八重山(石垣島)の海人・柔術家・歌手 渡辺直由

本業は八重山(石垣島)の潜り海人(漁師)で時々柔術家or歌手をやっています 仕事の依頼はブログ記事に載っている連絡先までよろしくお願いいたします

test

石垣島の米原キャンプ場で青木真也戦のメールを見た自分はすぐ早川さんに電話しました

詳細を聞くと
それはGI-05(自分がプロデビューしたグラウンドインパクトの第5回大会)のオファーでした

『青木くんは僕とやりたいと言ってるんですか?』と早川さんに聞いたら
『浜さん(主催者の浜島さん)曰く一本で勝つと言ってるみたいよ、どう?』と聞かれ
1日か2日考えさせてくれと言って電話を切りました

あの頃の青木くんは
試合でこそ激強ではありましたが柔術ルールの寝技から始まるスパーリングに関して言えば
練習会等で何度か手合わせした感触ではまだ自分の方が有利かと思っていたので
その自信がとても不気味でしたね…
『何か隠し技があるのかな』と

でもまあ相手は自分より若く
しかも格闘エリートだし
時間が経てば経つほど強くなるから早い時期の方対戦の方が勝率は高いだろうし
やるなら今しかない!
やらなきゃ多分後悔するからやろう!
もし運良く勝てればトライフォース立ち上げに花を添えられるし
そうなれば最高だからな〜と考え

早川さんに『やります』と石垣島から返事をしました

思えば伝説の柔道家
故・小齋武志さんとの試合のエントリーを決めたのも
この石垣島の米原キャンプ場でした

そうそう
そう言えばこの青木戦のオファーを受けた1年前?の小齋戦の頃か
更にそれよりもう1年前の夏から
石垣島で活動する“石垣BJJ”の人たちとの交流が始まり
確かこの青木真也戦の前の石垣島滞在中にもキャンプ場から練習に行ってました

日中はウエットスーツを着て海

上がったら突いた魚の刺身こさえて食事して
キャンプ場の木に吊して干してある柔術着に着替え
キャンプ場の裏にある“米子焼き”で働いていた石垣島格闘技のパイオニアである竹ちゃんの車に乗り
体育館まで乗せてもらっていました

試合が決まってからはキャンプしていても青木戦の事ばかり考えてしまってソワソワしてましたね

やはり極めが強烈で
下手したら病院送りで手術しなければならないような技を持ってる選手って怖いんですよね

だからもしかすると
あの頃の青木くんの対戦相手は
柔術ルールではまだ分はよかったとしても
対戦までの期間に恐怖で精神的にやられてしまっていたのかも知れません

その辺では自分は
遊びとは言え
海とか自然とか
毒蛇なんかの野生動物も相手にしてたんで
『あ、この天気で泳いだら下手したら流されて死ぬな』とか『この魚深追いしたらヤバいな』とか
そういう恐怖にはある程度の耐性があった可能性はあります

もちろん
全然そんなのは無関係な可能性も同じくらいありますが😂

ちなみに
青木くんと初めて会った日の事は良く覚えています

柔術の聖地
台東リバーサイドスポーツセンターに柔術の団体戦か何かを観戦に行ってて
そこで青木くんは白帯ながら当時のトップ選手であった某選手から絞めで一本を取って衝撃の柔術デビューを果たしたのです

その日の試合終了後の合同スパーリングの時に植松くんが
『こいつ青木って言って後輩なんですけどなかなか強いんで稽古つけてやってください』と言われまして
その時に初めて組みました

もちろんかなり強かったですが
正直、膝立ちからの寝技の柔術ルールスパーリングには
まだそこまで慣れてなくて
“練習に関してなら”と言う前置きはしますが
後に青木くんと対戦して一本を取られた弘中の方が
二人の柔術始めてすぐの頃を比較すると
何倍も、いや
比較にならないぐらい弘中の方が強かったです

でも皆さんご存知のように
試合での青木くんの強さはもう
最初から恐ろしいモノがありましたからね

まあ
そんな青木くんの試合本番の強さと
極めの破壊力にビビり
不安な気持ちを抱え

それと同時に
新道場オープンへの期待も胸に

色んな想いをぐるぐるさせながら石垣島から東京へ向かう便に乗りました

そうして
世界選手権→無人島キャンプ→八重山ひとり旅と続いた
僕の長い夏休みは終わったのです

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

この辺の時系列的な記憶はあまり定かではないので
間違いがあればまた訂正しますが

確かもう帰国後には
早川さん石川さんと立ち上げる巣鴨の新道場の工事はある程度進んでいたような気がします

世界選手権から帰ったのが7月末で道場オープンが9月でしたので
1ヶ月ちょっとしかありませんでしたからね

そんな忙しい中なのに
私は帰国してすぐに仲間たちが主催する無人島キャンプに合流します😅
更にそのキャンプを終えてすぐに
その足で石垣島の米原キャンプ場へと一人旅へ…

世界選手権を終えて更にそこからまたキャンプ2連発って
どんだけ自由やねん!っていう話ですが
新道場が始まったらしばらく忙しくなると言う事で早川さんが特別に休暇をくれたのです

だから僕は道場の工事とか
マットや更衣室やシャワーをどうするか?など
そういう部分に関しては早川さんに任せきりで殆ど何も関わっていませんでした

ブラジル修行前に話を戻しますが
新道場の名前を決めようと
早川さん石川さんと僕
そしてたまたまそのタイミングで遊びに来ていた現パラエストラ大阪代表のタクミさんと4人でバーミヤンでお茶しながら
あーでもないこーでもないと道場名の案を出し合いました
※この日はたまたまいませんでしたが現デラヒーバジャパン代表の浜島さんも、この頃は週に何回もお茶したりしながら色々考えてくれました

最大のポイントとしては
分かりやすくて王道で
一番トップの早川さんが納得するモノである
と言う事

『やはり日本だから日本語だろ』なんて言って
“早川道場”とか“早川柔術”とか
最初はそんなのも出ましたが
これはまず『堅いな』ってのと
将来を見据える早川さんが
『自分の名前が入ってしまうと次の世代に受け継ぐのが難しいから』と自ら却下

次に
早川さんの個人名は入れないまでも
何か早川さんの名前から由来するものはどうかと
英語やポルトガル語の辞書を片手に“早”とか“川”とか“光”を訳したりしてみるが
どれも変😂

数時間考えに考え
かなり煮詰まってしまい沈黙が続くなか
夜も深まった頃に私が何気なく
『トライ…フォースとかってどうすかね?』と言った時に
全員が『お!!』っとなりました

早川さんの目がかなり輝いて
英語が堪能な石川さんに
『石川さん、トライフォースって英語的にどう?外人さんが聞いてもおかしくないかな?』と聞いたところ

石川さんが『トライフォース…うん、イイね、イイんじゃない?』
※早川さんもかなり英語出来ますからトライフォース自体の意味はわかりますが
それを道場名にしてネイティブの人がそれをどう感じるかを石川さんに聞いたのです

タクミさんも賛成してくれて

とりあえずこれが新道場の名前の第一候補となり
後日早川さんからOKが出て
新道場の名前は“トライフォース柔術アカデミー”となったのです⭐

休暇中ではあっても
そんな期待の新道場の事が気にならない筈もなく
自分は良く石垣島の米原キャンプ場から早川さんに電話やメールをしていました

そしてキャンプ場の前の海で魚を突いて上がってきたある日の午後

携帯を開いたら
早川さんから
『直さん、青木真也と戦う準備は出来ましたか?』と言うメールが来ていたのです

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

先日、中井先生の著書
“新バイタル柔術”発売記念トークショーに行って参りました!

自分もイベントの最後にちょっとマイク借りて補足的に喋らせていただいたのですが

僕らが柔術始めた20年前と違い
今はブラジリアン柔術連盟のルールの練習だけをしていても
それで柔術ライフを完結出来る…いや、出来てしまう…ので

中井先生が仰る“大きな意味での柔術”の練習をする事が重要だと改めて思いました
※具体的に説明するとヒールフックや頸椎を極める技なども(勿論安全に配慮した上で)

そう言った中井先生の考え方が詰まったこの本は
まさに今の時代に必要とされているモノなのではないかと

自分らのような古い世代の柔術家が今もそこそこ強いのは
ルールに縛られ過ぎずに
総合、柔道、サンボ、レスリングなどの方々と禁止技を越え、また時には得意技を封じて練習してきたからではないかと思うんですね

僕は常々自分の弟子には『足関の達人に対処出来るようになれとまではいわないが、柔術紫帯くらいになる頃にはちょっと総合かじったくらいの人間のヒールには対処出来るようにしなさい、更に可能であればヒール取り返すくらいが理想』と教えて来ました

ルールで禁止されたものは仕方ないし
試合ではルールに従うのは当然ですが
やはり外掛けとかは自然の流れでなってしまう事は完全には防げないので
そこで相手や審判に解いて貰うのを待つか
自分で解除出来る方法を知ってるかって言うのは

柔術家=組技師としての根源的な強さに大きな差があると思います

ちなみに
自分は理想としては寝技極めたら次に投げも打撃も練習して極めたかった人間なんですが
なんせ覚えが悪くて
寝技も極めないうちに怪我だらけで現役終わってしまった人間なんで😅

本音を言えば全て出来るようになりたかった

才能や運動神経や
始めた年齢的に
出来る事が寝技だっただけで
寝技に変に固執してるワケではないのです

ただ
その、せめて自分がある程度出来るようになった寝技の範囲に関してだけは
なるべく制限を取っ払ったところで勝負出来るようになりたかったし

出来るのが本当の柔術家…かな?と…

いや、出来ないのは仕方ないですが
そこを目指すのが柔術家本来の姿なんではないかと
思うんですね👊

そんな事を中井先生との会話の中で再確認いたしました

中井先生が言っていた事で
とても印象的だったのが

『昔ブラジリアン柔術(当時はグレイシー柔術)が入って来て、みんな“やっと自由で無制限な寝技が出来る”と思って喜んだ、でも今また連盟のルールに縛られてそれ以外の練習をやらないのは残念だ』と

これは自分も強く共感致しました

中井先生はこうも続けていて
『連盟のルールを否定しているワケではない、試合でルールを守るのは当たり前!ただ格闘技や武道の根源的な意味での練習も重要である』と

※もしかしたら私自身の解釈が入ってしまっていたり
中井先生の言葉と微妙に違う可能性があるのはご了承ください

で、ちょっと繰り返しになりますが
自分らのような古い世代の柔術家がそこそこまだ若い柔術家ともやり合えるのは
そういう制限の少ない練習
または相手に合わせて違うルールや価値観の組技に触れてきたからではないかと
中井先生や自分は考えるのであります

今後の課題としては
幸か不幸か
ブラジリアン柔術ルールの練習だけで柔術ライフが完結出来てしまう現代に
どのように違う体系の練習を組み込んでいけるか?
更に言うとその必要性をどうしたら弟子達に感じてもらえるか?
そんな事を考えさせられる一日でした

僕らの始めた頃は
柔術ルールの練習だけしている人だけでは練習相手が足りなかったので
望む望まないは関係なく
どうしても色々な競技や思想や価値観の格闘家と練習しなければなりませんでした

本来の柔術とは何か?

今またそれを世に問う
問題作なのではないかと
思っています😁👊
IMG_20181104_233207

片庭くんから帯が返ってきて
いよいよ世界選手権の1回戦が始まるのですが…

なんとなんとマットに上がった私はまだ計量を終えていません😅

試合前に水を飲みたいので大会スタッフに計量をお願いしたら
『お前は遅れてるんだからいいから早く試合しろ!』と計量しないまま試合がスタート😱

世界選手権なのに…

ブラジルの悪い意味でのいい加減さに翻弄されました(笑)

体重オーバーしてたんなら計量されないのはラッキーだけど
もちろんキッチリ体重は落としてたんだから全然ラッキーじゃない…

ちゃんと計量終わってたら
その後に水飲んだり出来るんだけど
それが出来ないワケで…

更には試合した後で『体重計ってないから失格!』とか言われたらどないしよ!ってのも常に心配しながら戦ってました(苦笑)
※ブラジリアン柔術の計量はたった100グラムでもオーバーしようものなら海外から来てようがなんだろうが容赦なく一発失格なので!

とにかく
リオに着いてからの全てがドタバタ過ぎて
肝心の試合内容についてはあんまり覚えてないのですが

1回戦は確かホレッタスイープで2〜3回返して勝ち

2回戦は飛び付きクロスされて軽く膝を痛めたが
こちらもスイープか何かのポイントで勝ち

3回戦は2回くらいスイープされて劣勢でしたが
最後、終了間際のラスト数秒
腕十字が極まり相手がタップ👊

しかし審判が時計ばかりを気にしてタップを見逃してしまい負けました😵

アリアンシの仲間は猛抗議してくれましたが
良いのか悪いのか自分はこういうのあんまり気にしないタイプなんで普通に試合終えて
審判に握手しようとしたら
多分審判は俺が抗議しに近寄って来たと思ったらしく
目を合わせずに“あっち行け!”のジェスチャー😵

いやいや握手だよ!と3回くらい手を差し出したらやっと気付いてくれて
審判とガッチリ握手🤝

初の世界選手権は終わりました

マットから出ると金網の外にいたマルセリーニョが『良い試合だったなナオ!』とニッコリ笑いかけてくれたのがとても嬉しかったです

自分の勝手な憶測ですが
抗議しないでニッコリ審判と握手するような俺の行動をマルセリーニョは多分好きだったんじゃないかと思うんですね😊

いや、でも実は全然違くて『やる気ねえなコイツ』と思って呆れて笑ってただけなのかもだけど、俺ってポジティブなんで(笑)

片庭くんは帯の件を申し訳なく思ってくれていたみたいですが
お陰で緊張している暇もなかったので
むしろ感謝していますm(__)m

自分の座右の銘は“人間万事塞翁が馬”なので♪
※意味が気になる人は検索を

そうそう
スーパー余談ですが
遡れば片庭くんとは実はかなり昔から知り合いで
自分がK'zに入門して1年半くらい(1998年)の時に
当時の僕の彼女の親友が『私が働いてるところに柔術やってる人がいるよ』と聞いて
そこの居酒屋さんに飲みに行って
片庭くんと知り合いになり
その頃はまだお互いバリバリ白帯でしたが
一緒に練習したんですよね

その時から強いな〜とは思ってましたが
まさか後にトップ選手となり
更に名門アクシスさんの支部長にまでなるとは驚きました

さて
世界選手権に出ていた他の仲間の試合の事も書きたいのですが
数十人は書かないとならないので
今回は割愛しますね😅
※後に追記する可能性もあり

ブラジルでの全ての柔術修行を終えた私ですが
最後に1番大変な仕事が残っていました

それは柔術を始めてから1番お世話になり
沢山の事を教えていただいた和道先生に移籍を告げる事です

もしかしたらこれは
自分のそれまでの人生で一番かも知れないくらい緊張しましたし
とにかく辛かったです

意を決して僕は
ホジャー・グレイシーがジャカレイの腕を折りながらも逃げ切られて負けた伝説の名勝負の大熱狂の中
(実際はそのちょい前だったかも)和道さんにアーザを離れる事を告げました

和道さんは自分が話した離脱の理由を聞いて『仕方ない』と理解してくれましたが
同時に『応援は出来ない』とも言って
体育座りをしながらとても寂しそうにしていました

当然だと思います

ニッコリ笑って『そうなんだ!頑張れよ〜』なんて言われたら
ある意味逆にもっとショックでした😅

和道さんは本当に自分を信頼して可愛がってくれてましたし
全てを包み隠す事なく教えてくれました

その先生を裏切るわけですから…本当に心が痛みました

師匠をガッカリさせて自分に自己嫌悪しながらも
同時に
『和道さんに愛されていたんだな』と言う事がわかり
嬉しさと悲しさが入り混じって
何とも説明のしようが無い感情が渦巻いていました

会場には富裕層の柔術家が多いグレイシーバッハとテレレやジャカレイなど貧困層(ファベイラ)出身の柔術家の応援合戦が鳴り響き

黒い旗を振るファベイラの応援団の熱狂が
何だか別世界の光景のように見えて
夢の中にいるみたいでした

細かい内容はわすれましたが
会話が途切れて長い沈黙があった後

和道さんは最後に『頑張って』と握手してくれて
自分のブラジル修行でやらなければいけなかった事の全てが終わりました

呼吸するのも忘れるぐらい辛い時間でしたが
前の章でも書いたように
柔術の道で生きて行く為にはこうするしかなかったのです

このタイミングを逃したら
和道さんや弘中、荒牧くんや
他にも沢山の仲間たちがいたアーザを離れられなかったでしょう

1番苦楽を共にした仲間でしたからね

〜編集中〜まだまだ編集追記します

どのような経緯だったかが全く思い出せないのですが
現地で日本人選手団と合流
※多分会場周辺で日本人の誰かと会って皆の滞在先のホテルの場所を聞いたのだと思います

タイミング的には確か
世界選手権の自分のカテゴリーの試合がある前々日くらいだった気がします
※世界選手権はカテゴリ別に2〜3日に分けて開催されますので

夜は早川さん石川さん和道さん弘中や植松くんたちと軽く飯食ったりしたような…

とにかくリオ着いてからの俺と石井ちゃんはトラブル続きで大変だったので
試合の前後に関しては
そのトラブル時以外の記憶があんまり無いんですよね(笑)

大会初日は自分の試合はありませんでしたが
ホテルにいても緊張するだけなんで
会場の視察と仲間の試合の応援も兼ねてチジューカ・テニス・クルービーに行く事にしました

近年柔術を始めた方には想像出来ないかも知れませんが
大量離脱後の当時のアリアンシの応援団は
それはそれは淋しいものでした

かつて最大・最強クラスのチームであったアリアンシの面影はなく
10人くらいが集まって声を張り上げてはいましたが
グレイシーバッハなどの有名チームはその数十倍の大応援団がいて
アリアンシの声援など簡単にかき消されてしまっていたのです

このようなアリアンシ冬の時代を知っている自分なので
後に2009年の遠征時に
LAでの世界選手権で団体優勝を連覇する迄に復活したアリアンシの大応援団を見た時は感動で泣きそうになりました😭
※この話はまた後の章でゆっくりしたいと思います

一夜明けて遂に自分の試合の日になりました

呼び出しがかかり
大混雑している計量スペースに向かうと長蛇の列…

待ち時間が暇なんでアリアンシの応援団の方を見たらタルシスやモンストリーニョやバチスタ達が『ナオ行け〜!!』とガッツポーズで声援を送ってくれました

軽めのガッツポーズで応えたら『もっと気合い入れろ〜』みたいに煽られたので
ギャグで投げキッスを返したら
モンストリーニョとタルシスは頭を抱えてしまって
お調子者バチスタだけが爆笑してたな😂

そしてマットの呼び出しに名前を呼ばれ『次の次がお前の試合だ』と告げられ
スタンバイします…が!
ここで予想外の展開が😅

自分のちょっと前に呼び出された現アクシス千葉代表の片庭くんの帯がボロボロで
これでは試合が出来なくて失格だと言う事になり
自分の帯を貸す事になりました
※この前年度くらいまでは確かボロくても大丈夫だった

で、困った事に
そのタイミングで自分の呼び出しが来てしまい
『何でお前は帯してないんだ!』と呼び出し係に突っ込まれ
事情を説明

カタコトながら何とか理解してもらい
同じブロックの違う山の試合から先にやってくれたのですが
自分のカテゴリーの試合が短時間の1本決着が続出してしまい
片庭くんの試合が終わるまでに3回くらい呼び出しされて
『失格にするぞ!』と怒られて泣きが入りそうになりました😱

不安にかられてふとアリアンシの応援団が居る席の方を見るが
誰か違うアリアンシの仲間が試合中らしく(自分は下の混雑した場所にいるので角度的に見えない)みんなそちらに集中していて自分のSOSには気付いてくれない

そんな時に応援団のちょっと後ろからこちらを見つめる人が…
ファビオ・グージェウだ!

ファビオは『ナオ安心しろ!俺は見てるぞ』とでも言わんばかりに
ゆっくりと親指を立てて微笑んでくれたのです

とてつもない安心感と共に
感動と鳥肌…😳

世界選手権と言う大舞台

何年も手塩にかけて育てて来たブラジル人の弟子が試合しているのに
アリアンシに入門してまだ1ヶ月半のわけ分からん日本人もしっかりカバーしてくれている

まさに彼こそが世界一の名指導者だと確信しました

そんなファビオだから大量離脱で弱体化したアリアンシを
たった数年で世界一に返り咲かせる事が出来たんですよ

大量離脱についてあまり語らなかったファビオが
世界一に返り咲いたその時のインタビューで離脱組に一言
『彼らはどこに行っても不平不満ばかり、これでどちらが正しかったか証明されただろう?』とインタビューで答えていて
格好良かったですね
痺れました👊

ファビオがある雑誌のインタビューでヒクソン・グレイシーは私たちより常に上の境地にいる=超人や神だ
的な事を言ってましたが

自分はファビオも指導者としての神だと思っています
もちろん競技者としても超・超・超一流なのは言うまでもありませんが✨😌

前の章で書いた
“ファビオはファビオ不在時のクラスについても、そのファビオ不在の頻度やタイミングについて計算してセミナー遠征や指導をしているのではないか?”と自分が考えるに至ったのも
こう言った細部に渡ってフォローが完璧に近いくらい行き届いている彼だからこそ
私はそう思うのです

僕なんかは別々のマットで2人とか3人同時に自分の生徒の試合が始まってしまうと
強い弱いとか
可愛がってるから贔屓とかは無いんですが
1番ピンチの生徒の試合にフォーカスしてしまい
気が付いたら他の生徒さんの試合が終了して
『やべ!!⚪⚪さんどうなったんだろ(汗)』って毎回なってしまい

見逃してしまった生徒さんが観客席に帰って来てからその顔色を伺って結果を予想し
話を合わせたりもしていました😫💦

でも志の高い生徒さんとかだと
勝っても
『いや〜、全然自分の動きが出来なくてダメダメでした〜』みたいな事を言う人もいるもんだから
『また次の⚪⚪大会で頑張りましょう!』なんて言うと
『あ、いやまだ勝ち進んでますよ』なんて言われてしまい

あちゃ〜(>.<)
みたいなのが良くありましたね…(苦笑)

そんな経験から
指導神であるファビオの真似はやめて
高弟やインストラクターに
『⚪⚪は⚪⚪さんの試合見てて!俺は⚪⚪さん担当ね!』と
振り分けるようにしました👍

前にSNS上で“超一流の指導者とは?”みたいな話題で柔術関係者と盛り上がって
“強い選手を育てるか”
“趣味会員さんを満足させるか”
そのどちらが超一流なのかみたいな話になりましたが

自分的にはその相反するような二つを両立出来るのが超一流であり
それこそが正にファビオだと思います

ここ数年は確かアトスに団体優勝を奪われていたかも知れませんが
歴史的に総合で見れば
まだまだ世界一の指導者ファビオ率いるアリアンシこそが世界一のアカデミーではないかと自分は思っています
※と言いつつここ8年くらいの世界の柔術事情はほぼ知らないのですが😂😂😂

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

いよいよ柔術の世界選手権“通称ムンジアル”が数日後に迫りました

この世界選手権こそが私のブラジル修行の旅の最終目標…と柔術仲間の皆は思っていたでしょうが
実は違ったのです😣

これは今初めてこのコラムで詳細を明かすのですが
日本を発つ頃は世界選手権には出ないで帰ろうと密かに自分では決めていたのです

何故かと言うと
そのムンジアルの時期には自分が人生で一番大切にしていた“無人島キャンプ”と言うイベントがありまして
これは自分の命=人生の全てとも言えるものだったからです
※初めて八重山に来たのはこのキャンプがきっかけでした

自分は中学に通い始めてすぐに
担任の先生と大揉めして学校にいかなくなり
しばらくは下校してくる友達を待ち伏せして遊んだりしていましたが
中学生の共通の話題と言えば
何組のあの子が可愛いとか
あのセンコーがムカつくとか
そんなネタしかありません

よって段々とクラスメイトと話が合わなくなった自分には友達が全くいなくなり
私はその後の中学生時代の3年弱をひとりで街をフラついたりして過ごす事になります

大人になってからの3年ならまだしも
子供の頃は1学期が今の1年以上にも感じるような時期…

あの3年間は今の10年間にも感じられて
本当に辛かったです

親にも本当に迷惑をかけたし
“人間とは?人生とは?孤独とは?”
そんな事をずっと考えていました

よく『あいつは中卒だ!』なんて言って相手を馬鹿にしたりしますが
自分は実質“少卒”です😅
※その先生の異常な行動や言動が確認された為に特例で卒業は出来ましたが中学の勉強は全くしていない

あまりの孤独から家中を破壊した事もありましたし
そんな荒れ果てた家庭環境から
うちの家族はあと一歩で一家心中となるような危機的状況の時期さえあり
実際に死に場所を探す為ではなかったのかな?と思えるような旅行なども経験しまして

今振り返れば
本当にギリギリ寸前で踏み止まったんだな…と

そんな時に自分の支えになったのが小学生時代から参加していた
SBスポーツクラブ(SB食品)と三浦ドルフィンズさん共同開催の
“無人島キャンプ”シリーズでした

自分が石垣島に移住してからなので、確か3〜5年前くらいと記憶してますが
SBスポーツクラブの創立30周年(40周年かな?)イベントがあり出席させていただいき

その時に先輩が語った
設立の理念に『ジャングルジムに登れても木に登れない、プールで泳げても川や海で泳げない、そんな子供たちを自然で遊べるようにしたい』と言うようなものがあり
その先輩たちの想いで今自分が生かされている事に改めて感謝すると共に涙が溢れそうになりました

『来年もう一度、生きて島キャンプに行きたい』と言う気持ちで1年間を過ごしたあの時期

もう二度と戻りたいとは思いませんが
あの孤独を経験したからこそ
今の自分の“怒らない性格”や“友人を大切にする気持ち”が育まれたのだと思うので
これは貴重な財産だなと
後に気付きました

自分本位に考えれば
この時期にも意味はあったから良かったなどと綺麗事のように語れはしますが
当時は本当に母親や叔母に迷惑をかけまくって
この先の人生で私がどんなに良い行いをしても決して地獄行きは免れないとは重々覚悟しております

そんな極悪人の私がのうのうと生きているのも恥ずかしいのですが
迷惑をかけた上に親よりも先に死ぬのも更に親不孝なので
生き恥を晒しながらも何とか生きておる次第であります😰

とにかく
柔術に全てを賭けている人には申し訳ないですが
そんな人生で最も重要な
命を繋いでくれたキャンプに比べたら
世界選手権だろうが何だろうが
はっきし言うと自分にとってはどうでもいいイベントでした

しかし
ブラジルに渡り
本場のブラジリアン柔術を体感する中で
自分の中に少しずつ気持ちに変化が生じました

本気で世界王者を目指し
生活や人生を変えたいと願う若者や

貧民街に暮らし
麻薬取引をしなければ暮らしていけず
多くが若いうちに殺されてしまうような
そんな貧困から抜け出そうと必死に練習する子供たち

そんな仲間に『ナオも世界選手権に出るんだろう?一緒に戦おう!』と言われ続けるうちに
“俺もアリアンシ柔術の看板を背負って皆と戦いたい”と言う気持ちが強くなって来たのです

そして最終的には飛行機を世界選手権終了後に予約し
無人島キャンプには遅れて参加する決断をしました

自分たちが練習しているアリアンシ・サンパウロは
文字通りサンパウロにあるのですが
世界選手権はリオデジャネイロで開催されるので
試合の2日だか3日前くらいに皆でアリアンシに集まり
半日くらいかけて車で行く事になりました

しかし直前になり
“誰が誰の車に乗るか”で揉めだして雲行きが怪しくなって来ます

『うちら乗せて貰えるかな?』って石井ちゃんと心配していたら
嫌な予感的中!

石井ちゃんとアサイー買いに行って道場に戻ったら
アリアンシメンバーが誰もいない😅

これには相当焦りましたが
何とかリオに行かないとならないので長距離バスに乗りリオを目指します

アリアンシの仲間に付いていく気でいたうちらは
何も旅の計画を練っていなかったので
ここからがかなり大変でした

夜にリオに着くと
そこは明らかに治安的にヤバい雰囲気のバス停で
辺りは真っ暗でゴミや新聞紙だらけ…

ブラジルのガイドブックには
こういう場所では必ず
「大きな荷物は持つな」と書かれているのですが
柔術修行をしているうちらには柔術着持ってる時点で不可能な事なんですよね😂

だからまるで戦場を移動するかのように石井ちゃんと二人で
走っては柱の陰に隠れ←これを繰り返し
汗だくになりながらようやくリオの市内?に行く路線バスのバス停に辿り着きました

バス停に着いて路線図を見ても全然行き先が分からず
石井ちゃんと知恵を搾ります
『そうだ!世界選手権の開催場所はチジューカ・テニス・クルービーだからチジューカって場所に行けばいいんじゃないか?』って話になり

チジューカ行きのバスの路線を教えもらって目的地に着いたは良いが様子がおかしい…

やたらと綺麗な南国調の町並みに庭にプールがあるような高級ホテルばかりで
自分らがビデオでみた小汚い世界選手権の会場がありそうもない雰囲気…

とりあえず近くのホテルで部屋を探す序でにチジューカ・テニス・クルービーの場所を聞いたら
ここはバッハチジューカと言う全然違う場所だと言う事に気付き唖然😅

最初に世界選手権の会場の情報を聞いたホテルは満室で
それからなるべく安価なホテルを探し何軒も渡り歩くが
全て満室…

もう後はここしか残って無い!と言う事で
パーカーに短パン
足下はサンダルと言う俺の姿では本来近寄る事すら出来ないような超高級ホテルに勇気を出して突撃宿泊交渉👊

まずフロントの兄ちゃんに
『こんな服装で来てすまないが、間違ってバッハチジューカに来てしまい困っているから泊まらせてくれ!部屋はあるか?』と聞いたら『ある』と言う

値段を聞いたら日本円にして8000円くらいと決して高くない

ラッキー⭐と思っていたら
何やら条件がある的な事をフロントの兄ちゃんが言っていて
最初は石井ちゃんも俺も理解出来ず
『??え?泊まれないの?』と聞いたら『いや、泊まれるのだが…』とブツブツ何かをずっと言ってくる

すると自分より倍くらいポルトガル語が出来る石井ちゃんが内容を理解して『マジかよこいつ…』と苦笑いしている

一旦交渉をストップした石井ちゃんが
『ナオさん、こいつホテルにうちらが泊まった事を報告せずに宿泊費を自分でネコババしようとしてますね…』と

ホテルに知られてトラブルに巻き込まれるのは嫌だけど
ここに泊まれなくて治安の悪いブラジルで野宿はごめんなので
仕方なくフロントの兄ちゃんの条件を呑むことにしました

ベッドに横になっても
ホテルの上層部にバレて不審者と間違われて射殺されるんじゃないか?とか
不安で不安で仕方なかったです😅

翌朝
朝食を食べに行くと
そこには大金持ちのオーラを纏った人間しかいなくて
例えば短パンとかでも
革の高級なベルトを通して履くような短パンと
その短パンにクソ高価な革靴を履いているようなブルジョワ層しかいなくて
柔術ブランドのサーフパンツにTシャツ姿の自分たちは非常に居心地が悪いと言うか
恥ずかしかったです😳

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

ブラジル修行記もいよいよ終わりが近付いておりますので
話忘れたこぼれ話などをまとめて書いて置きたいと思います

ブラジル滞在中は練習ばかりでほとんど遊びには行きませんでしたが

空いた時間でよく“プラサ・ダ・セ”って駅の近くをふらふら散歩がてら買い物なんかも時々してました

路上には所狭しと有名スポーツブランドの偽物などが激安で売られていたり
違法コピーの映画やエロのDVDをブルーシートの上に並べて売っている人がいます

たまに一斉摘発みたいなのがあって警官が来て
そうするとビックリするくらいのスピードで店をたたんで走って逃げるんですが
この段取りは見ていて感心するくらい見事ですよ

ま、こういう違法コピー店は“セ”に限ったわけではなく
あちこちにあるんですが
この辺のエリアには特に多かったように記憶しています

帰国後にガイドブック見たら
この“セ”のエリアは超危険地帯みたいに書かれてましたが
実際にはそうでもなかったし

ブラジル人に聞いても「もっと危険な場所が他に沢山ある」みたいに言ってました
※あれからブラジルの治安は更に悪化したとも聞いたので今はわかりませんし
日本よりはかなり危険なのは間違いないので用心するに越したことはないですが

そうそう
ブラジルで驚いた事の一つが
公衆電話の故障してる率!

半分以上は壊れていて使えませんでしたが
最初の頃はそれがわからなかったので
何か電話のかけ方に問題があるのかと思ってました

あとブラジルは犬の糞の多さがヤバい

高級住宅街に行くと犬を飼っている人が増えるんで
そういう綺麗な地区の方がうんこが多いです
※綺麗な場所だがうんこは多いと言う矛盾…

柔術のラントレ時にもこのうんこ地雷を避けるのが大変でした…

前にも書いたように
ブラジル人は優しくて何事にもイライラしないんで
落ちてるうんこにも寛容なのでしょう😆

あとブラジル人の寛容さと言うか
のんびりさを象徴しているのがスーパーマーケットのレジ

数十メートルも列が出来ているのにレジ係はのんびりしたもんで
やっと俺の番が来たと思ったら
「お前どこから来たんだ?え?日本!俺は日本人と付き合った事があるんだ♪お、お前が選んだこのシリアルは最高だぞ!俺もいつも食べてるんだ」みたいな感じで
後ろはズラーッとレジ待ちで長蛇の列なのに5分くらい世間話されてw
そんな時も怒らずにブラジル人は普通に列に並んでいました

次に…
これは書くか迷いましたが
社会勉強?として
ボアッチなる売⚪宿にも行ってみた(笑)
※ちなみに私は43歳にして未だ風⚪童貞ですのでもちろん買ってません😳

ブラジルには色々なスタイルのボアッチがあるらしく
買う気もないのに冷やかしになっては悪いので
エントランスでまず少しお金を払うシステムの
作りがクラブみたいになっていて
普通に女の子とキャバ的な感じで飲むだけでもオッケーな場所を選択👍

ここで気に入った子がいたら上の階にある個室のマットでマッチメイク料を支払いノーギの45分一本勝負(何本でもアリ?)が始まるのだとか😂😂😂

ビビりの自分は試合はせずにリングサイド?でうろうろしていたら
突然ステージ上でポールダンスしてる女の子に呼び止められ手招きされ
近付いたら手が入っていない飛び付き三角…と言うかプロレスで言うフランケンシュタイナー?みたいなのを食らい
「ナオさん夜も柔術してますね!流石♪」と仲間たちに笑いのネタを提供し
ムラムラしながら帰宅しました(笑)

とにかくビックリしたのは
色々な人種の
しかもハリウッド女優みたいな美人がわんさかいました😚

“我慢がきかない国”と言われるブラジル

その国の欲望をはね除けられた自分は偉人なのか
逆に変人なのか…

大志を抱いてブラジル修行に来た多くの日本人柔術家がボアッチ通いがやめられずに大成しなかったと聞いておりますが
頷けます😒

柔術家の夢を飲み込むブラックホール
それがボアッチなのかも知れません

ちなみに
ボアッチ通い撃チン柔術家が誰なのか
その秘密は墓場まで持って行きますので
聞かないでくださいm(__)m

練習が休みの日曜日には大体リベルダージと言う日本人街の日曜市に行きましたね
リベルダージの駅の周りに屋台がいくつも出て
ここの“ギオザ“”と書いてある店の餃子がなかなか美味かった♪

ただ流石はブラジル…と思ったのが
醤油などのスタンダードなタレの他に
キウイフルーツやメロンゼリーみたいな謎のソースがあり
これをたっぷりと漬けた餃子をブラジル人は普通に食べていました😨

嫌な予感はしつつも
これも経験だとトライしてみたら矢張り激マズで吐きそうになりましたよ…

リベルダージにはうどんや焼そばなどの日本の料理を出す店が何軒かあり
何故かやたらとうどんが恋しくなった自分は
滞在中に3〜4回くらいは食べに行きました

長期で海外にいる日本人と話すと「日本にいた時はそんなに食べなかったくせに何故か海外にいるとうどんが恋しくなりますよねー!不思議ですねー」なんて言う話題で盛り上がるパターン多し!

本当になんでそうなるのかわかりませんが
とにかくうどんが恋しくなりました(笑)

あ、あと3日間くらい練習を休んで日系移民として数十年前にブラジルのパラナ州カストロに移住したセイイチロウおじさんの家を訪ねました

小さな頃から自然や虫や爬虫類が大好きだった自分は
母親から「あなたはブラジルに行ったセイイチロウおじさんに似ている」とずっと聞かされて来たので会えて嬉しかったです

自分がカストロに行った時はちょうど地元の運動会があった時で
バーベキューなども開催してもらい賑やかでとても楽しかったし
滞在中は本当によくしていただきました

カストロはとても自然が多い場所なので「蛇とかいますか?」と聞いたら巨大な毒蛇がいるとの情報を得たので一人森に分け入り蛇を探していると
しばらくして池を見つけ

その池の縁を歩いていたら「ドボン!」と何かが池に落ちたので
最初は石が落ちたか、それか亀だろうと思っていたら
頭をひょっこり出したのは何とカワウソ!!

顔だけを水面から出し
こっちをじーっと見ながらゆっくり近付いたり離れたりを繰り返し
やがてどこかへ消えて行きました

カワウソの事をおじさんの家族に話したら
2004年当時でも既にカワウソは相当珍しかったらしく驚いていましたね

毒蛇は発見出来ませんでしたが
レアなカワウソを見れて満足しました✨

あれから14年…
もしかしたらカワウソはもう居なくなってしまったのでしょうか😢

ま、そんな感じで
要所要所で息抜きしながら
とても楽しく過ごして来ましたが
ムンジアル(世界選手権)も間近に迫り
ブラジル修行生活もいよいよ大詰めを迎えます

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

ブラジル修行編の全部に言えることですが
今章ではよりブラジリアン柔術を取りまく環境や
ブラジリアン柔術が育まれた土地柄、ブラジルの人々の性格や気質について書いて行きたいと思います

度々書いてるように
基本的に試合嫌いな私ですが

せっかく大金叩いてブラジルまで来たので
とにかく本場ブラジルでの試合経験を沢山積みたい!って事で
謎の大会にもエントリーしました

その経緯を説明すると
前にも登場したフェルナンド・ソルッソ
※おそらく現在アリアンシのエクアドル支部長

当時彼が代表を務めるアリアンシ875cとか言う支部に出稽古に行った際
「友達が主催する大会がある」と彼が教えてくれたので
即「エントリーしたい」と伝えるとクラス終了後に早速ソルッソが担当者に電話を入れてくれて

電話が繋がり
ソルッソが俺にフルネームを言えというので「ナオヨシ・ワタナベ」だと伝えたら
それを担当者にバーっと口頭で伝えていて
この時にちょっと嫌な予感がしたのですが
それが後に的中します😰

試合当日

会場に着き中に入ろうとしたら大会スタッフに止められて「出場者だよ」と告げてもダメ…

何故?と聞いたら
この大会は恵まれない人への1キロの食品を寄付をしないと入場が出来ない大会だったのです

ブラジルでは割とポピュラーだというこの1キロ寄付スタイル

「砂糖でも小麦粉でもいいから買ってこい」とスタッフに言われたが
土地勘もないからお店がどこにあるかもわからない…

試合開始の時間ももうすぐだし
「10レアルくらい払う(砂糖とか小麦粉が何キロも買える金額)から入れて」とお願いしても頑なに「ダメ!!」と突っぱねられ泣きそうになってたら
確か試合を見に来てくれた石井ちゃんが走って買ってきてくれて
何とか無事に会場入り出来て一安心

しかし10:30に試合開始と言われた自分の名前は全く呼ばれない

でも自分のカテゴリーの呼び出しは始まっているので
受付のスタッフに自分の登録カードを見せて「このNAOYOSHI WATANABEの名前は無いか?」と聞いたら
「無い」と言う

そしたら
これは未だに全く謎なのだが
「お前の試合は14:30スタートだ」と断言され
何時間も2階席で待つ事に…

14:30に再び受付に行き
スタッフのお姉ちゃんに出場するカテゴリーと所属と名前を告げたら
「あなたのカテゴリーは終わったわよ」と衝撃の言葉が😵

唖然としていたらそこに
ちょっと話しの分かりそうな兄ちゃんが来てくれて
「お前がナオヤタナビか?!」と聞いて来て
エントリーリストの紙を見たら
“NAO YATANABI”の文字が…

なんてこった
これではわからない😰

確かに11時前後くらいにアリアンシ所属の「ヤァタナァ〜ビ」って
アフリカ系みたいな響きの人がウーチマシャマーダ(ファイナルコール)されてたな〜
まさかアレが俺とは〜😰

嫌な予感は的中〜

にしてもこのスタッフのお兄ちゃんどっかで見たことあるなと思っていたら

そうだ!サンパウロ来たばかりの時に柔術着を着たまま地下鉄に乗ってる奴がいたんで辞書片手に「これ(柔術着)は何処で買えますか?」と話しかけたモレノくんだ!と思い出しました

なので「俺だよ!地下鉄で話しかけた日本人だよ」って言ったら
あー!!って😆

あの時はまだブラジルの事が良くわかってなかったから
サンパウロ着いてすぐ道着なんて買えるだろうと思い
2着くらいしか持って行かなかったら
なかなか柔術着が買えずに練習頻度に洗濯が追いつかず困っていたのです

そんな時に地下鉄に乗り
フル柔術着姿でつり革につかまるモレノくんを発見!

話しかけたは良いが
10分以上会話しても彼の話す内容が全く理解出来なくて
「ごめん!わからない😰でもありがとう」と告げて電車を降りたら
何と何と彼は降車駅でもないのに付いてきて
ずっと30分ぐらい辞書を片手に熱心に色々説明してくれたのです

それでも結局ポルトガル語が分からず
ごめんなさい→ありがとう
を繰り返していたら
最後に「困った時はメールしろ」と
E-mailアドレスと名前を書いてくれて
そんな彼の優しさに感動😭

あれから1ヶ月くらいが経ち
カタコトながらポルトガル語が喋れるようになった自分は
何故道着が欲しかったか
いかに君に感謝しているかを告げる事が出来て
とても嬉しかったです

大会には出られなかったけど
会場に来て良かったな〜って
そんな気持ちになりました

“ブラジル人の優しさ”をキーワードに話を広げていくと
こんな事もありましたね

アリアンシの午後の地獄のフィジカル練習を終えてサンタクルーズ行きのバスに乗った自分は
疲れ果ててバスのポールに寄りかかっていたら
若者が「ここに座りなよ!」って席を譲ってくれて
「へ?いやいや大丈夫だよ」って伝えたら
「でも君は疲れてるだろ?」って言うから
「いや…疲れてはいるけど仕事じゃなくて趣味でトレーニングしてたんだから大丈夫だよ」と

そうカタコトでだけど返したら
良いから座れと何回も手招きされてさ

なんかずっと彼を立たせてやり取りするのも申し訳ないので
有難く座らせてもらい
最後にお礼を言ったら「疲れは取れたかい?」とニッコリ笑ってきて…

ブラジルではこんな事が良くあるんです

だから自分が知る限りでは
バスにも地下鉄にも優先席などと言うモノは存在しない

例えばレストランやカフェでの注文時も
こちらが言葉に詰まれば店員さんやシェフはとことん笑顔で付き合ってくれて
意思が通じた時にはハイタッチ👏

「強盗や殺人やボッタクリが多くて野蛮な国なんでしょ?」なんて聞かれますが
日本では考えられないような貧富の差がそれらを生み出している最大の原因であると私は考えていて(違う要素もあるかもだが)
基本的に多くのブラジル人はとてもとても親切なのです

アメリカやイギリスに行くと英語出来ない客に対しての扱いは…
経験のある人なら分かりますよね😫
※全てとは言いませんが
半分くらいの確率でウザがられます

この2年後にヨーロッパ選手権へ遠征しますが
ポルトガルのリスボンから帰りに乗り継ぎのロンドンの空港で滅茶苦茶腹減って
カフェでマフィン買おうとお金渡したら
早口英語でバーっと喋られて
え?って顔したら
分かんねぇならあっち行けシッシッとやられて
結局マフィン買えず
金も返って来ず

空港職員に言おうかと思ったけど
飛行機の時間がギリギリなんで泣き寝入りでした😢

ブラジルと同じポルトガル語圏なのですが
ポルトガルはちょっとイギリス寄りと言うか
レストランや売店で言葉に詰まると面倒臭そうに扱われる率がブラジルより圧倒的に高かったですね

こういう話すると決まって「あなたの態度に問題があったのでは?」と言う人がいますが
もちろんそれは否定はしません
ただ
自分を良く知ってくれている人なら私の店員さんへの接し方を分かっていただけると思いますし
恐らくは地球上で上位3%の枠に入るくらいトラブルが起こりにくい態度だとは自己分析・評価しております(笑)

まあでも
「お前の店員への接し方の事など知らんがな!」と言う読者の方が大半ですよね😅

私ももちろん完璧な人間ではないですし
仮に私に何か無礼な部分があったとしましょう

ですが
同じような態度で買い物をして店員さんと接して
国別によって出た結果が上記のようなものである事だけは揺るぎない事実ではあります

とにかく
ブラジルのサンパウロでは
まず言葉の壁で不快な想いをする事は(某道場を除き)殆ど起こらなかったので
そこは自分がブラジルを大好きな理由のうちの大きな部分ですね

次に触れておきたいのは
本場ブラジルでの
ブラジリアン柔術のスタイルの幅についてです

うちらの世代で言えばレオジーニョやビビアーノ・フェルナンデス辺りを初めて日本で生で見て
「やっぱり本場のブラジリアン柔術ってのはスピーディーでアクロバティックで色々な技が飛び交うな〜」と感じた人が多いでしょうし

今の世代ならメンデス兄弟やソウザ兄弟とか
世界レベルの大会の上に行く選手やその試合を見て
近年柔術を始めた皆さんもそう感じているのではないでしょうか?

しかし彼らの動きと言うのは
ごく一部の選ばれし人間の動きであって
まあそれがブラジリアン柔術の凝縮された姿である事も間違いないのですが
逆に氷山の一角でしかないとも言えなくはなく
それらトップ選手を排出するブラジリアン柔術全体の下地と言うか
ベースってのはもっともっと幅が広いんです

例えば道場に行くと
他は何も強くないけど腕十字極めようとした時の防御のクラッチだけが絶対に切れない怪力の奴とか
クローズドだけがめちゃくちゃタイトで誰も割れないとか
とにかくトップにいたらパスも仕掛けてこなくて何もしないけど
こっちも全然崩せないとか

色々な柔術家がいて
それぞれに居場所があり
彼らも個々の技術に誇りを持っていて
「こんな風に動きのある柔術をしなきゃダメだ」みたいに先生が生徒に言ってるのも
日本程は聞いた事がありません
特に一般クラスではほぼ無いですね
※相手や自分が怪我をしてしまう動きに関しては厳しく注意される

当時に関しては現地の情報の少なさからか
日本の方がむしろ「ブラジリアン柔術はこうでなければならない」みたいな決め付けが多かった気がしました

本場ブラジルでも
早川さんや和道さんのような柔術をする人は少数です

そんなガチガチの仲間と練習しているからこそ
試合のラストで守りに徹した相手を崩す練習も出来るわけですから
むしろ有難いですよ

何の競技でもそうですが
トップに行けば行くほど“心・技・体”何でも持っている人しか残りません

でもそのトップ選手が育つ上では
偏りがある技術スタイルをもった仲間や
試合本番に弱すぎて有名にはなれない道場番長とか
沢山の練習仲間がいて
チーム全員のお陰でその中から初めてトップ選手も生まれるわけです

それでさっきは“技”についての話をしましたので
次に“心”

※“体”の話は所々に散りばめられているので
特に分けては書きません

ブラジル人やアメリカ人は
一般的には試合本番に弱い人が多いです
※逆に日本人が本番に強いのかも

自分も海外に行くまではこれは知りませんでした

確率の問題なんで
当たり前ですが
もちろん試合に強い人もいますよ

初心者と組み合うと
体力が無いのが日本人
で、最初は体力がなさ過ぎるが故に気持ちも弱い

誰かスポーツ選手が言ってた言葉で
「弱い肉体に強い精神は宿らない」みたいなのがありましたが
正にそれ!

しかし日本人はちょっと真面目に柔術をやり
最低限の体力が付くと
9割くらいの人にすぐさま最後まで諦めないような粘り強さが出てきます

しかし闘争心や瞬発力は
かなり頑張っても
これは正直なかなか付きにくい…

対して
最初から強いのが外人さんで
初心者同士ならまず日本人は敵わないのですが
試合本番前に緊張で泣き出したり嘔吐してしまう人や
最初は闘争心剥き出しでいきなりトップギアで勝負をかけてきても
試合の途中でまるでスイッチが切れたようにプツリと動けなくなってしまったりする人もいます

こういうのは意外に紫帯や茶帯まで引きずる人も多いですね

これらは一長一短であり
どちらが良いとか悪いと言う話でもなく
もちろん人種差別でもないし
馬鹿にしている気持ちも一切ありません

民族や国別の
ストロングポイントとウィークポイントの話をしているだけです

競技やスポーツは
その人の真実の姿や
肉体・精神の弱さをあぶり出し
それに向き合う事で人間がどう成長し強くなっていくかが重要なわけですからね

弱い事は悪い事ではないのです

もし強いて何か
悪い事があるとすれば
それは自分の弱さと向き合えない気持ちが悪なのかも知れません

そんな風に真の裸の自分と向き合わなければならない
スパーや試合など
やればハッキリ優劣が付いてしまうし
痛いほど己の弱さもかっこ悪さも脆さも見えてしまうところにチャレンジ出来る人は
国籍、人種、貧富差や年齢関係なく
大体が皆さん素敵な方ばかりですよね😊

日本人は弱いと思っている人も
ちょっと身体を鍛えれば
すぐに根性の部分で体力差をカバーして
世界の平均くらいには肩を並べられると思います

自分は別に戦争賛美ではありませんし
絶対に戦争はするべきでは無いと思いますが
いくら“洗脳”だなんだ
と言っても
昔大国と戦い渡り合った日本人の魂はまだ生きているんだってのを
柔術を通して知る事が出来ました

ちなみに自分は
ブラジルでの試合は
練習で互角だったり
自分よりちょっと強いくらいの相手には全部
勝つか
相手が自分より早くトーナメントから消えました
※自分より桁違いに強い奴には大体負けましたが
2回くらいは番狂わせもしました😂w

他の国との優劣を変な意味でいうつもりは一切ありませんが
もし日本人だという自分に自信を無くしている人がいたら
日本人の奥にある強さを信じて欲しいと思います

繰り返しになりますが
トップに行く人間は全てを兼ね備えていて

そこまで行かない
または行く途中の者たちだからこそ
そこから強さや弱さの人間ドラマが見れたり
色々な個性に溢れていて
そんなのがまた面白かったりするんですよね✨

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

サンパウロでの道場以外の日常生活の話でもしますかね😊

午後のフィジカル練が終わり
県人会に帰宅後の日課としては別々の道場に通う弘中と近況報告し合います

「道場に凄え強い奴いた〜」とか
「今日は⚪⚪から初めて一本取れた!」

とかね

そんなある日
弘中の修行先であるTT柔術に内弟子として下宿している“ワカ・ワカヤマ”こと若山達也くんが島根県人会に遊びに来ました

現在は沖縄本島の首里にある“若柔術”代表のワカ

彼が何故ワカ・ワカヤマと呼ばれているかと言うと
帯の授与式で師匠のテレレから青帯を認定された時
「ワカ・ワカヤマ!」と間違って呼ばれたのがあだ名の由来だそうですw

そのワカが県人会に来た理由の詳細は何だったか?
その記憶は定かではないが

確か
TTの内弟子だかゲストだかが増え過ぎたみたいな理由で
ある日突然洗濯機のある階に入れて貰えなくなったとか
そんな事だった気がします

道着が洗えないワカは
元は白であった筈が果てしなくグレーと化し異臭を放つまでになった道着を持って県人会の洗濯機を使いに来たのです

しっかし
突然洗濯機使えなくなるなんて
無茶苦茶ですよね〜

流石ブラジル😂

ワカは普段お世辞にも清潔とは言えないTTジムのランニングマシンとランニングマシンの間の床に
薄いマットだけを敷いて寝ていて
それだけでも凄いのに
更に道着も洗えないで
練習した道着をそのまま干して
それをまた着てってのを1週間以上も繰り返し…

けっこうワイルドさには自信のある俺も
この状況下で柔術修行を何年も続けられるか?と聞かれたら
…難しいだろうと言わざるを得ないです

自身の危機的な状況にもめげず
俺や弘中にサンパウロの街を案内してくれたり
色々な事を教えてくれて

そんな優しいワカだから
せめて何かシュハスコ“ブラジリアンスタイルバーベキュー”とか
美味しいものでもご馳走しようとするのだが
彼はとにかく清貧で
安い大衆レストランでフェイジャオン(豆を煮たふつーの安い食べ物)しか注文しないしドリンクも飲まない

本当に柔術だけが好きな仙人のような男なんです

ワカにはアリアンシが休みの日にプライベートレッスンもしてもらって
テレレやアンドレからワカが習ったテクニックを紹介してもらいましたが
この技が素晴らしく
あれから十数年経つ今もワカから習ったテクニックを自分の生徒さんに教えると皆感動します

正直
この時にワカから習ったテクニックだけで
ブラジル修行にかかった総額50万円くらいの元は取ったかもしれません

ワカは柔術競技と言う“点”の概念だけで見たら
最強の黒帯とは言えないかも知れませんが

道着も洗えず
床に寝て
安い豆の煮込みを食べ続けながら頑張っていた彼のような開拓者がいてくれるお陰で
日本にも技術が紹介され
強い選手が育ったわけですから
もっともっと評価され
尊敬されて欲しい存在です👊

ブラジルにはもちろんワカより貧しい生活をしているブラジル人柔術家は沢山いますが
ちょっとキツいバイトを頑張れば
月に20〜30万は稼げるような裕福な日本に育った人間が
好き好んで地球の裏側で
貧民街から出て来た柔術家たちと同じ生活を自らの意思で選択して何年もするって
なかなか出来ないですよ

そう言うサバイバルな視点や生命力で見たら
大袈裟ではなく
ワカこそ最強柔術家と言えるんではないかとさえ私は思うんですよね

でもワカは別に評価されたくてやってたわけじゃないし
そんな打算の無さも彼の最大の魅力なのですが😌

余談ですが
※以下は2004〜2005当時に関しての技術的な話(現在はまた違うかも)

テレレやアンドレの技は本当〜に素晴らしいです

誤解を恐れずに言うとマルセリーニョのテクニックよりも万人には使い易いでしょう

1つのポジションに対して多くの答えが用意されているのはテレレやアンドレのテクニック
※多いので様々な体格・体力の人に対応している

対してマルセリーニョのテクニックは全て自分の得意なポジションなり極めの本流に持って行く流れの為のものなんで
アームドラッグやエックスガードやバックチョークが不得意な人には再現が難しいでしょう

ただ
マルセリーニョが素晴らしいのは
テクニック以上に
戦略面にあります

この記事を書いている2018年現在はYouTubeなどに沢山の技術が溢れ過ぎていて
どうしてもまだ自分のスタイルをキチンと確立する前の柔術家さんは
ネットでシェアされた
とある技の派手さや
そのとてつもない数に翻弄され
本質的な部分を見失ってしまいがちになります

そんな人はマルセリーニョの
“とことん自分の得意分野に持って行く戦略”を参考にしたら良いと思いますね

そうすれば
自分の得意分野とかけ離れた
その時の流行の技を追い掛け続け
自分の本流を成すスタイルとの繫ぎが上手く行かずに
全然強くなれないと言う負のループから抜け出す事が出来るでしょう

あと、まあこれは同門なんで
手前味噌になってしまいますが

早川光由先生のように柔術をカリキュラム化して
ある程度は技術を限定=スリム化し
習う順序も明確化
つまり
習う側が迷わないよう導くのが
今の技が溢れている時代に迷える柔術家を指導する側にとってはとても重要なことなんではないかと思っています

もちろん全ての柔術家が早川さんのそれに従う必要もなく
崩したり自分なりにアレンジして良いのですが
過去には“崩す”もなにも
その崩すべき教則マニュアル自体がなかったので
それを作ったのは
仲間だからとかの贔屓は抜きで
物凄い偉業だと思っています

また
早川さんこそは
それが出来る唯一の男だと思ったから
一生付いて行こうと思ったのもありますね

俺は相当柔術好きですが

早川さんや和道さんやワカに比べたら
彼らの10分の1くらいしか
柔術好きじゃないと断言出来ます😂

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

いよいよカンペオナート・パウリスタ・デ・ジュウジツ当日←大会名間違ってるかもなんで
ブラジル滞在歴ナンバーワン柔術家のワカ・ワカヤマに確認しないとな(笑)

ブラジルでのアリアンシの看板を背負っての初試合

そして
パンナムでの敗戦に続く海外試合の2戦目
海外初勝利を目指します

自分より3ヶ月前にブラジル入りし
既にこの前のパウリスタ大会にも出てアダルト青帯レーヴィ級準優勝と言う好成績を残していた石井ちゃんに色々とブラジルでの大会の事を聞いてアドバイスしてもらいました

会場入りしてしばらくすると石井ちゃんが
「あ!あいつ前の大会の俺の決勝の相手だ」って言ってうちらの席に連れてきた細身の気のいい兄ちゃん

彼は石井ちゃん曰く「とにかく動きが柔らかくてテクニカル」なんだとか

その時は普通のちょっと強いくらいの兄ちゃんかと思って写真撮っといたら
彼こそが後にアリアンシに移籍し世界王者になるマイケル・ランギでした

石井ちゃんは天才肌で
たまに無茶苦茶強い日あるから
青帯時代のランギとはかなり良い勝負したってのも
頷けます

いくら青帯とは言え
層が厚い本場の大会で4回も5回も勝って
決勝でランギと好勝負するなんて
日本の穴場的な大会で黒帯で優勝するより全然大変だから
本当に凄いですよ

そんな彼らと話していたら
いよいよカテゴリー全体の呼び出しがかかり
マット近くの計量スペースへ

今回は仲間内で出場するのは俺だけなんで
ウォーミングアップするパートナーは居ないので一人でサーキットトレーニングなどをして身体を温めます

ブラジルの大会はとにかく運営がいい加減で
もしウォーミングアップする仲間がいてアップしたところで
それから何時間も試合が始まらないとかザラなんで
また改めてパートナー探すとか凄く面倒臭いですから
このブラジル滞在の経験を教訓に
今現在に至るまで
自分はパートナーをつかまえての試合前のアップはやらなくなりました

・相手が見つからないかも知れない心配
・相手が見つかっても会場にアップ用のマットスペースがあるか、あっても空いてるかの心配
・相手もアップのパートナーなんて面倒臭くて嫌じゃないかな?と言う心配

そんな風に心配や気遣いばかりして疲れてしまうんで
一人の方が気楽なんですよね

サーキットして身体を温め
何回かフルパワーで自分の道着の襟や袖を掴んで引いて
力が入るか確認
それから
最後に顔面と太ももを自分でパンパンと張って終わり!←これが渡辺直由流ベストアップ方法👍

この時はただ選択肢が無いので仕方なくやりましたが
これが私が1番実力を出せるアップ方法だと
後々気付きます

遂にマットから呼び出しがかかり
対戦相手が目の前に
マッチョな黒人さんでメチャクチャ強そう😰

前回のパンアメリカンも黒人選手のペリシリアーノ?さんにボコされたので
嫌な記憶が甦ります…
※別に黒人さんだから必ず強いってやけじゃないんだけどね

試合開始後にすぐ引き込むと
相手が超スピードで怒濤のパスの波状攻撃を仕掛けて来て
その半端じゃないプレッシャーに防戦一方で泣きそうな私…

「あー、俺やっぱり海外試合だめだわ…そして黒人選手苦手…また負けるわ…」なんて思いながら
多分開始2分過ぎたくらいで対角の袖を取れてホレッタスイープの組み手を作る事に成功

…成功はした…が!
相手のバランスも対処も良すぎて何も出来ず

万事休すか?と諦めかけた時に
俺の心が折れそうな顔を見た黒人選手がニヤニヤ笑ってる
「お、もしやこれは最初で最後のチャンス?」と

活字で説明するのは至難の業なのだが
三角締めを担がれた時
元々は三角してる時に相手の頸動脈側にあった足のスネを
担がれた瞬間に腰を切り相手のホホにかけて反対の足を顔にかけて取る十字

あれをさ
ホレッタスイープの仕掛けをして
その後に「あちゃー、やっぱかかんねぇ」って言うガッカリした表情をワザとして
そしたら相手がまたニヤニヤしだしたんで
そっから一気にフルスピードのフルパワーで上記の十字を仕掛けたら油断した相手にバッチリ入り
一瞬相手の腕がボコっと鳴りタップして
大逆転勝利👊

今までやたらと静かだった(つーか居るのにすら気付かなかった)2階席いるアリアンシの仲間が突然「ナオサァーン!」と大はしゃぎ!
※何故静かだったかは後で書きます

多分この後に2回くらい試合やってるんだけど
あんまり記憶なし…
なんか得意じゃない噛みつきパスをやりまくってアドバン差で勝った試合とかもあったな

準決勝では最近Facebookで申請来て
久しぶりにメッセンジャーで連絡したアンダーソンと言う
現グレイシーバッハの支部長で

最初にぐるぐるとお互いが回転して
良く分からないうちに俺に2ポイントが入り
ラッキー!と思っていたら
アンダーソンが全く攻めてこなくなり
自分は2ポイント勝ってるからカウンター狙いで待っていたら
何やらみんな「バイ!ナオ!」(いけ!攻めろみたいな意味)
凄く騒いでいるから
「へ?俺勝ってるのに何で?」って
まだ決勝もあるから体力温存してたら
試合終了時に審判がポイント入れる方を間違っていて
最後に俺とアンダーソンのポイント入れ替えられて
2ー0で終了〜😵

あー、みんなポイントが間違って入ったと分かっていて
だからみんな騒いでたのか…と思ったが
言葉がわからんのも含めて俺の負けだし
とりあえず海外初トーナメントは勝ち越しだから満足でした😊

翌日アリアンシに練習に行ったらみんなにやたらと「パラベーンス!」←おめでとう
と言われるから
「いやいや3位だよ〜」って言ったら

アリアンシのお調子者バチスタが
何やら「ナオの最初の試合が⚪×△」みたいに
まだ俺が理解出来ないポルトガル語でまくしたてていて
そしたら英語が堪能なガブリエルがやって来て
「ナオの初戦の相手はタイトルを総ナメにしていて将来を期待されているスター選手なんだ」って
だからみんなパウリスタ当日に会場でトーナメント表を見て
「ナオ…可哀想に…」と思って静かに見ていたらしい😂

で、大逆転勝利でバッキシ極めたから「おー!ナオやりやがった!」となり
急にアリアンシメンバーが“大ナオサンコール”を巻き起こして
で、あ!お前らいたのか!と俺が気付いたと言うオチw

だから3位と言う結果より
大物喰いに対してのパラベーンス!←おめでとうだったわけ

「未来のスター選手に勝った感想は?」と聞かれたから
謙遜じゃなく「単なるラッキーだよ〜♪」って答えたら
みんな大爆笑して抱きしめてくれて

あの瞬間に本当の意味でアリアンシファミリーに迎え入れてもらったような気がしました
忘れ得ぬ夏のサンパウロ(ブラジルは冬かw)
我が青春の1ページであります😊

※後にブラジルの2回目の修業で
そのスター選手候補の同門の女の子に会場で会い
「彼はどうしてる?」と聞いたら
自分との試合で怪我してメチャメチャ泣いて
それが理由かはわからないが途中で柔術を辞めてしまったらしく残念です

俺なんかたまたま勝っただけで
トータルでは彼の十倍くらい負けてるのにさ〜😰
〜編集中〜まだまだ加筆修正します

このページのトップヘ