Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

上野哲生:PROFILE
プサルテリー、サントゥール、リュート、サズ、など、様々な古楽系(中東系)撥弦楽器を得意とする。ロバの音楽座、カテリーナ古楽合奏団の主要メンバー。
個人のレーベルMAGI RecordからCD、楽器の音も聴けます。Facebookはこちら
​趣味の動画等もご覧下さい!

「光の君」が今年の大河ドラマで、恐らく紫式部と藤原道長を描くのだろうと想像する。自分の娘彰子を一条帝の妃にし帝の子を成したい道長の策で、当時すでに人気のあった「源氏物語」を書いている紫式部を呼び、彰子の教育係とした。

はじめ帝は年端もいかぬ彰子に対してさほど興味を示さず、一向に彰子の所に通う気配はなかったが、彰子の所には紫式部が居て「源氏物語」の執筆をしているわけで、それが気になり彰子の元へ顔を出す。

帝は初稿を誰よりも早く読める彰子の元に通うようになる。(これが道長の策なのか?)毎日少しずつ執筆をし途中で終っている。結局帝は続きを読みたくて毎日のように彰子の所に通うようになり、やがてめでたくお子が出来た。

 

「源氏物語」は夜伽噺である。光源氏は夜伽を催促するくらい女の添寝がないと眠れない体質を持つ。

書物としての「源氏物語」は帝に対する夜伽を彰子の変りに代筆した様なものだ。彰子から直接ではないにしてもお話しの面白いところで朝ドラのように「つづく」となる。お陰で帝は明日もこざるを得ない。

 

これで連想したのは「千夜一夜物語」のシェヘラザードだ。妻の浮気からの怒りで毎晩処女と結婚しては処刑するという王様から、愚行をやめさせるためにシェヘラザードが名乗を上げる。

シェヘラザードは王に面白い話しをさんざん聴かせて、夜が明けると突然話をやめてしまう。まさに「つづく」で終るのである。結局王はシェヘラザードを殺すどころか正妻として向える事となった。

 

「千夜一夜物語」はサーサーン朝ペルシャ(3世紀〜7世紀頃、現イラン)の話しで、道長はこの話しを知っていたのではないかと僕は考える。それは途方もない話しでも、お伽噺でもない。

 

何度かブログで話題にしたことがあるが、7世紀、イスラムの台頭でサーサーン朝ペルシャは滅ぼされ中国の長安に多くのペルシャ人が逃げてきた。長安の町は多くのペルシャ人でごった返したという話しもある。日本にもその流れがある。鑑真が連れてきた弟子の中にもペルシャ人の名前があるし、帰国する遣唐使の船に乗って何人も来ているし、今ここで詳しくは説明する場ではないので、調べたい人は調べて欲しい。

(↓話題は楽器の事だが個人ブログにその事に触れている)

http://blog.livedoor.jp/tessey49/archives/2018-11.html

 

シェヘラザードの様に殺されるかどうかの事態ではないにしても、子を成すかどうかは道長にとっても生きるか死ぬかくらいの大問題だ。文学を愛した道長の所には紫式部や和泉式部をはじめ日本文学の最高峰を自分の手の内に持ち、史記からインド・ペルシャまで混じった唐=世界の情報を集め、おそらく世界に恥じぬほどの文化水準を握りしめていたのだと思う。僕は当然のように道長は「千夜一夜物語」の概要を知っていたと思う。
 

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この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば

この傲慢とも取れる歌は単に娘たち3人を全て帝に嫁がせて満足じゃあと歌っているのではないと思う。その文化文学世界の情報それらを全て手にした、世の誰にも解らない自分の「知の宝物」に満足した歌ではないのか?

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今年全てのステージが終わった。ロバのクリスマスは全12ステージ。全て完売。面白いように同じプログラムなのに毎回全く違うステージになる。
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これは毎度開場時間にタイムスリップし、微妙に違った世界を新鮮に創り出し繰り返す。そう、これはきっとパラレルワールドに違いない!僕らはこの平和で幸せな光景を何度も何度もその時のみの出来事で体験し続けているのだろう。

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栃木県茂木町を拠点に活動するアマチュア演劇団体「もてぎde演劇を創る会」は、結成10周年を記念し、来年3月に茂木と益子で脚本・演出:江藤寛 作曲:上野哲生、ミュージカル「奇蹟(きせき)の朝に…」を再演する事となりました。
2019年に大田原と茂木で上演して大好評を得て以来5年ぶりの再演となります。キャストにプロも一部加わって歌と芝居に厚みを加えていますが、初めて舞台に立つ人も多いのです。それでも言いしれぬ感動があり、昨年の作品も茂木、益子などのホールで4ステージくらい演ったのですが、噂が噂を呼び昨年もほぼすべて満席になるほどでした。
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脚本も詞も音楽も評判が良く、自信を持ってお薦めできる作品です。初演時のプロモーションビデオもあります。ミュージカルの様子と懸ける熱が伝わります↓。
 

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今年も、我らがダンスマスター・松本更紗の出演する北とぴあ国際音楽祭の寺神戸さん(指揮&Violin)のバロックオペラを鑑賞した。今年は「レ・ポレアード」というジャン=フィリップ・ラモー最後の作品だ。
とにかく素晴しい舞台だった。練習時間と衣装、舞台道具、舞台照明等にもっとお金をかければ更なる完成度の高い舞台になったと思うが、昨今の音楽事情を考えればこれが日本の現段階で出来る最高の舞台だと思う。
毎年の事だが、ダンサーの踊りは語り尽くせないほど素晴しい。バロックオペラはストーリー自体は5分くらいで語れる程度の内容だが、大半は叙情詩の歌と踊りで出来ている。ロマン派のオペラのように叙事や説明が歌になるようなことは多くはない。演奏、歌、踊りが比重としておおよそ1:1:1くらいの割合である。休憩を入れた上演時間が全5幕 3時間15分と。ワーグナーほどでは無くてもヴェルディやプッチーニなどのオペラよりは長い。
とにかく、その3割近くを4人のダンサー(当時は4人とは限らない)の踊りが占めているわけだから、もの凄く大きな比重だ。それは単なる動きでは無く、それぞれの拍の中で、まるで鳥が短く弧を描いてジャンプして木に止るまでの加速減速が音の減衰にぴったり合っていて、それが何とも言えない優雅さを出しているのだと感じた。それはオイリュトミーが音を表現するより遙かに(技術があるからだろうが)空気の流れに従順で、より音楽を視覚化してくれる。
申訳ない言い方だが、合唱団が賢明にぎこちなく動きを付けているが、それと対比して見てしまう。(合唱団は歌は素晴しいので。)
オーケストラは最も大変な役割だ。ほぼ3時間落さずに演奏するだけでも奇跡のような事だ。ホルンはピストンのないナチュラル管でこの作品を演奏するには至難の業だ。それを理解していないと音が外れたとかそちらの方に耳が行く人が多いかもしれない。それはラモーの斬新さから来るものもあると思う。
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今回、ラモーの素晴しさも新たな発見だった。実は僕が大学時代に中村太郎先生に付いて和声学を習ったのはラモーの和声理論だった。現代において一般的な和声理論はモーツアルトの時代くらいのものだが、ラモーはほぼバッハと同じ時代だ。ハーモニーが理論化された最初のものと言って良いかもしれない。なぜハーモニーが自然の生まれたか、そう言った事から始ったと思うが、二十歳前の僕にとって課題をこなす素材でしか無く、このラモーを実際に聴こうとまで興味が無かった。ただ音程と言うものに重力が存在し、この重力が一度不協和に緊張状態になり、それの安定して収る方向に終息するという、全ての西洋音楽の構造を感じ取った意味は大きいと思っている。
実際にレ・ポレアードでは前の和音の音が残り次の拍で解決するという「掛留音」が多く使われていたと思う。出来るだけギリギリまで安定させない意図だろう。この掛留の具合とダンスの終止感が絶妙で、4人のダンサーは恐らくそれを感覚的に受け止めて、終止音とダンスの終止が絶妙の具合で合う。ここが今回の公演で最も素晴しいアンサンブルと感じた。
後、オーケストラで特徴的なのはロマン派以降によく使う、一番派手な部分でストリングスが細かく低い音から高い音まで一気に駆上がる(ジョン・ウイリアムスでT・レックスがいきなり目の前に現れるときの効果に使う)衝撃波が押寄せるような効果を多用していた。こう言った映画的な効果音の様な使い方はあまりバロック時代にはなかったと思う。
とにかく曲が斬新で面白いものが幾つも有った。特に一幕の最後のContredanseと言う曲は、まるでムソルグスキーの時代かと思われるような音程感で、非常に奇妙な音楽で気に入った。とにかく全体は予想を裏切るような展開を見せる曲が多く、音楽だけを聴いていても飽きない。
 
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ソプラノとテナーは直線的な声でハモると素晴しい響きをする箇所が幾つも有った。ただバリトンからバスにかけての歌手は少しヴィブラートが強く、3度でハモるところがよく解らないところがあったが、これがロマン派だと思うとこんなものかと思うが、もう少しヴィブラートを抑えた線の細い表現をして欲しいところも幾つかあった。まあこれだけオケが埋めるように音を出している中ではそのくらい吠えないと声が伝わらないのかも知れない。
レ・ポレアードは玄人受けする作品かと思っていたが、初めてバロックオペラを聴く方々も楽しめる作品と思った。バロック以前の中世ルネサンス音楽を演る者(僕)としてはあまりバロックに接する機会は多くないが、この3時間15分を体験した後でも、すぐにレ・ポレアードを配信ダウンロードして聴きなおすほどの、インパクトの有る作品だった。
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ロバの音楽座というグループに居て、引きこもりに近い僕自身は今までちゃんとロバを見る機会が多くはなかった。
まあロバの知識はあっても、それは想像上のユニコーンやドラゴンやエルフに近い、とても観念的な神々しい存在だった。
自分ではどんな動物か説明も出来るし、実体験が無くても情報として「ロバの歌」に歌われている性格などを感覚的に解っているつもりだった。
今回、ロバの音楽座の尾道ツアーで、尾道のロバ牧場に行く機会があった。
ああ、僕は何も知らなかったに等しかった。ここまでロバを体感したことがないに近い。それはまず複数頭の群れで居ることも大事なことだ。
主人は「プラテーロとわたし」に影響されたと言っていたけれど、まさにあの詩の感触そのままの感じがした。
ロバは色々な性格があり、接していると本当に人間の子どものように我儘でやんちゃで可愛い。
宿泊施設もあるので、近くに行った人はぜひ寄って欲しい。ロバを好きになること間違えない。
HPには写真家の娘さんの撮った綺麗なロバの写真が沢山載っている。
ロバの背中に十字模様が付いているのを初めて知った。ロバがキリスト教に愛される所以だ。
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早々と完売になってしまい、チケットを買えなかった方々は本当に申し訳ありませんでした。当日来ていただいた方々は本当にありがとうございました。楽しんでいただけましたでしょうか?
まさに50年の記念に相応しいコンサートになったのではと自賛しております。
カテリーナとしては通常のコンサートも正味(休憩を除いて)1時間40分ほどですが、同じ1時間40分とは思えないほどの密度の濃い内容で、しかも今回メンバー1名が急遽出演できなくなるという逆境の事態に、編成を組直しメンバーの気持が一つとなり結果最善の方向に持って行けたと思います。
メンバー、ゲスト、観客の皆さんを含め、この希少な形態のグループの半世紀をお祝する気持が、「祝祭」の名に恥じない結果をもたらしてくれたのではと思っています。
驚く事に一晩で体重が2kg減りました。汗をかいた分けでも無く、それだけエネルギーと集中力を使ったと言う事でしょう。
がりゅうさんは「古楽オーケストラが夢だった」と言っていましたが、実際には3人のスペシャリストが増えただけなのに、本当にオーケストラのサウンドになったのには驚きました。まだまだ可能性は無限にあるのだと思います。
個人的にはウードを手に入れ、初お披露目しました。トルコ製のウードはよく響き、本来の鉢(メズラブ)を使うと音が大きすぎ、曲によっては溶け込まないため、サズのピックを使ったりしました。でも響きはふくよかでフレットがないため自由な音程を出せ、70歳を過ぎての挑戦で、更に新しい世界が開けた気がしました。


23カテリーナ「祝祭」チラシ
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太陽劇団の「金夢島」観ました☺️
前回日本に来た時の「堤防の上の鼓手」は文楽を生身でやるような演出でしたが、今回能や狂言、歌舞伎をはじめ、ありとあらゆる日本の文化を表現に取り入れた、美しく何か込み上げてくる様な感動がありました。
1人の療養中の女性がベッドの中で日本を想い妄想する、恐らく舞台はこの病室から一歩も出ていないのだろうが、その白日夢に現在の世界のあらゆる事が展開され、凝縮されています。
3時間15分と言う長い舞台だったけれど、バリ郊外の太陽劇団のアトリエで観た7時間には及ばないです。あの時は字幕も無しで派手な演出も無く、それでも伝わるものがありました。インドのガンジーやネールの芝居で休憩が1時間。インド人に扮した役者がカレーやナンを売っていた。主宰のムヌーシュキンさんがもぎりや案内をしていたのが印象的でした。
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今回この3時間越えの芝居が終わった後、特別に約1時間近く、ムヌーシュキンさん(今年84歳)を囲んだ交流会+この作品に思いと質疑応答がありました。実に8割のお客さんが帰らずに残って話しを聞きました。感想は皆素晴しい舞台でしたと言うのですが、なんか質問内容は「日本文化は雅楽などもあるけどそういったものは取入れないのか」とか「表現にあえて携帯電話をなぜ使うか」とか、通ぶった概念的な質問が多く、もっと太陽劇団自体の活動のことを聞きたいと思いました。
どれも答えに困るような内容が多く答えるのにとても時間がかかり、もう少し時間があれば僕だったら団員の音楽面の事を聞きたかったです。今回団員が歌う歌がどれも素晴しく、例えばビートルズの「ビコーズ」を3人の女性が生のヴィブラフォーンを伴奏に(ほぼアカペラのように)歌ったのですが、これが本当に演劇畑の人達のコーラスかと思う程精度の高い素晴しいものでした。またアラビア語の素晴しい歌や、日本の謡を真似たようなその歌唱力に驚かされ、この様な音楽的素養は元々持って劇団に入ったのか、また劇団に入ってから色々な経験を積むうちに身についたのか、そんなことを聞きたかったです。
今回、異常な量の各国の民族楽器等を持込んで演奏していた、音楽担当のジャン・ジャック・ルメートルの姿はありませんでした。劇に音を付ける彼の姿勢に自分を投影していたところもあります。それだけは残念でした。
うちの奥さんなどは「訳がわからない部分が多い」などといっていましたが、話しを追えば何でそこはそうなるのか解らない部分も多いと思います。まあ僕なんかは言いたかったこと、なぜそこにそうなるとか、そんなことより、「ああ、こう表してきたか?」「おお、こう来るか?」それとフランス語の台詞の綺麗なこと、そこに日本語が絡んでくる面白さ、ある意味取り合せの面白さがたまらない部分があります。
最後に能の舞を踊りながら、アメリカの古いスタンダードが流れ歌われますが、恐らく元の歌に団員達の下手だけど一生懸命に声を出して歌っているその歌が何とも始めて味わう化学反応で、なぜか泣けてきます。途中に一度歌われましたが、最後はこれで締めるかなと思っていましたが、それは見事的中しました。
カメラ禁止だけど、無断で撮った写真は舞台の様子とムヌーシュキンさんとの交流会の様子です。声も録りました。
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放送関係のスタジオ仕事ばかりのお知らせで申訳ないですが、今週日曜日から始るドラマ「セクシー田中さん」と言うドラマで演奏を頼まれ、Lavta、Saz、Santur、を弾いています。
 
昼はOL、夜はベリーダンサーに変身するというドラマらしく、ダンスの伴奏かと思いきやそれは本物のアラブ音楽奏者でやるそうです。こちらの音はどうやらペルシャ料理店の背景音楽に使われるらしいです。予想に反してジャズ風なフレーズが多かったです。音楽は日向萠さん。

ダルブッカと言う言葉が日常的に使われているのが、何とも可笑しい。
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10月14日公開の岩井俊二&音楽・小林武史による音楽映画「キリエのうた」の劇音楽に、中世の曲を2曲をリュートとプサルテリーで演奏で参加しています(一曲はviolに折原麻美さんが参加)。
10/18にはサントラも2枚組みで発売され、おそらく14,15トラックに演奏した曲が収録されます。多分試聴も出来るのではと思います。
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異色の歌手、アイナ・ジ・エンドが住所不定の路上シンガーを演じます。キリエは歌うことでしか〝声〟を出せない。 マネージャーを自称する、謎多き女イッコ。 二人と数奇な絆で結ばれた夏彦。 別れと出逢いを繰り返しながら、それぞれの人生が交差し奏でる〝讃歌(うた)…。
僕はまだロードショーを観ていないので音楽の使われ方も解っていませんが、松村北斗、黒木華、広瀬すず等が共演し、サイトを見ると相当な豪華キャストです。
サントラ情報(10/18発売、試聴可能になっています.14,15トラックで演奏しています)
→オリジナルサウンドトラック試聴


後日、映画「キリエのうた」を覧て
正直、今の日本でこんな映画が作れるんだ、と驚かされた。感覚的にはイタリアの古いネオリアリズムを思わせる。どこか現実の儚さ、やるせなさ、無力感みたいなものが漂い、それが社会に対して歌で痛烈に訴える何かがある。なぜキリエは声を失ったのか、過去と現在を境目なく行き来して、物語のカラクリに徐々に迫ってくる。全体を見ると個別の人間達もそれぞれの世界の中で生きていて、その描き方が美しい。3時間を超える長さを飽きる事もなく、静かに目が離せなくなる。
初めての映画出演、アイナ・ジ・エンド演じる声の出ない歌手の物語だから、それはまさに出ない声を発するだけで訴えるものがある。他にストリートミュージシャンの歌が当然多いわけだが、所々に入るチェロ中心の劇伴音楽が素晴しい。こちらの録音した音はリュートとヴィオール(折原麻美さん)の曲は一度のみだったが、1分に満たないプサルテリーソロは重要なシーンで何度も出て来た。
まあこちらの音が使われた事は、孫が映ったレベルの私事だが、中世の旋律だけに情感的になりすぎない良い選曲だと思う。この現代の路上ライブの音の中に中世の旋律をぶち込んだ事は、この作品の品格を格段に上げている様に思える。岩井俊二監督、小林武史音楽監督(録音時のプロデューサー、昔サザンオールスターズの編曲を担当し評価を得て有名)の意図がハマったと思う。
忘れかけていた震災の心の部分をもう一度掘り起して、今の社会と繋がっていくんだとも感じられた。とにかくこの日本で、こんなある意味古風な素晴しい映画が作れることは誇らしい。 

小学生の終り頃から高校に入る頃まで「0011ナポレオンソロ」というスパイもののTV番組があって、みんな 夢中になって観ていた。
主役のロバート・ヴォーン演じるナポレオン・ソロ(声:矢島正明)と、ロシア人スパイを演じるデヴィッド・マッカラムを演じるイリヤ・クリヤキン(声:野沢那智)の活躍する、もうストーリーも何もかんも忘れてしまったが、とても懐かしい番組を思い出した。
最近デヴィッド・マッカラム氏が90歳で亡くなり、ロバート・ヴォーン氏も既に数年前に亡くなってしまったが、よくよく考えてみると何でナポレオンというタイトルを(日本でのみ、原題はThe Man from U.N.C.L.E.)付けたのか、昔からずっと気になっていたが、ナポレオンの肖像画を見たとき、「ああこれはロバート・ヴォーンだ」と思ったことがあった。その絵と同じ画像は見つからなかったが、骨格がとても似ている。
もう一つ奇妙な偶然だが、デヴィッド・マッカラムは役はロシア人だけど、実際はイギリス人でロシアと関係ないのだが、どことなくプーチンの若い頃と似ている。実際にプーチンはKGBのスパイだった。
当時主役のロバート・ヴォーンの人気を凌いだデヴィッド・マッカラムに、2人の不仲説が流れたが(僕はそうではないと思っている)よく考えたらまるでフランストップとロシアトップの争いのようだ。
サルコジ元大統領は「ロシアとの関係を見直したい」「ウクライナがEUに加盟しないで中立であるべき」と発言し、ブラジルのルラ大統領は「対話を基礎にしなければ和平は長続きしない」と停戦を主張し、とどちらも当たり前の事を言って批判を受けている。
僕の友達は0011が好きすぎて、小学校卒業時の俳句を作って載せたのが、あまりにストレートすぎて笑えて未だに忘れられない。
「アンクルの カッコいいぞい ナポレオン」
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