火山山麓のレモンイエロー : 草軽電鉄の記憶

その昔、浅間高原を走った軽便鉃道のこと、その模型など思いついたままに語る、鉃道青年のブログ。

写真展、好評開催中!

旧草軽電鉄北軽井沢駅舎にて開催中の写真展『草軽高原を往く』も、会期を半分過ぎました。
始める前は、正直このような来にくい場所に、一体どれほどの方が来てくれるのだろう…、とすごく心配でした。ところが始めてみれば、県内の方はもちろん、ひろく関東圏から本当に大勢のお客様が見にきてくれました。
是非初日に来たかった、といって青春18きっぷで駆けつけてくれた方、寒くて雨が降っているというのに2日続けて見に来てくれた方、雨の中模型を持ってきて会場で走らせてくれた方、このブログを見て何としても行ってみたかったと言ってくれた方、普段の気安さはあってもわざわざ家族を連れて来てくれた近しい友人の方々、そしてまた、趣味界の重鎮と呼ばれる方々にも来て頂きました。
皆さま、本当にありがとうございました。


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なんとなんと、新聞で紹介されちゃいました!。(上毛新聞:9月18日)
 

また、北軽井沢を始めとした長野原町や、かつての草軽沿線に住んでいたという方々も、たいへん大勢来てくれています。
通常我々マニアは写真を見るとき、そこに写っている車両と、全体の雰囲気の良さしか見ていないものですが、地元の方々からはそれぞれの写真に写っている膨大な情報、人物や着ている服、建物、看板、そこに生えている樹木に至るまで、たくさんの指摘を得ることができました。例えば、ここに写っているのは同級生だった◯◯ちゃん、これは△△先生の家、と伺って、“そうだったんですか…”、といっていると、特に連絡してもらってもいないのに、時間をおいて◯◯ちゃんや△△先生が実際に来てくれるのです。

最初に伺ったおはなしを頭に入れて来て頂いた方たちとおはなししていれば、想像もしていなかったところでいきなりはなしがつながっていくのです。そこから、さらに当時のはなしが広がっていって、60年前の勘違いが今になってわかったり、それはもうあたかもライブ会場のような臨場感と緊張に包まれた空間で、1日終わった後はへとへとになってしまうほどでした。
さらに次の日には、同じ人が兄弟や友人を連れて、また来てくれるのです。


そして、草軽電鉄のOBの方々も来てくれました。
しかし残念ながらすでに多くの方が故人になっており、鉄道に関わった方はもうわずかです。そんな中で、鉄道廃止時には小代駅の駅長として勤められ、現在軽井沢在住の金井 実さんは、耳が遠くなっているもののその記憶は驚くほどしっかりしていて、何を聞いても的確な答えが返ってくる方です。現在でも草軽の記憶を語れる、恐らく最後の方なのではないでしょうか。金井さんのことは、いずれこのブログでも改めてご紹介させて頂きたい、と考えています。

その金井さんがご家族で会場に来てくれました。
展示の写真の中に、竹中泰彦さん撮影の、小代駅で三輪車で遊ぶ子供の写真があるのですが、写っているのは駅長の金井さんの長女の方なのだそうです。そして実際にその方にもお会いすることができたのです。わたしは、“生きた草軽” に接することができたような錯覚と、そして喜びを感じました。


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金井さん(旧小代駅駅長)ご家族。 写真の子供は左の方。

このように会場にいるとき、わたしの頭の中は草軽やその当時の沿線の様子のことで飽和状態になっているという、これ以上ない幸せな時間を持つことができます。
北軽井沢の街は、日が暮れてしまえばもうほとんどの店が閉まってしまい、歩く人もわずかになってしまいます。
白熱灯のやわらかな光の中会場にひとり残って、他の人には悪いなと思いながら、そんな幸せをつくづく噛み締めるのでした。


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 また貸切の特権、雨の夜の北軽井沢の駅舎。

写真展は24日(日)まで開催しています。
遠い土地ですが、ぜひお越し下さい。晴れていれば浅間山が本当に美しい季節です。
キャベツも1玉 ¥100で売っています。 


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北軽井沢からの浅間山


《鉄道青年》 


草軽の写真展がはじまりました。

当ブログで予告していました写真展、草軽高原を往くー北軽井沢 草軽電鉄の時代ー” を草軽電鉄旧北軽井沢駅舎にて、昨日10日から開催しております。

初日である昨日は朝から天気も大変良く、澄んだ青空に浅間山がくっきりと見えていました。
実際の駅舎を会場としたマニアの企画による初めての写真展。マニアの方はもとより、現地の方、若い方、お年寄りの方、大勢の方に見に来て頂きました。
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草軽電鉄の廃止から60年近い年月が経ち、もうその遺構もほとんど失われてしまった中で、この北軽井沢の駅舎は現在でも大切に保存されています。このことは本当に奇跡的といってよいことだと思います。

そもそもは廃止後、荒れるにまかされていた様子を見かねた元草軽職員の黒岩 謙さんが譲り受け、私費を投じての修繕のうえ、スナック“霊峰” として営業を始めました。1970~80年代のその時代を知る方も多いと思います。そしてその閉店後、2005(平成17)年になって改めて改修工事を受け、翌年には登録有形文化財として登録され、正式に保存されることになりました。
そして実際の管理は、先の記事でご紹介いたしました北軽井沢観光協会が行っています。

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鉄道が廃止になり、駅施設が撤去されてしまえば、長い年月のうちに、その正確な所在すらが曖昧になってきてしまうものです。
ところが、こうして立派な駅舎が残されているということは、当たり前のことですが、駅があった位置がどこで、線路はそれぞれどっち方向に延びていたか、間違いようがなく認識できる、ということ。つまりそれが、昔確かに鉄道が存在した、というゆるぎのない “証拠” になるのです。
それだけではありません、何十年たっても世代を越えて、その歴史的認識は受け継がれていくのです。

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 “貸切” の特権? 会場の夜間撮影。

僭越ながら今回、わたしがこの写真展を企画したのは、まさにこの駅舎がそこに残されていて、そして、今でも鉄道の記憶を大切にしている人たちがいる、ということが大きな理由でした。

写真を撮影したのは、竹中泰彦さん、田中一水さん、宮松丈夫さんです。
ご本人、ご遺族様とのご縁を幸運にも持つことができ、その貴重な写真を発表させて頂く機会を得たのは、草軽を愛好するものとしてまさに冥利に尽きることです。

そして今回設営の段階で、“現場” に大小70点近くの写真を初めて展開してみると、これらの1点1点忘れることのできない珠玉のカットが全て、その会場である駅(鉄道)の濃厚な記憶の中に置かれることによって、もう一度命を吹き込まれる、というか写真そのものが多くのことを語りだす、というような不思議な感覚を味わいました。もう日もとっぷりと暮れた白熱灯の軟らかな光の中、わたしはたったひとり、“草軽の気配” に包まれた幸せな時間を持つことができたのです。
そしてそれは、見にきていただいた多くの皆さまにも絶対に伝わった、と信じたいと思います。

北軽井沢はたいへん遠い場所ですが、大げさにいってしまいますが、どうぞ “草軽を見にくる” つもりで、お出かけください。
会期中の土・日・祝日にはわたし(小林)が会場におります。

〈鉄道青年〉 

国際鉄道模型コンベンション (JAM) に出店しました!

8月18〜20日、お台場の東京ビッグサイトで開催された、国際鉄道模型コンベンション (JAM) 2017に、城東電軌様のご好意により、浅間模型として出店しました。

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もちろんこれは、浅間模型が公の場に問う最初のイベントです。
初めてのことばかりで戸惑いながらも、紹介させて頂いた草軽ホヘ19型のキットを持ち込みました。
このマイナーな車両が、お客様の目にどのように映るのだろうか…、もう緊張しっぱなしです。
でも、思いの外関心を持って頂ける方も多く、貴重なアドバイスも頂きました。
そしてお買い上げ頂いた方には、本当に言葉にはならないほど感謝いたします。中には、わざわざ宮城県からみえられた、という方もあり、思わず目頭が熱くなりました。
完成させた方は、ぜひご連絡を頂き拝見させて頂ければ幸いです。

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本当にわたしにとっては得難い経験となりました。
これからも地味で細々とでも続けていければ、と思います。
どうぞご支援ください!

〈鉄道青年〉
 
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