火山山麓のレモンイエロー : 草軽電鉄の記憶

その昔、浅間高原を走った軽便鉃道のこと、その模型など思いついたままに語る、鉃道青年のブログ。

ペアハンのデキ12を作る(下)

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北軽井沢観光協会の秋南さんから白樺の幹を送って頂きました。

ちょうど、ここでご紹介しているデキ13が完成したところだったので、この白樺を使って何か素敵なビネット(展示台)を製作してみたくなりました。
幹の直径は長いところで12㎝くらいでしたので、デキ1両がちょうど収まるサイズです。
写真をご覧頂ければ、特に製作の説明の必要はないと思いますが、バラストのない線路の表現は、何度やっても思うようにいきません。線路の枕木は、“踏まれて丸くなった” 状態にしたくてエッジを削っています。このような凝縮された情景には有効な表現だと思います。
あと、手元によくできた白樺の木(の模型…)がありましたので、1本アクセントとして立ててみました。
フィギュアは言うまでもなく人形師、舘野さんのものですが、すでに彼女には今まで色々な場面で出演して頂いています。

 
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さて、完成した機関車ですが、
前回おはなししましたように、先台車をはじめ、ディメンションの矯正を試みています。その甲斐あって、わたし個人的には “なかなか捨てたもんじゃないな…”、と悦に入っております。皆さまはどう思われるでしょうか?。
ただ失敗だったのは、先台車のケーシングのかき取りを大きくしすぎてしまいました。また、窓部分が微妙にスケールではないせいか、どうもNo.13の “顔” とは違うような気がします。
このNo.13は、言うまでもなくわたしが唯一接することのできた “ホンモノ” です。特別なのです。ですからいずれまたチャレンジしてみたい、と思います。


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苦労して押し込んだ KATO EF510の動力台車でしたが、お陰で走行性能はバツグン。フライホイール付きの惰行の効いた走りを楽しんでいます。またこの工作で、車高が1.5㎜位高くなりましたが、プロポーション的にはその方が良かった気がします。

運転士の下谷米吉さんは “新人” です。
彼女とはどういう関係にしましょうか。当時、電車運転士はたいへんに “モテた” ということですので、避暑にきた都会の娘さんと下谷さんとの、ひと夏の淡い恋の思い出…、なんてところでどうですか?

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おまけ…

〈鉄道青年〉 

望遠の山間浅ゝて隔を山離と景全澤井軽のりよ晴見

全体

軽井沢を遠望した古い絵はがきです。
信越線の線路の南側から北西方面を望んだ光景で、離山と浅間山の位置関係もよくわかります。
撮影した場所は、矢ケ崎峠方面の斜面、現在軽井沢プリンスホテルスキー場のゲレンデになっているところです。画面ほぼ中心の、ちょっと黒っぽくなっている部分が軽井沢駅。そこから東西にまっすぐに線路が延びています。今も昔も、“軽井沢駅から浅間山は見えない”、ということがこの写真からも理解できますね。

それでは、これはいつ頃の光景なのでしょうか?
それがよくわからないのです。ただ、駅構内には架線柱が見えているので、少なくとも碓氷峠の線路が電化された明治45年以降ではあると思います。機関車の形式でも確認できれば、もっと絞り込むことも可能なのですが、残念ながらそこまで鮮明ではありません。

もうひとつたいへん重要で気になるなことがあります。言うまでもなく草軽はどうなっているのか?、ということですね。
草軽(草津軽便鉄道)の開通は大正4年ですので、ここに存在しているかどうか、証拠はないのですが、敷地内に鉄道関係っぽい建物も散見できますので、草軽の開通した大正4年以降のもの、と断定してよさそうです。

ここで、ある図面をお目にかけましょう。
“新軽井澤停車場平面圖”。実物は畳一帖ほどもある巨大な図面です。

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鉄道省文書  地方鉄道  草軽電気鉄道  巻四  自大正九年 至大正十四年:国立公文書館

これを見てまず気付くのは、末期(戦後)のレイアウトとはかなり違っている、ということです。
まず駅本屋は、国鉄の線路に対して90度の関係で建っています。それに続くホームも1面しかなく、延長もそれほどは長くありません。そして構内のはずれ(図面右下)には、(設置予定の)給炭台や転車台の表記があります。
ここで思い出さなければならないのは、草軽が電化したのは大正13年だった、ということです。もちろん、電化後直ちに全面無煙化されたわけではなかったのですが、蒸機用の施設の存在は重要な情報です。その下を見ると、“14-2-24 提出” という記述があります。この “14” は、大正のことをいっているのか、あるいは昭和のことなのかちょと迷うところですが、このことから昭和10年代のものでないことは間違いないでしょう。
蛇足ながらこの当時、新軽井沢駅構内に蒸気機関車のための給水設備はなく、旧軽井沢(旧駅)まで行かなければなりませんでした。このように、“高原鉄道” である草軽は、その廃止まで “水” に苦労をすることになります。


最初の絵はがきにはなしを戻しましょう。
問題となる部分を拡大してみました。
黄色線が国鉄線、赤が草軽線。その他目立った施設を丸で囲んでみました。

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これが大正末期から昭和初頭の頃の光景だとすれば、国鉄(省)では9600型が主力になっているはずです。またアプト側はED42型はまだなく、EC40からED41までの3形式が活躍していました。画面には車両らしき影も見えますが、ここから判断することは困難です。
駅本屋付近は、雲の影でしょうか、黒くつぶれてしまっていますが、構内の機関庫は明瞭に見えています。I.W.コレクションの有名な写真、“軽井沢庫のE7 (8100) ” も、ここで撮影されたものなのでしょう。

草軽側はどうなっているでしょうか。
正直、“なんかよくわからない” ですね。でも、上記構内図と照らし合わせてみれば、“これがそうかな…”、くらいに認識できる構造物が確認できます。赤線で軌道の位置を書き込んでみれば、一層それが明瞭になります。そんな中でも、図面上で “建設予定” となっている社員住宅が、どうもできているように見えますので、そうなると、図面の日付の大正14年2月以降の光景、ということになります。

ただひとつ、その類推を裏切る記述は、国鉄の駅の表記が “院線軽井澤停車場”、となっていることです。
ご周知のように、“鉄道院” は、1920 (大正9) 年に “鉄道省” と名称を変えています。この記述を信じるとすれば、それは大正9年以前のことになってしまいます。この時点でも草軽(草津軽便)は存在しているのですが、図面の提出が大正14年、ということから、やはり記述した人の間違いなのではないでしょうか。

このように細かくこだわれば、いくらでも “つっこまれて” しまうでしょうから、この辺でやめておいて、もっとおおらかな目でこの絵はがきを鑑賞してみましょう。

まず何といっても、建物が全然少なくて、ずーっと遠くまで見渡せてしまいます。草軽の構内の東側は本当に、ただ野原が広がっているだけだし、21世紀の現在、休日は大渋滞となる南口のアウトレットモールの部分にも1~2件の粗末な建物が見えるだけです。
画面右端の真ん中辺、土が出ている付近は最初に開発されたゴルフ場、いわゆる “旧ゴルフ場” です。その上の斜面に草軽の軌道が続いているのもかすかに判別できます。軌道はそのまま高度を稼いでいって、尾根を回り込んだところに鶴溜駅がありました。

それでは、自分がここに立っていることを想像してみましょう。
テレビの表現でよくあるように、“わーっ” とカラーになって、画像も鮮明なものになります。

季節は恐らく夏、日差しは強くても吹いてくる風はひんやりとしていて気持ちがいいです。緑の草原はゆるやかな勾配をもって見渡す限り広がって、そこをゆっくりゆっくり雲の影が移動していきました。
遠望する街並みにはあまり人影もなく、時々何かの鐘の音が聞こえるくらい、いたって静かです。

電気機関車をたくさんつけて碓氷峠を登ってきた列車がゆっくりと停車します。避暑にきたのでしょうか、降りていく人たちがありんこのように小さく見えていました。

駅前からは嬬恋まで通じている軽便線が出ています。

本線から乗り換えたお客を乗せた、マッチ箱のような客車2両だけの列車が発車していくのが見えます。甲高いホイッスルの音がここまで聞こえてきました。列車は意外に早い速度で、旧軽井沢方面へ消えていきました。

またしばらくの静寂。心地よい風の中でうとうとしていると、かすかに汽車の音が聞こえた気がしました。“なんだろう…” と、よく見てみれば、ゴルフ場の上あたりをさっきの列車が煙を吐いて登っているのが見えました。小さな機関車には、2両の客車もすごく重そうです…。


知識のある方がみれば、街並その他からもっと色々な情報が明らかになるのではないでしょうか。もしもこれを見てお気付きのことがあれば、どうぞご教示ください。よろしくお願いいたします。

〈鉄道青年〉 


ペアハンのデキ12を作る(上)

オレンジカンパニーの草軽デキ12(Oナロー)のキットが入手難になって久しいです。
これは1986年、同社がOナローの製品を盛んに製作していた時代のもので、定価は確か¥26.000- (当時はまだ消費税がありません)でした。しかし、同社の他の非電化軽便モノに比べてあまり人気がなかったようで、貨車と共にかなり後まで残っていた記憶があります。
ところが現在、まれにヤフオクに出品されることもあるのですが、片手では敵わないほどのプレミアが付いてしまい、とても手に入れられるシロモノではなくなってしまいました。
それにしても、そんなお金を出して入手する人って、ちゃんと作ってるんですかねえ…。 と、グチはこのくらいにしておきましょう。

そのような状況の中、2012年になって突如として発表されたペアーハンズ製の草軽デキ12(Oナロー)は、わたしにとっても正に福音でした。

これでもう、オレンジカンパニーのキットを探さなくて済む…。
ところが、そうやって喜んでいたのもつかの間。軽便祭でエンドレスを快調に走っている現品を見たときは、少々考えてしまいました。
というのは、“小半径の線路でも走らせることができるように” と、問題となる先台車の処理を大胆にデフォルメしていたことです。つまり、脱線しやすい先台車のフランジを高くしているので、その部分がスケールよりもかなり大きく、また長いものになっていたこと。またカプラーも、ケーディーを付けることが前提で、しかも先台車にマウントしています。そして、運転の際にはセンターピンの位置を変えて、さらに先台車を前方に出す、という仕様になっていました。つまり、間違いなく草軽デキなのですが、イメージが少し違っていたのです。

もちろん、このような “運転本位” の、高価なパーツは使用せずに価格をおさえた製品はたいへんありがたく、また評価されるべきものだとは思いますし、わたしも早速購入したことは言うまでもありません。

わたしが最初に製作したこのキットは、以前このブログでも紹介いたしましたが、“原型” タイプでした。かねてよりデキ12の原型が欲しいな、と考えていたところに、原型だったら上記の問題である先台車を使用しなくても済む、ということで、ありがたいキットだったわけです。
しかし、実際に製作してみると、車体の寸法その他、かなりしっかりした内容のキットだ、という感想を持ちました。そして、ちゃんと手を加えて作れば、きっとよいものになるだろう、とも思ったわけです。
こうして、ちょっと時間がかかってしまいましたが、わたしにとって2台目となる“ペアハンのデキ12”の製作を決意しました。

製作にあたって、わたしは二つの目標を自らに課しました。
ひとつは、KATOのEF510の動力台車を使用すること。
二つ目は、問題の先台車をオレンジカンパニー方式の“首振り式”に改造して、あわせて全体のディメンションをできる限り“矯正”すること、でした。

KATOのEF510の動力台車は、その寸法が車輪径・ホイールベース共に、まるであつらえたように草軽デキ12にぴったりなのです。さらには広く知られているように、その走りは正に神がかり的なものです。この優れた動力を使用しない理由が一体どこにあるでしょうか?。

ところが残念ながら、実はそれがあるのです。
単純なことなのですが、寸法的・構造的に、装着するのがなかなか厄介で、動力側も車体側も多少の加工が必要なことです。
この動力装置は、まるで右脳と左脳のように、左右で完璧に絶縁されています。ですから車体側との金属的な接触はわずかでも許されません。しかも、車体側を削らないと入らないほど、ぎりぎりの寸法なのです。

わたしがとった方法は、極めて邪道なもので、動力の装着に関しては、全てプラ材と接着剤で処理をする、ということでした。ただ、このキットの台枠はホワイトメタルなので、そもそもハンダづけが(わたしは)できません。それをいいことに深いことは考えずに工作を進めます。

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動力ユニットの加工。
上半分の平らな部分に左の取付用角材を接着する。丁寧にガイドが付いている?。
フレームとイコライザー、そして集電を兼ねるアーム(銅色のパーツ)は、この状態だと落ちてしまう。

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絶縁のために、プラの角材を本体に接着。そこにネジどめ用の真鍮板を貼る。

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車軸その他、車体側と接触しそうな部分は削って、さらに0.5㎜のプラ板を貼って絶縁をより完璧なものにする。
中央のアングル材は、動力を固定するもので、やはり接着剤での取り付け。

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このような感じで、かなりぎりぎりで収めることができる。動力ユニットはキャブ内にかなり張りだすので、キャブのディティールのいくつかが犠牲になる。

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ぎちぎちに収まった。
車体とのクリアランスのなさに注目。
 

先台車は、もしも本当にスケールに近づけようとしれば、フランジの背を落とさなければなりません。オレンジカンパニーの製品は、この部分がリアルにできている反面、大変脱線しやすい欠点があります。運転会でも、わたしのデキ12がクリアーできれば、他のどのような車両も通ることができる、などというあまり有難くない評価をもらうほどでした。
ですので、車輪はフランジの高いキットのものを使用するとして、本体の方を加工することにします。“加工” とはいっても、ただひたすら削って、強度がぎりぎりとなるところまで全体を薄くする、というだけのことです。

またキットのままですと、単純にセンターピンで左右動するのみで、実際の運転の際はピンの位置を変えて急曲線に対応させるという、前述の方法です。これをオレンジカンパニー式の首振りにするために、特に難しくはなかったので、これまた単純にパーツを真似して製作してみました。

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左がオリジナル、右が削ったもの。これだけで結構印象が異なる。
側面のかきとりは大きくしすぎて失敗。

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完成した先台車本体。
見えない部分は徹底的に手を抜く姿勢が露呈する。

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首振り装置はオレンジカンパニーの製品を見習って、このように製作

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カプラーは、ペアハンのパーツを組み合わせて製作。
アップに堪えないヤクザな工作
ヘッドライトは稲見鉄道模型製作所のOJ用パーツ。オーバースケールだが効果的。

 次回、もう完成品をお目にかけます。


〈鉄道青年〉 



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