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国分寺にお住まいの、S様のお宅を訪問した。存じ上げなかったのだが、伊勢神宮崇敬会で、かなりのお立場にある方だった。
奥様にお茶をたてていただき、また大変な、ごちそう、おもてなしをいただいた。ご主人は、陶芸で内閣総理大臣賞を受賞なされるなど、まあ、なんと申しますか、若輩者の若造は、恐れ入りましたの状態。
いろいろなものを拝見させていただいた。伊勢神宮の式年遷宮や毎年の折々の神事、行事に使われた神具など、崇敬会の方や、神職の方は、お下がり(?)でいただけるようだ。話や言葉では知っていたが、今でも織物、反物を毎年献上されている方もいらっしゃる。1000年も前の税金というか献上の品に、織物があったことは教科書では教わったけど、その流れが延々と生きていて、しかもその実物のお下がりを拝見する機会になんて、卑賤の出で、コンピュータを生業としているような俺は、普通は見ることはできない。
式年遷宮の時に使われたという緋の織の切れ端があった。細かい文様で、鮮やかで。拝見した時、どこかでみたような、触れたような空気があるなあと思ったが、その場では思い出せなかった。

帰宅してから、キーワードで手繰り寄せる。そうだ、これだ。
50e72150.jpg斑鳩の中宮寺の本尊の下手には、国宝の天寿国曼荼羅帳の複製がある。オリジナルは国立博物館の中だ。聖徳太子の亡くなった時に、后の橘大郎女が作らせたもので、けして保存状態は悪くはなく、当時の美しさを思い起こせるものだ。
しかし、いかんせん時代が時代。退色しているのは否めない。
伊勢神宮ゆかりの緋の織を拝見した時に、きっと当時はこの天寿国曼荼羅も、負けずに鮮やかなものだったんだろうなあ。技術もきっと繋がって伝承されてきているんだろうなあ。今も、お伊勢の神職、崇敬者、理解者がいて、守ってこられたものなんだろうなあ。

天皇陛下バンザイなどというつもりは毛頭ない。
が、時間軸の流れの中で、たまたま好き物で、文化の継承、技術の継承、それが少しでも感じられるようになっていることをありがたいと思う。