いじめられても言えない心理


いじめに遭ったとして 、その事実を親や教師などに相談する事はほとんどない。
もし相談するようなことがあれば、大変深刻な状況にあるか、もはや手遅れ状態まで追い込まれていることを知っておいたほうがいい。
そうした状況にも関わらず、真摯な対応がなされなければ相談者の落胆は推して知るべきである。

ではなぜ相談できないのか。
私自身の経験で言わせて貰えば、まずいじめられたことが恥ずかしい。
いじめられるというのは自分が弱い存在で自分に何かしらの原因があると考えてしまう。
それゆえ、いじめられているということを第三者に知られたくないという心理が働く。
男の子なら特にそうだと思う。
また社会全体でもいじめられる人間の人権というかプライドが蔑ろにされている部分がまだまだたくさんあるように感じる。
いじめは犯罪であり、いじめられた人は被害者である。
いじめられたと声高に叫べるような日が1日でも早くきてほしい。

次にいじめに遭うことによって親に心配をかけたくないということがある。
親思いの生徒は特にその傾向が強いだろう。
親に心配をかけたくない、親に迷惑をかけたくない、そう思っている生徒はかなりの数いるはずだ。

また中学生ぐらいになると自尊心が急速に芽生える頃である。
子供から大人へと成長していく段階で自我に目覚める時である。
いじめとは自尊心の破壊である。
芽生えようとしている自尊心の喪失を認めたくないと言う強い葛藤が生じる年代なのである。
いじめられていると告げることと、重い病気や怪我に見舞われたと告げることには天と地ほどの違いがある。
私の場合、大人になって初めていじめに遭ったことを告白できるようになったし、その際も言うのが恐いという強い葛藤があったぐらいだから生徒達の年代なら身を切られるような辛さであるはずだ。

次に報復の恐怖だ。
おそらくいじめる人間にとって口封じは常套手段だろう。
親や教師にしゃべったらどうなるか分かっているだろうな。
場合によっては屈辱的な写真をとって、脅しの材料として使うなんてことも当然あるだろう。
いじめる人間にとって悪事が白日の下に晒されるのは何が何でも阻止しようとするわけだから、余計にいじめの実態はなかなか表に出ないものである。
ただ今回の大津中学生自殺事件ではあまりに多くの目撃証言があり、学校も教師も生徒たちも知っていてこのような事態となるのだから信じがたいありさまである。
通常、学校や教師が普通に対応していれば生徒が自殺などという最悪なことには絶対にならない。


最後に中学生にどれだけの責任能力と善悪の判断があるかについて
私のことで悪いが、小学校低学年時ですでに善悪の区別はついていたし、相手が嫌がることをするようなことはなかったと断言できる。
ましてや中学生にもなって、善悪の区別がつかないとか、自身の行動を制御できないとか、本当にそうなのだろかと思ってしまう。
賛否両論ありそうだが、中学生はもう大人の類だ。
大昔では13歳で元服だったわけだし、当時より成長の早い現代において中学生は犯罪を犯しても責任能力がないとかそんなことを言っていていいのだろうか。
この機会に子供などと片付けるのではなく、中学生ならもう充分に大人なのだから、責任も含めた総括的議論があってもよいのではないかと思う。
もちろん中学生も対等な大人として尊重し対応することは当然である。
中学生に大人としての自覚を求めることは、当然それに相応しい権利や主張も認められるべきである。