島への便り

オ~イ沖縄!今のままでいいんか~いイイイい!


県民投票公式サイトから



辺野古移設反対が多数を占めた県民投票の結果を受けても、安倍政権が「基地負担を軽減するため辺野古に新基地を作る」と沖縄を愚弄する言葉を吐き続けるなら、もはや島はさらなる苦難を承知で独立を志向したほうがいいのかもしれない。

その場合沖縄が味方に付けるべき相手は中・露・北朝鮮のうちの1国。または3国全て。民意を無視する安倍一強はしょせん独裁体制。毒をもって毒を制する。

逆転の発想もある。アメリカをたきつけて沖縄独立を後押しさせるのだ。これも毒をもって毒を制するコンセプトの一つである。

トランプ米大統領はゴロツキ独裁政治家という意味で習近平、プーチン、金正恩と何も変わらない。彼が北朝鮮の独裁者とウマが合うのもそれが理由だ。

安倍強権内閣と鋭く対立している今の韓国も沖縄のパートナーになり得る。韓国に「恨の心」がある限り彼らは沖縄の屈辱も理解するだろう。

懸念は沖縄がそれらの大国に呑み込まれて、安倍政権下の“植民地”状態を脱して新たに彼らの「植民地」になってしまうことだ。韓国や北朝鮮でさえ沖縄に較べれば大国だ。

沖縄が中国に於ける「チベット化」を避けるには、大きな知恵と勇気と策略が必要だ。そこを踏まえて熟考に熟考を重ねて行動を起こさなければならない。

幸い沖縄には、大国の間隙を縫って独立を保った奇跡のミニ国家、琉球王国の伝統とノウハウがある。それを活かせば道が開けるだろう。

だが沖縄が目指すべきは断じて琉球王国の再興ではない。琉球王国とはなにか?それは幕藩体制の日本や当時の世界のほとんどの国と同様の、未開で野蛮な超独裁国家に過ぎない。

琉球王国の場合は、その上に「ミニチュアの」というまくら言葉が付くだけだ。未開の、超ミニチュアの、超独裁国家が琉球王国なのである。

沖縄はそんな邪悪な国家体制を目標にしてはならない。琉球王国は蔭なるものである。

沖縄は民主主義体制の、貧しくても「“明るい”沖縄共和国」を作り上げるべきだ。

個人的には僕は沖縄の独立には真っ向から反対する立場である。

だが沖縄が本気で独立に向けて立ち上がるなら、そしてもしも必要なら、僕はここイタリアを引き払ってでも、故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。

そうなった暁には、人生またさらに面白くなるゾ。




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ヤギ料理にこだわる理由(わけ)


子やぎ太もも肉



子ヤギ肉と成獣肉

2018年7月、イタリア・サルデーニャ島で子羊及び子ヤギ料理を探し求めていた僕は、これまで味わった中では最も美味い羊の「成獣肉」膳に出会った。子羊肉は中東や欧州ではありふれた食材だ。が、成獣肉のレシピはまれである。

僕が子ヤギや子羊料理(以下子ヤギに統一)にこだわるのは、単純にその料理が美味くて好き、というのがまず第一だが、自分の中に故郷の沖縄へのノスタルジーがあるのだと思う。

沖縄の島々ではヤギ肉が食べられる。僕が子供の頃は、それは貴重な従って高級な食材なので、豚肉と同様にあまり食べることはできなかった。たまに食べるとひどく美味しいと感じた。

島々が昔よりは豊かになった今は、帰郷の際にはその気になればいくらでも食べられる。が、昔のように美味いとは感じなくなった。料理法が単調で肉が大味だからだ。

ところがここイタリアを含む欧州や地中海域で料理される子ヤギの肉は、柔らかく上品な味がしてバラエティーにも富んでいる。ヤギ独特のにおいもない。

貧困ゆえの食習慣

沖縄では子ヤギは食べない。成獣のみを食べる。子ヤギを食べないのは貧困ゆえの昔の慣習の名残りだろう、と僕は勝手に推測している。

小さなヤギは、大きく育ててからつぶす方がより多くの人の空腹を満たす食材になる。だから島の古人は子ヤギを食べるなどという「贅沢」には思いいたらなかった。

ヤギの成獣には独特のにおいがある。それは不快な臭気である。だが臭気よりは空腹の方がはるかに深刻な問題だ。だから人々は喜んでそれを食べた。

僕の遠い記憶の中には、貧しかった島での、ヤギ肉のほのかなイメージがある。たまにしか口にできなかったその料理のにおいは臭みではなく、「風味」だったのだと思う。

その風味は、僕の中では今は「子ヤギ肉の風味」に置き換えられている。つまりここイタリアを含む地中海域の国々で食べる子ヤギ肉の味と香りである。

子ヤギの肉にはヤギの成獣の臭みはない。食肉処理される子ヤギとは、基本的には草を噛(は)む前の小さな生き物だからだ。肉の香ばしさだけがあるのだ。

成獣肉の行方

僕が知る限り、ここイタリアではヤギの成獣の肉は食べない。羊も同じ。牧童家や田舎の貧しい家庭などではもちろん食されているとは思うが、市場には出回らない。臭みが強すぎるからだ。

だが、スペインのカナリア諸島では、僕は一級品のヤギの成獣の肉料理を食べた経験がある。それにはヤギの臭みはなく肉もまろやかだった。秘伝を尽くして臭いを処理し調理しているのだ。

トルコのイスタンブールでも、羊の成獣の肉らしい美味い一品に出会った。その店はカナリア諸島のように「成獣の肉」と表立って説明してはいなかったが、風味がほんのりと子羊とは違った。

子ヤギや子羊肉を伝統的に食する文化圏の国々には、そんな具合に成獣の肉をうまく調理する技術が存在する。イタリアでも隠れた田舎あたりではおそらくそうなのだろう、と僕が憶測するゆえんである。

人工処理

実は「レシピ深化追求」の歴史がなくともヤギの臭みをきれいに消すことはできる。そういう料理に僕はなんとヤギ食文化「事件」当事者の沖縄で出会ったのだ。ほんの数年前のことである。

ヤギ料理をブランド化し観光客にもアピールしよう、という趣旨で自治体がレストランに要請して、各シェフに新しいヤギ料理を考案してもらい、それを試食する会が那覇市内のホテルで開かれた。

たまたま帰郷していた僕もそこに招待された。びっくりするほど多彩なヤギ料理が提供されていた。どれも見た目がきれいで食欲をそそられる。

食べてみるとヤギ肉独特の臭みがまったくと言っていいほどない。まずそのことにおどろかされた。だが味はどれもこれもフランス料理の、いわば「普通の味のレベル」という具合だった。

どの料理もシャレていて美しいが、味にあまり個性がない。ヤギ肉の臭みを消す多くの工夫がなされる時間の中で、肉の風味や個性も消されてしまった、とでもいうふうだった。

多くの場合、島々の素朴を希求して訪れる観光客に、それらのヤギ肉料理が果たして好まれるだろうか、と僕はすぐに疑問を持った。

それらは全て美しくまとまり味がこってりとしていて、ひと言でいえば洗練されている。でもなにかが違う。いかにも「作り物」という印象で、島々の素朴な風情と折り合いがつかない。居心地がわるい。

女性が食の流行をつくる

言葉を替えれば、この飽食の時代に、ほとんどの日本人にとっては新奇、もっといえばゲテモノ風のヤギ肉料理が、はたして食欲をそそる魅力を持っているかどうか、という根本の疑念が僕にはあった。

さらにいえば、それらの料理が女性の目に魅力的に映るかどうか、ということも気になった。食の流行はほとんどの場合女性に好まれたときに起きる。

それらの料理の「見た目の美しさ」はきっと女性に好感をもたれるだろう。だが、そもそもヤギ肉という素材自体には女性は魅力を感じないのではないか、という疑問も消えない。

肉の臭みが取れても、「ヤギは癒し系の動物」というイメージが食欲のジャマをしそうだ。もっともヤギに限らず、全ての家畜とほとんどの野生動物は癒し系なのだけれど。

そうした疑念を吹き飛ばすほどの訴求力が、それらのヤギ料理にあるとは思えなかった。案の定それ以後、披露された新しいヤギ料理が、島で流行ったり観光客の評判になった、という話は聞かない。

ヤギ肉料理喧伝法

ちょっと大げさに言えばヤギ肉料理を流行させる秘策が僕にはある。それは前述とは逆に、女性に嫌われるかたちでのヤギ肉料理のありかたである。つまりヤギ肉の持つ特徴を科学的に解明して、それを徹底的に宣伝し売り込む方法だ。

ヤギ肉には精力増進作用があるといわれる。ならばその精力を、ズバリ「性力」と置き換えても構わないような、ほのかな徴(しるし)が肉の成分に含まれてはいないか。もしそれがあればシメたものだ。

ヤギ肉を食べれば男の機能が高まる、精力絶倫になる、バイアグラならぬヤギグラを食して元気になろう!、などと喧伝すればいい。

もしもそれが露骨すぎるのなら、少しトーンを落としてヤギ肉を食べれば活力が生まれる、ヤギ肉はいわば「若返り薬」だ、などと主張してもいい。

もちろん女性にも好感を持ってもらえるような特徴的な成分がヤギ肉に含まれているのなら、そこを強調すればさらに良い。

たとえば、やはり「若返り作用」の一環で肌がみずみずしくなる、シミなどを抑える。あるいは牛肉や豚肉などと比較するとダイエットに良い効果が期待できる、など、優れた点を徹底的に探して喧伝するのだ。

料理の見た目や味やレシピではなく、ヤギ肉が持つ他の食材とは違う「根本的な特徴」というものでも発見しない限り、ヤギ肉料理が大向こう受けするのは難しいように思う。

それならばいっそ、今のまま、つまり昔からある料理法のままで、「珍味」が好きな少数の観光客に大いに喜んでもらえる努力をしたほうが良いのではないか。要するに薄利多売ではなく、「臭み」という希少価値を売り物にする元々の商法である。


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沖縄もいっそのこと『さらなる苦労覚悟で』サルデーニャ島と共に独立するか~い?



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サルデーニャ島のテラコッタの屋根と沖縄の赤瓦の屋根はあまり似ていないかもしれないけれど・・


イタリアのサルデーニャ島は、一見すると「本土から遠く離れた明るいリゾート地」という沖縄と良く似たポジティブな一面を持つ。

それでいながらサルデーニャ島には、もっと深刻な部分でも沖縄との類似点が多い。

サルデーニャ島は、古代からアラブ人を含む多くの力に支配された後、18世紀にイタリア本土のピエモンテを本拠とするサヴォイア公国の支配下におかれた。

琉球王国と称したかつての沖縄が、本土の島津藩に支配された史実と「表面上」は同じなのである。

もっともサルデーニャ島は沖縄島(琉球王国)と違って独立国だったことは一度もないが。

サルデーニャ島を獲得したサヴオイア家のサヴォイア公国は、以後自らの領土を「サルデーニャ王国」と称した。

国名こそサルデーニャ王国になったものの、しかし、サルデーニャ王国の本拠地はイタリア本土のピエモンテであり、首都も現在のピエモンテ州都と同じトリノだった。

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加えて王国の一部であるサルデーニャ島民は、サヴォイア家を始めとする権力中枢からは2等国民と見なされた。


1861年、支配者のサヴォイァ家がイタリア統一を成し遂げたため、サルデーニャ島は自動的に統一イタリア王国の一部となった。

しかし「依然として」サルデーニャ島は、イタリア本土のエリート階級にとっては、異民族にも見える特殊なメンタリティーを持つ人々が住む、低人口の「どうでもよい」島であり続けた。

それは第2次大戦後イタリアが奇跡の経済成長を成し遂げた時代になっても変わらず、サルデーニャ島民の不満が募った。

結果、島には一時期イタリアからの独立を求める動きが活発化した。全体の
41%ものサルデーニャ島民が、イタリアからの独立に賛成、という統計さえある。

深刻な独立運動は現在は下火になったが、サルデーニャ島にはイタリア駐在NATO軍全体の60%にも当たる部隊が置かれ、イタリア本土との経済格差も大きいことなどが常に島民を苛立たせる。

不当な扱いを受けながらも深刻な独立運動が影を潜めているのは、イタリア本土由来の経済発展が島にも徐々にもたらされている現実があるからだ。

米軍基地の過重負担と中央権力及びメディアによる構造的差別に悩まされながらも、経済発展という目先の利益も無視できない沖縄のジレンマとうり二つなのである。


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