仕事の定義


通常対価が発生する生業のことを仕事と言う。
では対価が発生しないものは仕事とは言わないかと問えば、ほとんどの人がそうだと答える。
だが私は他人が助かる行為はみなすべて仕事なんじゃないかと考えている。


現在でも問題となっているステルスマーケティングは仕事なのか?
世間一般の基準で言えば褒められたものでは無いが仕事ということになる。
ではボランティアはどうなのか?
ボランティアは仕事ではないと多くの人が答える。
ではどちらが社会的利益を生んでいるかと問うならばボランティアということになろう。

スケルスマーケティングは1つの例であるが、当事者以外誰も得しない仕事と呼ばれるものはたくさんある。
それらは確かに対価が発生するわけだが、一方で被害を被る人が出ることもある。
そうした場合の社会的利益はプラマイゼロか場合によってはマイナスなのである。
一方ボランティア(日本の場合は)通常対価は発生しないが、誰かにとっての利益を生み出している。
それゆえ社会的利益はプラスとなる。
先日山口県の幼子をボランティアの尾畠さんが発見して話題となったが、対価は発生しなくとも社会的利益を生み出した例と言えるのではないだろうか。
本来は誰人も何かしらの形で尾畠さんのように社会的利益を生み出すことはできる。


もし仮に社会的利益がマイナスの仕事ばかり溢れる社会であったのなら、必ず衰退するだろう。
例え対価が発生しない生業であったとしても社会全体の利益としてはプラスとなっていく。



それゆえ対価が発生しさえすればそれはすべて尊いものという考え方は危険である。
社会的利益を無視した仕事ばかり蔓延ってしまえば必ず社会全体が衰退するからだ。
経済最優先と言っても結局経済を崩壊させてしまうことにもなりかねない。
日々の生活のために社会的利益なんか考える余裕なんて無い社会は結局社会全体を衰退させてしまう。

人々が社会全体の利益についてもっと様々な視点から柔軟に考える必要があるのではないだろうか。