先ごろミラノ万博会場を訪れた安倍首相夫人の昭恵さんは、公式の挨拶の場で「これからは1人の人間として言いたいことを言っていく」と宣言して人々を驚かせた。伝統的な日本の宰相夫人としては異例の発言だったからだ。

そのエピソードは、もっとさらに驚くべきことに、イタリアきってのクオリティーペーパー「CORRIERE DELLA SERA」の一面に大きな写真入りで掲載された。

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その内容や掲載の意味については次に書くことにして、ここでは使われた写真について少し言及しておきたい。

お辞儀をしている写真を不適切と考える人もいるかもしれないが、僕にはこの絵は日本に好意的な図柄にしか見えない。というのもイタリア人は、深々と一礼する日本文化に親和的な印象を抱いている、というのが僕の持論だからである。

イタリア人は近代的な握手の習慣を獲得して以来、辞儀などの厳格な所作の風儀を失ったが、古代ローマ帝国の典儀の記憶やカトリック教会の礼式の影響などもあり、日本人の古代的な風俗をそれほど奇異なものとは感じていない。

米つきバッタのようにぺこぺこと小刻みに頭を下げる姿は軽蔑されるが、深々と頭を下げる日本人の習慣は最近、日本文化が急速に世界に知れ渡っていく過程で徐々に認識され、異質ながら比興な慣行として注視されるようになった。

そうした風潮の中でもイタリア人は特に、日本人が深く一礼をする姿を好意的に見ている、と僕は感じるのである。それは同じ西洋文化圏のうちの、イギリスやアメリカに実際に暮らした経験からの、僕の「感じ」である。

お辞儀は恐らく、前述のローマ帝国やキリスト教などにまつわる「古代のDNA」を持つ彼らの琴線に触れるのだと思う。お辞儀に対する彼らの反応は前述のイギリスやアメリカの人々のそれとは明らかに違うのだ。

最近はそれに加えて、イタリアの名門サッカークラブに所属する長友佑都選手が、ゴールを決めたり好プレーの後で、チームメートに「皆んなのおかげです。ありがとう」と深く一礼するパフォーマンスが注目を集めて、お辞儀はイタリアでさらに有名になった。

長友お辞儀記事選手長友ザネッティお辞儀、見守る






実は僕もずっと以前から、友人知己に向けて深く一礼するパフォーマンスを続けてきた。イタリアでは握手をしたり、男女が頬と頬を合わせる(男同士でも)などの形で親しみを表すが、「日本ではこうします」と言いながら深く一礼するのだ。それはいつも笑いを誘って受けた。

長友選手によって多くのお辞儀ファンができたのは、喜ばしい限りである。でもお辞儀パフォーマンスは、長友選手よりずっと長くイタリアに住んでいる、彼よりもよほど年上の、チョーおやじのこの僕が先に始めたのだぞ。

そういう流れの中で昨年、不祥事発覚で辞任した小渕優子経済産業大臣の「深々とコーベを垂れる」絵が、またまた「CORRIERE DELLA SERA」の一面を飾った。不祥事で謝罪する図なのだが、イタリア人はやはりその不思議な古代的光景に魅せられているのだと思う

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だから「CORRIERE DELLA SERA」紙は、はるか遠い極東の日本国の一大臣が、不祥事を犯して謝罪する際の、彼らにとっては驚嘆すべき「深いお辞儀」の絵をわざわざ一面トップに掲載したのだ。断じて不祥事そのものを重視したのではない。だってその手の不祥事なんてイタリアでは日常茶飯に起こっていることだもの。

そんなどうでもいい事件(少なくともイタリア随一の新聞の一面に大きな写真付きで掲載されるほどのニュースバリーがあるとは思えない)を深刻に受け止めて、深々とコーベを垂れて謝る日本人はやっぱり、チョーすごい。すばらしい。美しい。云々という人々の思いが表れたのが、このイタリアきっての新聞の一面トップの盛大な絵柄なのである。

最後に、安倍首相夫人の昭恵さんがお辞儀をしている相手は、「CORRIERE DELLA SERA」にとっては、昭恵さんが挑もうとしている日本の男尊女卑社会だ、というのが僕の解釈である。

お辞儀をしつつ彼女が、見方によっては含みのある微笑みを浮かべているのは、日本の伝統を尊重しながら且つ未来に向けても飛び立とうとする、一人の女性の象徴的な姿である。

「CORRIERE DELLA SERA」は、日本という古代的メンタリティーを持つ国家の首相夫人が、公の場で挨拶をした際に、普通に日本的にお辞儀をした瞬間を捉えて、これを象徴的に使いつつ日本の問題点と希望とを淡々と描いてみせる、とても興味深い記事をものにしたのである。

そのことについては前述したように次回記事に書こうと思う。