2008年09月30日

少しずつ思い出して来るが?

 マイフェアレディ ・ 日劇ミュージックホールに居た頃、ソロダンサーで「代々木明子」という滅法女らしい娘(こ)が居た。

日劇ダンシングチームの古い方の部類に入る所謂古顔で、演出家の岡田恵吉氏お気に入りで細身のカラダがなんとも言えない。

ある時の公演で「マイフェアレディ」のタイトルでのソロを踊ったが、その頃「マイフェアレディ」なんてのは恥ずかしいが全く知らなかった。

 赤坂に「ミカド」という「でかい」クラブが出来て、我が照明関係からも給料を2倍出すと言われれば引き抜きに応じて仕舞う

只でさえ技術屋が居ないのに6人も持って行かれたら本家の方がガタガタだ。

当然彼女も連れて行く。最初は景気が良かったらしいが、最期は惨めに閉館の憂き目に晒される。

 日本初上演、本格的ミュージカルとして導入したのは、「東宝」の劇作家であり、演劇担当重役の「菊田一夫」である。

マイフェアレディ」「ハロードーリー」等々。

前出の様に「マイフェアレディ」の出演者、ヒギンズ教授「高島忠夫」、イライザ「江利ちえみ」、ピッカリング大佐「益田喜頓」、ドゥリットル「八波むとし」の面々」、1963 年(昭和 38 年)のことである。ここでまた、日本初の「同時通訳」的なハナシがあるが、項を改めて、その話題のみを投稿する事を約束する。

 1964 年1 月 9 日、自分は変電所勤務で宿直で仮眠、夜中の 3 時半頃、叩き起こされた。

何事ならんと飛び起きる。会社の関係重役から上演中のスタッフ連が寒い中揃っている。

八波ちゃんが、神田黒門町の都電停留所のコンクリート囲いに激突、急死、急遽代役に「東宝現代劇」の子鹿 敦 が起用され、これから舞台稽古をすると言う。 

 穴をあけずに公演を続けることが出来た。

 子鹿は後に「番」と改名したが、八波と背丈は同じくらい、一寸低かったかな、矢っ張りスケールが違っていた。

誠に残念ながら 2004.4.29 に急性腎不全のため 74 才で死去された。

 此の「東宝現代劇」という集団も、菊田先生の発案で、主役こそ居ないが、脇をしっかり固める役者が揃っていて、現在も皆活躍中で、森 光子の記録破りの「放浪記」などでは共に頑張って上演を続けている。

 もう昔のハナシだが(尤もこのブログは主に昔のハナシしか書いてないが)東京宝塚劇場で、菊田一夫作の「敦煌」というスケールの大きい演しもので、「池部良」主役で何日も稽古をしたのだが、先生は気に入らない、徹夜までしても納得できず、とうとうしびれを切らし下ろして仕舞い、現代劇の「井上孝雄」にやらせた。

彼は池部より背は低いが面長の男前、演劇的素養はタップリあるからOKが出た。

誠に残念ながら井上孝雄は数年後病でなくなってしまった。

 子鹿 番も前述の様に姿を消したが、マイフェアレディ出演の折りの八波むとしともども、ドゥリットルが歌う「運がよけりゃ・・・」の歌声は未だ耳に残っている。

      teruakali

 

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teruakari_2008 at 16:41コメント(1) 

コメント一覧

1. Posted by 熊木一邦   2014年11月20日 14:51
2008/9/30の少しづつ思い出して来るが?を拝見いたしました。代々木明子(熊木菊子)昨年12月25日他界いたしたことをご報告いたします。今は、父、鮎川浩(熊木中庸)と兄と妹一緒に仲良くしているでしょう。私は58歳ですので、滅法女らしい娘を知りませんが、滅法気風のいい叔母でした。
猫が大好きで義理堅い姉さんですね。若いころを観てみたいものです、照明のあたっている姿を、一度だけでもいいから。
若輩  熊木一邦


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