言志四録

人情、事変、或(あるい)は深看(しんかん)を做(な)して之(こ)れを処(しょ)すれば、卻(かえ)って失当(しっとう)の者(もの)有り。大抵軽看(けいかん)して区処(くしょ)すれば、※肯綮(こうけい)に中(あた)る者少からず。
人の心の動きや社会の変化にかかわる問題は、あまり深く考えすぎて処置しようとすると、かえって隠当さを欠く場合がある。たいてい単純に考えて処置すればいいのであって、それが要所を押さえている場合がすくなくない。

 出稼ぎ退職してのんびり土曜日です。午前中愛娘の土曜日参観を経由してGYMにてお待ち致します。

志気は鋭(するど)からんことを欲し、操履(そうり)は端(ただ)しからんことを欲し、品望(ひんぼう)は他かからんことを欲し、識量(しきりょう)はひろからんことを欲し、造詣(ぞうけいは深からんことを欲し、見解は実ならんことを欲す。)

気概は鋭くありたい、品行は正しくありたい、品位や人望は高くありたい、見識や度量はひろくありたい、学識はふかくありたい、物の見解や解釈は腰の据わった本物を見極めるものでありたい。

食べちゃいけないものお菓子ってな。ちょっちゅね〜‼この人は憎めない。

人の一生の履歴(りれき)は、幼時と老後とを除(のぞ)けば、率(おおむ)ね四五十年間に過ぎず。其(そ)の聞見(ぶんけん)する所は、殆(ほとん)ど一史だにも足らず。故(ゆえ)に宜(よろ)しく歴代の史書を読むべし。上下(じょうか)数千年の事迹(じせき)、羅(つら)ねて胸臆(きょうおく)に在らば、亦(また)快(かい)たらざらんや。着眼(ちゃくがん)の処は、最も人情事変の上に在(あ)れ。
人間の一生の経歴は、幼少時と老後とを除けば、だいたい四、五十年に過ぎない。その見聞する事柄は、ほとんど歴史の一部にも及ばない。だからこそ、歴史書をよむべきなのだ。そうすれば、古(いにしえ)から今に至る上下数千年の事跡が、自分の胸の中に羅列させることになって、なんとも愉快なものである。そして歴史書を読むときは、その年代を追うのではなく、人の心の動きと事物の変化に目をつけるがよい。

凡(およ)そ大硬事(だいこうじ)に遇(あ)わば、急心もて剖決(ぼうけつ)するを消(もち)いざれ。須(すべか)らく姑(しばら)く之(こ)れを舎(お)くべし。一夜を宿し、枕上(ちんじょう)に於て粗商量(ほぼしょうりょう)すること一半にして、思(おもい)を齎(もた)らして寝(い)ね、翌旦(よくたん)の清明なる時に及んで、続きて之を思惟(しい)すれば、則(すなわ)ち必ず恍然(こうぜん)として一条路を見、就即(すなわ)ち義理自然に湊泊(そうはく)せん。然(しか)る後に徐(おもむろ)ろに之を区処(くしょ)せば、大概錯悞(さくご)を致さず。

すべて大難事に遭遇したときは、焦って決断する必要はない。しばらくそのままにしておくほうがよい。一晩そのまま留め置いて。枕元でだいたい半分くらいを考え、そのまま思索しながら寝て、翌朝心清くすっきりしたときに引き続きこれを思案すれば、必ずおぼろけながらも一筋の道が見えてくる。そうすると、物事の道筋が自然に集まってくるものである。その後にゆっくりと一つひとつ問題を処理すれば、たいてい間違うことはない。
(今日の佐藤一斎先生の教えは必読すべし)

 

実学の人、志は則(すなわ)ち美なり。然(しか)れども往往(おうおう)にして読書禁ず。是(こ)れ亦(また)噎(えつ)に因りて食(じき)を廃するなり。


実人生に役立つ学問を重んずる人は知識だけの学問を嫌って躬行を重視し、その志は立派なものである。しかし、そういう人は往々にして本を読もうとしない。これはむせたからと言って食事をしないというようなものである。
躬行―自ら実行する事
○人生は読書・実践・反省の繰り返しでありたい。

「直を以(もっ)て怨(うらみ)に報(むく)ゆ」とは、善く看(み)るを要す。只(た)だ是(こ)れ直(ちょく)を以て之(こ)れに待(ま)つ。相きゅうせざるのみ。
『論語』にある「公平無私をもって怨みに報いる」という言葉は、よくよく吟味する必要がある。ただこれは公平無私をもって怨みに当たるということであり、怨みに対して怨みをもって報いるようにお互いに敵対しないだけのことである。

一の字、積の字、甚(はなは)だ畏(おそ)るべし。善悪の幾(き)も初一念(しょいちねん)に在りて、善悪の熟するも積累(せきるい)の後(のち)に在り。

「一」という字、「積」という字は、とりわけ畏れなくてはいけない。善や悪のきざしというのも最初の一念にあり、善や悪が固まるのも、その初一念が積み重なって後の結果としてそうなるものである。

ふくおにジェームス山出稼ぎ引き継いだ今、日曜日の午前中の憩い時間が再び我がもとに5年ブリブリに降臨してきた。まもなくwakeのシーズンイン。



克己(こっき)の工夫は一呼吸の間に在り。

自分の邪心に打ち勝つ工夫は、「ここだ」という一呼吸の瞬間にあり、それを積み重ねて一生を築いていくのである。

心の官は則(すなわ)ち思うなり。思うの字は只(た)だ是れ工夫の字のみ。思えば則ち愈々精明(いよいよせいめい)に、愈々篤実(いよいよとくじつ)なり。その篤実なるよりして之れを行と謂い、其(そ)の精明なるよりして之(こ)れを知ち謂う。知行は一つの思うの字に帰(き)す。


心の役目とは、思うという事である。思うというのは、ただ道の実行について工夫するという意味である。思えばその事についてますます精しく明かになり、ますますまじめに取り組むようになる。そのまじめに取り組むところからこれを行なうといい、その精密明白なところからこれを知という。すなわち、知も行も「思」の一字に帰着するのである。

分母みんながみんなそうではないが、悪い話はよく聞く。仕事の遅刻、無断欠勤、手抜き。
みんながみんなそうではないと思いたいが。
来日してくる人数が増えてるから目立つンだろうが
、悪い話はよく聞く。日本人にも悪い輩はいるが、よその国でするなよ!‼

本日時間変更。18〜22時。

物には栄枯(えいこ)有り、人には死生有り。即(すなわ)ち生生(せいせい)の易(えき)なり。須(すべか)らく知るべし、軀殻(くかく)は是(こ)れ地にして、生命(せいめい)は是れ天なるを。天地未(いま)だ曾(かつ)て死生あらずば、則(すなわ)ち人物何ぞ曾て死生有らんや。死生・栄枯は只(た)だ是れ一気の消息盈虚(しょうそくえいきょ)なり。此(こ)れを知れば則ち昼夜の道に通じて知る。
※消息盈虚―消えてはまた息吹き、 満ちてはまた虚しくなる こと。


物には栄えること枯れることがあるし、人間には生まれる事死ぬ事がある。すなわち、すべては生成変化してやむことがない。だが、人間の肉体は地に属し、本性は天に属するということをぜひとも知っておかなくてはいけない。すると、天地はいまだかって生まれたり死んだりしたということがないのだから、人にも物にも死生があるはずがない。死生や栄枯というものは、これはただ一つの気が生じたり満ちたり、あるいは、一つの気が消えたり欠けたりしたものに過ぎないのである。この道理を理解すれば、昼夜の道、すなわち陰陽の道理に通じたといっていいだろう。

このページのトップヘ