テレビ屋の、こと

“型破り”がイタリア人の型である


妖しい鏡&鐘楼800



日本とイタリアのテレビスタッフがいっしょに仕事をすると、かならずと言っていいほど日本の側から驚きの声が湧きあがる。それはひとことで言ってしまうと、日本側の生真面目さとイタリア側の大らかさがぶつかって生じるものである。

お互いに初めて仕事をする者どうしだからこの場合には両者が驚くはずなのに、びっくりしているのは日本人だけ。生真面目すぎるからだ。それは偏狭という迷い道に踏み込みかねない。同時に何事も軽く流すイタリア人の大らかさも、いい加減の一言で済まされることが良くある。

こういうことがあった。

「どうしてフォーマットをつくらないのかねぇ・・・。こんな簡単なこともできないなんて、イタリア人はやっぱり本当にバカなのかなぁ・・・」
その道35年のテレビの大ベテランアナウンサー西尾さんが、いらいらする気持ちをおさえてつぶやくように言った。

西尾さんを含むぼくら7人のテレビの日本人クルーはその時、イタリアのプロサッカーの試合の模様を衛星生放送で日本に中継するために、ミラノの「サン・シーロ」スタジアムにいた。

ぼくらが中継しようとしていたのはインテルとミランの試合である。この2チームは、当時“世界最強のプロサッカーリーグ“と折り紙がつけられていたイタリア「セリエA」の中でも、実力人気ともにトップを争っている強力軍団。ただでも好カードであるのに加えて、その日の試合は20チームがしのぎを削る「セリエA」の選手権の行方を、9割方決めてしまうと言われる大一番だった。

スタジアムに詰めかけたファンは約8万5千人。定員をはるかにオーバーしているにもかかわらず、外には入場できないことを承知でまだまだ多数のサポーターが集まってきていた。

球場内では試合前だというのに轟音のような大歓声がしばしば湧きあがって、巨大スタジアムの上の冬空を揺り動かし、氷点下の気温が観衆の熱気でじりじりと上昇していくのでもあるかのような、異様な興奮があたりにみなぎっていた。

こういう国際的なスポーツのイベントを日本に生中継する場合には、現地の放送局に一任して映像をつくって(撮って)もらい、それに日本人アナウンサーの実況報告の声を乗せて日本に送るのが普通である。それでなければ、何台ものカメラをはじめとするたくさんの機材やスタッフをこちらが自前で用意することになり、ただでも高い番組制作費がさらに高くなって、テレビ局はいくら金があっても足りない。

その日われわれはイタリアの公共放送局RAIに映像づくりを一任した。つまりRAIが国内向けにつくる番組の映像をそのまま生で受け取って、それに西尾アナウンサーのこれまた生の声をかぶせて衛星中継で日本に送るのである。

言葉を変えれば、アナウンサーの実況報告の声以外はRAIの番組ということになる。ところがそのRAIからは、いつまでたっても番組の正式なフォーマットがわれわれのところに送られてこなかった。西尾さんはそのことに驚き、やがていらいらして前述の発言をしたのである。

フォーマットとはテレビ番組を作るときに必要な構成表のことである。たとえば1時間なら1時間の番組を細かく分けて、タイトルやコマーシャルやその他のさまざまなクレジットを、どこでどれだけの時間画面に流すかを指定した時間割表のようなもの。

正式なフォーマットを送ってくる代わりに、RAIは試合開始直前になって「口頭で」次のようにわれわれに言った。

1)放送開始と同時に「イタリア公共放送局RAI」のシンボルマークとクレジット。
2)番組メインタイトルとサブタイトル。
3)両チームの選手名の紹介。
4)試合の実況。

ほとんど秒刻みに近い細かなフォーマットが、一人ひとりのスタッフに配られる日本方式など夢のまた夢だった。

あたふたするうちに放送開始。なぜかRAIが口頭で伝えた順序で番組はちゃんと進行して、試合開始のホイッスル。2大チームが激突する試合は、黙っていても面白い、というぐらいのすばらしい内容で、2時間弱の放送時間はまたたく間に過ぎてしまった。

西尾さんは、さすがにベテランらしくフォーマットなしでその2時間をしゃべりまくった。しかし、フォーマットという型をドあたまで取りはずされた不安と動揺は隠し切れず、彼のしゃべりはいつもよりも精彩を欠いてしまった。

ところでこの時、西尾さんとまったく同じ条件下で、生き生きとした実に面白い実況報告をやってのけたもう1人のアナウンサーがいる。ほかならぬRAIの実況アナウンサーである。

僕はたまたま彼と顔見知りなので、放送が終わった数日後に当人に会ったとき番組フォーマットの話をした。

彼はいみじくもこう言った。

「詳細なフォーマット?冗談じゃないよ。そんなものに頼って実況放送をするのはバカか素人だ。ぼくはプロのアナウンサーだぜ。プロは一人ひとりが自分のフォーマットを持っているものだ。」

公平に見て彼と西尾さんはまったく同じレベルのプロ中のプロのアナウンサーである。年齢もほぼ似通っている。2人の違いはフォーマット、つまり型にこだわるかどうかの点だけだ。

実はこれは単に2人のテレビのアナウンサーの違いというだけではなく、日本人とイタリア人の違いだと言い切ってもいいと思う。

型が好きな日本人と型破りが型のイタリア人。どちらから見ても一方はバカに見える。この2者が理解し合うのはなかなか難しいことである。

型にこだわり過ぎると型以外のものが見えなくなる。一方、型を踏まえた上で型を打ち破れば、型も型以外のものも見えてくる。ならば型やぶりのイタリア人の方が日本人より器が大きいのかというと、断じてそういうことはない。

なぜならば型を踏まえるどころか、本当は型の存在さえ知らないいい加減なイタリア人は、型にこだわり過ぎる余り偏狭になってしまう日本人の数とおそらく同じ数だけ、この国に生きているに違いないから・・・


学生たちとまた遊び、学ぶよろこび



則しゃべる引き600


6月からの長い夏休みの前に、学生たちがまた僕のビデオ(編集)スタジオを訪れた。今回はいつもより少ない20人あまりの学生と付き添いの教師が2人だった。

昨年9月の日本祭りの際に上映された僕の古いドキュメンタリーを見せ、他の作品をいくつか早送りで紹介した。その上で少し話をして、学生たちとQ&Aの形でディスカッションをした。

アメリカの公共放送PBSで放送された30分の番組はニューヨークで監督賞を受賞した。30年も前の古い番組を昨年蒸し返したのは、受賞を知っていた祭りのスタッフが、ぜひ上映したい、と熱心に言ってくれたからだった。

長い時間が経つとビデオの場合は特に、映像の質をはじめとして何もかもが古くなる。日進月歩どころが「光速の勢い」とでも形容したくなる進度で変わって行くのがビデオの世界だ。

その作品も例にもれない。画質や音声等の技術的要素はいうまでもなく、切り取られている街の様子や世相や環境などなど、時代の色あいの全てが古い。

ところが一点だけ古くないものがある。作品のテーマである。それは日本の伝統や習俗を追いかけながら、1人の女性の生き方を通していわゆるジェンダーギャップに焦点を当てたものだ。

30年前の日本と今の日本では女性の立場に変化がある。しかし、芯にある女性差別や男女格差はあまり変わっていない。統計がそのことを如実に物語っている。

ジュネーブに拠点を置く「世界経済フォーラム(WEF)」が毎年発表する世界の男女格差ランキングでは、日本は144カ国のうち110位以降が定番である。具体的に言えば、2016年が111位。2017年はさらに悪化して114位だった。

数字は日本が先進国の中ではダントツに男女格差が大きく、状況は欧米先進国に近づくどころか、むしろ女性差別が激しいイスラム教国などに近い後進性著しい国であることを語っている。

伝統的な社会規範に挑んで、自立とキャリアを追い求める僕の番組の主人公の物語は、今の日本の社会にあてはめてみても、テーマという意味では少しも古くない。

古いどころかまさしく今日的なテーマだ。そのことを発見した僕は作品の上映を受諾し、30年ぶりにはじめてイタリア語版を作成したのだった。

学生たちに見せたのはその作品。作品中に見える古いコンピュターや公衆電話や駅改札の鋏入れなど、など、SNSどころか携帯電話やメールもなかった時代の映像は古色蒼然としていて、学生たちにはもしろ新鮮だったようだ。

上映が終わったあと、僕は学生たちに番組の制作秘話を披露した。それは主として日本とアメリカの文化土壌の違いにまつわるものだが、伝統社会であるイタリア人にも理解できる話だと思ったので、かいつまんで敢えて話した。その詳細は次のようなものである。

米公共放送PBSが放送した13本シリーズは、番組をシリーズ化するかどうかを決めるパイロット版(最初の1本)がコケた。

それを制作したのは、当時日本でも指折りと言われていたドキュメンタリー監督だった。スタッフを全て日本人で固めたその作品は、米国側の大いなる失笑を買った。

日本人がアメリカ向けの番組を作る、という高揚感に満ちているのは分かるが、意気込みが空回りをするばかりで、作品はきわめて冗漫で叙情的なものだった。

その叙情も詩的な叙情ではなく、彼が日本の美と考える景色や情景を独りよがりに押し付けるだけの、きわめて感傷的なものだった。

それはたとえば一企業の広告宣伝(PR映画)のようなもので、批判精神も客観的な観察も考察もない、まるで素人ビデオのような内容だった。

パイロット版が失敗するのはよくあることである。その場合にはプロデュサー側は、手直しや作り変えを要請するのが普通だ。

ところが米国側はその作品を徹頭徹尾否定して、一切のやり直しを認めなかった。それどころか監督は即座に降板させられた。

その直後に、改めてパイロット版を作らないか、と僕に打診があった。当時僕は監督としていわゆる一本立ちをしていたが、まだ若く経験も少なかった。

そんな若造に重大責任の伴うパイロット版の制作のチャンスが舞い込んだのは、僕がそのころ日本にいながら米国向けの番組を作っていたのが主な理由だと思う。

主として米ケーブルTV用の番組を作っていたが、そのころ誕生したばかりのケーブルTVは、新規のアイデアや手法やコンセプトなどに貪欲に挑戦していた。

おかげで僕のような若造にもチャンスが与えられて、僕は大いに勇んで制作にはげんだ。英国で映画作りを学んだことが役に立って、僕はそれなりの評価を得ていたと思う。

僕はパイロット版とドキュメンタリー・シリーズの監督を引き受けるにあたって2つの条件を出した。

その一つはテープを僕が回したいだけ回すこと、だった。

僕は失敗したパイロット版の中で、インタビューに答える日本人登場人物たちの朴訥さに危機感を持った。彼らの内容のない、言葉数の少ない「しゃべり」は日本人本来の寡黙さが原因である。

寡黙な人々は議論や討論をすることはおろか、自らを表現する能力も低い。それは日本人の一般的な姿だ。だが、寡黙なことが日本の文化の一つだからそれをそのまま見せればよい、というやり方では番組は成立しない。

無口な人々の姿をそのまま見せれば、そこには無内容の空白だけが存在することになる。なによりも欧米人の視聴者は、しゃべらない人々は「ばかだからしゃべらない、あるいはばかだから“しゃべれない”」という判断をする危険がある。無口は欧米では悪なのだ。

そこで僕は、インタビューの形式は取らず、登場人物たちに思いのまままにおしゃべりをしてもらうスタイルを採用することにした。僕がカメラの後ろから質問や話し合いのテーマを投げ入れて彼らがそれについて勝手にしゃべる。

彼らははじめはぎこちない対話をする。だが話すうちに気分が乗れば対話に熱がこもり始める。長く話すほどに彼らはカメラや撮影スタッフの存在も忘れて話し出す。僕はそこを狙って自然な対話を切り取って番組に組み込む手法を取った。

編集で切り捨てる前のビデオの量は膨大になった。「撮影素材が増える」とは「制作費が膨らむ」ことと同義語である。ビデオの本数はもちろん、機材のレンタル時間も増えスタッフの拘束時間も増える。

それは宿泊費や食費の増加につながり、なによりもスタッフのギャラ(人件費)も増大することを意味する。番組予算を管轄するプロデュサーにとっては死活問題なのである。だから僕はあらかじめ、「自分が回したいだけ回す」ことを承諾させたのだ。

2つ目はカメラマンを日本人ではなく米国人にすること、だった。且つ彼はできれば映画出身つまり映画撮影技術が基本にある者、という条件を出した。

そこは問題なくOKが出た。アメリカ人の彼らにとっては米国人のカメラマンのほうが安心だからである。

僕はそれまで東京で、アメリカのケーブルTV向けの番組をカメラマンを含むスタッフのほとんどを日本人で固めて制作していた。編集だけはアメリカ人スタッフを使った。日本人編集者では、速い展開の欧米式編集ができないからだった。

スタッフのうち日本人カメラマンは、共同作業の意味を履き違えて監督に意見したり監督の指示に従わなかったりする癖があった。指示に従ってもいちいち文句を垂れたりする。チーム全体で作るから、自分にも口出しの権利があると思っている。

そして何よりも、年功序列を意識していて(あるいは無意識のうちに)、若い監督をなめてかかる傾向がある。30歳そこそこの若い監督だった僕は、最低でも10歳程度は年上だったカメラマンの多くと事あるごとに衝突した。僕は長丁場のロケで彼らとムダな時間を過ごす気にはなれなかった。

また日本人カメラマンの撮影手法はほぼ全ての場合において動きが遅い。それは文化的なものに根ざしているので、カメラを振り回して動きを速くする、という泥縄式の修正では決して穴埋めできないギャップである。全てのカメラの動きには意味があるから、技術論と哲学が合体しなければうまい表現にならないのだ。

米国人カメラマンを使う大きなデメリットもあった。彼らは日本語ができない。従ってカメラを回しながら撮影対象の会話や、会話に基づく動きや状況に臨機応変に対応することができない。事実や現実を切り取ることが命の、ドキュメンタリーのカメラマンの動きとしては致命的ともいえる欠陥である。

僕はそのことを知りつつあえて挑戦した。彼らが日本語を理解できないハンディカップは、ディレクターの僕がぴたりと側について一つ一つ指示することにした。監督の指示に絶対服従が信条の彼らは、自分の意をよく受けて動いてくれることを僕はそれまでの経験で知悉していた。そしてそれは、4本の番組制作の全行程において予想通りだったことが確認された。

最後に僕がなぜ映画撮影の経験のあるカメラマンを要求したのかといえば、ビデオ撮影しか知らないカメラマン、特に欧米人のカメラマンは、テレビ的に、もっと具体的に言えば報道的に、カメラを振り回して速い展開に持ち込むことが得意で、ドキュメンタリーの撮影に必要な、時には動きをゆるめる「間に対応」した撮影が不得手であることが多いからだった。

そうやって史上初の日米合作の大型ドキュメンタリーシリーズの撮影が開始され、13本が予定通りに世に送り出された。そして僕が監督した4本の作品のうち、シリーズの冒頭を飾った「のりこの場合(The Story of Noriko)」は監督賞をもらうという余得まであったのである。



facebook:masanorinakasone














2017年の「NHK紅白」は掛け値なしに面白かった。



ロゴ800切り取り


秀逸なオープニングと総合司会者

まずオープニングがよかった。合成技法を用いたコンセプトは新しいものではないが、レトロなのにシャレた感覚に仕上がっていて楽しめた。

街やスタジオセットにはめ込む絵の撮影のために、出場歌手全員(だと思う)を拘束するのは大変だったろうと思いつつ、でもリハーサルの合間にでも撮影したのかな、とも。

多忙なひとびとの時間を長く借りるのも大仕事、短い時間で一気に仕事を済ませるのも大仕事。どちらにしてもNHK(ディレクター)はプロらしい良い仕事をしたと素直に感じた。

総合司会兼「紅白スーパーバイザー」=NHKゼネラル・エグゼクティブ・プレミアム・マーベラス・ディレクター(笑)三津谷寛治こと内村光良は、もしかすると史上最高の紅白司会者か、というぐらいに輝いていた。

いやみがなく、おごらず、気配りができ、発言に思いやりがあり、お笑い芸人としては当然ながら機転アドリブに長け、従っておもしろく、・・と、どこを切っても才能の高さと人柄のよさがにじみ出ていた。

僕は彼が主導するNHK番組『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』 もけっこう見ているので、設定をスムースに理解しギャグに笑った。もっとも同番組を見ていない人にも受けたかどうかは心もとないが。

「暴力」「差別」「圧力」「忖度」をぶっ飛ばせ

三津谷寛治がらみの最大のギャグは、彼がNHKの敵「暴力」「差別」「圧力」
「忖度(そんたく)」をやっつける場面である。

4大敵のうちの「暴力」と「差別」は普遍的なものだが、「圧力」と「忖度(そんたく)」は普遍的であると同時に、安倍政権がNHKに圧力をかけて忖度を強要したことへの反発とも読めて面白かった。

「忖度だけに読み仮名が振られていた」と内村に言わせたところにも、NHKの怨みがこもっていたようでさらに笑えた。

NHKは今後は、英BBCなどを見習って圧力を押し返し、忖度を拒否する姿勢を強靭に貫いてほしい。籾井さんのような放送とはまるで関係のないネトウヨ系の会長もいなくなったことだし。

ただ、テレビは政府と同じで「国民の民度に適った」レベルでしか存在し得ない。NHKに圧力をかけたり忖度しろと詰め寄る政権は、国民の程度がそういうふうだからそういうふうに存在するのだ。

同時に、NHKが圧力や忖度要請に屈するのも、国民がそれを許しているからだ。NHKあっての国民ではなく、国民あってのNHKなのだ。

そうはいうものの、NHKには国民を啓発する気概も持ってほしい。驕ることなく、「実現不可能な不偏不党の立場」を敢えて追求しつつ、権力批判を遂行するべきなのである。

昨年紅白とのエライ違い

オープニングは昨年のシン・ゴジラ編の、また「紅白スーパーバイザー」三津谷寛治がらみのシーンは昨年の「タモリ&マツコ」の代替企画である。

昨年の2つのエピソードは、目も当てられないぐらいの失策、というのが僕の意見だが、ことしのそれは昨年の「大すべり」を挽回して余りあるものだった。

オープニングは冒頭で述べたように新鮮だった。昨年のシン・ゴジラ企画が、番組中繰り返し挿入されてさらに不興を誘ったのとは違って、そこだけで完結して鮮烈にメリハリ感が出た。

また『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』をふんだんに用いた演出は、昨年『ブラタモリ』 をもじった『マツコとタモリのブラ紅白』が大迷走したのとは違って、大いにハマッていた。

少し欲を言えば、「紅白スーパーバイザー」三津谷寛治が背広をパラシュート代わりにして ヘリから飛び降りて、NHKの建物に激突した後、無傷で立ち上がったのは惜しかった。

ターミネーターを少しパロディっているから無傷、のコンセプトは分かるが、パロディだからこそ例えば立ち上がった彼の顔に鼻血が大きくタラり、などの滑稽感があればもっと良かった。

また、三津谷が三山ひろし、Sexy Zone 、サンシャイン池崎 の3組を彼の執務室に呼び出して説教するシーンは、もっと拡大してほしかった。むちゃくちゃに面白かったのだ。

演出が良いから歌手たちも良く見えた

僕は紅白歌合戦を通してその年に流行った歌やアーティストを知ることが多い。今回も事情は同じだったが、番組全体が楽しいからなのか、既に知っている歌や歌手もことさら清新に見えた。

たとえば郷ひろみ。僕とほぼ同年の還暦超過オヤジの若さに脱帽。アイドルであり続けるために老けない努力を怠らない「プロど根性」に、いまさらながら大拍手を送りたくなった。

たとえば島津亜矢。‘Rose’を原語で熱唱。彼女の歌唱力を疑う者はいないと思うが、演歌歌手が英語で、しかも発音も悪くなく、心にしみる歌声だった。

たとえば高橋真梨子。もう古希近い年齢ながら、年齢が歌魂の障害になるのではないが、でも肉体的に声の衰えは隠せないはずなのに、艶っぽい。ここにも歌手の「プロど根性」を見た。

たとえば水森かおり。歌も良かったけれど「千手観音踊り」は圧巻だった。ダンサーたちのすばらしさは彼女の歌心で引き出されて、それはダンサーによって輝く、という相乗効果また好循環。

例えば丘みどり。新しい演歌歌手の誕生か。たとえば渡辺直美。歌手としてよりもLady Gagaのパロディ熱演のすごさに瞠目。もちろん安室 奈美恵 に桑田佳祐 も。

など、など。。。。。




追記:NHK「国際報道2017」にひそむアナクロニズム 



増井&花澤Ⅱ800pic
「国際報道2017」衛星放送JSTVの画面より


ブログの面白さのひとつは読者の反応が速いことである。また読者とすばやくやり取りできる利点もある。

読者とのやり取りはメールが多い。つまりそこでの読者とは、昔からの友人知人がほとんどである。電話で話すこともある。

最近はFacebookの個人メッセージ欄でやり取りをするケースも生まれた。それは誰もが読む公のコメント欄とは違い、真剣で長い内容になるのがほとんどだ。

ブログ更新はFacebookで自動告知しているが、記事によっては個別の読者にメールで「一読を願いたい」と知らせることもある。

公のコメント欄の指摘も興味深いが、個別にやり取りをする時の批判や指摘や叱責、また極くたまにいただくお褒めの言葉などは、示唆深く励みにもなる。

ブログはもはやオワコン、古い表現形式、という声がある。そうなのかもしれないが、読んでくれる読者がいる限り続けるつもりでいる。

ブログ書きは進歩か退歩か知らず、また写真などのより良い使い方も分からないながら、読者とインタラアクティブな関係でいられることは得がたい喜びと感じる。

閑話休題

この直前の記事“NHK「国際報道2017」にひそむアナクロニズム”に関しても何人かの読者からメールで感想をいただいた。

彼らは記事の告示をしたFacebookの友達ではなく、また今回はメールによる個別の連絡もしていないので、自発的に記事を読んでくれた方々である。

それらの皆さんの了解を得たうえで、いくつかの疑問や反論に応え、また僕の注釈や「言い訳」もはさみつつ追記を書くことにした。

Q.増井渚キャスターを少し褒めすぎていませんか?

A.
そのつもりはありません。「物知りの兄」花澤キャスターに教えを乞う時の、無垢だが頭が空っぽという雰囲気のシーン以外は彼女は、少なくとも普通の、情報通の、ジャーナリストに見えます。それはNHKが出来が良い、と判断したレベルのジャーナリストという意味です。つまり相当に優秀な人材ということです。

NHKが、報道系の看板番組の一つである「国際報道2017」のサブキャスターとして採用した、外部スタッフが無能とは考えにくい。そのことを証明するように増井キャスターの「無垢だが頭が空っぽ」の役回りと、それ以外の役回りの間には大きなギャップがあります。そのことを指摘するために彼女を有能、能力が高いと形容しました。

申し上げるまでもないことですが、私は増井渚キャスターを個人的には知りません。従って彼女がいかなる能力を持つ人物かを知る由もありません。私は番組を見続ける中で、彼女が「仕事のできる」有能な人のようだとの印象を持ったのです。もちろん私の「印象」はあくまでも「印象」に過ぎないのですから、間違っている可能性は十分にあると思います。


Q.女性差別的というなら、当の増井キャスターさんが声を挙げたらどうでしょうか。

A.
フリーランスの彼女は弱い立場です。声を挙げたら職を失う可能性も高いでしょうから、与えられた立ち位置には中々逆らえないのではないでしょうか。私はNHK所属の女性スタッフたち、つまり「NHKの正社員」はどうして女性差別的な設定に声を挙げ(て反対し)ないのか、と記事に書きました。

そこでは番組の出演者の一人でもある岩田明子解説委員や、元ワシントン支局長で昨年の同番組のメインキャスターでもあった田中淳子氏などを念頭においていました。NHKの多くの女性幹部の中でも直接に同番組に関わっている彼女たちが、声を挙げて内容の歪みを指摘すれば、権力者の男性らも無視できないと思うのです。

でも2017年11月30日(木)現在、番組の内容に変化はありませんから、誰も声を挙げていないと推測されます。それはなぜなのでしょう。まさか両氏ほかの女性スタッフが、女性差別的な内容に気づかないはずはないと思うのですが。


Q.「国際報道2017」はNGで、「これでわかった!世界のいま」 はOK、というのはダブルスタンダードではないでしょうか。

A.
番組のコンセプトが違います。「これでわかった!世界のいま」は専門家のNHK記者が、何も知らない女性タレントに教室で講義をし啓蒙する、という形式です。つまり女性タレントは無知な生徒、と端から決められて話が進められます。むしろ彼女はバカ(無知)でなくてはならないのです。また生徒は女性ばかりではなく男性もいます。

一方「国際報道2017」は、メインとサブという違いはあるものの、男性と女性のキャスターは同列の設定です。それでいながら、男性は全知で女性は無知、という立ち位置を取るコーナーがある。それは差別です。もしも作り手がそのことに気づいていないのなら、それは意識した差別よりもさらに性質が悪い。「無自覚の差別」ほど深刻な差別はありません。



拙記事“NHK「国際報道2017」にひそむアナクロニズム”に感想を寄せてくれた皆さんの文面や、読者全体の漠然とした反応また雰囲気からにおってくるのは、番組内容の一部を女性差別、とまで決めつけるのは行き過ぎではないか、という不満である。

そのことに気づいて以来僕は、番組制作者もNHKの女性幹部も、そしてあるいは増井渚キャスター自身でさえも、僕の記事の読者と同じように「設定を女性差別的とは感じていない」のが現実なのではないか、とも考えたりしている。

その状況は、たとえばイスラム教徒の女性が、ヒジャブの着用を義務付ける宗教や社会に強制されて、外出時には必ずスカーフを用いながら「私は自由意志でスカーフを身に着けている」と主張するのに似ている。

その女性がスカーフを巻いているのは自由意志によるものではない。もしもそれが自由意志というのであれば、彼女には「スカーフを身に着けない自由」もなければならない。着る自由はあるが脱ぐ(身に着けない)自由はない、というのは真の自由ではない。

女性がこと更に「自由意志でスカーフを着用している」と言い張るのは、彼女がそこにある抑圧と差別に気づいていないか、気づかない振りをしているのである。そして二つの状況のうちでより深刻なのは、当事者が「気づいていない」場合だ。

無自覚の差別がなぜより深刻かというと、被差別者が差別されていると気づかない場合、差別している側はもっとさらに差別の実態に気づいていない可能性が高いからだ。そういう社会では、被差別者がある日差別に気づいて「差別をしないでくれ」と叫んでも、是正は遅々として進まない。差別をする側には「差別が存在しない」からだ。

一方、差別をする側が「差別の存在に気づいている」場合は、被差別者が差別をするなと声を挙げ闘い続ければ、たとえ差別をする側のさらなる抑圧や強権支配があったとしても、いつかその差別が是正される可能性がある。とにもかくにも「差別が存在する」と誰もが認めているのだから。

男女格差の問題では日本は、イスラム女性のヒジャブのあり様ほどではないにしろ、依然として女性にとって厳しい状況が続いている。「世界経済フォーラム」が毎年発表する「ジェンダーギャップ指数」の2017年版では、日本の順位は144か国中の114位。過去最低だった2016年の111位からさらに悪化した。

ジェンダーギャップ問題を解消するのは、単に女性の地位を上げて差別をなくすことではない。また単に男性の意識を変えることでもない。それによって日本という国家がさらに進歩し開かれ、多様性と寛容に満ちた社会に生まれ変わるための、多くの筋道のうちの一つに過ぎないのである。












NHK「国際報道2017」にひそむアナクロニズム


オープニング3人立ち800pic
一日に2度放送される衛星放送JSTVの画面より


僕はNHKのファンである。のみならず、仕事でもNHKには大いにお世話になった。それなのでNHKへの批判はあまり本意ではない。しかし、小言をいうのも支持者の義務の一環、とも考えるのであえて書くことにした。

現在は「国際報道2017」となっているNHKの国際ニュース番組は、2014年に「国際報道2014」として始まり年毎に数値を変えて今に至った。

2014年に始まった番組を僕は、BBCやCNNと並列する形でずっと見ている。情報確認とともに、少し大げさに言えば「日本の視点」の検証、というつもりもある。むろん他の報道番組も同じではあるけれど。

「国際報道2017」はNHKらしく中身の濃い良くできた番組である。取材力や情報収集力またそれを活かす番組構成力など、など、どれをとっても民放など足元にも及ばないレベルだ。世界のトップ放送局の報道番組と比較してもほとんど遜色はないと思う。

今年に入ってから同番組はさらに雰囲気が良くなった。それは主に花澤雄一郎キャスターの、優秀だが少しも気取らない人柄によるものである。同時に番組設定に少しの違和感ももたらした。サブの 増井渚キャスターの立ち位置があまり良くないと感じるのである。

メインの花澤キャスターとやり取りをする時の増井キャスターの役割が多くの場合、いわば「かわいい無知な妹」的なのである。あるいは「男性に教えを請う無知なかわいい女性一般」を象徴的に示すような役回りなのである。

彼女は特に国際情勢については「ほとんど何も知らず、逆に何でも知っている花澤キャスターに教えを請う」という設定。それはよく気をつけて見るとひどく危なっかしい構図だ。他のジャンルならともかく、シリアスな報道番組には適さないように思う。

NHKのもう一つの情報・報道番組に「これでわかった!世界のいま」というのがある。欧州では日曜夜にオンエアされる。そこでは国際情勢について講義をするNHK記者に、生徒であるおバカな女性タレントがからむ。「国際報道2017」の一部の設定に重なる。

だが「これでわかった!世界のいま」の場合は、天然ボケの明るい女性が面白おかしく記者にからむバラエティー的番組であり、そ知らぬ振りで女性を貶めているとも見られかねない構成ではない。また生徒は女性ばかりではなく男性も加わる。

そこでは「何でも知っている記者」が「おバカな女性」にからまれてたじたじとなり、彼自身が「おバカ」に見られるような仕掛けなどもあって楽しい。「おバカな女性」は実はバカではない、ということが良く分かるのである。

「国際報道2017」の一部の設定の、男はなんでも知っていて何も知らない女性が男から教わる、という構成は手ひどい女性差別にほかならない。それは日本のみならず、世界の全ての地域で実践されてきた「伝統」である。だがもはやそれは許されない。

そうした女性差別は、例によって欧米が先導して無くしつつある。女性たちが立ち上がって差別に敢然と挑んだからだ。差別をする側の男たちは、差別される側の女性たちの声によって差別に気づいた。そして変わろうと決めて、今この時も変わりつつある。

それはいわば世界の常識である。それに気づかないのか、あるいは気づかない振りをしているのか、NHKが少し心もとない設定の番組を作り上げているのは不思議だ。ジェンダーギャップに神経質な世界の人々が見たら糾弾されないとも限らない。

一般論として、女性を見下した構成の番組は言うまでもなくNGだが、「国際報道2017」の場合には個別の状況も少々心細い。それというのも、「無知な女性」の役割を負わされているサブの 増井渚 キャスターが、明らかに有能な女性であることが見て取れるからだ。また有能でなければNHKが採用するはずもない。

彼女は世界の動向についていわば全知の兄、花澤キャスターに「教えを請うおバカな妹役」をそつなくこなす時以外は、きりっと襟を正して、彼女自身が有能なキャスターであることの一端を披瀝してニュースを読み、伝える。それが彼女の真の姿らしいと分かる。

増井キャスターの有能を示すと見えるもう一つの要因がある。松岡忠幸キャスターが、「せかトレ」(この命名はもう少しなんとかならないもだろうか)のコーナーなどで、アドリブ的に彼女にコメントを求めるとき、増井キャスターは自然体でさらりと思うところを述べる。

それは彼女の咄嗟の思いつきの短い感想に過ぎず、また深みがあるというような内容のコメントでもないのだが、「知ったかぶり」をせず、また「ひるむ」こともない彼女の自然な反応が印象的だ。そこでも彼女の能力の高さが見えるように思う。

NHKはかつて定時の報道番組などで、男女の出演者が冒頭で挨拶をするときに、「微妙に」女性の声を遅らせる「姑息で激しい男尊女卑」の仕組みを取り入れていた。

現在の7時のニュースやニュースウオッチ9などでは、男女のアナウンサーが同時に挨拶したり、さらに進んだケースでは女性キャスターが男性キャスターの前に挨拶したり、の作り方をしている。

世界の「男女平等のトレンド」に逆らう編成への指弾や不満もあったのだろうが、NHKは意識して差別をなくす努力をしていると思う。そんな時代に「国際報道2017」が、過去の遺物であるはずの「かわいいおバカな女性と物知りの男」の設定を堂々と展開しているのは、返す返すも不思議だ。

聞くところによると、増井渚キャスターはフリーランスの人らしい。ならばもしかすると、彼女が「NHK所属ではない」フラーランスのスタッフ、という事実が無意識のうちにNHK側の少しの見下しの心となってあらわれて、番組構成に影響しているのだろうか。もしもその推測が当たっているならば、二重に罪深い仕業と言わざるを得ない。

奇怪な情景のうちの救いは、「全知全能」の役割の花澤キャスターが、「おバカな妹」を決して上から目線で見ないことだ。驕りのひとかけらも感じられない誠実な口ぶりで、彼は増井キャスターに応答する。

それは見ていて快いものだが、彼は同時に「時代遅れの設定」を居心地悪く思っている様子でもない。世界各地を取材する気鋭の記者なのに「なぜだろう」と首を傾げたり、また、被差別者という意味では当事者とも言えるNHK所属の女性スタッフたちは、どうして率先して番組のいびつを怒る声を上げないのか、といぶかったりするのは僕だけだろうか・・。

女性差別を無くすことの重大な意義の一つは、「男が変わること」である。男が変わることで不公平が是正され、偏見がなくなり、より進化した社会が出現する。世界は今その途中にある。

だが完全な男女平等はまだずっと先の理想郷である。反「男尊女卑」運動のメッカとも呼べる英BBCにおいてさえ、つい先日、有能・有名な女性キャスターなどが「男よりも低賃金の給与差別を受けていた」事実が暴露されるなど、女性差別の根は深く広い。

ましてや「日本においてや」という状況の日本の、メディアのロールモデルともなるべきNHKは、やはりもう少しそうした問題に敏感であってほしい、とどこまでもNHKファンの僕は思わずにはいられないのである。




僕の古ぼけたドキュメンタリーが再公開される訳



バインダー表紙800pic
番組宣伝パンフレット



今年もまた僕の住む地域で日本文化紹介イベントがある。昨年の催しは田舎のイベントとしては大成功と言ってもよいものだった。

気を良くした役場のスタッフは、金曜日~日曜日の開催期間をさらに延ばして、2週の週末に渡って開くと決定した。

金~日の3日間ではなく、2週末の土曜日と日曜日なので開催期間は1日延びただけだが、2週間続くので印象としては大幅延長と感じる。

田舎のイベントで、日本文化のみに絞った祭りを2週間も続けるのは少しやり過ぎではないか、と僕は主催者に疑問を呈した。

ミラノやトリノなどの大都市ならいざ知らず、ブドウ園の景観は美しいものの人口の少ない地方での祭りだ。1週目で観客が底をつくのではないか、と心配したのだ。

でもスタッフは自信満々。昨年も結構バラエティー豊かに日本文化を紹介したが、今年は昨年の内容に加えて秋田犬や錦鯉まで展示するという。

僕は今年も上映する日本映画の選択と紹介、また解説を頼まれた。黒澤明の「デルス・ウザーラ」と北野武の「座頭市」を選んだ。

実は「デルス・ウザーラ」と伊丹十三のラーメン・ウエスタン「タンポポ」にしたかったのだが、「タンポポ」はイタリア語版が存在しないため、紆余曲折を経て「座頭市」に決めた。

「タンポポ」はラーメンの奥深さを面白おかしく描いた作品。日本食ブームが続く中、イタリアでも急速に知名度を高めているラーメンにまつわる意外な物語が、昨年紹介した「おくりびと」同様に必ず受けると思ったのだけれど。

今年は僕がニューヨーク時代に作った30分のドキュメンタリー番組
「のりこの場合」も上映されることになった。その後、地域の学校などで紹介される予定もある。

作品は米公共放送局PBSの13本シリーズ「Faces of Japan(日本の素顔)」の一つ。僕は13本のうちの4本を監督した。「のりこの場合」はシリーズの巻頭放送作品。残る9本は数人の米国人監督が分担して撮った。

その作品は運よくも、ニューヨークのモニター賞ニュース/ドキュメンタリー部門の最優秀監督賞に選ばれた。日本祭りの開催スタッフはそのことを知っていて、上映したいと言ってくれたのだ。

僕は正直ちょっと戸惑った。それというのも番組は1986年に放送され、受賞は翌年の1987年。最近の話ならともかく、30年も前のささやかな栄光を蒸し返すのはちょっと気が引けた。

それよりもなによりも、30年前の番組が今、果たして観客に何かを伝えることができるのかどうか、という重要且つ最大の疑問があった。

昨年、僕は黒澤明監督の名作「用心棒」をイベントで紹介したが、あまり受けなかった。古臭いと観客に思われてしまったのだ。

偉大なクロサワの映画でさえ古くなる、と僕は寂しく思い、以後いろいろなところで話したり書いたりした。

それなのに今年、吹けば飛ぶようなテレビ屋に過ぎない自分の古い作品を持ち出すのはおこがましい、と僕は心底思い、気後れがした。

どうしても、という声に押されてホコリにまみれたテープを見直してみた。やはり古い。しかし、意外にもテーマは今もしっかり生きている、と感じた。

僕は「のりこの場合」を日本の女性問題、特にジェンダーギャップを意識において作った。日本はあれからずいぶん変わった。だが変わっていないところも多い。

つまりそのドキュメンタリーは、切り取られた街の様子や人々のあり方や景観や雰囲気、さらに制作技術や様式等々の古さはあるものの、テーマは今現在にも通じる常に新しいものなのだ。

そこを踏まえて僕は要請を受けることにした。そして新しくイタリア語バージョンを作った。技術的に難しいところも多々あったが何とかクリアした。

史上初の大がかりな「日米共同制作シリーズ番組」の一環だったその作品には、制作過程の困難やドタバタを筆頭に多くのエピソードがある。そのことはまたどこかで書こうと思うが、視聴者の反応について一点だけ面白いエピソードを紹介しておきたい。

放送された「のりこの場合」は、ニューヨークの日本人社会ではあまり評価されなかった。ところがそれが監督賞を受賞したとたんに、まさに手の平を返すように評価が一変して、素晴らしい出来栄えの作品という声が起こった。

外国人の評価に弱い、いかにも日本人らしい豹変ぶりだった。しかし、僕はそのことで人々を非難しようとは少しも思わなかった。

なぜなら「のりこの場合」には、日本人ができれば外国人に知られてほしくない、と思う要素も少なからず紹介されているからだ。日本が特殊な国であることがよく分かる仕組みになっている。

実はそれらの要素は、今ならむしろ多くの日本人が誇りに思うような、日本の伝統であり美であり形式である。だが30年前は違った。

当時はピークを過ぎつつあるものの、いわゆる「日本バッシング(叩き)」が盛んな頃だ。多くの日本人が肩身の狭い思いでいることも珍しくなかった。

またアメリカに同化し、アメリカ人と同じ生き方を目指している米国在の人々にとっては、そのドキュメンタリーは日本の「異質」ぶりを余すところなく紹介していて居心地が悪い、ということもあったと思う。

当時の日本人は、今日のように自らの文化や歴史や伝統に自信を持っていなかった。そのために作品の内容を、むしろ誇るべき日本の古い慣習や様式や哲学、と見なして胸を張る余裕がなかった。

だから「のりこの場合」の中に詰まっている「日本らしさ」から目を背けたかった。アメリカ(欧米)とは異質なものが恥ずかしかった。ところがアメリカ人がそれを高く評価した。うれしい。やっぱり良い番組だ、という風な心理変化があったのだと僕は考えている。

その作品を作った張本人の僕は、日本文化を恥ずかしいものだなどとは夢にも思わなかった。それはアメリカあるいは欧米ほかの文化とは違う文化なのであり、文化はまさに他とは違うことそのものの中にこそ価値がある。異質さは誇るべきものなのだ。

だが同時に僕は、日本社会に潜む固陋や偏見や課題を抉り出したいとも思い、そのつもりで取材をし番組を完成させた。アメリカの人々は、その片鱗を作品に見て評価してくれたのだと思う。

今回上映するにあたっては、イタリア人の反応はもちろんだが、日本人の反応も楽しみだ。おそらく日本人も今なら「“のりこの場合”の中の日本」を、イタリア人が楽しむであろう形とほぼ同じ形で楽しむだろう、と僕は信じている。

30年前の日本人ニューヨーカーたちが抱いたこだわりも疎外感も感じることなく、なによりも外国人の評価などとは無関係に「自主的」に、自らのルーツを見つめるだろうと思っているのである。


ハイレベルな歌番組‘ユーロビジョン・ソング・コンテスト’


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久しぶりに面白い歌番組を見た。2017年「ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest 以下ESC)」である。毎年ほぼ常に5月に行われ、欧州全体を網羅する大型音楽番組。ヨーロッパのみならず、ロシア、トルコ、イスラエルなどの欧州周辺国、また北アフリカの国々も参加資格を有している。例外的だがオーストラリアも出場している。相当にグローバルなイベントなのである。

今年は5月13日に42カ国が参加してウクライナのキエフで決勝大会が開かれた。43カ国の予定だったが、ロシアがウクライナに拒否されて不出場となった。ロシアによるウクライナ南部のクリミア併合を巡って2国は対立している。残念ながらその影響が出たのだ。欧州との確執が鮮明になりつつあるトルコも参加しなかった。もしかするとトルコは、同国のエルドアン大統領が退陣しない限り、コンテストから目をそむけ続けるのかもしれない。

そんな具合に政治的な問題も皆無ではないが、ESCは歌を通して欧州が友好親善を確認し合う素晴らしいイベントである。欧州を一つにつなげるという理念が目覚しいばかりではない。そこで披露される楽曲が極めてレベルが高く、文字通りどのアーティストが優勝してもおかしくない面白い歌ばかりなのだ。

ESCでは、普段はお互いにほとんど耳にすることのない欧州各国の歌を、欧州の人々が衛星生放送で同時に聞き、楽しみ、評価し合う。出場するアーティストは、ほとんど常にそれぞれの国のスター歌手である。そこで披露される曲も、厳しい審査を経てエントリーしているから、レベルが高いのが当たり前、といえば当たり前ではある。

今年優勝したのはポルトガルだったが、僕の中ではその歌は「普通にラブソング」過ぎて面白くなかった。一緒に観ていた妻も同じ意見だった。しかし、その楽曲は各国のプロの審査員や、一般視聴者投票でもダントツに人気があった。歌に対する人の好みの違いの広大を改めて思った。

全く偶然なのだが、僕がいいなと感じた曲は中東欧諸国のものが多かった。優勝曲は審査員と一般視聴者のWEB投票によって決まるので、僕も投票をするつもりで一曲づづチェックしていた。それを記すと、1位ルーマニア 2位モルドバ 3位ハンガリー 4位アゼルバイジャン、続いてベラルーシなど。いわゆる西側ヨーロッパの国の曲はその後にスウェーデンが来るのみだった。

僕が高得点を入れた中東欧諸国は、全ていわゆるロマ(ジプシー)音楽の伝統や影響が強い地域である。僕が3位と評価したハンガリーの曲は、ロマ音楽の影響どころか、ロマ音楽そのものと言っても構わないものだった。だがそれ以外はあからさまにロマ音楽を思わせる楽曲ではない。それでも僕の琴線に触れるものが多いのは、ロマ音楽の心意気がどこかに秘匿されているからではないか、と思う。僕はそれが好きなのだ。

イタリアは今年は優勝候補の筆頭と目されていたが振るわなかった。僕のランク付けでもスウェーデンの次の次ぐらいに位置していただけだ。イタリアの歌は2月のサンレモ音楽祭の優勝曲である。イタリアのみならず欧州でもヒットしているせいで、優勝候補の最右翼と見なされていた。それが6位に終わって、イタリア中が深いため息をついた。

イタリアは実はESCをちょっとバカにしているところがある。ESCがイタリアの老舗の音楽番組サンレモ音楽祭を手本にして作られたからだ。ESCの放送権を持つイタリア公共放送のRAIは、明らかにESCよりもサンレモ音楽祭を重視している。「歌大国」でありながら、イタリアがESCに参加したりしなかったりを繰り返してきたのも、そのあたりに理由がある。

サンレモ音楽祭はイタリアの公共放送局RAIが主催する音楽コンテストである。繰り返すがESCはサンレモ音楽祭を真似て作られたイベント。RAIはそれが得意なのではないかと思う。同時にRAIには、イタリア国内で圧倒的に人気のあるサンレモ音楽祭を盛り上げるほうが営業的に得策、という計算もある。だからESCよりもサンレモ音楽祭に力を入れる。

だがRAIは、もうそろそろ考えを改めるべき時だ。ESCのエントリー曲の全ては本当に質が高い。一方サンレモ音楽祭には退屈な曲も多く参加する。一日4時間余りの放送を5日間も続けるために、たいして優れてもいない楽曲も挿入しなければならないからだ。サンレモ音楽祭は、イタリア国内だけで喜ばれる「大あくび番組」に過ぎないことにRAIは気づいた方がいい。

最近音楽番組のことを書くことが多かった。僕はサンレモ音楽祭に少し辟易していて、今後は見ないぞ、と誓ったりしている。NHKの紅白歌合戦も長時間過ぎてちょっと疲れることがないでもないが、これは今年も観るつもり。一方ESCの場合は、文句なしに、積極的に、ずっと観つづけて行こうと思う。とにかく面白いのである。ネットなどでも観ることができると思うので、読者の皆さんもぜひ一度覗いてみてほしい。

イタリアの紅白歌合戦「サンレモ音楽祭」の陳腐な凄さ


紅白歌合戦に言及したついでに、僕が勝手に「イタリアの紅白歌合戦」と呼んでいるサンレモ音楽祭についても少し触れておくことにした。

紅白歌合戦とサンレモ音楽祭には多くの共通点がある。両者ともに公共放送が力を入れる歌番組で、60年以上の歴史を誇る超長寿番組である。

どちらも1951年のスタート(NHKは1945年開始という説も成り立つ)。当初はNHK、RAI共にラジオでの放送だったが、NHKは1953年から又RAIは1955年からテレビ番組となった。

国民的番組の両者は、近年はマンネリ化が進んで視聴率も下がり気味だが、依然として通常番組を凌ぐ人気を維持。また付記すると、最近のRAIの番組の視聴率はNHKのそれよりも高い傾向にある。

両者ともにほとんど毎年番組の改革を試みて、たいてい不調に終わるが、不調に終わるそのこと自体が話題になってまた寿命が延びる、というような稀有な現象も起こる。

その稀有な現象自体が実は両番組の存在の大きさを如実に示している。先月の紅白歌合戦は大改革を試みて失敗した(と僕は思う)が、来月7日から始まるサンレモ音楽祭はどうだろうか。

2者はまた似て非なるものの典型でもある。両陣営は相似よりも実は差異のほうがはるかに大きい。

紅白歌合戦は既存の歌を提供する番組。一方サンレモ音楽祭は新曲を提供する。あるいは前者は歌を消費するが後者は歌を創造する。サンレモ音楽祭は音楽コンテストだからだ。

紅白歌合戦がほぼ100%日本国内のイベントであるのに大して、サンレモ音楽祭は国際的な広がりも持つ。つまり、そこでの優勝曲はグラミー賞受賞のほか、しばしば国際的なヒット曲にもなってきた。

古い名前だが、例えばジリオラ・チンクエッティの音楽祭での優勝曲は国際的にもヒットしたし、割と新しい歌手ではアンドレア・ボッチェッリなどの歌もある。個人的には1991年の大賞歌手リカルド・コッチャンテなども面白いと思う。

またサンレモ音楽祭は、欧州全体を股にかけたヨーロッパ最大の音楽番組「ユーロ・ビジョン・ソング・コンテスト」のモデルになるなど、特に欧州での知名度が高い。同時に世界的にも名を知られている。

周知のように紅白歌合戦は大晦日の一回のみの放送だが、サンレモ音楽祭は5日間にも渡って放送される。しかも一回の放送が4時間も続く。つまり紅白歌合戦が5日連続で電波に乗るようなものだ。

好きな人にはたまらないだろうが、僕などはサンレモ音楽祭のこの放送時間の膨大にウンザリするほうだ。しかも番組は毎晩夜中過ぎまで続く。宵っ張りの多いイタリアではそれでも問題にならない。

僕は紅白歌合戦とサンレモ音楽祭の根強い人気とスタッフの努力に敬意を表している。が、紅白歌合戦は日本との時差をものともせずに衛星生中継で毎年見ているものの、サンレモ音楽祭はそれほどでもない。

その大きな理由は、毎日ほぼ4時間に渡って5日間も放送される時間の長さに溜息が出るからだ。しかも翌日にまで及ぶ時間帯に対する疲労感も決して小さくない。

もう一つ僕にとっては重大な理由がある。そこで披露される歌の単調さである。カンツォーネはいわば日本の演歌だ。どれこれも似通っている。そこが時には恐ろしく退屈だ。

もちろんいい歌もある。優勝曲はさすがにどれもこれも面白いものが多い。ところがそこに至るまでの選考過程が長すぎると感じるのだ。

演歌は陳腐なメロディーに陳腐な歌詞が乗って、陳腐な歌い方の歌手が陳腐に歌うところに救いようのない退屈が作り出される場合も多い。カンツォーネも同じだ。

誤解のないように言っておきたいが、僕は演歌もカンツォーネも好きである。いや、良い演歌や良いカンツォーネが好きである。ロックもジャズもポップスも同様だ。あらゆるジャンルの歌が好きなのである。

しかし、つまらないものはすべてのジャンルを超えて、あるいはすべてのジャンルにまたがってつまらない。優れた歌は毎日毎日その辺に転がっているものではない。99%の陳腐があって1%の面白い曲がある。

サンレモ音楽祭も例外ではない。毎日4時間Ⅹ5日間、20時間にも渡って放送される番組のうちの大半が歌で埋まる。だがその90%以上は似たような歌がえんえんと続く印象で、僕にはほとんど苦痛だ。

それでもサンレモ音楽祭はりっぱに生き延びている。批判や罵倒を受けながらも多くの視聴者の支持を得ている。それは凄いことだ。僕は一視聴者としては熱心な支持者ではないが、同じテレビ屋としてサンレモ音楽祭の制作スタッフを尊敬する。

創作とは何はともあれ、「作るが勝ち」の世界だ。番組のアイデアや企画は、制作に入る前の段階で消えて行き、実際には作られないケースが圧倒的に多いからだ。一度形になった番組は、制作者にとってはそれだけで成功なのだ。

そのうえでもしも番組が長く続くなら、スタッフにとってはさらなる勝利だ。なぜなら番組が続くとは、視聴率的な成功にほかならないからだ。サンレモ音楽祭も紅白歌合戦も、その意味では連戦連勝のとてつもない番組なのである。






続: 紅白歌合戦は大丈夫?



紅白歌合戦を批判した前記事に対しては、「仲宗根さんは紅白が嫌いなんですね、悲しいです」という便りもいただいた。読者の方からのコメントは、いつもとても勉強になる。勉強にならなくても示唆に富んでいて、考えるヒントになることが多い。何よりもコメントを下さるということは、僕の下手クソな文章をその方なりにきちんと読んでくれた証拠だから、いつも有難く嬉しい。

しかし「紅白歌合戦が嫌いなんですね」というコメント内容にはちょっと参った。嫌いどころか、僕は紅白歌合戦は好きだからだ。そのことは記事の中でも「~紅白歌合戦は衛星放送で毎年見ている 」「番組の支持者の僕が~」などの表現を筆頭に、論考の随所に示した積もりだった。

2016年の紅白歌合戦に関する僕の批判は、視聴者としてよりも、テレビ番組を作るプロのテレビ屋の立場からの批評だった。それでいながら、あたかも
「視聴者の立場からの不満」でもあるような書き方もしてしまったようだ。そこは撤回させていただくと同時にお許しを請いたい。

ここで前記事の批判を一言にまとめれば、要するに「良いアイデアが時間や制作費などの首木のせいできちんと実現されていない。それを知りながら、僕の見解では「知らない振り」で、あるいは「視聴者は気づかないだろう」という、見方によっては思い上がりとも取られかねない心で、「番組を構成し実践した過誤」ということだ。

要するに演出スタッフは、彼らが思いついたすばらしいアイデアである「ゴジラを(紅白歌合戦の)歌で退治する」というコンセプトを、バカになって子供のように純粋に、明るく楽しくバカバカしく提供することができなかった。つまり、繰り返しになるが、「バカになり切れていなかった」ということだ。

また、タモリ&マツコは、そこに「置物」として置いておいても面白いマツコを、タモリと共に「ブラタモリ」させることで受けを狙ったものの、恐らくリハーサルに多くを割けなかった時間の制約と、「一体何を見せたいのだろう?」と最後まで疑問が残った、設定の根本的な誤りでコケた。

ブラタモリは歩いて色々なことを「発見」するのに、コウハクタモリは番組の外で「迷子」になった。それは2人が紅白会場に入れなったという設定のことではなく、シークエンスの全体が場違いで、木に竹を継いだ形の深刻な構成上の失敗、という意味だ。換言すれば台本が熟(こな)れていなかった。

あれこれといいたいことを言ってきたが、何事につけ実際に制作をすることと批評は別物だ。テレビでも文章でも映画でも、あらゆる創作は難しい。それを批評するのは、引退した平幕力士が横綱大関の相撲を上から目線で解説するのに似て、ちょっと悲しく滑稽でもある。

大相撲の解説者よりは現役力士のほうが大変だ。テレビ番組の批評家よりは制作現場のスタッフのほうが苦しい。現実に作っているからだ。そしてあらゆる創作は「作った者の勝ち」、というのが実際に制作現場に立ってきた僕の実感だ。

批評家がいなくても制作者は存在できるが、制作する者がいなければ批評家は生きていけない。批評する対象がないからだ。そういう意味では批評家ほど軽い悲しい存在はない。しかし、批評家はまた、制作者を褒めたりけなしたりすることで創作を鼓舞する、創作周りの重要な「創作構成要素」でもあり得る。

僕は紅白歌合戦という大番組が、毎回毎回懸命に進化を試みる姿に頭が下がる思いでいる。2016年は特に懸命さが際立っていた。テレビに関しては、僕は実作者で批評家ではないが、微力且つ僭越ながらあるいは次の進化の試みに資するかもしれない、と考え批評じみたものを書いてみた。

ここからは僕が紅白歌合戦を好きな証拠を挙げて、冒頭の読者の方の疑問に応えたい。

マンネリといわれる紅白歌合戦は、僕にとっては実はいつも新しい部分がある。つまり日本の今の音楽シーンに疎い僕は、大晦日の紅白歌合戦を見て今年のヒット曲や流行歌を知る、ということが多いのだ。例えば先日の紅白歌合戦では、混成(?)AKB48やRADIO FISHや桐谷健太などを初めて知った。

その流れでいえば、過去にはPerfume、いきものがかり、ゴルデンボンバー、きゃりーぱみゅぱみゅ、斉藤和義なども紅白歌合戦で初めて見て、「ほう、いいね」と思い、それ以後も機会があると気をつけて見たり聞いたりしたくなるアーティストになった。

数年前はこんなこともあった。たまたま録画しておいた紅白での斉藤和義「やさしくなりたい」を、僕の2人の息子(ほぼ100%イタリア人だが日本人でもある)に見せた。すると日本の歌にはほとんど興味のない2人が聞く先から「すごい」と感心し、イタリア人の妻も「面白い」と喜んだ。それもこれも紅白歌合戦のおかげだ。

また、懐メロという言葉はもはや死語かもしれないが、かつてのヒット曲や歌い手をあらためて見、聞くというのも疑いようのない紅白の楽しみの一つだ。極めて個人的なことをいえば、若いころはほとんど興味がなかった演歌の良さを知ったのも、僕の場合は紅白歌合戦だ。

先日の紅白歌合戦でも歌の部分は例年通りに楽しんだ。好きな歌はじっくり聴き、そうでもない場合は流して眺めた。何事もないいつも通りの年末なら一杯やりながら紅白を楽しみ、ゆく年くる年を見て一年を終える、という陳腐なパターンが僕の大晦日の習わしでもある。実に日本的なのだ。

世界各国の日本人移民の間には、日本の伝統や文化が日本以上によく残っていることが多い。故国日本への思慕が深いからだ。紅白を楽しむ僕の中にも、そんな移民メンタリティーが育ちつつあるのかもしれない。だから紅白の“新しい試み”だった「ゴジラ企画」と「タモリ&マツコ」に違和感を覚えたのかも、とも考える。



グワンバレNHK~でも紅白歌合戦は大丈夫?


2016年大晦日、朝の11時過ぎから日本と同時放送のNHK紅白歌合戦を見た。日本と8時間の時差があるイタリアでは、衛星を介しての生中継はそんな時間になるのだ。

見ている途中も、見終わってからも、「紅白歌合戦、大丈夫?」と思った。

僕は紅白歌合戦をよくイタリアの「サンレモ音楽祭」に重ね合わせて見る。2者はマンネリ感と時代遅れ感がよく似ていて、視聴率も下がり気味だが、依然として決して無視できない人気を保っている。

また僕は両者をそれなりに評価していて、サンレモ音楽祭はあまり見ないものの紅白歌合戦は衛星放送で毎年見ている。でも、NHK大丈夫?と心配になったのは今回が初めてだ。

番組の支持者の僕が不安になったということは、それを強烈に支持した人もまたきっと多かったに違いない。そこに期待しつつ、圧倒的にネガティブな感想を持った自分の意見を書いておくことにした。

僕は「シン・ゴジラ企画」と「タモリ&マツコ」の2要素がひどく気になった。特にゴジラのシークエンスでは僕の頭の中に「?」マークが幾つも点灯した。作っているスタッフが、その場面を信じていない、あるいは愛していない、と感じたのだ。

紅白歌合戦はエンターテイメントなのだから、バカになるなら真剣にバカになるべきだ。あるいはスペクタクルを目指すなら、批判を覚悟で制作費をどんと使って大イベントを演出するべきだ。成功すれば批判は必ず賞賛に変わるのだから。

ゴジラのエピソードにはそのどちらもなかった。スタッフは真剣ではなく、制作費もお粗末なものであろうことが分かった。

スタッフは、もちろんプロとして真剣に仕事をした。だが彼らはゴジラが渋谷に向かって進攻していて、歌でやっつけることができる、というコンセプトを信じてなどいなかった。つまり本気でバカになり切っていなかった。だからその部分では真剣ではなかった。

そのためにゴジラの場面はアイデアだけが先走って、出てきたものはアマチュアの演劇並みの稚拙なシーンの連なりになった。言い換えれば「クサイ話」になった。視聴者はたぶん僕と同じく「?」マークを覚えながら、NHKがやることだから理解できない自分が悪いのだろう、と思って目をつぶったのではないか。

何もかもが中途半端で、結果、みすぼらしくなった。演出スタッフに「照れ」があり「気取り」があるのが最大の失敗だった。言葉を変えれば演出スタッフ(特にディレクターとその周りのプロデュサー)は、荒唐無稽な話を荒唐無稽な話、と意識したままエピソードを作っていた。

あるいは(こんなバカ話は実は俺たちは信じていない)という思いがありありと出ていた。制作者自身が信じていない話を、視聴者が信じるわけがない。しかしポイントは視聴者がその内容を信じることではなく、「制作者がバカ話を真剣にバカになって作っている」と視聴者が感じるかどうかだ。

制作者がバカ話を真剣に捉えて、誠心誠意、気持ちを込めて真剣に作っていることが分かれば視聴者は納得し、面白がり、心を揺さぶられる。バカ話であればあるほどスタッフは「真剣にバカになる」必要がある。バカ話をふざけた軽い気持ちで作ってはならないのだ。

つまり、「すばらしい歌を聴くとゴジラは死ぬ(ゴジラのパワーがなくなる)」というコンセプトをスタッフは、特に演出家は、腹から信じて真剣に作らなければ道半ばになって失敗する。ゴジラが歌で破壊される、というアイデアが信じられないなら演出をするべきではない。信じなければうまく演出ができないからだ。

スタッフの「照れ」はなかったが、「タモリとマツコ」も制作コンセプトが徹底しない大失策だったと思う。面白くしたい、という作り手の強い思いは十分に伝わってきた。同時に「どうだ面白いだろう」という彼らのドヤ顔もそこに見えるようでシラけた。

それらのシーンは恐らく、打ち合わせやリハーサルの段階では面白かったのだろう。タモリとマツコのやり取りに、もしかすると、出演者も制作スタッフも結構笑ったのではないか。それで彼らは自信をもってあの恐ろしくも退屈で、場違いで、未成熟なシーンを電波に乗せてしまった。

下手くそなディレクターである僕の、大して多くもない似たような演出の体験から言わせてもらえば、制作現場でスタッフが笑い転げるコメディーのシーンは、実際に電波に乗るとたいていコケる。スタッフが楽しんでしまって視聴者が見えなくなるのだ。視聴者を笑わせたり楽しませたいなら、スタッフは現場で笑ったり楽しんではならない。苦しむべきだ。制作の真剣とはそういうことだ。

NHKの優秀なスタッフがそのことを知らない筈はない。だが彼らは見事にその落とし穴にはまったようだ。スタッフは、あるいは現場で、タモリのカリスマ性に催眠状態にさせられたのだろうか。そうでもなけれなあれだけつまらないシーンやエピソードが、あれだけ自信たっぷりに放送されるわけがない、と感じた。

念のために言っておくが僕はNHKのファンである。ファンとはプロのテレビ屋としても、また一視聴者としても、という意味である。僕は下手くそなディレクターながら仕事でもNHKには大いにお世話になった。

だから言うのではないが、NHKは世界の公共放送の中でも優れた番組を作る優れた放送局の一つだ。報道ドキュメンタリー系の番組は、イギリスのBBCに肉薄するものも多いと思うし、ドラマも面白い。エンターテイメントも質の良いものが多い。

一方NHKは、たとえば先ごろ退任が決まった籾井さんのようなトンでも会長がいたり、BBCとは違って政権に臆することなく物申すことができなかったり、予算の問題で批判を浴びるなど、もちろん課題も多い。しかし、例えばここイタリアの公共放送RAIなどに比べればはるかに良心的だ。

僕はRAIの民営化には賛成だが、NHKの民営化には反対の立場でさえある。RAIはドキュメンタリーや文化番組が極端に少なく、トークショーやバラエティ番組が異様に多い。また視聴者に受信料を課しながらCMもがんがん流す、といういい加減な公共放送局だ。その部分ではNHKには比ぶべくもない。

また、民放がたくさんある日本で、もう一つの民放などいらない、というのも僕がNHKの民営化に反対する理由だ。NHKは民放の持つしがらみから自由だからこそ価値がある。ある種の人々からの強い批判を覚悟で断言するが、NHKは日本の宝だ。BBCが英国の宝であるように。

そこを確認した上で言いたい。紅白歌合戦は開き直って徹底した改革ができないのなら、規模を縮小しターゲットも絞って再出発したほうが良いと思う。たとえば番組のコンセプトを若者向けか年配者向けかに決め、それに合わせて演歌や懐メロ三昧なり、ポップス系なりの歌番組に徹底するなどの方法だ。

多様性が進んだ今の時代に、「国民の大多数」によく受ける歌番組なんてある筈がない。存在しないコンセプトを追いかけて規模を無理に広げるのは苦しい。ここイタリアの紅白歌合戦、前述の「サンレモ音楽祭」も時代遅れになった。改革は失敗しつづけ、老舗番組は「ただ存続しているだけ」、というふうになった。

紅白歌合戦も、毎年姑息な「変化努力」で誤魔化すことはやめて、思い切って番組を縮小し、前述したようにターゲットを視聴者の一定層に絞り込んで出直したらどうだろうか。中途半端な改革は結局、必ず中途半端な番組しか生み出さないのだから。

黒澤映画でさえ古くなる



先日、僕の住む地域で日本紹介の文化祭りがあった。古武道に始まり、茶道に花、盆栽、楽焼、漫画、映画紹介など、など、多岐にわたるにぎやかな催し物だった。

そこはミラノにほど近い、日本で言うなら大き目の村だが、文化的な催し物への関心が割と高く、日本関係を含むイベントもよく開く。イベントを観光産業に結びつけたい狙いもあるようだ。

僕は今回は、イベントで上映する日本映画の選択と紹介、および解説を頼まれた。祭りの主役は古武道なので、それに掛けて時代劇のうちの黒澤映画“用心棒”と、日本文化紹介に因(ちな)んで“おくりびと”を選んで上映解説した。

用心棒は1961年作。黒澤はそれ以前に、ベニス映画祭で金獅子賞(最高賞)に輝いた「羅生門」や「七人の侍」を発表していて、既に世界的に知られた監督だった。

用心棒は、黒澤を含む全ての映画監督の優れた作品がそうであるように、そこかしこに新しい発見、あるいは独創をちりばめた楽しい映画だが、それ以外の要素でも世界の注目を集めた。

映画公開から3年後の1964年、用心棒はイタリアのセルジョ・レオーネ監督によって「荒野の用心棒(伊タイトル:per un pugno di dollari)」というタイトルでリメイクされた。主役はクリント・イーストウッドである。

僕は今リメイクと表現したが、実はそれはセルジョ・レオーネによる盗作だった。黒澤に無断で模造されたのだ。事件は裁判沙汰になってレオーネ側は全面敗訴。10万ドルの賠償金と日本での興行権、さらに全世界での興行利益の15%を黒澤側に支払う、という結論になった。

盗作騒ぎでも話題になった「荒野の用心棒」は、いわゆるマカロニウエスタンである。黒澤のオリジナルにも勝るほど大ヒットし、レオーネ監督自身と、そして何よりもクリント・イーストウッドを大スターに押し上げた。そうやって同作は映画史上に残る名品になった。

映画はさらに続編として「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」が同じクリント・イーストウッド主演で制作され、第一作の「荒野の用心棒」と合わせて「ドル箱三部作」とさえ呼ばれた。

大スターの仲間入りを果たしたクリント・イーストウッドは、後年カンヌ映画祭で黒澤に会った際、「ミス ター・クロサワ。あなたなしでは今日の私はなかった」と挨拶して黒澤を称え、これまた映画史上に残る名エピソードになった。

名作の用心棒だが、なにしろ古い映画だ。僕が解説を入れて上映はされたものの、お世辞にも大入り満員というわけには行かなかった。用心棒の新しさは、その後の多くの活劇で繰り返し真似をされて現在に至っている。

その事実を知らない現代の映画ファンにとっては、オリジナルの黒澤映画は展開の遅い退屈な古典、という風にも感じられがちだ。その夜の上映会場にも同じ空気が漂っていた。しかし、嘆いても仕方がない。それが映画のみならず、あらゆるエンターテイメントや芸術の宿命だ。

斬新な作品は、斬新であればあるほど後世の人々に取り入れられ、模倣され、リメイクされ、改善さえされて、時代時代に即応した作品として生まれ変わっていく。だがオリジナル自体は時代に生き血を吸われて衰退し、古びていく。そうやって古くなった傑作はやがて古典と呼ばれるようになる。

「古典は永遠(に面白い)」というのは真実だが、それは古典の良さを知るいわば“通”の人々の真実であり、今を生きる人々の全てに当てはまるコンセプトではない。古典は優れた作品だが、その名の通り“古い”定式なのだ。あるいは手本にもなり得る傑作だが、やはり“古い”のである。

“通”ではない大衆にとっては、“古い”とは退屈以外の何ものでもない。が、“通”や専門家は逆にそれを有り難がる傾向がある。僕はそのことを知りつつ、敢えて用心棒を上映作品に選んだ。上映会が「日本文化祭」の一部だったからだ。

かつて大衆が愛した娯楽作品の用心棒は、今を生きる人々にとってはもはや古く、退屈なものかもしれないが、同時にそれは日本文化の一角を担う古典芸術なのだから、そこで上映される価値がある、と僕は考えたのである。

用心棒とは違って“おくりびと”は多くの観客の感動を呼んだ。黒澤の用心棒からほぼ50年後の作品という「新しさ」もさることながら、葬儀という普遍的な事案に対する普遍的な「偏見」を正面から見据えたその作品は、日陰の生業に光を当てた、日本文化の繊細を人々に知らしめて強力なインパクトを与えた。その意味では僕の狙いは当たった。

それでも黒澤映画への感動がダイレクトに沸き起こらなかった事実は、いまだに僕の心に少しの、しかしけっこう重いしこりとなって残っている。なぜなら黒澤の偉大な娯楽傑作が「もはや人々に受けない」という冷徹な事実は、古典の宿命であると同時に映画の衰退を露骨に示す現象以外の何ものでもない、とも、またいまさらながら思い知るからである。


学生たちとあそぶ




先日、高校生およそ30人と2人の教師を含むグループが僕の編集スタジオに見学に来た。

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編集室は狭いので学生は床に座ってもらった

いま適当な言葉が見つからないので「見学」と言ったが、中身は僕のドキュメンタリー作品を皆で見て、そのあと僕がその作品にからめてドキュメンタリーとは何か、とか、ニュースとドキュメンタリーの違いとは?また類似点とは?などに始まって、映画の話や映像制作現場の話などを思いつくままにざっくばらんに話した後、生徒と質疑応答をする、というものである。要するにちょっとしたテレビ教室あるいは番組制作講座、などと呼べるかもしれない。

僕は数年前までミラノに小さな映像制作プロダクションを置いていた。仕事は忙しく、年中イタリア各地を巡ってはミラノに籠もるという生活だった。そのため僕の住まうロンバルディア州の田舎の町にはビデオ関係の拠点はなく、書き物をする書斎があるだけだった。数年前、ミラノ事務所を閉鎖した際、撮影機材と編集機材を自宅脇のスタジオに移動した。今はそこでも仕事をする。

ミラノから移動した機材はHDでもPC仕様でもないため、使い勝手が悪い。それどころか、従来の機材も依然として多く使われるイタリアにおいてさえ、テレビ番組等の制作現場には適さない。古くなってしまったのだ。今現在のビデオ映像の仕事が入ると、僕はミラノ事務所を開く前のフリーランスのディレクターのように、撮影機材や編集スタジオをレンタルしてこなす場合が多い。

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そんな訳で自宅のスタジオは、これまでの仕事のアーカイブ(ビデオ書庫)的な使い方をしている。アーカイブといっても、数え切れないくらいに取材・制作をした短い報道番組などの記録は残していないので、あるのは長尺(Feature)番組のコピーや撮影済み素材などに過ぎない。テレビ番組はConsumer goods つまり日々の消費財だと考える僕は、それらの一つ一つを保存しようなどとは考えもしなかった。

テレビ屋としての僕の少しの自負もまさにそこにある。人々の「今の」関心や無関心、あるいは喜怒哀楽や憧憬や欲望や噂好きなどを敏感に察して作られて行くのがテレビ番組だ。言葉を換えれば大衆と共に呼吸し存在しているのがテレビ番組である。それは芸術でもゲージュツでもアートでもなく、今日生まれて消えていく消耗品だ。だから制作者である僕も今を呼吸していなければならない。それは書籍や思索や机上議論とは違う、路上でのアクションなのである。

書かない作家は作家ではなく、映画を撮らない映画屋はフェイクであるように、ロケに出ないテレビ屋は偽者である。テレビ屋は----中でもニュース屋やドキュメンタリー屋は特に----ロケに出ることによって大衆と共に呼吸することができる。それをしない場合、大衆を置き去りにする芸術やゲージュツやアートがやがて一部の「通」、つまりオタクだけが後生大事に抱え込むおわコンになるように、消耗品のテレビ番組は死滅する。死滅するどころか、大衆と共に歩まないテレビ番組はそもそも生まれることさえない。

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かつて映像の世界でひと角のクリーエーターになろう、また必ずなれると信じていた怖いもの知らずの僕は、若気の至りで教師という職業をバカにしきっていた。特にアートの分野ではアーティストになれなかった者が教師に「成り下がる」とひそかに思っていた。「教える」という仕事は制作ではない。そしてアートは制作することが全てだ。だから制作をしない教師はおかしい、という理屈
である。

今は違う。僕は教師というプロの指導者の価値を知っている。教えるという行為は、確かにアート制作とは別物だ。が、そこでの教師はアート制作をする「生徒を制作する」のである。優れたアーティストには必ず優れた教師がいる。その教師はアーティストと教室で直接に顔を合わせることはなくても、彼の手引きとなる仕事をして「アーティスト造り」の一翼を担う。それよりももっと明確な「教師」であるのが、実際にアーティストを指導する先達だ。要するにプロの指導者としての教師だ。そして誰もが優れたプロの指導者また教師になれるわけではない。

僕が自宅スタジオで請われてやっていることは、あるいは教える行為に近いかもしれない。しかし、僕は生徒を指導しようなどという僭越なことは微塵も考えない。教えるノウハウを知らないからだ。また今さらそれを知ろうとも思わない。前述したように、いま手元に残っている自分の作品と、それにまつわるあれこれの経験を学生に話して、彼らの成長の糧になれれば嬉しいと思っているだけだ。そして、教えるというのではないそういう活動は、申し入れがある限り今後も続けようと考えている。

イタリアのアブナイ新年、ナポリのナニモナイ正月



大晦日の夜から新年にかけてのイタリアは、相変わらずクレージーでのけぞるほどにばかばかしくて、そこはかとなく哀れみの伴う人間模様に満ち溢れていた。

大晦日の夜、イタリア中の家庭やレストランでは「チェノーネ」と呼ばれる大夕食会が開かれている。12時を回って新しい年が始まると同時に、花火が打ち上げられ爆竹が激しく鳴らされてあたりが騒然とする。

今年も新年を祝う大騒ぎが繰り広げられた。結果、死人こそ出なかったものの、イタリア中で190人が負傷した。このうち爆発で腕や手を失ったり失明したりを含む重症患者は16人だった。

負傷者の多くは例年の如く南イタリアのナポリ近郊に集中していたが、大晦日を待っていた昨年12月29日には、北イタリアでもニュースになる大きな事故があった。

ミラノ近くのヴァレーゼという町で、新年に向けて花火の準備をしていた22歳の若者が、誤って火薬を爆発させて両手と両目を失い、全身に激しい火傷を負ったのである。

そうした事故は毎年毎年飽きもせずにイタリア全土で繰り返されるが、それでも今年は負傷者の数は少ない方だった。それはあるいは、ISなどの過激派のテロへの厳重な警戒が敷かれる中での祝賀だったことが影響したのかもしれない。

僕は以前、ナポリの正月を生中継で日本のお茶の間に届ける番組を作ったことがある。テレビの中継番組というのは仕掛けが大きく、かかわるスタッフの数も多い。つまりそれだけ金もかかるし仕事も重い。

僕はそこでプロになってはじめて、途中で仕事を投げ出したくなるほどのプレッシャーを受けて苦しんだ。苦しかったのはナポリの正月が何もない正月だったからである。

前述したようにイタリアではナポリなどを筆頭に大晦日の夜から新年にかけて大食事会が開かれ、花火や爆竹ががけたたましくはじけて人々が騒ぐ。シャンパンやワインが開けられて大いに飲み歌い楽しむ。

明け方まで大変な騒ぎが続く。騒ぎのあと、正月の昼間は見事なくらいに何もない。人々は疲れて昼頃まで寝ている。起きても別に何もしない。もう祝賀や遊びや興奮は過ぎたのである。

テレビ屋にとってはこれは非常につらい仕打ちである。何かが起こらなければ番組にならない。そういうナポリの正月の昼間の状況は、もちろん事前に調べて分かっている。「何もないナポリの正月を紹介する」というのも番組のコンセプトの一つである。

それはしかし、テレビ画面に何も映さないという意味ではもちろんない。日本とは違って「ナポリの正月は何もない」という現実を、いろいろな「何もない絵」を組みこんで見せていくのが僕の仕事である。これが苦しかった。大変な仕事だった。それほどにナポリの正月は何もない。

ハゲの横好き


僕は

+アタマ額


を目指して驀進中です。

なのに、あ~それなのに、いいハゲこいて、もとへ、いいトシこいて、僕はPerfumeが好きです。

Perfumeを香水と思った人はオヤジでありオバchanである。

ならばPerfumeとは何か。Perfumeを知らない若者のために説明すると、Perfumeは若い女性3人組のアイドルグループである。テクノポップユニット とも言うらしい。

そんなものを好きな僕のようなオヤジはエロいと見なされることもある。正確に言うと若い女性歌手やグループを追っかけるオヤジはエロいらしい。エロ目的のくせにエロい情熱を隠して出没する、ということなんでしょうね。

僕はぶっちゃけそこまでエロくはなさそうだ。なぜならPerfumeの追っかけをするほどの元気はないし、それほどの情熱もない。また僕の娘ほどの年齢のアイドル3人をアイドルともみなせない。

僕のアイドルは(年齢と時代の関係で敢えて言えば)キャンディーズである。ま、キャンディーズを知っている人はぶっちゃけオヤジとオバchanです。で、人気絶頂の頃のキャンディ-ズの3人娘は、まぶしくて近寄りがたくて憧れだった。

僕はそこでもキャンディーズの追っかけをするほどの熱烈なファンではなく、遠くから眺めているという程度の煮え切らない若者だったが、同世代の女性アイドルを熱く見つめている青年が内に秘めているのは、歌への情熱に織り込んだまさにエロだった、という気はしないでもない。

ところが、Perfumeの3人の踊り子たちは、とても田舎っぽくて前述したように僕にはアイドルには見えない。Perfumeは、キャンディーズオジさ んの僕にとっては憧れではなく、例えば故郷の友人のタカオとかヨシオとかの娘みたいな、 あるいは田舎の姪っ子たちみたいな、要するにフツーの娘過ぎてエロにはならないのだ。

とはいうものの、こうしてあれこれ言い訳めいたことを書き連ねているのが怪しい。やっぱりエロだ。というスルドイ指摘もありそうなので、本題に戻る。

僕のPerfume好きをもっと具体的に言えば、実は僕はPerfumeの歌「ワンルーム・ディスコ」が好きなのである。それは♪ジャンジャンジャン♪という電子音(デジタルサウンドと言うらしい)に乗って次のように軽快に歌われる。

ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ
ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ

なんだってすくなめ 半分の生活 だけど荷物はおもい 気分はかるい
窓をあけても 見慣れない風景 ちょっとおちつかないけれど そのうち楽しくなるでしょ

新しい場所でうまくやっていけるかな 部屋を片付けて 買い物にでかけよ
遠い空の向こうキミは何を思うの? たぶん できるはずって 思わなきゃしょうがない
(中略)
新しい場所でうまくやっていけるかな 音楽をかけて計画をねりねり 
今日はなんだかね おもしろいこともないし リズムにゆられたいんだ ワンルーム・ディスコ

ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ~


デジタルサウンドという新鮮な音の洪水に乗って流れるメロディーもいいが、僕にとっては歌詞がもっと良い。つまり:

「なんだってすくなめ 半分の生活」 
「荷物はおもい 気分はかるい」
「そのうち楽しくなるでしょ」
「たぶん できるはずって 思わなきゃしょうがない」

それらの前向きな態度や思考は、僕が理解している限りでの全き禅の世界である。作詞・作曲をした中田ヤスタカさんが禅を意識していないのが、余計に禅的で良い。

禅とは徹頭徹尾プラス思考の世界である。しかもそのポジティブで前向きな生き方を意識しないまま、自然体で体現するのがもっとも理想に近い禅世界だ。

受身ではなく能動的であること。消極的ではなく積極的であること。言葉を替えれば行動すること。「書を捨てよ。町へ出よう」と動くこと。またはサルトルの「アンガージュマン」で行こうぜ、ということである。

もっと別の言い方で説明すれば、それは僕の座右の銘である「日々是好日(にちにちこれこうにち(じつ)」と同じ世界だ。まさに理想的な禅の世界なのだ。

日々是好日とは、どんな天気であっても毎日が面白い趣のある時間だ、という意味である。つまり雨の日は雨の日の、風の日は風の日の面白さがある。あるがままの姿の中に趣があり、美しさがあり、楽しさがある。だからそれを喜びなさい、という意味である。

僕はバカかった頃、もとへ、若かった頃、この言葉を「毎日が晴れたいい天気だ」と勝手に理解して、東洋的偽善の象徴そのものだと嫌悪した。これは愚かな衆生に向かって、「たとえ雨が降っても風が吹いても晴れた良い天気と思い(こみ)なさい。そうすれば仏の慈悲によって救われる」という教えだと思ったのだ。

まやかしと偽善の東洋的思想、日本的ものの見方がその言葉に集約されていると当時の僕は思った。その大誤解は僕が日本を飛び出して西洋世界に身を投入する原動力 の一つにもなった。僕は禅がまったく理解できなかった。しかも理解できないまま僕が思い込んでいる禅哲学が、反吐が出るほど嫌いだった。無知とはゲに怖ろしい。

西洋にも禅的世界観がある。歌の世界であれば:

♪ケセラセラ なるようになるさ~♪

がそうであり、ビートルズの

♪レットイットビー  レットイットビー  レットイットビー♪

もそうである。

ただ西洋のそれは、人生をある程度歩んだ「大人の知恵」という趣が込められた歌だと僕は感じる。つまりそれは、敢えて言えば哲学である。Perfumeの3人娘が歌うのはそんな重い哲学ではない。

軽い日常の、どうやら失恋したらしい女の子の、前向きな姿を今風のデジタルな音曲に乗せて、踊りを交えて歌う。その軽さがいい。深く考えることなく、「軽々と」禅の深みに踏み込んでいるところがいい。

あるいは考えることなく「軽々と」禅の高みに飛翔している姿がいい。。

というのはしかし、東洋の、特に禅の全きポジティブ思考に魅せられている「東洋人の」僕の、東洋世界への依怙贔屓 (えこひいき)に過ぎないのかもしれない。

サンレモ音楽祭とベニスカーニバル


例年2月頃、ここイタリアではサンレモ音楽祭やベニスカーニバルが開催される。両者ともその年によって日にちが多少ずれるが、ほぼ今頃が旬の大きなイベントである。

僕はベニスカーニバルを、主にテレビ番組向けにずい分と取材をした。プライベートでも訪ねた。祭自体も面白いが、ベニスという街に深く惹かれていて、カーニバルにかこつけては出かけてきたのだ。

サンレモ音楽祭は実際に見たことはない。ニューヨークの後にイタリアに移り住んで以来、同音楽祭を取材したいと思わないでもなかったが、企画書を書いた覚えがない。

テレビ番組を作るときは、自らで企画を書いてテレビ局や制作会社に売り込み、金を出してもらう。彼らが取材をしてくれと依頼してくることもあるが、僕の場合はほぼ9割程度が自分で企画を出す。

企画を出すとは、アイデアを具体的な形にして、且つ文章にしたためて金づるに提示するということである。つまり、アイデアを売るのだ。面白くなければ相手は間違っても金を出さない。だから必死だ。

サンレモ音楽祭には、テレビ屋の僕が必死になるだけの魅力がなかった。いや、60年以上も続いている音楽の祭典だ。魅力がないわけがない。僕が魅力を見出せなかったのだ。

魅力を感じなければ企画書など書けない。ドキュメンタリー監督とは番組の第一番目の視聴者のことである。視聴者は番組が面白くなければ見ない。言葉を変えれば、視聴者である監督は、自分が面白いと感じなければ決して企画書など書けない。

サンレモ音楽祭を面白いと思えなかった僕は企画書が書けず、また書く気もなく長い時間が過ぎた。サンレモ音楽祭を面白くないと感じるのは、昔その祭典の中継生放送を見てうんざりしたことが原因。

3、4時間も続く歌の祭典は、似たような歌がえんえんと続く印象で、僕にはほとんど苦痛だった。しかもそれは、番組が1日で終わる例えば紅白歌合戦などとは違って、普通の場合5日間も続くのである。

カンツォーネといえば響きがいいが、要するにそれはイタリアの演歌のことである。僕は演歌も好きだが、中には陳腐な歌詞やメロディーがうっとうしいものも多い。カンツォーネもまさにそうだ。

似たような節回しや思い入れやメロディーが、陳腐な言葉とともに繰り出される状況は、好きな人にはたまらく嬉しいのだろうが、僕にはつらい。

カンツオーネが嫌い、ということではない。演歌同様に僕が好きなカンツオーネは多くある。傑作とはとても思えない歌を次々に聞かされるのが、陳腐な演歌のオンパレードに接しているみたいで疲れるのである。

これではいけないと思って、実は今年は、音楽祭のテレビ中継を全部見てやろうと気合を込め、番組初日の2月10日にテレビ桟敷に陣取った。でも最初の30分ほどでやはり挫けて投げ出した。

セットや雰囲気や構成は素晴らしいのだが、肝心の歌のコーナーでは僕はやっぱり退屈した。感動のない歌ばかりだった。でもいい歌は必ずあるのだ。だって優勝曲を筆頭に、これはという歌が毎年現れる。そこに行き着くまでが長過ぎるのである。

そこで優勝曲が決まる最終日の14日を頑張って見よう、と待ち構えていたのだがすっかり忘れた。後で知った優勝曲はやはりそれなりに面白かった。決勝戦を見るべきだったと後悔したが、もう後の祭りである。

そんな具合に僕の独断と偏見によって、サンレモ音楽祭はテレビ屋としての僕の興味の枠外に置かれてしまい、長時間のドキュメンタリーどころか短い報道番組にさえならなかった。

が、先のことはもちろん誰にも分からない。


麻薬大国の恋人たち



過日、ベニス近くの村で行われた友人の結婚式に出席した。友人とは花嫁のアンナと花婿のマルコ。ともに50歳代半ば過ぎ。マルコは元麻薬中毒患者でイタリア人の妻の幼なじみ。今では僕の友人でもある。

イタリアの麻薬汚染は根深い。誰の身近にも麻薬問題を抱える人間が1人や2人は必ずいる。僕の周りには、オーバードーズなどで亡くなった者以外に、マルコを含めて7人の患者や元患者がいる。

その人数には、僕がテレビや文字媒体での取材を通して知り合った、薬物中毒者や元中毒者は含まれていない。また面識はないが、家族や友人知己を介して聞き知っている常習者も数えていない。

僕が直接に知っている麻薬患者7人のうちの2人は、現役というか今現在の依存症患者。友人と知人の息子である。若い2人は共に麻薬患者更正施設に入っている。

残りの5人は元麻薬中毒者。5人とも40歳代から50歳代の男性4人と女性1人である。彼らのうち早くに中毒から抜けた者は良いが、遅れて開放された者は今も後遺症に悩まされている。

マルコとアンナが10代で出会った時、彼は既に麻薬に溺れていた。アンナはマルコに寄り添い、世話を焼き、麻薬の罠から彼を救い出そうと必死の努力を続けた。

アンナの献身的な介護の甲斐があって、マルコは麻薬中毒から解放され、地獄のふちから生還した。彼が20歳代半ばのことである。
 
しかし、彼は麻薬をやめても精神的に不安定で、落ち着いた普通の暮らしができなかった。元麻薬中毒者によくあるパターンで、肉体的な依存症がなくなっても、精神的なそれからは容易に解放されずに苦しむのである。

2人の息子をもうけながらも、彼らは結婚の決心がつかず、一時期は別れたりもした。マルコが落ち着き、アンナが彼と結婚しても良い、と感じ始めたのは40歳代も終わりのころだったという。
 
10代の後半で麻薬中毒になり、20代でそこから開放されたマルコは、早くに麻薬のくびきから逃れた患者の部類に入る。それでも以後、彼は麻薬の「精神的」禁断症状に苦しみ、還暦が視野に入った今でも「元麻薬中毒者」という世間の偏見と、自らの負い目に縛られ続ける時間を過ごしている。

教会で行われた結婚式では、28歳と26歳の彼らの息子が、結婚の証人として2人の両脇に寄り添って立った。それは正式なものではなく、長い春を経て結婚を決意した両親を祝福する意味を込めて、息子2人が「ぜひに」と教会に申し出て実現したものだった。

2人の結婚を、特にアンナのために、僕は心から喜んでいる。長年マルコに尽くしてきたアンナは、とても女性的でありながら身内にきりりと強い芯を持っている。それは慈愛に満ちた母親的なものである。
 
アンナはその強い心で、廃人への坂道を転がっていたマルコを支えて見事に更生させたのだ。穏やかなすごい女性がアンナなのである。

                               (つづく・随時)


準備完了、いざペルーへ



明日はペルーに向けて出発する。

 

あれこれ準備に手間取ったが、どうやら完了。

 

準備にもっとも気を遣ったのはビデオのハンディカメラ。

わざわざミラノまで出て小型のHDカメラを購入した。その際はカメラマンのステファノとピーノに見立ててもらった。

 

今はどこにでもあるハイビジョン用の小さなカメラ。でもプロ中のプロのカメラマンの二人に言わせると、セミプロ程度の価値がある、とのこと。

 

僕はディレクターだから、カメラの性能にはほとんど興味がない。

 

いや、ディレクターだからカメラの性能には興味がない、という言い方はおかしい。正確には「僕はカメラの性能にはほとんど興味がないディレクター」である。

 

ディレクターとしての僕の仕事は、一にも二にも「アイデア」をひねり出すことである。

続いてそのアイデアを映像に焼き付けることである。

 

言葉を変えれば、アイデアという抽象を映像という具象に置き換えることである。

 

ビデオカメラはその手段に過ぎない。カメラマンはその手段を活かすオペレーターである。

カメラの性能を活かし又殺すのはカメラマンの仕事だ。

そしてディレクターである僕のアイデアが無くては、カメラの性能もカメラマンの腕もクソもないのである。

僕はひたすらアイデアを考え、それを映像にする道筋を考え続ける。それがあって初めてカメラもカメラマンも存在し活きていく。

 

僕はカメラの性能にはあまり興味がない。言葉を変えれば、カメラの性能にこだわっている時間などない、というのがディレクターたる僕の正直な気持ちである。

 

ペルーでは購入したビデオカメラを自分で回すつもりだが、足手まといになるようならさっさと写真撮影に切り替えるつもり。

たとえそれがカメラの性能に疎(うと)い僕の問題だったとしても。

だって僕はカメラマンじゃないのだから。

 

ハードよりソフト、技術よりアイデア、具象より抽象を追い詰めるのがディレクターである僕の仕事だから。


パスクア2012



明日48日はパスクア(復活祭)。

イエス・キリストの復活を祝う重要な祭り。英語のイースターである。

 

パスクアは毎年日付けが変わる。が、祭りの中身は例年ほぼ同じ。

 

家族・親戚・友人などが集って、イタリア定番の食事会を開いて祭りを祝う。その時に供されるのが子羊または子山羊(ヤギ)の肉

 

妻の実家の伯爵家とその親戚筋はどこも子山羊料理がメインコースで出る。

 

今年は親戚の一つの、そこも伯爵家に招待されている。メインはやはり子山羊のオーブン焼き、という知らせがあった。

 

子羊や子山羊料理に次ぐパスクアの名物は2種類のスイート。卵を模(かたど)った大小のチョコレートとコロンバ。

 

卵チョコレートは、ヒナが殻から生まれ出ることを「キリストが墓から出て復活する」ことにたとえたもの。

 

コロンバは鳩のことで、その名の通り鳩の形をしたふかふかのパンのようなスイート。

言葉を変えれば、発酵パン菓子とでもいうところか。平和や愛のシンボルである。

 

僕はそうしたスイートにはほとんど興味がない。食べたいのはメインの肉料理。

 

子羊でも子山羊でもいいができれば子山羊が嬉しい。

 

なぜなら子羊の料理はいつでも食べられるが、子山羊のそれはパスクアの時期にしか食べられないから。

 

長年妻の実家の伯爵家で子山羊料理を食べてきたが、今年は違う親戚の家のレシピが楽しみである。

 

復活祭の翌日はパスクエッタと呼ばれる振り替え休日。その日は友人宅に招(よ)ばれている。

そこでのメイン料理は多分子羊。友人本人はヴェジタリアン。でも客には普通の料理を出す。

 

復活祭の後はトルコのイスタンブールに飛ぶ。バザールでのロケ。

 

ロケの後には技術スタッフと別れて、世界遺産カッパドキアを訪ねる計画。

 

トルコは僕が長い時間をかけて巡る予定の地中海域の一角。

 

今後も何度か訪ねると思うが、今回は仕事ついでにイスタンブール一帯とカッパドキアを見てくるつもりである。

それやこれやで忙しく、パスクア休日を利用してミラノにやってくるシチリア島の友人にも会えそうにない。

仕事のほかにも忙しさがある。

イタリアの財政危機にからんで税法なども変わり、伯爵家はかなり逼迫(ひっぱく)すると見られている。

それはイタリア国民全てに当てはまるが、古い貴族家にとっては事態はさらに重くなりそうな様相。

そこでの関わりでも動くことが重なって多忙を極めている。

しばらくブログも更新できないかもしれないので、今日、明日中に時間があればできるだけ書いておきたいと思うが、

さて・・

サンパトリニアーノ



ヨーロッパ最大の麻薬患者更生施設「サンパトリニアーノ コミュニティ」が揺れている。創設者の一族が施設の経営から手を引く、と発表したのである。その理由がいろいろと取り沙汰されているが、どうやら問題は「金」の」ようである。

 

最大で2000人近い患者が住む「サンパトリニアーノ コミュニティ」は、麻薬中毒の若者たちを見るに見かねた1人の男が、1978年に自らの家に彼らを招いて、共に自給自足の生活を試みたところから始まる。その男の名はヴィンチェンツォ・ムッチョリという。

 

ムッチョリは後には私財をコミュニティに寄付して、彼自身が中心となって本格的な更生施設の経営に乗り出した。

 

麻薬患者らによる自給自足生活を基本方針にした施設は、イタリア社会に大きな波紋を投げかけながらひたすら成長を続け、現在ではそうした類いの団体としては莫大な、と形容しても構わないな資金を動かす巨大組織になっている。

 

創設者のヴィンチェンツォ・ムッチョリは1995年に亡くなった。

 

僕はその直前に彼のはからいで、コミュニティーの中にある一軒家にスタッフと共に寝泊まりをして、そこで起こるあらゆる事象を刻明にカメラで追いかけた経験がある。

 

その当時「サンパトリニアーノ コミュニティ」は、既に約300ヘクタールの土地を有していた。広大な敷地の中には、家族が住まうための1戸建て住宅が100件余り、1500人を収容する巨大な共同住宅が2棟あった。さらに住民のほぼ全員が一度に食事をする大食堂や劇場や体育館や多種スポーツ施設や図書館や保育園やクリニックや歯科医院まである。

 

同時にそこには、40ヘクタールのぶどう園と年間250万本を生産するワイン醸造所があり、6000頭余りの家畜が飼われ、牧場や畑があり、チーズ工場、パン工場、家具製作所、写真印刷所、自動車修理工場、縫製所、板金塗装工場、内装・造園品製作所等々の仕事場があった。

 

それらの仕事場では、コミュニティー内で消費する分は言うまでもなく、外の世界に売るための製品も生産される。パンやチーズなどを別にすれば、むしろ後者の方が主体である。

 

「サンパトリニアーノ コミュニティー」の中にあるこれらの施設には、2011年現在、140名の外部ボランティアおよび350名の雇われスタッフも仕事をしているが、当時は全てコミュニティーの住民自身の手で運営されていた。ボランティアや、国や県が派遣する助っ人、といった者は一人もいなかったのである。

 

言葉を換えれば、クリニックの医師や歯科医や看護婦や薬剤師また保育園の保母などといった専門職の人々も、全員が麻薬中毒者か一度そうであった体験を持つ者ばかりなのである。彼らはにわか医師や歯科医や看護婦などではない。誰もが国家試験にパスしたれっきとした専門家でありながら、麻薬に手を出して人生を狂わせてしまった人々である。それぞれが麻薬中毒から抜け出すためにコミュニティーに入り、専門の知識を活かして各職場で仕事をしていた。

 

彼らばかりではない。「サンパトリニアーノ コミュニティー」に収容された者は、誰もが収容されたその日から施設内の各仕事場に振り分けられて、わき目も振らずに働くことを義務づけられている。実は「労働を通しての更生」というのが、コミュニティーの治療法の最大の特長なのである。

 

身長190センチ、体重120キロの巨漢だったヴィンチェンツォ・ムッチョリは、施設内の麻薬患者の若者らに深く愛されていた。同時に外の世界には彼の治療法に懐疑的な敵も多かった。

 

施設の経営は、創設者のムッチョリの死後、アンドレアとジャコモの2人の息子にゆだねられた。

 

しかし、3年前に2人は経営方針と金を巡って骨肉の争いを演じ、ジャコモが施設を去った。以来兄のアンドレア・ムッチョリが最高責任者となって施設経営がなされてきた。

そして今--アンドレア・ムッチョリが施設の経営から身を引くと宣言したのである。

 

施設内に流れ込む巨額の資金を巡って欲が欲を呼び、外部からの支援者や資金提供者を巻き込んだ駆け引きと暗闘が繰り広げられた結果、創設者一族が経営から身を引く、という事態になったものらしい。よくある話である。

 

ヴィンツェンツォ・ムッチョリの死に際して、僕は一つの時代の終焉を見たと思った。そして息子のアンドレア・ムッチョリが施設経営から身を引く(おそらく撤退を余儀なくされた)事態を目の当たりにして、もう一つの時代の終焉を見たと感じる。

 

それはとりもなおさず、新しい時代の幕開けでもある。

 

麻薬の罠に嵌まって苦しむ若者は、イタリアはもちろん世界中で後を絶たない。「サンパトリニアーノ コミュニティー」は、それらの若者たちにとっての大きな救いの一つであることは疑う余地もない。

施設は存続しなければならないし、存続させなければならない。僕は事態の成り行きをじっと見守っている・・・

 


パリオの行方⑥



キオッチョラが棄権したことを知ったタルトゥーカの人々の喜びようは大変なものだった。誰もがキオッチョラの不運を楽しみ、いい気味だと悪態をつき、もっとひどい事故が起きれば良かった、などと声高に言い合うありさまである。

 

すさまじいのは、タルトゥーカの人々が彼ら同志でひそひそと噂し合うのではなく、その生の感情を誰彼の区別なくぶつけては、哄笑するところだった。もちろん人々はテレビカメラに向かっても堂々とキオッチョラを嘲笑う言葉を吐いた。同情心のひとかけらもないのが見ていても良く分かるのである。

 

シエナの人々は、敵対するコントラーダ間の憎しみ合いを、パリオの間だけの一種のゲームだと主張する。しかしそれは嘘だと僕は思う。彼らの中には日常的に敵コントラーダへの感情的な軋轢(あつれき)が存在している。それでなければ、いかにゲームとはいえ、同じ街の隣接した町内会の人々にあれだけの悪感情は持てない。

 

百歩ゆずって、シエナの人々の主張が本当だとしても、少なくとも年端の行かない子供たちにとっては、町内会が一丸となって敵に対していく異様な状況は、心に深く刻み込まれて祭りが終了すると同時にさっぱりと忘れる、という風にはいかないと思う。わだかまりは祭りの域を越えて残り、やがて1年を通しての彼らの心の常態になっていくであろうことは想像に難(かた)くない。

 

シエナの子供達は、そうやって物心ついた頃から、敵コントラーダへの対抗心や憎しみを吹きこまれつづけて育つのである。そして、今子供たちにそれを教えている大人たちも、かつては又子供だったのである。祭りの間だけのゲーム、と彼らがいうのは大人になった子供が、大人の知恵で口にする対外的な言い訳や建て前であって、彼らの本心はまた別のものである。

 

僕はタルトゥーカを集中的に取材しはじめると同時に、シエナの人々が胸に秘めている暗い情念のようなものを垣間みて衝撃を受けた。正直に言うと、僕はこのときはじめて、パリオの本質が敵対コントラーダへの憎しみを基本に展開される祭りであることを、心底から理解したのである。

 

少し暗い話になるが、僕はこのことを軸にして最終的に作品をまとめるつもりになった。

ところがパリオのドラマは意外な方向に動きだした。

 

キオッチョラが棄権を決めた直後の試し乗りで、今度は「オンダ(波)」町内会の馬が転倒して、騎手が大ケガを負って出場不能になったのである。するとオンダ町内会は、棄権したキオッチョラの騎手を急きょ雇ってパリオに出場すると発表した。

 

このニュースを聞いて、タルトゥーカの人々はパニックに陥った。彼らはキオッチョラがタルトゥーカの馬をつぶすために、オンダと組んで騎手をそこに送りこんだと考えたのである。

 

パリオの騎手は一人一人が専門のプロフェッショナルである。彼らは金で雇われて一つの町内から他の町内へと動くことが多い。

 

クジ引きで決められる出走馬とは違って、騎手の選択はパリオの当日まで自由だから、各町内会は彼らを引き抜いたり買収工作をしたりして敵コントラーダをおびやかす。それもまたパリオ伝統のゲームの一つなのである。

 

ただしゲームとはいえ、そこには相当に大きな額の金が動くから、騎手もコントラーダの人々も極めて真剣になり、工作も複雑で陰湿なものになる。

 

キオッチョラが、オンダと組んで騎手を送りこむことは、充分にあり得る話だった。その場合キオッチョラは、騎手はもちろんオンダ町内会にも金を支払っている可能性がある。あるいはオンダには金を渡さず、将来のパリオで協力することを条件に工作をしているかも知れない。

 

いずれにしてもキオッチョラとオンダの間に何らかの合意ができ上がっている、とタルトゥーカの人々は考えたのである。

 

結論を先に言ってしまうと、キオッチョラの騎手が乗ったオンダの馬は、パリオでタルトゥーカの馬の行く手を阻(はば)んであっさりとこれをつぶした。明らかに工作があったのである。

 

それはパリオの僕の映像にもはっきりととらえられている。しかし一瞬のでき事なので誰もが見逃しかねない。たとえ気づいたとしても、それを見る人は偶然のでき事だとして看過する可能性もある。事実そのでき事は関係者が口をつぐみ、「偶然」として片づけられた。

 

しかし、それは決して偶然のでき事ではなかった。僕はパリオが終わった段階で、騎手とキオッチョラの幹部の口からはっきりと工作があった事実を聞いている。その時テレビカメラに向かって証言してくれるように、と何度も頼んだが受けて貰えなかった。

 

そこで僕は、オンダの馬がタルトゥーカの馬の邪魔をする一瞬をストップモーションにして、しばらく画像を伸ばし「オンダはタルトゥーカをつぶした」と短くコメントを入れて視聴者の注意をうながすにとどめた。

 

パリオはその後、先頭を行く3馬がぶつかり合いながら壁に激突し、その間隙を縫って「ブルーコ」町内会の馬が優勝する、という劇的な展開になった。ブルーコ町内会は過去41年間一度もパリオに勝ったことがないチームだから、シエナ中が興奮して大変な騒ぎになった。

 

そうした予期しないでき事が連続したおかげで、僕はキオッチョラの取材拒否の事実や、タルトゥーカの人々のキオッチョラに対する暗い憎しみや、その時のパリオでもまた馬が一頭死んだ事実等々の、影の部分を余り強調することなく作品を仕上げることができた。

 

たとえそれが事実でも、取材を通して長い間つき合って人間関係ができてしまうと、映像にして人々の不利になりかねない部分は、やはり表には出したくなくなるものである。

 

番組はかなりうまく行って、それから大分時間が経った。ロケの最後には気まずい関係になったキオッチョラの人々とも僕は後年仲直りをした。そうやって僕はシエナにもまた多くの友人ができた。

 

パリオは「馬を隠れ蓑(みの)にしたシエナの人々の大喧嘩」である(パリオの行方②)、という当時の僕の考えは今もまったく変わっていない。

そしてそれは、もしもパリオがブランビッラ大臣などの批判をかわして無事に存続していくなら、来年も再来年も、また将来もずっと変わらないに違いない。

 

話は変わるが、

実はパリオは近く世界遺産への登録申請をする予定だった。そこに今回の馬の死亡事故が起こってしまい、観光大臣らの弾劾を呼んで申請は先延ばしになってしまった。それどころか、8月のパリオの開催さえ危ぶまれる事態になっている。

 

僕は早く騒ぎが収束して、パリオが元の元気を取り戻すことを強く願っている・・


(終わり)




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