言志四録

人心の霊なるは太陽の如し。然るに但だ克伐怨欲、雲霧のごとく四塞すれば、此の霊烏くにか在る。故に誠意の工夫は、雲霧を掃いて白日を仰ぐより先なるは莫し。凡そ学を為すの要は、此れよりして基を起す。故に曰く、「誠は物の終始なり」と。

人の心の霊妙ばる働きは、あたかも太陽のようである。しかし、克(勝ちを好む)、伐(自らを誇る)、怨(怨恨)、欲(貪欲)が雲や霧がかかるように全体を覆い塞ぐと、この霊性はどこにあるか分からなくなってしまう。ゆえに、誠意を持って工夫して、雲霧を掃いのけて照り輝く太陽、すなわち心の霊妙な働きを仰ぎ見ることが何よりも大切である。
およそ学問をなす要点は、これによって基礎を築き上げるものである。だから『中庸』には、「何事も、誠に始まり、誠に終わる(誠がなければ何も成り立たない)」とあるのである。

霊光の体に充つる時、細大の事物、遺落無く、遅疑無し。

修養によって心の霊妙な光が体に充満すると、どんな小さなことも大きなことも遺し落とすことなく、また迷ったり遅れたりすることもない。

悪を隠し善を揚ぐ。人に於てはかくの如くにし、諸れを己れに用うること勿れ。善に遷り過を改む。己れに於いてはかくの如くにし、必ずしも諸れを人に責めざれ。

相手の悪い点は抑えて、善い点称揚する。他人に対してはこのようにするのぬがよいが、これを自分に対して用いてはいけない。人の善を見れば真似をし、自分の過ちは改める。自分に対してはこのようにするのがよいが、これによって他人を責めてはいけない。

「ふんを懲し慾を塞ぐ」には、一の忍の字を重んず。「善に遷り過を改む」には、一の敏の字を重んず。

『易経』にある「ふんを懲し慾を塞ぐ」(怒りを消し去り、情欲を防ぎ止める)には、我慢をする「忍」の一字が重要である。「善に遷り過を改む」(人の善を見ればそれを行い、自らの過ちは改める)には、素早くする「敏」の一字が重要である。

本日18~22時です。
 

明日、時間変更です。
18~22時。

「ふんを懲し慾を塞ぐ」には、一の忍の字を重んず。「善に遷り過を改む」には、一の敏の字を重んず。

『易経』にある「ふんを懲し慾を塞ぐ」(怒りを消し去り、情欲を防ぎ止める)には、我慢をする「忍」の一字が重要である。「善に遷り過を改む」(人の善を見ればそれを行い、自らの過ちは改める)には、素早くする「敏」の一字が重要である。

「心静かにして方に能く白日を知り、眼明かにして始めて青天を識るを会えす」とは、此れ程伯氏の句なり。青天白日は、常に我に在り。宜しく之れを坐右に掲げ、以て警戒と為すべし。

「心が静かであれば、よく太陽の恩恵を知り、眼が明らかであれば、初めて真っ青に澄み切った空の広大さを知ることができる」というのは、程明道の句である。このように青天白日とは常に自分の中にあって外にあるのではない。この句を座右に掲げて、自戒の言葉とすればよい。

人は童子たる時、全然たる本心なり。やや長ずるに及びて、私心やや生ず。既に成立すれば、則ち更に世習を夾帯して、而して本心殆ど亡ぶ。故に此の学を為す者は、当に能く斬然として此の世習を去りて、以て本心に復すべし。是れを要と為す。

人は幼いとき、無垢で完全な真心かを持っている。やや大きくなると、私心というものが少し芽生えてくる。そののち一人前になると、さらに世俗の習慣が身についてきて、汚れのない真心はほとんど失われてしまう。
したがって、聖人の学問をする者は、世俗の習慣をきっぱり断ち切って、真心に帰るようにしなくてはいけない。これが重要な点である。

本日、休みです。姫路市民大会。

喜気は猶お春のごとし。心の本領なり。
怒気は猶お夏のごとし。心の変動なり。
哀気は猶お秋のごとし。心の収斂なり。
楽気は猶お冬のごとし。心の自得なり。
自得は又喜気の春に復す。

喜びは春のようなものである。これは心の本来の性質である。
怒りは夏のようなものである。これは心の変動した姿である。
哀しみは秋のようなものである。これは心の引き締まった姿である。
楽しみは冬のようなものである。これは心の満足している様子である。
この自得の姿はまた喜びの春に戻っていくのである。

 レディースタイムなしの予定でしたが開けます。
13:30~15:00 15: 00~18:00

 GYM開始時間を15時15分からと致します。

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