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安倍首相の不安

安倍晋三首相は、内政では森友学園問題や自衛隊日報問題等で重大な政治責任を負っていると思うが、外交でも北朝鮮をめぐる命題で大きな失政を犯しているように見える。特にトランプ大統領と対等の付き合いをしているつもりで、実は見下されているだけ、との批判も成り立つ阿諛外交は、日本国と国民を危険に陥れかねない危ういものだ。

トランプ大統領が2018年3月8日、 金正恩・朝鮮労働党委員長との会談に応じると発表したことを受けて一部の欧米メディアは、日本の安倍首相がトランプ大統領から彼に事前に相談がなかったことに失望しうろたえている、という趣旨の分析をした。それは安倍首相の本質を鋭く見抜いたものだ。日本のメディアもそのことに気づいて論陣を張るものと思ったが、ほとんど何も出てこない。そこで僕は関連して自分の意見を述べておくことにした。

安倍首相はトランプ大統領の対北朝鮮政策、つまり徹底した経済制裁と政治的軍事的な圧力、また侮辱と脅しがパックになった、いわば「北朝鮮のポリシーと瓜二つじゃん」政策に追随してきた。ところがトランプ大統領が何の予告もなしに豹変・方向転換して、安倍首相は見事に裏切られハシゴをはずされて不安のただ中にいる、と僕も思う。

おべんちゃら列伝

トランプ大統領の腰巾着そのものに見える悲しい安倍外交は、2016年11月、トランプ氏が大統領選挙に勝った直後、安倍首相がそそくさとニューヨークのトランプタワーに駆けつけたときに始まる。安倍首相はその後、訪日した娘のイヴァンカ女史を下にも置かないもてなしぶりで盛り上げ、次のトランプ大統領自身の訪日時には、彼の「大太鼓持ち」としてちょこまかと走り回った。

同じ時期には白人至上主義者の正体を隠そうともしない元首席戦略官のスティーブン・バノン氏を、安倍首相支持者とかかわりがあるともされる団体が日本に招聘してこれを持ち上げ、持ち上げられたバノン氏がさらにトランプ大統領を持ち上げる、という差別主義者らの浅ましい一大イベントも挙行された。

一連のお追従イベントの全ての期間中、トランプ大統領は合いも変わらずに北朝鮮への圧力強化と脅しと揶揄と侮蔑の入り混じった言動に固執し、安倍首相はトランプ大統領に歩調を合わせて、ナントカの一つ覚えのように「政治・経済・軍事的な圧力あるのみ」と言いつづけ、それが破綻したときの戦争のリスクなどにはほとんど言及しなかった。

属国主義という国難

安倍首相のやることの全てが悪いのではない。自尊心のかけらもないような諂笑が見苦しいのだ。世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、トランプタワーにはせ参じて「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍首相の行為には、無恥と無知が重なった軽さがあった。安倍首相のそうした「批判精神なき言動」は正視するにしのびないものだ。

彼の言動を監視している世界の多くの人々が、トランプ大統領との個人的友誼に名を借りた、だがその実態はアメリカの臣僕然とした、安倍首相の姿勢をひそかに見下している。それは日本国が、そしてなによりも日本人が見下されるということだ。近年、世界中で培われてきた日本への賞賛は安倍首相によってひどく傷つけられ続けている。

卑屈な態度を示すのに「靴を舐める」という表現があるが、ここイタリアには同じ意味を表す場合のもっと厳しい言葉がある。すなわち「Leccaculoレッカ・クーロ(ケツなめ)」である。安倍首相は、イタリア語でいう「Leccaculo(ケツなめ)」外交で、トランプ大統領に徹底的にかしづく「属国外交」施策を連発してきている。

友達ごっこ

彼はまだ大統領に就任してもいないトランプ氏にいち早く拝謁して、友情を育んだと信じた。だがそこには、世界の多くの指導者、特に欧州各国首脳に嫌われているトランプ氏が、飼い犬よろしく駆け寄ってきた安倍首相の動きを喜び頭をなでてやった、程度の関係性しかなかった。

したたかなトランプ大統領はその後、内心の優越意識を表に出さないようにうまくコントロールしながら、一貫して日本のナショナリスト宰相との友達芝居を演じ続けた。

手を取り合って北朝鮮への厳しい姿勢を貫き通す、という岩のように堅い意思と合意で結ばれていたはずの「トランプ・安倍 “親友”協定」は、トランプ大統領が安倍首相には何の相談もなく手のひらを返し北朝鮮に歩み寄ったことで、単なる幻想 に過ぎなかったと露呈した。

トランプ大統領と安倍首相の友情は画餅にすぎない、ともっと明確に示している出来事がある。米国が3月初頭に「鉄鋼とアルミニウムにそれぞれ25%と10%の関税をかける」と発表し、同月22日にEU加盟国やオーストラリアなど6カ国を除外する方針を明らかにしたことだ。

日本は対象からはずしてくれるように懸命に働きかけたが、最大の懲罰対象国である中国と共に関税を課されることになった。トランプ大統領の親友の「シンゾー・アベの日本」は、EU各国やカナダやオーストラリアなどと等しいアメリカの同盟国とはみなされなかったのである。

習近平にも負けた

トランプ御大にコケにされても沈黙する安倍首相とは裏腹に、中国の習近平国家主席は猛反発。即座にアメリカからの輸入品に関税をかける報復措置を発表した。トランプ政権が対抗してさらなる課税目標を明らかにすると、ひるまずにこれにも対抗措置をぶつけて世界を驚かせた。

中国の胆力(ガッツ)に明らかにたじろいだトランプ大統領は、「貿易摩擦で何が起ころうと私と習近平主席の友情が揺らぐことはありえない」と表明せざるを得なかったほどだ。

友情とは対等の人間関係に基づく信頼と親しみと絆のことだ。それは国家間にもあてはまる。日米間になそんな友情は存在しない。ご主人様のアメリカに日本が従僕のごとくひざまずくことからくる、見せ掛けの友宜があるのみだ。

そのフェイク親善は安倍首相によってさらに卑屈度が大きくなり、惨めになり、醜悪になった。

言いにくいことでも言うべきところは言うのが真の友人だ。それは欧州などの首脳が、米国を最大の同盟国と認めながらも、トランプ大統領に堂々と物申す姿勢と同じこと。安倍首相には一党独裁国家の首魁に過ぎない習近平国家主席ほどの気概も見識もないようだ。

中国に資する日本右翼

北朝鮮をめぐる米朝、韓朝、中朝、中韓などの「蜜月」が急速に進む東アジアで、日本は完全に孤立している。近隣諸国との友誼には目もくれずに終始米国に擦り寄って、(理論的には武力行使も辞さない)圧力あるのみ、と叫び続けた安倍首相の責任は重大だといわざるを得ない。

そんな中で中国が日本に接近する姿勢を見せ始めているのは歓迎するべきことだ。だがそれとて手放しで喜べるものではない。なぜなら中国の動向は日本を信用してのものではない。トランプ政権へのけん制の意味で北朝鮮との関係を修復したのと同じく、「対米対抗策」としての中国によるアプローチだからである。

北朝鮮危機に直面する日本には周囲に真の友がいない。それどころか近隣諸国に疎まれてしまう状況は、安倍首相と周辺が、戦争責任さえ認めようとしない歴史修正主義者の政治家や知識人、また彼らに同調する排外差別主義者らの跋扈を許し、中韓朝への配慮を欠く政策を改めない現実がもたらしている危機だ。

そうした状況に対する分析や批判や警鐘や提言が、日本の大手メディアではほとんど見られない。目に付くのは「北朝鮮を信用するトランプ大統領は危うい」というニュアンスの主張だ。そこには「対話でなく圧力をかけ続けるべき」という権力者らの焦りの混じった空気に追従する、ネトウヨ排外差別主義者らの思いだけが透けて見える。

北朝鮮の意図

アメリカとの対話を呼びかけた北朝鮮は、経済制裁を解かせようとして「いつもの」欺瞞作戦を展開している可能性は消えない。核ミサイル技術の完成までの時間稼ぎの可能性もある。あるいは、周知のように非核化を「朝鮮半島の非核化」と規定して核を保有する米軍の撤退、を主張したいのかもしれない。

それどころか、米本土まで届くICBMの開発を破棄する代わりに、一部の核兵器つまり日本などが射程距離に入る中(短)距離核ミサイルの保有を認めろ、と迫るかもしれない。アメリカ第一主義者で自己中のトランプ大統領は、アメリカさえ安全なら日本のことなど意に介せずに要求を受け入れる可能性も大だ。

だが、もしかすると、北朝鮮は本気で核ミサイル開発計画を破棄(凍結ではなく)する意思があるのかもしれない。その場合は北朝鮮は、見返りにさまざま無理難題や要請を談じ込んでくるだろうが、北朝鮮の非核化が真に実現するなら、いかなる見返りも安いものだろう。

何十年にもわたって進展がなかった北朝鮮問題が、大きく転換する可能性があるのだから、トランプ大統領の試みはトライする十分な価値がある。もしも行き詰まって話し合いが決裂しても、それは「だめもと」の試行が文字通り“もとのダメ”に戻るだけだ。

交渉が失敗すれば、米朝の対立緊張が一気に強まって武力衝突の危険が高まる、という指摘もある。だが、武力衝突の危険は常にあった。トランプ政権になってからは余計にその可能性は高まった。その高まった危険の度合いが、さらに急激に拡大する可能性は否定できない。それでも「だめもと」でトライするべきだと思う。

対話も追及するべき

安倍首相は、武力行使を認めるニュアンスが濃い「強い圧力の継続」という引きこもりの暴力愛好家的な咆哮をやめて、ここはトランプ大統領の北朝鮮との対話の姿勢を支持するべきである。

一方で安倍首相は、中韓と北朝鮮またロシアなどとの対話を独自に模索するべきだ。そしてそこで影響力を行使するためには、トランプ大統領の「ケツなめ」に終始する態度を改めて、米国と対等になるための自立と自主性と誇りと教養を培う努力も怠るべきではない。