哲舟の呑む喰う浸かる、歴史に憩う

※歴史をはじめ、史跡・酒場・温泉めぐりの話題などをゆるりと綴っております。リンクはフリーですが、無断転載はご遠慮ください。

『三國夜話 ー三国志ファンイベントでございますー』大盛況!

先日、告知をさせていただいた、でんきたいぷpresents
三國夜話 ー三国志ファンイベントでございますー』が10月19日、開催された。
私も出演者の一人として参加してきたので、ごく簡潔で申し訳ないながら書き残しておきたい。

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場所は、居酒屋形式のライブハウス「阿佐ヶ谷ロフトA」。
来場者は60名はいただろう、超満員近くに膨れ上がった。

タイトルのごとく、三国志ファンに喜んでもらおうとの趣旨で、エンタメ系の人々を
一同に集めて行なわれたこのイベント。まずはこの日のために用意された
特別メニュー「桃園サワー」でカンパイ!

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三国志フェス2013の「エンペラー・オブ・お笑い三国志」で会場を爆笑の渦に包み、
みごと初代笑帝に輝いた、すっぽん大学さんの、今回は客いじりもたっぷり披露された
超絶に面白いコントによるオープニングに始まり・・・

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著書『待てあわてるなこれは孔明の罠だ』でおなじみ、トウトヌ・・・じゃなかった、
原寅彦さんの「横山版三国志LINEスタンプ解説コーナー」。
これも含め、前半はゲスト全員登壇してのフリートーク。楽しかった。

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三国志大好き芸人の爆烈Qさん登壇。「三国志フェス2013」では三国志愛みなぎる
紙芝居をバシッと披露されたQさん、今回は横山光輝三国志の突っ込みどころを
絵を見せながら痛快に語ってくれた。

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日本の本土で唯一の布袋(ほてい)人形劇団、著微(ちょび)主催の
チャンチンホイさんによる人形劇の実演。
これまた、この日のため、特別に三国志の演目を上演してくれた。
名付けて「魯粛の溜息」。実はこれ、私が書かせていただいた、
急ごしらえの脚本だったが、チンホイさんが見事に劇にしてくれた。
周瑜にこき使われ、最後には皿をまわすユーモラスな魯粛の動きと喋り、素晴らしかった。

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終演後、チャンチンホイさんにインタビューして5分ほどトーク。
トークも面白いチンホイさん、その「インチキ中国人」ぶりが大受けだった。

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映画「曹操暗殺~三国志外伝」(原題:銅雀台)のプチ上映会。
10分ほどの映像をみんなで観て、その後に感想を気ままにトーク。
結構、未見の方も多かったようだし、ファンのみんなと一緒に観られたのが良かった。

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そして最後は、この人。おもしろ三国志さん。日本唯一の三国志ミュージシャン。

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この日は10月19日だから「トータクの日」と勝手に決めて「董卓討つべし!」ほか、
「呂伯奢」「奥方様」「ヴィ周郎」を熱唱。場内は最高のボルテージ。
会場の構造上、総立ちで楽しむわけにはいかなかったが、それでも十分な盛り上がり。

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最後は全員、古き良き中国のあいさつ「拱手」(きょうしゅ)で、シメて終わり。
この凄いメンバーと一緒に出演させていただいて、光栄であるとともに、
実に幸せなひとときだった。三国志ファンはすばらしい。

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楽屋での団らんのひととき。左奥は、今回紅一点として出演された、
歴☆女子会主宰者の磯部深雪さん。
右から二人目が、司会の大任を務めてくださった、
ゲームカフェ・バー「ナインティ」オーナーのはやしさん。

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企画ユニット「でんきたいぷ」のお二人(後列右端と前列左端)にも感謝するとともに、
主催イベント2回目にして、大成功を収められたことに拍手を送りたい。
今回、「三国志フェス実行委員」もこのイベントに協力していて、
私もキャスティングなど、お二人にアイデアなどを少し提供させていただいたが、
主催者の頑張りなくしては実現不可能な、完成度の高いイベントだったと思う。

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左は今回、来場者にプレゼントされた関羽コースター。
右は、イベントを観に来てくれたイラストレーターの明加さんが書いてくれた、皿回し魯粛。
イベント翌日にすぐ描いてくれて、すばらしい!

願わくば、またこんなイベントに出演したり参加したりしたいものだ。
明加さんがツイッターで、「三国志充させていただきました、こんなTVとかラジオ番組が
あったらいいのにな~」とつぶやいておられたが、まったくその通り。

そんなものがあったら毎日でも聴いてしまうだろう。
まあ、とにかくイベントをやるとなるとその労力は大変なものだけど、
来てくれた人の「楽しかった」という一声が、主催者には何よりの励みになるし、
次へのモチベーションにつながると思うから、来場者の皆さんはもっともっとそう言って
イベント企画者やプレゼンターの尻を叩いてあげてください(笑)。

※当日、取材に来られていた「歴人マガジン」編集長による詳細なレポートがこちら。
https://rekijin.com/?p=3104
書かれているように盛り上がりすぎて時間が押して・・・
ただ、2時間てことはないかな。まあ1時間は押しました(笑)。

※写真撮影=企画ユニットでんきたいぷ、 USHISUKE氏
 

黒田官兵衛の足跡を追う、城とグルメと温泉たび(4) ~兵庫・番外 編~

2月は短いせいか、なんだか気ぜわしくて毎年あっという間に過ぎてしまう。
前回記してから、またしばらく間が開いてしまったが、先日行った
姫路・鳥取・岡山の旅路からの続きと雑感を上げて、締めくくりとしたいと思う。

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岡山であまりのんびり出来なかったのは残念だが、やむなく神戸まで戻って、
そこから、「粉もの」の町、新長田へ。友人に紹介してもらった「ひろちゃん」という店で、念願の明石焼きを食べる。姫路のタコピアで食したのは「明石焼き風たこ焼き」だったので、今度は本当の明石焼きを食べたいと思っていたのだ。やかんに入った出汁を椀に注ぎ、それに付けて食べる、ふんわり柔らかい粉物。地元の人は単に「玉子焼き」と呼ぶ理由がわかる。出汁はそのまま飲んでも上品な薄味で、とても美味しい。

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これも関東に居たら、ほとんど食べる機会のない「ソバめし」。焼きそばとご飯を
一緒に炒めるという、ユニークな食い物。それにしても関西人は本当に焼き物、粉物が大好きなんだなあ。食は生活の一部だから、鉄板もまた生活の一部。関東では粉物屋というと、大抵は自分で焼かなければいけないのだが、関西はお店の人が焼いてくれるのも、美味しい理由かもしれない。そのほうが楽に美味しく食べられていい。

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そのまま元町のホテルに泊まり、翌朝はホテルに荷物を預かってもらって、
神戸電鉄の粟生(あお)線に、のんびり揺られ「三木上の丸」駅へ。兵庫県三木市別所町にある、とても長閑な駅。あいにくの雨となったが、気にせず向かう。

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ここに何があるのかといえば、駅から歩いてすぐのところに、三木城の跡があるのだ。
そう、三木城といえば、秀吉が「三木の干殺し」と呼ばれる苛烈な兵糧攻めを行なったところ。また、竹中半兵衛がこの陣中に没したことで知られる。

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こういう絶壁を登ってみると、その昔は堅城だったのだろうな、と感じさせる。

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本丸に到着。何もないのかと思ったら、以外に色々な遺構があって、
これは「カンカン井戸」と呼ばれる当時から残る井戸。石を投げ込むと「カンカン」と音がすることから付いた名前だそうだ。鉄柵に覆われ、石は投げられないようになっている。

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当時の城主、別所長治の銅像もあった。背後の丘には辞世の句を刻んだ石碑がある。
「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば 」
鳥取城の吉川経家、備中高松城の清水宗治と同様、開城の条件として我が身を犠牲にした義将。これら3名は、もう少し有名になってもいいのではないかと思う。

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長治の自刃や、三木合戦の様子を描いた絵の描かれた案内板があった。
ちなみに黒田官兵衛は、この合戦が始まってまもなく、有岡城(伊丹城)で捕らえられ、1年間の幽閉生活を送る羽目になった。助け出された後、官兵衛はこの三木城攻めの陣中に復帰したという。

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本丸跡から城下を見下ろす。今回の旅では、秀吉が行なった「三大城攻め」と呼ばれる戦の舞台、
鳥取城(鳥取)、備中高松城(岡山)、三木城(兵庫)を、一度に訪ねることができたのも、これまた嬉しい限りであった。鳥取城と三木城はそれぞれ「渇え殺し」「干し殺し」と呼ばれる過酷な兵糧攻めをかけられ、備中高松城は有名な「水攻め」である。


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さて、再び神戸・元町方面へ戻って、近くにある花隈城を見にいく。ここは
荒木村重が有岡城、尼崎城で信長の軍勢に敗れたあと、執念深く立て籠もった城の跡。村重は結局ここでも破れ、毛利家を頼って中国地方へと落ち延びていく。

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現在、城跡にはかなりの量の石垣が積まれて天守台が設けられるなど、公園化しているが、
この石垣は当時のものではなく、模擬的に造られたものらしい。荒木村重が逃げた後、これを攻め落とした池田恒興がすぐ近くに兵庫城を築くため、花隈城は取り壊した。いずれにしろ当時はかなり大規模な城だったようだ。

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そのまま、神戸の南京町(中華街)へ。春節の催し準備の真っ最中で、程よい賑わい。

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南京町に来たからには、名物「豚まん」で有名な老祥記(ろうしょうき)へ。
土日などは行列が絶えない店だが、雨模様で平日の午前中ということもあり、2~3人しか並んでいなかったが幸運だった。

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持ち帰る人が多いし、私も今まではそうしてきたのだが、今回は店内で
出来たてをいただいてみることにした。フカフカして旨い。1個90円。これでビールでもあれば最高なのだが、この店は本当に豚まんしか無いのである・・・(笑)。豚まんといっても、一口サイズの小さいものなので、10個も平らげてしまった。

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少し海岸のほうへ歩き、「神戸華僑歴史博物館」をサラッと見学し、海軍操練所の跡へ。
ここは幕末に、勝海舟が築いた海軍学校があったところ。当時、ここに坂本龍馬、陸奥宗光なども通っていた。なかなか面白いモニュメントが建っている。

さて、この旅もそろそろ終わりが近づいてきた。
新神戸駅に出て駅弁を買い、新幹線で帰京。なんとも名残惜しいが仕方ない。

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ちなみに購入した弁当は、これ。「官兵衛の築城弁当」。
写真がうまく撮れなかったので淡路屋のサイトから拝借した。城型の陶器はなかなか良くできているが、たいそう重くて嵩張るので、持って帰ってくるのに苦労した(笑)。中身は鶏つくね、鶏唐揚げ、きんぴら蓮根、官兵衛焼き印入り卵焼、竹炭薩摩揚げ、菜の花煮、人参煮、かやく御飯。味は普通においしいが、、容器に比べて中身には取り立てて特徴がないかな。

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官兵衛の弁当は持ち帰ってきたもので、実は新幹線の中で食べたのは、
この「肉めし」(1000円)。淡路屋の主力商品。国産牛のもも肉のローストをサフラン風味のご飯に敷き詰めてある。これ、結構好き。量がやや少ないのと、添え物がしょぼいのは難点だが。関東の駅弁大会とか東京駅の駅弁屋では淡路屋の弁当は売っていないので、なかなか食べるチャンスがない。

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あと、お土産で買ったものといえばこちら。姫路城の売店にて。官兵衛のお椀方の兜を模した、ぐい飲みだ。実用にするよりも飾っておきたくなる。

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姫路城のお屋敷庭園の建物玄関に展示されていた官兵衛の騎馬人形。
なかなか精巧に出来ているので、欲しかったけどもちろん売り物ではない・・・(笑)。

とまあ、こんな感じで有意義な4日間の旅でございました。鳥取や岡山は、いずれも随分と昔に行って以来、久しく足を運んでいなかったので、今回は本当にいい機会だった。またいつでも行きたいものだ。

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最後に1枚。太閤ヶ平(秀吉本陣)から見た鳥取城。

黒田官兵衛の足跡を追う、城とグルメと温泉たび(3) ~鳥取・岡山 編~

この日の鳥取は天気が悪く、日が落ちるのも早そうだったし、
鳥取城・太閤ヶ平も見ることができ、だいたいの目的は達したので、
宿泊予定地の吉岡温泉へ、少し早めに向かうことにした。

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鳥取駅前から、バスに揺られること約20分。吉岡温泉へ到着。
前日に泊まった姫路の塩田温泉同様、ここも鳥取の奥座敷といった感じの立地だ。歴史は古く、開湯は約1000年前といわれ、戦国時代には島津家久が京都から薩摩へ帰る途中に訪れたという記録もある。そして江戸時代には、初代藩主・池田光仲以来、歴代の藩主が立ち寄った湯殿があったとか。

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この温泉街、ひなびた感じが実にいい。段々と陽も落ちてきて、暗くなってくると
より一層、情緒が高まってくる。おそらく1キロもない小さな温泉街だが、現在12軒の旅館が点在している模様。

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宿に荷物を置いて、町を散策がてら、まずは町営の公衆浴場に入ってみた。
200円で温泉に入れるなんて、東京住まいの私にとっては天国である。だって、東京は普通の銭湯でさえ450円も取るのだから。タイル張りの昔ながらの浴場。地元の人々に混じっての遠慮がちな入浴が楽しい。吉岡温泉の源泉は51度、循環も加水もしていないから、結構熱いのだが郷に入っては郷に従えで、熱い湯舟に肩までゆっくりと浸かった。それだけで一日の疲れが解放されてゆく・・・。本当に温まる、いい湯だった。

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この日、世話になったお宿、田中屋。木造2階建ての昔ながらの旅館。築70年ぐらいだそうで、
ネット上で、ひと目見て気に入ってしまった。1泊2食9000円と値段も非常に良心的である。
現在の主人で18代目だそうで、その歴史の長さに恐れ入るばかり。

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田中屋の内湯にも、もちろん早速浸かる。公衆浴場と同じ源泉が引かれているようで、もちろん源泉かけ流し、そして温度も高め。それだけに本当に温まる。廊下の電話室には、旧式の電話が2つ置かれていた。もう、こういうのを見るだけで嬉しくなってしまう。

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そして夕食。この値段で、こんなに食べさせてもらっていいんですか、という感じ。
普段、私はあまり旅館では夕食はとらず、外で好きなものを食べるほうだが、決して旅館の飯が嫌いというわけではない。このように奇をてらわない、地元でとれた食材中心の素朴な夕食なら大歓迎。

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翌朝、温泉街を散策して、湯にもたっぷりと浸かり、美味しい朝飯を食して出発。
上では書き忘れたが、田中屋さんは女将さんが控えめな人であまり出てこず、ご主人が話し好き。しかも親切で、帰りは鳥取駅まで車で送ってくれちゃった。いやあ、お世話になりました・・・。
吉岡温泉は満喫できたのだが、鳥取駅前に点在する名物温泉めぐりが、なんだかんだで時間の余裕がなく、今回はできなかった。それが心残りだが、次に行ったときの楽しみとしておこう。

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さて、鳥取駅から岡山駅を経由して備中高松へ向かう。今日の目的は岡山めぐりだ。
ということで、道中は省略して・・・やってきました備中高松駅。出入口の楕円が面白い。

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駅から1キロほど北へ行った場所に、秀吉が水攻めで開城させたことで
有名な備中高松城の跡。石垣はなく、低湿地帯に土塁が盛られた、いわゆる中世の城だったので城の痕跡はほとんどない。ハッキリしていることは、ここで織田軍と毛利軍が戦ったということ。

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でも、それがいいのである。こうして広大な水辺の公園であってくれるだけで、
往時の面影は十分に感じ取れるのだから・・・。水攻めだけじゃない。秀吉はここで信長が本能寺で討たれたことを知り、毛利軍との戦いをやめて講和に持ち込み、京都へ一目散に引き返す「中国大返し」を敢行したのだ。

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公園には資料館もあって、水攻めの様子を再現したジオラマ、清水宗治の銅像などが展示。

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これが清水宗治の首塚。秀吉は水攻めの前に、「降伏すれば備中一国を与える」という条件を出したが、宗治は応じなかったと言われている。そのため、黒田官兵衛の策といわれる水攻めが開始され、城は水没。城兵の命と引き換えに、宗治は水上に漕ぎ出した舟の上で切腹。45歳だったという。

「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」
宗治辞世の句を刻んだ碑も、傍らに建てられている。

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資料館に置かれていた宗治の銅像。正直、資料館の中に飾るのではなく、
公園にもう少し立派な騎馬像でも造ってあげられないものかなと勝手ながら思う。

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高松城址公園から、南西へ約1キロほど離れたところにも史跡公園があり、
「水攻築堤址」の碑が建つ土塁状のものがある。これが秀吉軍が
水攻めに使った堤の一部で、直径10mほどだろうか、堤がわずかに今も残る。
碑がなければ、ただの丘だと思ってしまうだろう。

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この史跡公園のすぐ近くに、黒田官兵衛が布陣していた。
「本能寺の変」の急報が入るや、「今こそ天下をお取りなされませ」という風な内容のことを秀吉に進言したわけである。場所は石井山の秀吉本陣だろう。日本史の流れを変えた重要なスポットといえる。

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そのまま伯備線を北上して向かったのは、備中高梁(たかはし)。
なんだか、すぐに岡山へ戻ってしまっては勿体無いような気がして・・・ここまで来たからには、ぜひ行ってみたいところがあったのだ。備中松山城である。

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駅前の観光案内所に入り、備中松山城までの乗り合いタクシーを頼んでもらう。
こうすると、普通にタクシーに乗るよりも半額程度で、城の8合目(ふいご峠)まで行けると事前調べで知っていた。タクシーの中からではあるが、城下町・高梁を堪能しつつ、臥牛山(松山)へ。

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車で行けるのは、この「ふいご峠」まで。ここからは登山道を歩いて20分ほど登ってゆく。
「松山」といえば、伊予(愛媛)のほうを連想する人が多いのかもしれない。だから、それと区別するために「備中」松山城と呼ばれるわけだが、愛媛松山に負けないほどのすばらしい城が、ここにはそびえている。

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道中は省略するが、登っていくにつれ、巨大な石垣群が現れ始める。
こんな山の上に・・・である。驚くほかあるまい。

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写真では、そのスケール感が伝わりにくいが、絶壁の中の石垣のすごいこと。
備中松山城の情報を見ると、結構「きつい」ということが書いてある。が、登山道もよく整備され、いささか勾配のきついところはあるが、それほど厳しい道のりには感じなかった。ただ、あまり山城に登った経験のない人は「きつい」と感じるかもしれない。それに夏場であればこの時期の10倍ぐらいはきつく感じるだろう。冬でよかった(笑)。

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見えてきました、天守と櫓が。700mもの山の上にこんなものが建っているなんて
知らない人はビックリされるかもしれない。これが日本三大山城のひとつ、
備中松山城である。ほか2つは、岩村城(岐阜県)、高取城(奈良県)。

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岸壁を土台にそびえる天守は、天和元年(1681年)に2代水谷勝宗が建てたもの。
ボロボロだったのを昭和初期に一度解体・修理しているが、資材は当時のまま、いわゆる現存天守だ。現存12天守の中で、唯一の山城であり、天守自体は2階建てで小ぶりながら山上にあるというだけで、その希少性が分かる。実は現存12天守の中で、ここだけ来ることができていなかったので、これでコンプできたことになる。ありがたい機会だった。

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天守内部および、脇に建つ二重櫓。こちらも現存のもの。天守とともに
重要文化財とされているが、国宝にしてもいいと思えるほど。実は、あまり知られていないが、元禄時代に水谷家が3代目で断絶した後は、この城を赤穂藩主・浅野内匠頭守(たくみのかみ)長矩が3500名の軍勢を連れて受取りに来ており、その家老・大石内蔵助が一時的に城番を務めたこともある。翌年に安藤重博が新城主として入城するまでの1年9ヶ月間、大石が松山城を管理したという。そう、短い期間ながらも赤穂藩士ゆかりの城でもあるのだ。

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登った記念に1枚。平日にも関わらず、ちらほらと登山客の姿も見受けられ、
すれ違うときに、「こんにちは」と言葉をかけ合う空気が生まれるのが山城の良さ。
杖は、駐車場のところにあったものを拝借。まあ、いい歳なんで許してください(笑)。

最近、「日本のマチュピチュ」などと呼ばれ、竹田城(兵庫県)が人気だが、この備中松山城も早朝に別の高台に登って眺めると雲海に浮かぶ姿が見られるとか。いずれ再訪して拝みたいものだ。竹田城は、朝のテレビ番組などにも出たせいで、にわかに人気になり、観光客が殺到し一部破損してしまったというニュースがあった。・・・あまり有名になり過ぎると観光地化して雰囲気が変わってしまう典型的な例で、それを思うと、有名になったほうがいいのか、あまり知られないでいたほうがいいのか・・・どっちが好ましいのか分からず、複雑な感じはするが。

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山の下に建つ高梁高校。城の敷地内にある。
この高梁で感心したのは、町なかですれ違う学生たちが、頭を下げて「こんにちは」と挨拶してくれるところだ。たとえタクシーに乗っていても、気付けばみんな挨拶する。最初は驚いたが、次第にこちらも慣れてきて、手を振ったりして。
東京なんかだと、生活形態が違うこともあるが、とても真似できないだろう。こんな素朴なところが、日本にはもっと多くあってもいい。教育が行き届いているというか・・・とにかく、心がホッとするような空気がある。高梁。今回初めて来ることができ、あまり長く滞在できなかったが、いいところだ。

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さて、高梁駅を経由して、在来線で約1時間、岡山駅へ戻ってきた。
せっかく20年ぶりぐらいに来た岡山。岡山城も見なければ。冬だから日没が早い。急いで向かった。

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着いたころには、だいぶ陽が落ちてしまっていて、すでに天守の入場時間も
過ぎてしまっていたが、そのおかげで、ライトアップされる岡山城天守が見られた。

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岡山城といえば、宇喜多秀家が築いた城として有名だ。
天守は昭和20年の空襲で焼失し、現在のものは昭和41年の再建。
再建ながら「漆黒の城」として親しまれ、街のシンボルの役割をつとめる。
別名を「烏城」と呼ばれる黒い天守は、独特の風格がある。

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この月見櫓は、寛永年間(1615~1632年)に建てられた現存の建物。
岡山は江戸時代、五重の濠に囲まれた巨大な城郭都市で、町全体が
城の中にあったようなものだが、その面影を宿しているのはこの本丸だけになっている。
それも時代の流れで、致し方ないことだが。

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残念ながら今回はタイムアップで行けなかったが、この川を挟んだところに
岡山後楽園(大名庭園)がある。この旭川は、今でも岡山城の天然の濠の役目を請け負っているようだ。

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(写真は駅で買った「岡山ばらずし」と、アイス風の生きびだんご)
さて、これにて2泊3日の行程が終わり。
「姫路・岡山・鳥取 三都城下町物語 推進協議会」から依頼されたノルマは、これで完了したことになるが、せっかく西日本に来たことだし、帰る道すがらにも少し史跡を見ていきたい。ということで、本当は岡山で1泊できれば良かったのだが・・・翌日の都合もあるため、後ろ髪をひかれる思いで岡山から神戸まで戻った。この日は神戸で1泊することにし、あと半日だけ、この「黒田官兵衛めぐり」を延長して楽しむことにした。(その4 番外編につづきます)
 

黒田官兵衛の足跡を追う、城とグルメと温泉たび(2) ~鳥取 編~

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塩田温泉(姫路市)で迎えた朝。畑に霜が降りるほど寒かったが、はりきって出発。
朝8時半のバスで、いったん姫路駅へ戻り・・・

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JR線の播州赤穂行きで、いったん相生・上郡まで出て、
特急スーパーいなばに乗り換え、合わせて大体2時間弱で、鳥取駅に着いた。
それにしても「播州赤穂」行き・・・何度聞いてもカッコいい駅名だ。

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鳥取といえば、古くは因幡国。有名な、古事記に出てくる
大国主と因幡の白ウサギの銅像が駅南側のロータリーに建っている。実は、まっすぐ鳥取城のほうへ向かおうとしたのだけれど、見事に出口を間違えたおかげで、この像に会うことが出来たのだ(笑)。さて、気を取り直して駅の北口のバスターミナルから、周遊バスで鳥取城の前へ。地方都市によくある、100円で乗れるバスが、この鳥取にも走っている。

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着いたところは、北の御門というところで、いわば当時の鳥取城の
搦め手にあたるところ。大手はやや東側にある。城へ向かう前に、
すぐ脇に鳥取県立博物館があったので入ってみた。

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常設展示が面白そうだったので、180円を支払って入館。
旧石器時代・古代から、近世までの鳥取の歴史を紹介している。

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当然、秀吉の鳥取城攻めの資料も展示されている。城へ向かう前に、ここで
おさらいしておくのが吉だろう。秀吉の兵糧攻め「鳥取の渇え殺し」は有名だが、ドラマなどでは、ほとんどまともに描かれず、ナレーションだけで済まされてしまうが、資料を読んでいると有名な武将が色々絡んでいて面白い。複製ながら信長が秀吉に与えた朱印状も展示されていた。

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こちらは、江戸時代の鳥取藩・池田家に関連した展示スペース。
鳥取の初代藩主・池田光仲の肖像がある。おそらく、ほとんどの人は素通りしてしまうだろうが、この人は結構すごい人なのだ。なにしろ、徳川家康の曾孫(ひまご)だから、顔が家康にそっくり。姫路城を造った池田輝政が、徳川家康の次女・督姫と結婚し、その間に生まれたのが池田忠雄(ただかつ)。光仲はその忠雄の息子なのである。隔世遺伝で本当に顔がそっくりだったのか、わざと似せて描かれたのかは分からないが、私は本当に似ていたんじゃないかと思っている。

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そういえば、電車を降りて、駅からすぐにバスに乗ってしまったので、
昼食をどうしようかと思っていたが、博物館の中に洒落たレストラン「カフェ・ダール ミュゼ」があったので利用することに。入ってみて驚いた。正直、博物館のカフェだから、大した期待はしていなかったのだが、なかなか雰囲気もよくて、本格的なものが揃う。そのせいか、お客さんも結構入っている。
ランチも日替わりなどがあったが、迷った末に「薬膳鳥取牛すじカレー」980円を頼んだ。これが美味しい。既存のルーを使わず、手作りのピリ辛スパイスのカレーの中に野菜と牛肉がゴロゴロ。自家製の「黒らっきょう」の調味料を添えてどうぞ、といわれ、その通りにしたが、実に相性がいい。ライスが白米か十六穀米かを選べるのも気が利いている。満足できた。そういや、鳥取はカレー好きとカレー自慢の店が多いらしい。

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外へ出て、はす向かいに建っている、仁風閣(じんぷうかく)へ。明治40年、鳥取池田家の第14代当主・池田仲博侯爵が別邸として建てたもの。皇太子殿下の宿舎として使用されたこともあるという。

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内部も見学できる。古い洋風建築の建物は、名作映画の世界のようで心が弾む。左写真、階段の上に飾られている「仁風閣」の額は、東郷平八郎の書だ。

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仁風閣は、裏側の庭園もすばらしい。ここから、鳥取城の石垣もよく見える。

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では、前置きが長くなったが、いよいよ鳥取城へ。
ここで、鳥取市の教育委員会・文化財専門員の細田隆博さんと待ち合わせ。せっかくなので、事前に見どころなどのを案内をお願いしていたところ、快諾していただけたという次第。細田さんと合流後、いざ城跡へ歩みを進める。柱に「運動場」と書いてあるが、鳥取城跡は明治10年ごろに建物がすべて取り壊され、その後、城跡の一角に運動場ができた。現在、その運動場は取り壊されて、スタンド部分だけがわずかに残っているが、この柱もその名残だという。城を壊して運動場を作り、またそれを壊して城を復元するという・・・そんな事情を聞くと、近代日本の価値観の変化が見て取れる。

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二の丸の上り口にある中仕切門。幕末の頃に造られた門だったが、一度強風で倒壊し、その後再建された。

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現在、鳥取城跡は本格的な復元工事中で、2006年度から30年で、江戸時代の姿へ復元する計画が進んでいる。登城ルートの整備や、櫓などが近い将来、復元されるという。

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鳥取城、それにしても結構な量の石垣が残っている。
太平洋戦争中に起きた、鳥取大震災でだいぶ崩れてしまったようだが、それを積み直して復元するだけでも大変なのに、現在の復元法は、一度その部分をわざわざ解体し、調査してから新たに組み直すという手の込んだ方法が取られている。非常に根気のいる作業だと思うが、貴重な文化遺産を残すためには、それぐらいの手がかかるということなのだろう。

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今回、一番驚いたのが、二の丸の脇にある「天球丸」という場所に
積み上げられた「巻石垣」というもの。この巻石垣は、護岸や堤防、港の突堤を築く際に用いられるものだが、城に使われた例は他になく、全国で唯一の例だという。石垣のぐらつきを防ぐため、球面を持つ巻石垣で石垣下部を補強したというのだ。
「天球丸」という名前だが、この巻石垣があったから・・・と誰もが考えるが、細田さんはそれは違うとおっしゃる。関ヶ原合戦後、城主となった池田長吉姉・ 天球院(てんきゅういん)の居所があったことに因んでいるそうだ。それにしても・・・後で考えると、天球院という名前自体が不思議。どうしてそんな奇妙な名前を名乗ったのか。そして本人は相当な女傑であったという。気になるところだ・・・。

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二の丸から城下を見下ろす。この城跡は、秀吉や官兵衛が兵糧攻めをした
当時のものは既に少なく、江戸時代後期の遺構が中心になっている。それにしても、すでに山城の役割は終わっているのに、この山上の二の丸や、先ほどの天球丸が使われ続けたのだから、池田家はこの山城をよほど大切にしていたのだろう。

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大手口の近くに建つ、吉川経家(つねいえ)の銅像。
秀吉の兵糧攻め(渇え殺し)に4ヶ月耐え、最後は城兵の命と引き換えに自刃して開城した義将である。同じような役割をした人物としては、備中高松城の清水宗治がおり、どうしてもそちらが注目されるが、経家ももっと注目されるべき人かもしれない。

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細田さんのご好意で、「太閤ヶ平」(たいこうがなる)へ、案内していただいた。
太閤ヶ平という名前は、後世になって付けられた史跡名だ。ここは、秀吉が鳥取城を攻めた時に造った本陣の跡。秀吉は標高263mの鳥取城の東へ、1.5km離れた標高251mの帝釈山上に本陣を構え、ここを中心に鳥取城を包囲したのだ。両軍にらみ合いの末、やがて食糧が尽きた鳥取城側は、餓死者の人肉まで奪い合うという飢餓地獄に陥り、開城へいたった。

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あくまで陣営なので、何があるわけでもないが、しっかりと空堀を造り、構築した跡が残っている。当時、まだ織田軍の一部将に過ぎなかった秀吉が造るものとしては規模が大きく、しっかりした構造だ。当時、中国出陣を予定していた信長を迎えるための陣営だったのではないかという指摘もあるという。そう考えると、何かすごいところに来てしまった、というような感覚になった。城好きにとって大切なのはモノではなく、シチュエーションなのである(笑)。

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今回、鳥取城と太閤ヶ平をご案内してくださった細田さん。(感謝!)
太閤ヶ平からは、鳥取城のある久松山がきれいな形で見える。秀吉は間違いなく、このあたりから鳥取城を睨んでいたはず。案内板を見てもわかるように、互いの距離は約1.5kmしか離れていないため、声も届くほどの緊張感のある近さだったことがわかる。

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太閤ヶ平の下に鎮座する、鳥取東照宮。初代藩主・光仲が曽祖父の家康を
祀るために築いたもので、慶安3年(1650年)の創建。古めかしい建物に風格を感じる。

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おまけといっては失礼だが、鳥取城攻めのとき、黒田官兵衛が布陣したと
想定されている場所。秀吉の本陣とは、鳥取城を挟んで対角線上の
袋川沿いにあり、城を包囲するためには重要なポイントだったようだ。
なので、官兵衛は軍師のように常時、秀吉のそばには居たわけではなく、
ここでは指揮官の一人として戦闘に参加していたとみるべきかもしれない。

さて。これで鳥取散策は終わり。その後は宿泊地の吉岡温泉へと向かったのだが、
あまりに鳥取城と太閤ヶ平が素晴らしすぎて、長くなってしまったので、続きは次回。
(その3 鳥取・岡山編へつづきます)

黒田官兵衛の足跡を追う、城とグルメと温泉たび(1) ~姫路 編~

先月末になるが、「姫路・岡山・鳥取 三都城下町物語 推進協議会」から、
ありがたくも、モニターツアーの依頼を受けたため、自分で旅程を組み、三県を旅してきました。
3泊4日の旅程を、かいつまんで何回かに分けてアップしたいと思います。

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今年のNHK大河ドラマは『軍師官兵衛』。いわずと知れた黒田官兵衛を
主役に据えた戦国時代ものだ。戦国時代が舞台になると、なんだか日本各地が盛り上がって活気が湧いてくるようで、私のような旅好きは嬉しくてたまらなくなる。・・・というわけで、まずは、官兵衛と非常につながりが深い城、御着城(ごちゃくじょう)跡を訪ねてみた。
本丸の跡に建っているのは櫓のように見えるが、実は市役所の出張所。歴史的な建造物が無い以上、史跡を壊さない程度に、こういうものでも建てれば、あまり歴史に興味のない観光客には喜ばれるのではないだろうか。

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官兵衛の主君だった小寺政職(まさもと)の本拠地としてドラマ序盤にも登場。「ごちゃくじょう」という、その発音のインパクトの強さで、一度聞いたら忘れられなくなるような城名だ。城跡には、官兵衛の祖父・重隆と生母の明石氏の墓もひっそりと建っている。もともとは姫路城が支城で、こっちが本城だったのにもかかわらず、今までは兵庫の人に聞いても知らないほどのマイナーな城だった。それが、ドラマのおかげで知名度も上がり、盛り上がっているようで何よりだと思う。

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御着城の前の車道はバス通りになっていて、1時間に1本程度だが、
姫路駅行きのバスが走っている。タイミングよくバスが来てくれたので、それに乗って姫路駅へ。駅前で下りて大手道を見ると、そこには・・・。改修中の姫路城天守が。そう、普段であれば駅から雄姿が見られるはずの姫路城天守は、ただいま「平成の大改修」中。このようにスッポリ囲いに覆われてしまっているのですな。

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さて、城へ向かう前にまずは駅前で腹ごしらえをしておきたい。というわけで、姫路駅地下街へもぐってみると、レストラン街に「明石焼き風たこ焼き・姫路タコピア」という店を発見。やっぱり、関西に来たら「粉もの」を食べたくなる!

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「明石焼き」のように、出汁に漬けて食す、ふんわりした「たこ焼き」。
姫路市民にも大人気のようで、ランチタイムということもあり、とても賑わっていた。地元では、明石焼きは「玉子焼き」と呼ばれるようだが、どっちにしても関東人の私にとっては、滅多に食べる機会のない貴重な食べ物だ。1皿10個390円という、良心的お値段に感激。さすがは関西! 東京で同じものを食べたら700円てところかな。ついでに「酒 瀧力」(250円)というものがあったので、勢いで注文。地酒に目がない私であった。いや~、熱々のたこ焼きと、キンと冷えた地酒の取り合わせ、じつに美味しかった。結局2皿をぺろりと平らげてしまった。

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駅前から10分ほど歩いて、姫路城の前に到着!
本来なら、ここに巨大な天守が・・・と、あんまり言っても仕方がないので・・・。

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4年前に来たときの写真を、フォローの意味で載せておきます(笑)。
もう、この佇まいを見れば、国宝どころか世界文化遺産にまで、登録されてしまう理由も分かろうというもの。実は、つい1ヶ月ほど前までは大天守の囲いの中に入れて、修理中の大天守を間近で見ることができたのだが、その期間も終了してしまった。工事が完了して、再公開されるのは、おそらく2015年の春からになるだろう。

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本丸へ向かう前に、「家老屋敷跡公園」へ立ち寄る。なぜならば、
今は大河ドラマ放送期間限定で「ひめじの黒田官兵衛 大河ドラマ館」が建っているから。単体だと500円だが、姫路城との共通入場券だとセットで700円になっていてお得。

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館内は、大河ドラマ出演者の衣装や小道具の展示および、セットの一部が再現。
とくに官兵衛の時代の姫路城の物見櫓は迫力があった。役者さんの肖像権の問題からか、残念ながら館内は一部を除いて撮影禁止。掲載している写真は官兵衛の居室(左)と、有岡城(伊丹城)の土牢の再現セット。荒木村重によって、官兵衛が閉じ込められてしまう、あの土牢はとても精巧に造られていて、ドラマで見るのが楽しみだ。

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実は、冒頭に載せた御着城を訪ねる前に、朝イチで有岡城(伊丹城)にも立ち寄ってきた。
JR伊丹駅(兵庫県伊丹市)の目の前にある城跡は、当時を偲ばせるものはわずかな石垣と建物の礎石群、それに井戸跡ぐらいしか残っていないが、「ここに官兵衛が1年間も閉じ込められていたんだ・・・」と考えると、なんだか特別な情感が湧きあがってくるのだった。

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大河ドラマ館を出て、いよいよ姫路城の主郭部へ。
写真は「菱の門」といって、三の丸から二の丸へと通じる大手口を固める櫓門。もちろん江戸時代が残るもので、城内で一番大きい門だ。他の城であれば、これだけで満足してしまいたくなるほど。

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先にも記したとおり、現在は大天守の修理工事中なので、本丸(赤い部分)には入れなくなっている。

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天守だけが城にあらず。修理中でも、姫路城の素晴らしさは変わりない。
改修は次世代に姫路城を伝えるための大事業。必要不可欠のものだ。

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大天守の隣にそびえる小天守。「小」といっても、他の城であれば
十分に天守閣と呼べるほどの大きさが、しかも2つ連立しているのだから、いやはや凄いのだ。

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大天守の代わり、とまでは行かないが、普段は開けない二の丸「リの一渡櫓」を開放し、
「官兵衛の歴史館」として、黒田官兵衛にまつわる資料やジオラマ等を特別に展示中。

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官兵衛ゆかりの遺品類も展示。複製品ながら、有名なお椀型の兜(左)も。
合子形兜(ごうすなりかぶと)といって、関ヶ原と同時に起きた九州での合戦着用し、
実物は人手に渡り、現在は盛岡市中央公民館にあるとか。

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黒田二十四騎をイメージした甲冑(複製)も並んでいる。カッコいい。
うーん、自分も男子たるもの甲冑の1着ぐらい欲しいものだ・・・(笑)。

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黒田官兵衛は、この姫路城で生まれた。今のような世界遺産の立派な城になったのは、
江戸時代に入って池田輝政が大改修を施してからで、官兵衛が姫路にいた時代は
小規模な城だった。しかし、秀吉が来てからは石垣も相当量が組まれるなど、
かなり先進的な城になっていったようだ。城内の各所には、
秀吉や官兵衛の時代に積まれたとされる、野面積みの石垣も結構残っている。

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もうひとり、姫路城といえば忘れてはならない人がいる。千姫(せんひめ)だ。
徳川家康の孫であり、秀忠と江の長女でもあり、豊臣秀頼に嫁いだ女性である。「大坂の陣」で、夫と死に別れ、19歳にして未亡人となってしまったが、その翌年、本多忠勝の孫・忠刻(ただとき)と結婚する。 忠刻が姫路へ移ると、千姫も同行して姫路城内に移ってきたのだ。しかし、1621年に2人目の夫も若くして死んでしまうという悲劇の女性・・・。千姫が住んだという西の丸には、彼女の等身大人形がある。膝元には猫の姿が。

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姫路城の敷地内には、猫がいっぱい居る。地元では猫の名所として知られているらしい?
やはり、千姫が居たころも、こうやって猫がいたのだろうか・・・。

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建物ばかりでなく、石垣や堀の美しさも、また姫路城の良さだ。

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すぐ隣にある、お屋敷庭園にも足を運び、しばし時を忘れて佇んだ。

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歳徳神社の前にたたずむ、千姫の銅像。彼女は夫の死後、何を思って過ごし、
どんな思いで、この姫路城を後にして江戸へ帰ったのだろうか・・・。

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なんだか、ちょっと、しんみりとなってしまった。駅前へ戻り、手ごろな居酒屋を見つけて、
「おでん」と、地酒「雪彦山」で温まる。姫路は、おでんの名物どころで、公式サイトまであるのにはビックリした。生姜醤油をかけて食べるのが、地元流とか。前に来たときはノーマークだったなあ。食べてみると、生姜醤油がアクセントになって美味しい。冬の散策で冷え切った身体が温まる・・・。あと、姫路といえばアーモンドバターが名物であることも、ひそかに有名。

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夕食を済ませ、姫路駅前のバスターミナルから、宿泊先の塩田温泉「上山旅館」へ。
明治7年創業の温泉宿で、古くから姫路の奥座敷として地元では知られた存在。

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現在は、こぎれいにリニューアルされているが、老舗らしい落ち着いた風情がある。
塩田温泉は約600年前に発見され、江戸時代の中期には4軒の旅籠があった(現在は2軒)という記録があるので、もしかしたら官兵衛とか、千姫も浸かりに来たかも・・・(笑)。(官兵衛や秀吉が実際に行ったことで有名なのは同じ兵庫県の有馬温泉)。ここの温泉は、湯量こそ少ないけれども、よく温まるいい湯だった。

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夕飯は「姫路おでん」が食べたかったので、今回は1泊朝食付きで泊まったのだが、
翌朝提供された、温泉がゆ、煮物、玉子焼きが絶品で、これなら夕食も食べてみたいと思った。
(その2、鳥取 編に続きます)

年明けから三国志関連のイベント各種へ。

年が明けてから、ちょっと日が経ってしまったが、
参加した三国志関係の活動とか、イベントのことなどを覚書きにしておこう。

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三国志ファン同志で新年の宴。 四川料理 川国志(せんごくし)にて。
以前にも利用したことがあるが、安くて本格的な麻婆豆腐をはじめとした
四川料理が食べられる。紹興酒ボトル「呉」は、孫権の絵が描いてあった。

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先日、渋谷で打ち合わせの帰り、ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーへ。
11月に展示替えされてから、やっと観に来られた。
平家物語は若い頃の義経、つまり牛若丸、
三国志は、「呂布の最期」と題した座り姿の呂布と、若い頃の荀彧が目玉かな。

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1月13日には、チャンネル銀河が主宰した「最強・三国志祭り」を見てきた。
会場はスカイツリーの下にある「ソラマチ」。

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昨年の三国志フェスで、見事「初代・笑帝」に輝いた、すっぽん大学が登場!
三国志コントで会場を沸かせたあとは、クイズ大会の司会をしておられた。P1280654
続いては、やついいちろう さん、おくまん さんも登場。
三国志を愛する芸人たちが夢の再会、共演を果たしてトークショー!面白かった。

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やついさんによる、チャンネル銀河の「最強・三国志祭り」ラインナップの紹介。
『ドラマ曹操』、『三国志 Three Kingdoms』、『蒼天航路』、『三国演義』、
ファン必見の番組ばかりが、現在放映されている。(ドラマ曹操は2月3日から)

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1月21日は、明治大学へ。加藤徹先生(中国文学・京劇の研究家)の補講に、
チャン・チンホイさんがゲスト出演されたので、聴きに行ってきた。
(左がチャンチンホイさん。右下が加藤先生)
台湾の伝統芸能、布袋戯の歴史から、人形の基礎的な動かし方、
表現の仕方などをたっぷりと。実演も交えてお話された。

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「三国志フェス」でも披露していただいた、布袋人形劇をキャンパスでも実演。
見事な皿回し。この人形で三国志をやろう!・・・という話も出ているので、お楽しみに。
 
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