アラゴンの塔:Torre spiaggia-pelosa-stintino600pic


6月の終わりから休暇でサルデーニャ島に来ている。島を訪れるのはほぼ20年ぶりのこと。空路ではなく車ともども船で島に着いた。

日本ほど島が多くはないイタリアには、意外なことに地中海で面積が1番大きいシチリア島と2番目に大きなここサルデーニャ島がある。

僕はロンドンでの学生時代からシチリア島は何度も訪れている。イタリアに居を定めてからは、仕事でもプライベートでもさらにひんぱんにシチリア島に行った。

ところがサルデーニャ島は今回が2度目。しかも20年以上も時間が経っての再訪である。島の羊飼いを追いかけるドキュメンタリーを制作しようと思いついて、いろいろ調べた時期もあるが、多忙に呑み込まれて立ち消えになってしまった。

サルデーニャ島は日本の四国よりも面積が大きいが、人口はその半分にも満たないおよそ165万人程度である。内陸部は特に人口密度が低い。

僕は辺鄙な離島で生まれ育ったせいか、もともと島という場所に特別の愛着を抱く傾向がある。島と聞けばすぐに興味を持ち訪ねてみたくなる。サルデーニャ島も例外ではない。

その上サルデーニャ島はイタリアの島のうちでは、面積もさることながら多くの意味でシチリア島と並ぶ重要な島なのである。これまでに一度しか訪問していないのが自分でも不思議なくらいだ。

サルデーニャ島は何よりも自然の景観が目覚ましい島。イタリアの自然はどこも美しい。だがサルデーニャ島のそれは格別だ。なぜならこの島には、イタリアでも1、2を争うほどの豊かで手付かずの大自然がどんと居座っているからである。

島の北部の港町に午前6時に着いて、ホテルにチェックインするまでの長い時間と翌日の全てをかけて、島の半分ほどを一気に車で巡った。それだけで20年前に経験した島のワイルドな自然を再確認することができた。

緑一色がえんえんと続く集落も人影も見当たらない島の内陸部を旅すると、DHローレンスがいみじくも指摘したように、まるで限界ある島ではなく大陸の雄大の中を走っているような印象さえ受ける。

サルデーニャ島は、地中海の十字路とも形容されて古くから開発が進んだシチリア島やイタリア本土の大半とは違い、近代化の流れから少し取り残される形で歴史を刻んできた。

手付かずの大自然が多く残っているのはそのことと無関係ではない。近代化とは開発の異称であり、開発は往々にして自然破壊と同義語だ。

近代化の遅れを工業化の遅滞、あるいは産業化の延滞などと言い換えてみれば、サルデーニャ島の置かれた状況は、イタリア本土の南部地域やシチリア島などにもあてはまる現象であることが分かる。

イタリア共和国を語る時によく引き合いに出される「南北の経済格差」問題とは、サルデーニャ島とシチリア島を含む南イタリア各州の経済不振そのもののことにほかならない。

サルデーニャ島の近・現代は、そのようにイタリアの南部問題のなかに包括して語られるべきものだが、同島の場合にはそれだけでは語りつくせない「遅れ」のようなものがあると僕は思う。

つまり、先史時代からサルデーニャ島が刻んできた特殊な歴史が、同島の近代化の遅れを語る前に既に、島の「後進性」の源を形成してきたということである。

サルデーニャ島には紀元前16世紀頃から謎に満ちたヌラーゲ人が住み着き、紀元前8世紀頃にはフェニキア人が沿岸部に侵攻して次々に都市を建設。やがてカルタゴ人が征服する。次にローマ帝国の支配を受けその後アラブ・イスラム教徒に支配される。

海の民とも呼ばれるフェニキア人は今のレバノン近辺、またカルタゴ人は今のチュニジア周辺に生を受けた人々である。つまり彼らはアラブ人だ。彼らのほとんどは後にイスラム教徒になる。

アラブ・イスラム教徒の支配は、9世紀にはシチリア島にも及んだ。だがサルデーニャ島の場合はそのはるか以前からアラブ系の人々の侵入侵略、また占領が間断なく続いた。

またシチリア島が、古代ギリシャの植民地となって発展した時代もサルデーニャ島は経験してない。そうした歴史が、サルデーニャ島を立ち位置のよく似たシチリア島とは異質なものにした、と言うこともできるようである。

さらに言えばサルデーニャ島は、再びシチリア島やマルタ島、またロードス島とクレタ島に代表されるギリシャの島々などとは違って、十字軍の進路の版図内にはなかった。そのために十字軍とともに拡散した「欧州の息吹」がもたらされることもなかった。

そればかりではない。サルデーニャ島は極めて開明的だったベニス共和国が、アドリア海に始まる東地中海を支配して、自らの文化文明を地域に浸透させ発展させた恩恵にも浴することがなかった。

そのようにサルデーニャ島は、欧州文明のゆりかごとも規定される地中海のただ中に位置しながら、一貫していわば「地中海域の普遍的な発展」から取り残された島であり続けた。それがサルデーニャ島の後進性の正体ではないか。

シチリア島が輝かしい文化の島なら、サルデーニャ島は素朴で庶民的な文化に満ちた場所である。ここにはシチリア島に見られる絢爛な歴史的建築物や芸術作品はあまり多くは存在しない。しかし豊穣雄大な自然と、素朴な人情や民芸などの「癒しの文化」がふんだんに息づいているのである。

今回の休暇も海を満喫する計画で、ビーチに隣接するキャンプ場の中に小さな一軒家を確保した。小なりといえどもベッドやトイレやシャワーやダイニングキッチンが完備した快適な空間。ホテルが経営するレジデンスとほぼ同じ感覚の施設である。

ところが既に10日間が経過したものの、ビーチにはほとんど出向かず島の北部の町や村を車で連日訪ね回っている。各地の癒しの文化を見聞しまた食を味わうのが目的である。海とビーチは昨年ギリシャで堪能したこともあり、後回しになってもあまり胸が痛まない。

滞在施設には一つ大きな問題がある。部屋の中ではインターネットが使えないのである。レストランやカフェなどが集まっている公共の空間でしかWIFIが機能しないのだ。そこでブログ一つの投稿にもわざわざそこまでpcを抱えて行く。

そんなわけで今後の「サルデーニャ島紀行」は島からの報告ではなく、今月半ば以降に帰宅してからあらためて書く、ということになりそうである。もっとも昨年訪れたギリシャの島紀行も自分の中ではまだ書き終えていないから、果たして無事に完成させられるかどうかあまり自信はない。


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