Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

上野哲生:PROFILE
プサルテリー、サントゥール、リュート、サズ、など、様々な古楽系(中東系)撥弦楽器を得意とする。ロバの音楽座、カテリーナ古楽合奏団の主要メンバー。
個人のレーベルMAGI RecordからCD、楽器の音も聴けます。Facebookはこちら
​趣味の動画等もご覧下さい!

生れて初めて書店に並ぶ本を書きました。ある程度決った筋道に則った企画(シリーズもの)の中での執筆ですが、皆さん、きっと不思議に思われるのは本職の西洋古楽器のジャンルではなく、「和の音楽」だという事です。
これは「イチから知りたい 日本のすごい伝統文化」シリーズの第5弾で「はじめての相撲」「はじめての落語」「はじめて茶道」「はじめての歌舞伎」につづくものです。どちらかと言えば小学校3年くらいから読める本で、全てカナが振ってあります。他のシリーズはすでに人気があり、子どもでもその道の専門家を目指すきっかけになったという話しも聞きます。
他の本と違って難しいのは、まず音楽というものを文章で伝えることです。他の4冊はせいぜい数百年の歴史で、言葉や所作、しきたり、伝統を伝えることですが、音楽、それも神話の時代から現代まで、貴族から武士から民衆から、歴史も解っていない子どもたちにも解るように何を伝えるかが大変な作業でした。広く漏さず伝えようとすると歴史の勉強ばかり伝えなければならず、何かをピックアップすれば、今度は載らなかったジャンルの方からのクレームに合うかも知れません。そもそも僕が書く以上は海外との楽器の伝搬などに触れたくなりますが、あまり突っ込みすぎると編集の方から「難しすぎ!」と直されてしまいます。「ドローン」や「即興」という言葉も説明が難しすぎるという事でカットされました。あと、ひと項目に書く字数は500文字くらいまでとの制限があり、一つの楽器を取ってもこの文字数に収まるほど浅くはないのです。
僕自身和の音楽に関して、箏曲など和の音楽のあるジャンルの作曲依頼はあるものの、学者ではないので全般を体系的に網羅することは出来ませんが、離れた位置から音楽というもの全般を見渡すことは出来るかも知れないと思い、執筆を引受けました。
足らないところはイラストなどで補ってくれますが、構成やデザインまでは関与していません。
難しい部分は編集の方で直してくれるのは良いのですが、意味が合っていても本来のニュアンスと違ってしまうのは避けられないところです。実際に言回しで、こちらが間違った認識を持ってると受取りかねない部分もありました。
それでも、この小さな本の中によくもこの和の音楽という広大なジャンルが納まったなと感心します。きっと他の人が書くより中東やルネサンス・西洋音楽との比較の話しが多いと思います。リュートやウードなどの話も出て来ます。ピタゴラスも安倍晴明も紫式部も童謡もYOASOBIも武満徹も登場します。
一般の音楽の先生が読んでも、初めて知ることも多いと思います。少し偏った入門書でありますが、QRコードでこちらの用意した音源やフリーの音も聴けます。生演奏もしています。本当は著作権問題がなければ本物の演奏や映像とリンク出来ればと思います。売れたら徐々にその辺りにお金をかければさらに良いものになると思います。
書店に並ぶと思いますので、皆さん、ぜひ一度お手にとって眺めてください。
8/26発売開始です。Amazonで1980円、このリンクから購入可能です。出版社:すばる舎
単行本:136ページ ISBN-10:4799112570  ISBN-13:978-4799112571

和の音楽表紙
和の音楽プレビュー

息子・琴久は誰に似たのか、酒飲みだ。
非常に過酷な教員という仕事の最中、唯一心の癒しとなっているのが、温泉と酒らしい。
知らない街でも居酒屋を開拓し、店やお客と意気投合し、2軒目や3軒目に行くことも良くあることらしい。
温泉事情、居酒屋事情は本を書けるほど詳しいが、本人はそれで何かを残す気はないらしい。
半年ほど前に琴久が、
「西荻にお気に入りの店があるんだ。今度行こうよ」と珍しく僕を誘った。
西荻は大学を出て程なく住んだ場所だ。45年も前で、古楽器など、ほとんど知らない頃だ。
西荻に住むことで、ようやく電話番号が「03」になると喜んでいたが、(音楽業界と関係を持つなら「03」の電話番号を持っていないとと良く言われていた。)実際には100メートルほど都内から外れて武蔵野市だった。結局電話番号は「042」のままだった。
「中華なんだけど、豚足やビーフンが美味いんだ。」
「まてよ、西荻で豚足と言えば、あの台湾料理屋か?」
「ええっ、知っているの?」
知っているも何も、45年前、ここに2日に一回は通った常連だった。店がまだ健在だとは思ってもみなかった。
まさか息子と2代に渡って同じ店を見つけて、共有出来るとは夢にも思っていなかった。

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琴久とはなかなか都合が付かず、8月のある日、ようやく45年ぶりの台湾料理・珍味亭に再会した。
先代の親父さんは(当時から歳を取っていたが)流石に亡くなっていたが、その息子と孫が珍味亭の味を守りつつ頑張っていた。息子は恐らく僕より年上で、当時は眼鏡をかけ今の孫そっくりの顔だった。

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料理はほとんどが特製のタレに漬込んだ豚肉の様々な部位が中心だ。まず生にんにくの入った醤油が小皿に出される。ほとんどものをこれにつけて食べる。豚足は特に有名で、店の前のデッカい寸胴鍋にゴロゴロ入っている。日本の光景とは思えない、千と千尋の親が豚になってしまうあの店のイメージが近い。耳、頭、タン、胃袋、子袋、尾、卵、などが同じタレで煮込まれている。特に尾が美味い。火を使う料理は木耳肉炒、焼米粉と汁料理のみで焼米粉の注文が入ると店内が大蒜と油の煙で満たされてしまう。琴久は一番気に入ったようだ。ここの味は日本広しと言えど、ここにしかない。

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残念なのは当時行けば必ず飲んでいた台湾パイカル(白乾児)が15年前に生産中止となったことだ。これは中国の60度近くあるパイカルとは違い、35度くらいの飲みやすくすっきりとしたパイカルだ。昔を懐かしみこれを求めて来て残念がるお客も多いとのことだ。あと当時の親父が作っていた腸詰もなくなっていた。昔はガス台の上に何本もの腸詰が垂下がっていた。
パイカルの替りに孔府家酒というのがあったが、度数が強く中国のマオタイ(茅台酒)に近い味だが、結構きつく感じ、琴久も相当これには苦戦したようだ。台湾紹興酒がこの日は最も飲みやすく美味しく感じた。ここの全ての料理に合う。

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西荻南口の界隈は店は多少変ったが、昔の風情は保ったままで、それが良い。琴久のお陰で再びここに来て、店の大将も親子二代でと昔のような会話をし、こちらも親子二代でやって来て、昔のように知らない隣の親父と会話も盛上がり、何か感慨深いものがあった。世の中も自分も随分と変化したようだけれど、故郷を持たない僕にとってこれほど故郷を感じたことはない。
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自然の中で音に耳をすます。音を探す。木や鳥たちと音で会話する。
そもそもこんなにアウトドアから縁遠い僕みたいな人間が、ミュージックキャンプなどと言うものをよくも参加し続けてきたことと思う。個人的な事を言えば子どもと話題を共有することはとても苦手で、10分と相手をしてあげる事も出来ない。そんなことを思いながら、ロバの音楽座も含め、40年以上この活動に関わってきた訳だ。
音楽は教えるものではないと思っている。これはロバの学校を始めた頃と変っていない。教えないが、音楽を楽しめる、わくわくさせる、まだ聴いたことの無いような音の世界を体験させる、音楽やクリエィティブな作業をを無性にしたくなる。そんな環境を作る事くらいなら出来る。ただそんな出合いの場を作りたい。主宰のがりゅうさんはもっと先の展望を見据えているだろうが、僕にとってはそれだけが精一杯なのだろう。
子どもは元々生れながらにして音楽家だ。無心で歌う子どもの歌は何者も敵わない。何も表現していないのに涙が出てくる。そのままでいてほしい。そんな子どもたちに刺激を与えるのは複雑だ。けれど放っておけば人目を気にし、一般的な子どもの集団の中に埋れてしまう。素晴しい個性が溢れている子どもも、ただの何処にでもいる大人になってしまう。それはそれで仕方のないことかも知れないが、大人になって様々な夢や興味から離れて行ってしまう事に何か空しさを感じる人が居るに違いないと思ってしまう。
禅の世界では「悟り」を求めるのに「赤子の心になれ」と良く言われる。結局人間は赤ん坊から大人になる過程で、社会や生きて行く中で、様々な余計なものを背負わなければならない。禅ではわざわざ大人になるために背負ったものを無にしろという。
音楽も似たところがある。
技術を学び、経験を積み、理論を学び、評価を受け、研ぎ澄まされた域に達すると、どこかに大事なものを忘れてきている。音を見つけることに喜び、声に出すことに喜び、音を発することに喜び、それに対して大事な事だとか、何かの為になるとか、意味をもたらさない事にこそ大きなフトコロがあり、全てを受入れてくれる。心の中になるもの、夢や生きがいなんてとても単純で、空っぽの中に描いた一つの線のようなもかもしれない。それは教えられないもので、自然の中に自由であって、それぞれが感じて悟るようなものかも知れない。
まあ、自転車を乗れるようになる時のように、最初はサポートやきっかけが必要かも知れない。でもそこから先は見よう見まねで覚えていくし、発見もしていく。ギターやパソコンを手にした青年が、教わらずとも勝手に音楽を作って行くのを見れば解るだろう。
ロバの学校は子どもたちに楽器づくり以外、ほとんど技術的なことは教えてはいない。ただただ「それでいいんだよ」「そのままでいいんだよ」と背中を後押ししているに過ぎないかも知れない。
この子どもたちから発する歓声は、様々な束縛から解き放たれた喜びの声なのかもしれない。
ロバの学校の最後の夜に行われる「ガランピー蔡」、それはそれぞれの参加者がここに何かしらの美しさを感じ、無心に声を出し、動き、確実に心を一つにして何かに向っている。その目的、意味はたくさんの言葉を使って後付できるかもしれないが、この読書の森でのロバの学校という素敵な空っぽの器が、その全てを受入れているからかも知れない。

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ちまたでは何でもかんでもAIという言葉が氾濫している。
まあ、その機能自体は凄いことは解るが、何を持ってAIとしているのか解らない。
AI 内蔵アプリ、AI 内蔵PC、AI 機能付テレビ、生成AI動画、今やどうもAIと名が付かないと売れないらしい。
調べてみても、どうやら確立したAIの定義は無いようだ。自社の製品がAIだと言えばそれはAIなのだろう。メカニズムが公開されていないだろうから、評価の付けようが無い。今のことろプログラム自体が自分で判断して、それを処理能力の速さでさも自分で考えた如く形にする所が脅威なんだろう。

ついに僕が良く使うPhotshopにも生成機能が付いた。なるほど、確かに言葉にした内容をあっという間に鮮やかな色彩で構図のしっかりした鮮明な画像を提供してくれる。プロフィール写真の味気ない背景を森の中に変えたりしてくれる。使い方によってはなかなか便利な機能だ。ただこれは本当にPCが自分で考えたのだろうか?僕が見る限りでは学習機能の進化系にしか見えないところが多い。

現在の漢字変換は優れていて、変換の確立の多いものを第一候補に挙げるだけではなく、流行語や話題のキーワードもいち早く取り入れ候補の上位になる。今のAIはその判断が瞬時であり、人に判断させないで最初から候補を決めて提示する傾向がある。膨大な情報量の中から一番ヒットする可能性のあるものを選び出し答えとする。果たしてこれは知能なんだろうか?

Photshopの生成機能で「平安時代の和歌を読む美しい女性」なんて入力すると、どう観ても西洋風の女子高生がコスプレをしてる様な画像しか出てこない。Photshopを作った西洋人の視点で集めた情報の範疇でそれ以上のものはそこには無い。逆に情報を持たない異邦人が想像で絵を描いたらとてつもなく不思議な創造物を描くに違いない。
「見たことない様な不思議な生物」と入力するとどこかの三流SF映画に出てきそうな、確実に見たことのある映像が出て来る。実際、普通の人が考えてもそんな発想しか浮かばないだろうが、広大な情報と高度な処理能力を持つPCが、芸術家を超えてもおかしくはないだろう。
今のところAIは極度に進化した学習機能を持ったプログラムなのではと想像がつく。僕が期待するのは人間を遥かに超えた新人類としてのAIの誕生だ。AIに仕事を奪われるとか、そう言うケチくさい話ではない。如何に新人類と共存できるか、如何に心を通わせることができるか、そして如何に住みやすい地球を互いに作り上げて行くかだ。それはきっとアーサー.C.クラークのSFに出て来る様な人間の人智を超え限りなく進化した、何億年と生き抜き宇宙人の様な存在だ。

もしすでにそんな人工知能が新たな自己進化形成や発想力を持っているなら、世界のあらゆる紛争を解決する方法が見つかって、それらが実行されて、今よりはるかに平和な時代が訪れているだろう。環境問題、人種問題、貧困問題、食糧問題、ありとあらゆる方向から世界を良くなる様に力を貸してもらわないと、この様なロボット産業は単なるお金儲けで終わってしまう。
僕らの時代にとって人工知能と言えば鉄腕アトムだった。おそらく何十年後には自分で考え、自分で行動するロボットの様な存在が生まれて来るだろう。音楽だって敵わないほどの素敵な曲を作ってヒットするかも知れない。それはそれで良いと思う。優れた才能が出て来るのはAIでも人でも同じことで、僕が音楽を作るのは僕の心の中の問題であるからだ。AIが自分の代わりに音楽を作っても、それは他の人に作って貰うのと同じで、だったらわざわざ自分が音楽をやる意味は無い。

ただ、手助けをしてもらったり、情報をもらったりする上ではこの上なく便利な道具として、AI的?な優れたPCプログラムはこれからも使わせて貰うだろう。

カテリーナ古楽合奏団は昨年50周年を迎えました。そしてなんとCD「ドゥクチア」から30年ぶりにNewCDが出来ました。
マスタリングは1996年発売のCD「Ductia」と同じ、レコード業界では巨匠と呼ばれる田中三一氏が担当、28年ぶりの再会。音の本質を知る彼の魔法の粉が、カテリーナ古楽合奏団のそれぞれのオリジナルな息づかいと微妙に絡み合い見事に仕上がった。

録音:あだち麗三郎 マスタリング:田中三一 録音場所:ロバハウス デザイン・テキスト:松本雅隆

CD「Ductia」は田島征三氏の幼少期を描いた映画「絵の中の僕の村」の全編を飾り、ベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞するなど話題を呼んだ。さてCD「祝祭」が人々の心の中に、そしてささやかな日々にどんな話題を巻き起こすのか 楽しみ。
CDは以下のページから購入可能。

まあ大河ドラマはフィクションだし、紫式部と清少納言が仲良くしているなんて嘘くさいと思っていたけれど、こんなに美しく「枕草子」の誕生を描けるなんて、しばし震えが止らなかった。
ドラマの中にやけに「史記」の話題が顔を出していたが、ここに「敷き」「四季」と駄洒落のように結びついて、定子を含めた三者の織りなす世界が、歴史を歪めてもなおも美しい。

理屈で説明しきれるものではないし、観ていない人には解りにくいだろうけど、どうもこのシーンは大河史上最高だと話題になっているらしい。そんなことを感じている日本人が沢山いるということは、何か救われるような気がする。
もっと書と古文を勉強しておきたかった。

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大河ドラマ史に残る名シーン、と言わずにはいられません。

小学校3年の教科書にロバの音楽座の「ハッピーソング」(詞:松本雅隆 曲:上野哲生)が載りました。教育芸術社のこの4月からの教科書で、なんと一番最初に載っている曲です。

この教科書を使っている学校がどのくらいいるのか解りませんが、少なくとも何十万人の子どもたちがこの曲を知ることになり、いつまでも歌い続けてもらい、ロバの音楽座の事ももっと知ってもらえると良いなと思います。

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高校2年の終わりに3年生を送る会にバンドで参加した写真が、卒業アルバムに載っていた。50年ぶりに見つけた。
当時エレキギターはグヤトーンのシャープファイブ(本当はフェンダーが欲しかったけど)。フルートがいるのでジェスロタルやハービーマンのナンバーをやった。
メンバーは右から民谷利通(Bass)、定村政裕(Drums)、後藤裕二(Flute)、上野哲生(Guit)

僕は高校2年から3年まで北九州在住、八幡高校に在籍していた。
この直後にクラシック専科の国立音楽大学に行くことになるので、180度違った生き方をすることになる。

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昨年開校式を行った那須塩原市の小中一貫校・箒根学園の新しい体育館がようやく完成し、校歌の校歌額が設置されました。(那須塩原市教育委員会の方から画像が送られて来ました)
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この学校がこの地に続く限り、この歌を歌い続けてくれるのかなあと、感慨深い気持になりました(不評でまた変ったりするかも知れませんが)。
昨年の開校式で、まだ覚えて間もない子どもたちの歌った校歌にオケ伴奏を乗せた動画をアップしています。まだお聴きでない方はぜひ。

「光の君」関連の第二弾です。
有名な安倍晴明が登場して操作系の魔術の様な事をやっていましたが、まあ、魔物をやっつけたり、式神を出したり、ノストラダムスの様な予言をやってのける、現代でもスーパーヒーローですから、なんだって出来ちゃいそうな人ですね。
実際の記録に残る彼の役人としての仕事は天体観測です。それに基づき暦を作り、星の運行から来る吉兆の予言、大安や仏滅など現代にも通じる占いの元を作り出しています。
安倍晴明が雅楽と関係していたという話は良く聞きます。具体的にどう関係しているかはよく解らず、色々ググってみましたが、大河ドラマ「光る君へ」の安倍晴明の陰陽道指導をしている高橋圭也さんという現代の陰陽道家の方の文が解りやすいです。

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【陰陽師の教科書であった「漢書律暦志」には「音楽は人間の邪心を祓いのけて、天の正しい働きをもたらす」とし、「陰陽五行説の十干十二支と音律との間には非常に密接な関係がある」とある。また古代中国・秦の宰相・呂不韋の「呂氏春秋」に「音楽は天地自然のハーモニーで、陰陽の気を調える」とある。】
と高橋さんはXに書いています。「漢書律暦志」には音楽の5度圏、12律と陰陽思想の関係も書かれていると思います。(解説本は1万円以上するので手は出ません。難しそうだし)
ここで気になったのは「音楽は天地自然のハーモニーで、陰陽の気を調える」って、これはどこかで聞いた文句です。清明の仕事の天体観測からハーモニー。
これはまさしくピタゴラスではないですか?
三平方の定理で有名なピタゴラスは全ては数が支配していると言い、宇宙の全てのものは数と音楽の法則に則って出来ており、これらは数学的な比率や音の振動によって表現されます。
振動数が3:2で出来る完全五度と4:3で出来る完全4度を7回積重ねたものが、西洋音楽の7音階となります。5回重ねればペンタトニックですが。
占星術はメソポタミア文明の古代バビロニアから発達していったと言うくらいに古くからあり、その文明文化は古代ペルシャにも繋がっています。
ピタゴラスは行方知れずの何年間かがあり、その間ペルシャに行って占星術、数学、音楽、その他多くの文明文化を学んだという説があります。元々善悪二元論も陰陽説の元になったという考え方もあります。楽器も色々生まれていたことでしょう。
ピタゴラスが日本に、なんて事は言いませんが、古代ペルシャの占星術、二元論、音楽論、その他の多くの発祥元はペルシャに有ったのではないでしょうか?
決定的にそう思う事があります。それは五芒星(ペンタグラム)です。
ご存じのように安倍晴明の家紋にもなっている五芒星は自然発生的に発見できるものとは思えません。これがピタゴラス教団のシンボルでもあるのです。

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バビロニアでは木星、水星、火星、土星、金星を表し、陰陽五行説では、木・火・土・金・水の5つの元素の働きを表していると言われます。

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ここからは空想の世界ですが、もともとバビロニア辺りで生まれた文化はペルシャが生まれる前か後かは解りませんが、何年もかかって古代中国にもたらされた可能性が高いと思います。また老荘の時代も相当古いですから、ピタゴラスのようにそこで学んで来た人が何人かいてもおかしくはないでしょう。
また呂不韋や始皇帝はソクド人(イラン系=サマルカンドを拠点とした)という説もあります。TVで始皇帝の作った兵馬俑を見たとき、どう見ても胡人(中央アジアから来た人たち)だと思いました。中国に元から根付いていた道教(老荘思想)と結びついて、陰陽思想が生まれたとも考えられます。
細かな証拠は挙げられませんが、日本は中国や朝鮮から来た文化のみで出来ている説が強いですが、実に多ジャンルに渡って世界と結びついていたんだという感覚が強くあります。

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