタリア語で言ういわゆる「勝ち組監督(Vincente)」の1人であることを証明した。

だが一方で、マンチーニ監督には「スタープレーヤー」なしでは勝てない監督、という悪評もついて回る。批判者は同監督がインテル時代に、強力プレーヤー頼みの戦術に終始した過去を指摘するのである。

またマンチーニ監督は、イタリア国内リーグでは華々しい実績を残したものの、チャンピオンズリーグなどの国際試合に弱い、とも評される。これには現役時代にイタリア代表チームで実績を残せなかった歴史も影響しているかもしれない。

現在のイタリア代表チームには違いを演出できる優れたファンタジスタがいない。イタリアがW杯ロシア本大会への出場権を60年ぶりに逃したのは、指揮官のジャンピエロ・ヴェントゥーラ監督の失策、という根強い説がある。

だから彼は解任され、以後イタリアサッカー連盟(FIGC)は、勝ち組監督(Vincente )を求めて奔走してきた。そうやってマンチーニ監督が就任した。

ロベルト・マンチーニは優れた指揮官であり、勝ち組(Vincente)の監督だ。だから代表チームにポジティブな影響をもたらすであろうことは疑う余地がない。

しかしながら、いかに有能な監督であっても、優れた「選手を作り出す」ことはできない。代表チームの監督の最重要な仕事は、存在する優れた「選手を選択」することだ。選択して選手を自らの卓越した戦略に組み込む。

だが、前述したように今のイタリア代表チームには、例えばバッジョやデル・ピエロやピルロのようなスーパープレーヤーがいない。現役時代のマンチーニ監督自身に匹敵するほどのファンタジスタさえ存在しないのだ。

マンチーニ監督は、仏ニース所属フォーワードのマリオ・バロテッリを召集する計画である。バロテッリは一時期イタリアの救世主と見なされたものの失墜した、

バロテッリはファンタジスタではないが、疑いなく違いを演出できる選手だった。だが、いま僕が過去形で表現したように、2012年の欧州選手権大会をピークに転落して今は凡手になった。

マンチーニ監督はインテル時代に若いバロテッリを育てた。その後彼は活躍したが今述べたように不調に陥った。マンチーニ監督が彼を蘇らせることができれば、イタリア代表チームは確実に変わる。

だが「選手の選択」が仕事の代表チームの監督に、「選手を育てる」ことができるかどうかは未知数だ。付きっきりで監督指導できるクラブチームとは違って、代表チームの監督と選手の接触時間は短い。

その短い時間の間に、監督は選択召集した寄せ集めの選手をまとめ、戦略を練り、その戦略に選手を組み込み構成していく作業に追われる。選手を育成する時間はほとんどないのが実情だ。

そのことに加えて僕は「スタープレーヤーなしでは勝てない」とか、「国際試合に弱い」などという、マンチーニ監督のこれまでの実績への悪口も気にしないではいられない。

それでも勝ち組指揮官(Vincente )のマンチーニ監督が、バロテッリをかつての「スタープレーヤー」に仕立て上げ、「仕事の全てが国際試合」であるイタリア代表チームを、栄光に導く、と信じたい。


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文章が吹きすべれば暴力がもうかり喜ぶ



ペン持つ手600



文章の趣旨は基本的に読者には伝わらない、という真実を突いた怖い言葉がある。原因は書き手と読み手の両方にある。

言うまでもなく書き手がヘタで、読者に読解力がない場合、というのがもっとも深刻な要因だろう。だが、ひんぱんに起こるのは、書き手の思い込みと読者の思い込みによる誤解である。

書き手の思い込みは「書き手のヘタ」と同じ意味でもあるが、読者の思い込みは少し違う。読み手はいかに優れた場合でも、文章を「読みたいようにしか読まない」のである。

そのために同じ文章でも読み手によって全く違う解釈が生まれる。黒と白、という極端な違いはあるいは少ないかもしれないが、黒と白の間のグラデーションの相違、という程度のずれは多くある。

そこに読者の「感情」がからまると、違いは目に見えるほど大きくなる。

例えば暴力に関する記述に接したとき、それと同じシチューエーションで殴った側に立ったことがある読者と、殴られた側にいた読者の間には、文意にそれぞれの「感情」がからまって違う解釈になる可能性が高い。

あるいは恋愛において、相手を捨てた側と捨てられた側の感情の起伏も、文意の解釈に影響することがあると思う。

それどころか、女と男という性差も文章読解にすでに影響している可能性がある。女と男の物事への感じ方には違いがある。その違いが文章読解に作用しないとは誰にも言えない。

そうしたことを考えだすと書く作業はひどく怖いものに見えてくる。だが書かないと、理解どころが「誤解」さえもされない。つまりコミュニケーションができない。

人の人たるゆえんは、言葉によってコミュニケーションを図ることである。つまりそうすることで人はお互いに暴力を抑止する。

言葉を発せずに感情や思いをうちに溜めつづけると、やがてそれらは爆発し、人はこわれる。こわれると人は凶暴になりやすい。

それどころか、コミュニケーションをしない人は、いずれ考えることさえできなくなる。なぜなら「思考」も言葉だからだ。

思考思索の先にある文学は言うまでもなく、思想も哲学も言葉がなければ存在しない。数学的思考ですら人は言葉を介して行っている。それどころか数式でさえも言葉である。

さらに感情でさえ言葉と言えるのかもしれない。なぜならわれわれは感情の中身を説明するのに言葉をもってするからだ。

感情がいかなるものかを説明できなければ、他人はもちろん自分自身にもそれが何であるかがわからない。ただやみくもに昂ぶったり落ちこんだりして、最後には混乱しやはり暴力に走る。

暴力は他人に向かう場合と自分自身に向かう場合がある。自分自身に向かって振るわれる暴力とは、つまり自殺である。

暴力という苦しい且つ悲しい事態を招かないためにも、人はコミュニケーションをする努力を続けなければならない。

その努力の一つが、ここ最近は僕にとっての書くという作業であるような気がしないでもない。

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ポピュリストたちの荒唐無稽 


2人up切り取り面白顔
        交代でサルヴィーニ首相&ディマイオ首相が実現?



5月15日現在、イタリアの2大ポピュリスト政党による連立政権が発足しそうで発足できない。反体制ポピュリストの五つ星運動と反EU(欧州連合)極右勢力の同盟による連立政権構想は、それぞれの主張の隔たりを埋める努力をしているものの最終合意には達していない。

また五つ星運動のディマイオ党首と同盟のサルヴィーニ党首は、それぞれが首相候補と銘打って選挙戦を闘った。しかし連立政権樹立を模索する中でお互いにけん制しあって、相手が首相職に就くことを認めず第三者を首班にすることで妥協したが、その人物選定でももめている。

両党首はマタレッラ大統領に再び政権合意形成までの猶予期間を要請し、大統領もこれを了承した。大統領は首相候補を含む政権構想にゴーサインを出すことができるが、同時に彼らが指名した首相候補を否定することもできる。憲法の規定である。

何度でも言うが、イタリアは大国ながら世界の政治勢力図の上では日本同様の小国だ。したがってバラマキ政策と反EU&差別主義を標榜する勢力が政権を樹立しても、世界に巨大な影響は与えない。言うまでもないことだが、イタリアは米英独仏などの政治大国とは違う。

政治力が卑小という意味だけではない。政治的多様性が大きな特徴であるイタリアでは、過激論者らが一方的に過激になることは少なく、むしろ四分五裂している政治地図のうちの他勢力を取り込もうとして、過激論を和らげる傾向が強い。

従って過激な主張が多い五つ星運動と同盟が連立政権を組んでも、例えば同種の米トランプ政権のように、あるいは仏の国民戦線や独の「ドイツのための選択肢」などが仮に政権を奪取した場合に世界が感じるであろうような、不穏な空気をもたらすことは少ない。

だがそのことは、断じてイタリアの内政の平穏を意味するものではない。大衆迎合主義に走る彼らが、選挙公約をことごとく実現しようと画策すれば、イタリア共和国は財政的に崩壊すると同時に、政治的にもEU(欧州連合)各国と対立し孤立し、やがて破滅する運命にあるといっても構わないだろう。

移民政策などの安全保障面では、五つ星運動と同盟は後者の立場に軸足を移してより厳しい規制や禁止事項を設定していくと見られる。一方で彼らが力説する経済政策は、ほとんど荒唐無稽と呼んでも過言ではないような、財政規律を無視したものが多い。いくつかの例を挙げてみる。

先ず両党ともに所得税を個人、法人ともにカットすると主張している。また社会保障費を増額し、前政権が決めた消費税値上げは延期。また「年金給付年齢を引き上げる」とした2011年の法律を「改悪」して、逆に年金給付年齢を「引き下げる」とする。

五つ星運動の最大の公約は全国一律、1月あたり780ユーロ(10万円余)のベーシックインカム制度の導入である。そのコストを彼らは年およそ2兆2千億円と見積もっているが、全国社会保障機関 (INPS )の試算ではそれよりはるかに多い最大約4兆9千億円が必要になる。

一方同盟は全国一律個人・法人ともに15%の所得税制を導入するとする。それが実現されれば年10兆円以上もの税収減となる。さらに年金支給年齢引き下げで最初の年だけで約2兆円の支出増となり、その額は年々増える見込み。また消費税引き上げの延期によって1兆6千億円以上の収入減。

それらの財源獲得見込みのない荒唐無稽なバラマキ政策を支えるために、ユーロとは別にイタリア独自の紙幣を発行する、と両党が主張している。彼らは
2017年の仏大統領選で国民戦線のルペン氏が、ユーロと仏フランの併用を持ち出したことを念頭においているようだが、その説が顰しゅく・失笑を買ったことを無視している。

EU圏内で最も借金の多いイタリア政府は、緊縮財政をEUに迫られている。国民総生産の1.3倍にもあたる国家の財政赤字を解消するどころか、さらに借金を増やそうとする連立政権はEUと激しく対立するだろう。

つい最近までユーロ離脱を主張していた五つ星運動は、EUの金融政策は変更されるべきだがイタリアはユーロ圏内に留まる、とトーンダウンしている。しかし同盟は反EUの姿勢をいささかも変えておらず、イタリアは政治環境が整い次第ユーロから離脱するべき、と主張する。

それらの反EU政策はいわば自殺行為だ。イタリア共和国はEUから離脱してもおそらく存続し続けるだろう。だがそれは孤独と貧困に満たされた、例えて言えば生きる屍のようなイタリア共和国に過ぎない。

極論を標榜しながらも両党はしかし、イタリア的な融通無碍の精神と多様性重視の哲学に押されてより穏健な路線へと舵を取っていくとは思う。それでもイタリアがEUを離脱すれば破滅は免れない。

その際彼らはお互いに、「連立の相棒がわれわれの政策に反対している」という口実を立てて、それぞれの支持者の批判をかわそうとするだろう。

そして対話と妥協の精神を理解する国民は、これをしぶしぶという態度で受け入れて我慢し、結局イタリア共和国の過激と保守のバランスは保たれることになる、と僕は希望的観測も交えて考えたりもするのである。

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ベルルスコーニの読み方 ~ ベルルスカさんは不死身みたいで困ったぞ



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2011年に首相の座を追われ、2013年に脱税容疑で有罪判決を受け議員資格剥奪、また6年間の公職追放処分を科されていたベルルスカ(ベルルスコーニ)元首相が減刑された。

ミラノ地裁がベルルスカさんの公職追放を1年間前倒しして免責処分にした。これによって元首相は次の選挙から再び立候補できることになり、もちろん首相職を目指すことも可能になった。

ベルルスカさんは欧州人権裁判所に公職禁止処分からの解放を求めて提訴していたが、ミラノ地方裁の決定によって欧州人権裁判所への提訴は無意味になった。

ミラノ地方裁判所の決定は、FI(フォルツァ・イタリア)党首のベルルスカさんが、FIの所属する右派連合の同盟とポピュリストの五つ星運動が連立政権を組むことに賛成した直後に出された。

ベルルスカさんは自らの態度表明が早過ぎた、と地団太を踏んでいるかもしれない。1~2日待っていれば彼は潔白の身となって政治力を高め、五つ星運動と同盟の連立協議を阻止できたかもしれなかったのだ。

ミラノ地裁はまさにそのタイミングを見計らって決定を公にした可能性がある。スキャンダルと政治的横暴行為にまみれたベルルスカさんと、イタリア司法は犬猿の仲だ。司法が復讐した可能性はゼロではない。

しかし、ベルルスカさんの「悪運の強さ」は少しも減速していない。減速どころか、今後はますます強くなっていくのではないかとさえ僕は思う。

なによりも先ず政治的に「死に体」と見えたベルルスカさんが、81歳で完全復活を果たしたことが彼の運の強さをいかんなく示している。

そして総選挙後、右派連合の盟主の座を朋友党の同盟に奪われはしたものの、最後まで強い影響力を行使して同盟と五つ星運動に圧力をかけ続けた。

おしまいには前述のように2政党の連立合意を受け入れはしたが、イタリア政界を再び解散総選挙しか道はない、という瀬戸際まで追い詰め振り回した。

ミラノ地裁の決定で晴れて自由の身となったベルルスカさんは、それだけでも意気軒昂だが、遠いアジアからも彼を勇気付ける朗報が舞い込んだ。

マレーシアのマハティール元首相が、総選挙を制して政権奪取に成功したのだ。しかもベルルスカさんより11歳も年上の92歳で!

マハティールさんの前には、ジンバブエの94歳のムガベさんが、昨年まで大統領職にあった。彼は失脚したが、まだ返り咲きを狙っているという情報もある。

彼らに比べたらベルルスカさんなんて、まだ「若造か」というほどの年齢だ。

世界政治では「老害現象」が流行りつつあるようにも見える。ベルルスカさんより若いが、中国の習近平さんは、終身国家主席も夢ではない形に自らの権力基盤を磐石にした。

ロシアのプーチンさんもすごい。いまやロシア皇帝かと見まごうほどに権力強化にまい進し、こちらもいつまでも一強独裁の「大大統領さま」でありつづけようとしている。

あ、まだいた。日本の安倍晋三首相も「一強独裁」者みたいな顔をしている。モリカケなどであるいは近く墜落するかもしれないが。でも彼のオトモダチのトランプさんは独裁者よりももっと強烈な個性で吼えまくっている。

トランプさんも70歳代と「若者」だ。イタリアでは31歳と「子供みたい」なディマイオさんが五つ星運動の首相候補になるなど、世代交代も進んではいるが、
「若作り」のベルルスカさんもおおいに健在なのだ。

もしも五つ星運動と同盟の連立政権が発足し、やがて失敗し、総選挙にでもなれば、「やっぱりベルルスカさんがいい」と、イタリアの世論が懐古趣味に傾かないとも限らない。

それでなくても、いまだ同盟との提携を解消していないベルルスカさんは、五つ星運動と同盟の連立政権に強い影響力を持つことが必至だ。政権樹立と同時に、それの破壊を目指しての権謀術策をはじめることもないとはいえない。


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イラン核合意破棄が北朝鮮の非核化をもたらす?



イランとの核合意「JCPOA 」を破棄する、というトランプ大統領の決定に対応するように、北朝鮮が拘束していた3人のアメリカ人を解放した。偶然の出来事とは思えない。

イランとの核合意を破棄しておいて、トランプ大統領はどうやって北朝鮮に核放棄を迫ることができるのか、という議論が欧米のメディアなどを中心に盛んに行われている。核合意を否定するトランプ大統領の論理は、「JCPOA はイランに包括的且つ徹底した核放棄を迫らないという大きな欠点を持っている。したがってアメリカは合意から離脱する」というものである。それは、本気で徹底して核を断念しない限りアメリカは交渉に応じない、というメッセージを北朝鮮に送っている、と見ることもできる。

トランプ大統領は先に、国家安全保障担当の大統領補佐官にボルトン元国連大使 を就任させることで、北朝鮮との核合意を「リビア方式」ですすめる、というメッセージを同国および世界に送った。2003年、当時のリビアの独裁者カダフィ大佐が核開発を断念すると約束したとき、アメリカはまずリビアが核関連設備を完全に廃棄し、その後に経済制裁解除などの見返りを与える、というやり方でリビアの核開発プログラムを阻止した。

ボルトン大統領補佐官はそのリビア方式の信奉者であり、補佐官就任後も公にそのことを認めてきた。トランプ大統領の頭の中にもむろんその考えがあるに違いない。ということは北朝鮮が核開発計画を「延期や凍結ではなく完全に廃止する」という確証が得られない限り、アメリカは北朝鮮との核合意を求めず、従って経済的な見返りなども与えない、ということである。

アメリカからの強いメッセージを受けて北朝鮮は3人の米国人を解放した。それを受けてアメリカはリビア方式を捨てて、段階的な核廃棄方式を北朝鮮に提案した。あるいは逆に、アメリカが段階的な核廃棄方式を北朝鮮に示したから、金正恩金正恩・朝鮮労働党委員長は拘束していたアメリカ人を見返りに解放した。どちらの妥協や提案が先かはこの際は重要ではない。肝心な点は、米朝首脳会談へ向けてアメリカと北朝鮮の間に有意義な話し合いと準備が進んでいるらしいことである。

トランプ大統領による「無茶苦茶な外交」は、無茶苦茶であると同時にある種の筋も通っているといわなければならない。彼はそれらの「無茶苦茶な公約」を盾に選挙戦を戦って大統領になった男だ。彼の無茶苦茶を許した米国民と米国メディアはその事実をしっかりと見据えて、大統領の動向を批判ありきの態度ではなく、客観的に判断する努力もするべきだ。そうした上でやはり間違っている、と彼の政策を指弾すれば説得力も出る。

そうした考え方は、大統領選挙キャンペーン中はいうまでもなく、大統領誕生後もトランプ大統領を批判し続けている僕自身への戒めでもある。

核合意破棄のリスクはもちろん大きい。核合意を取り付けたイランの穏健派のロウハニ大統領は、ただでも国内右翼強硬派の批判にさらされている。アメリカが合意を離脱したことによって、強硬派はロウハ二大統領への攻勢を強め、核プログラムの再開を求めるのは必至の情勢である。

イランが核開発を再開すれば、これを憂慮するサウジアラビアも核兵器を持とうと考え、北朝鮮も追随して核兵器保有・開発のドミノ現象が起きる可能性もある。またイスラエルがイランの動きを封じ込めようとして軍事作戦を展開し、イランが応戦してあらたな戦火が中東に起きる可能性も高い。どの方向に進んでもリスクが存在する。そしてイラン核合意を維持することで発生するリスクと破棄した場合に生じるリスクを比較した場合、後者のほうが大きそうだ。

だがそれも比較予測の範囲にとどまるものであり、真実は誰にもわからない。ただ一つ言えることは、トランプ大統領が中間選挙を意識して思いつく限りの手を打っている、ということだ。彼を突き動かしているのは支持獲得のためのポピュリズム政策への誘惑と、極端な親イスラエル情緒に根ざした手前味噌思考のようだ。それでもトランプ大統領の「周到ではないように見える外交方式」、つまり従来とは異なる外交交渉が、「従来とは異なる」正の効果をもたらすことはない、とは断言できない。



イタリアにいよいよ「反体制&反EU」政権が誕生か



キス絵ヨリ
ディマイオとサルヴィーニのこの絵が実現しそうな・・


可能性

反体制ポピュリストの五つ星運動と反EU(欧州連合)極右勢力の同盟による連立政権樹立が、ついに視界に入ってきた。

マタレッラ大統領から政権合意形成まで24時間の猶予を与える、というお墨付きをもらった両党は5月10日、長い話し合いの末に「ベルルスコーニ元首相なしでの連立政権」構想に合意した。

その実質は同盟と提携しているFI(フォルツァ・イタリア)党のベルルスコーニ元首相が、五つ星運動と同盟の連立政権を信任はしないが反対もしない、と表明したことで可能になったもの。

3月の総選挙で政党支持率トップになった五つ星運動は、最大会派の右派連合を率いる同盟に連立を持ちかける一方で、ベルルスコーニ元首相を右派連合から排除するよう執拗に求めてきた。

ところが同盟がその条件をのまなかったため、政権合意協議は暗礁に乗り上げて、もはや残された道は再選挙かという瀬戸際まできた。土壇場でどんでん返しが訪れた形だが、喧嘩好きの五つ星運動と同盟が最終合意にたどりつくまでは、しかし、逆転劇はまだ完成とは言えない。

大団円

それにしても役者全員のメンツがきれいに保たれた、見事な落としどころに行きついたものだ、というのが僕の率直な感想である。あくまでも両党がこのまま最終合意に達して連立政権が生まれる、と仮定しての話だが。

まず政権合意の障害になっていたベルルスコーニ元首相が、「負けを認めて」身を引くのではなく、連立政権を支持しない代わりに否定もしない、という玉虫色の表現で事態を容認した。

そうすることで元首相は、同盟主導の右派連合から排除されずにそこにとどまり続け、且つ同盟のサルヴィーニ党首は「元首相を裏切らない」という従来のスタンスを維持する形になった。

そして元首相の排斥を執拗に求めていた五つ星運動も、ベルルスコーニ氏と
FI党が政権に加わらないことで、彼らの目的を達成したと自他共に認める内容になったのである。

もっとさらにイタリアらしいと僕が感じるのは、ベルルスコーニ元首相が同盟との共存を続けることで、同盟を通して連立政権になんらかの影響を及ぼし続けるであろう点だ。

革命的保守?

それは五つ星運動のいう「政治腐敗の象徴」であるベルルスコーニ氏の負の側面の存続と同時に、五つ星運動や同盟と比較するとより穏健な政治信条を有する同氏とFI党が、政権の過激行動を「抑止する」という正の側面もあることを意味する。

僕は以前
イタリアの政治混乱が長引けば長引くほど、ポピュリストの五つ星運動や同盟の極論主義が後退して、「より普通の」政策や綱領や理念を志向する可能性が高くなる。

イタリアにおける政治的な過激勢力は、国内に多くの主義主張が存在し意地を張る分、極論を中和して他勢力を取り込もうとする傾向が強くなる。そうやって政治的バランスが保たれやすくなる。イタリア政治の最大の特徴である多様性の効能である


書いた。今も同じ考えである。

ベルルコーニ元首相への好悪の感情は別にして、彼の存在が2つのポピュリスト党の「極論を中和」する役目を果たすなら、それもまた民主主義の最大の要件の一つである「妥協」、と割り切って楽観視するべきかもしれない。

幸か不幸か

それにしても、分かりやすいように敢えてレッテル貼りをすれば「左派ポピュリスト勢力」の五つ星運動と、「反EU(欧州連合)極右勢力」の同盟が連立して政権を樹立する、というのはおどろくべき変動である。

ついこの間までは悪夢とも考えられたシナリオが、もろ手をあげて賛成とはならないが「ふに落ちる」という程度にまで納得できるのはどういうことだろうか。

それはまず第一に、世界の大半が排外差別を標榜するトランプ主義に慣れてしまったことだ。多くの人々は、トランプ主義を当初はやはり「悪夢」と感じていたはずなのに、時とともに免疫ができた。

その流れの中で、正体はトランプ主義者以外のなにものでもない五つ星運動と同盟に、イタリア国民のアレルギー反応が出にくくなったのだろうと思う。

また前述のごとくポピュリズム勢力はイタリアにおいては、国内の政治勢力の総体が四分五裂されているおかげで「一方的で巨大な流れ」にはなりづらく、またその中身も変わりやすい。過激勢力が他勢力を取り込もうとして自らの極論を和らげようとするからである。

「極論主義者」的傾向が強い五つ星運動と同盟が、それぞれ親EUを標榜したり、「一方的なユーロ離脱は選択肢ではない」などと、穏健路線に舵を切ってみせたりしているのがその典型だ。

多様性が特徴のイタリアの政治地図は、そうやって極論者と保守主義者が手を握って政治的バランスが保たれることも珍しくない。

もう一つ重要なことは、イタリアが大国でありながらことグローバル政治の勢力図上は小国であるため、政治混乱が起きても世界への影響が少ない点だ。五つ星運動と同盟の連立政権が実現しても、トランプ大統領誕生時のインパクトとは程遠い。

2大ポピュリスト政党が連立を組んで政権を担う、という驚きのシナリオがそれほど「危険」に感じられなくなった背景にはそうした事情がある。それが不幸中の幸いなのか、不幸中のさらなる不幸なのかは、政権が船出してみないとわからない。


FB: masanorinakasone


104歳で自殺する“健全な精神”を悼む



david goodall
ほう助自殺を発表したグッドールさん



104歳のオーストラリアの科学者デヴィッド・グッドールさんが、高齢のあまり身動きもままならなくなった自らの命を絶つことを決め、スイスでそれを実行することになった。これを受けてオーストラリアでは、尊厳死また安楽死をめぐる議論が沸騰した。

グッドールさんは不治の病や限度を超えた苦痛など、尊厳死・安楽死の一般的な基準にもなる不幸な健康状態にあるのではない。だが当人によると体力の衰えによる生活の質の低下は我慢の度合いを超えており、もはや先行きに何の希望もないので死を決意したのだという。

グッドールさんはオーストラリアのExit International(尊厳死推奨会)の20年来のメンバー。あらゆる文明社会は人が自らの命を絶つ権利を保障するべき、と主張してきた。オーストラリアのビクトリア州では尊厳死・安楽死を認める法律が間もなく施行されるが、それは「不治の病に侵されて余命いくばくもない病人」だけに許されるものである。

本人の精神的苦痛が不治の病と同じレベルの耐え難いものであるにもかかわらず、肉体的には「高齢で体が不自由」というだけのグッドールさんには、ほう助自殺の権利を認めたビクトリア州の法律は適用されない。そこで彼はほう助による尊厳死・安楽死が認められているスイスでそれを行うことにした。

グッドールさんがほう助自殺を決意した直接の原因は、彼が自宅で突然倒れて意識を失い、2日間誰にも気づかれなかった「事件」だった。彼はそこまでに体の自由が徐々に奪われていく現実に遭遇していたが、ふいに全身が崩れ落ちた事件を受けて、医師に今後は1日24時間の介護が必要、と診断された。

グッドールさんは1979年に大学を退職した。しかしその後も活発な研究活動を続け、最近も世界の生態系に関する30シリーズにも及ぶ本の編集を終えたばかりだった。またグッドールさんはオーストラリアのエディス・コーワン大学のリサーチ部門の名誉リサーチャーも無報酬で務めてきた。

仕事ではつい最近まで成果を収めつづけ、また私生活でも充実した日々をすごしてきたグッドールさんだが、ここ2年ほどの間に急激に体力が衰えて不自由な生活をよぎなくされてきた。そこに死に向かって背中を押されるような自身の崩落事件が起きて「もはやこれまで」と自らに言い聞かせた。

僕はグッドールさんの逸話を三嘆の思いで受け止めた。尊厳死及び安楽死に賛成する者だからだ。安楽死・尊厳死に関しては多くの論考があり世界中で賛否両論がうず巻いているのは周知の事実である。僕はいわゆる「死の自己決定権」を支持し安楽死・尊厳死は公的に認められるべきだと考える。

ただしそれには、安楽死・尊厳死を求める本人が、意志表示のできる環境にあって、且つ明確にその意志を表明し、そのあとに安楽死・尊厳死を実行する状況が訪れた時、という厳然たる条件が付けられるべき、と考えている。

生をまっとうすることが困難な状況に陥った個人が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死、つまり自殺を要求することを拒むのは、僭越であるばかりではなく、当人の苦しみを助長させる残酷な行為である可能性が高い。

安楽死・尊厳死を容認するときの危険は、「自らの明確な意志」を示すことができない者、たとえば認知症患者や意識不明者あるいは知的障害者などを、本人の同意がないままに安楽死させることである。

そうした場合には、介護拒否や介護疲れ、経済問題、人間関係のもつれ等々の理由で行われる「殺人」になる可能性がある。親や肉親の財産あるいは金ほしさに安楽死を画策するようなことも必ず起こるだろう。

人の欲と弱さに起因するそうした不都合を限りなくゼロにする方策を模索しながら、回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願うならば、これを公的に認めるべきである。

グッドールさんが自らの高齢と急速に衰えていく心身の活力に見切りをつけて、ほう助自殺の道を選んだ「健全な精神」に僕は深い敬意を覚える。そこで問題にされなければならないのは彼の自殺ではない。自殺の道を選んだ「彼の生き方」である。

いつ、どこで、いかに死ぬか、という自身では制御できない問いをあえて問うことはつまり、それが「いかに生きるか」という問いにほかならなからである。死は生を包括しないが生は死を包括する。あるいは生は死がなければ完結しない。死は生の一部にほかならないのである。

急速に高齢化がすすむ現代では、高齢者が死ぬリスクよりも、むしろ「無駄に長生きをするリスク」の方が高くなっている現実がある。それは、生を楽しまずにひたすら世の中を恨み愚痴を言い続けて生存したり、生きる屍のようにそこに横たわっているだけの、悲しく苦しい日々のことである。

そういう尊厳なき生に自ら終止符を打つことは決してネガティブな行為ではなく、むしろ「尊厳をもって生をまっとうしよう」とする前向きな行動である。この場合は「尊厳をもって生をまっとうしよう」とすることが、たまたま自殺だった、というだけである。

高齢化社会で「超高齢」になって介護まで必要になった者が、「自らの明確な意志」に基づいて将来の死を選択することができるかどうか。またそうすることは是か非か、という議論はこの先決して避けて通れない命題である。グッドールさんの選択は、その議論に一石を投じる「多くの類似の行為の一つ」に過ぎない。


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ことしも異常気象という名の春の詐欺師がやってきた 



悪天候サルでニア ツイッター:3B Neteo
サルデニア島の水害:3Bメテオ


動画を伴ったトルコの大洪水のニュースが世界を駆け巡っている。

昨年の今頃、僕の住む北イタリアは冷害に見舞われてブドウ園に大きな被害が出た。

その前には、前年から続く水不足が農作物に打撃を与えていた。そこにふってわいた気温低下で、農家はまさに泣きっ面に蜂の不運に見舞われたのだった。

それはいわゆる異常気象だった。今年は割と普通に季節が動いていて、僕の周りの農家は笑顔でいる。

それは僕の菜園にもてきめんにあらわれていて、サラダ菜などが順調に発育。3日ほど前からおいしい野菜を食べ始めている。

4月から6月の間の北イタリアの季節変化は予測ができない。したがってこの先悪天候が襲って農作物や僕の小さな菜園を破壊するかもしれない。

その兆候は今年はすでに地中海のサルデニア島で起きた。数日前から島は悪天候に見舞われて洪水や暴風に苦しんでいる。

それは中部から南部イタリアにも上陸。サルデニア島ほどではないが、やはり風水害を引き起こしている。

悪天候は北イタリアにも及ぶ可能性がある、と気象庁は予測しているが、今日ここまでのところは僕の住む一帯には被害は出ていない。

風は強くなく、雨は慈雨と呼ぶほうが適切な勢いで降るのみである。だがそれらが暴風雨になって牙をむかないとは誰にもいえない。。。


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伊マタレッラ大統領が中立政権樹立構想を発表~大統領って一体なに者?



マタレッラ600pic
マタレッラ大統領


政権合意協議

イタリアのマタレッラ大統領は5月7日、政党間の政権合意協議が決裂したため、中立政権を樹立するか、再選挙を実施するしか方策はないと発表した。

過半数を得る政党が出なかった3月の総選挙を受けて、イタリアでは最大政党の五つ星運動と最大会派内の同盟を軸に、連立政権樹立に向けた協議が続けられてきた。

政権合意協議はマタレッラ大統領が主導した。大統領が言う中立政権とは、全ての政党が支持する挙国一致の実務者(テクノクラート)内閣、ということである。

イタリアでは過去に何度も中立政権が樹立された歴史がある。予算成立や次の選挙法などを成立させるのが主な目的で結成される。

だが「非政治政権」の樹立構想には、決定的な力を持つ五つ星運動と同盟が反発。両党はすぐに再選挙をするべき、と主張している。

全ての党からの幅広い支持がなければ中立政権は存続できない。ましてや今回は五つ星運動と同盟が賛同しなければほぼ不可能である。

どうやら政局は再びの解散総選挙に傾きつつあるようだ。だがまだ予断は許されない。

政権樹立に強い意欲を持つ五つ星運動と同盟の間で、どんでんがえしのストーリーが用意されている可能性は消えない。

イタリア大統領ってなに者?

さて、政権合意協議を主導してきたイタリアの大統領とはいったい何者なのか、ここで簡単におさらいをしておこうと思う。

イタリア大統領は、上下両院議員の投票によって選出され、議会を解散し、組閣要請を出し、総選挙を実施する権限を持つ。しかし、普段は象徴的な存在であり権限もそれに似て実権はほとんどない。

議会は任期が満了したり政治情勢が熟すれば解散されなければならないし、議会が解散されれば次は総選挙が実施される。総選挙で過半数を制する政党が出ればそれが新政権を担う。

大統領はいわばそれらの事後確認をすれば良い。しかし、いったん政治混乱が起きると、大統領の権限はたちまち強くなって存在感を増す。

そしてイタリアは政治不安がひんぱんに起こる国である。結果的に大統領は
「ほぼ常に」重要な意味合いを持つ地位、というこ とになる。 

2018年の今回の総選挙後の在りようがその例である。大統領は今まさに彼がやっているように政権合意を目指して政党間の調整役となったり、首班を指名して組閣要請を出したりする。

政権合意に至らず収拾がつかなくなった場合には、各政党から幅広く支持を集め、臨時に中立の政権を誕生させることもできる。いわゆる挙国一致型のテクノクラート(実務者)内閣である。

イタリア財務危機のまっただ中でベルルスコーニ政権が崩壊した2011年、イタリアは「いつものように」政治危機に陥った。それを受けて誕生したマリオ・モンティ内閣は、まさのその典型である。



ディマイオの老獪~政治家の資質は31歳も81歳も同じ


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五つ星運動の若き指導者ルイジ・ディマイオ氏


政府が存在しない状態が3ヶ月目に入ったイタリアで、単独政党トップの支持率を得て政権合意協議を主導している五つ星運動のディマイオ首相候補が、選挙後はじめて連立政権の首相は自分ではなくてもいい、と発言して注目されている。彼はこれまでどの政党と連立を組んでも「首相はディマイオ自身」というスタンスを崩さなかった。

ところが今週、三度目でおそらく最後の政権合意協議が行われる直前に、同盟がベルルスコーニ元首相と手を切って連立に参加するなら、同党のサルヴィーニ党首が首相になってもよい、と譲歩したのである。同盟のサルヴィーニ党首の「首相願望」をくすぐるしたたかな提案に見える。

31歳の若さで現在イタリア最大の政党を率いているディマイオ氏には、やはり「老獪」というコンセプトを孕んだ政治指導者として大きな素質があるのではないか、思わせる動きである。

ディマイオ氏の呼びかけは、ここまで団結を維持してきた中道右派連合内に強い不協和音をもたらすかもしれない。すなわち首相職も政権もほしい同盟のサルヴィーニ党首が、五つ星運動の要求を受け入れてベルルスコーニ元首相と決別し、五つ星運動との連立政権樹立を決意することである。

連立政権を作ろう、と同盟に秋波を送りつづけた五つ星運動は、一貫してベルルスコーニ元首相との提携をやめろ、と同盟に要請してきた。イタリアの政治の浄化が最大の目標である五つ星運動は、過去20年以上にわたって政界に君臨してきた81歳の元首相を「政治腐敗の象徴」とみなして、その排斥を執拗に主張している。

一方同盟は、政権参加とサルヴィーニ党首の首相就任を希望しながらも、連合仲間の元首相を裏切らないと言い続けてきた。連合の支持がなくては同盟の立場がひどくもろいものになるからだ。それでなければ同盟はやすやすとベルルスコーニ氏と手を切っていただろう。彼らの結びつきはあくまでも政治的なものであり、そこにはたとえば人と人の結びつきに見られる誠実というコンセプトなど存在しない、と見るべきだ。

ここまでの政権合意協議はことごとく失敗してきた。首班指名権を持つマタレッラ大統領は、政党間で政権合意が形成されない以上、たとえば政治家ではない誰かを首相に指名して、挙国一致型の実務者内閣を組織させる意向とされる。その場合には幅広い政党からの支持が必要になる。それでなければ新政権は議会によってあっけなく崩壊させられるだろう。

特に五つ星運動と同盟の支持が不可欠になる。しかし、両党とも非政治家政権の樹立には強く反対しているため実現は難しい。ほとんど不可能といっても過言ではない。そうなれば次の手は再選挙である。だが短い間に2度の総選挙を実施することへの疲労感と、再選挙をしても事態が打開される保証はない、という懐疑が国中に充満している。

土壇場で五つ星運動と同盟が政権合意に達すれば、少なくともイタリア政治の負の遺産とも評されるベルルスコーニ元首相の(真の)排除、という五つ星運動の大きな目的は達成される。その現実と、「ポピュリスト政党と反EUの極右・差別主義政党による連立政権の誕生」のどちらを取るかは難しいところだが、どちらに転ぶにしろ、それはひとえにイタリア国民が選んだものなのである。民主主義の危うさと怖さがここに秘められている、と強く感じる。


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