~刻の彼方に~ the fool

ツイッターに書ききれない、ロングレンジな文章を書くというかツイッターお纏めブログです。ツイッターと同時に見ると楽しいよ!!

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↑トゥレット障害者の自叙伝を電子書籍で出版してます。
是非ご一読願えればと思います。
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当ブログはツィッターでツイート出来きれないことを纏めるためのブログです。
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トゥレット障害者の日常、趣味(ガンプラ、写真、プラ板アート、小説、女神転生系のゲームなど)の話や、僕が感じ、思ったこと。また考えてることなどを徒然なるままに綴るブログです。
先にも書きましたツィッター上では文字制限で書けない、長めの文章をこちらで書いています。
たまに下ネタや、愚痴、そして毒舌なんかもあるかもです。
その点ご容赦くださいませ。

僕と共に人生という刻を歩んでいただけたらと思います。

@terotero5150
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定型さんと発達さん

発達障害。
この言葉は一体どこからきたのだろう。
僕がこの言葉を知ったのはつい最近。

そもそも僕はトゥレットでADHDを持ってるけど、発達障害だ、と認識すらしてなかった。
なぜならチックと体力値がないというだけで、それを持ってない人よりできることが多かったから。

所謂定型さんと呼ばれる人よりも僕の方が出来る事が多々あると認識してた。
だから僕自身が発達だ、ということは思ってなかった。

ある日トゥレットは発達障害だ、という記事を見て、発達?と思ったくらいだ。

この発達。
それを持ってない方々というより、自分という存在と違う異質なものを遠ざける、そしてそうカテゴライズして差別する。
自分とは違うおかしな人達。
そう認識してしまえば、自分が楽だから。
そういう感じで生まれてるような気がする。

しかし発達さん側は発達さん側で、そんな人達を定型発達症候群という括り、カテゴライズした。
発達さんは生きるのが大変だから配慮されて当然だ。
そうじゃない人は普通にできるんだから、というか普通なんだから、発達に配慮するのが当たり前。
そして発達でない人は定型発達症候群って病気なんだ。

そんな考え方から生まれた定型と発達。

発達さん側の言い分はわかるが、ちょっと違うと思う。
僕たちはできることができない。
普通ができない。
だから配慮されて当然。
可哀そうな存在。
だから僕たちは特別なんだ。

というある種逆差別的な発想があると思う。
そして自分達は特別な存在なんだということで、自分達を守ろうとしてる。

これは違うと思う。

発達だろうが定型だろうが、出来ることと出来ないことがある。
定型でも片づけられない人もいるだろう。
記憶力の悪い人もいるだろう。
要領がよくない人もいるだろう。
コミュニケーションができない人もいるだろう。

逆に発達でも、片づけられる人。
記憶力がいい人。
要領がよい人。
コミュニケーション上手な人。

それぞれいると思う。
所謂これって個人の特性であり資質の問題だと思う。
また育った環境や状況によって変わってくると思う。

昔はその個人の特性や資質を判断して会社勤めなら適材適所につけてうまく働いてた。
そうできない人は出来ない人で、多様な生き方ができる世の中だった。
あくまで発達でも定型でもない、単なる個人の特性と資質と捉えられていた。
だから生き方に多様性があった社会だった。
どんな生き方も選べる。
どんな生き方をしててもいい。
ただ法律だけは守りなさい。
そういう社会が確かにあった。

それが今はない。

こうあらねばいけない。
こうなければ普通ではない。
こうじゃなきゃダメだ。

全て決めつけ、生き方の多様性を失ってしまった。

誰でも、定型であっても発達であっても、

「みんな普通で特別だ。みんな特別で普通なんだ」

そういう考え方がなくなってしまった社会。

例えば僕はトゥレットだ。
チックという症状を持ってる。
これによってって差別や迫害をたくさん受けてきた。
詳しくは自叙伝を読んでもらいたい。

でもアメリカではこのチックを教えるときにこう教える。
「これはしゃっくりみたいなものだから、気にしだめよ」
と。

そうなんだ。
日本に必要な考えはこれだと思う。

チックがある。
僕が学校の先生だったらこういうだろう。
「たんなる癖だから気にしないように」
と。
でも子供たちは言うだろう。
「だっておかしいじゃん!」
って。
だから僕ならこう返す。
「じゃあ、君の顔もおかしいね、気持ち悪い」
と。
たぶん言われた子供は酷いというだろう。
しかし僕ならこういう。
「君の顔は気持ち悪かろうがなんだろうが治せるかい?治せないだろ?それは君が背負っていく顔であって、君の単なる特性だ。その顔を好きになる人もいるかもしれない。彼のチックと同じだろ?彼のチックも止められないただの特性だ。しゃっくりみたいなものだ。彼はチックという特性があるだけで普通だ、でも特別だ。君の顔もただの特性だ。そして普通であって特別だ。だから分かり合わなきゃいけないんだよ」
ってね。

ADHD、ASD、アスペルガー、トゥレット、他にも色々な発達と呼ばれるものがある。
だけどこれは単なる個人の特性にすぎない。
定型だって同じように出来ないことと出来る事がある。

人間得手不得手あって当然。

そういう多様性を認められない社会ではいずれ綻びがきて破綻する。

今の社会は、定型だ発達だと言葉が先行して、お互い差別し合ってるようでは、この日本という社会は破綻するだろう。
それも近いうちに。
自滅していく社会になるだろう。

あくまで定型とか発達という言葉を無くし、個人の特性を見て、それぞれの生き方の多様性がある社会。
そうしなければ、この日本は終わると思う。

すでに終わりの序曲は迎えてる。

昔あった、生き方の多様性が認められる社会がくることを願ってやまない。

今日の更新はここまで。
でわでわ。


野に咲く花外伝 ~その後~

家を出て10年以上たつ。
あの毒に塗れた家をでて、自由な暮らしを手に入れた。
しかしそれは自由でなかった。

とある女性との出会い。
それによって僕の人生は劇的に変化した。
家を出ることができた。
その女性にも支えられ生きた。
無理して働くということを辞めることができた。
それは嬉しかった。
しかし時の変転は、運命の輪というのものは突然で、突風のようなものだ。

ある事柄から生活苦になった。
母に援助を申し出た。
母は苦い顔をして、勝手に金額を決めて援助した。
しかし僕は納得できなかった。
僕という人生を狂わせた代償を払わせたかった。
だから金額を納得いく金額まで釣り上げた。

そして何年か母の援助と障害年金とで生計を立てていた。
母は言った、
「金額もう少し安くできない?」
僕は突っぱねた。そして援助しないつもりかといった。
母は、
「援助は最後までします」
と言った。

しかし母というのは最低に輪をかけて最低な人間だった。

援助を唐突に打ち切られた。
そして失踪した。

その後、僕の知らないところで父との離婚調停の裁判が始まっていた。
そう。
そこには僕という存在はなかった。
僕を無視した形で行われた裁判。
母の自分のやってきたことをどっかに忘れた、自己弁護の自己保身、そんな言葉だけが並びたてられていたらしい。
それを真に受ける裁判官と父。
そして母の言いなりになる父。

僕には保険が掛けられていた。
しかしとあることから借金をしてしまい、自己破産した。
その時、母は保険があるとまずいからということで僕の名義を父に変えた。

離婚調停の裁判での母の主張。
その保険金全額よこせ。
解約するから全額よこせ。
だった。
そして父に与えられた条件。
今まで住んでた家は父にくれてやる。
だった。

父は家があるなら住むとことに苦労はしない。
そして家にある処分したものはお金に替えて寄付でもしようか。
家を売ったお金は自分が介護受けるときにでも使おうか。

父も母も、僕という人間をまったくみていなかった。
あくまで自己保身、自己弁護、そして自分勝手。
自分さえよければすべてそれでいい。
子供のことなど知らない。
言うことを聞かない子供は子供ではない。
自分の人形にならなければ、自分の子供ではない。

それが父と母。

生活保護と障害年金で暮らす子にお金を残してあげようという考えは一切ない。
その保険金を子供にあげて、生活保護から脱してあげようという親心もまったくない。
家を売ったお金を子に残し、少しでも子のために。
そんな考えは彼らにはまったくない考えだった。
あくまで自分さえよければいい。
それが僕の父と母。

齢そう長くない人生を大金を持って、優雅に暮らす。
それしか考えていない。

子供という存在の無視。
それが僕の父と母の姿だった。

毒親という言葉が流行っているが、これほどの毒親というのはそうはいないのではないか。

そう。
僕は毒に塗れた家で育ち、この歳になるまで毒に侵されていた。

母が失踪した時に、一時的に父と和解したつもりだったが、父の本音を知り断絶した。
どちらも自分が一番可愛い。
自分させよければそれでいい。
子供などいない。
なぜなら望んで生まれた子ではないから。

それが僕と父と母の姿。

しかし、これでやっと僕は毒から解放される。
生活は苦しいが、少しでも貯蓄はできる。
やっと自分の意思で自分というものを選択できる。

僕は孤児だ。
父も母もいない。

でもそれでもいいと思う。
それでも立派に生きてやろうと思う。
なぜ生を得たか、考え悩む。
それは仕方ない。
運というものがまったくないのだから。
でもそこから先、なんとか生き抜いていこうと思う。

父と母は生き意地が汚い。
僕より長生きするかもしれない。
子を見捨てた、見捨てられた人間の人生というものを僕は知っている。
彼らは知らない。
だから勝手にするがいいと思う。
老後、周りに誰もいない、子供がいない悲惨さを、自分を他人を、そして子供を呪うがいい。
そして全て他者のせいにして生きるがいい。
それがどんな結末になるか想像もついていないのだから。

僕は僕の人生をやっと生きる。
この歳になっては遅すぎる自分の人生。
残りは少ないと思っている。
でも精一杯生きようと思う。

なぜ生を得たか。
それは考え悩むが・・・
だが、なるべく今を懸命に生きようと思う。

残りの時間は少ないのだから。

なぜ生を得たのか・・・それは僕が死んだら、死ぬときにわかるのかなと思う。
だから、そのときまで考え悩もうと思う。
それが僕という人間の命題だから。


終わり。

本編「野に咲く花」とセットで読んでいただけると、より詳しく理解できると思います。
是非本編も読んでみてください。
これにて「野に咲く花」は完結です。

僕の人生を変えた女性との話はまた別途違う形で発表したいと思います。
それでは。

野に咲く花外伝 ~出自編~

僕はなぜ生まれたのか。
何故生きているのか。
未だにそれがわからい。
この歳になってさらにわからなくなった。
生きていることに意味はない。意味は自分で見出すもの。
それはわかる。
だが僕の出自を考えると、暗闇の中の迷宮を佇むが如くになってしまう。

僕は産まれながらにして死んでいた。
そう、死んでいた。
なんの運命の輪が、運命の天秤が傾いたのか、奇跡的に生を得た。
詳しくは本編の電子書籍に書かれているのでそちらを読んでもらいたいが、僕は産まれながらにして死んでいたんだ。
病院を転々とし、医師が諦めてたその時に息を吹き返し、生を得た。
母も大量出血で生死を彷徨っていたらしい。
医師は言った。
「この子は神に選ばれた子だ」
医師も奇跡と思うほどの生だった。
しかし現実の今。
運がまるでなく、なにもなしていないただの発達障害者。
働くことができず、だた無為に毎日を過ごしている。
書いた自叙伝すら、紙の本では出版はできていない。
そう。運というものがまるでない。
生まれた時に使いきったかのように。
そして僕の人生は運命の輪に翻弄され続けるだけの人生。
自分の意思で選んだ人生ではない。
親の、そして運命に翻弄され流され続けた人生だ。

今という時になって初めて自分の人生を自分で選択できている。
遅すぎる。
運命の天秤の傾き方が違えば、僕はこの世にいない。
いたかもしれないが違った形だ。
だから考えてしまう。
僕の生きる意味、そして意義と価値について。

ある書籍に書いてあった。
母体、特に子宮が傷ついていると、子供が無事に生まれてくる可能性は低くなり、そして母親にも影響があると。
母は僕を生んだ時に生死を彷徨っていたらしい。
僕は死んでいた。

母は15歳で実家を出たという話だ。
父と出会うまでの間に相当奔放な生活をしていたのではないかと推察できる。
堕胎などもしたのではないかと。
そうでなければ子宮が傷つきすぎるということはない。
男性に奔放なSEXをしているとその遺伝子は女性の体に残る。
僕は父に似ているところがまるでない。
僕の遺伝子は誰の遺伝子かわからないし、また色んな男の遺伝子の混合体なのではないかと推察できる。
だからトゥレットというものを発症したのではないかと。
そして傷ついた子宮で僕の命は作られた。
だから僕は死んでいたのだろうと思う。
産まれながらにして死んでいるというのはそういうことなのだと思う。

そして母は子宮癌にもなっている。
そうとうに子宮が傷ついていたのだろう。
しかし生き意地が汚く、いまだに生きている。
その話は次に書くことにする。

母が子宮癌になったときの気持ちは、ただやっと解放される。
これだけだった。
母には死んでもらいたいと思った。
しかし母は生き意地が汚く生きた。
僕は当時残念でならなかった。
その母が僕の人生を狂わせた。
そうだ。
この母は生きながらにして若い頃から最低な人間だったんだ。
そのことにこの歳になり始めて気づいた。

僕が生まれ死んでいたときに心配したのは祖父だけだった。
懸命に祖父は僕のことを生かそうとした。
僕が生まれて嬉しかったのは祖父だけだった。
母からも父からも生まれて嬉しかったという言葉は聞いたことがない。

そして、我が家では恋愛の話と性の話はタブーだった。
母は口を閉ざし一切教えてくれなかった。
父は完全に無関心。
だから僕は自力で性知識と恋愛を学ばなければならなかった。
それゆえだろう。
僕が最初の恋愛で失敗したのは。
そして僕が恋愛がうまくできないのは。
性というのものも20歳過ぎるまでよくわかってなかった。
家でタブーだったから。
なぜタブーか。
それは僕の推察通りだったからだろうと思う。

そして祖父は父と母の結婚に大反対していたらしい。
これも今考えると納得できる。
恐らく理由は二つ。
僕が父の子ではなく、違う男の子で父と結婚。
または所謂デキ婚というものである。
ならば祖父が反対する理由がわかる。
祖父というのは人を見る目にたけてた人物。
父というものを見抜いてたんだろうと思う。
だから反対したのだ。

このことに気づき、僕は誰からも愛をもらっていない。
誰からも愛されてこなかったということに気づいた。

祖母が亡くなる直前僕に言った言葉。
「ごめんね、ごめんね」
そして
「もしおじいちゃんが生きていたら」
当時は意味がまったくわからなかった。
しかし今やっとこの意味がわかる。
あんな不出来な人間の元に生まれてしまってごめんね。
そして守ってあげることができなくてごめんね。
生かしてしまってごめんね。

恐らくそういう意味なんだろうと思う。
「もしおじいちゃんが生きていれば」
そう。
祖父が生きていれば、僕の逃げ場になったかもしれない。
祖父なら僕の父と母を一喝して、僕を助けてくれたかもしれない。
だから祖母は亡くなる直前に僕にそういったのだろう。

そして祖父が他の孫より僕を、僕だけを可愛がった理由がそこにあるのだろうと。
母は若い頃から、そして父も若い頃から、ただの歳を取っただけの餓鬼だった。
そして僕は望まれて生まれてきた子ではない。
ただ出来たから、堕胎できなくなったから産んだ子。
そういうこととだと、この歳になってやっと認識できた。

あまりに遅すぎる認識。

そして僕は産まれながらにして死んでいた。
医者も見放した。
何かの大いなる力が働いて生かされたとしか考えられない天秤の傾き。
これは医師も認めるとこだ。

だから僕は考え悩む。
なぜ僕が生きているのだろいうかと。
僕の生きる意味というものを。
何故に生かされたのだろうというということを。


その後編に続く。
本編「野に咲く花」も読んでいただけるともっと詳しいことがわかります。
読んでいただけたら幸いです。
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