カダフィ大佐と共に逃亡、あるいは彼をかくまっていると考えられる「砂漠の青い民」は、独自の国家は持たずにリビア、アルジェリア、ニジェール、マリ、ブルキナファソなどの国々に居住しているのだが、もともと国境という観念が薄い人々だと考えられている。→<熱砂の大海原に消えた猛獣

 
言うまでもなく彼らは、各国の国民としてそこに定住し、仕事をし、普通に生きてもいる。また遊牧や交易を生活の糧としている人々も、貧しい中にも古代とは違う現代風の生活をしていたりしている。

 

同時にまた彼らの多くは、前述のアフリカ5ヶ国にまたがる広大な砂漠地帯を拠点にして、自由に動き回っているとも考えられているのである。

 

また定住をしている人々でさえ、各国の国境線を越えて自在に活動することを当然と捉えるのが普通だという。

 

国境線は彼らにとっては、きっと砂上の風紋や砂に引かれた線のようなものなのだろう。

 

それらの風紋や線は、砂漠にひんぱんに起こる砂嵐によって、いとも簡単に消され、移動し、変化しつづける。

 

つまり、あって無いようなものが「砂漠の青い民」にとっての国境線なのである。

 

国境という概念を持たない、あるいは国境などに縛られない「砂漠の青い民」とは、なんと古代的な、そしてなんとロマンに満ちた民族なのだろう・・・

 

一方で、あえて彼らをスカウトして召抱えたカダフィ大佐も、極めて古代人的なメンタリティーを持つ男のように僕には感じられる。

 

大佐は遊牧民のテントを愛し、国境線の存在を無視して、広大な汎アフリカ主義国家の盟主を目指した可能性さえある。

 

まるで古代ローマ帝国を思わせるような雄大な夢だが、それは古代国家に範を見出さなければならないところからも分かる如く、時代に逆行した、やはり古代的な発想というべきものではないか。

 

そういう古代的な精神を持つカダフィ大佐が、古代的な自由人「砂漠の青い民」に目をつけたのは、あるいは当然といえば当然のことなのかもしれない。

 

大佐は彼らのうちの特に屈強で闘争心に溢れた男たちを呼び集めて訓練し、重用し、長い時間をかけて兵士らと絆を深めていった。

 

そして政権崩壊の混乱が訪れたとき、「砂漠の青い民」と共に彼らの聖地である砂漠地帯へと逃れていった。砂漠の精神は大佐自身の血の中にも流れている。主従がそこに向かったのは当然の帰結だった・・・ジャンジャン・・

 

というのは、もちろん僕の遊びまじりの勝手な妄想である。

 

大佐が大罪を犯し、状況を見誤り、それでも自らの力を過信して政権に固執した結果、追い詰められて砂漠に落ち延びていった、というのが一番真実に近いシナリオだろう。

 

でも、それだけではつまらないから、僕はちょっと大佐を買いかぶってみたり、ミステリアスな「砂漠の青い民」の男たちに思いを馳(は)せたりしながら、あれこれ物語を組み立ててみたりもする。

 

それなのに往生際の悪いカダフィ大佐は、一昨日、僕の妄想をぶち壊すようにシリアの衛星テレビ局を通して「リビア人よ立ち上がれ!立って100万人の行進を行え!」と咆哮した。顔の見えない猛獣の雄叫(たけ)び。負け犬の遠吠え・・

一方で大佐の出身地のシルトでは、立てこもるカダフィ派に反カダフィ派が総攻撃をかけるなど、リビア各地での激しい戦闘は続いている。

 

大佐は逃げ切れるものではなく、やはり本当の終わりが近づいている、というのが現実なのだろう・・