イスラム国

珍説:マフィアがイタリアのテロを防ぐ Ⅱ



イタリアでイスラム過激派によるテロが発生していないのは、イタリア警察が頑張っているからである。マフィアがテロを防いでいるなどという説は、イタリア=マフィアという先入観に毒されたテンプラに過ぎない。

そのことを確認した上で、いくつかの所感あるいは疑問点も、ここに記録しておこうと思う。

イタリアはもう長い間イスラム過激派からテロの脅迫を受け続けている。それでも一度も事件が起きないのは、あるいはイタリアには攻撃するだけの価値がない、とテロリストが見なしているからかも知れない。

つまり、パリやロンドンやブリュッセル、あるいはベルリンを攻撃するほどの「宣伝価値」がない、と彼らが考えていることだ。ローマを始めとするイタリアの多くの有名観光都市は、政治的に見て価値が低い、と彼らが独自の評価をしていないとは誰にも言えない。

次は幸運な偶然が重なってテロが避けられている可能性。たとえば12人が死亡し50人近くが重軽傷を負ったベルリンのトラック・テロ犯、アニス・アムリは、5日後にイタリア北部の街セスト・サン・ジョヴァンニで警官に射殺された。

ミラノ近郊のセスト・サン・ジョヴァンニは、共産党の勢力が強いことからかつて
「イタリアのスターリングラード 」とも呼ばれた街だ。現在は中東やアフリカからの移民が多く住む多文化都市になっている。大きなムスリム共同体もある。

そこにはミラノ発の地下鉄の終着駅があり、南イタリア各地とモロッコ、スペイン、アルバニアなどへの長距離国際バスの発着所もある。いわば交通の要衝都市だ。アニス・アムリは2011年にチュニジアからイタリアに入り、投獄の経験などを経て北欧に向かった。

ベルリンでの犯行後、フランス経由でイタリアに戻った彼は、セスト・サン・ジョヴァンニ駅近くで職務質問をされて、警官に向かって発砲。銃撃戦の末に死亡した。彼はムスリム共同体のあるセスト・サン・ジョヴァンニで仲間と接触しようとしたと見られる。

テロリストはそこで何らかの準備をした後、セスト・サン・ジョヴァンニからバスでモロッコに出て、故国のチュニジアに逃亡しようとしたのかも知れない。あるいは前述したように、イタリアでのテロを画策していたのが射殺されて潰えたのかもしれない。

アムリの死によって彼が計画していたイタリアでのテロが未然に阻止されたなら、それは偶然以外の何ものでもない。そしてもしかすると、同じようなことがそこかしこで起こっているかもしれない。おかげでイタリアはテロから免れている。

イタリアならではの次のようなシナリオの可能性も皆無ではない、と僕は考えている。イタリア共和国と警察当局が、彼らの対テロ作戦にマフィアを組み込んでうまく利用している。その場合はマフィア以外の組織、つまりンドランゲッタやカモラなどのネットワークも使っているかもしれない。

1980年代、マフィアはイタリア国家を揺るがす勢いで凶悪犯罪を重ねた。彼らは国家を脅迫し、国家との間に犯罪組織を優遇する旨の契約を結んだとさえ言われた。だが90年代に入ると形勢は逆転。最大のボスであるトト・リイナを始めとする多くの幹部も次々に逮捕されて弱体化した。

それでもマフィアは健在である。しかし、現在は国家権力が彼らの優位に立っているのは疑いようがない。したたかな権力機構は、80年代とは逆にマフィアを脅迫、あるいはおだてるなりの手法も使って、組織を対テロ戦争の防御壁として利用している可能性もある。

そこには、かつてマフィアと国家権力との間に結ばれた、契約なり約束に基づいた了解事項あるだろう。それが何かは分からないが、かつて2者の間に何らかの合意があった、という説は執拗に生きている。ナポリターノ前大統領は「イタリア共和国とマフィアとの間には約定はない」と公式に表明しなければならないほどだった。

合意そのもの、あるいはその名残のようなものの存在の是非はさて置くとしよう。もしもテロ対策に長けたイタリア治安当局が、マフィアに何らかの便宜を図る司法取引を持ちかけて、密かに彼らをイスラム過激派との戦いに組み入れているのならば、それはイタリア国家と警察機構の狡猾と有能を示す素晴らしい動きだ。

イタリア警察はここまでテロを未然に防いできた。だが今後はどうなるかは誰にも分からない。前述の作戦が秘密裏に展開されているなら、「国家と犯罪組織の共謀」という大いなる不都合にはしばらく目をつぶって、テロの封じ込めを優先させるべき、と考えるのは不謹慎だろうか?

珍説:マフィアがイタリアのテロを防ぐ


僕のブログの読者の方から「イタリアでテロが起きないのはマフィアがいるから、と聞きましたが本当でしょうか。できたらそのことについて書いてください」という連絡をいただいた。

僕はおどろき、苦笑しつつその情報の出所を探したがよく分からなかった。よく分からないが、イタリア=マフィアという、いつものステレオタイプに根ざしたヨタ話の類であろうことは想像ができる。

先ず一番考えやすいのは、テロ=犯罪(犯罪組織)=マフィアという図式から導き出す浮薄な論考である。犯罪組織であるマフィアは同じ犯罪組織であるテログループ、あるいはテロ犯がイタリアに侵入するのを嫌ってこれを殲滅する、という主張あたりだろうか。

イタリアには3大犯罪組織がある。マフィア(コーザノストラ)、カモラ、ンドランゲッタである。これにサクラ・コローナ・ウニタを加えて4大組織と考える場合もある。それらの犯罪集団は全て経済的に貧しいナポリ以南の各地を拠点にしている。ローマに根を張る別の組織もある。

彼らはそれぞれをの縄張りを互いに尊重し合い、縄張り外に進出する場合も基本的には衝突を避ける形でしのぎを削っている、とされる。だがその実態は正確には分からない。ライバル組織同士がぶつかる、といった事件がほとんど無い事実がその推測を呼ぶのである。

さて、マフィアがテロを防ぐ、という時のマフィアとは歴史や勢力図などから見て、シチリア島が拠点の「本家マフィア」のことだろう。それは最も勢力が大きく、アメリカのマフィアとも親戚筋にあたる。彼らは欧州にも世界各地にも根を張っている。そのマフィアがテロを阻止している、ということなのだろう。

だがそれはお門違いの論法だ。なぜならマフィアはむしろテロ組織との共謀を模索している、と見るほうが妥当だからだ。マフィアはテロが横行して国が混乱する方が嬉しいのだ。それだけ彼らの悪行が成就しやすくなり、彼らに対する官憲の追及もテロ対策に忙殺されて緩む。

事実、イタリア国家と治安機関がISを始めとするイスラム過激派組織の台頭に最も神経を尖らせるのは、彼らのイタリアへの直接攻撃はもちろんだが、テロ組織とマフィアなどの犯罪組織が手を結んで社会を混乱させ、利益を挙げようと画策することである。

マフィアがテロ組織と手を結びたくなるインセンティブは、イタリア国内での犯罪・利権漁りに留まらない。彼らはテロ組織と共謀して、主に北アフリカの国々に勢力を拡大したいと渇望している。そこにはリビアやチュニジアなどを筆頭に、歴史的にイタリアと関係が深いアラブ諸国が幾つも存在する。

それらの国々の多くは、イスラム過激派やテロ組織の巣窟でもある。彼らがマフィアの手助けをする見返りに、マフィアはテロ犯の動きをイタリア国内で助ける、という図式が警察当局の最も恐れるものなのだ。マフィアはテロを阻止するのではなく、むしろ鼓舞するのである。

イタリアの犯罪組織の中では、シチリアを拠点にするマフィアが圧倒的に強かったが、近年は半島南部のプーリア州に興ったンドランゲッタが急速に勢いを増している。マフィアも押され気味だ。ンドランゲッタは北部イタリアのミラノなどでは、マフィアを凌ぐ勢力になったのではないか、とさえ見られている。

加えてイタリアがEU(欧州連合)の一員であるために、欧州全域からのマフィアへの風当たりが強くなって、そこでもマフィアは四苦八苦している。そんな折だから、マフィアはイスラム過激派と組んで、彼らの得意な麻薬密売や密貿易や恐喝、また無差別殺戮の爆弾テロなどを縦横に遂行したい気持ちが山々なのだ。

イタリアの官憲は「イタリアらしく」のんびりしていて厳密さに欠ける、というステレオタイプな見方がある。ステレオタイプには得てして一面の真実が含まれる。だがテロ抑止に関しては、彼らはきわめて有能でもある。それがここまでイタリアにテロが発生していない理由だ。

具体的に見てみよう。カトリックの総本山バチカンを擁するイタリアは、これまでに繰り返しイスラム過激派から名指しでのテロ予告や警告を受けてきた。それにもかかわらず、未だに何事も起こっていない。2015年には、半年にも渡って開催されたミラノ万博の混乱も無事に乗り切った。

また万博終了直後から今年11月20日までのほぼ一年間に渡って催された、バチカンのジュビレオ(特別聖年)祭の警備も無難にこなした。ジュビレオでは2000万人余りのカトリックの巡礼者がバチカンを訪れた。そこに通常の観光客も加わって混雑したローマは、テロリストにとっては絶好の攻撃機会であり続けた。が、何事もなく終わったのだ。

また、国際的にはほとんど報道されることはないが、軍警察を中心とするイタリアの凶悪犯罪担当の治安組織は、実は毎日のようにイスラム過激派の構成員やそれに関連すると見られる容疑者を洗い出し、逮捕し、国外退去処分にしている。このあたりは警察を管轄するシチリア出身のアンジェリーノ・アルファーノ前内務大臣の功績が大きい、と僕は個人的に考えている。

イタリアの官憲は、たとえば車で言えばアルファロメオだと僕は思う。イタリアの名車アルファロメオは、バカバカしいくらいに足が速くて、レースカーのようにスマートで格好がいい。ところがこの車には笑い話のような悪評がいつもついてまわる。いわく、少し雨が降るとたちまち雨もりがする。いわく、車体のそこかしこがあっという間にサビつく、云々。「突出しているが抜けている」のである。

イタリアの官憲もそれに似ている。テロを見事に防いでいるのがアルファロメオの抜群の加速性であり美しいボディーだ。一方、追い詰めたコソ泥やマフィアのチンピラに裏をかかれて慌てふためいたりする様子は、雨漏りや車体のサビとそっくりだ。幸いこれまでのところは官憲の突出部分だけが奏功して、イタリアにはテロが起こっていない。

そこには本当にマフィアの功績はないのか、と言えば実は大いにある。つまりイタリア警察は、長年に渡るマフィアとの激しい戦いのおかげで、彼らの監視、捜査、追及、防止等々の重要な治安テクニックを飛躍的に発展させることができた。その意味では「マフィアがイタリアのテロを防いでいる」という主張も、あながち間違いではない、と言えるかも知れない。


バチカンのジュビレオ(聖年祭)はテロ撲滅に貢献できるか



新年になってもIS(イスラム国)の脅威は止むことがなく、米仏に続いてここイタリアのジェノバでもテロ組織関連の摘発があった。アフリカとの船舶の往来も少なくないジェノバ港で、ISと関連があると見られるリビア出身の3人の男が車両貿易を装ったマネーロンダリングの疑いで逮捕された。彼らの活動はISの資金源の一つになっていると見られている。

過激派テロの脅威が続く中、キリスト教カトリックの総本山ローマのバチカンでは、昨年12月8日からジュビレオ(聖年祭)が開催されている。ジュビレオとは、信者がローマを訪ねてサンピエトロ大聖堂を含む4大聖堂の聖なる扉を通って参拝すると、あらゆる罪が許されるというもの。世界12億余のカトリック信者のローマ巡礼を促す意味がある。祭りは今年11月20日まで続き、ローマではその期間中多くの関連事業も執り行なわれる。

ジュビレオは西暦1300年に始まった。その後、開催年をめぐる紆余曲折を経て、25年毎に挙行すると定められた。前回はヨハネ・パウロ2世が2000年に行った。次は 2025年のはずだったが、フランシスコ教皇が「現下の厳しい世界情勢の中で人々は許しあわなければならない」と主張して、通常の聖年祭をいわば前倒しにする形で開催する特別聖年祭。

715年前の第一回目のジュビレオでは、推定人口2万人のローマに200万人もの信者が押し寄せたと言われている。信者一人ひとりの全ての罪が、バチカン巡礼によって帳消しになる大赦年とされたからだ。それを虚偽と見なしたダンテは《神曲》の中で、ジュビレオを始めた教皇ボニファティウス8世を聖職を穢す者として厳しく断罪している。

おびただしい数の信者が訪れるジュビレオは、当時から敬虔な宗教行事であると同時に、教会そのものを含むローマ市にとっては常に大きなビジネスチャンスでもあった。巡礼者への宿や飲食を提供する業者や一般庶民はもちろん、聖職者や貴族に至る全てのローマ市民が巡礼者を利用して金儲けを企み、金で罪を購(あがな)おうとする巡礼者もそれに便乗して、喜んで散財をしたと言われる。

フランシスコ教皇がジュビレオの開催を決定・発表したのは、彼の教皇選出から2周年に当たる昨年の3月13日だった。同年初頭にはIS(イスラム 国)などの過激派によって中東で多くのキリスト教徒が殺害されたり、欧州では過激派テロリストによるシャルリー・エブド襲撃事件なども発生していた。

キリスト教徒とイスラム教徒の間に楔を打ち込み、対立をあおり、憎しみを植えつけようとする過激派の動きやテロは、教皇のジュビレオ開催の発表後も相次いだ。フランシスコ教皇はそうした不穏な世界情勢に臨んで、キリスト教徒に寛容と許しの精神を堅持するようにと呼びかけたのである。

そこには彼の政治的な思惑も絡んでいると見るのが妥当だ。すなわち、近年カトリック教会離れが著しい信者の心を引き止め、求心力を高めたいという強い思いがフランシスコ教皇にはある。特に彼の出身地である南米ではブラジルを中心にカトリック教会からの信者離れが進んでいる。

バチカンの不正財政問題や聖職者による幼児性愛事件、あるいは同性愛や避妊などを巡って、教会の見解に不信感を抱く信者が増え続けることにバチカンは苦悩している。そこに同じキリスト教内のプロテスタントによる信者獲得攻勢も加わって、バチカンは切羽詰った状況におかれている。

またフランシスコ教皇には、前任者のベネディクト16世の時代に停滞、あるいは退行したバチカン内部の改革を推し進めるために、信者の強い支持と世界の注目を集めたいという願いも強くある。教皇の改革への意思は固く、これを恐れるバチカン内部の保守派は彼の暗殺を計画している、という噂が絶えないほどである。

ジュビレオはバチカンとカトリック信者間のいわば内部問題を解決する手段であると同時に、他宗教との対話や協調を希求するフランシスコ教皇が、IS等の過激派のテロを糾弾し宗教間の和解と友誼を謳う象徴的な意義もある。「厳しい世界情勢の中で人々は許しあうべき」という彼の訴えは、キリスト教徒のみならずイスラム教徒をも意識していると考えたい。

今回の特別ジュビレオでは、ローマの4大聖堂ばかりではなく、世界各地の教会でも特別参拝ができるようにした。わざわざローマまで出向かなくても世界中の信者が地元の教会で参拝をすれば、ローマ巡礼と同じ功徳があると信者に伝えたのである。その通達にはテロを誘発しやすいローマへの信者の集中を避ける狙いと、信者がジュビレオに参画しやすい状況を作り出すことで、同祭の盛況を演出したい教皇の思いが込められている。

バチカンは長くイスラム過激派の脅迫を受けていて、パリ同時多発テロの直後には、ISがバチカンを標的にテロを準備している可能性がある、と米FBIが名指しで警告を発している。他の欧州諸国でも似たり寄ったりの緊張状態が続いていて、パリ同時多発テロの実行犯を生んだべルギーのブリュッセルでは、大晦日から新年にかけての花火大会が禁止された。

ここイタリアは違った。年明けの午前0時を契機に、《いつものように》ローマを含む全土で花火や爆竹などの爆発音が鳴り渡った。それは過激派の脅迫には萎縮しない、という国民の強い意思表示のようにも見えた。幸いなことに激しい爆発音が響き渡っていた1月1日未明までの時間もまたその後も、イタリアのどこにもテロは発生していない。

テロリストの主な狙いは前述したように「キリスト教徒とイスラム教徒の対立を煽る」ことである。そこでジュビレオをイスラム教徒が大挙して表敬訪問して、キリスト教徒との連帯を示すなどの動きがあれば過激派の鼻を明かせるのに、と僕は思ったりもする。同時にそれは両宗教の和解の布石にもなって一石二鳥だが、今はまだ実現するのは難しいように見える。だがバチカンもイスラム世界もいつかは必ずそこを目指すべきである。


イスラム教徒への公開状~トランプ氏は皆さんの味方です~



米大統領選に立候補しているお笑い芸人のドナルド・トランプ氏が、イスラム教徒の皆さんの米国入国を禁止するべき、と発言してまた笑いを取ろうとしましたが、突然「いや、もはやこれは笑い話ではない、宗教の自由と寛容と多様性を重んじるアメリカの民主主義に反する」などという批判が噴出して、上を下への騒ぎになっていますね。

メディアがトランプ氏の発言内容を問題視して騒ぐのは重要なことです。なぜなら彼の発言の内容はイスラム教徒を貶めるものですし、偏見や差別や不寛容を奨励しかねない危険思想だからです。アメリカを始めとする世界のメディアは、これまで彼の品性下劣な暴言や罵倒や失言を半ば面白がりながら伝えていました。しかし、今回の発言は「越えてはならない一線を越えた」ものと見なして、一斉に深刻な表情になって氏を批判しています。

メディアの豹変ぶりは見事ですしまた正しい態度だと私は思います。同時多発テロの被害者であるフランスやイギリスのトップも、イスラエルのネタニヤフ首相でさえトランプ氏の発言を糾弾しています。それらにも賛成です。しかし私は、イスラム教徒の皆さんには、決して過剰反応をすることなく、相変わらずのお笑い発言だとみなして泰然としている方がベスト、とアドバイスをしたいと思います。

なぜならトランプ氏の発言は、今述べたように差別や抑圧につながる危険且つ汚れたものであると同時に、やはり馬鹿げたお笑い芸人の「お笑い発言」の域を出ないものだと考えるからです。そんな言葉に過剰に反応するのは、「イスラム国(IS)」の思う壺にはまることです。トランプ氏の発言の深刻な側面は、メディアの批判と管轄にまかせて、当事者のイスラム教徒の皆さんは静観した方が良いと思うのです。

トランプ氏の声高な呆れた主張は、いわゆる「能無しの高吼え」 です。吼える犬がめったに噛みつかないのと同じで、よほどのことがない限り実力行使には至りません。なぜならその実力が無いから。彼はその実力もないのに過激な発言をするから注目されているだけです。もちろんこの先に天地がひっくり返って、彼がアメリカ大統領に選ばれれば話は別ですが。

彼が当選するような事態は天地がひっくり返るほどの事件だと私は思います。もしもそんなことになった場合は、民主主義大国アメリカが崩壊する時ですから、もはや差別も偏見も自由も正義もありません。世界中のわれわれは等しく「イスラム国(IS)」の支配下に入って、恐怖と絶望と暗黒の中で生きる毎日を強いられていることでしょう。

しかしながらトランプ氏の主張に賛同したり影響されたりする愚者は必ずいます。その意味では彼の発言は封じられた方がいい。しかし、言論封殺は民主主義社会では断じて受け入れられません。従って彼は今後も同様の愚劣な発言を続ける可能性があります。その時も皆さんは静観した方がいい。もちろん昨今の皆さんの受難、特に欧米社会において頭をもたげつつあるイスラムフォビア(嫌悪)や、従来から蔓延する偏見や差別に対しては断固として抗議の声を上げ行動するべきです。

だがトランプ発言のような、馬鹿げた、且つ皆さんが黙っていてもメディアが騒いでくれるような事案には口を噤んだ方がいいのです。なぜなら彼の発言は数字で言えば1割の賛同者を呼ぶネガティブな影響があるかもしれませんが、うまくいけば9割の人々に問題や論点を知らしめ反省を促す効果もあります。そうした効果はメディアが騒げば騒ぐ程大きくなり、さらにポジティブに働きます。

もう一つ例を挙げます。「イスラム国(IS)」は中東で殺戮を繰り返すという悪事を働くと同時に、彼らとイスラム教徒が同じものでもあるかのような誤解と錯覚を世界中に与えました。今も与え続けています。しかし、彼らはまた彼らの悪を撒き散らすことで、その悪を生んだ欧米の身勝手な歴史とイスラム教徒やイスラム系移民が置かれた理不尽な立場に世界の人々の目を向けさせる、という極めて有意義な役割も果たしました。トランプ発言にはそれと似た効用もあります。彼の馬鹿げた発言は皆さんの味方でもあるのです。私はイスラム教徒の皆さんと連帯していくことをここで表明すると同時に、ドナルド・トランプさんありがとう、と心の中で言おうとさえ思います。

シリア空爆反対と叫ぶ正論のあやうさ

空爆反対の英国民は対案があるのか

パリ同時多発テロの直後にフランスはシリアの「イスラム国(IS)」への爆撃を強化し、ドイツも空爆には参加しないものの偵察用の戦闘機やフリゲート艦を派遣。また英国はイラクでの空爆をシリアにも拡大して「イスラム国(IS)」を攻撃している。

英国の空爆決定は、作戦に反対する多くの市民の声に抗(あらが)っての苦しい選択だった。批判者の主な論拠は、同国も参加しているイラクでの空爆の成果が上がっていないこと、だった。国論を真っ二つにした議論はシリア空爆開始後もくすぶり続けている。

英国の空気は世界にも伝播していて、いわゆるリベラル派はいうまでもなく、軍事アクションを鼓舞することが多い保守派まで、英国の空爆参加を非難し有志連合の作戦を中止するべきだという論陣を張っている。そうした声に対しては僕は「ならば対案はあるのか?」と問いたい。

対案が「何もするな」であるなら、何をか言わんや、である。それは「イスラム国(IS)」の破壊と残虐を「黙認しろ」と言うに等しい。有志連合の「イ スラム国(IS)」空爆、ひいては掃討作戦に関しては、英国国内に限らず大きな誤解と混乱が世界中にはびこっていると感じる。

アメリカの責任

誤解と混乱とはつまり、「イスラム国(IS)」の今現在の差し迫った危険と、その危険をもたらした欧米の責任を同時に声高に語ることである。この二つが平行して論が進められるために問題の焦点がぼやける。別の言い方をすれば惑乱する。

「イスラム国(IS)」はアメリカと英仏の横暴によって生まれた化け物である。従ってパリ同時多発テロを含む今の世界の混乱の責任は欧米にある。これは疑いようのない事実だ。むろん「イスラム国(IS)」にも責任はある。が、そもそも彼らが生まれなければ、今のテロ戦争は無かった可能性が高い。

それは具体的に言えば米の横暴から起きたイラク戦争と、それを上回る暴虐を発揮しての戦後処理の問題である。ブッシュ(息子)米大統領は、サダム・フセイン指揮下でイラクを支配していたバース党を、戦後に勝手に解体してイラク国家を崩壊させた。

ブッシュ大統領の無知と傲岸によって破壊され尽くされたイラクでは、それまで国家の中枢を担っていたバース党員や周辺の男らが迫害され路頭に迷い、米国ひいては欧米への恨みつらみを募らせて集結した。それが「イスラム国(IS)」の前身だ。

欧米の歴史的横暴

それ以前、第一次世界大戦中には、英国の中東専門家サイクスとフランスの外交官ピコの原案作成による、いわゆるサイクス・ピコ協定の横暴もある。英仏はロシアも巻き込んだその協定を元に、オスマン帝国内で共存していた人々の土地に勝手に国境線を引いて、混乱の元を作った。

やがて欧米は、アラブの土地を取り上げてイスラエルという国まで作った。それは中世から続く欧州によるアラブ世界への横槍の一環に過ぎない。キリスト教を旗印にする欧州は、宗教対立の先鋭化を理由に十字軍を編成してイスラム世界への侵略と抑圧の歴史を編み始め、それは時代と共に止どまるどころか加速して現在に至っている。

欧州は第一次世界大戦以降、中東からの移民を安い労働力として招き入れたが、彼らは差別と偏見の中で苦しい生活を強いられ続け、やがて今の混乱を生むホーム・グロウン(自国民)テロリストらが作り出される事態を招いた。

従ってイスラム過激派のテロを無くすためには、「イスラム国(IS)」を始めとする過激派組織を爆撃するよりも、先ず欧米が過去を反省し中東移民への偏見や差別を無くして、真の寛容と多様性を認める平等な社会を作り上げることが先決である。

欧米の暴虐と「イスラム国(IS)」のそれは切り離せ

前述の考え方の延長で、今「イスラム国(IS)」を叩くのは、欧米が再び過去の横暴を繰り返すことでしかなく、それはアラブの人々の更なる反感を招いて、結局新たな「イスラム国(IS)」やテロリストを生み出すことにしかならない、という議論が多くなされている。それは正論だ。

だが正論は常に時代に合致した正しい行動を呼ぶ訳ではない。シリア空爆に反論を唱える人々は、「イスラム国(IS)」が生まれた歴史的背景と、それを攻撃することから生まれる新たなテロの蓋然性のみを強調して、「今この時の脅威」である過激派組織をどうするのかという議論を避けて通っている。

そこでは欧米への糾弾や批判のみが一人歩きをして、「イスラム国(IS)」への空爆は何が何でも悪であり、不正義だという声ばかりが大きくなっている。それは間違っている。欧米が過去に犯し今も犯している罪と「イスラム国(IS)」の現行犯罪とは切り離して論じられるべきである。

繰り返しになるが、反空爆論や欧米の責任論はそのほとんどが正しい主張である。また「イスラム国(IS)」掃討作戦が新たなテロを生む可能性も否定できな い。いや否定できないどころか必ず別の「イスラム国(IS)」がそこから生まれる。テロは根絶できてもテロの思想は駆逐できないからだ。従ってただ「イスラム国(IS)」を殲滅するだけではなく、過去の過ちを繰り返さないための知恵が求められているのは言うまでもない。

「イスラム国(IS)」は肥大した癌

差し迫った脅威「イスラム国(IS)」はいわば肥大した癌である。癌は早急に削除されるべきである。それが「イスラム国(IS)」を殲滅する、ということ だ。ところがそのことで新たな癌が生まれる、だから行動を起こすなというのは、肥大した癌を放置したまま発癌物質が何だったかを調べたり過去に遡って生活 習慣を正す努力をしたリするに等しい。そんなことを続けていれば、解決策が見つかるはるか以前に患者は死亡してしまうだろう。

現在の「イスラム国(IS)」と世界の関係はそれと同じことだ。なにはともあれ今は癌を根治することが肝心である。欧米中心の有志連合は、「イスラム国 (IS)」を地上から消し去った後、イスラム教徒と中東地域を蹂躙した過去を反省すると同時に、テロの温床となる移民への間違った政策を是正し今度こそ寛 容と多様性が息づく真の平等社会を構築するために動き出さなければならない。

最後に付け加えておきたい。悪魔も顔負けの「イスラム国(IS)」は、イスラム教徒のために一つだけ良い仕事をした。それは欧米と世界の目を、欧米が犯し た過去の大罪に向けさせ、さらに欧州社会におけるイスラム系移民の置かれた理不尽な状況を、欧米各国民自身を含む世界の人々に知らしめたことだ。

暴力と残虐の限りを尽くしている彼らの行為は賞賛されるべきではないし正当化されるべきでもない。しかし、彼らは結果としてイスラム教徒やイスラム系移民 に資する仕事をしたことは否定できない。彼らのおかげで欧米をはじめとするグローバル世界は、今後はもはやイスラムの問題を無視して進むわけにはいかなくなった。

また欧米社会は、かつて英国がやったような三枚舌外交の手口で問題を誤魔化すこともできない。世界はその欺瞞を知った。もう後戻りはできないのである。それは言葉を替えれば、世界がテロの温床を一掃する方向に向かって進む可能性が出てきたことを意味する。「イスラム国(IS)」は再びその部分だけに限って言えば、 良い仕事をした。もうそろそろ消えてもらってもいいのである。

ミラノ・スカラ座、テロへの厳戒態勢の中で初日開演

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スカラ座のシーズン初日の出し物を伝える折込紙

今日12月7日、ミラノ・スカラ座の2015年~16年のシーズン初日が幕を開ける。12月7日初日がスカラ座の例年のならわしである。出し物は「ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)」 。それは欧州13カ国に同時生中継され、日本にも時間差中継される。

今年のオープニングは異常な厳戒態勢の中で準備が進められ、午後6時に開場する。厳戒態勢が取られているのはパリ同時多発テロが関係しているのは言うまでもない。

イタリアは2001年の米国同時多発テロ以降、イスラム過激派の脅迫を受け続けている。彼らが目の敵にするキリスト教最大派のカトリックの総本 山・バチカンを擁すると同時に、重要な文化遺産を多く有するこの国は、宗教のみならず欧州文明も破壊したい、と渇望するテロ組織の格好の標的になって いる。

そんな中、パリ同時多発テロから5日後の先月18日、米FBIがローマのサンピエトロ広場、ミラノのドゥオモと共にスカラ座が「イスラム国(IS)」の襲撃目標になっている可能性が高い、とイタリア政府に警告した。イタリアの緊張は近年にないほど一気に高まった。

スカラ座周辺を含むミラノの要点で交通規制が行われ、警察と軍警察の特別機動隊がひそかに展開されると同時に、スカラ座広場に面する全てのビルに一般人の目に入らない形で狙撃兵が編成、配置された。またスカラ座の入り口にはメタル探知機も設置される。

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スカラ座前の軍警察パトカーを強調するイタリア紙

ミラノのジュリアーノ・ピサピア市長は物々しい警備について「テロへの懸念がない、といえば私は無責任のそしり を免れないだろう。それはある。しかし、テロ対策は万全だ。考えられるあらゆる防御策が取られた。7日夜はすばらしい初日が幕を開けることになる」と表明した。初日にはミラノ市長はもちろん、レンツィ首相とマタレッラ大統領の出席も予定されている。

2011年12月7日、いつものスカラ座のシーズン初日、当時のマリオ・モンティ首相は夫人と共にスカラ座に足を運んだ。財政危機の大不況の中、スカラ座での観劇は不謹慎だと主張する多くの批判者の声にひるむことなく、オペラの初日を楽しんだのである。当時のナポリターノ大統領も同席した。

苦境にあるからこそ敢えて明るく振舞う、というのは重要なことだ。苦しいときに苦しい顔をするのは誰でもできる。社会に恐怖を植えつけるという「イスラム国の(IS)」の狙いを蹴散らす意味で も、また国民に勇気や安心をもたらす意味でも、要人が大きなイベントに参加するのは大切だ。その観点からレンツィ首相もマタレッラ大統領も、前任者のモン ティ首相とナポリターノ大統領コンビを見習うべきだ、と僕は思う。

締りがないようにも見えるイタリアの警備体制は、長丁場を無事に乗り切ってつい先日閉幕したミラノ万博において、高い能力を有すると十全に証明された。スカラ座初日の警備にはおそらく遺漏はないだろう。大切なことはその後も長く続く同劇場のシーズンの全てにおいて、警備が高い緊張感とともに継続されることである。万博での半年間のように。

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