平成の30年間、恋愛小説から歴史小説、評伝、エッセーなど多くのジャンルで書き続けてきた作家の林真理子さん。自分を「怠け者」と言ってはばからない林さんだが、2013年刊行の「野心のすすめ」では、野心や努力の大切さを説いた。昭和にデビューした「女流作家」の最後の世代に、時代の移り変わりはどう映るのか。

作家・林真理子(はやし・まりこ)さん 1954年生まれ。86年に「最終便に間に合えば/京都まで」で直木賞。週刊文春、an・anのエッセーも人気。「元号に関する懇談会」有識者の一人。

 ――東大の入学式での上野千鶴子さんの祝辞は読まれましたか。

 「すごい反響でしたね。恵まれた環境と能力を、恵まれていない人のために使って、というくだりにはとても共感しました。ただ『東大女子が合コンで引かれる』という部分はちょっと……。輝かしい未来が待っているんだから、合コンで引かれるくらい何、って思ってしまいました」

 ――上野さんとは、平成が始まる前の1987年、子連れ出勤の是非をめぐる「アグネス論争」でかかわった縁があります。

 「子どもを職場に連れて行ったら同僚全員が喜んでくれる、それが当たり前だという考えは、今でも違うのではと思います。気に障ると感じる人が、許されない存在になってしまうから。もちろん、母親が働きやすい環境をさらに整えることは重要です」

 ――「アグネス論争」以降、女性は働きやすくなりましたか。

 「私たちの20代は、結婚したら仕事をやめ家庭に入る、という選択を強いられる時代でした。今は母親の7割以上が働いています。セクハラは絶対に許さないという認識が広まり、職場の環境も整ってきました。フェミニズム的な考えが徐々に社会に浸透していった成果だと思います」

 ――このところは#KuTooの議論も起きています。

 「私はそこまでハイヒールを強いられる職場があるのか、とびっくりしました。一方で、女性誌では『8センチのヒールをはける女性になりましょう』と特集したりしている。強制で履くのと好きで履くのとは大違いですが、『靴の次は? 今度は化粧?』と不快になっている男性も多いようです。こういうこと言うから私は『名誉男性』と批判されるのですが」

生気がない若い男性、恋愛も中高年が謳歌

 ――最近の男性についてはどう思われますか。

 「近所で犬を散歩させていると毎朝、若い男性がチェーン店で牛丼を食べている姿を見ます。おなかがすいて食べている風でも、おいしそうに食べている風でもない。つまらなそうで生気がない。私の印象に過ぎませんが、こうした覇気がない男性の姿ばかり見るようになり、この国は大丈夫かな、と思っています」

 「一方で、すごいエネルギーを放つ中高年男性がいると、若い男性がそういうカリスマ的な男性を信奉していたりするんですよ。恋愛だって中高年が謳歌(おうか)しているばかりで、若い男性の童貞率はすごく高いじゃないですか」

 ――なぜでしょう。

 「人間関係や恋愛に臆病になったことの理由の一つに、本を読まなくなったことがあると思います。恋愛を知り、憧れを募らせるとか、世の中にはさまざまな人間がいて、いろいろな考えがあることを知るのは、読書から学ぶ経験が大きいと思うんです。私は書店の家に生まれ育ち、本を読み人生を学んで作家になりました。でも今日も電車で本を読んでいたら、『その物体なに?』みたいな視線を浴びせてくる人がいました」

 ――本を読まないから、人との距離感が変わってきたと。

 「『誰かを知る』ということの意味が変わったように思います。相手の話を聞いて少しずつ相手との距離を縮め、その像を形作るという作業が『知る』でした。今はネットで誰かの情報を7割も得たら『相手の人生をつかんだ』と錯覚する。だから相手をこうだと決めつけ、感情むき出しで極端なことを言える。でも現実の女性との関係や人生には臆病なんです」

 ――「野心のすすめ」は約50万部が売れました。覇気がない男性に向けて書いたそうですね。

 「そうです。一方で、女性誌で『ありのまま』や『自然体』がもてはやされ、野心なんてかっこ悪いといった風潮が続いていたことも気になっていました。『野心オーガニック』というか……。私には『あるがまま』はネガティブな言葉なんです。明日も今日と同じでいいなら努力は必要ない。人は年を取るから、ずっと『ありのまま』ではいられません」

 ――本で伝えたかったメッセージは男性には届きましたか?

 「いやー反応はないですね。逆に40代、50代の女性からはたくさん『読みました』と声をかけられました。『昔読んでいれば』というので、『今からでも遅くないです』と言うと目を輝かすんです」

 ――「野心」を一言で言うと?

 「大きなビジョンを持ち、それに向かって努力していくこと、『このままの自分では嫌だ』と激しく思う気持ちです。私は『何者かになりたい』と山梨から上京しましたが、就職活動で数十社からの不採用の通知を受け、職が決まらずアルバイトで食いつないでいました。家賃8600円の風呂なし4畳半のアパートに住み、貧乏で、恋人もいなかった。当時は野心はあっても、それに見合う努力をしていなかったのです」

女性の生々しい欲望、全部書いた

 ――林さんはなぜ、野心を持ち続けられるのでしょう。

 「私の母は2年前に101歳でなくなりました。よく言っていたのが『あなたたちの世代は努力を10すれば、20も30も得られる、私たちは10努力しても、戦争で2か3しか得られなかった』。大正4年生まれで、子ども時代の児童誌『赤い鳥』への投稿作で『樋口一葉の再来』と言われたこともある女性でした。終戦から8年間、父が中国で行方不明になっていたので生活のために古本を売り始めたのが書店の始まりです」

 「戦争で努力する機会を奪われ、『なぜ私はこんなふうに生きなきゃいけないのか』と問い続けた人生だったと思います。次第に母の言葉の重みが伝わってきて、大きなビジョンに向け努力し続けることの大切さがわかってきました」

 ――そのたまものが、1982年のデビュー作「ルンルンを買っておうちに帰ろう」ですね。

 「それまで女性が語ってこなかった、生々しい欲望を全部書きました。売れるために女のことを裏切っているとか、野放図で自分勝手な女だと批判されました」

 ――女性の内面を解き放ち、共感されたから売れたのでは。

 「誰もそんなこと思っていませんよ。当時、人気急上昇中の女性文化人はよく『私があまりにものんびり屋で、見かねた周囲が助けてくれました』と言っていました。うそばっかりですけど、これが当時の女性の作法でした。『欲しいから頑張って手に入れました、それが何か?』みたいな私はたたかれますよ。でも本当に世に出ようと決意するなら、爆弾を投げ込んで壁をぶち壊すくらいの覚悟がないとダメだと思っていました」

 「直木賞を取ったときも、『話題作りで取らせたんだよ』って公然とけなされました。でもおかげでハングリーでいられたし、もっと努力して成長したいと思えた。平成の30年間、やったことのないジャンルにも挑戦できました」

野心が薄ければ欲望も薄く

 ――右肩上がりの時代だったから、成果が得られたのでは。

 「それは事実だと思います。ただ、今は当時のような男性社会ではないし、自分で起業する女性だって多いでしょう。昔よりも道が開けている面もあると思います。問題は男性ですよね。野心が薄ければ欲望も薄くなります」

 ――実感する場がありますか。

 「私はよく結婚したい女性と男性を引き合わせるんです。女性は意欲的で、相手に合わせて軌道修正すれば結婚生活を営めると前向きです。でも男性は『ピンと来ない』『わかんない』と消極的で、『付き合ってみたら?』と進めても乗り気ではない。なぜこんなに覇気がないんでしょう」

 ――しかし努力や野心が大事と言っても、貧困層も「貧しさは自己責任」と考える傾向がある、という調査があります。

 「私たちの時代と決定的に違うのは、今の若い人たちは貧しくても、豊かさをうらやましがらないことです。うらやましくないなら、社会や政治に文句を言う方向には進まないでしょう。うらやましがらない自分を良しとしているような面もあると感じます。飛行機で初めてビジネスクラスに乗ると『広いなあ、このうえにファーストクラスまであるんだ』と知る。でもエコノミークラスしか知らなければそれが全世界です。こんな例を出すとすぐ、『知らなくて悪いな、それがどうした』とか言われちゃうんですけどね」

 ――「うらやむ」エネルギーも人間の成長には必要だ、と。

 「ええ。私自身は子育ても仕事も経験し、人間を一番成長させるのは仕事だと思っています。嫌いな同僚と同じチームに入ったり、無能な上司に無理難題を言われたりしながら他者と折りあい、乗り越えていく。愛する対象を可愛がるという行為に比べ、人間的に成長するのではと思います」

 ――今も仕事量が多いですね。

 「私は怠け者です。よくそんなに一日中テレビをぼーっと見ていられるなと言われるんです。でも書くことが好きで、そのためにはかなり集中力を発揮できるのがわかった。『好きな仕事につけた幸福は人生の幸福の8割を占めている』という言葉が好きです」

 ――「文壇」という男社会で生きてきたからこそ得た戦略は。

 「働く女性には、ウサギとオオカミ、二つの顔をうまく使い分けてほしいです。仕事の覚え立てのときはオオカミに振る舞わなくても、策略としてウサギに見せる時期があってもいい。その間に体力と知力を蓄えて、鮮やかにオオカミに変わって欲しいですね」

 ――家庭でもそのノウハウが使えそうです。

 「結婚して一緒に住んでいる男性はチームで、敵ではありません。最近、男性が子育てに『協力する』とか『手伝う』と言うと、『あなたの子なのに協力とか手伝うとかおかしいでしょう』って目くじらを立てる女性もいます。でもそこで対決して無駄なエネルギーをそがないようにうまく話し合いながらいってほしいです」(聞き手・中島鉄郎)

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 はやし・まりこ 1954年生まれ。86年に「最終便に間に合えば/京都まで」で直木賞。週刊文春、an・anのエッセーも人気。「元号に関する懇談会」有識者の一人。