今のところは・・

平気で生きる



菊


僕は以前、次のようなコラムを新聞に書いた。それと前後してブログほかの媒体にも寄稿しそこかしこで同じ趣旨の話も多くした。

悟りとは「いつでもどんな状況でも平気で死ぬ」こと、という説がある。

死を恐れない悟りとは、暴力を孕んだいわば筋肉の悟りであり、勇者の悟りである。

一方「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という悟りもある。

不幸や病気や悲しみのどん底にあっても、平然と生き続ける。

そんな悟りを開いた市井の一人が僕の母である。

子沢山だった母は、家族に愛情を注ぎつくして歳月を過ごし、88歳で病に倒れた。

それから4年間の厳しい闘病生活の間、母はひと言の愚痴もこぼさずに静かに生きて、最後は何も分からなくなって眠るように息を引き取った。

療養中も死ぬ時も、母は彼女が生き抜いた年月のように平穏そのものだった。
 
僕は母の温和な生き方に、本人もそれとは自覚しない強い気高い悟りを見たのである。

同時に僕はここイタリアの母、つまり妻の母親にも悟りを開いた人の平穏を見ている。

義母は数年前、子宮ガンを患い全摘出をした。その後、苛烈な化学療法を続けたが、副作用や恐怖や痛みなどの陰惨をおくびにも出さずに毎日を淡々と生きた。

治療が終わった後も義母は無事に日々を過ごして、今年で87歳。ほぼ母が病気で倒れた年齢に達した。

日本の最果ての小さな島で生まれ育った僕の母には、学歴も学問も知識もなかった。あったのは生きる知恵と家族への深い愛情だけである。

片やイタリアの母は、この国の上流階級に生まれてフィレンツェの聖心女学院に学び、常に時代の最先端を歩む女性の一人として人生を送ってきた。学問も知識も後ろ盾もある。

天と地ほども違う境涯を生きてきた二人は、母が知恵と愛によって、また義母は学識と理性によって「悟り」の境地に達したと僕は考えている。

僕の将来の人生の目標は、いつか二人の母親にならうことである。


僕はこの話を修正しなければならなくなった。義母がその後こわれてしまったからだ。いや、こわれたのではなく、死の直前になって彼女の本性があらわれた、ということのようだった。

義母は昨年90歳で亡くなったのだが、死ぬまでの2年間は愚痴と怒りと不満にまみれた「やっかいな老人」になって、ひとり娘である僕の妻をさんざんてこずらせた。

義母はこわれる以前、日本の「老人の日」に際して「今どきの老人はもう誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と言い放ったツワモノだった。

老人の義母は老人が嫌いだった。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観だった。その義母自身は当時、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくない老人だった。

こわれた義母は、朝の起床から就寝まで不機嫌でなにもかもが気に入らなかった。子供時代から甘やかされて育った地が出た、というふうにも見える荒れ狂う姿は少々怖いくらいだった。

義母の急変は周囲をおどろかせたが、彼女の理性と老いてなお潔い生き方を敬愛していた僕は、内心かなり落胆したことを告白しなければならない。

義母はほぼ付きっ切りで世話をする妻を思いが足りないとなじり、気がきかないと面罵し、挙句には自ら望んだ死後の火葬を「異教徒の風習だからいやだ。私が死んだら埋葬にしろ」と咆哮したりした。

怒鳴り、わめき、苛立つ義母の姿は、最後まで平穏を保って逝った母への敬慕を、僕の中につのらせるようでさえあった。

義母を掻き乱しているのは、病気や痛みや不自由ではなく「死への恐怖」のように僕には見えた。するとそれは、あるいは命が終わろうとする老人の、「普通の」あり方だったのかもしれない。

そう考えてみると、「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という母の生き方が、いかにむつかしく尊い生き様であるかが僕にはあらめてわかったように思えた。

いうまでもなく母の生き方を理解することとそれを実践することとは違う。僕はこれまでの人生を母のように穏やかに生きてはこなかった。

戦い、もがき、心を波立たせて、平穏とは遠い毎日を過ごしてきた。そのことを悔いはしないが、「いかに死ぬか」という命題を他人事とばかりは感じなくなった現在、晩年の母のようでありたい、とひそかに思うことはある。

死は静謐である。一方、生きるとは心が揺れ体が動くことだ。すなわち生きるとは文字通り心身が動揺することである。したがって義母の最晩年の狼狽と震撼と分裂は、彼女が生きている証しだった、と考えることもできる。

そうした状況での悟りとはおそらく、心身の動揺が生きている者を巻き込んでポジティブな方向へと進むこと、つまり老境にある者が家族と共にそれを受け入れ喜びさえすること、なのではないか。

それは言うのはたやすく、行うのは難しい話の典型のようなコンセプトだ。だが同時に、老境を喜ぶことはさておき、それを受け入れる態度は高齢者にとっては必須といってもよいほど重要なことだ。

なぜなら老境を受け入れない限り、人は必ず不平不満を言う。それが老人の愚痴である。愚痴はさらなる愚痴を誘発し不満を募らせ怒りを呼んで、生きていること自体が地獄のような日々を招く。

「いつでもどんな状況でも平気で生きる」とは、言い方を変えれば、老いにからむあらゆる不快や不自由や不都合を受け入れて、老いを納得しつつ生きることだ。それがつまり真の悟りなのだろう。

苦しいのは、それが「悟り」という高い境地であるために実践することが難しい、ということなのではないか。決して若くはないものの、未だ老境を実感するには至らない僕は、時々そうやって想像してみるだけである。



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2017クリスマス雑感



クリスマス飾りup


2017年のクリスマスは忘れがたいものになった。生まれて初めて入院を伴う手術を受け、クリスマスを体調不良のうちに過ごした。

手術は外傷を伴わないものだが、器官の内部を切除するので出血し痛みをもたらす。やはり体への負担は避けられないのである。

麻酔から覚めて痛みを感じ出血を見定め、しばらくしてベッドから立ち上がった時、やはり生まれて初めて「老い」を意識した。

それは異様な感覚ではあったが、不快ではなく、「あ、なるほど・・」と納得して、今後多くなっていくのであろうそうした「感じ」とうまく付き合ってやるぞ、と思った。

進行してさらに症状が重なれば楽観してはいられないだろうが、今はむしろ老いの兆候を楽しみ期待する気持ちさえある。それはきっとまだ「老い」ではない、ということなのかもしれないが。

「いつまでも死なない老人」、と「老人の」義母が喝破した、嫌われ者の老人が巷にあふれている。実は僕の身内に3人、友人知己の身内にも多い。

「いつまでも死なない老人」とは、身も蓋(ふた)もない言い方をしてもしなくても、要するに《もう生きていてほしくない》と周囲が思っている老人のことである。

年齢的には、義母の言葉が生まれた状況や、有名方言大王『タローア・ソー』氏の“名言”の内容などから推して、「90歳を超えたあたり」というふうに考えれば分かりやすいかもしれない。

90歳を超えてもカクシャクとして、前向きで愚痴を言わず、生きることを楽しんでいる老人なら、200歳まで生きていても誰も「いつまでも死なない老人」などと陰口をたたくことはないだろう。

あるいはカクシャクとしてはいなくとも、足るを知り、高齢まで生きて在ることのありがたみを知って、その良さを周囲に分け与えてくれる老人なら誰もが、「いつまでも死なないでほしい」と願うだろう。

足るを知らないネガティブな存在の老人を、ありのままに受け止めて
「自らのためになす」方法を、僕はやはりことしのクリスマスのあたりで発見した。つまり、彼らを「反面教師」としてしっかり利用しようということだ。

付け加えておけば、「いつまでも死なない老人」の名言を吐いた義母は、その直後から急速に壊れて、今は彼女自身が「いつまでも死なない老人」の一人になってしまった。これは予想外の展開だった。

中国、北朝鮮、およびロシアなどへの僕の敵対意識に近い違和感は急速に薄れて、親近感とは言わないまでも、それらの国々の在り方を一方的に否定することが少なくなった。

トランプ米大統領の存在が原因である。つまり僕が尊敬し愛し肯定し続けてきたアメリカを破壊し、矮小化したトランプという男への嫌悪感の分だけ、僕の中では前述の3国への抵抗感が減少した。

同時に、安倍首相や周囲のネトウヨ・ヘイト・排外主義者らが、トランプ大統領やその(影の)側近のスティーブン・バノン氏などの「白人至上主義者」を称揚し、追随する異様な事態に寒気を覚えるのも今日この頃である。

それらのネトウヨ・ヘイト・排外主義者らは、自らも白人になったつもりなのか「白人至上主義」に凝り固まったアメリカの同種の人々と手を取り合って、日本人と同じ黄色人種の中国人や韓国・北朝鮮人を見下し嘲笑する。その有様は異様を通り越して滑稽だ。

それらの人々は、彼らが「トモダチ」と錯覚している白人種のネトウヨ・ヘイト・排外主義者らが、自分自身やまた同種の日本人を陰で「黄色いサル」などと呼んで蔑んでいる現実に、そろそろ気づくべきだ。彼らは白人種以外を真には認めないから「白人至上主義者」なのである。


あるいは政治家メルケルの強さの秘密みたいなもの、について




切り取り無題
右顧左眄するメルケルさんの目動き?


ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、見方によっては変わり身の速い右顧左眄
(うこさべん)型の策士である。

分かりやすい例を挙げると、彼女は2015年、100万人近い難民・移民を一気に、無条件に受け入れて世界を感動させた

ところがそのことに批判が集まると、首相はすぐさま方針転換に走った。

トルコを説得してEUに流入した難民・移民の送還受け入れを承諾させ、難民認定のハードルも引き上げた。

またシリアとイラク以外の国からの難民申請は認めないとし、シリア・イラク難民の滞在許可も3年ごとに見直す、とするなどの強硬措置を取った。

同時に国境閉鎖を行う欧州の国々を支持し、ドイツ自身の国境も一時閉鎖した上で、犯罪を犯した難民申請者の強制送還を容易にするなどした。

そうした不寛容な政策で彼女は批判されたが、実はそれはプラグラマティズム(実学主義)とも称される政治手法に過ぎない。独首相は現実主義者なのである。

メルケル首相は、米トランプ大統領の政策に正面切って異を唱えるなど、民主主義と自由と欧州の価値観を死守する「理想主義」と共に、現実主義も採用する。

3期12年にわたってドイツ首相を務めたメルケル氏は同時に、EU(欧州連合)最強のリーダーでもあり続けてきた。

メルケル首相は理想と没理想を巧みに組み合わせて「安定」を演出し、国民の信頼とEU、ひいては国際世論の強い支持も受け続けたのだ。

24日に実施されたドイツ連邦議会選挙で、メルケル首相率いる中道右派のキリスト教民主・社会同盟は、第一党にはなったものの戦後(1949年以来)最低の得票率に留まった。

彼女が戦った選挙の中でももちろん最悪の結果になったのだが、メルケル氏は勝利宣言とも敗北宣言とも取れるあいまいな結果報告の演説の中で、目覚しい言葉を放った。

僕の見立てではその発言は、いわば政治家アンゲラ・メルケルのツボあるいはヘソとも目されるべき重要なものである。

メルケル首相は、自らが率いるCDU・CSU同盟支持者のうちの約100万票が、極右の「ドイツのための選択肢(AfD)」に流れたことを認めた上で、次のように発言した。

「私は今後、“ドイツのための選択肢”に投票した人たちが抱える問題を解決し、彼らの不安を取り除き、より良い政策を実行して必ず彼らの信頼を取り戻します」と。

彼女は極右政党支持に回った人々を非難したり、否定したり、嘆いたリするのではなく、彼らの不満に耳を傾け、彼らに寄り添って、再び彼らの信頼と支持を獲得する、と明言したのである。

僕はそうしたメルケル氏の謙虚な態度と、(元)支持者への思いやりと、決意に満ちた意表を突くレトリックの中に、彼女の政治家としての類まれな資質を見る思いがする。

理想と現実を巧みに操る能力と、支持者の心をつかむ絶妙な言い回しに長けたところが、政治家アンゲラ・メルケルの正体ではないかとさえ考える。

それはたとえば安倍首相が都議会選挙の応援演説の際、反対派の聴衆を指して「こんな人たちには負けられない」と侮辱して、醜態をさらけ出したのとは対極にある大人の対応だ。

同じように米トランプ大統領が、批判者を名指しで罵る野蛮傲慢な言動ともほど遠い、知性と教養にあふれた熟練の振る舞いだ。

今回の総選挙で「敗北気味の勝利」を得ただけのメルケル首相は、求心力の低下を懸念され、「メルケル政権の終わりの始まり」ではないか、と疑問視する意見さえある。

だが僕は、希望的観測も含めてだが、メルケル首相の「変わり身の速さ」と政局を巧みに操る豪腕に期待して、ダメもとで彼女の再三再四の飛翔を予言してみたくなった。




クリスマスに仏教を思い神々を思う幸い



今年のクリスマスも静かに過ぎた。

クリスマスの朝は、久しぶりに家族とともに教会のミサに出かけた。最近、地区の教会の主任司祭(神父)が20年ぶりに替わった。そこで新任の神父さんにできればお目通りを、と考えたのである。

人が多過ぎたので神父との直接の顔合わせはかなわなかった。しかし、何かの行事で近いうちに必ず会うことになるだろうから、一向にかまわない。その日はすぐに帰宅した。

ミサの間中、とはいわないが、大半の時間を神父の講話内容とは別の物思いにふけって過ごした。もっともそこは教会なので、神や宗教と自分のことを考えるのは全て関連性がある、とも言える。

クリスマスにはイエス・キリストに思いをはせたり、キリスト教とはなにか、などとふいに考えてみたりもする。それはしかし僕にとっては、困ったときの神頼み、的な一過性の思惟ではない。  

僕は信心深い人間では全くないが、宗教、特にキリスト教についてはしばしば考える。カトリックの影響が極めて強いイタリアにいるせいだろう。クリスマスのミサの最中の考え事も、そんな僕の習癖のひとつに過ぎない。

上の息子が中学に上がるか上がらないかの年頃だったと思う。同じ教会における何かの折のミサの途中で、彼が「お父さんは日本人だけど、ここ(教会)にいても大丈夫?」と僕にささやいた。

大丈夫?とはクリスチャンではない(日本人)のに、お父さんはここにいては疲れるのではないか。あるいはもっと重く考えれば、クリスチャンではないお父さんはここにいて孤独感を覚えているのではないか、という息子から僕への気遣いである。

僕は成長した息子におどろいた。気遣いをよくする子供だから気遣いそのものにはおどろかなかった。だが、そこにあるかもしれない教会+信者と、信者ではない者との間の「齟齬の可能性」に気づいた息子におどろいたのだ。  

僕は彼に伝えた。「全然大丈夫だよ。イエス・キリストは日本人、つまりキリスト教徒ではない僕をいつも受け入れ、抱擁してくださっている。だからお父さんはここにいてもOKなんだ」それは僕の嘘偽りのない思いだった。

イエス・キリストは断じて僕を拒まない。あらゆる人を赦し、受け入れ、愛するのがイエス・キリストだからだ。もしもそこでキリスト教徒ではない僕を拒絶するものがあるとするなら、それは教会であり教会の聖職者であり集まっている信者である。

だが幸い彼らも僕を拒むことはない。拒むどころか、むしろ歓迎してくれる。僕が敵ではないことを知っているからだ。僕は僕で彼らを尊重し、心から親しみ、友好な関係を保っている。

僕はキリスト教徒ではないが、全員がキリスト教徒である家族と共にイタリアで生きている。従ってこの国に住んでいる限りは、一年を通して身近にあるキリスト教のあらゆる儀式や祭礼には可能な範囲で参加しようと考え、またそのように実践してきた

人はどう思うか分からないが、僕はキリスト教の、イタリア語で言ういわゆる「Simpatizzante(シンパティザンテ)」だと自覚している。言葉を変えれば僕は、キリスト教の支持者、同調者、あるいはファンなのである。

もっと正確に言えば、信者を含むキリスト教の構成要素全体のファンである。同時に僕は、仏陀と自然とイエス・キリストの「信者」である。その状態を指して僕は自分のことをよく「仏教系無神論者」と規定し、そう呼ぶ。

なぜキリスト教系や神道系ではなく仏教系無神論者なのかといえば、僕の中に仏教的な思想や習慣や記憶や日々の動静の心因となるものなどが、他の教派のそれよりも深く存在している、と感じるからである。

すると、それって先祖崇拝のことですか? という質問が素早く飛んで来る。だが僕は先祖崇拝者ではない。先祖は無論「尊重」する。それはキリスト教会や聖職者や信者を「尊重」するように先祖も尊重する、という意味である。

あるいは神社仏閣と僧侶と神官、またそこにいる信徒や氏子らの全ての信者を尊重するように先祖を尊重する、という意味だ。僕にとっては先祖は、親しく敬慕する概念ではあるものの、信仰の対象ではない。

僕が信仰するのはイエス・キリストであり仏陀であり自然の全体だ。教会や神社仏閣は、それらを独自に解釈し規定して実践する施設である。教会はイエス・キリストを解釈し規定し実践する。また寺は仏陀を、神社は神々を同様に解釈し規定し実践する。

それらの実践施設は人々が作ったものだ。だから人々を尊重する僕はそれらの施設や仕組みも尊重する。しかしそれらはイエス・キリストや仏陀や自然そのものではない。僕が信奉するのは人々が解釈する対象自体なのだ。

そういう意味では僕は、全ての「宗門の信者」に拒絶される可能性があるとも考えている。だが前述したようにイエスも、また釈迦も自然も僕を拒絶しない。僕だけではない。彼らは何ものをも拒絶しない。究極の寛容であり愛であり赦しであるのがイエスであり釈迦であり自然である。だから僕はそれらに帰依するのである。

言葉を変えれば僕は、全ての宗教を尊重する「イエス・キリストを信じるキリスト教徒」であり、「釈迦を信奉する仏教徒」である。同時に「自然あるいは八百万神を崇拝する者」つまり「国家神道ではない本来の神道」の信徒でもある。

それはさらに言葉を変えれば「無神論者」と言うにも等しい。一神教にしても多神教にしても、自らの信ずるものが絶対の真実であり無謬の存在だ、と思い込めば、それを受容しない者は彼らにとっては全て無神論者だろう。

僕はそういう意味での無神論者であり、無神論者とはつまり「無神論」という宗教の信者だと考えている。そして無神論という宗教の信者とは、別の表現を用いれば「あらゆる宗教を肯定し受け入れる者」、ということにほかならない。


「余計なお世話」から生まれたゲイ差別は永久に余計なお世話だ



同性愛者が差別されるのは、さまざまな理由によるように見えるが、実はその根は一つである。

 

つまり、同性愛者のカップルには子供が生まれない。だから彼らは特にキリスト教社会で糾弾され、その影響も加わって世界中で差別されるようになった。

 

同性愛にしろ異性愛にしろ、子供ができようができまいが、そんなものほっとけ!というのが現代人の感覚だろうが、昔の人々はそうは考えなかった。それはある意味理解できる思考回路である。

 

子孫を残さなければあらゆる種が絶滅する。自然は、あるいは神を信じる者にとっての神は、何よりも子孫を残すことを優先して全ての生物を造形した。

 

もちろんヒトも例外ではない。それは宗教上も理のあることとされ、人間の結婚は子孫を残すためのヒトの道として奨励され保護された。だから子を成すことができない同性愛などもってのほか、ということになった。

 

しかし時は流れ、差別正当化の拠り所であった「同性愛者は子を成さない」という命題は、今や意味を持たずその正当性は崩れ去ってしまった。なぜなら同性愛者の結婚が認められた段階で、ゲイの夫婦は子供を養子として迎えることができる。生物学的には子供を成さないかもしれないが、子供を持つことができるのだ。

同性愛者の結婚が認められた時点で、彼らはもはや何も恐れるべきものはなく、宗教も彼らを差別するための都合の良いレッテルを貼る意味がなくなった。ゲイたちは大手を振って前進すればいいのである。事実彼らにとってはそういう生き方は珍しくなくなった。僕はそうした状況を良いことだと素直に思っている。

僕はこの前の記事で、話を分りやすくするために「ゲイの人たちは僕に対して何の迷惑もかけていない。だから僕には彼らを差別する理由がない」と書いた。それは飽くまでも分りやすいからそう書いたのであって、同性愛者・ゲイを差別する根拠に対しては、実は僕はそんなことよりももっと強い違和感を抱いている。

ゲイを差別するのは理不尽なことであり100%間違っている、というのが僕の人間としてのまた政治的な主張である。それはなんと言っても同性愛差別が「余計なお世話」以外の何ものでもないと思うから。

 

それでいながら僕は、ゲイの人たちが子供を成すこと、あるいは子供を持つことに少しの疑念も抱く。彼らが子供を持つというのは、自らの「権利」意識の表明でもあり、それは尊重されるべきことである。ところがその場合には、親となるカップルの権利ばかりが重視されて、子供の権利がきれいさっぱりと忘れ去られているように見える。僕はその点にかすかな不安を覚える。

陳腐な主張に聞こえるだろうが、全ての子供は生物学的な父親と母親を持つ権利があるのではないか、と僕は考えるのである。それでなければ、子供は成長するに従って必ず他の子供たちから、そして社会から「いじめ」や「差別」を受ける。それによって子供が蒙る被害は甚大である。 

 

たとえゲイの両親を持っていなくても、子供たちはあらゆる原因で差別やいじめに遭う。むしろそれが無いほうが珍しいくらいだ。それでも「ゲイの両親」を持つ子供への偏見や差別やいじめは、他の原因による場合よりも激しいものである可能性がある。

 

だからこそ、子供たちにいじめや差別を教え込む社会の歪みを正さなくてはならない。そのためには、今でも既に同性愛者を差別しない僕のような人間がさらに一歩進んで、彼らが子を成すこと、子を持つことも認めて、差別やいじめを否定しなくてはならない。同性愛者を差別しないと表明しながら、彼らが子供を持つことには反対、というのは論理の破綻であり偽善である。そればかりではない。

 

同性愛者が子供を持つということは、子を成すにしろ養子を取るにしろ、種の保存の仕方にもう一つの形が加わる、つまり種の保存法の広がり、あるいは多様化に他ならないのだから、ある意味で自然の法則にも合致するのではないか。否定する根拠も合理性もないのである。それだけでは終わらない。

 

自然のままでは絶対に子を成さないカップルが、それでも子供が欲しいと願って実現する場合、彼らの子供に対する愛情は普通の夫婦のそれよりもはるかに強く深いものになる可能性が高い。またその大きな愛に包まれて育つ子供もその部分では幸せである。しかし、今の社会の現状では、彼らが心理的に大きく傷つき追い詰められて苦しむ懸念もまた強い。ところがまさのそのネガティブな体験のおかげで、子供が他人の痛みに敏感な心優しい人間に成長する公算も非常に高いとも考えられる。

 

是々非々のそれらを全て勘案した上で、僕は今のところはやはり、同性愛者カップルが子供を持つことには積極的には賛成しない立場である。

 

繰り返しになるけれども、僕はゲイの皆さんを差別することはなく、彼らの子供たちに対しても偏見差別などしない。それどころか僕は必ずそれらの子供たちを慈しみ、他の「普通の」子供たちと分け隔てのない存在と見なし、又そう行動するだろう。僕の家族や友人知己にも僕の意見を浸透させる努力をし、あらゆる機会をとらえて同じような活動もするだろう。その上で、それでも「今のところは」やはり、彼らが子供を持つことには微妙に疑念を持つのである。

 

忌憚なく言えば、要するに「そこまでしなくてもいいのではないか」と心奥のさらに深いところで思う。

 

ゲイの皆さんは多くの困難を乗り越えて、ついに同性愛者同士の結婚が認められるところまできたのである。その喜びは2人の間で噛みしめ分かち合って寿げば十分ではないか。多くの混乱と苦悩を受け渡す危険がある「第三者の子供」を巻き込む必要はないのではないか。

この主張が同性愛者に厳しくかつ差別的な態度である可能性を恐れながらも、友人のディックが彼のゲイのパートナーと結婚したことを機会に、僕はこうして、あえて自らの意見を開陳しておこうと考えた。
  


あとまわしの理由



いろいろと書きたいことがあるのに、そのテーマがどんどん後回しになっていく。とても不思議な気分。

 

たとえば少しづつ書いていくと自分に約束した「今のところは・・」の幾つかの項目、サッカーのこと、これまでに出会い共に仕事をした名のある人たちのこと、ロケや取材の話、貴族たちの話、マフィアにまつわるあれこれ、オッパイの話、ワインのこと、島のことetc、etc・・さらにetc、etc・・

 

それらはある意味テーマが決まっている事がらである。その気になって時間があればすぐにでも書ける。

 

ところが、やはりどうしても時事話が自分の中では先行して、そちらがブログの優先事項にもなる。同時に実は、読んでくれている皆さんもどちらかというときっとそっちの方を期待しているのではないか、という思いもある。

 

1日1本の記事を書くという決意もまったく成就できない。あれこれと忙しく、時間が足りなくて無理だ。だから書くべきことがどんどん後回しになる。でもいつか最低1日1本を書く、というふうにはなりたい。

 

最近、ネット論壇にも寄稿したりして、ますます時間の余裕がない。このブログと同じ記事を掲載してもらう場合でも、いろいろと時間を取られるのだ。

 

いや、ホントのことを言うと、ネット論壇に書いた記事をここにも転載する、という場合が多い。理由はネット論壇は「よそ行き」の雰囲気があって肩が張り文体にも違いが出る。だから書くのに時間がかかる。いきおいそっちの方が気分的にも時間的にも重くなる、ということが起きる。

 

ネット論壇とこのブログで文体が違う、というのはなるべくあってはならないことである。二重スタンダードだしヘタ丸出しだ。でも今のところはそれが現実。どちらも自分の文章だしスタイルだが、向こうは気が張ってこちらはリラックスできる。

 

そして僕はリラックスしている方こそホントの自分であろうと考えている。従って、リラックスできないネット論壇は、今のところはオッカナビックリというふうな感じで書いている。多分自分の性格からして、いつまでもリラックスできなければさっさとやめてしまう方向に向かうだろう。でもリラックスするつもり・・・

 

てな感じで、書きたい題材がますます、またまた遠のいていくという訳である。

 

ま、書くことがあるということは、恐らくこのブログがまだ続いていくという証でもあるから、焦らず前進しよう、というのが新年の抱負。

 

実はこの稿では「名前、又はニックネームのこと?」でたまたま言及してしまった、なかにし礼さんの「時には娼婦のように」について書くつもりだった。

なにかの拍子で言及したことが気になって仕方がなかったり、そこから妄想がふくらんでしまって書かずにはいられなくなる、というのも僕の悪い癖である。そこから文章がどんどん先に進んでしまうことも。今のように。

 

という具合に長くなってしまったので「時には娼婦のように」は次の稿に回すことにする。

 

それでないとたとえば「9月、秋はじめと仕事はじめの期の時のように、テーマが分散して自分としては不満の多い記事になってしまう・・

 

 

名前、又はニックネーム?のこと


僕はこのブログのタイトルを遊び心で付けた。書き続ける(続けられる)なら、将来は本名に戻すつもりだったのだが、そのうちに自分で気に入ってしまって変更したくなくなってきた。

 

則(のり)というのは僕の子供の頃の呼び名である。雅則というのが名前だが、家族にも友だちにも村のおじさんやおばさんにも、常に則かまたは則坊と呼ばれた。島に帰ると、チョーおやじになった今でもそう呼ばれる。

 

島を出てからは普通に名前で呼ばれたが、東京での学生時代、喫茶店などのアルバイト先で、マー坊と呼ばれた記憶もある。

 

ロンドンではそのマー坊にヒントを得て、自分からマーボーと名乗ったこともある。マサノリという名前を覚えられない外国人が多かったので、煙草のマールボロに引っ掛けてマールボロのマーボーだと言うと、誰もが一発で覚えてくれた。なぜノリと名乗らなかったかというと、僕は当時は島での子供時代のその名が、田舎クサくてイヤだと感じていたのだ(笑)。

 

その後、仕事で住んだニューヨークでは、アメリカ人からマサと呼ばれたりした。そこでもマサノリが覚えづらいということのほかに、短縮形にして親しみを込めてくれる意味があった。マサというのは、黒人の奴隷が主人を呼ぶ時の発音(多分マスターが訛ったものではないか)に似ているので覚えやすい、といわれて複雑な気分になったこともある。が、あまり深くは考えなかった。

 

イタリア人の友人たちにもマサと呼ばれることが多い。イタリア語でも名前の短縮形は、ほとんどの場合親しみの意味合いが強い。そこでは名の後半部分を発音しないのが普通である。クリスティーナをクリ、アレッサンドロをアレまたはアレックス、マウリツィアをマウ、などなど。

 

学生時代、同人誌などに小説を書くときはペンネームを使った。文芸誌「小説新潮」の月間新人賞佳作というものをもらったのも、同じペンネームで書いた短編小説だった。

 

そうやってあらためて振り返って見ると、自分ではまったくそんなつもりはなかったのに、いろいろな名前で呼ばれたり名乗ったりしていて、けっこうおどろく。

 

島から島へと渡り歩き、ついには日本を出て英米伊の3国に移り住んだことが、そんな不思議体験につながったのだろうか。

 

そういう自分史の流れがあったから、ブログのタイトルを考えた時、すらすらと「なかそね則」と出てきたのだろうと思う。則というのは雅則と共に、僕がまさしく自分そのものだと感じる名前である。そこに少しふざけて「なかそね」と付け加えたら、なぜか座りも良いような感じがして気に入ってしまった。

 

普段はもちろん本名で過ごしていて、仕事でも、あちこちで書いたり発言したりする時も本名である。

 

なぜ突然こんなことを書いているのかと言うと、事情があってこのブログのプロフィール欄に自分の顔写真を載せることになってしまった。ついでに自己紹介文も。

 

自己紹介はブログ記事の中でひんぱんにやっているからいいとして、顔写真が載った以上は、ブログ名を最初の計画通りに本名にした方がいいのか、と考えたりしているからである。

 

でもやっぱり「なかそね則」の響きがいい。捨てたくない。

 

『時には娼婦のように』という僕の好きな大歌詞を生み出した「なかにし礼」さんみたいだし(笑)・・



「脱原発クラブ」



12、13日に行われた、原発の是非を問うイタリアの国民投票で「反原発」派が勝利した。

 

ドイツとスイスに次いでイタリアも脱原発に舵を切ったわけだが、イタリアの場合は、福島原発事故後「世界初の国民審判」による「原発ノー」の強い意思表示だけに、その意味するところは大きいというべきだろう。

 

この国ではチェルノブイリ原発事故の翌年87年に、やはり国民投票で「反原発」の結果が出た。それを受けて、90年までに稼動中の全ての原発が閉鎖された。

 

ところが2009年、現在のベルルスコーニ政権が「原発再開法」を制定して原発の再稼動を目指した。しかし前述の通り、国民はその政策を明確に否定したのである。

 

90年以来、先進国の中で唯一原発を持たずにきたイタリアの電気料金は欧州一高い。原発大国フランスの2倍近くにのぼり、国は全電力の1割近くをそのフランスとスイスから輸入しているのが現状である。

 

ベルルスコーニは電力コスト削減を理由に原発再開を目論んだのだが、国民はそっぽを向いた。高い電気料金を黙認してまで・・なんてすばらしいことだろう!

 

僕は以前、今のところは原発に99%反対と書いた。

今のところは・・

 

99%の反対とは

 

「原発には100%反対。ただし核や原発の研究は続けるべき」

 

という意味で1%の賛成を込めて、反対99%と言ってみたのである。

 

その気持ちは今も全く変わらない。

 

いや、わが国がドイツ、スイス、イタリアの欧州三国が発起(ほっき)した「脱原発クラブ」に入会する願いを込めて、原発には120%も150%も反対と言おう。

 

それでもやっぱり1%の賛成も忘れずに込めておこうと思う。《化け物》の核や原発に負けるのはシャクだ。人類は必ずそれを征服するべきだと信じるから・・

 

閑話休題

 

「脱原発クラブ」は本来なら日本が真っ先に旗振りをして結成するべきだった。

ヒロシマを持ちナガサキを持ち、そして不運にもフクシマまで持ってしまったわが国は、なぜ誰よりも先に「脱原発」と叫ばないのだろうか。

 

経済に詳しいと思い上がっている人々、産業だけが国益だと信じ込んでいる人々、金と便利だけを追いかけながら憂い顔で国家を論ずるエセ憂国者、理念や理想をあざ笑うのが癖の原発及びビジネス利権屋などなど・・魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが跋扈(ばっこ)して脱原発を理想主義、ユートピア論などと冷笑する。

 

だがもうたくさんだ。彼らが皮肉たっぷりに言いたがる「少しの不便」や「少しの後退を」覚悟して、脱原発を叫ぼうよ。

 

日本の総電力の3割を担っている原発を止めれば、問題が起こらないはずはない。30%は小さくない数字だ。ドイツの22%よりも大きい。それでも日本はドイツよりも先に脱原発を宣言してしかるべきだった。

 

ドイツには広島も長崎も福島もない。また代替エネルギーの先行きが不透明であることも承知で脱原発を決定した。決定したことで、国を挙げて自然エネルギーの獲得を目指して模索し前進することになる。

 

多くのドイツ国民、特に産業界の人々はもちろんドイツ経済が失速するのではないか、と懸念を抱いている。彼らは脱原発を決めたドイツ国家を相手取って裁判を起こすことさえ考えている。

それでもドイツは自然エネルギーを模索する道を選んだのだ。彼らは創意工夫によって、原発に替わるエネルギーを必ず獲得するだろう。スイスもそうなるだろう。そして、遅ればせながらイタリアも・・

ところで

「創意工夫」こそわが国の専売特許ではなかったか。専売特許が言い過ぎなら、恐らくドイツやスイスさえも凌駕(りょうが)する日本のお家芸ではなかったか。

 

「脱原発」と国が明確に道筋を立てれば、世界一の創意工夫の民は、ドイツよりもスイスよりも先を行く技術や知恵を必ず探し当てる。現に省エネの分野では、電力供給がままならないと分かった大震災以降、多くの発明や工夫をこらした技術や製品が既に生み出されている。

 

脱原発は厳しい道のりを選択することである。だが原発推進は破滅を選択することである。少なくとも、破滅に至るかも知れない恐怖を抱えて生きること、を選択することである。

 

産業は重要である。経済には国の浮沈がかかっている。国が貧しくなれば、国民が不利益や不便をこうむることもある。当たり前だ。

 

だが、人は経済だけで生きているのではない。理念や尊厳や品位を持って生きることも重要だ。少しの不利益や不便を覚悟で、今こそわが国は「脱原発」の意思表示をして「脱原発クラブ」に入会するべきだと思う。

 

入会して、広島と長崎と福島の深い悲しみを力にして世界をリードするべきである。それが日本の義務ではないか。

 

恐らく僕がここで言うまでもなく、多くの日本人はそう思っている。それに気づかないのは愚劣な政争に明け暮れている、民主党政権や野党の政治家らだ。

「国民一流、国家三流」と世界から見なされるゆえんがそこにある。

今のところは・・



ブログ記事にしろ何にしろ、人は知っていることしか書けない。知らないことは逆立ちしても書けないのである。

そして一人の人間が知っていることはとても少ない。知らないことが多過ぎるばかりではなく、知っていることでも中途半端な知識だったり、うろ覚えだったり、思い込みだったりすることも珍しくない。

 


あいまいな知識は調べたり勉強したりして確実なものにすることができる。あるいは限りなく確実に近いものにすることができる。

 


しかし、調べても勉強しても、考えても分からないことがある。

 


そこで僕は、考え続けても分からないことや結論付けられないあらゆることに「今のところは」と枕詞をつけることにしている。というか、それが僕の主義であり原理原則である。

 


「今のところは、~」という言い方や考え方は、日和見(ひよりみ)主義や風見鶏的なずるさにつながる危(あや)うさをはらんでいる。それでも僕は、いや、だからこそ僕は、あえて「今のところは」と断わりをおいて考えることにしている。

 


なぜなら人は死ぬまでは変わり続けるのであり、流転変遷こそが生の証(あかし)であり人生の華である。そして、変わるのが人の宿命なら、変わる人の、思想や考えも変わるのが道理である。変わらないなら、それは死人の思想であり膠着(こうちゃく)した危険な思想である可能性がある。

考え続けているが良く分からないこと、結論付けられないことは僕の中に無数にあるが、今思いつくままに10個を書き出すと:

 


1.今のところ僕は、原発に99%反対

2.今のところ僕は、死刑制度に賛成

3.今のところ僕は、安楽死に賛成

4.今のところ僕は、捕鯨に反対

5.今のところ僕は、外国人参政権に反対

6.今のところ僕は、多国籍軍によるリビア攻撃に賛成

7.今のところ僕は、日米同盟に賛成(日米安保に賛成)

8.今のところ僕は、同性愛者が子供を持つこと、生み育てることに反対

9.今のところ僕は、NHKの民営化に反対、でもイタリアのNHKであるRAIの民営化には賛成

10.今のところ僕は、イタリア風の共和国体制に賛成

 


死刑制度に賛成とか、同性愛者が子供を持つことに反対などというのは、たちまち激しいバッシングを受けても仕方のない表現だが、僕は決して死刑制度を積極的に支持しているわけでもなく、同性愛者を差別する者でもない。僕の乏(とぼ)しい知識や思考力では「今のところ」はそんな風に考えるしかなく、もちろんそれは今後変わっていく可能性がある。

 


そしてここにこうして書き出した以上は、言うまでもなくなぜ僕が「今のところ」そういう風に考えるかを、少しづつ話していくつもりでいる。ただし、時間が経てば前述の僕の考えは既に変わっているかもしれないことは、これまた言うまでもない・・

 



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