マフィア

書きそびれていること~佐川証人喚問




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佐川氏が「刑事訴追を受ける可能性がある」一辺倒の答弁で逃げおおせたのは、喚問をかわすことができる規定そのものの問題とともに、安倍一強がロシア・プーチン、中国・習近平独裁政権にも似た権力だから。

中露の場合は国家がつまり秘密警察が上から押さえるが、日本の場合はそれと同時に下からの抑え、つまり国民による「忖度という名の警察」があるために不正の隠蔽はより強力なものになる。

証人喚問は「刑事訴追を受ける可能性がある」の条項を外して、「司法は証人の証言に囚われずに独自に捜査をすすめなければならない」とした上で、証人にすべてを話すように決め付けるべきだ。

それを利用して検察が証人を追及する危険は無くならないが、それは証人が「刑事訴追を受ける可能性がある」という伝家の宝刀の文言を盾にして逃げる危険と同じ程度の危険である。

同じ危険ならば、国民により多くの利益を生む危険のほうを採用するべきではないか。

自民党の丸川珠代さんが「総理、総理夫人、麻生財務大臣の関与はなかったんですね」という出来合いの質問をすることに、微塵も羞恥を覚えないらしいのは醜悪。

いまさらながら、「TVタックル」時代の可愛さの化けの皮がはがれている、と感じた。仮面の凄味。




マフィアの大ボス「リイナ」よりも女子アナが気になる国の



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昨年11月17日、マフィアのボスの中のボス・トト・リイナが獄死した。

そのことに関して記事を書くため、伊語英語情報集めのついでに「リイナ」と日本語でググると「本仮屋 リイナ 」が筆頭に出ておどろいた。

僕はそれまで本仮屋 リイナ なんて聞いたこともなかった。でも珍しい苗字にすぐにピンときた。

“実姉は女優の本仮屋ユイカ”との説明に、「ああ、やっぱり」と思った。

女優の本仮屋ユイカは、NHKドラマの「そこをなんとか」で貧乏な弁護士役を主演していた。

ドラマの内容も面白かったが、僕は本仮屋ユイカの自然体でさわやかな雰囲気を好もしく思ってきた

でも‘妹’の『元』東海テレビ放送のアナウンサー なんて全く知らない。

「元」女子アナとはいえ、いわゆる女子アナだから、男どものスケベな興味の対象ではあるのだろう。

だからGoogle検索の「リイナ」で、世紀の大悪人「トト・リイナ」よりも重要、と見なされてトップに来るわけだ。

でも・・いくらなんでも検索順位トップはないんじゃないの・・?としつこくこだわってしまった。

やがて・・今さらながら日本はほんとに平和な国だと思った。

かなり複雑な気分で。




「マフィアの梟雄」トト・リイナの死が意味するもの



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トト・リイナの秘密 by Kenjiandrea nakasone



リイナ死す、の報にゆれるイタリア

2017年17日未明、イタリア・マフィアの首魁トト・リイナが獄死した。87歳だった。

猛獣、ボスの中のボス、死刑執行人、大ボス、チビの殺し屋(リイナは小男だった)、などのあだ名で呼ばれて恐れられ憎まれたリイナの死は、イタリア中にあらためて衝撃波を送った。

彼の悪行の総括に始まり、巨大犯罪組織マフィアの行く末、リイナの後継者の有無、最後に彼が要求した受刑者の「尊厳死」への賛否両論、国家とマフィアの取引の有無如何、などなど、古くて新しい問題も含めた議論が活発に交わされているのだ。

台頭

リイナはライバルや目上の悪漢や仲間を容赦なく倒して、1970年代にシチリアマフィアの頂点に立った。その後も自らの力を磐石にするために、司法関係者や果てはタブーとされていた「女性や子供の殺害」さえもためらわずに決行した。

1981年に始まって3年間続いたマフィアの血の闘争、いわゆる「第2次マフィア戦争」では1000人余りの犠牲者が出たが、リイナはそのほぼ全ての殺害に関わったと目されている。また生涯では約150人の抹殺を彼自身が直接に指示したとも見られている。

リイナは女子供まで手にかけたり、殺害した遺体を硫酸で溶かして海に遺棄するなど、犯罪組織の攻撃手法のみならず、その意識もより非情残虐な方向へと改悪した、世紀の大凶漢だった。

憎まれ者

リイナの犯罪の被害者の一人は、彼の訃報を聞いてこう言った。「神が彼を許しますように。なぜなら私たちは彼を永遠に許さないから」。それはキリスト教の最大の教義の一つである「赦し」の心を解する善人が、リイナへの憎しみを消せない自らの苦しい胸のうちを語った、意義深い表現であるように思う。

またカトリック教会は、リイナの葬儀を取り行わないと正式に表明した。2015年、フランシスコ教皇がマフィアの構成員を全員破門にする、と決めたことを受けての動きである。これも極めて異例の処置。リイナの存在の奇怪を示して余りがある。

国家権力に挑む

リイナは国家権力にまで戦いを挑むことで、不気味な犯罪者としての地位を不動のものにしていった。彼は敵対する司法関係者を次々に血祭りに挙げたが、中でも人々を驚愕させたのが、反マフィアの旗手・ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の殺害だった。

リイナに率いられたマフィアの男たちは1992年、パレルモの自動車道を高速で走行していたファルコーネ判事の車を、遠隔操作の爆破装置を使って破壊した。半トンもの爆薬が正確無比な操作によって炸裂し、判事の体は車ごと飛散した。

凶行を指揮したリィナはその夜、部下を集めてフランスから取り寄せたシャンパンで判事の死を祝った。リイナは当時、イタリア共和国そのものを相手にテロを繰り返して、「勝利を収めつつある」とさえ恐れられていた。

得意の絶頂にいた大ボスは、イタリア司法がマフィア捜査に手心を加えるなど、犯罪組織の要求を受け入れるならば、爆弾テロに始まる大量殺戮攻撃を停止してもいい、と国家に迫ったと言われている。

陰謀説

同時にファルコーネ判事の殺害には、国家権力そのものが関わったとの見方もある。つまり当時のイタリア共和国首相ジュリオ・アンドレオッティが、保身のためにシチリア人の判事の謀殺を指示した、という説である。

ファルコーネ判事殺害のちょうど1ヶ月前、1992年4月24日、3回7期に渡ってイタリア首相を務めたジュリオ・アンドレオッティの最後の内閣が倒れた。アンドレオッティ首相自身と側近が、マフィアとの癒着や汚職疑惑を糾弾されて、政権が立ち行かなくなったのである。

アンドレオッティ首相は権力の座から引きずり降ろされた後は、いかにイタリア政界を圧する実力者とはいえ、彼の政治的な影響力が低下して、司法や政界からの反撃が強まるであろうことが予想された。
 
そこで彼は将来の禍根を除こうとして、マフィアの大ボス、トト・リイナと謀って、マフィア捜査の強力なリーダーであり、反マフィア運動のシンボル的存在でもあった、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事を爆殺したというのである。

リイナの驕り

ジュリオ・アンドレオッティ元首相は、マフィアとの癒着が強かったことで知られている。彼はボスのリイナと親しく抱擁する姿を目撃されたり、リイナが逃亡潜伏中も彼と接触し便宜を図ったことなどが明らかになっている

2017年現在も執拗にささやかれる元首相とマフィアの癒着疑惑は、僕などの目には調べるほどに真実味を帯びていくようにも写る。しかし、25年前のもう一つの事件は、その逆の真実を語るようにもまた見えてしまうのである。

ファルコーネ判事の暗殺から2ヵ月後の1992年7月19日、判事の同僚で親友のパオロ・ボルセリーノ判事が惨殺された。判事の動きを正確に察知していたマフィアが、道路脇の車中に仕掛けた爆弾を炸裂させて、彼を中空に吹き飛ばしたのである。
 
その事件もアンドレオッティとリイナの共謀によるもの、という見方はもちろんできる。が、僕の目にはファルコーネ判事殺害の成功に気をよくしたリイナが、いわば図に乗って強行した犯罪のように見えて仕方がない。彼は「やり過ぎた」と思うのである。

司法の反撃

その頃のリイナは2人の判事を爆殺して自慢 の極みにいた。が、実はそこが彼の転落の始まりだった。ファルコーネ、ボルセリーノ両判事の殺害は民衆の強い怒りを呼んだのだ。イタリア中に反マフィアの空気がみなぎった。その世論に押される形で司法は犯罪組織への反撃を開始した。

翌1993年1月、イタリア警察はほぼ四半世紀に渡って逃亡を繰り返していたリイナをついに捕縛した。するとリイナは獄中からマフィアを指揮してすぐに報復を開始した。 ローマ、ミラノ、フィレンツェの3都市に爆弾攻撃を仕掛けたのだ。

だがテロは長くは続かなかった。リイナの逮捕をきっかけにしたイタリア司法の激しい攻勢は止まず、官憲はマフィアの一斉検挙を行いつつ組織の幹部を次々に捕らえていった。当局はマフィアの壊滅を目指してひたすら突き進んだ 。

日本円で約180億円にのぼるリイナの個人資産が押収され、裁判所は彼に
26件の終身刑を科した。イタリアには死刑制度はなく、終身刑が最大刑罰である。つまりリイナは、もしもイタリアに死刑制度があったならば、飽くまでも象徴的な例えだが、26回も極刑を執行されなければならない猛悪凶徒だった。

不遜な引かれ者

リイナは逮捕から獄死までの24年間、不遜な態度を貫いた。謝罪はおろか反省や自白をほとんどしないまま司法への協力も拒み続けた。彼がたった一つ口を割ったのは、犯罪組織との関わりを認めたことだけだった。

死期が迫った今年2月、リイナは獄内に設置された盗聴器に気づかないまま、面会に来た妻との会話の中で「俺は絶対に司法に屈しない。謝罪も告白もしない。奴らが俺の刑期を30年から3000年に切り換えてもだ」という趣旨の発言をした。

リイナのその発言は、元反マフィア検事で現上院議長のピエトロ・グラッソ氏が昨年、もう一人の凶悪犯ベルナルド・プロヴェンツァーノの死に際して、「彼は多くの秘密を抱えたまま長い血糊の帯を引きずって墓場に行った」 という言葉を思い起こさせる。

グラッソ氏の言葉を借りれば、プロヴェンツァーノのさらに上にいたボスの中のボス・リイナは、彼だけが知る巨大な秘密のベールを身にまとったまま、プロヴェンツァーノが引きずって逝った長い血糊の帯をさらに圧する、いわば長大な血の川にまみれて死んでいった、とも言えるのではないか。

リイナの功績

極悪人のリイナは一つだけ良いことをした。すなわち彼は、司法への爆弾攻撃や大量殺戮などの派手な犯罪を犯すことで、それまで地下に潜んで見えにくかったマフィアとその悪行を、「良く見える存在」に変えた。

リイナは独特の手法によって組織内でのし上がっていったが、同時にそれはマフィアの衰退も呼び込む諸刃の剣でもあった。なぜならイタリア司法は、可視部分が増えて的が大きくなったマフィアを、執拗に追撃することができるようになったからだ。

25年前、反マフィアのシンボル・ファルコーネ判事を排除して、さらに力を誇示するかに見えたマフィアは、そこを頂点に実は確かに崩壊し始めた。2大ボスのリイナ、プロヴェンツァーノ以外の組織の大物も90年代以降次々に逮捕され、彼らの資産もあらかたが没収されてマフィアの弱体化が加速した。

それに伴って彼らによる大量虐殺はなくなり、殺人事件も減り、その他の凶悪犯罪も目に見えて減少している。司法の働きに加えて、故ファルコーネ判事に代表される反マフィア活動家たちの「マフィア殲滅」運動が、じわじわと効果をあげつつあるのだ。

イタリアがEU(欧州連合)に加盟している現実も、マフィアの衰勢に貢献していると考えられる。欧州の人々はイタリア人ほど「何事につけゆるい」思考法を持たない。例えばマフィアが得意のマネーロンダリングに手を染めたくても、緊密に連携し合っているEU内の銀行がこれを許さない、というような事態がそこかしこで起きているであろうことが、容易に想像できるのである。

ライバルか見せかけか

弱体化したマフィアは、イタリアの別の犯罪組織であるカモラやンドランゲッタに、「最強者」の地位を奪われているようにさえ見える。が、実態はまだ分からない。マフィアは地下に潜り、ライバルの2組織が「マフィアの黙認の元に」派手に動いているだけ、という可能性もある。

マフィアはより目立たないやり方で財界や政界に食い込みつつ、地下で組織を立て直し力を温存して再生を図っている、と考える司法関係者も多いのだ。犯罪集団の目論見が成功すれば、イタリアは元の木阿弥になって、マフィアのさらなる脅威にさらされる危険がある。

第二次マフィア戦争で排撃されたと言われるマフィアの一部が先鋭化し拡大して、La Stidda(ラ・スティッダ) という凶暴なグループを形成していることも、司法関係者の注意を引いている。マフィアの主流派と対立する彼らが暴走する可能性も高い、と考えられているのである。

後継者と未来図

リイナ亡き後のマフィア主流派を率いるのは、逃亡潜伏中のボス、マッテオ・メッシーナ・デナーロだというのが大方の見方である。しかし彼はリイナ逮捕時の1993年から地下に潜り続けている。そんな状況下では組織をまとめ経営するのは無理ではないか、という懐疑論もある。

だが昨年獄死したマフィアNO2のプロヴェンツァーノは、獄中のリイナに代わって逃亡先から犯罪組織を牛耳った。つまり1993年から2006年に逮捕されるまでの13年間、プロヴェンツァーノは地下からマフィアを動かしたのだ。メッシーナ・デナーロにその力量がないとは誰にも言えない。

マフィアはリイナの逮捕による組織の崩落開始から四半世紀が過ぎた今も、相変わらず隠然とした勢力を保っている。リイナの死によって時代の大きな節目がやっては来たが、その勢力が完全死滅することはあり得ない。順応力に優れているマフィアは、死滅するどころか、自らDNAを組み替えてあらたな組織に生まれ変わりつつある、と考えるほうがむしろ無難なのかもしれない。




マフィアの正真正銘のボス・リイナ死す



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早朝から繰り返しリイナの獄死を告げる伊メディア


ボスの中のボス、と呼ばれたマフィアの頭領トト・リイナが獄死した。87歳。

1000人以上の殺人事件に関連し、そのうち少なくとも150人の殺害を直接命令したとされる。

1993年に逮捕されたリイナは、26件もの終身刑を科されながら決して罪を認めず、獄中から巨大犯罪組織を指揮し続けていたと見られている。

トト・リイナの前にも、また彼が逮捕された後にも、マフィアの凶悪犯は数多くいた。だがリイナほどの冷酷さと残虐さで大規模殺人を計画、実行した者はいない。

彼はマフィア間のライバルや敵対する官憲の抹殺、という「伝統的」なマフィア・ビジネスを「女子供」にまで広げて容赦なく殺害する、という手法でのしあがった。

野獣と呼ばれたリイナは、イタリア共和国そのものにまで戦いを挑んだ。それを象徴的に示すのがシチリア島で起きたカパーチの悲劇

1992年5月23日、マフィアは自動車道を高速で走る「反マフィアの旗手」ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車を、遠隔操作の起爆装置を用いて正確に爆破、殺害した。

イタリア国家とマフィアが、食うか食われるかの激しい戦いを繰り返していた時期に起きたその事件は、マフィアがついに国家権力に勝ったのでもあるかのような衝撃をもたらした。

しかし、強い反マフィアの世論に後押しされたイタリア司法が反撃。翌年1993年には、24年間に渡って逃亡潜伏を繰り返していたリイナを逮捕した。

しかし、リイナは折れなかった。獄中でも傲岸な態度を貫き、反省や自白を一切しないままマフィアのトップに君臨し続けた。

彼の死は、昨年やはり獄死したベルナルド・プロベンツァーノに続いて、マフィアの一時代の終焉を告げるものだが、決して「マフィアの終わり」を物語ってはいない。

                                 
                                     この項つづく





トト・リイナは刑務所内で尊厳死を、と裁判所



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裁判所のリイナ



2017年7月17日、イタリアの拘留再審裁判所(ボローニャ市)は、史上最悪のマフィアボスとも規定されるトト・リイナの尊厳死を否定する判決を下した。

1993年に逮捕されて服役中のリイナは、高齢と病気を理由に終身刑の減刑を申し立て、伊最高裁は先日、彼の申請を吟味するように拘留再審裁判所に命じていた。

ボローニャ拘留再審裁は、リイナが収監されているパルマ刑務所内の41Bis(最高警戒レベル棟)の医療施設は最良のものであり、彼の尊厳死が損なわれることはない、とした。

また、リイナは今年2月、面会に来た妻との会話の中で「俺は絶対に司法に屈しない。謝罪も告白もしない。奴らが俺の刑期を30年から3000年に切り換えてもだ」という趣旨の発言をした。

裁判所はそのことも指摘して「リイナは依然として(マフィアのトップにあって)社会の敵である。彼を解放するのは危険が大き過ぎる」とも断言した。

リイナの弁護人は再び控訴するとしているが、恐らく今後申し立ては取り上げられることはなく、世紀の悪人「野獣トト・リイナ」は、41Bis(最高警戒レベル)監視下で死を迎えることになるだろう。


他者の尊厳を踏みにじる殺人鬼にも尊厳死の権利はあるの?



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トト・リイナ


イタリア最高裁判所は2017年6月5日、マフィア史上最大最悪のボスとも形容される、トト・リイナを釈放するべきか否か吟味するよう、拘留再審裁判所に命じた。

獄中のリイナは86歳の高齢に加えて、癌と複数の病に侵されているとされる。彼の弁護人はそれを理由に1年前、自宅拘禁または終身刑の軽減を要請した。何度目かの申請だった。

最高裁は直近の訴えを認め「あらゆる末期患者と同じようにリイナにも尊厳死が認められるべき」として、要請を却下していた拘留再審裁判所に差し戻し審理を言い渡したのである。

「凶悪犯のリイナにも尊厳死を」という最高裁の裁定に、イタリア中が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。人々の驚きの実相は、次に記すマフィア構成員以外の被害者家族の心情に集約されていると思う。

25年前、リイナによって爆殺された反マフィアの旗手、ファルコーネ判事の妹マリア・ファルコーネさんは、「私にはもはやリイナに対する格別の怨みはない。しかしリイナは依然として危険な犯罪者のままでいるのだから、社会の安全のために刑務所内に留まるべき」とコメントした。

第2次マフィア戦争中の1982年、マフィア捜査のトップだった父親ダッラ・キエザ将軍を殺害された娘のリタさんは、「私の父は母と護衛の警察官ともどもマフィアに惨殺された。だがマフィアは遺体にシーツを被せるなどの最小限の気遣いさえしなかった。彼らの死は尊厳死とは程遠いものだった。なのになぜリイナには尊厳死が認められるのか」と怒りをあらわにした。

「反マフィア国会委員会」委員長のロージー・ビンディ氏は、「リイナが収監されているパルマ刑務所内には高度な医療設備を持つクリニックがある。リイナはそこで治療を受ければ済むこと」とした。この意見には多くの国会議員らも賛成している。

またマフィアによる連続爆破事件の一つである1993年の「フィレンツェ・ウフィッツィ博物館爆破事件被害者の会」も、最高裁の裁定に深い衝撃を受けた、信じられない、として判決を強く批判している。

一方、「全国受刑者支援の会」のマウロ・パルマ氏は、「最高裁が何よりも人間の尊厳を重視する原則を披瀝したのは極めて喜ばしい」と表明した。また「イタリア刑事弁護士会」は「刑罰のゴールは復讐であってはならない」として、最高裁の仁慈裁定を支持する旨のコメントを出した。

その残忍凶暴さから“野獣”とも呼ばれるリイナは、マフィアの頂点に君臨して1000人余りの殺害に関わったとされる。この数字の根拠は、1981年から83年にかけてのマフィア間の血の闘争、いわゆる第2次マフィア戦争で1000人余が殺害されたが、当時マフィアのトップにいたリイナが、NO2のプロヴェンツァーノとともに命令を下したことにある。

リイナ自身は100人余の殺害を実際に行ったと見られている。また1996年に逮捕されて司法協力者になった元マフィアNO3のジョヴァンニ・ブルスカは、「自分は100人~200人を殺害したが正確な数字は分からない」と自白した。それも全てリイナの指示によっていた。

リイナは情け容赦のない手段でライバルのマフィアや司法関係者、一般市民などを殺害していった。また彼以前のマフィアのボスがタブーと見なしていた「女性や子供の殺害」もためらわずに指示した。リイナは犯罪組織の攻撃手法のみならず、その意識もより非情残虐な方向へと改悪していったのである。

1992年には、シチリアマフィア事件の象徴とも言える「カパーチの悲劇」が起こった。反マフィアの中心人物ファルコーネ判事が高速走行中の車ともども爆破されたのだ。この事件の実行犯はブルスカだが、殺害指示を出して主導したのはやはりトップのリイナだったことが、実行犯のブルスカ自身を始めとする多くの証言で裏付けられている。

彼自身も残虐な殺人鬼だったブルスカは、1996年に逮捕された後に寝返って司法協力者となり、多くの貴重な情報をもたらした。彼はその功績によって、終身刑の身でありながら、2004年以降は45日ごとに刑務所を出て家族とともに一週間を過ごすことを認められている。

彼の獄中での模範的な行動と、なによりも司法への情報提供に対する褒賞である。そのことを知った被害者家族からは警察への非難の声が上がった。が、犯罪者が司法に協力することで利を得る司法取引とはそういうものだから、納得のいく顛末ではないかと思う。

リイナの弁護士は、あるいはブルスカの例なども考慮してリイナの釈放を要請したのかもしれない。しかし、リイナは逮捕後も秘密を明かさず口も割らず、むろん司法への協力も拒み続けている。彼もまた-元反マフィア検事で現上院議長のピエトロ・グラッソ氏がいみじくも指摘したように-プロヴェンツァーノと同じく「多くの秘密を抱えたまま長い血糊の帯を引きずって墓場に行く」ことが確実だ。

イタリアの司法制度は厳罰主義を取らない。そこにはキリスト教の「赦し」の教義が強く反映している。「人は間違いを犯すものであり、間違いは許されるべきである」という寛容と慈愛に満ちたその哲学を、僕は深く敬仰し支持する。しかし、リイナの赦免に対しては違和感を覚えざるを得ない。

リイナ並みの重罪犯であるプロヴェンツァーノは、昨年83歳で獄死したが、死の直前の彼の健康状態は今のリイナよりも重篤だった。だが彼は終身刑を解かれることはなく獄中で死んだ。リイナだけがなぜ放免されなければならないのか、僕はやはり強い不審を抱かずにはいられない。

リイナには26件の終身刑が科されている。つまりもしもイタリアに死刑制度があったならば、飽くまでも象徴的な例えだが、26回も刑死を執行されなければならない猛悪凶徒なのである。司法に協力をせず、反省も謝罪もなく、秘密も明かさない言わば「悪の確信犯」の彼は、プロヴェンツァーノ同様に刑務所内で生を全うするべき、と断ずるのは酷だろうか。



25年前、確かにマフィアの静かな壊死は始まったが・・


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ファルコーネ判事


1992年5月23日、つまり25年前の今日、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測される)のスピードで走行していた「反マフィアの旗手」ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がった。

それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、1/2トンの爆薬を炸裂させた瞬間だった。正確に言えば1992年5月23日17時56分48秒。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えた。マフィアはそうやって彼らの天敵であるファルコーネ判事を正確に葬り去った。

大爆殺を指揮したシチリアマフィアのボス、トト・リィナは、その夜部下を集めてフランスから取り寄せたシャンパンで「目の上のたんこぶ」ファルコーネ判事の死を祝った。当時、イタリア共和国そのものを相手にテロを繰り返して勝利を収めつつある、とさえ恐れられていたトト・リィナは得意の絶頂にいた。が、実はそれが彼の転落の始まりだった。

敢然とマフィアに挑み続けてきた英雄ファルコーネ判事の死にシチリア島民が激昂した。敵対する者を容赦なく殺戮するマフィアの横暴に沈黙を強いられてきた島の人々が、史上初めてマフィア撲滅を叫んで立ち上がった。その怒りは島の海を越えてイタリア本土にも広がった。折からのマニプリーテ(汚職撲滅)運動と重なってイタリア中が熱く燃えた。

世論に後押しされた司法がマフィアへの反撃を始めた。翌年1993年の1月、ボスの中のボスといわれたトト・リィナをついに警察が逮捕したのだ。マフィアはその前にファルコーネ判事の朋友ボルセリーノ判事を爆殺し、リィナ逮捕後もフィレンツェやミラノなどで爆弾テロを実行するなど激しい抵抗を続けた。しかし司法はマフィアの一斉検挙を行ったりして組織の壊滅を目指して突き進んだ。

1996年5月20日、ファルコーネ判事爆殺テロの実行犯ジョバンニ・ブルスカが逮捕された。彼はマフィアの襲撃防止のために高速走行をしていたファルコーネ判事の車の動きを、近くの隠れ家から双眼鏡で確認しつつ爆破装置を作動させた男。フィレンツェほかの爆弾テロの実行犯でもある。100人~200人を殺したと告白した凶暴な殺人鬼でありながら、リーダーシップにも優れた男であることが判明している。

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爆殺現場

ブルスカは当時マフィアの第3番目のボスと見られていた。組織のトップはすでに逮捕されたリィナ。ナンバー2が1960年代半ば以来逃亡潜伏を続けているベルナルド・プロヴェンツァーノだった。ブルスカは逮捕後に変貌して司法側の協力者になり、逃亡先からマフィア組織を指揮していたプロヴェンツァーノは2006年4月に逮捕され、昨年6月、83歳で獄死した。

現在のマフィアを指揮しているのは、トト・リィナが逮捕された1993年から逃亡潜伏を続けている マッテオ・メッシーナ・デナーロ(Matteo Messina Denaro 55歳)と見られている。警察はこれまでに何度か彼を逮捕しかけたが失敗。獄中のトト・リィナとなんらかの方法で連絡を取っている、という見方も根強いが真相は分かっていない。

メッシーナ・デナーロが逮捕される時、マフィアの息の根が止まる、という考え方もあるが、それは楽観的過ぎるどころか大きな誤謬である。25年前、反マフィアのシンボル・ファルコーネ判事を排除してさらに力を誇示するかに見えたマフィアは、そこを頂点に確かに実は崩壊し始めた。だがその崩落は四半世紀が過ぎた今もなお全体の壊滅とはほど遠い、いわば壊死とも呼べるような不完全な死滅に過ぎない。

イタリアの4大犯罪組織、つまりマフィア、ンドランゲッタ、カモラ、サクラ・コローナ・ウニータのうち現在最も目立つのはンドランゲッタである。彼らを含むイタリアの犯罪組織を全て一緒くたにして「マフィア」と呼ぶ、特にイタリア国外のメディアのおかげで、真正マフィアは表舞台から姿を消したのでもあるかのように見える。だがその状況はマフィア自身がその現実をうまく利用して沈黙を守っている、とも考えられるのだ。

その沈黙は騒乱よりも不気味な感じさえ漂わせている。トト・リィナの逮捕後、潜伏先からマフィア組織を牛耳ったプロヴェンツァーノが昨年獄死したとき、元マフィア担当検事で上院議長のピエトロ・グラッソ氏(Pietro Grasso)は「多くの謎が謎のまま残るだろう。プロヴェンツァーノは長い血糊の帯を引きずりながら墓場に行った。おびただしい数の秘密を抱え込んだまま・・」とコメントした。

マフィアの力は、前述してきたように、過去20数年の間に確実に弱まってはいる。ファルコーネ判事に代表される反マフィア活動家たちが実行し続ける「マフィア殲滅」運動が、じわじわと効果をあげつつあるのだ。またイタリアがEU(欧州連合)に加盟していることから来るマフィアへの圧力も強いと考えられる。しかし、マフィアは相変わらず隠然とした勢力を保っている。反マフィアのピエトロ・グラッソ氏が指摘するように、多くの事案が謎に包まれた犯罪組織は絶えず蠕動し続けていて、死滅からは程遠いと言わざるを得ないのである。




珍説:マフィアがイタリアのテロを防ぐ Ⅱ



イタリアでイスラム過激派によるテロが発生していないのは、イタリア警察が頑張っているからである。マフィアがテロを防いでいるなどという説は、イタリア=マフィアという先入観に毒されたテンプラに過ぎない。

そのことを確認した上で、いくつかの所感あるいは疑問点も、ここに記録しておこうと思う。

イタリアはもう長い間イスラム過激派からテロの脅迫を受け続けている。それでも一度も事件が起きないのは、あるいはイタリアには攻撃するだけの価値がない、とテロリストが見なしているからかも知れない。

つまり、パリやロンドンやブリュッセル、あるいはベルリンを攻撃するほどの「宣伝価値」がない、と彼らが考えていることだ。ローマを始めとするイタリアの多くの有名観光都市は、政治的に見て価値が低い、と彼らが独自の評価をしていないとは誰にも言えない。

次は幸運な偶然が重なってテロが避けられている可能性。たとえば12人が死亡し50人近くが重軽傷を負ったベルリンのトラック・テロ犯、アニス・アムリは、5日後にイタリア北部の街セスト・サン・ジョヴァンニで警官に射殺された。

ミラノ近郊のセスト・サン・ジョヴァンニは、共産党の勢力が強いことからかつて
「イタリアのスターリングラード 」とも呼ばれた街だ。現在は中東やアフリカからの移民が多く住む多文化都市になっている。大きなムスリム共同体もある。

そこにはミラノ発の地下鉄の終着駅があり、南イタリア各地とモロッコ、スペイン、アルバニアなどへの長距離国際バスの発着所もある。いわば交通の要衝都市だ。アニス・アムリは2011年にチュニジアからイタリアに入り、投獄の経験などを経て北欧に向かった。

ベルリンでの犯行後、フランス経由でイタリアに戻った彼は、セスト・サン・ジョヴァンニ駅近くで職務質問をされて、警官に向かって発砲。銃撃戦の末に死亡した。彼はムスリム共同体のあるセスト・サン・ジョヴァンニで仲間と接触しようとしたと見られる。

テロリストはそこで何らかの準備をした後、セスト・サン・ジョヴァンニからバスでモロッコに出て、故国のチュニジアに逃亡しようとしたのかも知れない。あるいは前述したように、イタリアでのテロを画策していたのが射殺されて潰えたのかもしれない。

アムリの死によって彼が計画していたイタリアでのテロが未然に阻止されたなら、それは偶然以外の何ものでもない。そしてもしかすると、同じようなことがそこかしこで起こっているかもしれない。おかげでイタリアはテロから免れている。

イタリアならではの次のようなシナリオの可能性も皆無ではない、と僕は考えている。イタリア共和国と警察当局が、彼らの対テロ作戦にマフィアを組み込んでうまく利用している。その場合はマフィア以外の組織、つまりンドランゲッタやカモラなどのネットワークも使っているかもしれない。

1980年代、マフィアはイタリア国家を揺るがす勢いで凶悪犯罪を重ねた。彼らは国家を脅迫し、国家との間に犯罪組織を優遇する旨の契約を結んだとさえ言われた。だが90年代に入ると形勢は逆転。最大のボスであるトト・リイナを始めとする多くの幹部も次々に逮捕されて弱体化した。

それでもマフィアは健在である。しかし、現在は国家権力が彼らの優位に立っているのは疑いようがない。したたかな権力機構は、80年代とは逆にマフィアを脅迫、あるいはおだてるなりの手法も使って、組織を対テロ戦争の防御壁として利用している可能性もある。

そこには、かつてマフィアと国家権力との間に結ばれた、契約なり約束に基づいた了解事項あるだろう。それが何かは分からないが、かつて2者の間に何らかの合意があった、という説は執拗に生きている。ナポリターノ前大統領は「イタリア共和国とマフィアとの間には約定はない」と公式に表明しなければならないほどだった。

合意そのもの、あるいはその名残のようなものの存在の是非はさて置くとしよう。もしもテロ対策に長けたイタリア治安当局が、マフィアに何らかの便宜を図る司法取引を持ちかけて、密かに彼らをイスラム過激派との戦いに組み入れているのならば、それはイタリア国家と警察機構の狡猾と有能を示す素晴らしい動きだ。

イタリア警察はここまでテロを未然に防いできた。だが今後はどうなるかは誰にも分からない。前述の作戦が秘密裏に展開されているなら、「国家と犯罪組織の共謀」という大いなる不都合にはしばらく目をつぶって、テロの封じ込めを優先させるべき、と考えるのは不謹慎だろうか?

珍説:マフィアがイタリアのテロを防ぐ


僕のブログの読者の方から「イタリアでテロが起きないのはマフィアがいるから、と聞きましたが本当でしょうか。できたらそのことについて書いてください」という連絡をいただいた。

僕はおどろき、苦笑しつつその情報の出所を探したがよく分からなかった。よく分からないが、イタリア=マフィアという、いつものステレオタイプに根ざしたヨタ話の類であろうことは想像ができる。

先ず一番考えやすいのは、テロ=犯罪(犯罪組織)=マフィアという図式から導き出す浮薄な論考である。犯罪組織であるマフィアは同じ犯罪組織であるテログループ、あるいはテロ犯がイタリアに侵入するのを嫌ってこれを殲滅する、という主張あたりだろうか。

イタリアには3大犯罪組織がある。マフィア(コーザノストラ)、カモラ、ンドランゲッタである。これにサクラ・コローナ・ウニタを加えて4大組織と考える場合もある。それらの犯罪集団は全て経済的に貧しいナポリ以南の各地を拠点にしている。ローマに根を張る別の組織もある。

彼らはそれぞれをの縄張りを互いに尊重し合い、縄張り外に進出する場合も基本的には衝突を避ける形でしのぎを削っている、とされる。だがその実態は正確には分からない。ライバル組織同士がぶつかる、といった事件がほとんど無い事実がその推測を呼ぶのである。

さて、マフィアがテロを防ぐ、という時のマフィアとは歴史や勢力図などから見て、シチリア島が拠点の「本家マフィア」のことだろう。それは最も勢力が大きく、アメリカのマフィアとも親戚筋にあたる。彼らは欧州にも世界各地にも根を張っている。そのマフィアがテロを阻止している、ということなのだろう。

だがそれはお門違いの論法だ。なぜならマフィアはむしろテロ組織との共謀を模索している、と見るほうが妥当だからだ。マフィアはテロが横行して国が混乱する方が嬉しいのだ。それだけ彼らの悪行が成就しやすくなり、彼らに対する官憲の追及もテロ対策に忙殺されて緩む。

事実、イタリア国家と治安機関がISを始めとするイスラム過激派組織の台頭に最も神経を尖らせるのは、彼らのイタリアへの直接攻撃はもちろんだが、テロ組織とマフィアなどの犯罪組織が手を結んで社会を混乱させ、利益を挙げようと画策することである。

マフィアがテロ組織と手を結びたくなるインセンティブは、イタリア国内での犯罪・利権漁りに留まらない。彼らはテロ組織と共謀して、主に北アフリカの国々に勢力を拡大したいと渇望している。そこにはリビアやチュニジアなどを筆頭に、歴史的にイタリアと関係が深いアラブ諸国が幾つも存在する。

それらの国々の多くは、イスラム過激派やテロ組織の巣窟でもある。彼らがマフィアの手助けをする見返りに、マフィアはテロ犯の動きをイタリア国内で助ける、という図式が警察当局の最も恐れるものなのだ。マフィアはテロを阻止するのではなく、むしろ鼓舞するのである。

イタリアの犯罪組織の中では、シチリアを拠点にするマフィアが圧倒的に強かったが、近年は半島南部のプーリア州に興ったンドランゲッタが急速に勢いを増している。マフィアも押され気味だ。ンドランゲッタは北部イタリアのミラノなどでは、マフィアを凌ぐ勢力になったのではないか、とさえ見られている。

加えてイタリアがEU(欧州連合)の一員であるために、欧州全域からのマフィアへの風当たりが強くなって、そこでもマフィアは四苦八苦している。そんな折だから、マフィアはイスラム過激派と組んで、彼らの得意な麻薬密売や密貿易や恐喝、また無差別殺戮の爆弾テロなどを縦横に遂行したい気持ちが山々なのだ。

イタリアの官憲は「イタリアらしく」のんびりしていて厳密さに欠ける、というステレオタイプな見方がある。ステレオタイプには得てして一面の真実が含まれる。だがテロ抑止に関しては、彼らはきわめて有能でもある。それがここまでイタリアにテロが発生していない理由だ。

具体的に見てみよう。カトリックの総本山バチカンを擁するイタリアは、これまでに繰り返しイスラム過激派から名指しでのテロ予告や警告を受けてきた。それにもかかわらず、未だに何事も起こっていない。2015年には、半年にも渡って開催されたミラノ万博の混乱も無事に乗り切った。

また万博終了直後から今年11月20日までのほぼ一年間に渡って催された、バチカンのジュビレオ(特別聖年)祭の警備も無難にこなした。ジュビレオでは2000万人余りのカトリックの巡礼者がバチカンを訪れた。そこに通常の観光客も加わって混雑したローマは、テロリストにとっては絶好の攻撃機会であり続けた。が、何事もなく終わったのだ。

また、国際的にはほとんど報道されることはないが、軍警察を中心とするイタリアの凶悪犯罪担当の治安組織は、実は毎日のようにイスラム過激派の構成員やそれに関連すると見られる容疑者を洗い出し、逮捕し、国外退去処分にしている。このあたりは警察を管轄するシチリア出身のアンジェリーノ・アルファーノ前内務大臣の功績が大きい、と僕は個人的に考えている。

イタリアの官憲は、たとえば車で言えばアルファロメオだと僕は思う。イタリアの名車アルファロメオは、バカバカしいくらいに足が速くて、レースカーのようにスマートで格好がいい。ところがこの車には笑い話のような悪評がいつもついてまわる。いわく、少し雨が降るとたちまち雨もりがする。いわく、車体のそこかしこがあっという間にサビつく、云々。「突出しているが抜けている」のである。

イタリアの官憲もそれに似ている。テロを見事に防いでいるのがアルファロメオの抜群の加速性であり美しいボディーだ。一方、追い詰めたコソ泥やマフィアのチンピラに裏をかかれて慌てふためいたりする様子は、雨漏りや車体のサビとそっくりだ。幸いこれまでのところは官憲の突出部分だけが奏功して、イタリアにはテロが起こっていない。

そこには本当にマフィアの功績はないのか、と言えば実は大いにある。つまりイタリア警察は、長年に渡るマフィアとの激しい戦いのおかげで、彼らの監視、捜査、追及、防止等々の重要な治安テクニックを飛躍的に発展させることができた。その意味では「マフィアがイタリアのテロを防いでいる」という主張も、あながち間違いではない、と言えるかも知れない。


マフィア鬼の “かくれんぼ”



トト・リイナと並ぶ現代マフィアの2大首魁の片方、ベルナルド・プロヴェンツァーノが7月13日に獄死した。プロヴェンツァーノは2006年に逮捕される までの
43年間逃亡潜伏を続け、その間に欠席裁判で6回もの終身刑(イタリアには死刑はない)を課された。逮捕された時はシチリア島パレルモ近郊の農家に1人でいたが、逃亡中の一時期は妻子も伴って潜伏していたことが分かっている。

彼の前にはトト・リイナもパレルモ市内で24年間逃亡潜伏を続けた。また現在のマフィアのトップと目されるマッテオ・メッシーナ・デナーロは1993年以来逃亡潜伏を続け、リイナやプロヴェンツァーノと同じように潜伏先から犯罪組織を自在に指揮していると見られている。マフィアの大物は長期間シチリア島内の、ほとんどの場合比較的小さなパレルモ市内で楽々と逃亡潜伏を続けるケースが多い。その中でもプロヴェンツァーノの43年間というのは異様に長い。

プロヴェンツァーノが逮捕された時、マフィアのトップの凶悪犯が、人口70万人足らずのパレルモ市内で、時には妻子まで引き連れて40年以上も逃亡潜伏することが果たして可能か、という議論が起こった。それは無理だと考える人々は、イタリアの総選挙で政権が交替したのを契機に何かが動いて、ボス逮捕のGOサインが出たと主張した。

もっと具体的に言うと、プロヴェンツァーノが逮捕される直前、当時絶大な人気を誇っていたイタリア政界のドン、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が選挙に 負けて政権から引きずり下ろされた。そのためにベルルスコーニ元首相はもはやマフィアを守り切れなくなり、プロヴェンツァーノ逮捕のGOサインが出た、というものである。

その説はベルルスコーニ元首相とマフィアが癒着していると決め付けるものだ。が、確たる証拠はない。証拠どころか、それは彼の政敵らによる誹謗中傷の可能性さえある。しかしながらイタリアではそういう「噂話」が絶えずささやかれるのもまた事実である。

なにしろベルルスコーニ氏以前には、3回7期に渡って首相を務め、長い間イタリア政界を牛耳ったジュリオ・アンドレオッティ元首相が、「隠れマフィアの一 員」という容疑で起訴されたりする国である。人々の不信がつのっても仕方がない現実もある。また、次のようにも考えられる。

シチリアは面積が四国よりは大きく九州よりは小さいという程度の島である。人口は500万人余り。大ボスはシチリア島内に潜伏していたからこそ長期間つかまらずにいた。四方を海に囲まれた島は逃亡範囲に限界があるように見えるが、よそ者を寄せつけない島の閉鎖性を利用すれば、つまり島民を味方につければ、 逆に無限に逃亡範囲が広がる。警察関係者や政治家等の島の権力者を取り込めばなおさらである。

そうしておいて、敵対する者はうむを言わさずに殺害してしまう鉄の掟、いわゆる『オメルタ(沈黙)』を島の隅々にまで浸透させていけばいい。『オメルタ(沈黙)』は、仲間や組織のことについては外部の人間には何もしゃべってはならない。裏切り者はその家族や親戚はもちろん、必要ならば 果ては友人知人まで抹殺してしまう、というマフィア構成員間のすさまじいルールである。

マフィアはオメルタの掟を無辜の島民にも適用すると決め、容赦なく実行していった。島全体に恐怖を植えつければ住民は報復を怖れて押し黙り、犯罪者や逃亡者の 姿はますます見えにくくなっていく。オメルタは犯罪組織が島に深く巣くっていく長い時間の中で、マフィアの構成員の域を超えて村や町や地域を巻き込んで巨大化し続けた。冷酷非道な掟はそうやって、最終的にはシチリア島全体を縛る不文律になってしまった。

シチリアの人々は以来、マフィアについては誰も本当のことをしゃべりたがらない。しゃべれば報復されるからだ。報復とは死である。人々を恐怖のどん底に落とし入れる方法で、マフィアはオメルタをシチリア島全体の掟にすることに成功した。しかし、恐怖を与えるだけでは、恐らく十分ではなかった。住民の口まで封じるオメルタの完遂には別の要素も必要だった。それがチリア人が持っているシチリア人と しての強い誇りだった。

シチリア人は独立志向の強いイタリアの各地方の住民の中でも、最も強く彼らのアイデンティティーを意識している人々である。島は古代ギリシャ植民地時代以来、ローマ帝国、アラブ、ノルマン、フラ ンス、スペインなど、外からの様々な力に支配され続けてきた。列強支配への反動で島民は彼ら同志の結束を強め、かたくなになり、シチリアの血を強烈に意識するようになってそれが彼らの誇りになった。

シチリアの血をことさらに強調するする彼らの心は、犯罪結社のマフィアでさえ受け入れて しまう。いや、むしろ時にはそれをかばい、称賛する心根まで育ててしまう。なぜならば、マフィアもシチリアで生まれシチリアの地で育った、シチリア の一部だからである。かくしてシチリア人はマフィアの報復を恐れて沈黙し、同時にシチリア人としての誇りからマフィアに連帯意識を感じて沈黙する、という二重のオメルタの落とし穴にはまってしまった。

シチリア島をマフィアの巣窟たらしめているオメルタの超ど級の呪縛と悪循環を断ち切って、再生させようとしたのがパレルモの反マフィアの旗手、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事だっ た。90年代の初め頃、彼の活動は実を結びつつあった。そのために彼はマフィ アの反撃に遭って殺害された。しかし彼の活動は反マフィアの人々に受け継がれ、大幹部が次々に逮捕されるなど犯罪組織への包囲網は狭まりつつある。だがマフィアの根絶はまだ誰の目にも見えていない。

「マフィアとは一体何か」と問われて、僕はこう答えることがる。「マフィア とはシチリア島そのもののことだ」と。シチリア島民の全てがマフィアの構成員という意味では勿論ない。それどころか彼らは世界最大のマ フィアの被害者であり、誰よりも強くマフィアの撲滅を願っている人々である。シチリア島の置かれた特殊な環境と歴史と、それによって規定されゆがめられて行ったシチリアの人々の心のあり方が、マフィアの存続を容易にしている可能性がある、と言いたいだけだ。

自分の言葉にさらにこだわって付け加えれば、マフィアとはシチリア島そのものだが、シチリア島やシチリアの人々は断じてマフィアそのものではない。島民全てがマフィアの構成員でもあるかのように考えるのは「シチリア島にはマフィアは存在しない」と主張するのと同じくらいにバカ気たことだ。マフィアは島の人々の心根が変わらない限り根絶することはできない。同時に、マフィアが根絶されない限りシチリア島民の心根は変わらない。マフィアはそれほ ど深く広くシチリア社会の中に根を張っている。




血まみれ謎まみれのマフィアボス、プロヴェンツァーノ逝く



2016年7月13日、マフィアのボスの中のボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノが獄死した。83歳。彼は25歳で最初の殺人を犯し、30歳になるかならないかの頃に逃亡。以後43年に渡って逃亡潜伏を続け、その間にマフィアのトップであるトト・リイナに次ぐ地位にまで上り詰めた。

イタリア国家とマフィアが食うか食われるかの激しい戦いを繰り返していた1992年、反マフィアの急先鋒だったシチリア島パレルモのファルコーネ判事とボルセリーノ判事が爆殺された。爆弾によるテロを主導したのは、マフィアトップのリイナと逃亡中のプロヴェンツァーノだったとされる。

その翌年、司法が反撃に打って出た。マフィアの頂点にいたトト・リイナが逮捕されたのである。その大捕り物劇はNO2のプロヴェンツァーノが仕組んだと言われる。プロヴェンツァーノのさらに上にいて「野獣」と恐れられたボスの中の真のボス、リイナが逮捕された後、プロヴェンツァーノはマフィアNO1の地位に君臨することになった。

敵を容赦なく殺戮排除していく残虐な手法から、彼自身もまた「ブルドーザ(イタリア語でtrattoreだがニュアンスはブルドーザ)」と畏怖されたプロヴェンツァーノは、巨大犯罪組織の資金管理能力にも長けていたことから「会計士」とも形容された。彼は司法によるマフィアへの便宜と引き換えに、テロを抑制することを国家権力に提案したとされる。

事実プロヴェンツァーノがマフィアのトップに就いて以後、犯罪組織による激烈な犯行やテロは次第に鳴りをひそめて行った。だがそれはプロヴェンツァーノの犯罪そのものを帳消しにすることではない。彼は常にイタリア司法当局が追い求める凶悪犯リストのトップに居つづけた。

イタリア警察にはプロヴェンツァーノが20代半ばだった1959年撮影の顔写真があるのみで、近影のものが一切なかった。司法は写真を元に老境に入った犯罪者の指名手配写真をコンピュターで作成して行方を追った。しかし、プロヴェンツァーノの行方は杳(よう)として知れなかった。

1990年代、警察はプロヴェンツァーノの逮捕につながる情報を提供した者には約2億円の賞金を支払うとした。しかし、情報はほとんど寄せられず、2000年代には賞金の額はほぼ3億円に引き上げられた。それでも有力な情報はなく捜査は難航を極めた。

転機は2002年にやって来た。プロヴェンツァーノが大きなミスを犯した。シチリア島を抜け出した大ボスが、密かにフランスのマルセイユに行った。そこの病院で前立腺の治療を受けたのだが、提出した身分証には偽の名前と共に本物の写真が貼り付けられていた。

フランスから書類のコピーを入手したイタリア警察は狂喜した。そこから捜査は進展。確固としたプロヴェンツァーノ追跡が始まった。そして4年後の2006年4月11日、欠席裁判で6つの終身刑を受けながらも逃げ続けた大ボスは、潜んでいたシチリア島パレルモ近郊の農家でついに捕縛された。

プロヴェンツァーノは、1000人以上の殺害に関わり、870億円余の個人資産を蓄えていたとされる。当時マフィアは「みかじめ料」だけで年間約1兆4千億円を巻きあげ、土建業や売春や麻薬密売やテロや賭博等でさらに莫大な収益を上げていた。

逮捕されたプロヴェンツァーノは、「 41-bis」と呼ばれるマフィア凶悪犯禁錮法に基づいて、最大警戒レベル刑務所に収監された。しかし近年は病気がちで気力も弱りしばしば鬱の症状も出た。2012年には刑務所内で自殺もはかったりしていた。

元マフィア担当検事で上院議長のPietro Grasso( ピエトロ・グラッソ)氏は、プロヴェンツァーノの死を受けて次のように語った。「多くの謎が謎のまま残るだろう。プロヴェンツァーノは長い血糊の帯を引きずりながら墓場に行った。おびただしい数の秘密を抱え込んだまま・・」

プロヴェンツァーノの死は、全くマフィアの死を意味しない。彼より3歳年上のトト・リイナは、同じく「 41-bis」の適用された警戒厳重な刑務所でまだ存命している。しかし、プロヴェンツァーノ以上に口が堅いとされる大ボスもきっと何も語ることなく死んで行くのだろう。マフィアの壁は依然として高くぶ厚い。

プロヴェンツァーノが収監された2006年以降、後継者争いに勝って現在マフィアを率いているのは54歳のMatteo Messina Denaro(マッテオ・メッシーナ・デナーロ)とされる。彼はトト・リイナが逮捕された1993年に逃亡。今も潜伏を続けている。恐らくシチリア島内の、しかもパレルモのあたりで・・。


映画にならないマフィアの実像



言うまでもないことだが、映画「ゴッドファーザー」でマーロン・ブランド、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノなどが演じた、躍動するマフィアの男たちの姿は劇中のみの夢物語である。いや、多くの犯罪行為は現実のマフィアのそれにも重なるが、イメージとしての人物群像は映画のように格好の良いものではない。

たとえば今言った映画の登場人物3人の顔に、収監中のマファの大ボス、トト・リイナ、ベルナルド・プロヴェンツァーノ、ジョヴァンニ・ブルスカ等の、洗練とは程遠い横柄不遜な悪相を重ねて見るだけでも語るには十分だろう。銀幕上の颯爽たる役者とは似ても似つかないのがマフィアの男たちである。

シチリア・マフィアの起源についてはいろいろな説があるが、元々はシチリア島西部に起こった、支配者フランスへの抵抗組織だったという説が有力である。というよりも、シチリア島の多くの人々がそう信じたがっているように見受けられる。

その説に従えば、MAFIAという名も「Morte Alla Francese Insurrezione Armata」(フランス人に死を。武器を持って立ち上がれ。)の頭文字を取ったものだということになる。意味は通じるのである。

また同じような解釈で「Morte Alla Francese Indipendenza Autonomia」(フランス人に死を。そして独立と自治を。)、あるいは「Morte Alla Francia! Italia Anela!(フランスに死を。これはイタリアの叫びだ。)」の略語という説もある。  

こうした解釈は、マフィアに少なからぬ連帯感を持っている人々のこじつけのような気が僕はする。第二次大戦時のナチスやファシストに対するフランス及びイタリアのレジスタンス運動に似せて、マフィアを「シチリアの民衆の味方」として位置づけようとする作意が感じられるのである。

しかしマフィアの持つおどろおどろしいイメージや実態には、むしろ次の2つの説のほうが良く似合う。

1つは、大昔シチリア島のパレルモ地方を支配していたアラブの種族「 Ma Afir(マ・アフィル)」から来ているという説。 またもう1つは、フランス兵に娘を殺された母親がシチリア方言で「Ma Figlia! Ma Figlia ! 」(娘よ、娘よ)と泣き叫びつづけたことから来るという説である。 Ma Figliaはシチリア訛りの発音では「マフィア」とほとんど区別がつかない。

西洋人がアラブ人に抱く不気味なイメージ、そして哀れなシチリアの農婦が娘の亡骸を掻き抱いて号泣する図。そうした不可解な感じ、悲哀、土着的なもの、古代の粘着感・・・のようなものがマフィアの本質であって、決してレジスタンス運動のような英雄的な、しかもある意味で近代的な思想や行動様式を持つ男たちの集合体ではなかったと僕は思う。

いずれにしても、それらの説には1つだけ重大な共通点がある。つまりどの説も支配され、蹂躙されつづけたシチリアの人々の悲劇や怨念や復讐心や詠嘆を背景にしてマフィアが生まれた、と主張している点である。

シチリア島は紀元前のギリシャ殖民地時代以来、間断なく島外の大きな力の支配を受け続けてきた。国(島)を乗っ取られて迫害を受けたと感じたシチリアの人々は、彼らだけで団結し、団結の要としてマフィアという秘密結社が形成されて人々を保護した、という訳である。その主張は恐らく正しい。
 
とはいうもののマフィアはそれと同時に、シチリア島の中で支配者とは関係なく存在してきたシチリア社会だけの必要悪でもあった。それはたとえば日本の片田舎で、発展する都会の富に浴さないと感じた人々が、土地の山を切り開いてリゾート施設を作ったり、道路を作ってくれたりする地元の建設業者にぴたりと寄り添う心理と極めて似通っている。

マフィアは殺人や麻薬密売やテロに手を染める犯罪シンジケートであると同時に、土地開発やハコ物行政やインフラ整備に関わるあらゆる公共事業等の利権を握っているシチリアの有力者、あるいは権力者とも呼べる存在である。その構図は表向きは秘匿されている。だからこそのマフィアなのである。  

マフィアは建設会社を経営し、建設会社を通して村人を支配し、村人の票を一手に握って地域の政治家を支配し、その単純な構図をさらに拡大してイタリアの国政にまで入り込んでいる。シチリア島は、基本的に土建業者であるマフィアに生活の糧を握られている巨大な村社会でもあるのだ。
 
土建業者であるマフィアは、そこで儲けた金を元手にあらゆる事業に進出して、ますます強くなった。強くなるためには殺人を犯し恐喝を実践し無差別殺戮の爆弾テロにまで手を染める。事業は密貿易、売春、麻薬密売とどんどんエスカレートして、巨大犯罪組織としての側面がふくらんでいく。

しかしながらその巨大犯罪組織は、それぞれの土地の構成員をうまく使い隠れ蓑にして、貧しい村や町の人々の生活に密接に関わっている土地の土建業者、あるいは強持ての有力者、という基本的な立場は少しも変わることなく保ちつづけている。
 
もっと言えば、シチリアの人々の生活を助けてくれるのは、ローマの政治家に代表される大陸(シチリア人はイタリア本土を良くそういう風に呼ぶ)の力ではなく、その土地土地のマフィアの男たちなのだ、と人々に思いこませるだけの力を保持している。そこがシチリアにおけるマフィアの強さであり、マフィアとはシチリア島そのものだと僕が感じるゆえんである。

シチリアのマフィアはシチリアの人々のメンタリティーが変わらない限り根絶することはできない。同時にマフィアが征服されない限りシチリア島の人々のメンタリティーは変わらない。マフィアはそれほど深く広くシチリア社会の中に根を張っている。

しかしシチリア島民の名誉のために付け加えておけば、そうした癒着の構図は、内容や構成要因その他に様々の違いはあるものの、イタリア本土にもまた欧州にも、さらには日本を含む世界各国にも存在する普遍悪であって、決してシチリア島の専売特許ではない。





マフィアの用心棒


マフィアの構成員ヴィットリオ・マンガノが、ベルルスコーニ元首相の厩舎番として雇われていたのは1973年から1975年の間である。彼は元首相の子供たちが誘拐されないよう警戒する役割を担っていた。

マンガノはベルルスコーニ邸を離れて25年後の2000年7月、殺人罪で終身刑を受けて収監され、わずか数日後に獄死した。死因は癌だとされる。彼はベルルスコーニ邸で仕事をしながら、デルトゥリ元上院議員と共にマフィアとベルルスコーニ氏の仲を取り持ったという強い疑いをかけられている。

 デルトゥリ元議員もベルルスコーニ元首相もそれを否定し、それどころか元首相は、マンガノを雇ったとき彼がマフィアの構成員であるとさえ知らなかった、と証言している。その真偽はさておいて、僕は元首相がマンガノを用心棒として雇ったのは許せる出来事であったように思う。 ベルルスコーニ氏が政界に進出した頃は、僕も彼の支持者とは言わないまでも、元首相に好感を抱いている人間の一人だった。しかし時間経過と共に、公私混同の著しい政策やでたらめな言動に嫌悪感を覚えて、僕は長い間彼の批判者であり続けている。しかし、マンガノ事案に関しては、僕はあまり元首相を批判する気にはなれない。そのことは公平を期するためにも言っておくべきだと考えたので、エントリーすることにした。

1960年代後半からイタリアでは誘拐事件が相次いで発生していた。政治がらみのものもあったが、身代金目当ての誘拐事件も頻発していた。裕福な家の子供が誘拐されて、本人であることの証明として耳を切り落とされ、身代金要求と共にそれが家族に送りつけられる、というような残酷なケースも目だった。

実業家として大成して大きな富を得、それをさらに拡大しようとしていた時期のベルルスコーニ氏が、そんな物騒な世情を目の当たりにして、2人の子供の安全を気遣ったのはごく自然なことである。彼は部下のデルトゥリ氏の紹介で強持ての男、マンガノを子供の周囲の監視役として雇った。

 恐らく彼はその時、マンガノがいかなる経歴の男であるかは知らされていたのではないか。マフィアの一員を雇ったこと。部下の中にマフィアとつながる者がいること。そしてマフィアの存在そのものetc、etc・・それらは悪であり、不快なことであり、排斥されるべき事柄であることは論を待つまでもない。長きにわたってイタリア随一の政治家であり続け、首相経験もあるベルルスコーニ氏の場合には特に。

ところが、マンガノを用心棒として雇った1973年のベルルスコーニ氏は、若くして富を得た有能な実業家の一人に過ぎなかった。彼が政界に進出するのはそこから20年以上も先、1994年のことである。子供の安全の為にマフィアの構成員を用心棒として雇った男が、一人の大金持ちなら良くて、政治家なら悪い、というのは筋の通らない話だが、僕はこの件では敢えて筋を曲げて元首相を弁護したい気持ちになるのだ。

なぜなら一連の出来事はここイタリアでの話である。誘拐事件を起こすような連中は、マフィアと直接あるいは間接に関わりがある場合も多いと考えられる。マフィアの真正の構成員であるヴィットリオ・マンガノが、子供の守護役としてベルルスコーニ氏に雇われた事実は、闇のサークルで素早く広く噂として拡散して、誘拐の抑止力になり易かったであろうことは想像に難くない。

元首相と、マフィアに近いとされる彼の右腕のデルトゥリ元上院議員は、そのことを確認しあった上で、例えば民間の警備会社員や元警察官や元軍人などの
「普通の用心棒」ではなく、闇社会に顔の聞く「異様な用心棒」ヴィットリオ・マンガノを敢えて採用したのではないか。

もしそうであるならそのエピソードは、ベルルスコーニ氏が政界進出をしていなかった場合は、きっと誰にも気に留められずに時間の流れに埋もれて消え去っていたに違いない。

そんなエピソードはイタリアにはきっと多い、と僕が感じるこの「感じ」はしかし、この国に住んでみないと恐らく分かってもらえないことなのだろう・・



シチリア島・トラパニ市長の「オメルタのすすめ」



先日、イタリア・シチリア島トラパニ市の新市長に選ばれたヴィト・ダミアーニ氏が「マフィアについてはあまりしゃべらない方が良い。マフィアにこだわり過ぎることで青少年が恐怖心を抱くことになり、教育上良くない」と発言して物議をかもした。

新市長の表明は、反マフィアのシンボルであるジョヴァンニ・ファルコーネ判事が、シチリア島のカパーチでマフィアに爆殺されてからちょうど20年の節目を意識してのものだった。それに対してイタリア中から強い非難が湧き起こったのである。


1992年5月23日17時56分48秒、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測される)のスピードで走行していたジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がった。

それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、500kgの爆薬を炸裂させた瞬間だった。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えた。マフィアはそうやって彼らの敵であるファルコーネ判事を正確に葬り去った。

それから20年後の先月5月23日、イタリア各地から集まった
2500人の学生を乗せた2隻の大型客船が、シチリア島パレルモ港に着いた。学生らはマフィア撲滅の為に戦って命を落とした、ファルコーネ判事を讃えまた記念するために行動を起したのである。若者らのアクションに代表されるそうした「反マフィア」あるいは「マフィア撲滅」キャンペーンが、判事の死後20年という節目の今年はイタリア中で多く計画されている。

特に
犯罪組織のお膝元のシチリア島では、マフィア排撃の気分がどこよりも濃く充満している。トラパニ市長のおどろきの主張は、そのさ中に突然行なわれたのだった。多くの人々はそれを、マフィアを擁護するにも等しいトンデモ発言と捉えた。

マフィアには周知のように『オメルタ(沈黙)』という鉄の掟がある。組織のことについては外部の人間には何もしゃべってはならない。裏切り者はその家族や親戚や果ては友人知人まで抹殺してしまう、というすさまじいルールである。

オメルタは、犯罪組織が島に深く巣くっていく長い時間の中で、マフィアの構成員の域を超えて村や町や地域を巻き込んで巨大化し続けた。容赦ない掟はそうやって、最終的には
シチリア島全体を縛る不文律になってしまった。

シチリアの人々はマフィアについては誰も本当のことをしゃべりたがらない。しゃべれば報復されるからだ。報復とは死である。人々を恐怖のどん底に落とし入れる方法で、マフィアはオメルタをシチリア島全体の掟にすることに成功した。

しかし、恐怖を与えるだけでは、マフィアはおそらくシチリアの社会にオメルタの掟を深く植えつけることはできなかった。シチリア人が持っているシチリア人としての強い誇りが、不幸なことにマフィアへの恐怖とうまく重なり合って、オメルタはいつの間にか抜き差しならない枷(かせ)となって人々にのしかかっていったのである。

ファルコーネ判事に代表される反マフイァ活動家たちが目指してきた「マフィア殲滅(せんめつ)のシナリオ」の一つが、このオメルタの破壊である。いや、オメルタの打破こそ判事が目指した最大の目標だったと言ってもいいだろう。彼はそれに成功を収めつつあった。だからマフィアの反撃に遭って殺害されたのである。

「犯罪組織マフィアとは一体何か」と問われたなら、僕はためらわずにこう答えるだろう。「マフィアとはシチリア島そのもののことである」と。もちろんそれはシチリアの島民の全てがマフィアと関わっているという意味ではない。それどころか彼らは世界最大のマフィアの被害者であり、誰よりも強くマフィアの撲滅を願っている人々である。
 
シチリア人は
独立志向の強いイタリアの各地方の住民の中でも、最も強く彼らのアイデンティティーを意識している人々である。それは紀元前のギリシャ植民地時代以来、ローマ帝国、アラブ、ノルマン、フランス、スペインなどの外の力に支配され続けた歴史の中で培われた。列強支配への反動で島民は彼ら同志の結束を強め、かたくなになり、シチリアの血を意識してそれが彼らの誇りになった。

シチリアの血を強烈に意識する彼らのその誇りは、犯罪のカタマリである秘密結社のマフィアでさえ受け入れてしまう。いや、むしろそれをかばって、称賛する心根まで育ててしまうことがある。なぜならば、マフィアもシチリアで生まれシチリアの地で育った、シチリアの一部だからである。

かくしてシチリア人はマフィアの報復を恐れて沈黙し、同時にシチリア人としての誇りからマフィアに連帯意識を感じて沈黙するという、巨大な落とし穴にはまってしまった。

僕はさっきマフィアとはシチリア島そのものである、と言った。それはシチリア島の置かれた特殊な環境と歴史と、それによって規定されゆがめられて行った、シチリアの人々の心のあり方を象徴的に言ったものである。
 
もう一度自分の言葉にこだわって言えば、マフィアとはシチリア島そのものであるが、シチリア島やシチリアの人々は断じてマフィアそのものではない。島民の全てがマフィアの構成員でもあるかのように考えるのは、シチリア島にはマフィアは存在しない、と主張するのと同じくらいにバカ気たことである。

シチリア島をマフィアの巣窟たらしめている、オメルタの超ど級の呪縛と悪循環を断ち切って、再生させようとしたのがファルコーネ判事であり、彼に続く反マフィア活動家の人々である。20年に渡る彼らの運動は少しづつ奏功しているように見える。それは判事の死後トト・リーナ、ジョヴァンニ・ブルスカ、ベルナルド・プロヴェンツァーノなどのマフィアの大幹部が次々に逮捕されて、犯罪組織への包囲網が狭まっていることからも推測できる。

トラパニ新市長の発言を良いように解釈すれば、ファルコーネ判事の死から20年が過ぎたことを機に、マフィアにこだわるばかりではなく未来志向で生きて行くことも大切だ、という意味合いがあったのかもしれない。しかし、マフィアが未だ壊滅していないシチリア島の厳しい現実を見れば、それはやはり「オメルタの推奨=マフィアの擁護」と見られても仕方のない非常識な物言いというべきであろう。

 

 

 

書きそびれたことども



書こうと思いつつ流れてしまった時事ネタは多い。そこで、できれば将来どこかで言及したいという意味を込めて、自分にとって引っかかる出来事の幾つかを列記しておくことにした。

  

マフィア関連

 

四日前の2012年5月23日は、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事がシチリアのカパーチでマフィアに爆殺された、20年目の記念日。

 

マフィアは1992年5月23日、パレルモのプンタライジ空港から市内に向かって時速140km以上のスピードで走るファルコーネ判事の車を、遠隔操作の爆破装置で正確に破壊した

 

ほぼ2ヶ月後の7月19日、彼の朋友で反マフィア急先鋒のパオロ・ボルセリーノ判事もパレルモ市内で爆殺される。

 

それらの事件には、収監中のマフィアのトップ、ボス中のボスと言われるトト・リイナ及びNo2のプロヴェンツァーノ、実行犯のジョヴァンニ・ブルスカらが深く関わっていた。

 

トト・リイナが逮捕された後、マフィア組織のトップに君臨していたのは、ベルナルド・プロヴェンツァーノ。彼は2006年に逮捕されて収監中。

 

今月10日、プロヴェンツァーノは刑務所内でプラスチック袋を頭に被って自殺未遂をした。袋が一体どこから彼の手元に渡ったかは不明。いつものマフィアがらみの謎。

 

話が前後するが、

 

2011年9月、トト・リイナの息子サルヴッチョが、8年10ヶ月の刑期を終えて出獄。罪状は「マファアとの連結・相関及び恐喝」だった。

出所後は就職も決まっていたが、世紀の悪人「トト・リイナ」の姓「リイナ」という現代イタリア最大の悪名がたたって、あちこちから拒絶反応が起きてしまい、生まれ故郷のシチリア島コルリオーネ村に送還される。そこでも村長が「良からぬ人物の居住は困る」と公式に発言。とても先進国とは思えない魔女狩りのようなイタリア社会の偏狭固陋な実態が明らかになる。

それを受けて、いくらなんでも罪を償い出所した男を差別し過ぎるという声と、大ボス「リイナ」の息子で本人もマフィアの構成員らしい男への当然の仕打ち、という声がぶつかりあう。犯罪者にも人権があるのかどうか、という古くて新しい議論だが、そんなもの人権があるに決まっている。それを認めなければ犯罪者を裁く行為も違法になるのではなかろうか。

またそれから3ヶ月後の12月7日には、ナポリの犯罪組織「カモッラ」の大ボスで
16年間も逃亡生活を送っていたミケーレ・ザガリア容疑者が逮捕された。彼は逮捕されるときイタリア人らしい名言を吐いた。即ち:
「わかった。国家の勝ちだ(・・・
Ha Vinto lo Stato)」。

日本人ならこんな言葉はまず思いつかないだろう。せいぜい「くそ、サツの勝ちだ」とか「サツに負けた・・」とか、目一杯ゆずって「検察の勝ちだ・・」などとでも言うところではないか。

ザガリアの呟きは、各地方が独立国家のように存在を主張してツッパリあっているイタリアならではの愉快発言、と僕には見える。つまり彼はイタリア人である前に、イタリア共和国内の心情的独立国家「ナポリ国のナポリ人」なのである(笑)。

 

再び話が前後するが、今月初め、93歳のイタリアの終身上院議員、ジュリオ・アンドレオッティが心臓病のため緊急入院。いったん事なきを得たが、老齢のため先行きが危ぶまれている。

アンドレオッティは3回7期に渡って首相を務め、隠れマフィアの一員と見なされて起訴、有罪、逆転無罪を勝ち取るなど、真っ黒に近い灰色政治家。
現在93歳の彼が亡くなればマフィアの一時代も確実に終わる。でも一時代が終わるだけで、マフィアの息の根を止めるのはまだ難しいだろう。

 

ウサギのこと


昨年、うちの庭に放たれたあと姿が見えなくなっていたウサギが、生きていることが判明。隣のパオロが家から200メートルほど離れた空き地で彼を見かけたのだ。僕も早速行ってみたが発見できなかった。でも動物好きのパオロの話では間違いなくうちのウサギだという。

そこで僕は彼に「トーボー君(fuggitivopiccolo)」という名前をつけた。マフィアの欠席裁判ならぬ「欠席命名」だ(笑)。帰って来てくれれば何よりだが、たとえ逃亡を続けても生きていることが分かっただけで嬉しい。空き地周りには畑なども多いので、きっと食べ物には困らない。誰かが捕らえて丸焼きにでもしない限り生きながらえるだろう。よかった・・


その他

 

4月3日、ロータリークラブに依頼されて講演をした。テーマは何でもいいという話だったので、日伊テレビ(番組)比較論でもしゃべろうかと思った。が、普段からイタリアのテレビ、特に公共放送のRAIが、ドキュメンタリー制作の伝統をほとんど持たないことに不満を抱いている自分は、しゃべるうちに頭に血が上って罵詈雑言を吐きそうな気がしたので止めた。

テレビ局がドキュメンタリー制作の伝統や文化を持たないのは、視聴者であるイタリア国民があまりそれを見たがらないからだ。だからテレビを罵倒するのはイタリア人を罵倒することだ。そう思って止めたのである。

その代わりに、素直に日本文化について自分なりの考えを話した。途中で「日本人にとっての自然とは、皆さんにとっての宗教に近い重要なものです」というひと言を入れたら、案の定、特に高齢者のメンバーの人たちが明らかに目をシロクロさせた。予想通りの反応がとても面白かった。一神教のドグマに縛られている人たちには、そういう話は永遠に理解できないのだ。

 

 

ベアトリーチェとシチリア



先週の土曜日、ブレッシャ市近辺の貴族家の晩餐会に夫婦で招かれた。同家は当主夫妻と一男二女、それに当主の姉の6人家族。

 
そのうちの長女ベアトリーチェが、シチリア島のパレルモでマルトラーナ教会の修復作業にたずさわっていると知る。嬉しいサプライズ。

 

イタリアには、絵画を含む芸術作品や歴史的建造物あるいは調度品などの修復、改修、復元などを専門とする「修復師(restauratore)」というりっぱな仕事がある。

 

ベアトリーチェは、2年前に芸大の修復専門科を卒業して、修復師になった。アート好きな若者たちの憧れの職業の一つである。

 

マルトラーナ教会は、ファサード(正面)がバロック様式の美しい建物。サンタ・マリア・デッランミラーリオという舌をかみそうな名前でも知られる。パレルモを代表する歴史的建造物。


マルトラーナ教会のすぐ隣には、アラブのモスク風の赤い丸屋根が、鮮烈な印象を与えるサン・カタルド教会がある。二つの教会はパレルモの有名観光スポットの一つ。

 
サン・カタルド教会は、サン・ジョバンニ・デッリ・エレミーティ教会とともに、シチリア島が9~11世紀にかけてアラブ(ムスリム)の支配下にあったことを如実にあらわす、中東趣味のシンプルで美しい建物。アラブの好影響の一つ。

 

8月のシチリア旅行ではもちろんパレルモにも寄った。マルトラーナ教会にも寄った。僕は何度も訪れてドキュメンタリーの撮影もしている。が、妻にもまた友人夫婦にとっても初めての場所だった。皆が当然写真撮影をしたがった。

 

ところがマルトラーナ教会は修復中で、周りが工事の枠組みに覆われていて何も見えなかった。残念だがイタリアでは良くあること。隣のサン・カタルド教会だけを写真に収めた。

 

「そうか、ベア(ベアトリーチェの愛称)が僕らの写真撮影のジャマをしていたのか」

僕は笑ってべアトリーチェを責めた。

 

「ごめんなさい。そうなの。よく言われるの。修復工事の骨組みが見物のジャマだって」

ベアトチリーチェも笑いながら、でも本気で申し訳なく思っていることが分かる、曇りのない目色で応えた。

 

彼女は翌日の日曜日には再びパレルモに戻った。少なくとも今年いっぱいは向こうに滞在して修複作業に従事するという。

 

僕は若いベアトリーチェが、仕事を通してシチリア島の豊富な芸術や歴史や文化に触れると共に、マフィア問題のような島の暗部にも恐れることなく、正直に、そして堂々と対面して自分を磨き成長していってほしいと願い、また彼女にもはっきりとそう話した。

 

シチリアの話になると、どうも僕はいつも気負った感じになるようだ。ベアはおどろいてしまったかも・・

 

でも、彼女は子供のころから芸術好きで利発で冒険心の強い娘だ。きっと僕の言う意味を理解してくれたに違いない・・


シチリアという迷い道



「 渋谷君

 

僕が先日のメールに書いた

 

「~シチリア島に行っていました。相変わらず面白い島。歴史と文化とマフィアと海がいっぱいの国~」

 

という件(くだり)をぜひ撤回させてほしい。

 

僕のメールに対する君の返信

 

『~シチリアってやっぱりマフィアの島なんですね。怖いな。マフィアがいっぱいとは、具体的にどういう?そのあたりで拳銃での撃ち合いがあったり、盗みがあったり、爆弾が炸裂したり、恐喝されたり・・ということなのでしょうか・・~』

 

を読んで、少し大げさに言うと、僕は慄然(りつぜん)とした。

 

君がそれをちょっとふざけ気味に書いているのであろうことは分かったが、人間は心に思わないことは決して口にしないのだから、君の中にはシチリア島への恐怖心や猜疑がどこかにあるに違いないと僕は判断したのだ。

そして僕の不注意なひと言が、それに輪をかけた可能性がある・・

 

誰よりもシチリア島が好きで少しは彼の地のことも知っているはずなのに、ついお気軽に「マフィアがいっぱい」と言ってしまった。

 

そういうのがいけないんだよね。シチリアというとすぐにマフィア、と言葉をつなげるのが・・

 

という風にそこかしこで書き、発言もし、ブログなどにも書いていながら・・・う~ん、まずい。

 

シチリア島には歴史と文化と海がいっぱいで、そういう輝かしい部分と共に、マフィアの存在を思わせる闇の部分もまた垣間(かいま)見える、と言いたかったんだ。

 

「マフィアがいっぱい」と書くと、君が指摘したようにあたかもそこら中に殺人事件や犯罪があふれていて怖い、というふうに誤解されかねない。

 

が、まったくそういうことはなくて、島は安全だし明るいし楽しい。

 

でも、よく見ると、パレルモのような都会にさえ、第二次世界大戦で破壊された建物が未だに再建されずに存在したり、それとは別の廃墟があったり、途中で建設がストップした高速道路のようなでたらめな工事現場があったり、街の一部が恐ろしく汚かったり等々、明らかに行政が怠慢な部分も数多くある。

 

そういうところに悪のマフィアの影響が如実に出ていると僕には見える。それをつい「マフィアがいっぱい」と表現しちゃったんだ。

 

シチリア人はとても明るくて親切で、同時に世界最大の「マフィアの犠牲者」でもある。だから、あなたはシチリアを決して「怖い」なんて思わないでほしい。

 

そういうのって、例えば「山口組がいるから神戸は怖い」と言うのと同じくらいアホーな話なんだ。

 

そして僕は「シチリアにはマフィアがいっぱい」なんて言っちゃって、そんなアホーな話に負けないくらいのバカ話をしちゃったわけだ。

 

大いに反省・・

 

シチリアについては、今回の旅行のことも含めてまたおいおい書いていくつもりだけれど、とりあえず君の誤解を解きたくて、こうして急いで便りをする次第です。 


それでは。  

 

 

サルバトーレ&シルビアⅡ



長年マフィアのことに興味を持っていろいろ調べるうちに見えてきたのは、マフィアの実体はつかみどころがない、という厳然たる事実である。

情報も見聞も噂も知識も何もかも、時間とともにそれなりに増えていくが、見えてくるのは茫洋としたマフィアの輪郭だけだ。いや、それはもしかするとマフィアの輪郭でさえないのかもしれない。マフィアのまわりに渦巻く情報の山、伝聞のガレキの巨大な堆積、とでもいうようなものに過ぎない。

 


なぜそうなるかと考え続けて分かったのは、マフィアの掟「オメルタ(沈黙)」の巨大な枷(かせ)が、障害となって立ちはだかるということである。リサーチやロケハンや情報収集によって多くのことが分かっても、最終的に「オメルタ(沈黙)」の壁にぶつかって、マファアには決して近づけない。

マフィアの構成員は言うまでもなく、その周囲にいる筈の被害者、つまりシチリア島の人たちが、ほとんど何も語ってくれないために本当のことがまるで見えてこない。もどかしさがいつも付きまとう。それがマフィアリサーチの本質である。それは僕の親友であるサルバトーレとの付き合いの場でさえ同じ。

 


サルバトーレがマフィアの構成員だった彼の祖父のことを打ち明けてくれた直後、僕はどうにかして組織のメンバーに会う手段はないか、と彼に頼んだことがある。すると彼は2、3日後に「ある人に会わせる。しかし彼の前ではマフィアのマの字も出すな」とだけ言って、僕をパレルモ市内の一軒の家に連れて行った。

 


そこはある土建業者のボスの家だった。内装に少し金ぴかな趣味があるが、大きなりっぱな家である。

50歳前後に見えたその男性は、一人で待っていて僕とサルバトーレを居間に通してくれた。愛想は良くない。でも別に不快感や敵愾心を見せるわけでもない。彼はシチリア名産のマルサラワインをご馳走してくれ、われわれはシチリアや僕の住む北イタリアや日本のことなど、当たり障りのない話題をしばらく交わしてそこを辞した。最後まで男性の妻や家族が居間に顔を出すことはなかった。

それだけの出来事である。

 


「彼は誰?」

僕は帰宅する車の中で念のためにサルバトーレに聞いた。

 


土建業者のボス。趣味は良くないが明らかに裕福な住まい。家族の紹介などこれっぽっちも頭の中にない態度。知的ではないが、相手への尊敬の念を決して失わない物腰。射るような目線でほとんど笑わず、お愛想を言わず、かと言って敵意を見せるのでもない動き・・・あまりにも「らしい」要素の数々が、逆に嘘っぽいほどの見事なマフィオーゾ(マフィアの構成員)振りの男性について、僕はサルバトーレに確認を取ったのだ。

 


それに対するサルバトーレの答えは、僕が正確に予期した通りのものだった。


「君が見て、君が感じたままの男だ」


つまり男性は組織の一員である。でもそれはサルバトーレがそう言っているのではなく、一外国人である僕が勝手にそう考えているだけのことだ・・・というのがサルバトーレの言葉の意味である。

 


それがシチリア島のマフィアの実態である。

誰も本当のことは語ってくれない。

僕の親友のサルバトーレでさえそうなのだから、他は推して知るべしである。

 


そうやって僕は次第にマフィアそのものを描くドキュメンタリーの制作を諦めていった。

能力の無い僕には、不得要領なものを映像ドキュメンタリーにする術はない。その代わりに、フィクションでの描写が効用を持つのではないか、と考えるようになった。

しかし、僕はフィクション映像の監督ではない。そこで、せめて文章ででもマフィアについて表現できないものかと考えたりもしている。この先、ここでこうして書いていくのも、あるいはその一手なのだろうか・・



 

 

 



サルバトーレ&シルビア



僕はシチリア島にたくさんの友人がいる。最近は仕事がらみで出来る友人も多いが、イタリアに住み着くずっと以前からの友人もかなりいる。その中でも最も親しいのは、ロンドンでの学生時代に知り合ったサルバトーレである。僕よりも4歳年上のサルバトーレは、当時はまだパレルモ大学の学生で、一年間の予定でロンドンに語学留学をしていた。イタリアでは30歳近くになっても大学に籍を置いて勉強をつづけている学生が多い。サルバトーレもその頃はすでに28歳になっていた。
 

サルバトーレは、ロンドンからシチリアに戻った翌年に大学の哲学科を卒業して弁護士のシルビアと結婚した。二人には現在3人の子供がいる。ロンドン時代は「ラテン・ラバー」ともてはやされたサルバトーレも、今は巨大な太鼓腹を抱えるただの田舎のオヤジになって、会うたびに僕を喜ばせてくれる。ロンドン時代、彼のモテモテぶりに少なからず嫉妬心を抱きつづけていた僕は、最早すっかりオヤジ振りが板についた同士とは云え、下腹の有様だけを見れば、今はこっちの方がよっぽど「ラテン・ラバー」だと優越感にひたるのである。

 

秘密というのではないが、僕は彼と知り合って20年程が経った頃、サルバトーレの口から意外なことを聞かされた。彼の祖父はれっきとしたマフィアの構成員で、組織内の抗争に巻き込まれて射殺されていたのである。祖父はあの悪名高いコルレオーネ村に近い山間部のマフィアファミリーのボスだった。彼はマフィアがまがりなりにも「名誉ある男たち」としての自恃(じじ)を持っていた頃の最後の世代に当たり、主として麻薬密売を一手に握って台頭してきた、若い世代の構成員とぶつかって殺害されたのである。

 

映画「ゴッドファーザー」の中にマーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネとその周辺の対立が描かれているが、あれとそっくり同じ状況がシチリアのマフィアの間で実際に起こっていたのである。サルバトーレの祖父はシチリアの小さな村でドン・コルレオーネに酷似した立場にあった男。これはマフィア関連の文献にも記載されている実話である。

 

サルバトーレは僕がマフィアに関心を持っていて、シチリア島に行く度に少しづつ情報を集めていることを知っていた。同時に彼は、僕がシチリア島や島の住民を何かにつけてすぐにマフィアと結びつけて否定する人間ではないことも知っていた。だからこそ僕らは長い間友人でありつづけられたのであり、彼はその頃になって祖父の話を持ち出したのだろうと思う。

 

言葉を変えれば、サルバトーレがマフィアのボスの一人だった祖父の話をしても良いと思うところまで僕を信用するのに、20年の歳月が必要だったとも考えられる。もっともサルバトーレの祖父のことは、僕が無知だっただけで、知る人ぞ知る史実なので秘密でもなんでもなかったのだが、僕は知り合って20年も経った後に、彼自身の口から直接その話が出たことにある種の感慨を覚えたのである。

 

しかしながらサルバトーレも又シチリア島の人間である。マフィアについては余り立ち入ったことは話したがらない。それは同じシチリア人である彼の妻のシルビアにも言える。ただ僕らは次のような会話をすることはある。

 

僕「マフィアの構成員って見ていてすぐに分かるの?」

シ「分かるわよ。それは」

僕「サルバトーレ、君も?」

サ「うん。分かる」

僕「君ら二人が分かるということ? それともシチリアの人は皆んな分かるということ?」

サ「分かるさ。誰も何も言わないだけだ」

僕「ふーん。日本のヤクザみたいなものなのかな」

 

サルバトーレもシルビアもヤクザのことは知っている。僕がマフィアにからませて時々話題にすることもあるが、それでなくてもYAKUZAというのは国際的な言語になっていて、インテリの部類に入るイタリア人はけっこう知っていることが多い。

 

シ「ヤクザはいかにもヤクザって格好をしているの?」

僕「少し前まではね。今だにそういうのもいるけど、ふつうのビジネスマンみたいになって分からなくなったのも多い」

サ「それでも分かる訳か」

僕「何となく。何かあるとすぐ分かる」

シ「マフィアは何もなくても分かるわね」

僕「服装とかそういうの?」

サ「そうじゃなくて、雰囲気。動き方とか目の表情だとか、握手の仕方、抱擁の仕方・・・いろいろな要素がある」

 

シチリア人の誰もがマフィアの構成員を即座に見抜く、というのは少し大げさなような気もするが、僕はサルバトーレとシルビアに関しては彼らの話を信用する。サルバトーレは祖父の関係で少しはマフィア内部のことに詳しいはずだし、シルビアは弁護士としての立場上、同じようにマフィアに関してはたくさんの情報を持っているはずである。

 

マフィアを相手にする司法関係者は、シルビアのようなシチリア人でなければ意味がない、と良く言われる。それはマフィアの精神構造とシチリアの人々のそれが同一の土壌にあって、よそ者には決して踏みこむことができないということである。

 

たとえば1992年にマフィアに殺害されたジョバンニ・ファルコーネ判事は、シチリア人であったためにマフィアをとことん追い詰めてイタリアの英雄になった。彼はサルバトーレが話したような、マフィアの構成員に独特の動作や目の表情や言葉遣い等に精通していた。同時に彼らを尋問するに当たっては、どういう話し方をしてどういう態度で臨めば彼らに屈辱感を与えず、しかも判事自らの権威を保つことができるかを知悉(ちしつ)していたという。マフィアは屈辱を最も恐れ、権威には従順なところがある。ただし権威とは、彼らが彼らだけの基準で認めた権威である。普通の人が権威と認めるものでも、マフィアはその気になれば何のためらいもなく否定し破壊する。

 

要するにファルコーネ判事は、シチリア人同志でなければ通じ合わないものを最大限に活かして、仕事をしたのである。そのおかげで彼は、口を割らせるのが難しいマフィアの男たちを次々に落として、組織を追いつめていった。そしてまさにその力量が災いして、彼は高速道路を走行中にマフィアが道路に仕掛けた爆弾によって車ごと吹き飛ばされた。マフィアは時速140キロメートル以上のスピードで走っている判事の車を、遠隔操作の爆破装置で正確に破壊したのである。その2ヶ月後には、彼と二人三脚でマフィアを追いつづけていた、同じシチリア島出身のパオロ・ボルセリーノ判事も殺害される。

 

シチリア出身のマフィア専門の法曹は、ファルコーネ判事の前にももちろんいた。しかしそのほとんどが目立った成果を挙げられずにいた。それどころかマフィアとの癒着を疑われて世論の批判を浴びる有様だった。シチリア出身の法曹は、同じシチリアの犯罪組織であるマフィアを良く知っている分、マフィアの男たちに取り込まれやすい危険がいつもつきまとっている。ジョバンニ・ファルコーネ判事と相棒のパオロ・ボルセリーノ判事は、誰もが認める勇気と行動力を持って真っ向からマフィアに立ち向かって行った、シチリアの司法史上ほとんど初めての、と言っても良い現地出身の裁判官だったのである。

 

“マフィアと闘う者はたくさんいる。しかし彼らは実は何もしていない。その証拠に彼らはまだ生きている”とシチリアの人々は良く口にする。マフィアに真剣に立ち向かえば消される、というやり切れない現実を言い当てた格言である。その格言通り二人の判事はこの世から消えた。

 

実際にシチリア島に足を運び、人々に出会い、資料を集めたりしながら、僕はとりとめもなくマフィアについて考えを巡らせつづけている。いつかはそれをテーマにきちんとした作品を作ってみたいからである。


僕はイタリアの友人や知人に良くそのことを話す。すると誰もが決まって「やめた方がいい。命にかかわるぞ」と真剣な顔で僕に忠告する。僕は命知らずの勇敢な男ではないから、そのたびに少なからずビビってしまう。同時に彼らのリアクションは
マフィアの亡霊に脅えているだけなのではないか、とも思う。

 

そうやって不安と疑問と恐怖の間をオロオロと行き来しながらも、僕は一つだけ「大丈夫、危険なことはない」と自分にいいきかせることのできる物を持っている。

 

それはシチリア島の僕の親友、サルバトーレの存在である。サルバトーレは、僕がマフィアを題材にした作品を制作できないかと模索し続けていることを、誰よりも良く知っている。しかし、彼は一言も危ないとか、やめておけ、といった忠告をしたことがない。むしろ、僕の意図するところには賛成である。弁護士で奥さんのシルビアもそうだ。

 

マフィアを知悉している二人は、僕が知らず知らずのうちに危険な道に踏みこんだ場合、すぐに警告をしてくれるであろう・・・・・と、僕はひそかに確信しているのである。

 

とは言うものの、最近の僕は、マフィアを直接に取り上げる映像ドキュメンタリーの意義については、かなり大きな疑問を抱いている。多くのテレビ番組や映画や活字媒体が取り上げ続けてきたテーマに、果たして自分なりの視点や思いや発見を付け加えることができるのか。またマフィアの本質になんらかの形で僅かなりとも迫ることができるのか。そうした重大な疑問に僕は何一つ答えを見つけ出せずにいる。

 

結局、マフィアをテーマに新しく映像作品を作るなら、ドキュメンタリーではなくフィクションの形でのそれしかないのではないか、と僕は感じ始めている。それは映像ドキュメンタリー監督、あるいはドキュメンタリー作家を自負している自分としては、屈辱であり敗北宣言にも等しい感慨だ。が、ことマフィアに関する限り、僕は茫漠とした広がりを見せる情報と見聞と現実の前に、今のところはなす術もなく立ち尽くしている、という風なのである。

 

 


マフィアの亡霊Ⅱ~選挙~




シチリア島は紀元前のギリシャ植民地時代に始まり、外からの大いなる力によって支配され続けた

 国(島)を乗っ取られて迫害を受けたと感じた人々は、列強支配への反発から島民同士で結束し、かたくなになり、時間経過と共にさらに団結を強化して行った。

その団結の要としてマフィアという秘密結社が形成されて、人々を保護したという説がある。その主張には一面の真実がある。マフィアは当初から犯罪組織として存在したのではないのだ。

 しかしマフィアは支配者への抵抗組織という顔を持つと同時に、時間の経過と共にシチリアの中で支配者とは関係なく存在してきた、シチリア社会だけの必要悪でもあったと考えられる。

マフィアは麻薬密売や恐喝や賭博などの犯罪に手を染める一方で、土建業に始まるシチリア島の多くの産業に入り込み、雇用を通して人々を支配し、彼らの票を一手に握って政治家をも支配する。

それはたとえば日本の片田舎で、発展する都会の富に全く浴さないと感じた人々が、土地の山を切り開いたり、施設や道路を作ったりする土建業者にぴたりと寄り添う心理と極めて似通っている。

マフィアは殺人や麻薬密売やテロに手を染める犯罪シンジケートである前に、土地開発にまつわるあらゆる利権を握っているシチリアの有力者、あるいは権力者とも呼べる存在なのである。  

「政治は生活なり」という感覚は都会人には良く分からない。しかし東北や山陰等々の片田舎や奄美・沖縄等の離島に行けば、町長選挙や村長選挙が直接に生活に結びついている構図が日本にもいくらもある。

就職先のない貧しい田舎の人々にとっては、A候補を支持し、A候補が当選することは死活問題である。なぜならばA候補が当選したあかつきには、村役場や施設 で息子や娘が仕事を得るからである。

あるいはA候補を通して公共事業が導入されて、仕事が生まれるからである。そしてその場合には、A候補を支持した者により多くの仕事 が行くのは、火を見るよりも明らかである。

それと同じようにマフィアは建設会社を経営し、建設会社を通して村人を支配し、村人の票を一手 に握って政治家を支配し、その単純な構図をさらに拡大してイタリアの国政にまで入り込んでいる。

そこまでは日本の土建業者や米農家を一手にまとめる村会議 員と何ら変わるところはない。シチリア島は、基本的に土建業者であるマフィアに生活の糧を握られている、巨大なムラ社会なのである。

土建業 者であるマフィアは、そこで儲けた金を元手にあらゆる事業に進出して、ますます強くなった。強くなるためには殺人を犯し恐喝をし無差別殺戮の爆弾テロにま で手を染める。

事業は麻薬密売、売春、密貿易とどんどんエスカレートして、巨大犯罪組織としての側面がふくらんでいくが、貧しい村や町の人々の生活に密接 に関わっている土地の土建業者あるいはこわ持ての有力者、という基本的な立場は少しも変わることなく保ちつづけている。

もっと言えば、シ チリアの人々の生活を助けてくれるのは、ローマの政治家に代表される大陸(シチリア人はイタリア本土を良くそういう風に呼ぶ)の力ではなく、その土地土地 のマフィアの男たちなのだ、と人々に思いこませるだけの力を保持している。

そこがシチリアにおけるマフィアの強さであり、マフィアとはシチリア島そのものだと僕が感じるゆえんである。

 シチリアのマフィアはシチリアの人々のメンタリティーが変わらない限り根絶することはできない。同時にマフィアが征服されない限りシチリアの人々のメンタリティーは変わらない。マフィアはそれほど深く広くシチリア社会の中に根を張っている。

マフィアの起源についてはいろいろな説があるが、元々はシチリア島西部に起こった、支配者フランスへの抵抗組織だという説が有力である。というよりも、シチリアの多くの人々がそう信じたがっているようである。

 その説に従えば、MAFIAという名も「Morte Alla Francese Insurrezione Armata」(武器を持って立ち上がれ。フランス人に死を!)」の頭文字を取ったものだということになる。意味は通じるのである。

ま た同じような解釈で「Morte Alla Francese Indipendenza Autonomia」(フランス人に死を! そして独立と自治を)、あるいは 「Morte Alla Francia Italia Anela(フランスに死を、これはイタリアの叫びだ)」の略語という説もある。

そうした解釈は、マフィアに少なからぬ連帯感を持っている人々のこじつけのような気が僕はする。第二次大戦時のナチスに対するフランスやイタリアのレジスタンス運動に似せて、マフィアをシチリアの民衆の味方として位置づけようとする作意が感じられるのである。

マフィアの持つおどろおどろしいイメージや実態には、むしろ次の二つの説のほうが良く似合う。一つは大昔シチリア島のパレルモ地方を支配していたアラブの種族「 Ma Afir(マ・アフィル)」から来ているという説。 またもう一つは、フランス兵に娘を殺された母親がシチリア方言で「Ma Figlia! Ma Figlia ! 」(娘よ、娘よ)と泣き叫びつづけたことから来るという説である。 Ma Figliaはシチリア訛りの発音では「マフィア」とほとんど区別がつかない。

西洋人がアラブ人に抱く不気味なイメージ、そして哀れなシチリアの農婦が娘の亡骸を掻き抱いて号泣する図。そうした不可解な感じ、土着的なもの、悲哀、古代の粘着感・・・のようなものがマフィアの本質であって、決してレジスタンス運動のような英雄的な、しかもある意味で近代的な思想や歴史を持つ男たちの集合体ではなかった、と僕は思う。

いずれにしても、それらの説には一つだけ重大な共通点がある。つまりどの説も支配され、蹂躙されつづけたシチリアの人々の悲劇や怨念や復讐心や詠嘆を背景にしてマフィアが生まれた、と主張している点である。

それは前述したように恐らく正しい。前近代的な様相を持つシチリア社会は、以後少しづつ変化をしながらも基本的には巨大なムラ社会であり続けている。

その最も象徴的な事例が、選挙でマフィアに支配されていても疑問を感じない、あるいは疑問を感じていない振りをする、旧態依然とした人々の行動心理であり島社会の在り方なのである。


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