October 13, 2007

研究費配分を巡る二つの立場

今日は、研究費つながりの極めて固いネタです。
YOくんの日記へのコメントとして書きはじめましたが、、少し話題がずれてしまいましたし、長くなったので、自分の日記に書きます。まあ、科学業界の関係者と「研究費の配分」について興味のある納税者の一部が想定読者です。

先日申請した科研費というのは、競争的ではあるけれども、「ある研究をやりたい!」という研究者に、その計画や目標などを書いてもらって、それを審査し配分する資金です。
つまり、研究者の「この研究をやりたい!」がないと始まらない。ボトムアップ式と言われる所以です。審査して、20%〜25%くらいの計画を選んで予算を配ります。
審査員の選考についても、各学会の意向(投票結果)が反映しており、もちろん完全ではないものの、ある程度、民主的に運営されていると思います。

そのようにしてボトムアップ式に推進されるさまざまな研究に対しては、
「学者というのは、放っておくと好き勝手な研究ばかりやる(どうもスミマセン[m:58])。その上、成果は「自己満足とオタクの満足」の論文になるだけで、ちっとも社会に還元されない。さらに、多くの学者はまだまだそれまでの研究の延長でばかり研究計画を考える傾向が強いので、真に新しい分野の研究が学者の主体的興味(や好き勝手)によって提案されることは、現実にはあまり多くない」というような批判が昔からあります。批判には当たっている部分も多くあるので、僕を含め科学者にも、大きな反省が必要でしょう。

そこで、近年、国策研究というか、国がやらせたい研究に研究者を募るという方向性(トップダウン)が、かなり明確になってきました。こちらの方向性を策定するのは、科研費とくらべるとかなりインナーサークルにある少数の人たちで、まさにトップダウンです。こういう研究はCRESTに代表されますが、プロジェクトごとの予算が巨額なのが特徴です。トップダウンで巨額な研究費の根拠は、、
「国家や社会の持続的発展を考えると、学者さん達の趣味とは違った次元で、達成するべき目標とか施策というものが常にありうる。そういう多くの人に役立ち、かつ、国家目標につながるような研究が、なかなか学者さん達の主体性だけでは開始されない現状では、(強制まではしないものの)ある程度、国家権力を発動して、時には学者さん達の研究目標を善導していってあげることも必要だ。」というような考えの様です。

後者(トップダウン)については、これはどういう人たちがどういう考えで運営しているのか? 長らく僕にはよくわからなかったのですが、
最近、柳田先生のブログにCRESTの枢要にいる生駒センター長の本音がのっていました。
それを読んで、よくわかりました。
前後数日に他の関係者の発言も載っています。
極めて長文ですが、どれも重要な生の証言です。

僕は生駒氏や北澤氏の意見は賛同できない点が多い(僕は柳田派だと思う)ですが、、、別に無視しても非難はされない柳田先生のブログに、わざわざ署名付きで反対するコメントをよせた両氏は、職務上の義務の範囲を超えてよく説明責任を果たしたと思います。その点、敬意を表します。両氏の意見に反感をもつ科学者も、こういう意見があることは良く理解すべきでしょう。

ただ、後者の立場にたつ施策なり巨額な研究費なりを正当化するためには、トップダウンで強力に推進するべき国家目標が、充分妥当で、かつ、巨費に見合うほどにまっとうでなくてはなりません。そのためには、最低限「正しい未来予測能力」がまず必要なわけで、、そういう未来予測や成果の予測を的確にできる人材が、この国にどれほどいるのか? という点に僕は大いに疑問をもちます。特に、もっとも重要な科学的発見のほとんどは、具体的な用途(何に役に立つのか?)を想定しない科学者の自発的な総意工夫によって見つかってしまっている という歴史を軽視してはならないでしょう。ある年限なり予算の範囲で成果がでることが、プロミシング(約束されているというか予測できる)な研究というのは、まあミニッちい研究が多いのではないか? また、儲けにつながることが本当に約束されている研究ならば、民間に任せても充分進展する程度には我が国の企業は先進的であるとも思います。

生駒氏の柳田先生への投稿は「もし必要であれば公開でも、非公開でも貴兄とお話しする用意があります。ご提案ください」と書いて終わっています。上等です。
YOくん。彼らのために公開討論の場所を用意してあげるのも、面白いかもしれないぞ!。
もしこれがどこかの学会で実現すれば、、どちらの立場にたつ科学者にとっても意義深いバトルになると思います。

ちなみに僕の意見は、「ボトムアップもトップダウンもたぶん両方必要だけども、、後者の方の研究領域の策定方法や審査方法に、現状では問題が多い。速やかに政策的な「未来予測」をしっかりとできるシンクタンクとかを整備しないとダメだ!」 という意見です。やや八方美人的でスミマセン。

October 07, 2007

イヤラシイ作文

科研費(獲得のための申請書類)の所内締切が昨日だった。最後アタフタして、秘書さんにものり付けを手伝ってもらったりして、、ナントカ締切15分に提出。
ふ〜〜 間に合った!?

この申請書の作文には、独特な文体のようなものがあって、これがなかなかイヤラシイんですね。
何がイヤラシイかというと、、限られた文量のなかで、審査する人に「ココがイイタイコト」だということをアピールするために、下線とか太字とかを駆使するわけです

(これは私の意見ですが)、良い作文というのは太字とか下線とかをつかわなくたって、読み終わった時には「何がイイタイコト」だったのかが、自然と心に残るもの のだと思います。

いくらアピールするための作文とはいえ、あんまり自己主張を下線とか赤字とかで強調するのは、どうにも見苦しい振る舞いに思えてなりません。でもやっぱりやりましたが、、、。予備校の板書じゃないんだから。

ところで、こういう作文を書くときには、たぶんラブレターと同じでやっぱり心が充実していないと、文に勢いとか説得力が生まれて来ませんね。今年は、最後の追い込みのところで(1昨日あたり)、なんか、ちょっと元気というか、やる気がしぼんでしまったので、、当日の朝からもう一度、気分が盛り上がって来た(というかこのままじゃダメダメだから強引に盛り上げた)とはいえ、、ちょっと厳しいかもしれません(イカン!弱気だorz)。

明朝から出張です。友人にも会えるでしょう。一応仕事だけど、最近煮詰まり気味なので、、ちょっと気分転換になればいいなぁ。

頭でっかち

ニホンザル脳
頭でっかち、、、といっても、○○大先生とか、あっしのことではなくて、、
ヒト以外の動物のことです。


脳が大きいと、、
頭がよろしいので、、、
いろんな工夫や狩りや警戒とかでも協力ができたり、
さまざまな適応能力が高いから、、
生存価(というか競争力)も高いんじゃないか? と思うでしょ。

でも、霊長類に限っていうと、、、より脳がでかくて社会的能力も高いApe(特に高等な霊長類)は、そもそもオラウータンとかチンパンジーとか、、たった数種しかいないけど、そのほぼ全種にわたって世界的に絶滅傾向にあって、、脳が小さいMonkeyは、危ない種も無いわけではないが、Apeたち程ヤバクはない。

他にもゾウとかかなり頭が良いのに、、数はかなりヤバイ。

海でも、一番頭が良さそうな、鯨類(クジラとイルカ)に結構絶滅危惧種が多い。

まあ、虫とかがどんどん絶滅しても気がつかないだけかもしれないけど、、、
動物は頭が良いだけでは、、生存できないようです。

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Apeの絶滅の原因を作っているのが、たぶん人間だと思われる点に、心が痛みます。(写真はMonkey(ニホンザル)の脳。大きさはあんころ餅や「おはぎ」と同じくらいです)

October 06, 2007

第40期名人戦

第40期名人戦(昭和57年)は 挑戦者の加藤一二三(当時十段/先頃、偉大なる生涯1000敗の大記録達成!)先生がはじめて名人位を戴いた名人戦です。
受けて立つのは、中原名人(現:永世十段/名誉王座 先日生涯1,300勝達成/前将棋連盟会長)。
たまたまテレビをつけたら、、なんと加藤先生が、自らこの勝負を解説しています。

当時最強の二人による大変内容の濃い将棋がさされています。
終盤。中原名人が、香車うしろに飛車をうち、強力な詰めろをかけます。
加藤先生には、ちょっと受けが無いようにも見えましたが、、
本人解説によると、その時、先生は既にその手を読んでいたようで、
逆に銀で王手をかけ、飛車でその銀を捕らせて詰めろを封じます。
加藤先生 会心の大逆転です。

加藤先生は昔から普及にも力を注がれていて、解説も定評があるのですが、
今日は、特に終盤、ちょっと初心者にはついていけないような早口で
どんな読みをしていたのか、次々と解いていきます。

その口調の実に楽しそうなことと言ったら、、、!
そりゃ、人生一代の大一番。しかも大逆転。
ついつい得意満面で、番組を見ている加藤9段のファンも大いに楽しめたのではないかと思います。加藤先生は根が明るいのがいいですね。

ただ、もし、中原永世十段がこの番組をみていたら、(すっかり温厚になられた先生でも)思わずスタジオに「突撃」したくなるほど悔しがったのではないかと思います。

ところで、友人が、将棋の局面を直感的に読んだりしているときの脳の状態を研究しています。
将棋好きの被験者を募集しています(強さは問わない!)。
よかったら、協力してやってください。

October 03, 2007

昨日の失敗2題

朝起きたら、、眼鏡が無い!
 探し回ったら、布団の中で、私につぶされてもの凄く歪んでいる!
 ただ、さすがは形状記憶合金。ゴムみたいなグニャグニャなやつでは
 無いのだが、、力を加えて、整形していったら、、元の形にぴったり
 戻る。金属が元の形を覚えているようだ。
 それにしてもワイヤーベンディングを習っていて良かった良かった。

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目が疲れたので、目薬をさす。
 
 眼鏡の上から。(今日は眼鏡受難の日)


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ちなみに、昨日は星座占い上、上から2番目にラッキーな日だったらしく、、「新たな出会いがある」はずなのですが、、、なんにもありませんでした。

September 26, 2007

引退会見

たった一年で辞めた総理の会見はただただ痛々しかったが、、
デビューしたときからずっと見てきた選手が引退するのは、もっと感慨深い。
古田選手がヤクルトに入ったのは、野村監督の就任と同時。
当時のヤクルトの正捕手は同じく眼鏡の八重樫さんだったが、あっという間に、正捕手になった。
最初は、ノムさんのいるベンチの方ばかり見ながら、ピンチになると監督がサインを出していたが、、
そのうち球界一の捕手になって、ヤクルトの黄金時代をつくる。
僕は、古田が、個性的な投手たちをリードしてヤクルトが一番輝いていたこの頃、何度か神宮球場に行っている。どのピッチャーもひとくせあって、野手も一茂とかホーナーとか個性派を集めていて、負けていても何かをやらかしてくれそうな面白い野球だった。ファンも口は悪いが気っぷの良い「下町のオヤジ」風のオッサンが多くて、外野席も楽しかった。

古田さんは、選手会の会長としてもファンの立場でがんばった。ヤクルトのユニフォームももう一度は見てみたいものだが、将来は、日本代表チーム監督とかなんならコミッショナーとか、日本の球界全体のためにも、是非活躍して欲しい。

当人の怪我や戦力のせいもあって、監督兼任選手としてのこの2年は、ちょっと成績が辛かった。
でもいつも前向きに頑張っていることを僕たちは見てきたよ。
テレビ局とかが放っておかないとは思うが、あと何試合か上位をいじめたら(ヤクルトは今頃になって特に上位に強くなってきた)、是非、(政界なんかには行かないで)しばらくはゆっくり休んでくださいね。
これまでどうもありがとう!

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そういえば、古田さんといえば、将棋も参段の免状をもっているし、、こんな本も出している。一度、囲碁将棋チャネルでみた将棋もなかなか強気の指し手だった。
でもやっぱり野球は頭脳だけでするものではないようですね。

September 23, 2007

訃報

アリゾナ州立大学、ハーバード大学、Brandeis大学での比較心理学の研究に大きな足跡を残したアレックスさんが9月7日亡くなられました。氏は、幼少時に、シカゴにいたところを、アイリーン・ペッパーバーグ博士によって見出されました。大らかで愛すべき性格をもっていた彼は、ペッパーバーグ博士の熱心で献身的な指導の下、忽ちその才能を開花させ、わずか2−3歳で大学院の学生達と「言語」の学習を積極的に競いあうようになります。

彼は最終的に、150もの英単語を覚え、「僕は〜をしたい」「僕は〜に行きたい」など、目的語や目的地を入れた会話を楽しんだほか、50の物体、7つの色、5つの形を認識し、数を6つまで数え、さらに大きい、小さい、同じ、などの概念をも獲得しました。

人は、過去を記憶し、未来を予測することで、今、その時々の喜びや悲しみを深めるといいます。アレックスさんは死ぬ前日の夜、帰宅するペッパーバーグ博士にいつものとおり「じゃあね、また明日。君を愛してるよ」と言い残したそうです。

享年31歳。ヨウムの寿命は50歳を超えると言われますので、随分若くして亡くなられました。病理解剖の結果、特に病気などは認められず、自然死とのことです。

ペッパーバーグ博士のお話は、2度ほど伺ったことがあります。
アレックスのご冥福を心からお祈りいたしますが、同時に、あれだけアレックスを愛していたペッパーバーグ博士のご心痛はいかほどかとお察しいたします。続きを読む

September 07, 2007

研究映像配信(なごみ系映像)

今日は唐突ですが、日本動物行動学会系の映像データベース(Momo)を紹介します。
唐突なのは、、別の神経科学SNSのコミュに投稿した原稿をたらい回しにしたからなので、あまり気にしないでください。

Momoを作っている人たち(動物行動学会の関係者が多い)はこれを「出版物映像データ」と捉えています。これは「学術論文などの出版物の図版として使われている映像で、紙媒体の出版物で動物行動の映像をコンテンツの一部として扱いたいという場合に、出版者がその映像データを本データベースに登録して読者のアクセスを保証する、というシステム」だということです。映像公開にもいろいろなアプローチがありますね。続きを読む

August 17, 2007

解剖のレトリックと効用

作家に「文体」というのがあるように、各業界にも特有な「言葉遣い」やレトリックがある。天気予報で、「一時」といえば、「現象の発生時間が予報期間の1/4未満」という意味だし、料理で「少々」といえば、「せいぜい小匙1/4程度まで」ということらしい。同じ「午後10時」でも、JRや航空会社の窓口では「にじゅうに時ちょうど」なのが、自衛隊では「ふたふたまるまる」になったりする。兵隊さん達も何度も命令されたり、報告を間違えて腕立て伏せを科されたりしているうちに、的確な報告や命令を出来るようになってくるのだろう。続きを読む

August 14, 2007

そこに山はあるんだけど、、、

古来、なぜ山を登るか? という問いに対する根源的な答えは、「そこに山があるからだ。」 ということらしい。

たしかに、そこに山がないと、山を登ることが出来ないので、
「そこに山がある」ということは必要条件だ。でも、十分条件ではない。

それは、「そこに女がいる」からといって全員と結婚するわけにはいかないのと同じで、別に論理学を学ばなくても、私には自明に思われる。

なのにだ。友人のYO君が、2月ほど前から、職場の人たちと富士山に登ろうと盛り上がっている。彼にはどうも登るのが自明らしい。いつの間にか、私も登ることになっているらしく、、日曜日には道具を買いに行ったりしているから不思議だ。

文明の利器を使って楽をするというのは、人類だけの特権だ。だから、万物の霊長たるわれわれは、わざわざ苦労してまで、そんなところに行かないでも良い様に思う。だいたい、文明を持たないサルでさえ、富士の山頂なんかには居ないではないか。十分な知恵も分別もある我々が、どうして苦労までして山に登るのか、私には不思議でならない。

写真は、モエレ沼公園にある名もなき山(Webで調べたらモエレ山だって!)。
2年程前、うたた寝をしながら聞いていたニュースで、アナウンサーが「モエレ沼公園はイサム・ノグチがデザインした、、、」とかいうのを聞いて、「そんなわけないだろう!。モエレ沼というのは、最低でも2千年くらいにわたる豊平川の氾濫と褶曲によって瘢痕的に生じた最も典型的な三日月湖のひとつで、断じて人間がデザインしたものではない!!」と思って飛び起きたのを覚えている。実は、先々週末に行ってみたのだが、たしかに、モエレ沼は、子どもの頃何度か見たときと同じでよどんだ沼だったが、モエレ沼公園は、極めて人工的に良くデザインされ整備された公園に変身していて、まさにイサム・ノグチ最晩年の秀作かもしれない。しかし、あんな山は、昔はなかった。なんと大小2つもある。きっと現地を見たイサム・ノグチが、「ここは山だな。山があると決まる!。山しかない!」とかつぶやいて、本当に山が出来てしまったんだろう。思いつきで(と言っては失礼だが)、インスピレーションで本当に山を作れちゃう男。山があるから登る我々より、山を作ってしまうイサム・ノグチの方が、遙かに大物だ。

さて山があったので、登ってみてわかったのだが、せっかく富士登山の為に購入したGT Hawkinsのトレッキングシューズは、どうも足に合わない様だ。そこで今更ながら、別な靴を買った。こんなたった標高62mの小山でも登っているうちに、何度か休憩してしまった。どう考えても富士山の山頂にたどりつける様な気がしてこないから不安でたまらない。酸素ボンベなんかより、自己血輸血かなんかを持って行きたい心境だ