飽食が人間を弱くする


私たちはお腹が空けば飲食店に行ったり、スーパーやコンビニで食べ物を買って食べる。
望めば自宅まで配達してくれる。
食に関して言えば、お金さえ出せば何不自由なく整う。
そこには欲しいものを選び、その対価を支払うという以外の労力は基本的に無い。

さてこれから考えるのは飽食とは真逆、渇食の時代。
ただの妄想・・・・



お腹が空いたのでスーパーに行った。
食べ物が何も陳列されてない。
飲食店はすべて閉まっている。
どうすればいいのか?
配給はまだ開始されていない。
もう2日間、ろくに食べていない。
どこかの農家に買出しに行こう。

どこの農家も何も売ってくれない。
大勢の人が押し寄せ、ドアすら開けてくれない。
何か食べれるものはないだろうか。
食べれる雑草を探してみよう。
いたるところで雑草を摘む人を見た。
雑草なんてどうやって食べるのだろうか。
湯通しして醤油でもつけて食べるか。
苦い。
けどこれしか今食べれるものがない。
明日はどうするか。
食べれる雑草もその内全部摘まれるだろう。
いもでもあればお腹が満たされるのに。
何か作物を植えたい。
どこかに種でもあればいいのだが。

翌朝海を目指すことにした。
海草でも手に入ればいいのだが。
海についてすぐに諦めた。
あまりにも多くの人々が海を漁っているのが見えた。
毎晩毎晩考える。
どうすれば食べ物が手に入るのか。
空腹の果てに神経は研ぎ澄まされていく。
人間はどれだけ食べないと死んでしまうのだろうか。
あとどれくらいの間動くことができるのだろうか。
とにかく命を繋がなければならない。

苦労して手に入れた旅券で実家に帰った後は家族や親族が今後の対策を話し合った。
親族の畑でわずかばかりの作物を育て、交代で見張りを立てながら糊口を凌ぐ共同生活が始まった。
畑を持たぬものはどう生き抜くのかそれは分からない。
ただすべての人間が安寧としていられない極限状態の中で、人々の生気が以前より感じられるのは皮肉なものだ。
何かを失えば得るものもあるということだろう。