600Gigante寿司コーナー
田舎のスーパー内の中国人経営寿司コーナー


史上初の米朝首脳会談が明日に迫って、イタリアも世界も騒がしい。くわせもの同士のトランプさんと金委員長の腹のうちがどうであれ、対話をすることはすばらしいことだ。

たとえそれが対話のための対話であっても、いがみ合いののしり合い、ついには武力行使に至る可能性を秘めた緊張対立よりはずっと良策だ。対話は暴力への抑止力なのだから。

対話がすぐに問題解決をもたらさなくても、それは十分に問題解決への「きっかけ」になり得る。敵愾心をむき出しにして、ひたすら「圧力を」と叫ぶだけのどこかの国の宰相の無知無策よりはましだ。

ここイタリアでは、アジアパワーの象徴としては、北朝鮮よりも中国と日本が圧倒的な存在感を示しつづけている。その一つが食に関する中国人の動き。

最近イタリアでは、中国人が日本食レストランを次々に開いて、寿司や刺身を筆頭に日本食をあたかも「彼らのオリジナル」であるかのごとくに装いイタリア人客に提供している。

僕の住む北イタリアの田舎町においてさえ、中国人がスーパーで寿司コーナーを開いて、日本のビールや酒、食料品などと共に毎日販売している。

彼らは中国を想わせるものは一切展示せず、販売員の装いまで日本風に統一して商売をしている。ほとんどのイタリア人客は彼らを日本人だと思い込んでいるようだ。

そんな現実を目の当たりにすると、日本食や文化の人気が高いのがうれしい反面、釈然としないものも感じる。嘘と卑屈の重奏がちょっと悲しい。

つまり彼らが日本人を装う嘘と同時に、往々にして偉大な中華料理と文化に自信を持てないでいるらしい卑屈。

後者に関しては、田舎町は言うまでもなく、ミラノ市内に星の数ほどあった中華料理店が次々に姿を消している現実が、それを裏付けているように思う。

消えた中華料理店の代わりに、中国人が経営する「日本レストラン」がにょきにょきと所かまわずに姿をあらわしたのである。

再び言う、僕の住むミラノ郊外の田舎町においてさえ、寿司レストランがそこかしこに開店し、開店し続けている。目を見張るばかりの光景なのだ。

回転寿司店もイタリア中を席巻している。正確に述べると、値段が高く傷みやすい魚(寿司)を少なくして、春巻きなどに始まる中華食も共に載せて回転させる、いわば寿司と中華のミックス回転テーブル。

中々の抜け目のなさだが、新鮮さが命の寿司ネタと、長持ちする揚げ物が中心の中華皿が、一緒くたになって流れる回転テーブルの様子はあまりぞっとしない。

それらは日本食ブーム、日本レストランの流行、という時代の流れであり要請である。したがっていつまでもその現象が続くことはないだろう。終わりのない流行はない。

そうはいうものの、日本食とイタリア食の次くらいに中華料理が好きな僕は、事態が早く「普通」に戻って、安くておいしい中華料理を見、食べたい気がしないでもないのである。


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