2017年03月06日

それでもバイクの駐車スペースは足りない

確かに一昔二昔前の各駅前を思えば随分と綺麗になった感がある

バイクが無いからが多分大きな要因と思われる

本来乗り物はドアツードアが基本だ クルマを取りにいくのに自転車やバイクで行くなんて正気の沙汰じゃないがしかし現況現場の現実はその様だ

せめてバイクは悲願のドアツードアを叶える手段だったが行政の圧力によりそれも叶わなくなった  ここ近年業界の涙ぐましい努力によって高速道路2人乗り解禁になり速度制限も80キロ→100キロとクルマとならんだ

それらは全てバイク屋風情の集合団体の各県にあるオートバイ事業協同組合が更にまとまり全国オートバイ連合の成果です

そして今2輪駐車問題も立ち向かっています

しかるにそのバイクの産みの親たるメーカーは握り金玉で何もしない

毎年のように下降をたどる国内4メーカーの国内需要だが減った減ったと言っても50から125までが凡そ30万台弱それ以上の大型バイクが7〜8万台だから単純計算で1000億からの売上になる そこから1割とは言わないが消費税と同じくらい80億円ほどですね を毎年積み重ねれば10年で800億だから凡そ主たる大都市の2輪P問題はかたづくはずだ

バイクのりはメーカーに対してもっともっと斯様な意見を寄せ訴えて欲しい そうでなければメーカーは自分の産んだ子を知らん顔で夜眠れるはずがない



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2017年03月02日

なぜか埼玉では見かけない

が東京にはかように存在します
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これは浅草のラーメン屋 秋葉原から歩いていきました


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行列のカレー屋
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こういうのも埼玉では見かけません


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2017年02月26日

知事の権限

2輪業界の味方小池ゆりこ女史がブッチギリで当選を果たした そして初登庁の日の都議会の連中の態度は何だ!!私は前々から思っていたが知事に限らず大臣クラスの権限の拡大として職責つまり役の生殺与奪権だ
簡単な話生意気で邪魔な奴は首に出来る 更に報酬の増減決定権を持たせる言うこと聞かない奴は給与半減とか良くやる奴には倍増とかね つまり会社や商店と同じくするということだ 知事と言えば都の最高責任者だが権限は・・・?仁義無き戦いでも名せりふ”あんた!!なんの権限もない親分なら ただの飾り物じゃないの!!言わせておけばみこしだなんて!!” その後、金子信夫が言う”わしがただのみこしかどうか今にわかるよ・・・”そしてヒットマンを使い頭のぼせた子分を殺す まあこれは映画だがしかし確信をついている
ではこれを都議会に置き換えてみれば内田が”知事になりたいだけでなんもしりゃせんで何ができるかわしらがかつがにゃ一人じゃみこしは歩けんだろうが”と言っている そこで小池がヒットマンの替わりに秘書やら参謀やら脇をかためる・・まるで一緒だが手ぬるい 内田が吐いたつばを内田の口へ呑ませて窒息死でも知事権限でお咎め無しにしましょう 殺人は100人まで無罪許可 首切りは1000人まで無罪
と書いたのが去年の8月今日は既に目の前3月で半年強たったわけだが新聞等でご存知のように内田は滅びた 悪が栄えたためしなしの格言どおりになった
写真は全国オートバイ連合代表の吉田氏と小池女史
そうです小池知事は2輪業界の強い味方なのです


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2017年02月14日

高給は出しませんが優遇もしません

2輪業界真冬の時代です それ相応の覚悟をもって臨んで下さい 昇給年1賞与年2なんぞと言う甘い言葉は砂糖が入りすぎです 平成29年はブラックで召し上がって下さい それでもやるという人間にのみ門は開きますが開いても後の保証はありません
で先日ハローワーク昔の職安に求人を出してきました すると応募者は来ませんがその応募者を紹介するから一人30万円くれというメールがきました 職安公認だとかで職安で当社の求人情報を知り連絡してきたのだろう 果たして30万円払って来た人がいつまでまたどれくらい仕事が出来るのか分らないがお願いする気にはなりません
面白い現象にはその会社の応募者の多くが事務希望とあります 昔を思い出しても販売事務員募集とやると販売はさておいて事務をやらせてくれと大勢押しかけてきた
でお宅、事務と言っても何が出来るの?と聞くと簿記も珠算も税務も会計出納も未経験・・・つまり何も出来ない 当時在職の当社事務長はそれが全部出来てさらに現場も出来たし社長である私にたびたびの諫言役もこなし会社を支えた 社長をぼろくそに言って得はないと誰もがいやがる役どころだ それが当を得ているから素晴らしく?
私は怒られるたびに給料を上げた 20年近いまえで月額50万は払ったと記憶する
このように価値さえあれば社会は認めていくらでも貰える筈だ それを安手の求人誌で高給優遇とやりつられてくる輩と組んで何が得られよう?
従って当店高給は出しませんが優遇もしません
さあ本気なら当店に来たれり・・・・・・・・・・・・・・



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2017年01月03日

興心塾

新年にあたり少し昔の話を書いてみました
秋田光成という50年以上昔の当時27歳くらいの方が塾長として開塾されていた 15歳未満を対象とした不良少年保護センターだ 最近覚えたが英語ではリフォームスクールというんだそうな・・・なるほどと思わせる表現だ 14歳以上の未成年者が罪を犯すと28日満期の少年鑑別所に送致されて文字通り鑑別され開放かはたまたその先の少年院送りかになる まあ少年院となれば凡そ1年くらいは塀の中だから永い そしてその少年院も初等中等高等果ては少年刑務所まで登りつめてゆく では不良少年保護センターというのはどこに位置するかというと冒頭記したように15歳未満を引き受ける場所なのだ 流石に十派一からげで不良少年は小学生も中学生も高校生またそれ以上全部一緒とはやらない で話は戻り秋田光成氏は生家が千葉のど田舎で数万坪所有していたうち2万坪を野球のグランドとして学校等に開放していた
更にあまる土地に前記の不良少年保護センター興心塾を開設していた
疑問に思われるでしょうから解説すると野球は氏が青春を賭けたスポーツで巨人の入団テストまで受けたが生来の上がり症で熱くなると球が見えなくなってしまう
当然不採用だがもうひとつある身長がギリギリ170センチあるかないかで規定を満たさないのだ 人生を賭けたテストに落ちた氏が選んだ次の人生はやくざの親分だった 新宿歌舞伎町で肩で風切って歩き毎日ケンカ三昧だがこのやり方が変わっていて一度も勝ったことがないというものだ 相手が何人でもどんな強い奴でも子分を呼ばず一人で戦った結果だ やがて生来やくざには不向きな氏は足を洗い前述の人生に転換した 当時自分は少年保護センターの生徒としてではなくその生徒の脱走追いかけ人として働いていた 逃げたぞ!脱走だ!トンコだトンコだ!!と半鐘が鳴るとあらきと立て札一枚の成田線の単線の線路の上を追いかける 線路に耳を当てるとどのへんか分る 逃げる方向は決まっている 成田方面に逃げた奴はいない 柏松戸東京を目指すのだ 何故線路を逃げるのかは簡単だ 線路沿いには交番も地元の店も無いからだ 8割がた柏の手前で捕まる
塾長は方針として塀を作らず格子も作らない 逃げやすい環境をつくるが近隣の同施設より脱走率が低い これは今でも考えさせられるところが大きい
でそのトンコした奴を捕らえて”こらあオメーなんでトンコしたんだよお”というと
施設内の古参者による暴力に耐えかねてか純然と家に帰りたいのいずれかだった 後者は自分には解決してやれないが前者はできる ”誰がオメーをぶつんだよ”と聞いてもなかなか言わない チンコロ(告げ口)が分るとまた凄惨な暴力が待っているからだ ”大丈夫だオメーの身体にゃ指一本触れさせねー塾長に頼んで今夜から俺もオメーらと同じ部屋で寝るよシゴキが始まったら大きい声で俺を起こせヤローぶっ飛ばしてくれる”自分にはいじめてる奴の見当がついてたからそう言えた 流石にトンコしたもんもうなずいた 悲しいことかも知れないが暴力を治めるには更に強い暴力なのだ  時計を見ると午後3時を回っていた駆け足に脅かしだから昼飯も忘れて急に腹が減ってきた 二人で食堂へ飛び込む 食べたいのはカツどんだが金が足りない 二人で玉ドンだ その生徒は玉ドンの中へ涙を沢山こぼしてスープ風玉ドンのようになっていたのを覚えている
夜には塾長を訪ねて昔の子分が金をせびりによく来ていたのを見たものだ
そんなやくざを飯と酒に帰りの小遣いまで持たせて最寄の駅まで送らせていた
随分前に懐かしさに訪ねたが不在でグランドもセンターも今は無く様変わりしていた
今も尚ご存命かは知らぬがこの方の生き様から教わったことはいまでも脈々と自分の中で生きている 興す心の塾・・・興心塾といいました


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2016年12月31日

1年の垢は岩盤浴で

とばかりに定宿の西川口天然温泉湯の郷を訪ねれば満員御礼で洗い場も戦争状態 まあ土日祝祭盆暮れ正月GWというのはお勤めの方々には定められた休日でみなが集中するから仕方ないね しかしわがままが服着て歩いてるオイラとしては辛抱できないで他を探す・・・・ありました1軒穴場が東武東上線みずほ台駅の程近くで空いています じゃ何か悪いのかと聞かれそうですが岩盤に関してはぴか一です 風呂は人工温泉だが岩盤は数種類もあり中身も濃い 空いた静かな店内に疑問を感じてマッサージの方に尋ねると”小中学生及び未就学不可にしてるからうるさくないんです”という しかしこの客の入りでやってけんのかね?と余計な心配を言うと”いまんとこ大丈夫そうですよ”と笑う 岩盤の室内に入るとやたら若い女性が多い 流石にその隣は遠慮して離れたところへ寝る 5分もしないで体中汗ビショになる 凄い岩盤だ あの癌をも治すことで知られる有名な秋田県の玉川温泉はやはり岩盤の効能が優れているとか 最も玉川は人口ではなく天然の岩盤で洞穴まであり中は主のような人たちで占領され昨日や今日きたての新顔には入れない その主たちはそこで寝泊りをし煮炊きをして暮らしているようだった トイレは近くに公衆があるから旅館へ泊まらずとも洞穴で雨露しのぎ中は暖かい岩盤だから常夏なのだろう で埼玉へ話が戻ると何もみずほ台まで行かずともさいたま市桜区と橋一本隔てて背中合わせにお風呂の王様とか新座には有名な新座温泉がある もっと言えば桜区のごみ焼却場の熱利用の大型風呂ができてて市内在住者は100〜200円で入れる
一度行ったが安さに溢れかえるばかりの人ごみで凄かった
風呂と岩盤が離れていて予約の上着替えて来いというものだった
一度風呂で濡れた身体を拭いて着替えてまた岩盤で汗になればどうすれば良いんだと尋ねると 心配なら先に岩盤から入れと言う・・・
流石に公営になると風呂もこう不便になるかと諦め再訪する気にはならない 30日に前を通りかかったら休みと書いてあった う〜ん公営だ
で1000円くらいとられるけれど2〜30分片道かかるけれどオイラはみずほ台に通う


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2016年12月24日

無我夢走

   大久保力氏の「無我夢走」 

の感想をご報告します。 

 

当初この本をお借りして翌日から読み始めましたが約半分のところでいったん止め、私が昔に読んだ大藪春彦氏の 

汚れた英雄」等々、梶山李之氏、片岡義男氏等々のバイク、車の本を読み返してしまいました、なぜなら、、、 

 

大久保氏が冒頭プロローグに書かれている「フィクションも演出もなく、その当時を忠実に描かねばならないと思った。」と記している!! 

あくまで上記の小説はフィクションですが登場する人物、バイク、車、レース等、一部実在した人物事実に沿って書かれた本と思いました 

 

ならばノンフィクションであり脚色無しの事実を再確認す事でもあり,前出の書を読み直しで曖昧であった記憶をリセットするのにも 

必要と感じたからです 

まだ幼い時の体験と記憶、その後16歳でオートバイに乗り始め前出の本から知り得た情報が複雑にオーバーラップしてしまい私の記憶整理を 

兼ねてですが必要な作業でもありました 

 

私が小1で朝7:30頃から始まるアメリカのストックカーレースの再放送を観たいが為に通学班の集合場所に行かず遅刻ギリギリまでTV 

かじり付きその後全力疾走で小学校まで走っていった子供でした、今でもケール・ヤーボローの名前は覚えているそんな私です 

 

読む準備が整ったところで無我夢走を再読させていただきました 

 

さてこの本をお借りした当日に内容も知らず浮谷東次郎氏と高橋国光氏のお話しをしましたが 

本書1ページ目、プロローグの一行目に国光さんの名前が出てきたのにも驚かされて読み始めます 

大久保力氏は幼なじみのご近所さん、知人でありその後2輪4輪のレース界で同じ時代を過ごして 

いかれたことに更に驚かされました 

私の生まれは1961年ですが母方にスバル360をやたらと好んでエンジンを積み替えて 

親戚が集まる度に自慢していた自動車屋勤務経験者だった(おそらくリキ氏と同年代)の叔父がおります 

何台もスバルを中古で乗り継ぎトヨタのパブリカも何台か、その後コロナ1600GT 

新車を乗っているのは全く記憶にありませんがいつも中古で何だかんだと車自慢、改造自慢をが 

懐かしく思い出されます 

おそらく叔父はリキ氏のレース活動をオンタイムで観ていて憧れていたに違いないと思います 

第一回日本GPで活躍したスバル360とリキ氏はきっとトップスターのように思っていたのでしょう 

ですからスバル360パブリカ等リキ氏がレースで乗った車を憧れ、所有したのでは。。。何か不思議な気持ちで当時を思い出します 

この時代何もかもこれからでモータリゼーション国民車構想等という言葉が、新しいモノの始まりが当たり前だったこの時代に突如なにも基盤がない日本に於いてレースが始まった、そのスタート時から関わっている事に並々ならぬ ご苦労があったようです 

また、海外レースにもいち早く参戦するなどパイオニア的存在でいらしたのは知っていましたが 

ここまでの活躍をされていたのは存じ上げませんでした、マン島TT同様マカオGPなど市街地レースで危険な レースを経験しフォーミラーカー好成績を残し活躍されたのは知りませんでした、今でもマカオGPはクラッシュが 

多い危険度の高いレースなのは周知の通りです 

ご商売でもレーシングショップ、レースでのマネージメントもされていたと知りました 

その中で国内の未成熟なレースの規定=レギュレーションや運営についてモノ申す!と言う姿勢は昔らあったのでしょう 

皆を代表して先に立つ!行動力は自分で何でもやってみる、前出の海外レースもメーカーは乙仲業者を使うが個人の大久保氏は 

全て自分で一からやり遂げる、当時の貿易、経済の状況を考えるとそのパワーが凄かったようですね 

後に国政に興味を持たれた際、私達もほんの少しお手伝いと言うより盛り上げ役で北浦和のホテルアクロスでリキ氏講演の 

お手伝いをさせていただいたのを懐かしく思い出しましたが何かしなくてはと思うと計画性がある具体的な行動に踏み切る 

決断力のある方だなと思います 

今、二輪離れマイカー離れがあるようにその昔も石油ショックの中ではバイク、クルマ、レース等は非国民と槍玉に 

悪者扱いされアウトロー的な集団にレース業界は位置していたのは今も昔も変わらないなかご自分の将来とこのレース界 

そして2.4輪業界の関連産業の事を考え生きてこられた方だと思いました。 


当初からリキ氏の関わっている人物が皆さんすごい
!! 

浅間火山レースから始まるが 伊藤史、田中健二郎、高橋国光、生沢徹、鈴木誠一、砂小義一、浮谷東次郎 、寺田陽二郎、片山義美、北野元、長谷見、黒沢元治、望月修、田村三夫星野一義、神谷忠、風戸裕、益子修、津々見友彦、見崎清志、館信秀、都平健二 、長坂尚樹、神谷忠、根元健、、、、、、、、、、、、、、、、挙げればきりがないです 

              (文中に記載されている方々) 

 

1990年代には私もレースでお世話になった、関わりを持たせていただいた方がいらっしゃるいますが今はチーム監督 

ショップ経営者、レース界でのご意見番的存在の方ばかり、、他界された方もいらっしゃるが凄い方々です!! 

上記の方々を身近な二輪業界で誰に例えて言えば偉大さが伝わるか、、、、、、申し訳ないが例える方が今いらっしゃらない 

野球で言えば大リーガー野茂やイチロー、サッカーで言えばヨーロッパリーグの本田、長友々等、日本人ので 

世界に通用する知名度のある方々ばかりで国際的にも当時活躍された 

日本においては今も自動車業界やレース界では多大なる功績と影響力のある方ばかりでHONDA無限の本田博俊社長 

初代ヨシムラ社長POP、斉藤隆夫氏とも親しくお付き合いがあったようで大久保力氏の今更ながらにレース界の 

レジェンド的存在が分かり改めて驚かされます 

 レースは危険なモノといってレース中の死、怪我は承知の助太郎と言った風潮は今でも残っているが 

車両の安全規定、レギュレーションの不備な中で上記の名ドライバーの中で命を落とされた方々の事故を 

小中学生の私もTV中継を通じて見てきた、それらについても描かれているが酷かった環境の中で前に進む事と 

改善と努力をなさった知的なレーサーの一人だったと感じました 

先に記したドライバーの中で不幸にも命を落とされた方が多数いる、そして尚も自分はその世界で生きていく 

さっきまで」「昨日アイツと会って話していた」、、、奴が突然亡くなるという経験に麻痺してはいけない 

と自覚されていたのも危機管理が自分コントロールができた方だと感じました 

そして私も正にと同意」する一節が出てくる、リキ氏曰くサーキットを走る者「臆病で注意深く怖さを知っている者が向いている 

間違っても命知らずとか怖さを知らない者には走らないで欲しい」度胸試しでも命知らず自殺願望には近寄ってもらいたくない 

のは私も同じです 

ライダー、ドライバーにはバイク、クルマの状態を言葉でエンジニア、メカニックに伝える能力が必要とされる 

其れができる、できない、上手い、下手がいる 

リキ氏はとても上手だった選手でありテストドライバーでもあったのだろうと思います

 

そして本能だけで速く走れるタイプ、理路整然と分析しながらレースでも戦える頭を使った走りができるタイプで言えば 

後者であったに違いない 

 

ブリジストンのテスターや数々のワークスドライバーも経験し尚かつ雑誌の仕事もこなしていたことでも分かるが 

本書を読むと尚も納得、知性派ドライバーですね 

 

この書を読んで思ったのは殆ど4輪のレース活動のノンフィクションです、箱=ハコ車=一般自家用車を改造してのレース 

フォーミラーカー(代表的にはタイヤがむき出しのレース専用車)、レーシングカー(ボディーはあるがレース専用車で 

タイヤが隠れているカテゴリー)その様なクルマのレース活動がメインであったようです 

 

晩年には入り香港〜北京ラリーにHONDA CRXで2年連続で優勝したり最近でも2013年(平成25年)に 

招待選手としてマカオGP60周年記念マスターズレースに参加されたのは驚きです、御年75歳の大久保力氏は2度の 

心筋梗塞を患っていたのでレース前のメディカルチェックをパスしなければレースには参加できませんでしたが3ヶ月の 

自主トレ自己管理で出場、見事完走、最高齢賞を受賞したとの活躍です 

まだまだお元気でこの業界に何らかのかたちで関わりをもっていらっしゃいますそしてこれからのレースと言えばもっと 

クルマに興味をもってもらわないと今のレースファンは、ドライバーやスポンサー企業やメディアの人気で成り立っていることを 

危惧しています、確かにその傾向は私も感じますがリキ氏はクルマの性能、メカニズム的な興味をファンが持たないととも 

話しています。。。。。魅力があるクルマが限られて少ない、あったとしてもそのクルマは高くて買えないとなれば興味を持つことはなかなか 

難しい、魅力がある国、社会、経済、個人消費力がないと趣味のバイク車にまで若者も興味を持たないのでは 

 

団塊世代の層も経済力も最近下降線だと思うのは私だけでしょうか 

 

さて話は戻りますが本書はその様なレースの様子を事細かにマシンの調達、仕様、人間関係、コースレイアウト、レースの実況、リザルト まで正確に描写しているので読む方はそれなりの知識とレースに対する興味が無いと正直途中で「積ん読」になってしまうでしょう 

詳しいことが分からなければ読むなとは言っていませんが、これからのレースの行方と同じで「皆車を詳細に好きであれ!」のような 

本に仕上がっていると思います、専門的に特化していると言うべきですね、なので細かい注釈を入れての感想はこのメールのざっと50倍ぐらいに 

なってしまい書き直しました 

 

ちょっと端折って抽象的かもしれませんが・・・要点が掴めず話の落ちが無い感想になってしまうと思いました 

後は本をお返しに伺った時にでも口頭でお伝えすることがあればと思います 

 

 

本書とは関係ありませんが私の後輩松下佳成(松下ヨシナリ)がマン島TTに3度参戦した内のいずれか応援に行って下さったり 

葬儀の折も南浦和の斎場までわざわざおこし下さり感謝しております、おそらくマカオGP60周年記念レースの準備でお忙しかったのでは 

ないかと思います 

 

 

重ね重ね遅くなりましたがご参考になれば幸いです 

つたない読解力と文章で何の役にも立たないのではと思いますが先ずはメールでご報告します 

 


以上はトンボイ南浦和店元店長現パラガンレーシング代表 三浦 憲夫氏の記述を引用させて頂きました

 

 

 

 

 

 

                               

 


 

 

 

 



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2016年12月18日

タコス

古い話だが1990年〜26年前自分40歳の時にひょんな縁でバハカリフォルニア1000マイルラリーに参戦した 五十嵐君という当店の社員と故・小谷君というユーザーに自分の3名でチームを組んだ ATKというアメリカの数少ないバイクメーカーのオーナーであるケンの招聘による参加だった サソリとガラガラヘビの名所を1000マイル1600キロだからさいたま市から長崎より遠い距離を走る まあ最も完走できればの話だが私は2番手で砂漠の中でドラム缶の焚き火で身体を温めてはコースに戻り1番手を待った やがてそこそこの順位で1番手は到着しバトンを受けて私の出走だが多分参加者の中で当時40歳の私は地元新聞社が沢山写真を撮りにくるくらい年寄りだったようだ ハウオールドアーユー?を連発される
指を4本かざしフォーティと伝えると一様に驚きの表情を見せるからそういうことだったのだろう レース前日まで練習日プレランで日本から全財産をはたいて人生を賭けて参加してきたという若者に出会う 彼らは練習に余念がない こちらはと言うとビール三昧で練習どころではないが皮肉なもので本腰入れた彼らはプレランで転倒骨折し本番棄権となる ビール三昧の我々は(といっても呑んでるのは私だけだった)無事本戦参加できた 出走直前にそんな思いが頭をよぎる 私の念頭にあるのは完走の2字だけだ 折角日本から金も時間も使って参加の小谷君にバトンを渡さないと彼はなんのためにメキシコのサソリとガラガラヘビの名所まで命がけできたのか分らなくなるからだ 従って私の作戦はジャンプの場所では手前で飛び降りてバイクと共に駆け足で超えるという方法だ
カッコワルイといえば最高のカッコ悪さだがそれしか手が無い 次いで直線は時速40キロくらいだからアクシデントには巻き込まれない コーナーはというと20キロくらいで周る 後続車はあきれ返った顔で人を覗きこみながら物凄い速さで抜いてゆく しかし先々で彼らは転倒していて亀の子の私が先にゆくことになる こうして無事第3セッションまで走りきり小谷君にバトンを渡すと私は、ほっとしてその場へ倒れこんでしまったのを覚えている で最後談だが小谷氏はその後いくらも走らずに崖から海へ転落してしまい 待機の吾々はまんじりとして一睡もせず安否を気遣い情報を待った 不幸中の幸でやがて夜明けと共に小谷氏はレース主催者側のジープに乗せられ無事を待つ吾々のところへ戻ってきて怪我もたいしたことなく手当ても済んだということだったレースのことはさておいて準備期間中レース中終了後と10日間近い日にちをメキシコで過ごした 毎日チップにあの辛いソースを漬して食べ 飲み物はコロナビール 仕上げはタコスだった 飽きもせず毎日よく食べたものだと思うが やはり本場のメキシカンは大変美味しく病みつきになった で時はめぐって2016年8月つまり今年の夏の話になるポートランド郊外で見つけたメキシカンに飛び込み夕食としたときのこと トルティーヤ(タコスの皮)がホームメイドと謳っていたので私は店に入り座ると即座にトルティーヤをくださいというとお店の人は困った顔だ 今考えれば当たり前で餃子の皮だけくれと同じだからだ 店のママさんはしばし私と会話を試みたが通じないのが分りあきらめ顔でキッチンのほうへ戻ったがほどなくしてその
トルティーヤで包んで食べる料理を持ってきてくれた。うまかった トルティーヤと中身の具は4個分だが2個で満腹になる
あと2個は持ち帰ろうと包んでおいたがトイレから戻るとかたされてしまっている 言って出してもらおうかとも思ったが方針でテイクアウトは衛生上させないのかなとも考えやめることにした
宿から小一時間のとこだが又行きたいと思う お店の人たちも大変気持ちよくマスターやママという感じの2人は入れ替わりにどうですか?と聞きに来る 右の親指を立ててイッツアベリーナイス
ベリーベリーグッドと言うと腹から嬉しそうだ
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このメニューは日本は東京代官山で本格的なメキシカンが食べられるというお店のものだ 一度もいったことないが行きたいですねえ



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2016年12月17日

中華街

久しぶりに横浜元町チャイナタウンを歩く この日は電車で石川町下車という普段のクルマペースと異なり勝手違いから裏手のほうへ迷い込んでしまい 写真のような貸しビルにぶつかった 5〜6階建ての相当なビルで一棟まるごと一社で中国料理店を営んでいたようだ 通りすがりの私には事情は分らないが先年サンフランシスコのチャイナタウンの寂れように驚きこんな感じの張り紙が随所に見かけたのを思い出してしまった
シスコの場合は隣接してイタリアンタウンがありそちらは大変活況を呈していた この先、浜の中華街がどうなっていくのかは分らない 平日でも結構な人波で溢れていて見たところ寂れた感じはない そしていずこも同じだが同じ中華でも行列ができているところもあれば呼び込みに必死だが店は閑散としているところもある 昔もこんなに呼び込みなんてあったかなあと思いながら 加賀町警察署待ち合わせゆえその近くの小さな中華屋に入り人を待ちながら外が余りに寒かったので熱い紹興酒を頼み餃子を食べる 20人も入れるかという店内を見渡すと5分くらいの入りで風情が地元の人たちという感じだった 
期待もしていなかったが思いのほかうまい 
観光客の多い場所だけに地域密着型の店はリピートが命だからそういう努力をするのだろう
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2016年12月11日

交差点の合理化案

信号が青になるが遅々として前のクルマが進まない ある交差点で左折しようとしてのこと よく見ると歩行者が横断中だ 5〜6台並んだ左折車だがヒト信号で3台も曲がれればという感じだ 結構若いもんがよたよたと遅く歩いていたりする 女子供に年寄りは別として若者には全力疾走をお願いしたいと言いたいとこだがせめて小走り早足で渡って欲しいものだ
これをアメリカ式に見習えば歩行者は渡るときだけ押しボタンで一人渡りきる時間のみクルマを停めることができる 日本のように誰も歩いていない歩行者信号をただ警察怖さに無為に待機というスタイルは無い
次いでご存知アメリカ合理主義で右折は左からクルマがこなければ曲がっていいよだ 日本はレーンが逆だから左折になる 以上の2点だけでも交通は大変スムーズになるはずだ 話は飛んでマックやケンタ等のドライブスルーは大変便利で最近では葬式までドライブスルーがあるようだ
本田宗一郎は偉いヒトの葬儀でクルマが大渋滞するのを嫌い儀礼を排した どうしてもやらねばならぬエライサンや有名人の葬儀ならドライブスルーがよいと思いますね 関係ない人たちには迷惑なだけだから
それと最近はコンビにのおかげでトイレが大変楽になり助かりますが
高速のSAでトイレでせずに芝のうえ等へ放尿するヒトがいて弁を聞くと便所は臭いからいやだ表は気持ちいいというのだ・・・・・
なんという愚かな話かみんながやりだせばあちこち臭くて汚くて歩けなくなる これには死刑!!
アメリカでハンディキャップに駐車する健常者はまず見たことがないが日本ではまま見かける こういう輩にはハンディキャップの気持ちを分らせるために足でも鉄製の型をはめて曲がらない刑を与えましょう
悲しいことに4輪ではないが3輪つまりトライク等のユーザーに結構いる
一緒にツーリングしたときのことだが私はバイク屋としてお金をいただく立場ゆえガタガタ言えない そのうちお一人は塀の中でお努め中で
もうお一人は背中の唐獅子を背負ったままお亡くなりになったんでしばらくはハンディキャップも空くでしょう
ま冗談さておいてこのように皆で考え実行者を選挙で選べば私たちの街の交通はとても良くなると思えます
最後に少し話はずれますが歩行者優先と言うことのあり方に一言
歩行者優先ということは大賛成で先年中国旅行した際に歩行者不優先という現実に直面、命からがら広い中国の道路を横断したのを覚えています タクシーはまるで仇でもみつけたかのように突っ込んでくるブレーキなんぞ付いていないようだ 歩行者は100メートル10数秒という感じで渡る まさに戦場だ 今思い出してもまた行きたいとは思わない 良かったのは中国料理とカラオケくらいだ で余談からもどって歩行者は歩行者優先を履き違えていると自分には思える どんなに法律で守られていても所詮生身の人間 バイクやクルマは愚か自転車にやられてもひとたまりもない 歩行者で運転もする人はまだ良いかと思うが全く乗らない方の場合 クルマやバイクから見て自分がどのように見えているのかいないのか分らない 雨夜暗い道で黒っぽい服を着た人間が近づくまで分らずドキッとしたドライバーは多いのでは? 防衛のための方法として例えば照明を前後ろに光らせて歩くとか 体験から防衛策を講じ実行する
当たり前の話だが自分の身は自分で守るということに尽きよう


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