中東危機

イラン核合意破棄が北朝鮮の非核化をもたらす?



イランとの核合意「JCPOA 」を破棄する、というトランプ大統領の決定に対応するように、北朝鮮が拘束していた3人のアメリカ人を解放した。偶然の出来事とは思えない。

イランとの核合意を破棄しておいて、トランプ大統領はどうやって北朝鮮に核放棄を迫ることができるのか、という議論が欧米のメディアなどを中心に盛んに行われている。核合意を否定するトランプ大統領の論理は、「JCPOA はイランに包括的且つ徹底した核放棄を迫らないという大きな欠点を持っている。したがってアメリカは合意から離脱する」というものである。それは、本気で徹底して核を断念しない限りアメリカは交渉に応じない、というメッセージを北朝鮮に送っている、と見ることもできる。

トランプ大統領は先に、国家安全保障担当の大統領補佐官にボルトン元国連大使 を就任させることで、北朝鮮との核合意を「リビア方式」ですすめる、というメッセージを同国および世界に送った。2003年、当時のリビアの独裁者カダフィ大佐が核開発を断念すると約束したとき、アメリカはまずリビアが核関連設備を完全に廃棄し、その後に経済制裁解除などの見返りを与える、というやり方でリビアの核開発プログラムを阻止した。

ボルトン大統領補佐官はそのリビア方式の信奉者であり、補佐官就任後も公にそのことを認めてきた。トランプ大統領の頭の中にもむろんその考えがあるに違いない。ということは北朝鮮が核開発計画を「延期や凍結ではなく完全に廃止する」という確証が得られない限り、アメリカは北朝鮮との核合意を求めず、従って経済的な見返りなども与えない、ということである。

アメリカからの強いメッセージを受けて北朝鮮は3人の米国人を解放した。それを受けてアメリカはリビア方式を捨てて、段階的な核廃棄方式を北朝鮮に提案した。あるいは逆に、アメリカが段階的な核廃棄方式を北朝鮮に示したから、金正恩金正恩・朝鮮労働党委員長は拘束していたアメリカ人を見返りに解放した。どちらの妥協や提案が先かはこの際は重要ではない。肝心な点は、米朝首脳会談へ向けてアメリカと北朝鮮の間に有意義な話し合いと準備が進んでいるらしいことである。

トランプ大統領による「無茶苦茶な外交」は、無茶苦茶であると同時にある種の筋も通っているといわなければならない。彼はそれらの「無茶苦茶な公約」を盾に選挙戦を戦って大統領になった男だ。彼の無茶苦茶を許した米国民と米国メディアはその事実をしっかりと見据えて、大統領の動向を批判ありきの態度ではなく、客観的に判断する努力もするべきだ。そうした上でやはり間違っている、と彼の政策を指弾すれば説得力も出る。

そうした考え方は、大統領選挙キャンペーン中はいうまでもなく、大統領誕生後もトランプ大統領を批判し続けている僕自身への戒めでもある。

核合意破棄のリスクはもちろん大きい。核合意を取り付けたイランの穏健派のロウハニ大統領は、ただでも国内右翼強硬派の批判にさらされている。アメリカが合意を離脱したことによって、強硬派はロウハ二大統領への攻勢を強め、核プログラムの再開を求めるのは必至の情勢である。

イランが核開発を再開すれば、これを憂慮するサウジアラビアも核兵器を持とうと考え、北朝鮮も追随して核兵器保有・開発のドミノ現象が起きる可能性もある。またイスラエルがイランの動きを封じ込めようとして軍事作戦を展開し、イランが応戦してあらたな戦火が中東に起きる可能性も高い。どの方向に進んでもリスクが存在する。そしてイラン核合意を維持することで発生するリスクと破棄した場合に生じるリスクを比較した場合、後者のほうが大きそうだ。

だがそれも比較予測の範囲にとどまるものであり、真実は誰にもわからない。ただ一つ言えることは、トランプ大統領が中間選挙を意識して思いつく限りの手を打っている、ということだ。彼を突き動かしているのは支持獲得のためのポピュリズム政策への誘惑と、極端な親イスラエル情緒に根ざした手前味噌思考のようだ。それでもトランプ大統領の「周到ではないように見える外交方式」、つまり従来とは異なる外交交渉が、「従来とは異なる」正の効果をもたらすことはない、とは断言できない。



イタリアが「地中海難民」救助をやめたい理由(わけ)



転覆する難民ボート切り取り
写真:イタリア海軍


警告

イタリア政府は6月28日、EU(欧州連合)が地中海の難民・移民問題を放置し続けるなら、イタリアは難民・移民を乗せた外国船舶の同国への寄港を禁止する、と正式に表明した。

とどまることを知らない地中海難民・移民の流入にイタリアがついに音をあげた。「情けの国」の民が情けに疲れたとでもいうべきか。

イタリアが例えば日本並みに難民に非情になることはないだろうが、地中海難民をせっせと救助してきた寛大な国が実際に方針転換をすれば、「欧州の良心」の一つが大きく後退することになる。

重い負担

イタリアには今年6月28日現在、73000人あまりの難民・移民が上陸した。そのうち12000人以上が6月25日以降~27日の間に一気に流入した。それが警告の直接の引き金になった。

2013~2016年間にイタリアにはおよそ55万人の難民・移民が漂着した。それらの難民・移民の全てがイタリアに永住するのではない。多くが最終目的地を北欧に定めている。

それでも彼らの救助と保護、また行き先が決まるまでの間の全ての面倒を見るイタリアの財政的負担は大きく、政治的にも従って社会的にも影響は深刻だ。

地中海上の難民・移民の大半は、イタリア沿岸警備隊ほかの組織によって救助される。それに加えて、ドイツ、スペイン、フランス、マルタなどのNOGが船舶を出して救助活動をしている。

EUの規定では、難民・移民が最初に上陸した国が彼らの難民申請を受理し、審査し、受け入れ決定の可否に責任を持たなければならない。

その審査には膨大な時間がかかる。行き場のない難民か、豊かな生活を求めて侵入するいわゆる「経済移民」かの見極めも難しい。

イタリア政府は審査が行われる間彼らに衣食住を提供し、健康管理に気を使い、子供たちの教育その他の一切の面倒を見なければならないのである。

難民・移民を遭難の危機から救助することと、救助・上陸後に継続的に面倒を見ることとは全く別の事案である。

NGOと欧州連合

イタリア以外の国々のNGOは、救助民をそれぞれの国に運ぶのではなく、イタリアに押し付けてあとは知らん振りを決め込んでいる。

彼らの国の政府も同じだ。それはもはや受け入れ難い。従って外国船籍の船の寄港を拒否する、というのがイタリアの言い分である。

イタリアを含む欧州各国のNGOは、難民・移民の流入を防ぎたいEUの意思に真っ向から対立する形で、地中海上をさ迷う漂流民を次々に救助している。

先日はそうした中、ほとんどの漂流民が上陸するシチリア島のカルメロ・ズゥッカロ( Carmelo Zuccaro)検察官が、難民・移民を救出している民間NGOが難民・移民ボートを誘導している、と発言して物議を醸した

難民・移民は「人身売買兼運び屋」に金を払って、用意されたボートに乗って命がけで地中海に乗り出す。NGOの勝手な救出活動は、難民・移民を鼓舞して危険な海に向かわせている、という指摘は以前からある

この指摘に対してNGOは、われわれは人道的立場から行動しているのであって、非難は当たらない。そうした非難は反移民感情をあおりたい政治家のプロパガンダだとしている。それが真実なら、ここにも排外主義ポピュリズムの流れが影響していると言える。

EUの対応

文字通り連日、大量の漂着民が上陸するイタリアの危機的な状況は、同国の政治経済を揺るがし社会不安をあおって臨界点に達しつつある。もはやこれ以上の漂着民の「ホスト(もてなし)役は」ごめんだ、というのがイタリアの痛切な思いだ。

イタリアの非難はEU域内の全ての国々に向けられたものだが、特に難民・移民を全く受け入れず、漂流民上陸の最前線であるイタリアやギリシャへの協力も拒み続ける、元共産主義国の中東欧諸国への怒りが強い。

イタリアは前述したように6月28日、マウリツィオ・マッサリ(Maurizio Massari)EU大使を欧州委員会に送って、同国の意図を明確に伝えた。

欧州委員会のディミトリス・アブラモプロス移民担当委員は、「状況が危機的だというイタリアの主張は正しい」と認め、難民・移民問題に対するイタリアの対応は「模範的」なものだとも評価した。

また同委員会のナターシャ・ベロード報道官は、船舶の上陸手続きは国際法で定められている。従ってイタリアが方針を変更するならば、EUとの真剣な議論を経て且つNGOに十分な準備期間を与える形でなされるべき、と語った。

「海上における人命の安全に関する国際条約」は、海難事故を察知したあらゆる船舶は状況のいかんを問わず直ちに支援をしなければならない」と定めている。

また「事故の起きた海域の国は難破船の人命の救助活動に責任を持ち、その国の政府は可能な限り素早く、且つ合理的に遭難者の上陸の手はずを整えること」とも規定している。

難民・移民を満載した地中海の船舶はほとんどの場合、イタリアの領海に漂着する。そのため、イタリアは国際法の定めによって彼らを保護する義務を負わされている。イタリアはもうそれが限界だと考えているのである。

2014年以降、地中海ルートを通ってヨーロッパに入った難民・移民はおよそ170万人。EU構成国28国は、これらの移民・難民の受け入れをめぐって対立を続けてきた。

イタリアの警告また要請を受けて、ドイツのメルケル首相は「EUは必ずイタリアを援助する。イタリアの訴えは尊く胸を打つ。7月のG20までにEUは何らかの結論を出すだろう」と述べた。

またユンケル欧州委員会委員長 は「EUは難民・移民問題に真っ向から立ち向かっているイタリア(とギリシャ)という英雄国を見捨ててはならない。EUは力を合わせて彼らを助ける」と表明した。

一方フランスのマクロン大統領は、イタリアへの連帯を表明しながらも「地中海を渡ってくる人々の中には難民ではなく豊かな暮らしを求める「経済移民」も多い。8割がそういう人々だ。われわれは難民とそれらの経済移民とを区別しなければならない」と釘を刺すことを忘れなかった。

仁慈の国

イタリアは情け深い国だ。自らの経済的困窮もかえりみずに地中海をさ迷う人々に救いの手を差し伸べ続けている。寛容はイタリア国民独自の美質だが、そこにバチカンの影響が加わって人々の慈悲の心はさらに深まる。

カトリックの総本山であるバチカンは、その保守性からイタリア社会にさまざまな負の影響も与える。同時に、ひたすら寛容と、慈悲と、赦しの心を説いて飽くことがない。

フランシスコ教皇は、イタリア国民に向かって難民・移民の保護と受容を訴え続けている。そのスタンスは確固としてゆらぐことがなく、慈愛に満ちている。

心優しいイタリア国民は、フランシスコ教皇の思いによく応えている。この国にもむろん反移民の不寛容・排外主義者は多くいる。つまり極右やネトウヨ・ヘイト系の人々だ。

最近はローマのラッジ市長が「難民・移民受け入れの扉を閉める」と表明して、彼女の所属する反体制政党「五つ星運動」が、極右の「北部同盟」と同じ穴のムジナであることを暴露した。

イタリアは今のところ、反移民・排外差別主義が旗印のトランプ主義者を抑え込むことに成功している。だが政治経済社会の混乱に拍車をかける移民・難民問題は、それらの人々の怒りの火に油を注ぎ続けていることも事実だ。

イタリア政府は、「今後も人道上の理由から難民・移民の海上での救助・救援は続ける」とした上で、彼らの保護、管理、衣食住の提供その他の重い負担をEU各国で分担してしてほしい、と悲痛な訴えをしている。EUは速やかにそれに応えるべきだ。



メディアの喉元を過ぎたイタリア地中海難民問題の殺気


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ヨーロッパにおいてさえ、いや、それどころかイタリアにおいてさえ、ともすると忘れられがちだが、地中海を渡ってイタリアに到着するアフリカ・中東諸国からの難民は、絶えることなく、ほぼ連日大挙して押し寄せている。

例えば2017年度は、フランスに史上最年少の大統領が誕生した翌日すなわち5月8日現在、43245人がイタリアに上陸した。これは2016年の同時期よりも38.54%多い数字。

また欧州全体で見ると、イタリア、ギリシャ、スペインの3国が今年のほとんどの難民の票着地。イタリアには全体の84%が上陸し、続いてギリシャの11.5%、スペインが4.5%である。

2016年4月、EU(欧州連合)とトルコは、シリアを中心とする国々からギリシャへの密航者をトルコに送り返すことで合意した。

難民が中東からギリシャに渡り、バルカン半島を通って北部ヨーロッパに向かう、いわゆるバルカンルートの閉鎖である。

以来、難民は主に北アフリカのリビアを経由して、地中海⇒イタリア⇒欧州各地を目指す方向に転換。

いわゆる地中海ルートは、バルカンルートと共にいつも存在していたが、後者が閉鎖されてからは地中海が主な流入ルートになっている。

イタリアは常に難民救助にあたってきたが、EUの多くの国が国境を閉鎖しているために、難民の保護、管理、衣食住の提供その他の負担に悩まされ続けている

そうした中、ほとんどの難民が上陸するシチリア島のカルメロ・ズゥッカロ( Carmelo Zuccaro)検察官が、難民を救出している民間NGOが難民ボートを誘導して(利益を得て)いる、と発言して物議を醸している。

難民は「人身売買兼運び屋」に金を払って、用意されたボートに乗って命がけで地中海に乗り出す。NGOの勝手な救出活動は、難民を鼓舞して危険な海に向かわせている、という指摘は以前からある。

殺到する難民問題はイタリア国内の政治闘争となって、台頭するポピュリズム政党の格好の攻撃材料になっている。

極右の北部同盟はあからさまに難民・移民の受け入れに反対し、ポピュリズム政党の五つ星運動も彼らのイタリア一時滞在に反対している。

2013~2016年間にイタリアには55万人以上の難民・移民が到着した。今年は前述したように1月1日~5月8日までに既に4万3千人あまりが上陸。

その数は夏に向かうほどに好天が続いて、海が静かになるこれからの季節にさらに増大することが確実視されている。

ドイツを始めとする難民受け入れ国が国境を閉ざしたり管理を厳しくして、欧州内の人の移動を自由にしたシェンゲン協定が形骸化した現在、イタリアの一人苦悩が続く。

それは、前述のポピュリズム政党の怒りを増大させて、フランス大統領選で下火になる兆候が見え始めた、欧州のトランプ主義の再燃を誘導しかねない危険も秘めている。

イタリアとオーストリアがめでたく和解した


オーストリアがブレンナー峠でのバリケード構築案を引っ込めた。

オーストリア政府によると、地中海からイタリアに流入する「違法難民」がほぼゼロなので、バリケードを作る必要がなくなった、ということである。

しかしながら、地中海経由の難民は相変わらずイタリアに流入している。今年に入ってイタリアには既に28500人が上陸した。

危機感を強く抱くイタリア政府は管理を強化して、難民の申請・登録を徹底させ始めた。オーストリアの言う『違法』難民はこれまでのところゼロになった、とはそういう意味である。

オーストリアの決定の前日、EU(欧州連合)はメンバー5カ国の国境閉鎖期間を半年間延長する決定を下した。

5カ国とはドイツ、オーストリア、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー《メンバーではないがシェンゲン協定署名国》である。

EUの執行機関である欧州委員会は、ブレンナー峠にバリケードを構築しようとするオーストリアを強く非難していた。

オーストリアは欧州委員会の勧告を受けた形だが、南欧との連絡口を閉ざすことの不利益を考慮したのだろう。

経済規模が小さく同国への影響が少ないハンガリーやスロベニア国境を閉ざすのとは違って、欧州大陸で3番目の経済力を持つイタリアとの関係は重要だ。

オーストリアと緊密に連絡を取り合っているであろうドイツもおそらくそのことを認識して、オーストリアに圧力をかけてバリケード案の撤回を促したものと考えられる。

ここでも再びメルケル独首相の変わり身の術が十全に発揮されたようだ。

オーストリアVSイタリアのいがみ合いはいったん回避された。しかし、これから夏に向けて難民の数が増大し、イタリアの管理がずさんになった場合は問題がぶり返されるだろう。

夏の凪の海には程遠い4月中でさえ、イタリア沿岸には8370人の難民が押し寄せた。その数は2015年6月以来、はじめてギリシャを抜いて最大になった。

イタリア政府は難民管理を強化はしたが、流入そのものを阻止する策は今のところ皆無と言ってもいい。オーストリアの不安はイタリアの不安でもあるのだ。

たとえ2国間の緊張がぶり返さなくても、ドイツほか4カ国の「難民擁護」国が、シェンゲン協定を無効にする形での国境管理を続けていることに変わりはない。

シェンゲン協定の崩壊は事実上のEUの崩壊である。国境管理を無くして域内を人と物が自由に往来できる、としたEUの高い理念に挑む難民危機は、まだ全く終わりが見えない。

オーストリアがイタリアとの国境を閉鎖したい理由(わけ)

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バリケード構築に抗議するデモ隊

国境を接する隣国同士のオーストリアとイタリアが、難民を巡っていがみあっている。国境近くでは反難民政策に異議を唱える人々がデモ行進をおこなって、機動隊との間でつばぜり合いが発生したりしている。

オーストリアはEU(欧州連合)内の国々を自由に行き来できるとするシェンゲン協定を無視する形で、ハンガリーとの国境に続きイタリアとの国境にもバリケードを構築。5月末から難民の流入を阻止するために国境検問に踏み切る計画である。

衝突ブレンネロ抗議デモ300pic
デモ隊の一部はオーストリア国境警察と衝突

バリケードの場所は、イタリアとオーストリアをつなぐブレンナー峠。両国を結ぶもっとも重要な場所であると同時に、南欧と北欧の間の人と物の自由な往来を担保する最大のルートの一つでもある。そこはシェンゲン協定によって常時開放されていることが義務づけられている。

昨年およそ100万人の難民が通過した、トルコ→ギリシャ→バルカン諸国→北欧という経路のいわゆるバルカンルートは、通路に当たる国々が国境を閉鎖したことによって事実上通行不可能になった。以来、バルカンルートに流れ込む難民の数は約8割も減少した。

またEUは今年3月20日以降に不法に欧州に入った難民、つまり難民申請をしないまま移動を続ける難民・移民を、トルコ政府との合意の上で同国に強制送還している。トルコはその見返りにEUから4年間で最大60億ユーロ(約7600億円)の供与を受けることになっている。

バルカンルートから締め出された難民は、アフリカ北岸に回って地中海に乗り出し、イタリアを目指す可能性が高いと見られる。難民が欧州を目指して押し寄せる地中海ルートは、バルカンルートが主流になるまで、最も混雑した場所だった。それが復活すると考えられているのだ。

地中海を渡ってイタリアに入る難民を一国で対処することはできないと恐れる同国政府は、北欧への移動口であるブレンナー峠を閉鎖すれば、難民のみならずイタリアから各地に向かう100億ユーロ(約1兆3千億円)分の物流も滞る。明確なシェンゲン協定違反だとしてオーストリアを非難している。

イタリアの主張はもっともである。オーストリアによる国境閉鎖は物流にとどまらず人的資源などの行き来も滞って、大きな損失が見込まれる。それは当事国のイタリアとオーストリアに限らない。EU全体にとっても同様だ。経済のみならず多方面で負の波及効果も伴う重大問題である。

しかし難民問題だけに限って見ればオーストリアの主張もまた理解できないことではない。2015年、同国は全人口の1%以上にあたる9万人の難民を受け入れた。この数字はイタリアの人口比に当てはめると約60万人に相当する。決して小さくない数字だ。

一方、イタリアが2015年に受け入れた難民は8万3千人。ところが地中海を渡ってこの国に到着したのは15万4千人である。オーストリアのクルツ外相は、国境閉鎖を非難するイタリア政府に対して「残りの7万1千人のうちの多くが不法にオーストリアに入国した」と反論した。

またクルツ外相は次のようにも述べている。「今年オーストリアが受け入れられる難民は3万7千5百人までだ。昨年のように大量の難民を受け入れることはできない。イタリアがもしも地中海から流入する難民を効果的に制御できない場合は、予定通り国境を閉鎖する」。

難民受け入れ口をせばめようとするオーストリアの動きは、おそらくドイツのメルケル首相の承認を得ているのではないか。メルケル首相は昨年9月、それまでの反移民政策を大きく転換して大量の難民を受け入れると発表。世界を驚かせた。変わり身の速さが政治家アンゲラ・メルケルの身上である。

その後、急激な難民流入に苛立ったドイツ国民が反発。メルケル首相は退陣を余儀なくされるのではないか、というところまで追い詰められた。そこで彼女は得意の変わり身の術を発揮。半年間という期限付きではあるが国境の管理を強化して難民の流入を制限した。

これに北欧各国とオーストリアも同調。緊急の場合は国境を一定期間閉鎖できる、というシェンゲン協定の例外規定を利用したのだ。オーストリアはこのときハンガリーとの国境を閉鎖して入国審査を始めた。それを今回イタリア国境にも導入しようというのである。

互いに非難しあっているイタリアとオーストリアは、今後EU本部の調停を受けながら話し合いを続けることになる。EUは建前上はシェンゲン協定に違反するオーストリアを責める形だが、ドイツを始めとする北欧と東欧諸国が同じ施策を実施しているために本気で非難するのは難しい。

加盟国の多くが国境管理に乗り出した時点で、多くの人々は「シェンゲン協定の前提が崩壊した」と考えている。加盟諸国の国境閉鎖の期限が間もなく切れようとする今、オーストリアが新たに国境閉鎖を行えばシェンゲン協定の理念そのものが危機にさらされる。それはEU自体の存続が危機にさらされるのと同義語である。


ブダペストまで ~EUのシェンゲン協定は生き残れるか~

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オーストリア・ハンガリー国境で検問するハンガリー警察

仕事でウイーンを訪ねたついでにブダペストまで足をのばした。前の記事で書いたように、オーストリアもハンガリーも中東難民に端を発したバトルの渦中にある。

オーストリアは難民の流入を防ごうとしてハンガリーやイタリアとの国境監視を強化。ハンガリーは隣国のセルビアとクロアチアとの国境を閉鎖した。

オーストリアとハンガリーに限らず、ここイタリアも含めたEU諸国のすべては、中東難民をめぐって責任の押しつけ合いなどの駆け引きをくり返している。

イ タリアは国境閉鎖には踏みきっていないが、今後地中海が再び難民で騒がしくなればどうなるか分からない。国境地帯はどの国も熱い。

と思いきや、熱いのは基本的に欧州西側諸国の南と東の国境線の一部。その他の国境は-あくまでも仕事の旅程内での見聞だが-シェンゲン協定に守られていて自由に行き 来できる。

またそれぞれの国内も、熱い国境線のまわりを別にすればほとんど混乱は見られない。今回訪ねたウイーンとブダペストも平穏だった。

イタリアとオーストリアの国境では、検問どころか車両を減速させなければならないような障害もなく、スムーズに車が通行できた。

しかしオーストリアとハンガリーの国境では、ハンガリー側の警察が出て高速道路の通行証のチェックを丹念に行っていた。

ハンガリーの高速道路の通過料金は一律で、支払い証明チケットをフロントガラスに貼りつけることが義務づけられている。

外から確認できて、且つ使いまわし しなどの不正防止が目的という。しかし、それだけのために実施されていた物ものしい警備は、やはり国境監視の意味合いが強いものにも見えた。

それでもハンガリー国内に入ると、首都ブダペストを始めとして、国境の喧騒はいったいどこの国の話だろう?と首をかしげたくなるほどに平穏だった。

ブダペ ストを経て2日後にスロベニアの国境も通ったが、そこにも検問や封鎖はなく、シェンゲン協定通りに自由に通り抜けることができた。

もっともトルコ経由でハンガリーに入る難民は、ほとんどがセルビアとクロアチアを経てやって来るため、ハンガリーが神経をとがらせているのはその2国との 間の国境線である。

従ってスロベニア国境はあまり関係がないとは言える。それでも少しの監視強化があるのではないか、と思っていたから完全な自由通行は意外だった。

スロベニアとイタリアの国境も同じ。どこからどこまでがスロベニアでどこからがイタリアなのか、気をつけて確認しないと分からないほど2国はシェンゲン協定の枠内で同化している。

同化というのは言い過ぎかもしれないが、そう形容したくなるほどの静かな国境通過だった。これがシェンゲン協定の真髄。

それは欧州の平和の象徴であり同時に現実でもある。長い血みどろの歴史を経て獲得した、世界にも拡散されるべきヨーロッパの英知を、決して崩壊させてはならない、と腹から思う。

陸路を閉ざされた難民は再び地中海に殺到するか

上からの船見下ろしベストショット

日本での報道は少なくなり勝ちのようだが、中東から欧州に流入する難民は途切れることがない。4月11~12日の2日間で、イタリア沿岸警備隊と海軍はリビアからの難民4000人余をシチリア海峡で救助、保護した。ほぼ同日、オーストリア政府は難民の流入に備えるためという名目で、同国とイタリアとの国境線にバリケードを設置。5月からの運用を目指している。

オーストリアは最近まで北欧やドイツと並んで難民に寛大な政策を取ってきた。しかし、急激に増え続ける難民に恐れをなして、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー 、フランスなどと共に難民の流入ルートの一つであるハンガリーとの国境を閉鎖して検問に踏み切った。そこに加えてもう一つのルートであるイタリアとの国境にも同様の施策を始めた。

イタリアとオーストリアを含むEU(欧州連合)は、今月に入って「不法」とされる難民・移民をトルコ政府との合意の上で同国に強制送還し始めた。2015年にトルコを経由して欧州に向かった難民は85万人にのぼる。このうち強制的に送還されるのは今年3月20日以降にギリシャに到着した者のうち、同国で難民申請をしなかった者やいわゆる経済移民など。

EUは同時にシリアなどからの「合法」的な難民を受け入れる措置も進めていて、強制送還を実施した同じ日の4月4日には、ドイツがトルコ国内にいたシリア難民を受け入れて定住させる処置をとった。そうした動きは難民の受け入れを拒否している中東欧諸国を除いた欧州地域では普通の光景である。

先日、中東欧の反難民国の中で最も過激な政策を取っているハンガリーを訪ねた。ハンガリーは中東や北アフリカからの難民がやって来る隣国のセルビアやクロアチアとの国境を閉鎖している。そればかりではなく、同国のオルバン首相が「難民は欧州の問題ではなくドイツの問題だ」と言い放つほど難民嫌いを隠さない国である。

ハンガリーの強い難民アレルギーを示すエピソードは枚挙にいとまがない。前述のオルバン首相は「欧州は難民の故郷にはなりえない」とも発言し、ハンガリーの女性ジャーナリストが子供を抱いた難民の男性に足をかけて転倒させた事件は、SNSなどで爆発的に拡散されて世界中に知れ渡った。

またハンガリーではセルビア国境を越えてきた子供が虐待に遭ったり、難民収容所で警官がまるで動物に対するように人々を扱う姿が目撃されたりするなど、道義的に疑問を抱かせるばかりではなく国連やEU規則にも反していると批判される不祥事や逸話が多い。

かつてソ連の庇護の下にあった元共産主義の中東欧国には、ハンガリーに限らず人種差別にあまり罪悪感を感じない人々が多く住むという説がある。そうした人々のほとんどは、第二次世界大戦中のドイツ人やオーストリア人などと同様にユダヤ人を虐殺したり、虐殺に手を貸したりなどしてナチスにぴたりと寄り添い協力した過去を持っている。

それにもかかわらず、戦後は共産主義世界に組み込まれて戦時の総括をしないままに日を過ごした。やがてソビエト連邦が崩壊し、現在ではEU(欧州連合)のメンバー国にまでなる幸運を得ながら、先の対戦への総括がなかったために昔風の反ユダヤ主義やムスリム嫌悪やアジア・アフリカ差別などの心理を払拭できずにいるというのである。

そうした国民感情は先の大戦への徹底総括がないままに歴史を刻んできた日本などにも通じるものである。ただ難民問題だけに限って言えば、彼らの頑なな嫌難民言動はそれぞれの国の脆弱な経済も影響しているように見える。貧しい者は難民を助ける経済的な余裕がなく、故に彼らへの親和感や博愛や憐憫の情を育む心の余裕もないケースが多い。

その点、例えばドイツやオーストリアなどの西側諸国は、経済的に強いために比較的柔軟に難民への協力や援助や寛容な施策などを取ることができる。加えてそれらの国々の住民の心の中には、戦時中にユダヤ人を徹底的に迫害したことへの強い引け目がある。だからなおさらその傾向が強くなるのだろう。

オーストリアとハンガリーに限らず、ここイタリアを含むEU諸国の全ては中東難民を巡る試練と駆け引きと攻防の渦中にある。イタリアは国境閉鎖には踏み切っていないが、オーストリアとハンガリーは前述したように一部の国境を封鎖したり検問をや監視を強めたりしている。

シリアを始めとする中東などからの難民はトルコを経由してギリシャに渡り、そこから北上を開始する。いわゆるバルカンルートである。そこを通って昨年だけでも90万人近い難民が欧州に入った。バルカンルートの混雑は、前述のハンガリーなどの反難民国の国境封鎖や、ドイツ、オーストリアに代表される「かつての難民抱擁国」の変節で今後は少なくなるかもしれない。

しかし、欧州へのもう一つの流入経路である「地中海・イタリア」ルートは、閉鎖がほとんど不可能な海の道である。夏に向かって天気が安定するに従って、そこにはこれまでのチュニジア経由の難民に加えて、バルカンルートを閉ざされた人々が殺到する可能性がある。

地中海からイタリアに流入する難民をイタリア一国で受け入れたり対処したりするのはほぼ不可能と言ってよい。欧州、特にEU(欧州連合)の国々はイタリアと協力してこの大問題に対処できるのか問われている。それは欧州統合を目指すEUが結束して未来に向かうのか、ここで崩壊するかの瀬戸際にあると断言できるほどの重要な局面である。



空爆でも陸戦でも全面戦争でもテロは死なない


英軍空爆は無いより増し

2015年12月2日、 英下院は過激派組織「イスラム国」(IS)への空爆をシリア国内にも拡大することを承認した。これを受けて、キプロスのアクロティリ英空軍基地から4機の戦闘機が飛び立ち、ISが支配するシリア東部の油田を攻撃した。

米英仏ひいては欧米全体とロシアが協調して「イスラム国」(IS)を攻撃できるのか、あるいはロシア軍機撃墜を巡ってロシアとトルコが対立する事態が影響して足並みが乱れるのか、などの懸念はあるものの、パリ同時多発テロ後の世界の大半は英国の空爆参加によって「イスラム国」(IS)の殲滅に向けて合意に達した、と言っても過言ではないだろう。

作戦は中途半端であってはならない

空爆でも陸戦でもテロは死なない。つまりテロの思想は消えない。それでも、いやだからこそ「イスラム国」(IS)は徹底的に破壊されるべきである。なぜなら「イスラム国」(IS)殲滅後も消えることのないテロの思想は、結局近代社会には受け入れられないものである、と人々に明確にメッセージを送ることが、テロ思想の漸減に資するからだ。完全消滅が難しいならせめてそれを削減しようと努力するのが理であり叡智だ。

有志連合は、一度始めた「イスラム国」(IS)掃討作戦を完結させるべきである。なぜなら彼らテロリストは寛容の精神や民主主義という近代文明の重大な要素を敵視しあざ笑いこれを破壊しようと目論んでいるからだ。有志連合が結束して「イスラム国」(IS)に挑めば、悪魔のような過激派組織は早晩この世から消滅するだろう。

暴力の暴走を止める仕組みを守る

人類の進歩は暴力の管理統制によって完成しつつある。言葉を替えれば人類は、現在考えられる限り最善の「暴力の暴走」を回避する手段として暴力を監視統制する形を考え出した。それは万人の万人による闘争、いわゆる自然状態における問題解決手段としての暴力の野放し状態から、国家が暴力を独占して社会集団や個人間の対立を暴力(国家権力)によって裁定する仕組みへ移行することだった。

それは王やその周辺の貴族集団や宗教権威による暴力の独占に始まり、官僚組織が権力を執行実践する仕組みである。やがてその仕組みは革命によって人民の手に渡り、現在は不完全ながら、国家権力の源泉である暴力を民主主義によって管理行使して主権者である国民の人権を守る、という形に曲がりなりにも到達した。

言うまでも無くそこに至るまでには、革命や戦争や革命によって生まれた共産主義の激しい暴力など、血塗られた苦しい歴史がある。繰り返すがその仕組みは決して完全ではない。チャーチルが指摘したように人類はまだ民主主義に勝る政治体制を獲得していないのだ。民主主義はベストではない。ベターなだけだ。

しかし、ベストが存在しない限り、ベターがベストである。「イスラム国」(IS)はそうした人類が長い時間と犠牲をかけてたどり着いたベストの仕組みに真っ向から挑みこれを破壊しようとしている、だから彼らは殲滅されるべきなのである。

テロリスト殲滅には地上戦が必須

彼らを殲滅するのは空爆ではまったく足りない。足りないどころか、空爆は、標的確認あるいは探索のためのIT技術などが飛躍的に進歩したとはいうものの、明確な証拠がないまま無闇に爆撃をし銃弾を撃ち込む側面がある。そうした方法は無辜な民間人や非戦闘員を殺害する可能性が高いのみならず、敵標的を確実に排除することもできない。

空爆は自陣の損失を恐れる消極的な戦闘だから敵を殲滅することはできない、というのは広く知られた事実だ。イラクやシリアにおける有志連合の空爆もその例にもれない。従って「イスラム国」(IS)を地上から消し去る意志が有志連合に本当にあるなら、自らも傷つくことを承知で地上戦に持ち込むべきである。空爆は打ち上げ花火だ。見た目は華々しく派手だが、花火は爆弾ではない。

「イスラム国」(IS)殲滅戦は理想的には中東各国、もっと正確に言えば全てのイスラム国家が結束して当たる方が良い。イスラム世界が協同一致して過激派組織ISを撃滅するならば、それはいわば身内のならず者を一族がこぞって排除するということと同じだから、後味の悪さが少ない可能性が高い。

その場合は欧米中心の有志連合は、彼らの要請に従って援助したりアドバイスをしたりする役割に徹することができる。そうすれば特に英仏の横暴によって辛酸をなめてきたアラブ世界が、同じ負の歴史の二の舞を演じることがなくなり、従って将来に禍根を残す可能性も少なくなる、と考える。

欧米の力はベストではないがベター

だが、現実はどうか。アラブ各国は分裂いがみ合いを続けていて、結束してIS殲滅への行動を起こすなど夢物語だ。したがって今は欧米有志連合が連帯して世界の脅威である「イスラム国」(IS)を排除する形が現実的だ。有志連合のアクションに異を唱える人々は、何も行動を起こさずに「イスラム国」(IS)が無垢な民衆を殺害し、民主主義という「今現在の」世界体制の中では最良の仕組みを破壊するに任せるべきかどうか、を考えるべきである。

空爆によって欧州への難民が増える、と主張する人々もいる。果たしてそうだろうか。「イスラム国」(IS)が彼らの思いのままにシリアで、イラクで、そして中東全体で横暴を繰り返すことが、より多くの難民を作り出す結果にはならないのだろうか。いずれにしても「イスラム国」(IS)は難民を作り出しても彼らを救済しないが、欧米はこれまた不完全な形ではあるものの、難民を受け入れようと心を砕いている。批判者はこの事実も考慮して発言しているのだろうか。

そうは言うものの、「イスラム国」(IS)を破壊することではテロの思想は決してなくならない。有志連合は寛容の精神を否定する「イスラム国」(IS)を殲滅する「不寛容」の精神によって、新たなテロの温床を作り出すという矛盾を犯す可能性がある。テロリストを破壊する行為はISを地上から抹殺するのみで、テロやテロの思想を一掃することはできない。むしろそれはさらなる憎しみを呼んで新たなテロの温床になりかねない。

「イスラム国」(IS)殲滅は次のテロとの戦いの始まり

なぜなら「イスラム国」(IS)の戦士らにも家族があり共鳴者や賛同者がいる。残された彼らは憎しみを抱え込んでそれが新たな「イスラム国」(IS)を生みテロを誘発する。従って有志連合とそれに賛同する人々は、「イスラム国」(IS)破壊後に残される家族とシンパの憎しみと怒りと悲しみを真っ向から受け入れ、これを癒し救う道筋を真剣に考えるべきである。

その行為も残された者たちの憎しみを癒すには十分ではない可能性がある。だがそこで諦めてはならない。残念ながら組織を破壊することによってのみ進展が図られるのが「イスラム国」(IS)の問題だ。世界は恐れることなくテロリストを殲滅し、それによって世界の叡智を守り、残されたテロリストの家族たちを守る手だてを真剣に考えるべきである。

憎しみには憎しみを、という復讐の連鎖を断ち切って「ひたすら赦せ」と説いたのはイエス・キリストである。そして「イスラム国」(IS)を殲滅しても生き延びるテロの思想を真に根絶できるのは実は、キリストが唱道したその絶対の「赦し」だけである。 空爆も陸戦も全面戦争も決してテロの思想を根絶することはできない。だが今日現在の人類は、「イスラム国」(IS)の差し迫った脅威を排除するのに「絶対の赦し」を行使するほどの知恵を持たない。いや、知恵はきっとあるのだ。人類はそれを実現する方策をまだ知らない。従って今できる最善の方法で事態に対するべきだ。


独メルケル首相は難民に心を閉ざしたのか



ハンガリーに足止めされていた難民を一気にドイツに入国させて世界を感動させた同国のメルケル首相は、一転して国境を一時的に閉鎖すると発表して再び世界を驚かせた。気の早い者は、彼女が「豹変」したと批判しているほどである。

ドイツがEU(欧州連合)域内の人の行き来を自由にするシェンゲン協定を反故にするのではないか、と怖れる人々も多い。だがその心配はないと僕は考える。なぜならシェンンゲン協定はEUの存在意義を担保するもっとも重要な取り決めの一つだからだ。

人が自由に行き来することによって、EU内の文化芸術の交流が盛んになると同時に物の流れもスムースになる。そのことによって経済が活発化する。それによってEU内でもっとも大きな恩恵を受けるのが他ならぬドイツである。もちろん他の加盟国もドイツと同じ恩恵を受けていることは言うまでもない。

ドイツがシェンゲン協定を否定するなら、それは自らの首を絞めるにも等しい愚行である。ではなぜドイツは国境管理体制を導入したのか。それはドイツが『わが国は難民を受け入れる用意がある。しかし全ての重荷を一国で負うつもりは毛頭ない』と他のEU加盟国に向けて宣言したかったからだ。

メルケル首相は中でも特にハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキアの東欧4国を念頭に置いていると考えられる。それらの4国は、難民受け入れによる経済的負担の重さを主な理由に、ドイツが提唱する一定数の分担義務を頑として拒否している。

シェンゲン協定では、緊急の場合は国境を閉じても良い、と定められている。従ってドイツが一時的に国境管理を行い、オーストリア他の国々がそれに追随したのは合法である。が、道義的には周知のように各方面からの非難を浴びた。

しかし、ドイツはハンガリーに集積していた難民を受け入れ、さらにこの先何年かに渡って、年間50万人程度(2015年の申請数は80万人の予想)の難民を受け入れ続けると約束している。その寛容と勇気を決して忘れるべきではない。

膨大な数の難民が一気に押し寄せることによって起こるであろう、混乱と騒擾を避ける意味でも、また前述のいわば反難民の国々を説得する意味でも、ドイツの処置を適切と考えたい。ドイツが沈没すればEUそのものも立ち行かなくなるのだから。

先の大戦への反省と道義的責任、また直近ではギリシャ危機に臨んでの厳し過ぎる態度への反省等々が、メルケル首相の政策決定に影響している。だがそれが全てではない。彼女は政治的、また経済的にも難民受け入れは長期的にはEUにとってプラスだと考えて賭けに出た。

ドイツの主張する難民割り当てにEU各国が合意して、あるいは団結して危機を乗り切る道を模索し、メルケル首相の賭けが必ず成功することを祈りたい。それはEUが一枚岩になることを意味し、ひいては難民を生む中東問題の解決策を見出す糸口にもなり得るからである。

“難民受け入れ”~メルケル独首相の歴史的英断~

20015年9月5日、アンゲラ・メルケル独首相は、ハンガリーで足止めを食っていたシリアをはじめとする中東などからの難民・移民を受け入れる、と発表した。

独首相の表明を受けて、英国ブラウン内閣で史上2番目に若い外務大臣を務めたデイヴィッド・ミリバンド氏は、「ヨーロッパが覚醒した」と驚きと賞賛を込めて発言した。

メルケル独首相の勇気ある決断は、ミルバンド氏の言葉を待つまでもなく、“欧州の歴史の分岐点”としてこの先も長く記憶されていくだろう。

先の大戦の悪夢と汚濁の中から立ち上がったドイツは、ナチスの亡霊と戦いながら国を立て直してきたが、今回また素晴らしい歴史物語を作り上げた。

中東やアフリカから欧州に流入する難民や移民の数は怒涛の勢いで増え続け、受け入れを拒否したい国と同情する国との間に確執が生まれつつあった。

ホロコーストの暗い過去を持つドイツは、欧州の中でも難民や移民の受け入れに積極的であり続けてきた。贖罪の意識がドイツを常にその方向に駆り立てた。

そのドイツでさえ最近の難民の急増には危機感を抱いた。相変わらず欧州最大の難民受け入れ国でありながら、EU(欧州連合)を隠れ蓑にして難民排斥の動きに加担したりもしてきた。

賛否両論が渦巻く混乱の中、3歳のシリア人難民アイラン・クルドちゃんが逃避行の途中の海で溺死し、その遺体写真が世界に衝撃を与えた。国際世論が大きく騒いだ。

人道的にこれ以上の難民拒否は無理だと悟ったメルケル首相は、ドイツを目指す難民・移民を受け入れる、という大いなる決断をした。山が動いたのである。

言うまでもなく幼児の遺体写真だけがメルケル首相の背中を押したのではない。戦乱や貧困を逃れて欧州を目指す難民の悲劇は、それまでにも欧州中のメディアで繰り返し語られてきた。それらの蓄積が首相の決断を促した。

メルケル首相の声明を受けて、ドイツ政府は冬に向けてただちに15万人分のベッドを用意し、今後は1年間に50万人程度の難民・移民を受け入れて行くと発表した。

ドイツが多くの難民を受け入れるのは、EU(欧州連合)のリーダーとしての道義的責任感があるからだ。が、同時に好調な経済状況とそれに伴う労働力不足を補いたい、という実務目的もある。

いずれにしてもドイツの動きは、欧州はもとよりアメリカにも大きなインパクトを与えた。難民受け入れに消極的だった英仏が前向きになったのに加えて、アメリカ政府もシリア難民を少なくとも1万人引き受けると発表した。

これまで欧州では、難民流入の最前線に立たされてきたイタリアやギリシャと、ドイツを主体とするEU(欧州連合)との間に、受け入れを巡って本音と建前を言い合う醜い争いが繰り広げられてきた。

また、EU(欧州連合)のメンバー国でありながら、英国は難民問題に関してはまるで他人事のような態度を取り続け、経済的負担を怖れる東欧のメンバー国も、難民受け入れに難色を示し続けた。

そこにドイツが、「自らの身を切る」と言うにも等しい犠牲を払う決断を下した。すると難民問題に対する欧州諸国の態度が一変した。誰もがドイツに続かなければならない、と考え始めたのである。

EU(欧州連合)がドイツと完全に同じ方向を向いているとはまだ言えない。ドイツが主導して進める難民割り当て制度に反対する国々も、前述の東欧国などをはじめ依然としてある。

しかし難民を巡って分断されつつあったEU(欧州連合)が、「難民受け入れ」という方向に向かって共に歩みを始めよう、とする空気が醸成されつつあることもまた事実である。

もとよりそれは、経済、文化、また社会的にも大きなリスクを伴う歩みである。着の身着のままで流れ着く人々の生活を支え、改善させていくのは受け入れ国にとって大きな経済的負担である。

それらの人々が、社会に順応し融合することを嫌って、摩擦が起きる可能性もある。現に欧州はイスラム系移民とキリスト教系住民との間の対立で、社会が分断されかねない状況にある。そして今の難民のほとんどもイスラム系の人々なのである。

難民受け入れの扉を開け放しにすることによって、生命の危険にさらされている真の難民ばかりではなく、より良い生活を求めて移住を試みるいわゆる経済移民も加わった、さらに多くの流民が殺到する可能性もある。

さらに指摘すれば、イスラム過激派のテロリストが難民を装い難民に紛れて、欧州全体に押し寄せるのではないか、というここイタリアなどで従前から危惧されていた事態が現実化する恐れも高まる。

それでも欧州、特にEU(欧州連合)諸国が、難民を自分以外の誰かに押し付けようとしてギクシャクした関係を続けた過去を捨てて、寛容の精神を回復し団結するなら、それらのリスクを取る価値が大いにある。

なぜなら欧州が一つにまとまれば、そこに北米なども加わって、難民が発生するそもそもの元を断ち切り改善するための方策が立てやすくなる。つまりイスラム過激派などを撃破し、中東に平和をもたらすことである。

そうした動きは欧米が、難民受け入れを実践すると同時に、日本なども含めた世界の国々を巻き込んで、目指していくべき道である。独メルケル首相は見事にその道筋を示した。

彼女の賭けが吉と出るか凶と出るかは分からない。が、メルケル首相が示した広く深い寛容の精神は、狭量と憎悪に支配されかけていた欧州の良心を呼び覚ました。メルケル首相はそうやって歴史に大きな足跡を残した。


子供は親の所有物(モノ)ではない


僕は前回の記事でイスラム教徒と「イスラム国」のテロリストはまったく違うものであり、これを混同してはならない、と書いた。そのことに異議を唱える者は いないと思う。ところが同時に、イスラム教の持つ極端な保守性が、「イスラム国」のテロリストと一般のイスラム教徒を同一のものに見せてしまうような事案 もひんぱんに起こる。次のようなことである。

先日(2015年8月)、中東ドバイのビーチに家族で遊びに来ていた20歳の娘が波に呑みこまれた。助けを求める叫びに応えて居合わせた救助員二人が海に飛び込も うとした。すると屈強な体格の娘の父親が彼らを力ずくで引き止めた。見ず知らずの男に触られたら娘が汚れる、そうなるくらいなら彼女は死んだほうがいい、 と暴力がらみで救助を拒み続け娘はついに溺れて死んだ。

イスラム教徒が起こす類似の事件は欧州でも頻発する。少し前にはここイタリアでパキスタン人移民の娘が父親に喉を掻き切られて殺害され、遺体を庭に埋めら れた。犯行動機は娘が父親の意向に背いて「西洋風」に自由に生きようとし、挙句に「キリスト教徒の」イタリア人若者と付き合っている、というものだった。父親の兄弟が共犯者になった。娘が西洋風に自由に生き、西洋人を恋人にまでしたのは、一族の名誉を汚す行為だからそれは名誉の殺人だと彼らは主張した。

そうした凶悪事件ばかりではなく、親が娘に暴力を振るったり、イタリア人の友人を作ることを禁止したり、親の決めた相手との結婚を強制したりという横暴が 次々に明るみに出ている。移民社会におけるそうした女性虐待の流れの一つで、イタリア国内だけで年間2000件程度の強制未成年者結婚が行われていると推 定されている。この場合の犠牲者も全て女性である。似たような事件は欧米のそこかしこで発生している。

犬が人に噛み付いてもニュースにはならないが、人が犬に噛み付けばニュースになる。異常な出来事だからだ。イスラム教徒によるそれらの事件は、人が犬に噛 み付くケースと同様の異変である。従ってそれらを持って全てのイスラム教徒が同じだと考えてはならない、というのは理想的なあるべき態度である。しかし現 実はそううまくは運ばない。

それらの異様な事件は、イスラム教徒と対立するキリスト教徒が多数を占める欧米社会に強い衝撃を与え、少数派のイスラム移民への偏見や差別を増幅させる。 そのことがひるがえって中東移民を主体とするイスラム社会の反発を招き、憎悪が憎悪を呼ぶ悪循環が繰り返される。結果、欧米で生まれ育ったイスラム教徒の 息子らが、シャルリー・エブド襲撃事件に代表されるテロを起こしたり中東のイスラム過激派に身を投じたりする。

欧米社会の良心ある人々は、一貫して中東移民との融和を唱えて行動してきたが、事態が悪化した現在はさらに危機感を覚えてイスラム社会との対話を強く模索 している。イスラム系移民への欧米側の偏見と差別は糾弾されて然るべきである。同時にイスラム系移民も自らが所属する欧米社会の文化を尊重し、郷に入らば 郷に従え、の精神で欧米社会に順応しようと懸命の努力をするべきだ、というのが欧州住民で且つ第三者的な立場にいる「日本からの移民」の僕が感じることである。

ドバイの事件もイタリアの事件も、根底にあるのは子供、特に女子を親の所有物でもあるかのように見なす時代錯誤な保守性である。それをほとんど未開性と呼 んでもかまわない。見知らぬ男に触れられた娘は傷物であり、従って売り物にならない、つまり嫁に行けない。それは一家の不名誉である。処女信仰も加わった イスラム特有の考え方は奇怪だが、実はそうした考え方や風習はその昔、ヨーロッパにもまた日本にもあったものだ。

今の日本では考えられないことだが、娘を物のように扱って遊郭に売り飛ばしたり、強制的に労働させたり結婚させたりしたのは、つい最近まで日本でも普通に あったことである。時期は違うものの西洋でも事情は同じだった。娘ばかりではない。かつて子供は男女とも親の所有物だった。少なくとも親の所有物に近い存 在だった。子供が生まれながらにして一個の独立した存在であり人格である、と認めそのように社会通念を変えていったのは欧米人の手柄である。

われわれ日本人はイスラム圏の人々よりも一歩早くその恩恵にあずかって、子供、特に女子を親の思いのままに扱う野蛮な文化を捨てた。しかし何百年も続いた 習わしはそう簡単には消えない。日本社会に根強く残る女性差別、男尊女卑の風はその名残である。そればかりではない。親が子供を自己の所有物と見なす風俗 さえも実は日本社会には残っている。それが如実に表れる例の一つが親子の無理心中である。自分が死んだ後に残される子供が不憫だ、という理由で親が子を道連 れにするのは、子供の人格を認めずに自らの所有物だとどこかで見なしているからである。

そこまで極端な例ではなくとも日本社会には同じ陥穽に落ちている現象が多い。たとえば親子の間に会話がなく、思春期の子供が激しく親に反抗する事態なども 実はその遠因に子供を独立の人格と認めない、つまり自らの所有物と見なす精神構造が関係している。幼児から子供を独立の人格と見なしていれば、親は子供と 対等に対話をせざるを得ないし、ただひたすらに勉強しろ、いい大学に入れと問答無用に強制し続けることも無くなる。

今イタリアを含む欧米のイスラム系移民社会で起こっていることは、どこかで日本の過去にもつながっている。欧米の過去にもつながっている。欧米も日本も試行錯誤を重 ねて「学習」し今の自由な社会を築いた。それはそこかしこに問題の多い、まだまだ不完全な自由社会だが、少なくとも中東のイスラム教社会よりは進歩した社 会である。この進歩とは欧米的基準あるいは日本的基準で見る進歩である。従ってイスラム教徒がそれを進歩とは認めないと主張するなら、彼らがそう主張する 権利と自由を認めつつも、やはりこちらの社会の方が進歩している、とわれわれが宣言する進歩である。

イスラム系移民がその進歩した社会に適合する努力をすることと、彼らが自らの宗教を守りその教義を実践することとはいささかも矛盾しない。欧米社会はそこ でもまた不完全ながら、多様性を重視しようと日々努力をしている。イスラム教徒の信仰を認め尊重することを欧米社会はためらわない。しかしそれを他人に押 し付けようとしたり、自らの宗教を盾に欧米社会の価値基準に挑もうとする者は容赦なく排除しようとする。

宗教は個人的内面的なものであり、社会の価値基準は公共の財産である。もしも宗教が公共の社会的価値基準に抵触する行動や主張をしなければならない場合に はこれを慎む、ということが欧州社会における最重要な暗黙の合意事項である。それは自らの神のみが絶対だと信じて疑わないイスラム教徒も例外ではない。しかしながら、イス ラム系移民はこのことを知らず、あるいは知っていてもルールを認めずに我を通そうとすることが多い、と自称「仏教系無神論者」の僕などの目には映る。

イスラム系移民のそんな頑なさは、シャルリー・エブドのジョークや風刺を受け入れない狭量にもつながる。シャルリー・エブドのイスラム風刺はもちろんイス ラム教徒への侮辱である。だが同時にそれは、違う角度から見たイスラム教やイスラム教徒やイスラム社会の縮図でもある。立ち位置によって一つのものが幾つ もの形に見える、という真実を認めるのが多様性を受け入れるということである。そして多様性を受け入れない限り、欧米社会における中東移民と地元住民との融合 はありえない。それはもちろん欧米住民の側にも求められていることである。


アンダルシアを「イスラム国」に重ねて見れば(Ⅰ)



先ごろイベリア半島のスペイン・アンダルシアを訪ねた。イベリア半島は8世紀から15世紀終わりにかけてアラブの支配下にあっ た。中でもジブラルタル海峡を挟んでアフリカと対面するアンダルシア地方は、もっともアラブの影響を受けた地域である。

およそ800年にも渡ったアラブのアンダルシア支配は、多くのイスラム文化遺産を同地に残した。世界遺産にも登録されている目ざましいものをざっと見ただけでも、例えばグラナダのアルハンブラ宮殿、セビリアの大聖堂とアルカサル、コルドバのメスキータ(モスク)等々がある。

それらの文化遺産の圧倒的な美しさとアラブ文明の息吹は、スペインの中でも特に旅行者に人気の高いアンダルシアを、まさしくアンダルシアたらしめているものであり、同州のみならずスペイン王国全体の宝といっても過言ではないだろう。

アンダルシアを旅しながら、僕はアラブのテロ集団「イスラム国」を思い続けた。理由は二つある。一つは彼らが極端な原理主義を掲げているとはいえ、文化遺産を残した人々と同じイスラム教徒である事実。また「イスラム国」が世界制覇への一段階として、スペインを含むイベリア半島を2020年までに支配下に置く、と宣言していることである。


後藤健二さんを惨殺した「イスラム国」の蛮行は止む気配がない。シリアとイラクにまたがる地域にはびこっていたテロ集団はリビアにも侵攻し、アフガニスタ ンやパキスタンにも魔手をのばした。中東の他の地域にも影響力を及ぼしつつ東南アジアのムスリム国にさえ忍び入る気配である。

また直近ではシリアの世界遺産パルミラ遺跡の破壊を進めながら、遺跡の保護者である82歳の考古学者ハレド・アサド氏を斬首刑にした。アサド氏がテロ集団への協力を拒んだため公衆の面前で殺害し、血まみれの遺体を遺跡の柱に吊るす、という相変わらずの残虐ぶりを見せている。

「イスラム国」が近い将来、イベリア半島からアフリカ、東ヨーロッパから中東を経てインドネシアに及ぶ広大な地域をカリフ制に基づいて支配する、というのは笑い話の世界だ。が、実はそれらの地域の大部分はかつて、あるいは現在のイスラム世界の版図ではある。彼らの主張はその意味では全てが荒唐無稽ではないのである。

そうしたことからも、その昔イスラム教徒の支配下にあったアンダルシアと「イスラム国」を結びつけて考えるのは、筋の通ったものだ。しかし同時に「こじつ け」にも似た不条理でもある。なぜならテ ロリストである「イスラム国」と一般のイスラム教徒とは断じて同じ人々ではない。

従って、例えばイスラム王朝が残したアルハンブラ宮殿と、「イスラム国」の未開と酷薄をイスラム文化あるいはアラブ文明として、ひとくくりにすることはで きない。あるいはコルドバのメスキータを生んだ創造的で開明的な人々と、人質の首にナイフを突き立てて殺害する「イスラム国の」蛮人とを同一視してもなら ない。

そのことを疑問に思う者は、日本人なら例えばオウム真理教のテロリストと自らを対比して考えてみればいい。オウム真理教のテロリストたちは同じ日本人である。だが彼らは僕やあなたを含むほとんどの日本人とは実に違う人々だ。

彼らはまさに狂気に支配されたテロリストである。イスラム過激派とイスラム教徒の関係はそれと同じだ。その単純だが重大な真実に気づくけば、アンダルシアの素晴らしいイスラム文化と「イスラム国」を混同するべきではない、と明確に理解できる。

そしてそのことが理解できれば、「イスラム国」が近い将来世界の有志連合によって殲滅されるであろうことを喜ぶ気持ちにもなれる。なぜならアンダルシアに 偉大な文化遺産を残したムスリム とは無縁の「イスラム国」が破壊されても、イスラム教徒の誰も傷つくことはないからである。

その場合の理想の形は、有志連合が世界中のイスラム教徒によって結成されることだ。そうすれば非イスラム教徒は誰も戦いに参加する必要がなくなる。 それはこれまでの歴史の重要な節目ごとに他者、特に欧米人の介入によって翻弄され、傷つけられてきた中東の誇りを取り戻すきっかけになるかもしれない。

スペイン・アンダルシアの壮麗なイスラム文化遺跡を巡りながら、僕はそうした事どもを考え続けた。かつて偉大な文化・文明を有し今も大きな可能性を秘めているかもしれない「イスラム教世界」が、自らの内部に生まれた過激派の蛮行によって傷つけられ貶められて、世界から疑惑の目で見られているのは実に残念なことである。

地中海難民という「臭い物」にフタをしたいEUの人道主義また排外主義について



続く悲劇

アフリカ難民を満載した密航船が地中海で転覆し、800人以上の死者が出た事故にあわてたEU(欧州連合)は、先月23日に緊急首脳会議を開いて、イタリ ア沖でEUが実施している難民や移民の捜索、救援活動の予算を3倍に増額して年間約1億ユーロ(約130億円)にすると決めた。

地中海には貧困や圧政を逃れてヨーロッパに移住しようとするアラブ人やアフリカ人が押し寄せる。彼らが目指すのは主にイタリアである。アフリカに近いイタ リア最南端のランペドゥーサ島には、そうした難民が恒常的に流れ着く。今年は4月までに既に2万5千人以上人が上陸した。

また2002年から昨年2014年までの間に、イタリアに漂着した地中海難民は合計約46万人。これらの難民の全てがイタリアに留まるのではないが、 彼らの救助と保護、また行き先が決まるまでの間の全ての面倒を見るイタリアの財政的負担は大きく、月々平均7億円弱が費やされてきた。

EUの偽善とイタリアの良心

イタリアはそうした現実に悲鳴を上げたり怒ったり罵倒したりしながらも、海に溢れる難民にせっせと救助の手を差し伸べてきた。できれば難民を見たくないEUはそんなイタリアに苛立って、あの手この手で同国に難民の排斥を促してきた。

EUの難民対策の基本は、逃亡者が不法にEU領域に入ってこないよう国境を防衛すること。そのために同領域に不法に入ってくる者は保護されるべき難民ではなく、難民認定希望の不法入国者と見なされる。EUは漂流している難民を漁師らが勝手に救助することも禁じてきた。

そのために難民ボートがいてもすぐには救助活動に結びつかず、遭難などの悲劇が多発する。EUは海軍も出動するイタリア政府の救護活動にも難色を示し続け た。イタリアは2014年、EUの圧力に抗し切れずに同国海軍による救助活動の縮小を決断した。これが公海でのさらなる死者数の増加につながっていった。

アフリカとイタリアのランペドゥーサ島は距離的には確かに近い。だがその間に広がる海は決して穏やかではない。老朽船や小型船にすし詰めに詰め られて海を渡ろうとする難民は、頻繁に嵐や事故に遭遇して危険にさらされ、多くが命を落とす。800人以上の犠牲者が出た先日の転覆事故もそんな出来事の 一つだった。

EUは本気で重い腰を上げるのか

イタリア近海で難民が死亡する事故は日常茶飯事。2013年10月にも難民500人以上を乗せた船が同じ海域で出火、転覆して300人余が死亡した。一度の事故としては過去最大の犠牲者数だったため、当時は日本を含む世界中のメディアで大きく取り上げられた。

世論の強い批判にさらされたEUは、そのときも抜本的な難民救済策を取る、と国際社会に向けて表明した。しかし、目立った進展はないままに時間が経過し、再び多くの難民が一度に死亡する事故が起きた。そのことに対するEU自体の反省もあって、難民対策の改善が今ようやく進みつつある。

予算を3倍にすると決めたEUの動きは遅きに失した感も否めない。しかし、地中海での難民の救助や保護に1人奮闘してきたイタリア国内には、それを大きな 前進と評価する向きもある。何しろイタリアとアフリカの間の海では毎年多くの難民が命を落としている。

死亡者数は積もり積もって、2000年から2014年 までの合計は分かっているだけでも2万2千人以上にのぼる。だが実際には少なくともその3倍の人数が命を落としている可能性もある。難民は密かに国を出て、密かに船に乗り、誰にも知られずに海の藻くずと消えることも多いからだ。

「アフリカの北朝鮮」の悲劇

イタリアに漂着する難民は、中東とサブサハラを含むアフリカの全体からやって来るが、その中でも特筆に価するのがエリトリア人である。エリトリアはかつて イタリア王国の植民地だったこともあるアフリカ北東部の小国。「アフリカの北朝鮮」とも呼べる軍事国家だが、北朝鮮にも勝るすさまじい圧政がはびこっている。

エリトリアでは独裁者イサイアス・アフェウェルキ が君臨して恐怖政治を行っている。完全な国民皆兵制が導入されていて男女を問わず国民の全員が兵役義務を負う。しかも兵役期間は無期限で あり、軍隊の任務以外にも「ナショナルサービス」と呼ばれる勤労奉仕活動に従事させられる。それはつまり事実上の強制労働である。

圧政から逃れようとしてエリトリアからは毎月2000人以上の国民が逃亡している。そのうちの多くがリビア経由でイタリアに漂着するが、エリトリア人難民 の何割かは地中海で命を落とすのが常態になってしまっている。800人以上が犠牲になった先日の事故でも、そのうちの350人がエリトリア人だった。

横行する密航業者

イタリアに漂着する難民密航船はチュニジア発を除けば、最近はほとんどがリビアからやって来る。それはカダフィ政権時代からの慣わしでもあるが、現在はさらに状況が悪化している。カダフィ独裁政権が倒れた後、リビアは内戦状態に陥った。最近その隙を突いて過激派「イスラム国」が侵入し勢力を拡大させたために、リビアの政情不安はますます深まり混乱の極みに達している。

その混乱に乗じたのが難民を食い物にする人身売買組織とブローカーである。彼らは切羽詰った難民を中東やアフリカ全土から集めて密航船に乗せ、リビアの各 港からイタリアに向けて出発させるビジネスを行っている。それはカダフィ時代から存在する悪徳商売だが、リビアが無政府状態に陥った現在はさらに横行跋扈している。

その状況を見てイタリア政府の中にはリビアへの単独軍事介入を示唆する者さえ現れるようになった。リビアの各港を支配下において、難民を食い物にする人身売買のネットトワークやブローカーを破壊しようというのである。それは決して荒唐無稽な主張ではない。

イタリアは軍事面では世界的にほとんど目立たないが、それなりに無視できない軍事力を有する国である。それに加えてリビアはイタリアのかつての植民地だ。ある程度は勝手が分かる。その気になれば、リビアに侵攻して、イタリアに近い地中海沿岸の港を支配下に置くことは不可能ではない。その程度の軍事力は十二分にある。

課題は難民発生の元を断つこと

だが、それは現実的に難しいだろう。なぜならイタリアを含む西側諸国は近年中東に軍事介入をしてそのほとんどが失敗に終わっている。その上、中東諸国のみならず国際世論からもそのことを厳しく批判されてきた。欧米が「イスラム国」などの過激派に思い切った攻撃を仕掛けられないのも、そうした後ろ暗い過去があるからである。

欧米、特に欧州諸国が団結してリビアに軍事介入をすれば、人身売買まがいのビジネスにいそしむ密航ブローカーらを壊滅させ、且つ「イスラム国」などの過激 派を排してリビアに秩序をもたらすことができるかもしれない。その結果、地中海への難民の流入を止めることがあるいはできるかもしれない。しかしそれは対症療法的な効果しかもたらさない。問題の元を絶つ原因療法にはなり得ないのである。

リビアをどうにかするだけでは地中海の難民問題は何も解決しないのだ。地中海難民が増加の一途をたどる背景には、前述したようにアラブの春の混乱や内戦、 宗教問題や国家間の対立や自然災害などなど、アフリカと中東に特有の多くの問題が絡みつき入り乱れて存在している。そこを根本的に正さない限り難民問題は 決して解決できない。

移民・難民嫌いの者は彼らを助けて目的を達成するべき


解決の第一歩はそれらの国々に政情安定と経済発展がもたらされることである。それは彼らの自己責任によって成されるべきことだ。しかしそれだけでは全く不十分だ。不可能と言ってもいいだろう。そこには先進国の支援がどうしても必要なのである。

日本を含む世界の先進国には移民や難民を嫌う保守系の人々が相当数いる。難民と移民の規定は厳密には違うが、排外主義に凝り固まったそれらの人々に取ってはどちらも同じようにしか見えない。ここイタリアを含む欧州にもまた日本にも多いそれらの排外主義者たちは、国境を固めて難民・移民の流入を防げ、と叫ぶことが多い。

それは愚かな主張である。なぜなら腹を空かせたそれらの人々は、いくら国境を閉鎖しても壁を乗り越え、金網を破って侵入するからだ。飢餓に襲われている者を排斥することはできない。彼らは生きるために文字通り「必死」で国境に殺到し、そこを突破する。

それ故に本気で彼らを阻止したいなら、彼らと彼らの国を支援して人々がそれぞれの国で平穏に生きていけるようにしなければならない。従って、難民や移民を遠ざけておきたい、と願う排外主義者こそ誰よりも率先して、その目的達成の為に「難民・移民支援」にまい進するべきである。


「イスラム国」の標的に定められているローマ



イタリア警察は先日、バチカンを攻撃しフランシスコ教皇を殺害する計画を立てていた疑いがある同国内のイスラム過激派組織を摘発し、破壊したと発表した。 組織はイタリアのサルデニア島を基点に本土でも活発に活動を続け、アルカイダのかつての最高指導者ウサマ・ビンラディンとも深くつながっていた。

イタリアは2001年の米国同時多発テロ以降、イスラム過激派の脅迫を受け続けている。イスラム過激派が目の敵にするキリスト教最大派のカトリックの総本山・バチカンを擁すると同時に、重要な文化遺産に満ち溢れているこの国は、宗教のみならず欧州文明も破壊したい、と渇望するテロ組織の格好の標的になっているのである。

そうした威嚇は主にアルカイダ系の組織によるものだが、これまでのところは目立った深刻な事件は起きていない。だが最近の「イスラム国」の恫喝は極めて現実的なものだと多くのイタリア人は感じている。「イスラム国」が他の欧州諸国で活発にテロを起こしている事実もさることながら、彼らがイタリアの隣国のリビアにまで侵入して勢力を伸ばしているからだ。

「イスラム国」は日本人人質の後藤健二さんを殺害した直後、イタリアから地中海を隔てて約175キロの距離にあるリビアの海岸で21人のキリスト教徒を殺害し、例によってその模様を撮影した恐怖映像をインターネット上に公開した。ビデオ映像には「今後はローマに向けて進撃する」という趣旨のメッセージが付 けられていた。

処刑場となったのはイタリアと向かい合うリビアの地中海沿岸である。対岸にはここイタリアがあり、首都ローマには何世紀にも渡ってイスラム教徒と対立してきたバチカンがある。「イスラム国」はバチカンに挑戦状を叩きつけたのである。彼らはローマを占領し、そこを足がかりにヨーロッパ全土を手中にする、という計画を持っている。

イタリアとバチカンに向けての「イスラム国」の恐嚇は、今回が初めてではない。彼らは既に昨年8月、フランシスコ教皇を殺害すると宣告し、同10 月には彼らの機関誌“Dabiq(ダビク)”の表紙に、「イスラム国」の黒旗がバチカンのサンピエトロ大聖堂の広場に翻る合成写真を載せて気勢をあげた。

「イスラム国」がローマに向けてただちに進軍を開始するとは考えにくい。しかし彼らは、シリアやイラクで訓練された「イスラム国」の戦士をイタリアに送り込む可能性が十二分にある。イタリアからも過激派組織に参加するアラブ移民系の若者が増えている。彼らが帰国して国内で破壊活動をする可能性は決して低くない。

だがそうした脅威はあらゆるヨーロッパのキリスト教国に当てはまる。米英独仏の欧米主要国に始まる全ての欧米諸国は、中東やパキスタンなどのイスラム教徒移民の子や孫が、「イスラム国」などの過激思想の影響を受けて自国に牙を剥く異様な風潮の高まりに危機感を抱いている。

イタリアもその例にもれないが、この国の場合は危険がさらに増している。なぜならイタリアには、隣国のリビアやチュニジアを介して中東難民が大量に流入し 続けている。「イスラム国は」、その膨大な数の難民の中に彼らの戦闘員を紛れ込ませてイタリアに送り込み、テロを起こす計画を持っているとされる。

イタリアにはリビアから近いランペデゥーサ島を中心に中東難民が日常的に流れ着き、その数は年々増え続けて昨年は これまでで最大の約17万人が漂着した。そこには難民を食い物にする人間運び屋、つまり密航業者が暗躍して、事態をさらに複雑にし問題の解決を困難にしている。

やっかいなことにイタリアにはもう一つの大きな問題があって、脅威をさらに募らせる。つまり巨大犯罪組織の存在である。マフィアを筆頭にするイタリアの犯罪組織は、北アフリカに勢力を伸ばしてリビア などを縄張りにしたいと考えている。彼らと「イスラム国」が手を結んで、リビアを占領しイタリア共和国を転覆させようと目論んでいる兆候もあるのだ。

リビアでは、NATOの空爆支援を受けた反政府勢力が、2011年にカダフィ独裁政権を倒して以来、主要都市と石油施設を巡って内戦が続いている。「イ スラム国」の威迫を受けて、イタリア政府はリビアの政治安定のために国連の介入を要請している。しかし混迷を深めるリビアに国連が介入する可能性はほとんどない。

先日、「イスラム国」の脅嚇にさらされておよそ60人のイタリア人ビジネスマンが同国を去って帰国した。リビアはかつてのイタリアの植民地である。旧宗主国のこの国からはリビアに巨額の投資が実行されていて、 2国間には石油関連事業を筆頭に大規模なビジネス権益が絡み合っている。しかし「イスラム国」の脅威は、人々がそれを諦めざるを得ないほど切実になっているのだ。

「イスラム国」はたとえイタリアに上陸しなくても、地中海に進撃して海賊行為を働くかたわら、漁船や、商船や、沿岸警備隊などを襲撃して船舶と乗組員を拉致し、例えば後藤さんと湯川さんの時と同様に彼らの首にナイフを突き付けて見せて、イタリア政府に巨額の身代金を要求するなどの脅迫をすることもできる。そこには極めて現実的な危険が迫っているのである。


赦(ゆる)す心が「イスラム国」を破壊する          ~先ず彼らを潰せ。そして赦せ~




僕は前稿でイエス・キリストが唱道した全き「赦(ゆる)しの心」だけが真に「イスラム国」を破壊できる、と書いた。

だが、われわれはイエス・キリストではない。イエス・キリストの説く赦しの心を理想としつつ、また彼のようでありたいと希求したとしても、われわれの大半は彼の域には到達できない。イエスの明示した世界が理想ならば、われわれの住むこの世界は現実である。

理想に向かって進まなければ理想は実現できない。また理想の存在を知りつつ、且つそこに到達したいと口では言いつつ、「当面は」現実的な解決を目指すというのは、つまり理想を捨てるということである。それは自己欺瞞であり、詭弁であり、偽善だ。

「イスラム国」を真に殲滅したいなら、イエス・キリストと同じ無条件の徹底した赦しの心が必要である。その心とそれに伴う行動だけが、憎しみの連鎖を断つことができる。だがそれは限りなく不可能に近い。

だからこそイエス・キリストは無条件の赦しを人間に要求する。無条件の赦しができるように自らを鼓舞し叱咤し努力せよ、というのがキリストの唱導するところであり宗教の教えだ。

僕はそうしたことを十二分に理解した上で、それでも次の解決策を提唱したい。あるいは世界がその方向に向かっているなら、その立場を追認したい。つまり「イスラム国」は破壊されるべきである。破壊され根絶された後に、はじめて赦されるべきである。

なぜなら彼らは間違っているからだ。彼らがカリフの導く理想国家を目指すのは良い。だがその為に彼らが持ち出した思想やその思想に基づく残虐な行動は許されるべきものではない。間違った思想と行動原理を振りかざして行う彼らの行為は悪であり危険なものだ。

例えば彼らは、何の罪も無い人質の首を斬って動画で晒しものにする、という残虐非道な行為を続けると同時に、イスラム教に改宗しない者は殺し、鞭打つ、と宣言する。また女性は教育を受けてはならず、全身を覆うブルカを着用し、働いてもならない。自由恋愛も禁止し、この禁を破った娘は父親や兄弟や親戚の男らが 名誉殺人と 称して殺しても構わない、などとも考える。

彼らはおよそ市民社会の理念とは相容れない思想信条を持ち、世界がこれまでに築き上げてきた価値観や文明や自由をことごとく否定する。それは洋の東西を問わず、近代的理念を信奉する者にはとうてい受け入れられない態度だ。

アラブ系ムスリム移民を多く抱えて、彼らとキリスト教徒との軋轢がもたらす社会分裂の進行を危惧する欧州の国々の中には、「イスラム国」との対話を模索するべきだという声も少なからずある。ここイタリアにも、フランスにも、またドイツにも。

しかし、今の「イスラム国」との対話が可能だとは僕は思わない。対話の前に先ず「イスラム国」を撃滅するべきだ、と考える。そうやって組織を破壊した後に、組織の残党がいて且つ必要があるならば、そこで彼らと対話を開始すればいいのだ。

破壊するとは、赦さないということである。従って破壊した後に赦して対話をする、というのは大いなる矛盾である。しかし危険や悪を先ず攻撃しておいて、その後に救済するという動きは、人類の歴史上は決して珍しいことではない。矛盾が救いとして作用することはしばしば起こる。

一例を挙げれば、ヒトラーとナチスが殲滅された後に、連合国がドイツに進攻して占領という名の対話を開始して、ドイツを今のまともな道に誘導したこと。あるいはアメリカが同じ大戦で日本の軍国主義を徹底的に破壊した後、戦後日本と「恫喝という名の対話」を続けて、ついにわが国に民主主義を根付かせてくれたことである。

「イスラム国」がもたらす惨禍は、実際のところその組織を徹底的に破壊する形でしか阻止できない。だから破壊するべきだ。だが「イスラム国」の組織と戦闘員を破壊し尽くしても、過激思想は根絶できない。過激思想は必ずまた甦る。あるいは生き続ける。

生き続ける過激思想はやがて誰かを取り込んでは拡大し、将来また新たな「イスラム国」が作り上げられる。人類は、「イスラム国」を破壊することで「イスラム国」を創造する、という自家撞着に陥って問題は永遠に続くことになる。

それでも「イスラム国」は殲滅されるべきだ。なぜなら、そうしなければ「イスラム国」は、人類が間違いと失敗と誤謬を繰り返しながら営々と築いてきた「近代的理念や価値観」を木っ端微塵に粉砕してしまいかねない。だから致し方ない。先ず彼らを駆逐して、それから赦し、対話をする道を模索するしかないのである。

大事なことは、破壊した後に必ず彼らに救いの手を差しのべることだ。つまり、根絶された「イスラム国」の戦士の子供や、家族や支援者の中に芽生える憎しみをやわらげ、和解を求めて一心に行動する。それが破壊した者の義務にならなければならない。その義務を必ず遂行すると確認した上でのみ、破壊者は行動を起こすべきだ。

破壊は憎しみと同義語でありイエスの絶対的な赦しの教えとは相容れない。しかし、それが世俗の問題解決法だ。世俗に生きるわれわれは、憎悪の連鎖に縛られて呻吟しながら、もしも可能ならば、イエスの理想に近づく努力をすれば良い。

だが、世界はそれだけであってはならない。地球上にはイエス・キリストと同じ心を持つ者がいる。あるいはイエス・キリストと同じ心を持たなければ存在価値のない者がいる。それが全ての宗教でありその指導者たちだ。彼らは全き赦しの心を持って「イスラム国」と対峙し、彼らが武器を置いて静かに眠りに就くように説得を続けるべきだ。

残念ながら、「イスラム国」の暴力に暴力で立ち向かう、人々の挑戦は避けられない。世界はこの先ますます騒乱に満ちたものになって行くはずだ。だからこそ、あらゆる宗教指導者は、手を携えて平和を希求し赦しに満ちた世界を標榜し続けるべきだ。中でも特にいがみ合うことの多いキリスト教とイスラム教の指導者たちは、他の誰よりもそれを推進する義務がある。

そうすれば、「イスラム国」が消滅した暁にはあるいは、理想と現実が共鳴しあう「究極の理想世界」が出現するかもしれない。


赦(ゆる)す心が「イスラム国」を破壊する             ~ただひたすらに彼らを赦せ~


僕はキリスト教徒ではない。信仰心が厚い人間でもない。それどころか、あらゆる宗教を「イワシの頭」と規定して受け入れ、尊重し恭敬する者である。従って 信心深いある種の人々にとっては僕は無神論者であり、しかも同時に僕自身も、自らをそのように規定することさえ憚らない人間である。

それなのに僕は先日、「イスラム国」が後藤健二さんの首にナイフを突き付けて殺害する忌まわしい映像を目の当たりにした時、魂が崩れ落ちるのでもあるかのような深い悲しみと、心髄の慟哭の中でひたすら次の言葉を思っていた。

 「主よ彼らを赦(ゆる)せ。彼らは自分たちが何をしているかを知らないのだから・・」

それはイエス・キリストが十字架上で死に行きながら、薄れゆく意識の中で今まさに自分を殺している者らを赦してほしい、と神に祈る言葉である。僕は「イス ラム国」の象徴であるおぞましい死刑執行人「*斬首魔ジョン」の動きを凝視しながら、その言葉を本当に繰り返し思ったのだ。

僕がその言葉を脳裏に浮かべたのは、断じて「イスラム国」を赦す気持ちからではない。それどころか、その時の僕の心中には「イスラム国」への憎悪と怨みと、今思い返せば恐らく「殺意」にも似た報復感情が、ふつふつと湧き起こり逆巻いていた、と告白しなければならない。

同時に僕は、人間の所業とは思えない彼らの行為がにわかには信じられず、彼らは自分たちが一体何をしているかを理解しないまま、行為に及んでいるに違いないと考えた。それはイエスの言葉の記憶からの連想だったが、たとえそうではなくとも、画面に映っている光景は、そんな風にでも考えなければ理解不可能な凄惨な図だった。

僕の思惑は、イエス・キリストの赦しの心とは違う精神作用から来るものだった。しかし今にして思えば、彼らのむごたらしい行為を「人間以前の心を持つ者だけが成せる仕業」とみなして、怒りの矛を収める心理があるいはそのとき既に働いていたのかもしれない。

ひとことで言えば彼らは野蛮な未開人なのであり、人間が同じ人間に対して残虐な行為を働いて憚らなかった時代の、険しい精神のままに生きている者どもであ る。自らが一体何をしているかがわからない者とは又、暴力の理不尽とおぞましさが分からない狂気に支配された者でもある。

人間以下の心性しか持たない人間に怒りをぶつけても仕方がない・・イエス・キリストの赦しの心とは似ても似つかないが、僕はそうやって「イスラム国」の信じ難い行為を何とかして理解しようと、無意識のうちに心中で葛藤していたのだ、と今になってまた思う。

しかし、そのときの僕には「イスラム国」を赦す心の余裕など微塵もなかった。それどころか彼らは殲滅されるべきだと考え、今もそう思っている。

僕のその赦さない心は、実は「イスラム国」の悪意と復讐心に満ちた心と何も変わらない。彼らの胸中深くにあるのは、「目には目を、歯には歯を~」という同害報復思想に拠るキリスト教と西洋文明への恨みだ。つまり彼らの中にあるのも僕と同じ赦さない心なのである。

憎しみには憎しみを、という復讐の連鎖を断ち切って「ひたすら赦せ」と説いたのがイエス・キリストである。そして「イスラム国」を真に根絶できるのは実は、キリストが唱道したその絶対の「赦し」だけである。その理由を次に書く。

2015年1月20日、「イスラム国」は日本人人質の後藤さんと湯川さんを跪かせた状態で2人の殺害を予告し、「*斬首魔ジョン」は、組織を代表して こう宣言した

“日本国の首相よ

お前は「イスラム国」から8500キロ以上離れた場所にいながら、自ら進んで(対「イスラム国」の)十字軍への参加を志願した。お前は我々の女性と子供たちを殺し、イスラム教徒の家々を破壊す るために、2億ドルを得意げに提供したのだ~”


彼はっきりと「安倍首相は我々の女性と子供たちを殺すために2億ドルを提供した」と明言したのだ。つまり彼らと違う立場から見れば「抹殺されるべき悪魔の集団 」である「イスラム国」の男たちにも、守るべき妻や母や姉妹や娘たちがいる。そして何よりも子供たちがいる。つまり家族がある・・それが生の実相だ。

「イスラム国」の組織を殲滅するとは、彼らが守ろうとしている家庭も同時に破壊するということだ。そして破壊された後の瓦礫の荒野には、彼らの子供たちと女性たちと彼らの慰安者たちが残る。彼らの思想も残る。そして残されたそれらの総体とは、つまり、飽くなき憎しみである。

彼らの憎しみは父や夫や兄を殺した敵への復讐心となって燃え盛り、連綿と受け継がれて行く。憎悪は新たな憎悪しか生まない。それを知っていたからこそイエス・キリストは、敵を赦せ、憎しみを破棄しろ、と自らの命を捨ててまで説いた。

ただひたすらに赦すことだけが、「イスラム国」を静かに、真に消滅させ得る唯一の手段なのである。



*「斬首魔ジョン」
(「イスラム国」のビデオ映像に登場する黒覆面の首切り屋をメディアは「聖戦士ジョン」と呼んでいる。これは報道においては私意や偏向を避ける目的で、報道対 象の自称をそのまま使う、という原則によっている。英語のジハディスト(Jihadist)・ジョンを聖戦士と訳しているのだ。し かし、僕のこの文章は報道記事ではない。僕の意見開陳の作文である。だから僕はおぞましい殺人者ジョンを、僕の感覚で斬首魔ジョン、あるいは首切り魔ジョ ンと規定し、そう呼称する)



赦(ゆる)す心が「イスラム国」を破壊する~先ず彼らを潰せ。そして赦せ~ につづく

成るかチュニジアの民主化

50%父子引きチュニジア香炉引き50%

北イタリアのスーパーの一角でアラブ産陶器を売るチュニジア人父子


仏テロの次は日本人人質事件、と年明け早々展開の速い事件が続いている。筆の遅い僕はそれらについて書こうと思いながら時間が過ぎ、昨日はとうとうイスラム国に拘束されていた日本人の1人湯川遥菜さんが殺害されたとするニュースが世界中を駆け巡った。

イスラム過激派の蛮行が続いて、ここ欧州では無辜(むこ)なイスラム教徒や同移民への反感や偏見が増長している。過激派を糾弾することが一般のイスラム教 徒への憎しみにつながってはならない。しかし、イスラム教徒への同情が過激派への援護になるような事態もまた避けなければならない。

昨今は混乱の中で、あってはならないことが同時にあるいは次々に起こっている。いずれの主張や立場や言動にも一理があり且つ間違いがある、というのが真実 である。僕自身は基本的に揺らがないスタンスを持っている。つまり「表現の自由」とは過激なことも差別的なことも含めて何でも表現することを良しと する、ということである。

それはある種の人々には決して受け入れられない考え方である。信じる者にとっては絶対である神以外は、あらゆる事象は2面性を持っている。が、実は神そのものも2面性の矛盾からは逃れられない。なぜなら神を信じない者にとっては、それは絶対どころか存在さえしないものだから。

今世界を揺るがしている表現の自由や宗教風刺画やテロといった深刻な事案の特徴は、極めて折り合いのつけにくい2面性の共在だ。どこを切り取って見ても、あちらを立てればこちらが立たず、という状況になって妥協が難しい。

それでも妥協点を探りつづけ、折り合いの付け所を見つけようと努力するのが文明社会の鉄則だ。しかし、こと「表現の自由」に関する限りは、僕はあえて譲歩をすることなく、2面性のあちらとこちらに立つ者がお互いの主張を永遠に言い合い、同時に「言い合うことを認め合う」間柄でいれば良いのではないか、とも思う。

芸術表現においては、それは自明のことである。問題は政治的な観点での表現の自由だ。そこでは表現者を銃剣で殴殺する「ヒョウゲン」もあると考える、権力者を含むテロリストへの怖れから、表現の制限が言われる。つまり表現の自由がそこで死ぬ。

僕はあらゆるものの持つ2面性を認める。つまりそれは僕に真っ向から反対する人々の主張も尊重するということだ。本気でその態度を貫けば、表現を暴力で圧殺することはあり得ない。

もちろん言葉の暴力や風刺画の暴力など、表現にまつわる「不快」は常につきまとう。だがその「不快」は生きている限り、つまり銃剣によって抹殺されない限り、必ずどこかで解消可能なものだ。それこそ表現によって。

僕はそのことについて既にブログに書き出していて、この先もしばらくはそのテーマで記事を書いていくつもりだが、ここでは昨年末から書きそびれていることを急いで書いておくことにした。実はそれも「表現の自由あるいは不自由」に関する連続テーマの一環だ。

2014年12月21日、ジャスミン革命の地、チュニジアで大統領決戦投票が行われた。決選投票の約一ヶ月前に行われた大統領選には、27人が立候補し過半数を獲得した候補は出なかった。

そこで1位と2位に入ったカイドセブシ氏(87)と、人権活動家の暫定大統領マルキーズ氏(69)の間で決戦投票が行われ、前者が勝利した。

冒頭の写真は大統領選の直後、僕の住む北イタリアの村のスーパーの一角(市場)で、チュニジア製の陶器を売る同国出身の父子、モウラド(Mourad44)とシェディ(Chedy17)である。

父親のモウラドは、大統領選でカイドセブシ氏が勝ったことをとても喜んでいた。理由はカイドセブシ氏の方がよりCattivo(カッティーヴォ)だからだという。

Cattivoとはイタリア語で嫌な奴とか悪い奴とかを意味する。カイドセブシ氏を支持すると言いながら矛盾するような表現だが、モウラドは実はその言葉を「強い人格」という意味で使ったのである。

つまり2011年のジャスミン革命の後、政治経済ともに低迷・混乱している彼の母国チュニジアには、強いリーダー「Cattivoな政治家」が必要で、カイドセブシ氏こそ適任だという訳である。

モウラド一家は、イスラム過激派とは何の関係もない、それどころか無法なテロ組織を憎む、普通のイスラム教徒である。イタリアを含む欧州には、モウラド一家と同じ多くの罪の無いイスラム教徒が住んでいる。

モウラドと彼の家族の場合には、混乱が続くアラブ諸国の中で比較的民主化が進んだチュニジアからの移民、というのが少し毛並みが違う。チュニジアはアラブ世界の民主化のロールモデルになり得る可能性を依然として秘めている。

父子は母国で民主的な選挙が行われたことを喜び、勝利したカイドセブシ氏がうまく国をまとめてチュニジアに真の民主主義を根付かせてほしい、と熱心に話していた。

新大統領のカイドセブシ氏は87歳と高齢だが、彼が党首を務めるニダチュニス党は先に行われた議会選挙でも勝利を収めて、いよいよチュニジアの本格的な民主化へ向けて動き出すと期待されている。

チュニジアは憲法で大統領の権限を国防と外交に限定し、内政を首相に一任する形を取っている。権力が一箇所に集中して独裁性が高まることを阻止するためである。長い独裁政権の下で苦労した経験からの知恵である。

しかし、カイドセブシ氏のニダチュニス党は昨年10月の議会選挙でも勝利していて、首相と大統領の両ポストを握ることになるため、独裁化を危惧する声も上がっている。

仏テロから邦人人質事件など、イスラム過激派の動きが世界を震撼させる中、アラブ諸国内での過激派への対抗勢力としてもっとも期待されるのが、民主主義や民主国家の誕生である。

その先頭を行くのがチュニジアだ。アラブの春の動乱に見舞われている国々の中では、チュニジアの民主化がもっとも進んでいるとされているのである。

ところが、同国からは多数の若者が出国して、シリアとイラクにまたがる地域を拠点にするテロ軍団「イスラム国」に戦闘員として参加するなど、不穏な事態も多く発生している。

矛盾と不安と混乱が支配するチュニジア社会をまとめて、そこに民主主義を根付かせることができるなら、カイドセブシ氏はアラブ世界の救世主として歴史にその名を残す可能性も大いにある。

なぜなら、独裁政権を倒したチュニジアのジャスミン革命がアラブの春の呼び水となったように、今度はチュニジアの民主化が他のアラブ諸国の先導役となって、同地域に横行する独裁政権や過激派が一斉に排斥され、アラブ世界全体に真の民主化が訪れないとも限らないからだ。


チュニジア・ジャスミン革命に終わりはあるか


11月23日に行われたチュニジアの大統領選挙には27人が立候補した。

その結果10月の議会選挙で第一党になった世俗派政党ニダチュニス(チュニジアの呼びかけ)の党首カイドセブシ氏(87)が39%を獲得して1位。

人権活動家の暫定大統領マルキーズ氏(69)が33%を獲得して2位になった。同氏は世俗派である。

どちらも過半数には届かなかったため、12月21日に2人による決戦投票が行われる。そこで選ばれる大統領は、議会第一党のニダチュニスと第二勢力のイスラム主義政党アンナハダ(再生)との共生を余儀なくされる。

僕は地中海域のアラブ諸国に民主主義が根付き、自由で安全な社会が出現することを願っている。それはアラブの春以降、混乱が続く同地域の人々が圧政から解放されて、平穏かつ自由な世の中になってほしい、という当たり前かつ純粋な気持ちから出ている。

それに加えて、以前にも書いたことだが、実は僕は利己的な理由からもアラブの「本当の」春を心待ちにしている。

僕は1年に1度地中海域の国々を巡る旅を続けている。ヨーロッパに長く住み、ひどく世話になり、ヨーロッパを少しだけ知った現在、西洋文明の揺らんとなった地中海世界をじっくりと見て回りたいと思い立ったのである。

イタリアを基点にアドリア海の東岸を南下して、ギリシャ、トルコを経てシリアやイスラエルなどの中東各国を訪ね、エジプトからアフリカ北岸を回って、スペイン、ポルトガル、フランスなどをぐるりと踏破しようと考えている。

しかし、2011年にチュニジアでジャスミン革命が起こり、やがてエジプトやリビアやシリアなどを巻き込んでのアラブの春の動乱が続いて、中東各国には足を踏み入れることができずにいる。

そんな中にあって、ジャスミン革命が起こったチュニジアは比較的安定しているとされる。そこで今年7月、僕は思い切って同国を訪ねてみることにした。

チュニジアは平穏だった。ジャスミン革命はまだ続いているとされ、政治的にも流動的な状態が収まっていないが、少なくとも市民生活は表面上は穏やかに見えた。

しかし、チュニジアの経済は停滞し、若者の失業率も高い。国に不満を持つ若者が、シリアに渡航して凶悪な「イスラム国」の戦闘員になるケースも増えている。「イスラム国」に参加する外国人戦闘員の中では、チュニジア人が最も多いとさえ言われている。

僕はそうした情報を目にする度に、イタリアやフランスを始めとする西洋資本によって乱開発されて、一見発展しているように見えるチュニジアのリゾート地の悲哀を思い出す。

チュニジアの地中海沿岸には、大規模ホテルを中心とする観光施設がひしめいている。それらは全てがヨーロッパ資本によって建てられている。所有者はチュニジア国籍の会社や人物でなければならない、という規定があるとも聞いたが、そんなものはいくらでも誤魔化しが可能である。

ホテルに滞在しているのはほぼ100%が欧州人である。彼らはそこに滞在してバカンスを過ごすのだが、食事や買い物などもほぼ全てホテル施設内で済ませる。バカンスの一切がパックになっているのである。

つまり欧州からのバカンス客は、欧州の旅行業者からパックを買って、欧州の航空機でチュニジアに入り、欧州資本の大型バスでリゾート施設に向かい、欧州資本のバカンス施設の中で1~2週間を過ごして、同じ行程で欧州の自宅に帰っていく。

そうした事業がチュニジアにもたらすのは、雇用と食材などの需要益程度である。それだけでも無いよりは増しかもしれないが、利益のほとんどは欧州に吸い上げられている。

チュニジア側にも問題はある。バカンス施設を一歩外に出ると、施設が管理している周りの土地だけが日本や欧米並みに清潔を保っていて、町や村の通り、また空き地などにはゴミが散乱する不潔な光景がえんえんと続いている。

そこには観光客が入りたくなるようなカフェやレストランもほとんど無い。そのためバカンス客は、首都のチュニスなどの大都市を別にすれば、仕方なくホテル施設内に留まって消費活動を行う、という形になる。

貧しい国を欧米や日本などの大資本がさらに食い荒らす、というのは余りにもありふれた光景だが、チュニジアの地中海沿岸のそれはひどく露骨で、僕はしばしば目をそむけたい気分になった。

そうした中で、革命後初の政権選択のための議会選挙が行われ、大統領選挙も断行された。両選挙ともに過半数を占める者がなく、議会では連立政権への模索が続き、大統領も今月28日の決選投票によって選ばれる予定である。

何もかもが流動的な状況の中で、経済は混迷し欧米資本の搾取が続き、絶望した若者が「イスラム国」に参加していくチュニジアの今。

ジャスミン革命以後、僕はチュニジアに注目してきたが、混乱とそして奇妙な平穏が同居する同国を訪ねてからは、ますますそこから目が離せなくなっている。

チュニジア総選挙は真の「アラブの春」の前兆か



先日、中東の民主化運動「アラブの春」の引き金となった「ジャスミン革命」の地元・チュニジアで議会選挙が行われた。結果、世俗派政党の「ニダチュニス (チュニジアの呼びかけ)」が勝利し、これまで第1党だったイスラム主義政党「アンナハダ(再生)」は第2勢力に後退した。

中東から北アフリカにかけてのアラブの国々は「アラブの春」以降もイスラム主義の台頭で政治不安や騒乱が絶えない。その中にあってチュニジアは曲がりなりにも民主化が進展した国だが、保守色の強い「アンナハダ」を抑えて「ニダチュニス」が第一党になったことは、同国の民主化が一層進むことを示唆している。

とは言うものの、「ニダチュニス」は全体の39%に当たる85議席を獲得しただけで、単独過半数には至らなかった。そのために今後は、全体の32%の69 議席を得たイスラム主義政党「アンナハダ」との連立政権を目指すと見られる。連立には「アンナハダ」も意欲的とされるが、硬直した考え方をするイスラム主義政党との提携は、恐らく前途多難だろうと推測できる。

議会選挙の前の7月、僕はそのチュニジアを旅した。チュニジアはイタリアから最も近い北アフリカのアラブ国。イタリア南端のシチリア海峡をはさんで約 150キロの距離にある。元はフランスの植民地だが、そのはるか以前はローマ帝国の版図の中にあった。歴史的事情と、シチリア島に近いという地理的事情が相まって、同国にはイタリア人バカンス客が多く渡る。

1980年代に、イタリアにしては長い4年間の政権維持を果たした社会党のベッティーノ・クラクシ元首相は、汚職事件の関連で失脚してチュニジアに亡命。その後 イタリアに帰ることはなく、同地で客死した。似たようなエピソードはイタリアには多い。イタリア人はチュニジアが好きなのである。

そんなわけでイタリアーチュニジア間には多くの飛行便があり船も行き交う。そのうちの一つを利用して僕もチュニジアに渡った。 リサーチと少しの休暇を兼ねた一週間の逗留。多くの遺跡や首都チュニスなどを精力的に回った。ジャスミン革命は未だ終焉していないとも言われるが、同国の世情は平穏そのものだった。

しかし実はその頃チュニジアは、来たる議会選挙へ向けて国中が熱く燃えていた。それは革命後に憲法制定のために設置された暫定議会に代わる、正式な国会を発足させるための重要な選挙である。それに向けて国中で有権者の名簿作りが急ピッチに行われていて、首都チュニスの政府庁舎近くに作られた登録所前には、多くの市民が行列を作って登録をしていた。

また滞在中に僕がよく買い物をしたフランス系の大手スーパー「カルフール」の売り場の一角には、「チュニジアを愛する。だから登録をする」という標語を掲げた有権者登録所が設けられていて、ヒジャブ姿の受付の若い女性2人が、次々に登録にやって来る有権者の対応に追われていた。

周知のようにチュニジアでは2011年に民主化を求めるジャスミン革命が起こり、23年間続いたベンアリ独裁政権が崩壊した。それはエジプトやリビアさらにシリアなどにも波及して、アラブの春と呼ばれる騒乱に発展した。だが多くのアラブ諸国では、騒乱は収まるどころかむしろ民主化に逆行する形で継続している。

例えばアラブの大国で周辺への影響も大きいエジプトでは、独裁軍事政権を倒した民主化運動を、再び軍が立ち上がって弾圧するなど、明らかにアラブの春の後退と見える事態が発生している。それよりもさらに混乱の激しいリビアやシリアの場合は、ここに論を展開するまでもない。

アラブ全域の民主化の確たる行方が知れない中で行われたチュニジアの議会選は、ベンアリ独裁政権が崩壊した直後に制定された憲法の下で初めて実施された。同憲法は大統領権限を国防と外交に限定し、行政権その他の権限は議会の多数派が組閣する内閣に付与すると定めている。

従って議会選が国民による 実質的な政権選択の機会となる。比例代表制で行われた今回の選挙では、先に書いたように世俗政党の「ニダチュニス」が選挙に勝ち、恐らく連立政権が樹立されるであろうと考えられている。

チュニジアではまた、今月23日に大統領選挙も行われる予定である。議会第1党の「ニダチュニス」からは、総選挙を勝利に導いた党首のカイドセブシ元首相の立候補が有力視されている。カイドセブシ党首は、ジャスミン革命後の「アンナハダ」政権下で台頭したイスラム過激派への警戒を選挙戦で強く呼びかけて、市民の支持を取り付けた手腕が評価されている。

アラブの春の民主化は、繰り返し述べたように、チュニジアを除けば一進一退の状況が続いている。しかし、それはきっと本格的な民主化に至るまでの足踏みなのだと思いたい。アラブの春が結実するためにも、その手本としてチュニジアの民主化が大幅に前進してほしい、と僕は先日の旅行中、アフリカの強烈な日差しに焼かれながら思い、総選挙が終わった今はさらに強くそう願っている。 


渋谷君への手紙 2014・9・1日



渋谷君

いつもながらのブログ記事へのコメント、感謝します。

前回記事『バチカンは反「イスラム国」一色の全体主義に巻き込まれてはならない』に関して言えば、君の読みは珍しく浅いと僕は感じています。僕の作文の拙さを脇に置いても、君はきっと忙し過ぎて記事をゆっくり吟味する時間がなかったのでしょう。

僕は「イスラム国」のやり方には 強い怒りを覚えていて、ブログの表題である反「イスラム国」側、つまり国際世論の趨勢である「全体主義」側にいます。従って、もちろんクルド人勢力に武器 の供与を決めたドイツとイタリアも支持しています。その観点からは、矛盾するようですが、ローマ教皇の戦争容認発言さえ支持したいほどです。

ちなみに僕がここで言う「全体主義」とは、イスラム国の戦士以外の世界中の人々が、彼らを糾弾する側に回っている状況を指していますが、それは良いことで あると同時に「誰もが同じ方向を向いている」という事実そのこと自体は、異様で危険な兆候であるかもしれない、というニュアンスで使っています。

欧米に代表される世界は「イスラム国」を糾弾する側に回り、武力闘争も辞さないことを表明し、また実際に米国は空爆を開始しています。僕はそのことにも賛 成です。政治・経済・軍事その他の「俗事に関わる世間」は、一丸となって「イスラム国」に挑みかかっている。そして俗人である僕はそのことに全面賛同して います。

しかし、宗教界は俗事に関わる世間と同じであってはならない、というのが僕の持論です。彼らは戦争には絶対反対と言いつづけ、対話によって平和を追求しな さい、と「俗世間」に向かって主張するべきなのです。つまりそれは理想です。理想は常に現実と乖離しています。だからこその理想なんですね。次に少しその ことにこだわります。

例えば核兵器廃絶というのは理想です。しかし、現実世界は核兵器によって平和が保たれている、という一面も有しています。あるいは原発全面廃止。これも理 想です。しかし、現実にはそれが必要とされる経済状況があります。現実主義者の俗人である僕は、それらの理想に憧れながらも、今現在の社会状況に鑑みて 「現実的選択」もまた重要だ、という風に考えてしまいます。

ところで、俗世間の大半の現実主義者たちは、現実的ではない、という理由でしばしば理想を嘲笑います。彼ら現実主義者たちは往々にして権力者であり、金持 ちであり、蛮声を上げたがる者であり、俗世間での成功者である場合が殆どです。彼らは俗世間でのその成功や名声を盾に、したり顔で理想を斬り捨てることが 良くあります。

俗人である僕は現実主義者でもあるわけですが、僕は権力者でもなく、金持ちでもなく、成功者でもありません。しかし、「イスラム国」を弾劾する側にいて、 それを潰すべきだと口にし、ブログ等で同じ主張をしたりもしている「蛮声を上げる者」の1人である、とは自覚しています。しかし、ただそれだけではない、と も僕はまた自負しているのです。

つまり、僕は理想を嘲笑ったりなどしません。前述したようにむしろ理想を尊重し、憧憬し、常に擁護しています。そして暴虐を繰り返すイスラム国とさえ「対 話をする」べき、というのはまさしくその理想の一つです。しかし、しつこいようだけれども、現実主義者である僕にはそれは受け入れられない。彼らの行為は 余りにも常軌を逸してい て武力によって鎮圧するしかない、と思うのです。

そこでバチカンに代表される宗教界にその理想の希求を委ねる、というのが僕の言いたいところです。バチカン、つまりフランシスコ教皇が実質的に「イスラ ム国との戦争を支持する」という旨の発言をしたのは、ローマ教会の因習と偽善を指弾する彼の改革の道筋の一つと考えることもできます。つまり「悪」である イスラム国は武力で抑えても良い、と本音を語ったわけです。

このことにも現実主義者としての僕は賛成します。でも彼はそれを言ってはならないのです。なぜなら彼は飽くまでも理想を探求する宗教者であってほしいから です。彼に良く似ている故ヨハネ・パウロ2世は、徹底して戦争反対と言いつづけました。彼は2003年にイラクを攻撃した米国と、当時のブッシュ大統領へ の不快感を隠そうともしませんでした。バチカンは必ずそうあるべきです。

誰もが戦争賛成の世論は狂っています。いや、イスラム国への武力行使に関しては正しい。でもそうではない、という理想を誰かが言いつづけなければならな い。 それなのにフランシスコ教皇は逆の動きをした。それは間違いだと僕は思うのです。彼は内心「戦争容認」であってもそれを口にしてはならない。ヨハネ・パウ ロ2世の遺産を引き継いで「戦争は絶対反対」と言い続けるべきです。

キリスト教徒の教皇が、ムスリムの「イスラム国」への武力行使を認めるのは、十字軍と同じとは言わないまでも、それの再来をさえ連想させかねないまずい言 動ではないでしょうか。血みどろの戦いを続けた歴史を持つキリスト教徒とイスラム教徒。2宗教の信者は争いを避けて平和を希求する義務がある。それは近 年、特にキリスト教側が努力実践してきた道筋です。フランシスコ教皇はその道を進むべきだと僕は主張したいのです。

君は宗教と現実の俗世界を分けて考えている僕を誤解しているようです。また、銀行員として海外勤務も多くこなしてきたにも関わらず、ここしばらくは日 本国内での勤務がほとんどの君には、ローマ教皇の強い存在感や世界宗教間の対立あるいは緊張、また欧米と中東諸国のいがみ合いの構図などが、実感として肌 身にまとわり着く僕の住むこの欧州の状況は、中々理解できないのだろうと推測します。

世界12億人の信者が崇拝し影響を受けるのがローマ教皇の言動です。イスラム国の悪事を伝えるニュースには、これよりもさらに多い20億人ものキリスト教 徒 が一斉に反応します。歴史的に決して平穏な仲ではなかったカトリックやプロテスタントを始めとして、キリスト教徒は全体としては一枚岩とはとても言えない 存在でした。しかし、事がイスラム国に及ぶと、世界中のキリスト教徒はがっちりと手を結びお互いに賛同します。

ムスリムは彼らキリスト教徒の普遍的な敵であり続け、今も敵対しています。ただでもキリスト教徒はイスラム教徒を嫌い、逆もまた真なりです。かてて加えて イスラム国は、クルド人と共にイラク国内のキリスト教徒をピンポイントで狙い、攻撃し、虐殺しています。欧米のそして世界中のキリスト教徒がこの事態に憤 激しない筈はありません。またたとえキリスト教徒ではなくても、世界中の人々がイスラム国の残虐非道なアクションに嫌悪を覚えているのは、日本国内のセン チメントを指摘するだけでも十分過ぎるほど十分でしょう。

これが僕の立ち位置です。僕がイスラム国を擁護し、フランシスコ教皇を批判しているというあなたの指摘は間違っています。僕はイスラム国の非道な行為を指 弾します。またフランシスコ教皇の勇気ある多くの改革推進と彼の哲学と人柄を尊敬します。イスラム国のアクションを否定する彼の言動も支持しま す。しかし、彼は断じて「戦争容認」発言などをしてはなりません。例えば「戦争はNOだ。しかしイスラム国の残虐行為は許されるべきではない」などと言う べきなのです。

フランシスコ教皇は、実はそんなニュアンスの発言もしています。しかし、それは「実質的な戦争容認発言」の後で記者に真意を追及されて、苦し紛れに口にし た言葉でした。少なくとも苦し紛れに見える、居心地の悪そうな奇怪な印象のやり取りの中での発言でした。当然それはインパクトが弱く、より驚きの強い「イ スラム国と国際社会の戦争は合法」とした主張だけが、1人歩きを始めてしまったのでした。

その発言は、今のところはイスラム国を非難している、宗教上の彼らの同胞である多くの同じムスリムたちが、将来どこかで一斉に反発しかねない危険を孕んでい ます。つまり、 かつての十字軍とムスリムの戦いに似た争いに発展しかねない。負の歴史の再燃につながる可能性も秘めた極めて重い意味を持つのが、フランシスコ教皇の、僕 に言わせれば大いなる「失言」に他ならないと考えているのです。 』



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