2009年05月03日

スーパーマンの死について

飛び抜けた人でキャラクターの強い人、かつTVでしかほぼお目にかかれないような人だと、その死がにわかには信じられない、自分に受け入れられない事が多い。

例えば、アントニオ猪木、矢沢永吉、YOSHIKI、明石家さんま等々。
忌野清志郎も間違いなくそっち側の人だった、だって基本的に元気なとこしか見たことないんだもの。
本人や近しい人からしたら病状の変化とかで想像の準備は出来たかも知れないが、我々からしたら3時間ライブで復活したとか、サム・ムーアのライブに飛び入りしたとか、元気な情報しかないのだから致し方ない。

1977年生まれの僕がやっと忌野清志郎を意識したのは大学生時代、バイト先のお兄さんに「オータ、ええか、音楽に一番上手く日本語をちりばめてるんは忌野清志郎やで、よう聴いてみい」と言われたのがきっかけ、その頃井上陽水にハマりかけていた僕は、入りとしては「帰れないふたり」だった。
無論、それまでに「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」なんかは知っていたけど、鈍感な僕はそのくらいの歳になるまで彼の奥深さが理解出来なかったのだと思う。

歌詞を作って歌うことの面白さは、メロディと一緒になってしまう分、表現する文字数が自ずと制限されてしまう点にこそあり、その限られた文字数で韻を踏んでリズム感を出したり、メタファー・イロニー・ダブルミーニングを読ませて聴く側をその世界に引き込んだりする事にその魅力が出てくる訳だけど。
その点について忌野清志郎は桑田圭祐と並び称される日本の巨匠だった。かつシンガーとしては桑田が音楽に対し日本語の発音を崩す事によって西洋のロックに日本語をちりばめたのに対して、彼はあくまでもハッキリと聞き取れるように歌い、その独特の声の揺れも相まってなんとも言えない世界感を押し出していた。

現在のシーンにおいてミュージシャンとして企業や業界に立ち向かうヒーローは皆無であるが(脱ぐことは対抗ではないと思う 笑)。その最期にはガンにまで立ち向かって行った。

レコード会社やFM局やTV局、果てにはインディーレーベルにまで文句をつき通す姿勢は尊敬の一言。僕が同じ立場ならすぐに替えちゃう、弱いから。

きっと今頃あこがれのオーティスとBOOKER.T & THE MG'Sの近況報告でもしている事でしょう。

昨日からRCサクセションをリピートしている、
数多くの皮肉の中に数多くの愛が詰まっていました。

ほんとさ 確かに聞いたんだ

(敬称略)

Posted by texas_winter at 18:41│