Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

カテゴリ: 趣味

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ロバの音楽座というグループに居て、引きこもりに近い僕自身は今までちゃんとロバを見る機会が多くはなかった。
まあロバの知識はあっても、それは想像上のユニコーンやドラゴンやエルフに近い、とても観念的な神々しい存在だった。
自分ではどんな動物か説明も出来るし、実体験が無くても情報として「ロバの歌」に歌われている性格などを感覚的に解っているつもりだった。
今回、ロバの音楽座の尾道ツアーで、尾道のロバ牧場に行く機会があった。
ああ、僕は何も知らなかったに等しかった。ここまでロバを体感したことがないに近い。それはまず複数頭の群れで居ることも大事なことだ。
主人は「プラテーロとわたし」に影響されたと言っていたけれど、まさにあの詩の感触そのままの感じがした。
ロバは色々な性格があり、接していると本当に人間の子どものように我儘でやんちゃで可愛い。
宿泊施設もあるので、近くに行った人はぜひ寄って欲しい。ロバを好きになること間違えない。
HPには写真家の娘さんの撮った綺麗なロバの写真が沢山載っている。
ロバの背中に十字模様が付いているのを初めて知った。ロバがキリスト教に愛される所以だ。
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小学生の終り頃から高校に入る頃まで「0011ナポレオンソロ」というスパイもののTV番組があって、みんな 夢中になって観ていた。
主役のロバート・ヴォーン演じるナポレオン・ソロ(声:矢島正明)と、ロシア人スパイを演じるデヴィッド・マッカラムを演じるイリヤ・クリヤキン(声:野沢那智)の活躍する、もうストーリーも何もかんも忘れてしまったが、とても懐かしい番組を思い出した。
最近デヴィッド・マッカラム氏が90歳で亡くなり、ロバート・ヴォーン氏も既に数年前に亡くなってしまったが、よくよく考えてみると何でナポレオンというタイトルを(日本でのみ、原題はThe Man from U.N.C.L.E.)付けたのか、昔からずっと気になっていたが、ナポレオンの肖像画を見たとき、「ああこれはロバート・ヴォーンだ」と思ったことがあった。その絵と同じ画像は見つからなかったが、骨格がとても似ている。
もう一つ奇妙な偶然だが、デヴィッド・マッカラムは役はロシア人だけど、実際はイギリス人でロシアと関係ないのだが、どことなくプーチンの若い頃と似ている。実際にプーチンはKGBのスパイだった。
当時主役のロバート・ヴォーンの人気を凌いだデヴィッド・マッカラムに、2人の不仲説が流れたが(僕はそうではないと思っている)よく考えたらまるでフランストップとロシアトップの争いのようだ。
サルコジ元大統領は「ロシアとの関係を見直したい」「ウクライナがEUに加盟しないで中立であるべき」と発言し、ブラジルのルラ大統領は「対話を基礎にしなければ和平は長続きしない」と停戦を主張し、とどちらも当たり前の事を言って批判を受けている。
僕の友達は0011が好きすぎて、小学校卒業時の俳句を作って載せたのが、あまりにストレートすぎて笑えて未だに忘れられない。
「アンクルの カッコいいぞい ナポレオン」
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今川義元と織田信長、バルチック艦隊と日本海軍、フォアマンとアリ、巨大な魚とスイミー。圧倒的な力の差のある相手にコツコツと戦略を積上げ、最後に逆転劇で一気に勝利に導く様なドラマはいつの時代も心が躍る。
常にボールを奪いに行く。無駄に疲れるような動きを繰返すうちに何時か突破口が開ける。どんな敵にも欠点がある。そのほころびを見つけてすかさず一気に切込む。
こう言った勝利は特に力の弱いものにとっての希望で有り、どんなに勇気づけられたことだろうか。ただ決して運ではない。日頃のトレーニングと戦略のイメージで追い求め、どんな状況にも屈しなかった成果で、個の力の差はあっても、チームとしての実力は日本の方が高かったのに違いない。
これに乗じて弱い日本経済も政治任せにしていないで、智恵を使いコツコツと景気戦略を積上げ、明るく豊かな希望の持てる生活を勝ち取れるようになって欲しい。それはまさにファーストペンギンであり、スイミーであり、最初からあきらめては何も起らない。

サッカー

今回日本が決勝トーナメントに進出したことはとても嬉しく思ったが、僕にとってはとにかく自分が日本人だから良かったとは思っていない。日本人だから日本を応援しなければならない理由はない。今の日本チームが良かったから応援をして、ある程度結果を出せて心からこそ喜んでいる。
実は中田や本田が中心に居た頃の日本サッカーはあまり好きではなかった。彼らを個人的な好みで言っているのではなく、他の選手が打てる時でもどうしても「俺に回せ」的な強い個人に渡してしまう。まるで忖度に見えた。その強い選手が敵にマークされたら勝機は来ない。
サッカーはあくまでチームプレーの競技だ。野球ならピッチャーの投げた球をホームラン打たれたら、どんなにチームプレーをやっても得点を阻止できない。打つ方は走者がいなければ全く個人の世界で、守備はボールを持った者以外殆どプレーには参加できない。サッカーはボールを持たない者まで空間を作ったりポジションを変えたりプレッシャーをかけたり、切込みにはアイディアを駆使し、裏をかいたりフェイントをかけたり、セオリーのない即興演奏の様だ。それが今回の日本チームは見事であり、個性を持ちながらも選手のバランスが良い。
勝ち負けなんてスペイン戦のあの1mmの判定が象徴するように、ほんの僅かの差でしかない。そのほんの僅かの隙を作るゲームだ。コツコツコツコツと積上げて勝ちを取りに行く。そんな詰碁のような緻密さと、麻雀のような運との両面を持った競技だと思う。それに見合った勝ち方をしている日本だからこそ応援しできた。今までの日本チームは、
やっぱり勝つために絶えずプレッシャーを変え、切込むアイディアを絶やさないチームに対しては応援をしたくなる。
今回特に思ったのは良いチームとは球を持つ選手の役割ではなく、それ以外の選手はどこの隙間に入り込むか、その動きが相手の隙間を作るか、それが阿吽の呼吸で出来るチームだ。演劇で言えば台詞のない役者の立ち位置だ。そこで何をしているかで球を持つ選手、台詞を言う役者が活かされる。音楽のアンサンブル、特にソロプレイヤーとバックを担うプレイヤーの関係も言わずもがなである。
良いサッカーのアンサンブルはそれを見ているだけで芸術的とも言える。今回の日本のサッカーはそれが何度も見れた。それが価値があることで、それが出来る日本チームで誇らしく思った。
今回は前回と同じベスト16だったが、内容は同じベスト16ではない。個人技のPK戦は負けても仕方がない。個人技では元々叶わないチームと対戦して勝ちを得て来た日本なのだ。こればっかしはそこまで運が無かったと思わざるを得ない。ドイツだってあの日本対スペイン戦の1mmのために決勝リーグに行けなかった。サッカーもフェンシング並みの精密な判定が必要とされ、もはや人間のジャッジでは判定が出来ない。もうこれは神のみぞ知る判定なのだろう。

年賀21

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

今年の年賀状です。ほぼ50年前、とても影響をうけた2枚のLPジャケットのコラージュです。丑年に使おうと思っていました。(原子心母とサージェントペッパーズ・・・)
下記のホームページには新しい音楽作品の動画と昨年の年賀動画等を載せています。どうぞお入りください。
https://www.tessey49.com/new-year-2021

いずれ今年の年賀動画も制作してここにアップする予定です。
コロナ禍の中、この動画を通じてみな様の心が少しでも安らかに寛いで頂けるのであれば嬉しいです。 

プサルテリーとリュートの一人演奏「夏の小人」です。(+Cello Pizz)
河原を散歩していると小人たちが草むらの間を小走りに忙しそうにしているので、せっかくなんで何か一曲聴かせようと思って作った曲です。
せっかく作っても、大雨が降った後はとんと見なくなりました。
 

良かったら👍やチャンネル登録などお願いします。
 

小学6年生の時、始めて詩というものを味わった,いや詩というものが何なのか諭されたのが寺山修司の「ビートルズって何だ?」という詩でした。
これを詩と言って良いのかどうか解りませんが、当時ビートルズが大好きでビートルズを特集した雑誌に掲載されていたこの詩に、まさしくカウンターパンチを食らいました。
その終りの一節はこんな感じでした。
 

(抜粋)
一口で言えばビートルズの唄は、
養老院の風呂ガマを爆発させる唄だ。
学校の黒板へ書き散らしたラブレターだ。
教会の青草にひっかけた小便だ。
バス・ルームで入浴しながら聞く
電気カミソリの髭剃りの音だ。
四十匹の雄猫の春情あふるゝ呻き声だ。
女の子のスカートを
毛むじゃらの手で引き裂いてゆく音だ。
ビール壜からあふれ出したマイアミの海だ。
ブレーキなしで断崖を降りてくるリムジンだ。
・・・・(後略)
 

ビートルズに対するある種の感動を、まったくビートルズの音楽や詩のテーマと無関係に言放って、それがより強くビートルズの内在するもの、エネルギーを感じさせる。ああ、これが詩の力なんだな・・・と子ども心に思いました。
 

後々10年くらい経って仕掛が解ってくるのですが、ビートルズという題で印象を植付けながら、まったく関係のない言葉を掛合わせる、所謂これがシュールリアリズムの手法だったわけです。
「ジョージのいきなり繰出す泣くようなギターは僕の心を打抜き・・・」なんて直接その場を説明しても何の感情も読手には伝わらないですが、
「四十匹の雄猫の春情あふるゝ呻き声だ」と無関係なものを持ってくる方がイメージが膨らみ、より音の本質に迫るものがあると思うのです。
 

もちろん寺山修司はシュールな手法ばかりではないですが、その趣味の特異さといえば澁澤龍彦に並ぶのではと思っています。
 

大人になってから初めて読んだのがこの「幻想図書館」です。所謂、一般的に読んじゃああかん本です。

幻想

サド・マゾ、拷問の歴史、髭女、娼婦、見世物小屋、そんなものの羅列です。そんなものたちをとても魅力的に紹介しています。
その中に出てくるのが音符が人になって踊っている、イギリスのイラストレーター、グラングィルの絵でした。
その絵の基を探しているのですが、寺山修司がこの絵をどうやって知ったか、それ以降このグラングィルの情報がネット上などに上がってこないのです。
 

本は無くしてしまいました。全ては幻想の如くで何か昔見た見世物小屋の風景のようになってしまいました。
このブックカバーチャレンジが始って買い直そうとしてメルカリで手に入れたのは「不思議図書館」の方でした。これでは無かったです。

不思議

僕の欲しかったのは下の絵の「幻想図書館」でした。残念ながら同じ絵の物は手に入りませんでしたが、Amazonであさって届きます。リレーも終っていますが・・・。
 

なので今回は「幻想図書館」はネットからですが、間違って買ったこれから読む「不思議図書館」両方を載せます。

些か、文字を考えることに疲れが出てくる頃です。
数行で済めば良いのですが、性分なんでしょう。僕は俳句や川柳は書けません。
 

そもそも本題に入るまで長いです。
4日目に映画の話が出て来ましたが、そもそもロック兄ちゃんの僕がクラシカルな音楽を生業としたいと思ったきっかけは、高校生の時観た一本の映画がきっかけでした。
 

それは”A Space Odyssey”(邦題は『2001年宇宙の旅』←この題は好きではない=文部省推薦みたいで。)です。
もうSF映画の古典ですが、まず映像に驚きました。どう見たって実際に宇宙遊泳していたり、月に居たり、宇宙そのものの真っ只中に居るとしか思えないのです。この影響で僕の動画年賀はいまだに宇宙を追いかけます。
そして音楽です。多分音楽を知らない人が西欧の協会でヘンデルか何かを聴いたとき以上に神に出会ったような気分になったのでしょう。テーマ曲の『ツァラトゥストラはかく語りき』はR.シュトラウスが何を感じたのか知りたくてニーチェに埋没する時期もありました。でも音楽で凄かったのはリゲッティの映画の中の3曲です。オーケストラや合唱の『ルクスエテルナ』『レクイエム』『アトモスフェール』これらのクラスター(当に音の超密集)まさしく宇宙の音、この映画のテーマでもある「神」の音楽を感じたのです。
僕はそれまで漠然と音楽家を目指してはいましたが、いわゆるこの手のオーケストラを扱える作品を作りたいと思いました。
それまでロックやポップスをガンガンやっていましたが、そのためにクラシックを一から学ぼうと思い立ち、音大受験を決めました。
 

この映画は3部構成になっていて、2部までは在る意味ストーリーのある映画です。この最後の15分が世間では問題になりました。
リゲッティの『レクイエム』『アトモスフェール』が流れる中、ひたすら宇宙をワープするイメージのサイケデリックアートが続くのです。簡単に言えば神に等しい何かとの出会いのシーンなのです。
 

高校生のウブだった僕はこれが何を表しているのか、訳がわからなかったのですが、何か得体の知れないもの凄い物を観た気分になっていました。ショックで何日もこの事しか考えなくなりました。これが何なのか知りたかったのです。
 

この映画はSFの大家=アーサー・C・クラークの原作に監督のスタンリー・キューブリックのアイデアを絡めたストーリーに基いて製作されたとされていますが、クラークの原作を読んでもよく解りません。聞くところによるとキューブリックの映画に原作のクラークはどうも不満があったようです。原作だと「無限に進化した人間は神と等しくなる」という考え方で、そこをもっと説明的に描きたかったのでしょう。僕はこれはこれで神に出会ったと同じような気持になれたので良いと思ったのですが。
 

キューブリックはもともとクラークの別のSF小説を読んで、こんな映画を作りたいと言ってクラークに映画になり得るストーリーに変えてくれと言って作ったのが”A Space Odyssey”でした。
ではそのキューブリックを動かした小説はどんな小説か、それが(ああ、やっと本題に入れる(^^;))「地球幼年期の終り」です。
 

幼年期の終り

SF小説の好きな人から当り前すぎて笑われるかも知れませんが、僕にとって映画のラストの答えはここにありました。まさにSFの最高峰。ストーリーは全然違いますが、その核の部分はしっかりと受継がれています。キューブリックはこれを越えたかったのでしょう。
 

まさしく超人類との出会い、なぜ『ツァラトゥストラはかく語りき』を使ったか、ここでも結びつきます(もちろん効果ありきですが)。宇宙哲学という物が存在するならこれだなと思いました。
 

最近は「幼年期の終り」となっているようです。カバーも何度も変っていますが、僕は昔のこの絵が好きです。ただあまりに昔過ぎて本が見つかりませんでした。これはネットからの借用です。
 

ストーリーは言いません。ただ映画化できるスケールではないと思います。

古事記は現存する日本最古の歴史書であるとされます。
編纂が712年。紙に書かれたものはいずれは朽ちます。古事記も原本は現存せず、幾つかの写本が伝わるだけです。
古事記は日本最古を主張しています。「帝紀」や「旧辞」というのが原点とされてますが、現存していません。
時の権力が古事記以前に書物があってはならんとして、それ以前の書物は全て燃やされ根絶やしにされたというのです。元々ヤマト政権以外の豪族は平定され、それぞれの歴史も無かったことにされたと言うことはあっても不思議では無いでしょう。

古事記以前に書かれた書物が幾つもあるという説があります。つまり滅ぼされた側の歴史です。
それは共通して感じ以前の文化で神体文字という記号のような表音文字で書かれていて、多くは門外不出となっています。多くの古代史研究家からは偽書とされ、いわゆる「眉唾物」と言われています。
それらを総称して「古史古伝」と言われています。

「古史古伝」という言い方は、吾郷清彦が『古事記以前の書』と言う本で最初に提唱したもので、佐治芳彦が呼名に訂正を加え「古史古伝」とし、一般的な総称となりました。それに値する古書とされる物は日本の各地に姿を隠し、現在公開された物はざっと20を越えます。
神体文字で残っているものもあれば、近年それを日本語に訳したものだけが残っていたり、様々です。 ただ面白い事にそれぞれの神話があり、歴史があり、文化があり、また互いに共通したものも多いのです。

例えば有名な「日ユ同祖論」、天皇家はユダヤの十部族の末裔だったとか言う説がありますが、その事が書かれていたり、キリストが日本に来たことが書かれていたり、歴史学者がひっくり返りそうなことばかり出て来ます。
凄いのは幾つかの古書で共通しているのですが、ニニギの孫で神武天皇のお父さんにあたるウガヤフキアエズという古事記には名前しか出てこない1代のみの神様がいるのです。幾つかの古書ではこのウガヤフキアエズが王朝の事で70〜80代続いたと言うのです。この代が微妙に違っていて逆に口伝ぽくて面白いのです。一人一人の名前まで書いてあるのもあります。ウガヤは伽耶から来て神武天皇はそこからやってきて降臨したという考え方なのでしょう。

当初「古史古伝」は「超古代史」と呼ばれていたこともあります。有名な竹内文書などは「創世記」にあたる天神七代は3175億年前に宇宙そのもののを作り、地球に降臨するまでの現象を7区分したような系統が書かれています。宇宙船、ムー大陸、ノアの箱舟、モーゼ、イエスの来日、まさにSF漫画的題材の宝庫です。

こういった胡散臭いものは僕は大好きです。どちらかというと妖怪物や超常現象の類に近いかも知れません。
逆な観方をしてみれば古事記だけをスタンダードとする理由も無いような気がします。歴史は元々時の政権が都合良く改ざんしていくものだし、史実とは考えにくい事も沢山あります。
古事記同様、大概は写本しか残っておらず、当時書かれた証拠はありません。ただそこに共通して消え去った神々の名前が希に共通して出てくるのです。横の繋がりがあったのか、どれかの古文書を元にして書写しながら別のストーリーを構築したか?
ただこの残された書物の量は膨大です。人間一人で完成できるような情報量では無いのです。

これらのテキストは暫し明治以降の日本の新興宗教の基ともなっているようです。もしその多くの新興宗教が古史古伝の影響無しに作られたとしたら、それはそれでとてつもない神的類似性として、見過せない信憑性を帯びてくるでしょう。
古史古伝の多くは戦前、新興宗教と同じように国からの弾圧を受けます。皇室のルーツに言及する事が多いからでしょう。

僕も信じるか信じないかと言えば後者の方かも知れません。でも妖怪は信じなくても妖怪は居たら面白いと思うのです。
仮に近年になって創られたフィクションだとすれば、一体これだけのでっち上げをなんのために行って、しかも門外不出にする必要があったのでしょうか?つまりこれだけのものを作り出した人間の心理、想像力そのものにとても興味があります。
古史古伝

とりあえず家の中から探し出した古史古伝関係がこの5冊です。他に5冊以上は在ったのですが・・・。
佐治芳彦氏の本を最も読んでいます。この方はちゃんとした歴史学者で、様々な古史古伝を比較し客観性を持ってみています。太平洋戦争、特に石原莞爾の事や、木地師の成立についての本なども有り、読みやすく興味が共通しているところがあります。

僕はいい歳して結構な漫画好きです。活字の本より時間にすると漫画に接する方が多いでしょう。
一つには音楽漬けになっていると頭で音がループして寝られなくなるし、次の曲を作ろうにも前の曲が鳴り響いて頭が混乱することが多くあります。
そんなとき、頭をリセットしてくれるのが漫画です。曲を作ったり演奏したりして興奮した頭を沈静化してくれるのです。とてもくだらないお下劣な作品で大いに笑って、全てを忘れます。週刊漫画だと次はどうなるのだろうとか思っているうちに音楽のことはすっかり忘れています。

これが文章で読むと、文字の隙間に色々なことを考え出します。その隙間に再び先ほどまで忘れていた音楽を思い出し、またループしていく事になります。それが良い場合もあるのですが、忘れるためには向いていません。
たまに音楽をまったく忘れてしまうほどのめり込むこともあります。同じ題材で小説と比べると漫画の方が数段表現力が上と思わざるを得ないものがたまにあります。
三国志演義も横山光輝が有名ですが、曹操を主人公にした『蒼天航路』などはスケールの大きさ、画力、詩や音楽などの当時の文化の捉え方、僕は吉川英治が描く視点とは比べものにならないくらいに芸術作品を感じます。数百人いる登場人物のキャラをフィクションを交えながらしっかり立たせていると思います。今回この表紙を載せようと思いましたが、以前にも話題にしましたのでやめました。

同じ歴史でもギャグと史実を混ぜ合せ、関ヶ原から幕末を描く大長編歴史漫画で始ったのが1979年で未だに連載が終っていない、みなもと太郎の「風雲児たち」を紹介します。
風雲児たち
 
元々幕末を描くはずだったのが、幕末は関ヶ原で負けた薩摩、長州、土佐の末裔が起していくという300年の因縁を描きたかったのでしょう。
登場人物の癖などはフィクションが多いですが、殆ど史実に基づいていて、それを視点が変るだけで吉本風のギャグの要素が沢山出てきます。史実ですから人情話もあり、悲劇もあり、言わば落語のような歴史書です。

色んなシーンがありますが、特に描き方が素晴しかったのは大黒屋光太夫の話です。ロシアに漂流して日本に帰るに帰れず、最後は女帝エカテリーナ2世に謁見して帰国を願い、日本に帰り着くまでの9年の話しです。井上靖は『おろしや国酔夢譚』と言う小説で描いていてこちらも読みましたが、風雲児たちの方が圧倒的に光太夫の内面を描ききっていると思うのです。主観ですが。
史実を描いているだけで面白いという意味はもう1枚の中の写真にこっそり載せましたが、光太夫のロシア入する遙か昔、ピョートル1世が未知の国大阪から漂流してきたデンベエに逢い、世界初の日本語学校の教師になるというシーンです。 デンベエの死後は薩摩人が漂流して来て日本語学校の教師となり、その次は津軽の漂流民が教師となる。それを描いていくわけですが、どんな事態になるか想像が付くでしょう。(中を見せるのもルール違反か?)
こんな感じで史実に基づいているだけでこんなに面白くなるのです。

三谷幸喜は「風雲児たち」を題材とした歌舞伎まで作りました。これを僕が見逃したことはとても悔まれますが、果して三谷氏と言えど原作の面白さを越えられるか心配です。
江戸時代で好きな人物がいれば、その登場する巻だけでも読んでみると、今までの見方とは違った人間味が感じられるかも知れません。

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あけましておめでとうございます。本年もどーぞよろしく。
今年の年賀状です。(クリックで拡大します)
新しい時代、新しい出遭い、環境、想像を絶する様々な出来事を受入れ、邁進していきたい所存であります。
ロバの音楽座は結成38年。カテリーナ古楽合奏団は47年。
琴久は社会人一年生。和婆は93歳を迎えます。
新年の動く年賀はまだ先です。令和元年版他、昨年までの年賀をお楽しみ下さい。
http://magi.o.oo7.jp

music site では配信、新動画に加え、楽譜販売開始です。
https://www.tessey49.com


はたして2020年は良い年になるのか?


年明け早々、とんでもないニュースを聞いた。アメリカによるソレイマニ司令官殺害だ。
この事がどれだけ大変な事か、イランの楽器を演る僕は常にイラン情勢が気になるのである程度は解ることだが、これは第1次・第2次湾岸戦争に匹敵する戦争になる。

イラン革命以降、米とイランの対立は今ここで述べはしないが、今まではイラクに代理戦争(イラン・イラク戦争※)をやらせてイラクの後で武器を回していただけだった。「悪の枢軸」とは名指しで言っていたが、直接手を出せば如何に大変な事になるかは知っていた。

思いだして欲しいのはその後イラクが必要なくなったら言いがかりをつけて第1次湾岸戦争を勃発させた。2003年は、核兵器を持っているという在らぬ疑惑を突きつけ第2次湾岸戦争を勃発させた。イラクには核兵器もウサマ・ビンラディンも結果的にはいなかったが、イラクには謝罪も何もしていない。さんざんイラクをめちゃくちゃにしておいて。
同様にイランにも核を持っていると経済制裁を課し、「イラン核合意」で屈辱的な視察までイランは受入れた。

トランプが台頭してから「イラン核合意」から一方的に離脱し、経済制裁を強めイランを怒らせた。わざわざ火種になるものを突きつけた。
その後に日本のタンカーに攻撃を仕掛けたと言うが、誇り高いイランのことだから宣言もしないでこんなことをやるはずも無い。それに乗じて反応した民間か海賊か、自作自演の可能性だってある。そんな小競合いはすべてイランが仕掛けたことになった。
その大義名分があってのソレイマニ司令官殺害だ。彼が関与した証拠は何もなしでだ。
アメリカはまさに映画「マイノリティ・リポート」の殺人予測みたいなことで処罰が可能になっているようなものだ。

この強引な戦争の引金は太平洋戦争の前にも、ベトナム戦争の前にも仕掛けている。日本も戦争を起した罪はあるものの、それは米の挑発に乗って起した部分は大きい。

皮肉なことに米は核のバランス・オブ・パワーで北朝鮮には手を出せなくなっている。となればもう一つの悪の枢軸=イランに矛先が向く。とにかく兵器を作ることで米はずば抜けた産業を産んでいる。脅威が無ければ兵器は売れない。

こんな世界的犯罪を、秦の趙高(鹿を見て馬だと同意させる)や令和の晋三の側近のようにどの国も何も言えない。
怖いのはこのまま日本もイラン攻撃に尾を振って参加する可能性だってあるわけだ。
これだけの過去の歴史を踏まえて尚且つ米に従うのは、まさしく趙高の言う「馬鹿」か、誇りを失った亡者だろう。美しい日本はどうした。

2020年は本当に良い年になれるのか?気象問題=復興問題=温暖化問題とも切羽詰ってきている。介護問題、少子化問題、山積みとなっている。自分が生きたいように生きられる人がどれだけいるのだろうか?親の介護、復興など、人のためにしか稼いだお金を使えない人がどのくらいいるのだろうか?
その軸になる経済も、多くの会社がイノベーションを起せず古い体質で護りに入るしか無い。みんな毎日、その日を生きるのに必死で新しいアイディアなんか生まれる余裕なんか無い。
米から買う兵器を無くすだけでもかなりな経済補填が出来ると思うけど。
(そんなの買うくらいなら、核兵器を持っていると自爆をしてしまうようなプログラムを開発すれば良いのに.・・・冗談だけど、脅しを含めたそっち方面の開発なら安上がりのような気がする)

オリンピックは好きだし日本の若いアスリートも頑張ってるけど、オリンピック自体に経済を期待してもリスクだらけで意味のない事だと思うよ。台風や原発の復興もまだまだだし、働きたくても介護しかしていない人が恐ろしいほど沢山いるのに。 

※アラビア語のWikipediaではイラン・イラク戦争を第一次湾岸戦争と言うこともあって、まさに米の代理戦争であることを物語っている。その場合2003年のイラク侵攻を第三次湾岸戦争という。 

客観的に自分の歌を聴くには当り前だが、録音するのが1番だと思う。

僕は劇の歌などを幾つも作っているが、歌の練習するなら録音して聞いてみる事を薦めている。

ところがラジカセのダブルカセット等が無くなって、簡単にダビングができなくなったこの時代、その録音しての歌の練習は皆どうしているのだろう。

カラオケ店で練習も出来るのかな?ただあのエコーは練習になるのかな?

スピーカーから伴奏を流して iPhoneのボイスレコーダー等に録ることは出来るが、伴奏が遠かったり、なかなかバランスが良くない。


そこに登場する、痒いところまで手が届くほどアプリを抱えているのがスマホだ。

今回、歌の練習用ということもあったが、たまたま遠くにいる方に仮歌を録音してもらうのになんのアプリが良いか色々探してみた。

結局(僕の場合はiPhoneだったので)昔からMacでも有名なGarageBandというアプリを選んだ。(Android用には同様のものも存在するが、ここでは知らないので触れない。)

GarageBandといえば録音も出来るが、どちらかというと触感的に音楽を簡単に作れてしまう、いわばインスタント音楽製造器と言っても過言ではない。

Macにはさまざまな優れたこの手を越えるシーケンスソフトがあるのでGarageBandは今までほとんど使ったことはなかったが、これがiPhone iPadの製品になると、こんな小さな世界でこんな凄い事になっているのかという驚きしかない。


音楽を作ることが本来このアプリの目的だが、今回は仮歌を歌ってもらい、そのボーカルトラックを送ってもらうことだ。

同時に、この方法で歌の録音しながらの練習になる。

何かカラオケ音源があれば、歌唱力を審査してもらうデモファイルも作れる。

今回は音楽を作る部分には触れない。これは創意さえあれば自分で触って作って行くうちに自然に覚えてしまうだろう。


これからはほぼ初心者向けに話します。

まずGarageBandAppleストアからダウンロードします。
https://www.apple.com/jp/ios/garageband/

これだけの機能が付いて無料で一切の課金はありません。iTunesと共にアップル純正というのがiPhoneの強みなんでしょう。

もう一つ準備しておいた方が良いのはDropboxというアプリです。使っている人も多いが、どこでもドアのような共有者であれば家の箱と他所の箱が中身が同じになるという、便利なものです。これも確か2GBまで無料で使えます。

なぜDropboxかと言うと、これでなくても良いですが、iPhoneはどこにファイルが収納されるか理解しづらいので、ここに入れると決めておくと、GarageBandからも探すことが容易だからです。大きなファイルも簡単に送れるし。

Dropboxの登録にはIDやパスワードが必要。
https://itunes.apple.com/jp/app/dropbox/id327630330?mt=8
 

あと、ヘッドフォン(イヤホン)は必要ですね。


まずiCloud を設定します。以下の図に従って下さい。

icloud

今回の伴奏ファイルをDropboxに入れる作業をします。

これは離れている人に渡す時(側にいてもこれらの方法が楽ですが)、メール、インターネット上にアップ、ギガファイル便、Dropboxに直接、など使って伴奏ファイルを送ります。

どれを経由してもとにかくDropboxに入れてください。その中のフォルダは例えば「Public」で良いと思います。
今回の伴奏はm7-2.mp3というファイルです。

保存
 

次にGarageBandを立ち上げます。

以下は図にしたがってください。

Garage1

Garage2 


3.で左右のメーターがボリュームに合わせて緑に光らない現象が起きたら、iPhoneを再起動してみてください。アプリが立上がりすぎている可能性もあります。

さていよいよボーカル録音です。 図に従って下さい。

Garage2.5
今回はあくまでも録音のみです。伴奏の音源がある想定なので、メトロノームもカウントも使いません。  伴奏に合わせて何度もやり直しがききます。幾つかとラックを増やして、良いテイクを選ぶのも良いでしょう。自分の声での理想を作り上げ、それにさらにどうやったら伝わるか考えて録音して下さい。

「あ」の口が縦に開いているか、「子音」がしっかり前に出ているか、ビートのある曲なら一拍目がちゃんと強拍になるように聞えているか、その辺りをしっかり聴いてください。一般のプロの歌手と何が違うかなども。 

とりあえず納得のいくものが出来たら、ファイルはこのままでも良いのですが、Mixを誰かに聴いてもらいましょう。
左上の▼を押してファイルを閉じ、後は図に従って下さい。
Garage3

これでメールであればファイルは送られました。
6MBを越えるものは送れない場合もあります。スマホの相手で受信容量に制限をかけている人も居ます。その時はDropbox/Publicに保存し、DropBOXの右上の「・・・」から「リンクをコピー」でアドレスをコピーし、メール等にペーストして下さい。

ここまでお金をかけず、iPhoneのマイクとイヤホンのみで録音しましたが、意外と良い音で録れていると思います。ボリュームなどに気をつければデモにはそこそこ悪くないと思います。

欲が出て来たらマイクを少し良いのに替えましょう。iPhone に適したものですが。イヤホンと同時に使うので機種に合うかは調べて下さい。
実はiPhoneでGarageBandを使うのは初めてだったので、ここまで調べるのに一日しかかけていません。こちらも試しながらやっています。指摘も初心者向けにかなり細かく伝えたつもりです。
もっと良い方法、間違えなどあったら指摘して下さい。
ご静聴ありがとうございました。
 

 
 

戦いは負けたらそれでおしまいかもしれないが、勝ち負けでは測れない「負け方」と言うのがあると思った。
クラブワールドカップの鹿島とレアルマドリードの試合である。
技術もパワーも一枚上手で、まるでティラノサウルスに向かって行く小人のような力の差なのだが、確かに一時は鹿島が押していて、あのリアルを相手に2-1でリードもした。延長直前に決まりそうなシュートまであった。
偶然、同時刻に放送していた、寸座の所まで家康を追い詰めた「真田丸」の最終回とダブるものがあった。
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よく考えたら鹿島は10日間で4試合もして、レアルはシードでいきなり準決勝。つまり2試合しかしてない。この疲労の中で互角だったのだ。
PKをもらって何とかリアルが同点までこぎつけたが、もともとペナルティキックとシュートゴールが同じ価値だなんておかしいと思う。だから僕のルールでは2対1.5で鹿島の勝ちだ。

 

毎年懲りもせず、うちの車庫の上に巣を作るツバメたち。

4,5羽の子ツバメを産んでは巣立っていき、またその子どもたちなのか?同じ場所に巣を立直してまた子ツバメを産んで巣立っていく。

もう20年以上こんなことが繰返されている。うちから一体何羽巣立ったのだろう。
ある年は猫が車の上からジャンプして巣ごと餌食になった。それ以降、車の止める方向と位置の変更を余儀なくされた。


毎年多量のうんちが床にたれる。落ちる場所に段ボールを弾いているが、はみ出すことも多いし、食べかけのトンボがそのまま落ちていることも多い。掃除も大変だ。

一度猫にやられたとき、妻が一羽の子ツバメをなんとか救って家に入れた。
家に入れたは良いがツバメは飛んでいる虫しか食べないらしい。色々ネットで調べたがツバメを育てた例はほとんど無いという。
それでもペットショップや釣具屋などから虫を手に入れピンセットで口に入れたりしてやった。水もスポイトを使って流し込んだ。ほとんど飛べなかったのでわらで作った小さな籠のようなものにいれて育てた。


だんだん慣れてきて、ピアノの上を歩いたり、婆ちゃんの肩に停まったりと、文鳥の様に愛想を見せるわけではないが、まるで飼いツバメみたいな生活が始った。
ある日、窓を開けたときツバメは飛んでどこかへ行ってしまった。きっと巣立ちの時が来たのだろう。他のツバメと紛れて飛回って行ったのだと思う。
ツバメは恩がえしでもしてくれるのかななどと欲高な考えがよぎったりしたが、毎年こうやって世話をかけながらも逢いに来てくれるツバメは可愛い。

今年もこの子達が巣立っていった。相変らず何を考えているのかさっぱり解らない。だから可愛いのか? 

<COSMOS>この本を最初に読んだのが1980年頃ではなかったか?
上下巻の単行本として売られたカール・セーガンのベストセラーだ。
もともと(知識はないけど)SF好きで宇宙好きで、世紀末の地球がどうなっていくのか、自分は何をやっていくのか、と考えを巡らせていたところに、この書物はタイムリーだった。
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これはもちろん宇宙の解説書であるが、人類が空を見上げて何を考えてきたのかという哲学の解説書だ。それは今までの宇宙解説書には見られなかったことで、この事によって自分の哲学観と結びついて生きる糧、そして音楽をやっていく糧となった。

簡単に言うと「宇宙は何で在るのか?」「私たちはどこからやって来たのか?」「どこへ行こうとしているのか?」「私は何で居るのか?」この答えを見つけ出すのが自分の生きることだと思った。
科学的見地に暗く、数学的にも物理的にも明るくない僕が一つだけ得意技がある。それは楽器を弾くことだ。それも極めて根源的な楽器を。

この本に数多く登場するのが、三平方の定理で有名なピュタゴラスだ。彼はセーガンによると最初に地球は丸いと言い、宇宙をCOSMOSと呼んだ最初の人らしい。

ピュタゴラスは若い頃ゾロアスター教の影響を受けたらしい。ソロアスター教徒が共鳴箱を持った今のギターや琴系の楽器の発祥と関係していることがその地域と時代の符号により明らかで、ピュタゴラスが西洋的音階というものに理論付けした初めての人間だというのも、その流れを踏んでいると感じられる。
ただ簡単に言えば純粋科学で実験を好まない。中心から全て均等だから円は美しい。星の軌道も形も全て円でなっている。
数が全てと言ってもピュタゴラスの数は全て分数のようなものだ。つまり1+1=1、3+3=1、とロバの音楽座の歌のような事になってくる。なんでも円の淵に描かれて3は3等分、5は5等分、この比率こそがハーモニーで、今でいうピタゴラス調律となった。

この誌面?で全てを書き切れはしないのだが、結果として僕のCD作品のテーマの多くは宇宙と交信にある→(注)。僕の宇宙観ではどこにベガがあり膨張宇宙はどこまで行っているなどとはどうでも良い。ピュタゴラスの様に楽器と想像力のみで宇宙を渡り歩く人間になりたい。それほどこの部分に特に影響を受けたものだ。

まあこんな話題が星の話の前に山のように出てくる。はっきり言って星の科学的話は3割程度で、ほとんどはこんな逸話で成り立っている。

たまたま本屋で見つけて思わず1時間も立ち読みしてしまい、さすがに上下巻は重いので電子本で買おうと思ったら、なんとこのベストセラーが作られていないとのこと。しかも紙の方は絶版状態らしい。(かろうじて再版していない本をamazonで買える)思わずピュタゴラスが集中している下刊を買いに戻った。

どうやら35年前と今とでは宇宙論が古いから読ませたくないという意見があるらしい。
まあ書いてある事が古いというのはよく解る。ではアルキメデスやケプラーはもう読まれなくなるのか?そうではないだろう。むしろその思考の過程が解るからこそ、時代が解るからこそ価値があるのでは無いか?(僕は小さい頃家に残っていた南京やリオが首都だった地図が宝物だった)
更に言えば、この本に変わる現代のCOSMOSは在るのか?素晴らしい書物は生まれているかも知れないけれど、COSMOSはあくまでセーガンの私的な叙事詩だ。この本を絶やすことは人類の大きな遺産を失うことだと思う。
(注)CD=KOTODAMAの最初の曲{kotodama] はピュタゴラスの惑星音階のうちのどれかを捩ったものだが、どの星のものだったかは忘れてしまった。セーガンのCOSOMOSの図鑑からの記憶だが、もうその本は見つからない。CDの試聴はこちらへ
MAGI Record

トーテムポール中2s

部屋を片付けていたときに不意に出て来た、中学2年の時に図工の時間に作った木彫りのトーテムポール。

これは中2の学年が4クラスあって、担任の先生を1組みから順に上から並べたもの。 当時の先生たちのわずかな写真をここで見せても、その性格や感触が伝わらないので載せないけれど、これが如何に似ていてその特徴を捉えていることか・・僕はこれは自分自身で最高傑作だと思っている。
先生たちの反応は(笑ってもらえたのか怒られたのか・・)もう50年近く経っているので覚えていないが、友達からは絶賛されていた記憶がある。
江東区立深川第八中学校の当時の誰かが観ていたら、当時を鮮明に思い出してくれるだろう。その時は連絡くれ!

あけましておめでとうございます。
今年の動く年賀状でございます。 

本来はFLASHで作っていますので、PCの方はそちらでご覧下さい。
色んな所をクリックすると始るインタラクティブな構造になっています。

2013年・年賀→nenga13s3


iPhone やiPad等の方はFLASHが動きませんので、こちらへ



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