イル・カゼッティーノPC画面絵を撮影


トランプ大統領のアジア歴訪が終わった。主に英語と日本語、時々イタリア語のメディアを追いかけながら、トランプさんの行き当たりばったりに見える外交が、計算づくなのかどうか考え続けたが、よく分からなかった。

トランプ懐疑派の自分としては、「行き当たりばったり」と決めつけたいところだが、北朝鮮との対話を諦めていないらしい点や商売上手な外交を見ていると、結構したたかなのかと思ったりもする。

トランプ大統領に先がけて娘のイヴァンカさんが日本を訪ねたニュースは、ここイタリアでも少しく報道された。僕が知る限りの欧州メディアも同じだった。

同時に僕はNHKほかの日本のテレビや、新聞やインターネット情報も眺めていた。日本でのメディアと国民のミーハーなフィーバー振りに、驚くよりも「またか・・」とうんざりした気分になったりもした。

安倍首相が、女性政策を議論する国際会議にイヴァンカさんと共に出ている絵も日本の報道で見知った。安倍さんの軽さと無教養と臆面の無さに今さらながらため息をついた。

イヴァンカさんは米大統領補佐官である。だから安倍さんが彼女を歓待するのは当たり前だ。女性の活躍と地位向上を目指す国際シンポジウムの場に、イヴァンカさんが顔を出すのも理にかなっている。

だがその会場の、イヴァンカさんが演説をする壇上の脇に座って、彼女を仰ぎ見ている首相は、トランプ大統領に阿諛する延長で、その娘に媚びているのが露骨に見えるようであまりいただけない、と思ってしまった。

トランプ大統領は異様な指導者である。彼が排外主義の強硬派であるからではない。彼が人類の叡智と呼んでも過言ではない「ポリティカルコレクトネス」を否定しているからである。

否定するのみではなく、それに鉄槌を振るう形で弱者やマイノリティーや特定の宗教等々を貶める言動を、公然と且つ声高に表明し続けているからである。

あまつさえ彼は、彼の言動は正直なものであり、正直な分ポリティカルコレクトネスの甘言に秘匿されている偽善を叩き潰している、という趣旨の物言いをさえする。

自らの中の差別思想や排外・ヘイト丸出しの心情をさておいて、「正直な物言いこそ真実」と叫び、他者への憎悪を披瀝して止まない者こそ偽善者である。

トランプさんを筆頭にするそれらの世界の排外・差別・へイト主義者らは、一歩間違えば世界をナチズムとファシズムと軍国主義が席巻した、過去の地獄に回帰させる危険さえ秘めている。

ポリティカルコレクトネスは、憎しみや偏見を即座に無くする魔法の杖では断じてない。それは憎しみや偏見や、そこから来る不寛容の精神を矯正する「きっかけ」になり得る、人類の知恵に過ぎないのだ。

従って、ポリティカルコレクトネスを神がかり的に押し売りする「ポリコレ棒」保持者もまた間違っている。何事も極端になれば他者を排撃する「~狂」の様相を帯び始める。それはトランプ主義者にも通底するコンセプトだ。

トランプ大統領の娘であり、大統領補佐官であり、実は「トランプ主義に懐疑的」であるらしいイヴァンカさんは、トランプ米政権の希望である可能性を秘めている。

従って彼女にアプローチをして、トランプ政権に揺さぶりをかけるのは益のあることだ。トランプ主義を憎み、トランプ大統領個人とも疎遠な独メルケル首相でさえ、今年4月の女性20サミットではイヴァンカさんを招待して議論を戦わせている。

安倍首相はトランプさんが大統領選に勝利したとき、世界の首脳に先駆けてトランプタワーに乗り込んで、彼を祝福し友好親善を推し進めた。

それは日本のトップとしては理解できる行為だ。なぜなら安倍さんはトランプさんが「何者であれ」米国大統領に当選したのだから、「日本の国益のために」彼に挨拶をしておこうとして動いたからだ。

世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍さんの行為は世界を驚かせた。そこには安倍さんならではの無恥と無知が如実に現れていた。

厚顔と無教養を、「政治的育ちの良さ」で無意識にオブラートに包んで、見えなくしてしまうのが安倍晋三さんの怖いところである。危険な彼の言動が危険ではないように映るのがその典型だ。

しかし、安倍さんは特定秘密保護法や安保法制に続いて、森友・加計問題でも横暴な国会運営をした。それは彼特有の無恥と無教養に基づく思い上がりの所産だったと言えなくもない。

そこに至って、彼を支持まではしないが批判もまたしない多くの「羊的国民」の声なき声も、さすがに安倍政権の尊大にいら立ちを感じ始めた。まさにその時、首相は突然衆院を解散した。

直後に小池百合子都知事の「希望の党“竜巻”」が発生して、明らかに政局を読み違えた安倍さんも今回ばかりはついに失脚かと見えた。途端に小池都知事が自爆「排除」発言。

安倍さんへの逆風がふいに順風に変わった「悪運の強さ」が、安倍さんの持って生まれた「運の強さ」である。あるいは「悪運の強さ」と並存する政治力の巧みさ、が彼の強運である。

彼がほんの少しの羞恥心と理想主義、また世界を動かす指導者に共通する教養を身につければ、あるいは日本の将来を希望に満ちた方向に進めることができるのかもしれない。

しかしイヴァンカさんを追いかけて訪日したトランプさんを、娘同様に持ち上げ追従するだけだった彼の動きには、残念ながらその兆候は見えなかったように思う。

日米の首脳は、北朝鮮問題を強い圧力で解決する、と十年一日のごとき陳腐な文言で語り確認しあった。が、例によって圧力が戦争を誘発するかもしれない「危険」には触れない無責任さだった。

その一方で安倍首相は、いつものように目先の利益追求に走るトランプさんが、アメリカの武器を買って貿易不均衡を解消しろ、と迫る商売外交にも唯々諾々と従った。

安倍さんのそうした「批判精神なき言動」は正視するにしのびないものであり、首相の意図するところは決して悪ばかりではないのに、僕はやはりどうしても彼の政権と政策には賛成できずにいるのである。