草軽電鉄の記憶:火山山麓のレモンイエロー

その昔、浅間高原を走った軽便鉃道のこと、その模型など思いついたままに語る、鉃道青年のブログ。

浅間模型

ホハ10型 客車

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ホハ10型(ホハ10)    鶴溜 1960(昭和35)年3月24日  撮影:竹中泰彦


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ほら、あの伊香保からきたやつ…
草軽ホハ10型客車の元の姿は、有名な東武伊香保軌道線を走っていた電車でした。
その廃止後3両が草軽に譲渡され、自社工場で客車として再生されたものです。
以前にもこの車両のことは書いたのですが、今回、浅間模型でのOナロー模型化を記念して、もう一度この数奇な運命をたどった客車のことを偲んでみたいと思います。

草軽では、かの電気機関車、デキ12型はたいへんに有名な存在ですが、その一方でそれが引いた客車や貨車のことになると、すぐにイメージできる車両というのは少ないのではないでしょうか。その理由として考えられるのは、それらが軽便車両としてかなり大型だったこと、そして形態的にも特に特徴のあるものではなかったこと、さらには、茶色一色の地味な塗色、などをあげることができるでしょう。

しかしそんな中にあって、このホハ10型は、“ほら、あの伊香保からきたやつ…”、といえば、“ああ、あれね!”、というやりとりを多くの人と交わせるくらい、草軽の中ではある意味一番知名度の高い客車、ということもできるのではないでしょうか。

このホハ10型、草軽でのデビューは昭和30年前後です。ですので、草軽の車両として活躍したのは、昭和35年の部分廃止まで4年程度ののわずかな期間でした。それにも関わらず、多くのマニアの目に触れ、写真も残されているのは、やはりその活躍した期間が、一番多くのマニアが訪れた時期と一致するからなのでしょう。

草軽標準の巨大な台車と車輪を履き直した姿は、路面電車時代とは全く“似て非なるもの”、となりました。 わたしを含めて、現役時代を全く見ることができなかった世代の方々にも、そんな独特の雰囲気を持ったこの客車がデキ12型に引かれて浅間高原を行き来する情景には、心高ぶらせたに違いありません。

浅間模型の製品情報はこちらから。

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デキ19号に引かれたホハ10型(ホハ12)
         長日向   1960 (昭和35年) 3月30日  撮影:高井薫平

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ホハ10型は3両あった
さて、このホハ10型は3両あって、ホハ10型 No.10~12という番号が与えられました。これは一番最後に入ったくせに、在籍車両の中では一番若い番号でした。

確かに、元々の来歴をみてみれば、大正(ヘタをすれば明治)時代までさかのぼる車両もあり、在籍する客車の中では間違いなく一番古い、この時点ですでに十分に“古典的”な車だったわけです。(1)

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ホハ10型(ホハ11)  新軽井沢 1960(昭和35)年3月11日  撮影:宮松丈夫

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ホハ10型(ホハ12)  新軽井沢 1960(昭和35)年3月11日  撮影:宮松丈夫

マニアの間では、“東武伊香保軌道線”、あるいは “伊香保電車” と総称される群馬県渋川市を中心に路線をもった電車は、伊香保に登る線路の他にも、前橋までの前橋線、高崎までの高崎線があって、それぞれの市内電車、近郊電車の役割を持って走っていました。
伊香保線は昭和31年まで営業されましたが、高崎線は28年、前橋線は29年と、一足早く廃線になってしまいました。

ホハ10型のトップナンバー、ホハ10が草軽で竣工されたのは1954(昭和29)年10月のことだったので、年代的には前橋・高崎線の廃止をもって、草軽へと譲渡された車両ということになります。

そこでどうしても気になるのは、東武時代の、どの番号の車両が碓氷峠を越えて草軽にやってきたのか、ということではしょうか。
調べてみたのですが、これについては残念ながら草軽側の資料には一切出てきません。そこで、当然東武鉄道側の資料も見てみました。
伊香保軌道線の廃止についての資料は少なくないのですが、肝心の車両の移動に関する記述を見ることはできませんでした。
つまり、“どの車両が草軽にきたのか”、ということは今のところお手上げの状態なのです。

⚫︎1枚の写真
ただ、ひとつだけ“証拠”が確認されています。

これは以前、八戸のホハ10様よりご指摘いただいたことなのですが、“草軽電気鉄道”(プレスアイゼンバーン:1981)の137ページに出ている、東武時代そのままの塗色で“3”のナンバーをつけた車両です。これはエンドビームの幅から判断して、恐らくホハ10(No.10)と断定できます。
ところが、これだけで安心してはいけないのが、東武では、全く同型の電動車と付随車に同じナンバーの車両存在していた、という事実です。すなわち、車体表記は同じ数字なのに、“モハ” と“サハ”が存在(No.1~4の4両)していたのです。
そうなると、これはモハだったのか、あるいはサハだったのか!?。
これはわたしの完全な推測になるのですが、やはり“トレーラー”の方ではなかったか、と思うのです。
というのは、“サハ” はラッシュ時の増結用ですから、使用頻度は電動車に比して高くなく、また“引かれて”いるだけの車両でしたから、車体の痛みもまだ軽かったのではなかったか、と想像ができるからです。

ちなみに、この推測が当たっているとすると、この旧番3のホハ10型No.10は、東武が昭和15年に江ノ電から4両買った中古電車のうちの1両、ということになるのです。(2)
江ノ島を見ながら走った電車が榛名山山麓を走る電車となり、さらに浅間山を望む線路を走る客車となったわけで、そんな生涯にはマニアとしてちょっとワクワクするものを感じませんか?。


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 ホハ10型(ホハ10)  
       旧軽井沢 1960(昭和35)年3月24日  撮影:竹中泰彦


⚫︎ 草軽での竣工
草軽側では、“客車が足りない”、という理由で、1954(昭和29)年4月に“2両分” の認可申請を出し、同年9月に認可が下りています。

草軽は、この時点で既に運輸省に対して廃止の許可申請を出していたのですが、まだまだ鉄道としての使命は終わっていなかった、ということなのでしょう。
先述の通り、1両目(No.10)の竣工が同年10月でしたので、このように述べると、はなしは真っ当に流れていたように見えます。

ところが、2両目(No.11)が竣工するのが翌年の7月になり、3両目(No.12)はさらにその1年後の1956(昭和31)年7月になってしまいました。草軽側では、“手の空いたときに” 作業をしていたので、こんなに遅れてしまった、のかどうかは知りませんが、このように製造(改造)が2年間に及んでいるため、同じ形式でも、3両でかなり形態の差があることはご周知の通りです。


⚫︎ ホハ10型の“謎”
“謎”、というほどのことでもないのですが、どういうわけかこのホハ10型、ホトやコワフを連結した混合列車には使用されていないのです。この客車が写っている列車は、これのみ1両で引かれいるものがほとんどで、まれに客車を2両連結した1両目につながっているものを見る程度です。

月間 “とれいん” 1975年7月号62ページに、この客車が貨車と一緒につながっている写真が出ているのですが、その連結位置(貨車の前方)からして、貨物列車に連結された “回送” だと思われます。


蛇足ですが、伊香保軌道線の車両(車体)は、相当数が沿線に譲渡されて再利用されました。草軽沿線にきたものも、この3両のみではなかったはずです。そのうちの1両はバンガローとして利用されたものもあり、かなり後年になっても確認することができました。
草軽で生涯を終えた3両のホハ10型も、鉄道の廃止後、近隣の土地で車体を利用されたのが確認されています。

最後に、わたしが1987年に見ることができたホハ10(No.10)の写真を再掲してみましょう。(この時のおはなしはこちら。)

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ホハ10型(ホハ10)車体   渋川市内 1987 (昭和62)年9月  撮影:小林隆則


(1)  大正時代から既に、地元大工による車体の更新が進められていたので、この頃
  は既に全ての車両が新しい車体になっていた。この工事は昭和28年まで続けら
  れた、という。
(2)  伊香保電車盛衰記(小林 茂 “レイル” No.10 プレスアイゼンバーン 1982) 

〈鉄道青年〉 


Oナロー 草軽ホヘ19 好評発売中!

浅間模型ブランド初の製品、草軽(草津)電気鉄道 ホヘ19型組み立てキット、好評発売中です。
10月1日(日)開催の第13回 軽便鉄道模型祭において、城東電軌様のブースでお取り扱いいたします。
どうぞ、Oスケールならではの存在感をお確かめ下さい。

定価、税込 ¥ 27,000-です。 
生産数は少量ですので、迷っている方はこの機会にぜひお求め下さい。
後悔はさせない内容だとの自負はあります。
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※ 写真のデキ12型は参考です。

〈鉄道青年〉

国際鉄道模型コンベンション (JAM) に出店しました!

8月18〜20日、お台場の東京ビッグサイトで開催された、国際鉄道模型コンベンション (JAM) 2017に、城東電軌様のご好意により、浅間模型として出店しました。

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もちろんこれは、浅間模型が公の場に問う最初のイベントです。
初めてのことばかりで戸惑いながらも、紹介させて頂いた草軽ホヘ19型のキットを持ち込みました。
このマイナーな車両が、お客様の目にどのように映るのだろうか…、もう緊張しっぱなしです。
でも、思いの外関心を持って頂ける方も多く、貴重なアドバイスも頂きました。
そしてお買い上げ頂いた方には、本当に言葉にはならないほど感謝いたします。中には、わざわざ宮城県からみえられた、という方もあり、思わず目頭が熱くなりました。
完成させた方は、ぜひご連絡を頂き拝見させて頂ければ幸いです。

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本当にわたしにとっては得難い経験となりました。
これからも地味で細々とでも続けていければ、と思います。
どうぞご支援ください!

〈鉄道青年〉
 

浅間模型製品第一弾は、ホヘ19!

前回は浅間模型立ち上げるのおはなしをいたしました。
その浅間模型の最初の製品として、先日までこのブログでご紹介をしていた草軽の病客車、ホヘ19型を製作いたしましたので、この場でご報告いたします。
スケールは1/48、16.5㎜。真鍮製組み立てキットです。

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所属しているOナローモジュール倶楽部(ONMC)の代表である川村きよしさんに、草軽に所属した車両の図面をおこして頂いて以来、わたしにとって、このホヘ19型は是非とも製作してみたい車両のひとつでした。否、筆頭、といっても過言ではなかったのです。

なぜ写真1枚残されていないこの車両に心を奪われてしまったのでしょうか。
ブログの記事でもおはなししたように、ホヘ19は貨車から改造されて客車になった車両です。車両のサイズや妻面などを見ると、そのまま貨車の面影を残していますが、全体をみれば(図面だけですが…)、粗野な中にも大正から昭和初期にかけての特徴的な、凝った意匠を見ることができます。
軽便鉄道の “病客車”、という極めて特殊な車両ではありますが、どこかアメリカ的な雰囲気も感じさせつつ、あくまでも美しい日本の客車です。そこにつく巨大な台車と車輪の醸し出す雰囲気は、他の草軽の車両とは全く違った大きな魅力を感じさせます。これを、図面という二次元の世界でなく、三次元で再現できたら、と思っただけでもうわくわくしてしまったのです。


ただ記事でも書いた通り、ハンセン氏病患者輸送用という用途で運用されたこの客車は、その誕生のいきさつからして曰くがありました。そこにはその当時の患者が舐めなければならなかった辛酸の消し難い事実があり、またそれらの問題はまだ、“遠い過去の歴史” にはなっていないのです。
単にマニア的な興味本位のみで、この車両にアプローチしようとするのは、ある意味ナンセンスなことなのかもしれません。
しかし、“マニア的な興味” でなければわからないことも多くあるはずです。現にこのホヘ19型に関しては、写真も全く発見されていない上に、具体的な証言ももはや得ることは多分不可能なことでしょう。
草軽が好きでかこの車両に興味を持って、そのいきさつを調べて記事にしてみなさまに読んで頂く、そしてそれがどのような形態のものだったのか、模型として再現してみる。それができるのはむしろ、“マニアの特権” と考えることにしています。


模型のことにはなしをもどしましょう。
スケールは1/48、16.5㎜ゲージ。一応 “On30” です。
写真からはどのような印象を持たれるでしょうか?。
“せっかく細かい部分まで作り込めるOスケールなのだからもう少し…”、といううご意見ももちろんあるでしょう。
ただわたしは、逆に “Oなのだから、◯◯しなければならない…”。という考えには賛同できません。やりたい方がそのように工作すればいいだけのことです。
それを “できない”(わたしのように…)人が、“かくあるべき” と考えて思い詰めると、やがて鉄道模型そのものを憎しみの対象のように感じ始めてしまいます。

だから、いいわけではあるのですが、わたしが作ったり考えたりする鉄道模型は、 “超絶” とは対極のところにあるもの、といってもいいものかもしれません。たとえ超絶な工作はできなくても、もっと気楽に明るく鉄道模型の工作は楽しめる、ということを完成写真から感じて頂けたなら幸いです。

とはいっても、それをお客さまに買って頂く、という以上、それはプロの仕事になります。なんら言い訳、能書きは通用しません。
ですので、矛盾するかもしれませんが、いい加減なものは作っていないつもりです。
今までのキット製作の経験から、“こうだったらやりやすいのに…” と考えた部分もいくつかありますし、“木造車” の雰囲気を強く出すために、重量が出てしまうというリスクをおかしても、全体0.5㎜厚板を使用することにこだわりました。
また、ディティールアップのためには、よきベースとなるようにも心がけたつもりです。

あと、ガレージキットの強みなのかもしれませんが、使用する素材、パーツは可能な限り同包しました。
これは、細かい素材やパーツを別に模型屋へ買いに行かなければならない、というのが自分にはとてもストレスだった、という経験があったからです。そして、ようやく行った模型屋の店頭で、“在庫切れ”“入荷未定” の宣告を受けたときのあのショック!。みなさまも経験があると思いますが、やり場のない怒りと共に、モチベーションも限りなくゼロ近くまで落ちてしまいますよね。
わたしはそれがいやだったので、その分値段は上がっても、作り始めから完成まで責任を負えるものを目指しました。
いくらか、というと、税込 ¥27,000- の予定です。

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来月東京ビッグサイトで開催される国際鉄道模型コンベンション(8/18~20)で、城東電軌様との共同出店をいたします。
ぜひお越し頂き、Oスケールならではの質感・重量感をお確かめください。
なお、18日(金)のみ、わたし(小林)は売り場に不在です。19・20(土・日)はおりますのでお声がけください 。

最後になりましたが、今回の浅間模型立ち上げ、製品の製作には、城東電軌、鵜藤様の全面的なアドバイスを頂きました。この場を借りてお礼を申し上げます。

〈鉄道青年〉

浅間模型、はじめます!

プレート

わたしの手元にこのようなプレートがあります。
25才のとき、銀座の伊東屋で製作したものです。

当時わたしは、大学は出たものの、教員を目指しては挫折して、デザイナーを目指しては挫折して、エディターとかになったものの、その仕事の過酷さに、逃げるようにしてやめてしまったり…、と、とにかく全く地に足がついていない生活を送っていました。そのくせ、真っ当に社会人としての地盤を堅実に固めて、自信をと誇りを持って生活している自分と同年代の人たちに、激しい劣等感を持っていたのです。
このように、その頃のわたしの生活は矛盾に満ちた、正に体のよいPU太郎でしかなかったのです。

こんな生活をいつまでもしているわけにないかない…。
わたしにも少しは向上心があったとみえて、その後一応 “ちゃんとした会社” に就職して真面目に働こう、と考えたのでした。
そして、そこで頂いた初めての夏のボーナスで、このプレートを作ったのです。
そこは、別に鉄道模型と関係のある仕事だったわけでは全然ないのです。では何故、このようなものを作ろうと考えたのでしょうか。
当時の気持ちを一生懸命思い出してみれば、それはようするに、“夢を忘れないように” ということだったのだと思います。

この当時から模型の工作はしていましたし、もちろん “就職先” として、その世界も視野にはいれていました。でも現実はそれほど甘くはなかったのですね。
それに、“鉄道模型屋(メーカー)を始める” などというには、それこそ億単位の資金と、業界の強力なコネを構築していなけばならない、と当時は信じていて、そのようなこと到底自分には敵わない、関係を持ちたくても全く無関係な世界だ、と諦めていたのです。
でも趣味で工作は続けていても、せめてそんな気持ちだけは忘れずにいたい、なんてカッコつけて言えばそうなのですが、優柔不断な生き方に戻ってしまいそうな時の “戒め” のつもりでもあったのです。
だから、作ったことを忘れないように、たとえ高額ではあっても、伊東屋で作ることに意味があった、というわけです。

屋号の “浅間模型” ですが、これはもうこれしかありませんでした。特に理由はありません。
軽井沢、という言葉がありますが、バブル景気絶頂のこの時期、当の軽井沢にはいくつものタレントショップが立ち並んで、不自然極まりない雰囲気でした。草軽電鉄が存在した浅間高原、軽井沢に憧れたいたわたしとしては、そこは到底親しめる街並みではなかったのです。
でもやはり、“草軽” の名称の片方を担った地名であることには変わりありません。そこに入れる地名は軽井沢しかなかったのです。


さて、それから早いものでもう30年が経ってしました。
54才の現在、模型関係のイベント等に参加させて頂くようになり、若い頃は色々な意味で “エラい人たちの世界” だった鉄道模型の世界も、気分的に少しづつ親しみのあるものにかわってきました。そして思い出したのが、件のプレートでした。

それまで特に思い出すことのなかったものでしたが、探したらすぐに出てきました。やはり無意識のうちにずっと手元に置いておいたようです。
それを見ながら、“ダメもとでいいから、ちょっとやってみよう…“、という危険な考えがむくむくと大きくなったのでした。
そういえば、このブログの最初の回を見返してみれば、草軽の模型のことを書いているのですね。

幸い、城東電軌の鵜藤様の全面的な協力とアドバイスを得ることができ、現在製品を開発中です。
自分がこれまで感じてきた、“こうすればもっとつくりやすいのに…”、“こうすればもっと雰囲気がよくなるのに…”、といった経験と想いを込めています。

では、何がでてくるのか!?
次回発表いたします。


〈鉄道青年〉 


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