八重山(石垣島)の海人・柔術家・歌手 渡辺直由

本業は八重山(石垣島)の潜り海人(漁師)で時々柔術家or歌手をやっています 仕事の依頼はブログ記事に載っている連絡先までよろしくお願いいたします

test

いよいよカンペオナート・パウリスタ・デ・ジュウジツ当日←大会名間違ってるかもなんで
ブラジル滞在歴ナンバーワン柔術家のワカ・ワカヤマに確認しないとな(笑)

ブラジルでのアリアンシの看板を背負っての初試合

そして
パンナムでの敗戦に続く海外試合の2戦目
海外初勝利を目指します

自分より3ヶ月前にブラジル入りし
既にこの前のパウリスタ大会にも出てアダルト青帯レーヴィ級準優勝と言う好成績を残していた石井ちゃんに色々とブラジルでの大会の事を聞いてアドバイスしてもらいました

会場入りしてしばらくすると石井ちゃんが
「あ!あいつ前の大会の俺の決勝の相手だ」って言ってうちらの席に連れてきた細身の気のいい兄ちゃん

彼は石井ちゃん曰く「とにかく動きが柔らかくてテクニカル」なんだとか

その時は普通のちょっと強いくらいの兄ちゃんかと思って写真撮っといたら
彼こそが後にアリアンシに移籍し世界王者になるマイケル・ランギでした

石井ちゃんは天才肌で
たまに無茶苦茶強い日あるから
青帯時代のランギとはかなり良い勝負したってのも
頷けます

いくら青帯とは言え
層が厚い本場の大会で4回も5回も勝って
決勝でランギと好勝負するなんて
日本の穴場的な大会で黒帯で優勝するより全然大変だから
本当に凄いですよ

そんな彼らと話していたら
いよいよカテゴリー全体の呼び出しがかかり
マット近くの計量スペースへ

今回は仲間内で出場するのは俺だけなんで
ウォーミングアップするパートナーは居ないので一人でサーキットトレーニングなどをして身体を温めます

ブラジルの大会はとにかく運営がいい加減で
もしウォーミングアップする仲間がいてアップしたところで
それから何時間も試合が始まらないとかザラなんで
また改めてパートナー探すとか凄く面倒臭いですから
このブラジル滞在の経験を教訓に
今現在に至るまで
自分はパートナーをつかまえての試合前のアップはやらなくなりました

・相手が見つからないかも知れない心配
・相手が見つかっても会場にアップ用のマットスペースがあるか、あっても空いてるかの心配
・相手もアップのパートナーなんて面倒臭くて嫌じゃないかな?と言う心配

そんな風に心配や気遣いばかりして疲れてしまうんで
一人の方が気楽なんですよね

サーキットして身体を温め
何回かフルパワーで自分の道着の襟や袖を掴んで引いて
力が入るか確認
それから
最後に顔面と太ももを自分でパンパンと張って終わり!←これが渡辺直由流ベストアップ方法👍

この時はただ選択肢が無いので仕方なくやりましたが
これが私が1番実力を出せるアップ方法だと
後々気付きます

遂にマットから呼び出しがかかり
対戦相手が目の前に
マッチョな黒人さんでメチャクチャ強そう😰

前回のパンアメリカンも黒人選手のペリシリアーノ?さんにボコされたので
嫌な記憶が甦ります…
※別に黒人さんだから必ず強いってやけじゃないんだけどね

試合開始後にすぐ引き込むと
相手が超スピードで怒濤のパスの波状攻撃を仕掛けて来て
その半端じゃないプレッシャーに防戦一方で泣きそうな私…

「あー、俺やっぱり海外試合だめだわ…そして黒人選手苦手…また負けるわ…」なんて思いながら
多分開始2分過ぎたくらいで対角の袖を取れてホレッタスイープの組み手を作る事に成功

…成功はした…が!
相手のバランスも対処も良すぎて何も出来ず

万事休すか?と諦めかけた時に
俺の心が折れそうな顔を見た黒人選手がニヤニヤ笑ってる
「お、もしやこれは最初で最後のチャンス?」と

活字で説明するのは至難の業なのだが
三角締めを担がれた時
元々は三角してる時に相手の頸動脈側にあった足のスネを
担がれた瞬間に腰を切り相手のホホにかけて反対の足を顔にかけて取る十字

あれをさ
ホレッタスイープの仕掛けをして
その後に「あちゃー、やっぱかかんねぇ」って言うガッカリした表情をワザとして
そしたら相手がまたニヤニヤしだしたんで
そっから一気にフルスピードのフルパワーで上記の十字を仕掛けたら油断した相手にバッチリ入り
一瞬相手の腕がボコっと鳴りタップして
大逆転勝利👊

今までやたらと静かだった(つーか居るのにすら気付かなかった)2階席いるアリアンシの仲間が突然「ナオサァーン!」と大はしゃぎ!
※何故静かだったかは後で書きます

多分この後に2回くらい試合やってるんだけど
あんまり記憶なし…
なんか得意じゃない噛みつきパスをやりまくってアドバン差で勝った試合とかもあったな

準決勝では最近Facebookで申請来て
久しぶりにメッセンジャーで連絡したアンダーソンと言う
現グレイシーバッハの支部長で

最初にぐるぐるとお互いが回転して
良く分からないうちに俺に2ポイントが入り
ラッキー!と思っていたら
アンダーソンが全く攻めてこなくなり
自分は2ポイント勝ってるからカウンター狙いで待っていたら
何やらみんな「バイ!ナオ!」(いけ!攻めろみたいな意味)
凄く騒いでいるから
「へ?俺勝ってるのに何で?」って
まだ決勝もあるから体力温存してたら
試合終了時に審判がポイント入れる方を間違っていて
最後に俺とアンダーソンのポイント入れ替えられて
2ー0で終了〜😵

あー、みんなポイントが間違って入ったと分かっていて
だからみんな騒いでたのか…と思ったが
言葉がわからんのも含めて俺の負けだし
とりあえず海外初トーナメントは勝ち越しだから満足でした😊

翌日アリアンシに練習に行ったらみんなにやたらと「パラベーンス!」←おめでとう
と言われるから
「いやいや3位だよ〜」って言ったら

アリアンシのお調子者バチスタが
何やら「ナオの最初の試合が⚪×△」みたいに
まだ俺が理解出来ないポルトガル語でまくしたてていて
そしたら英語が堪能なガブリエルがやって来て
「ナオの初戦の相手はタイトルを総ナメにしていて将来を期待されているスター選手なんだ」って
だからみんなパウリスタ当日に会場でトーナメント表を見て
「ナオ…可哀想に…」と思って静かに見ていたらしい😂

で、大逆転勝利でバッキシ極めたから「おー!ナオやりやがった!」となり
急にアリアンシメンバーが“大ナオサンコール”を巻き起こして
で、あ!お前らいたのか!と俺が気付いたと言うオチw

だから3位と言う結果より
大物喰いに対してのパラベーンス!←おめでとうだったわけ

「未来のスター選手に勝った感想は?」と聞かれたから
謙遜じゃなく「単なるラッキーだよ〜♪」って答えたら
みんな大爆笑して抱きしめてくれて

あの瞬間に本当の意味でアリアンシファミリーに迎え入れてもらったような気がしました
忘れ得ぬ夏のサンパウロ(ブラジルは冬かw)
我が青春の1ページであります😊

※後にブラジルの2回目の修業で
そのスター選手候補の同門の女の子に会場で会い
「彼はどうしてる?」と聞いたら
自分との試合で怪我してメチャメチャ泣いて
それが理由かはわからないが途中で柔術を辞めてしまったらしく残念です

俺なんかたまたま勝っただけで
トータルでは彼の十倍くらい負けてるのにさ〜😰
〜編集中〜まだまだ加筆修正します

まだブラジルに来て間もない頃は言葉もわからないので
滞在先の島根県人会からアリアンシへの通勤?が大冒険でした

なんせ相棒の弘中は通うのを諦めたくらいですからね(笑)

アリアンシがあるイタインヒビと言う地区はメトロ(地下鉄)が通っていないので
サンタクルーズの駅からはバスに乗らなければならず
これが最初なかなか大変でしたよ

バスの路線がありすぎて何に乗って良いかわからない

バスは遅延でなかなか来ない事もあるので
待ち時間もエラい暇でしたが
この待ち時間と
バスに乗車してから目的地に着くまでの時間が
最高のポルトガル語勉強のタイミングでもあり
辞書や日常会話の本と睨めっこの毎日でした

自分は勉強が苦手なんで
とにかく自己流で覚えるしかなく
例えばポル語でバスは“オニブス”と言うのですが
“鬼ブス”=“めちゃくちゃブス”とか
そんな覚え方してましたよ😂

元気な日はプラサダアルボレ→サンタクルーズ間は地下鉄に乗らずに歩くんですが
色々と路上販売とかしていて活気があり
それらを見ながら歩くのも楽しかったですね

そうそう
当時のサンパウロの街は
“第14章”で書いた
須藤元気vsホイラー・グレイシーの試合の直後だったんで
“ホイラー敗れる”の記事・写真が新聞や雑誌にデカデカと写真付きで載りまくって
その広告も街の至る所に貼られていました

グレイシーファミリーやブラジリアン柔術がいかにブラジルで有名なのか
そしてそのホイラーの敗戦がいかにブラジル全土に衝撃を与えたかを物語っていましたね

「ブラジルでは柔術やグレイシーファミリーなんてマイナーだから実際誰も知らないよ」なんて言う話も渡伯前にはちらほら聞いてましたが
来てみて全然それは間違いだとわかりました

元気さんに負けてからのホイラーは
まるで気持ちが折れたかのように
その後どんどん試合での負けが続きましたので
今の若い人は知らないと思いますが

かつてホイラーは
専門紙の企画で
“ブラジルの現役トップ柔術家たちに聞く20世紀最高の競技柔術家は誰か?”みたいな企画をやった時に
その頃の多くの世界王者たちがホイラー・グレイシーの名を挙げていて
確か総合ランキングで1位になっていたんですよね

そんな20世紀最高の柔術家も
日本の格闘技ブームの頃は全盛期を過ぎ
日本の若手スター選手にKO負けする姿ばかりがテレビに流れ
柔術家として悲しかったですね

さて
ブラジルで一番ビックリした事の1つに

キオスクみたいな売店が街のあちこにち建ってるんですが
そこには
ノーカットのエロDVDとか雑誌がふつーに売られてるんですよね😅
女性も子供もバリバリ見れるような場所にドーンと局部が…

流石に金持ち地区の売店には無いですけど
ちょっと下町みたいな場所にいけば
どこにでも売ってましたよ

プロテインとかも
あちこにちに売っていて
サンタクルーズの駅とか
街中にもプロテインやサプリメントの店がとにかく多かったです

最近は日本も時代が変わり
ドンキとか薬局にプロテインやアミノ酸なんかがありますが
2004年とかの段階ではマニアックな店でしか取り扱ってなかったんで
ビックリしましたよね

あと
シュハスキーニャって言う
串に刺した肉を焼いたやつね

あんなのは街のあちこにち売っていて
ブラジルのキーワードは“肉”だなと

・肉体を作る
・肉欲
・焼肉
など

とにかく肉を欲しているのがブラジルなんではないかと
勝手に思ってます

アリアンシに友達が増えてからは
サンタクルーズからイタインビビ行きのバスに道場仲間が途中乗車してくるんで
辞書を見て勉強する俺を見て彼らも熱心にポルトガル語を教えてくれました

ブラジル人はポルトガル語を覚えようとする人が大好きなんで
自分で言うのもなんですが
一生懸命ポルトガル語を勉強して話そうとする私は道場でかなり好かれていたと思います(笑)

というのも
英語圏の超大国からアリアンシに出稽古来る人は何ヵ月いようとも全くポルトガル語を話そうとしないので
正直メチャクチャ嫌われてましたね

輪になって順番に号令をかけながら腕立て伏せや腹筋する時も
入門最初の週は10まで言えなかったのが
翌週には50くらいまでカウント出来るようになり
そんな自分のポルトガル語の成長をアリアンシの皆はとても喜んでくれました

ある日道場に行くと

アリアンシの事務をやっている女性のタチアナからカンペオナートパウリスタと言う
柔術のサンパウロ州大会が開催されるとの情報を聞きます

ブラジル修業の大きな目的の1つに“大きな大会だけでなく地元の大会へも参加し、本場の柔術への理解を深める”と言うのもありましたので
即“参加”の意思を伝えました

基本的に試合は嫌いなんで
これが日本での試合ならウダウダ締め切りまで迷うんですが
せっかくブラジルまで来たんで
1つでも多くの事を経験・吸収しようと言う気持ちでしたからね

ちなみに
タチアナはファビオからの信頼も厚く
当時アリアンシの事務作業やグッズ販売などの全てを任されていました
※この時タチアナは柔術茶帯でマルセリーニョと付き合っていて
今は奥さんです

それからちょっとして
柔術連盟の選手登録カードも届き
いよいよブラジルでの初試合が迫って来ました

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

プロ練終了後には
みんなで“ポルキロ”と言うスタイルのレストランに行きます

ブラジルではこのポルキロと言う
量り売りバイキング的な形式のランチが一般的で
お皿に好きなモノを乗せ
それを計りに乗せて重さで値段が決まり
料金を支払います

レストランによって多少システムは違いますが
例えば1キロ以上はどんなに盛っても料金が変わらないみたいな店もあって
そうなると皆一般客は有りえないくらい山盛りにしてましたね
※皿は決まってるので盛れる量に限界はある
自分が滞在した時期は世界選手権前だったので
アリアンシメンバーはみんな小食でした(笑)

量り売りなので
その日のお腹の空き具合や
試合前の体重の減り具合により調節がし易いのと
あと例えば鶏肉なら
揚げたやつ、蒸したやつ、焼いたやつ
などが“鶏肉コーナー”にズラリとあるので
減量中なら揚げはやめたり
油抜きも出来るし
柔術家など
体重制の競技をやる人にとっては非常にありがたいレストランなんですよね

「日本にもあったらいいな〜」といつも思います

食べた後は
家が近い人は一旦帰宅し
家が遠い人は道場で1時間半くらい寝て
それから
前章で触れた“午後のフィジカル練習”が始まります

※このフィジカル練はムンジアル(世界選手権)など大きな大会前だけ開催されます

室内の日と野外の日が確か交互にあって
室内の時はパートナーを持ち上げたり
担いで走ったりとか“人間を使ったウエイトトレーニング”みたいなのが中心

野外の日は
みんなで街や公園や山を走ります

イビラプエラ公園と言う場所を走る時はとても楽しくて
柔術Tシャツを着たイカツイ男たちが20〜時に40人以上も
集団で走ってる姿はブラジルでも珍しいらしく
色んな人が応援半分、茶化し半分で絡んで来ます

お爺ちゃんお婆ちゃんやスクールバスに乗った子供達が「頑張れ〜♪」ってエールを送って来たり
女の子が突然一緒に併走して来たり
内容は理解出来ませんが沢山の人が楽しそうに何かを話しかけて来て
とても気持ちが良いのです

可愛い女の子とすれ違う時は
まるでコメディ映画のワンシーンみたいに
アリアンシのメンバー全員の視線が女の子の尻に釘付けになり
一斉にゴツい数十人の男が振り返るのが笑えます😂😂😂

でみんな「あの尻の型が最高だ」みたいな話題で盛り上がりながらランニングをするんです

時には女の子から逆ナンされる日もありますし

とにかく自分はこの
人懐こいブラジル人の気質が大好きになりました

余談ですが
自分は最初の頃にハーフのスパッツを履いてフィジカル練のランニングに参加していたら
やたらと皆が「いいケツしてるな!」的なネタにして爆笑するので何だろうと思ったら
後にブラジルではスパッツはオカマさんしか履かないらしいとの事が判明😳

まだポルトガル語が殆ど出来ない自分は
いかに俺が女好きであるかを説明するの苦労しました(笑)

公園を走る時は同じ場所をぐるぐる回るから良いのですが
大変なのは街を走る日なんですね

まず土地勘がないからビリになるとジムに帰れない😓
まだスマホなんて無い時代だからグーグルマップも見れないし…

しかも
これって日本に住んでたら決して理解出来ない感覚なんですが
絶対に通ってはダメな通りとかがあるんですよ

アリアンシが入っていたアカデミアオリンピアはまあまあ治安の良い高級住宅街にあったのですが
それでも危ない裏路地が近くに何本かあって
ある日「ナオはバス停からどの道を歩いて来てる?」って仲間に聞かれて“ここからこう来る”って指でなぞったら
みんなに「何やってんだ!危ないだろ!」みたいにめちゃ怒られて…
えー!?ってカルチャーショックでしたね
「何でこの通りだけが危ないの?」って聞いたら
「知らんけど危ないもんは危ないんだよ!銃突きつけられるぞ」って
言われした

なもんで
街の地図が頭に入る前の市街地ランニングは正に命懸けでした

ブラジルは人は優しいけど
盗みや強盗は多い

この表裏一体の感覚も日本人にはなかなか理解し辛い部分でしょう

とにかくモノはすぐ盗まれるので
だから後の世界王者のターシスとか
ワザワザ毎回ジムの中に自転車を担いで入れて
練習中も必ず近くに置いてましたし

オープンカフェで飯食うときも
俺がリュックを道側に置いてたら
「お前何やってんだ!盗まれるぞ」って注意されたし
日本では危機感の固まりみたいに言われる俺もブラジルに来たら単なる平和ボケ野郎の一人だと思い知らされました

ある日のフィジカル練で山と言うか丘?を走る日がありまして
百から二百メートルの坂道をダッシュ→ゆっくり下るを10回くらい繰り返します

走るのが遅い上に膝も悪い自分は大体いつもビリから3番目くらい

俺より遅いのは
太っちょ茶帯のルイザオンと紫でマッチョのハンボーの2人しかいません

ビリには罰ゲームがあるとの事で
毎回この2人はラストの1周になると最後まで走り切らずにUターンします(笑)

で俺がいつもファビオやアリアンシの皆に「ナオ頑張れ〜ビリだぞ〜♪」みたいに煽られながらゴールするんだけど「違うんだ、違うんだよ!ルイザオンとハンボーが毎回ズルしてて…」って説明したいんだけど
新参者がチクり入れるのもアレだし
まあビリから3番目にいるからズルされるんやから頑張って早くなろうと思ってたんで
そのままにしてました

で、ある時にファビオが
「今まではやらなかったが、今日はビリには本当に罰ゲームをやるぞ」的な事を言ってるのがわかり
俺とハンボーとルイザオンに緊張が走ります
※普段はこの3人も仲良しなんよ😂

今日だけは負けられん!と
試合以上に気合いを入れて
ハンボーとルイザオンを見えなくなるまで引き離して
皆が待ってるゴールへ到着✨

この日は皆がいつもと違うゴールに向かうな〜と思っていたら
入ってみるとそこはファビオの自宅で

やたー!!\(^o^)/ビリ回避〜と一安心
「ふふふ、ルイザオンとハンボーいつ来るかな〜」と思ってたら

先にいる😱

こいつらショートカットしやがった…😡

で「はい!ナオがビリ〜」ってなり
罰ゲーム…

もう何でもやったるわ!と開き直ったら
罰ゲームは何と
ファビオの自宅の庭にあるプールに飛び込む

それだけ(笑)

幼少期に水泳選手だった俺は綺麗な泳ぎも序でに見せたりました👊

上がると何とファビオがタオル持って来てくれて
何なら良い記念になったくらいでしたよ

余談だけど石井ちゃんは滅茶苦茶走るの早くて
いつもトップ集団にいたね
「凄いじゃん!」って褒めたら
「柔術の実力がそれに伴ってないから微妙なんですけど…」と言って苦笑いしていた(笑)

石井ちゃんは練習にムラがあるから実力がなかなか出ないけど
実は天才肌で3ヶ月に1日くらいやたらと強い日があり
そのタイミングでは俺もやられたりしたな〜

いつだったかの
スリーエスで行われた年末の練習試合では石井ちゃんの3ヶ月に1日の絶好調に当たって
パスされて危うく負けるとこだった😅

次章ではブラジルでのこぼれ話から
初試合に至るまでのことなどを書きたいと思います

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

アリアンシでの本格的な修行生活がスタート

※この章はちょっとマニアックな話になりますので
練習方法とかに興味ない方はスルーしてください

かつて最強黄金時代を築いたチームの日常的な練習とはどんなものか?
物凄く興味があったので
そこに参加出来る事が嬉しかったです

どこの道場にいて
どんな無能な指導者の下にいても
勝手に強くなるような天才ってのは希にいます

しかし
強い人が沢山いるチームには
間違いなくチームの練習方法にその理由があるんで
その答えを見つけて
日本に持ち帰りたかったんですよね

一度体験入門はしていたものの
正規メンバー以外がいる時は隠す練習もあるかも知れないですし
日替わりの練習メニューってのももちろん存在するわけですから

SNSも発達していないあの頃って
まだ道場での日常的なトレーニングって
殆どが謎に包まれていたんです

だから
「アリアンシにしかない独自のシークレットテクニックがあるんじゃないか?」とか
「力は入れてスパーしてるのか?それとも抜いてスパーしてるのか?」
「スパーは何分くらいを何本、トータル何時間やればいいのか?」
「ウエイトトレーニングや走り込みはしてるのか?」
「普通のご飯を食べているのか?グレイシーダイエットみたいな事をやってるのか?」
とか
疑問は尽きませんでした

それと意外にこれは
あまり誰も注目していなかったのですが
“最強チームの道場の雰囲気作り”の部分に興味がありました

具体的に知りたかったのは
・先生がどれくらい厳しくするのか、緩くするのか
例えば
私語厳禁なのか?
練習中に音楽はかかってるのか?
スパーは勝手に休めるのか?
とかです

わかった事は
チームファビオ・グージェウのプロ練のルールは

・アップやマット運動時は私語や雑談OK
テクニック指導中やスパー中はダメ
・スパーは勝手には休めない(怪我や不調を伝えれば簡単に休める)
です

あと
ひとつ驚いたのは
・水は勝手に飲めない
というルール
あの頃は既に“水分はマメに補給”が常識となっていたスポーツ界で
このルールがあるのは意外であり興味深かったです

ファビオが休憩の合図を出さないと水は飲めません

自分が1回口の中をザックリ切ったのでスパー時間中に冷水機で口ゆすいでたらファビオに
「ナァーオ!!」って怒られたから
唇めくって傷を見せ“飲んでないアピール”したら
あーはいはいみたいな感じ許してくれましたがヒビりました(汗)

アップや基礎運動は長めで
けっこうヘロヘロになります

まあ長いと言うか
ブラジルの道場は基本的に日本のそれの5倍〜10倍の面積があるので“長くなってしまう”のかも知れません(笑)

輪になってぐるぐる道場を走ったりスキップしたり
馬跳びしたりする柔術特有のアレや
その後にやるマット運動も
距離の長さが全然違うから
時間も20分〜時には30分ぐらいかけてみっちりやります

でね
「流石プロ練!ハードやな〜」と思っていたら
驚いた事に、後に初心者クラスや一般クラスなどにも勉強の為に出させてもらったんですが
そこで準備運動やマット運動をしたら…
距離も強度も変わらず😵💦

しかも初心者たちまあまあ普通にこなしてるし
ブラジル人の身体能力恐るべし!でした…

日本の一般クラスでこれをやったら
もうみんなマット運動だけでダウン…
会員さんは激減間違い無しでしょう😅

テクニックの時間やスパーの時は緊張感があり皆真剣ですが
ランニングやブラジル体操&マット運動時は
指導員も含め世間話とか下ネタトークとかバリバリしながら爆笑しつつ楽しくやってました
だから長くても飽きないんですよ

あ、そうそう
今思い出したんだけど
開始前に整列して“クラス始めます”的な挨拶とかは無く
時間が来るとファビオか
もしくは誰かその日のリーダーがいきなり走り出して
それが合図となり
列に皆が次々に合流
そして自然発生的にウォーミングアップが始まるのです

アップの始まり方はいい加減なのですが
でもこの走り出しに遅れたらファビオに怒られます
それまでには道着に着替えてスタンバイしていなければなりません

あ、余談ですけど
ブラジルでは自宅から道着を着て来ちゃう人がけっこういます

で、エインヒケなんかは袴(ズボン)は履いて上半身はTシャツ姿
ジャケットは着ないで帯で巻いて持って来て
道場で着替えるんですが

完全に上下ともを着て
フル柔術着で通ってるメンバーを見ると
エインヒケが「ナオ!あれはダサいんだ」みたいに説明してくれて
「うーん、ブラジルの柔術ファションの常識とかも色々細かくあるんやな〜」と😅
勉強になりましたw

まあこれはエインヒケの仲良しメンバーだけの常識なのか
ブラジル本土のブラジリアン柔術界に共通したファションの常識なのかは未だにわかりませんが(笑)

和道さんがスリーエスのヘッドインストラクターに就任した頃にアリアンシの練習について話してくれて「スパーは常にガチ!」って聞いてたけど
これは本当にヤバいくらいガチでした😂
※当時まだグレイシーファミリーなんかはスパーで力を使わないって言う噂もあったので
最強チームが常にガチスパーと言う和道さん情報は衝撃だったし
それまでは半信半疑だったが
実際に体感して納得でした!

アップスパーとかライトスパーをアリアンシでやった記憶は無いですね

自分が入門した日だったと思うけど
その日茶帯の人が変型の
ドウギを使ったダースチョーク的な角度から入る襟も使った絞めを仕掛けてきて
苦しいんだけどタップする程は入ってないから
「ほっといたら疲れて解くだろう」と放置してたら
フルパワーで1〜2分ずっと絞め続けてくるから「なんて体力や!」と驚いてたんだけど
突然絞めを解いたと思ったら「オヮアァァ〜」みたいな奇声を発して脚をバタつかせてタップ😵

「どうした?」って顔したら
フルパワー使いすぎで動けなくなったらしい…(汗)

良くも悪くも
練習でここまでフルパワーで意地になる人って日本人にはまずいないから
「やっぱり国民性ってあるんだな」と
こういう小さな部分でも色々な気付きがありましたね

スパーリングはほぼ毎回先生が相手を指名して組みます
※今は日本もそう言う道場ありますが
当時はこの“先生が組む方式”は珍しかった

基本的には実力や体格の近い人でスパーして
極端に実力差があるような相手とはあまり組まれません

これはおそらく
プロ練では試合をより意識するので
競り勝つ練習を中心にさせる為ではないかと思います

そんなワケで
階級と帯と年齢カテゴリーが全て同じな自分とエインヒケと
帯が1つ上で階級が1つか2つ下のファビオ“モンストリーニョ”パッソスの3人は
元立ちをやると必ずと言っていいくらい同じグループにされました
※モンストリーニョは2010年以降の試合ではガロ(ルースター?)に落として芝本さんと同じ大会とか出てるのを良くネットで見ます

スパーの時間は意外な程短く
トータルで40分前後でしたかね
※その代わりに大きな大会の前には
後の章で書く“午後のフィジカル練”があります

教えるテクニックの数は1日2〜3個程度から
たまに5〜6個くらいやるかな

あまり多くありません

ブラジル人は思った事はクラス中でも構わず言うし
帯色が上だろうが
指導員だろうが
関係なく意見する人が何かいます
(日本人ではほぼゼロ)

テクニックの時間でも「これは使えないんじゃないか?」とか
「こっちの方がいいだろう」なんて言い出して勝手に違う技を実演し出す奴とかいて笑いました😂

ファビオ・グージェウくらいの威厳がある人には流石にそれをする奴はおらず
だからこそアリアンシのリーダーなんだなと思いました

マルセリーニョは話しやすいキャラだからまあまあ言われてましたが
試合での実績とスパーでの強さが桁違いなんで
最終的には皆納得します

可哀想だったのは
フェルナンド・ソルッソで
ソルッソは確か現アリアンシのエクアドル支部かどこかの支部長なんだけど
ある日ファビオがセミナー出張で不在の日にクラスを任されてテクニック指導したら
先輩や同期が沢山いたもんだから
「これは道着を持つ場所が悪い」とか「俺ならこうやる」みたいなのが続出してクラスが崩壊😰

しばらく我慢してたソルッソだけど最後はブチ切れて
「お前らの好きなのやれ!」みたいになって…

俺は良いテクニックだと思ったから「ふむふむ」って近くで聞いてたら
「ナオ!お前は分かってくれるんだな」みないな感じで付きっきりでマンツーマンで教えてくれたな〜

で、周りはみんな好き勝手に色々なテクニックやってると言う
カオスな感じでした😂

後になって思えば
たまにある“ファビオやマリセリーニョ不在の日”も良い息抜きになったり
普段出来ない事=例えば下の帯色同士のメンバーで得意技を教え合ったり
ファビオの指揮下ではあまりスパーが組まれない相手と自由に組んで練習出来たり

これをファビオがちゃんと計算に入れてたのか
偶然の産物なのかは分からないけど
コントロールしてやってたとしたら凄いなと思いました

ちなみに自分は
ファビオがこれさえもコントロールしていたと思っています

何故そう思ったのか?
いつ思ったのか?
と言うと
それはブラジル修行のラストに出たムンジアル(世界選手権)の時でして
このコラムのストーリーがそこまで進んだ時に
忘れてなかったら(笑)理由を書きます👊

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

アリアンシに後ろ髪を引かれながも
渡伯前に修行場所のメインにしようと考えてた
最強選手から最新テクニックを学べると言う某道場に向かい
住所を頼りに石井ちゃんのお陰で何とかジムに辿り着きました

こちらもアリアンシと同じくフィットネスジム内にクラスを構えていて「フィットネスジムと組むのがブラジルの主流のスタイルなのかな〜」なんて思いながら入って行くと…
何やら薄暗い建物で
光量もアリアンシの半分くらい…

中に入ると最強選手である某先生がいて緊張!!

丁寧に挨拶はしたが…とりあえず機嫌があまり良く無さそう😅

そこに何故弘中がいなかったのかの理由は記憶に無いのですが
石井ちゃんは付き添いのみでクラスには不参加で
ひとりで体験入門をしました
※弘中は風邪だったかも

軽いアップの後にスパイダーガード系のテクニックを幾つか習います

この時にその道場の生徒さんたちとテクニックで組まされるのですが
1人目に組んだ若者に
バーっとポルトガル語をまくし立てられて
理解出来ないので「ごめん、わからない」と言うと
“マジかよ!?”って顔をされて
言葉は分からずともジェスチャーで全て分かりましたが
次にそいつは近くにいた友達に
「こいつポルトガル語喋れないからお前が組めよ」みたいに言ってて
友達も「嫌だよ冗談じゃねえよ」ってリアクションで

悪いからとりあえずマットの端にいたんだけど
某先生もとりあえず何も対応してくれず

最初に組んだ若者の彼女らしき女の子が凄く気を遣って組んでくれて
申し訳なかったです

よそ者ウェルカムじゃないなら
それはそれで別に構わないんだけど
「彼女に気を遣わせて自分は何にもしない男ってどうなんよ?お姉ちゃん、そんな奴とは別れて俺と付き合わないかい?」って思ったよねw
結構美人だったし😂

それからポジションスパーを指示され
でも最後には通常スパーやるって思ってたから体力セーブしてたんよ
何故かと言うと
その通常スパーであいつらバッキし言わたろ!と計画してたからね〜👊
しかし結局ポジションスパーのみで
そのままクラスは終了😵
※名門道場だから返り討ちされる可能性も高かったがw

それから最後に腹筋とかのフィジカルをやる時間になったんだけど
ちゃんと身体を起こさないと10回追加されるみたいな罰ゲーム付きの腹筋でさ

明らかにズルしてる白帯のやつがいて
彼に対して最強先生が
「はーいお前は腹筋10回追加ね!」みたいに言ったら
「は!?俺はズルしてねーよ!フザケンな!」みたいに喧嘩になってて

俺は「…なんやこの道場…クラス崩壊してるやん…ここは修行先としては絶対無いな…」と思い直したんよ

ちなみにブラジルから帰った後に某柔術ライターさんに
ブラジルの道場のレビューお願いしますと言われて
この道場で起きた事を道場名も指導者名も全部出して話したら全てカットされました😂
ま、これは書けんわなw

ブラジル人は基本的にみんなめちゃくちゃ優しいので
道を尋ねても時間があれば目的地まで連れてってくれるような人が沢山いて
こんなに冷たくされたのは
述べ3ヶ月を超えるブラジル滞在でもこの時だけ

フィットネスジムから出るときに最後に受付で「はいお金払って!」言われて
いや、もちろん物事には対価があるから
そのつもりだったけど
アリアンシがあのおもてなしで体験入門無料だったから
「これで有料か…しかもまあまあ良い値段…」とガッカリはしたよね

教えるテクニックが凄いからとか
先生が最強だからとかは置いといて

出稽古を有料で受け入れといて放置はないわ〜

更に生徒さんの女の子が気を遣わなあかんとか、もっと無いわ〜

こんなん仕事としてあり得んわ〜と

ドン引きしました😫

続いては最後の出稽古先TT(ティーティー)柔術

「え?道場巡りなんて言ってそれしか回ってないん?」と言われそうですが
スパーまでしたのは3つだけです

見学はいくつか行きましたが
「ここならアリアンシの方がいいや」と思った道場では体験入門まではしなかったので

TT柔術の魅力は
テレレやアンドレ・ガウヴァオン
エドゥアルド・テレスを始めとする強豪が沢山いる事と
自分と弘中が滞在していた島根県人会の最寄駅“プラサダアルボレ”から近い“アナホーザ”駅に道場があった事です
※アナホーザだったかな?記憶がちょい曖昧

そしてもう一つは
ワカ・ワカヤマこと現在沖縄首里にある若柔術代表の若山達也くんがいて通訳をしてくれる事

あんまりポルトガル語を覚える気が無く
遠くまで通うのが苦手な弘中は最終的にTTに通う選択をします

アリアンシに通うには何通りか方法はありましたが
幾つか乗り継ぎがあり
島根県人会からは40分から1時間はかかりましたからね

ワカについてはまたゆっくり書きますが
ワカは自分の事をブラジルに来る以前から知ってくれていたようで
とても良くしてくれました

TT柔術はとにかく衝撃なのが
まずその道場の広さ
そして壁の至る所にはスーパーサイヤ人の絵が書いてあります

そして何よりも
みんな平均してデカ過ぎて強すぎる😵

自分が体験入門した時間帯は
本チャンのクラス開始前か何かで人数が少なくて

・アンドレ・ガウヴァオンと
・謎のメイオペサード(ライトヘビー級)くらいの茶帯と
・コトネッチと言う紫帯
練習に参加したのは
この3人くらいで

テレレはそれを見ていただけだったような気がします

確かそのTTの3人と
自分、弘中、石井ちゃんで
時間を特に決めずスパーをしたのですが
弘中はアンドレと
自分はコトネッチと
これは記憶にないので確かではないですが
多分石井ちゃんは謎の茶帯か
それかワカとでもやってたんですかね?

自分はコトネッチと激闘を繰り広げてたんで
他人を気にしている暇はありませんで(笑)

ちなみにコトネッチと言うのはあだ名で
直訳すると綿棒😅

細身で身長が190くらいあって
頭の形も本当に綿棒みたいで
これは本当にマッチしたあだ名でした

ちなみにブラジル人はあだ名付けるの大好きなんですよね

自分より1〜2階級重いコトネッチに
8分くらい互角にやれましたが
途中で劣勢になり10分くらいで極められてスパー終了〜

弘中が既にアンドレとのスパー終えてたから
「どうだった?」って聞いたら
「強えぇぇぇ😭」って泣きそうな声出してて
これは初めて聞いたw

前にもこのコラムで書いたけど
出稽古では100%の力が出ない弘中ではあったが
それでもやはり無茶苦茶強いし

出稽古の緊張で上手く動けない時は本人もそれが分かるから
「う〜ん、まあ取られましけど、ちゃんと普段通りやれば」みたいな感じで返してくるんですけど

そんな弘中の弱音を初めて聞いたらもう恐怖しかなくて

次にアンドレが「スパーやる?」みたいに笑いかけて来たときはもう
破れかぶれの玉砕覚悟でしたw

アンドレは本当に優しくて人格者で
そんなのがスパー中にもひしひしと伝わって来て
「ほら、ここを持ったらスイープ出来るよ♪」みたいに持たせてくれて
明らかにワザと転ぶんだけど
転んで3秒後くらいにはアンドレのカウンターで俺タップ😝

しばらくしたら
明らかに態度悪そうな掃除係のオッチャンがアンドレになんかガーって言ってきて
まだ俺とのスパー中にアンドレとオッチャンが口論に!!

その隙にせめて1回くらいひっくり返したろうと全力でオリャー!!とアンドレの脚にしがみつくがピクリとも動かず
それに気付いたアンドレが「お!いいぞ〜頑張ってるな〜♪」みたいな
まるで俺が女の子とか中学生とスパーする時みたいな優しい目差しになり
ワザとらしくスイープされてくれたと思った瞬間にまたタップ!
そんなのを繰り返して
結局10回くらいタップしました(笑) 

で最後の仕上げに
謎のメイオペサード茶帯にカラードラッグを食らい頭からマットにめり込んで目に火花が飛んでKOされまして
体験入門終了〜😵

その後テレレがワカの通訳を通して色々話してくれて
テレレとアンドレの人柄がとても気に入ったんだけど

直感的に「皆があまりに強すぎて、この道場では俺は強くなれん」と思ったんだよね

例えるなら
ベンチプレス素人が
いきなり80とか100キロ挙げようとしても無理だし怪我する的なね

先ずは50とか60キロからだろうってさ

果たしてその予感は正しかったです

この後何年かの間に
俺と大多同レベルくらいの強さやサイズやフィジカルの人がTTで修行に行って
みんな大怪我したみたい😅

やっぱりな!って

ワカくらい軽ければTTの人たちも加減するけど
俺くらいの強さやサイズの人間が一番危ないなって
自分の直感がそう囁いたんだよね

弘中みたいに
メジオ級(ミドル級)で
若い頃から柔道で鍛え抜かれたフィジカルがあればいいけど
歌手上がりのレーヴィ級(ライト級)の俺には着いていけないなって

ちなみにTTに壊し屋がいるワケではないですよ
普通の攻防で怪我をしてしまうって意味です

この後
弘中はアリアンシかTTを少し迷ってたけど
先述したようにTTを修行先に決め

自分は翌日にはアリアンシに正式に入門しました

今も大親友のエインヒケ
そしてマリセリーニョたちも最高の笑顔で迎えてくれて
この日本格的なブラジル修行がスタートしました✨

〜編集中〜←まだまだ加筆修正します

ブラジル滞在中の柔術修行先を決めるために
石井ちゃんの案内で道場巡りを開始しました

最初に訪れたのは石井ちゃんが今回の滞在でお世話になっているアリアンシのサンパウロ支部

このチームは2018年現在までに
数え切れない程の黒帯や世界王者を育て
世界選手権の団体優勝を
自分の知る限りでも最低5回連続(もっと記録は伸ばしたかも)成し遂げた程の超・名指導者
ファビオ・グージェウ率いる名門チームです

アリアンシ・サンパウロはかつての和道さんの修行先であり
このアリアンシのリオ支部は早川さんの修行先でもあります

和道さんがアリアンシで修行した頃の黄金時代には
レオジーニョ、ヒカルジーニョ、テレレ、コンプリード、デミアンマイアなど
錚々たるメンバーがいましたが
自分が訪れたこの時はアリアンシに歴史的大量離脱(ファビオとの方向性の違いでレオジーニョを中心にトップ選手たちが離脱)があった後で

看板選手はこの少し前にアブタビコンバット(ノーギ)でシャオリンからバックチョークで秒殺一本勝ちをして台頭してきた“神童”マルセリーニョのみ

当時はあまり“ギ”(柔術着)のイメージがなかったマルセリーニョでしたし
自分が中心に学びたいのはギだったので
八割方は他の道場でお世話になるだろうと考えを固めていました

ブラジルに来る直前
ある人からも「いまアリアンシは大量離脱で強い選手が少ないからあそこはやめた方がいいよ」とのアドバイスもされていましたしね

※実際この時期のアリアンシを修業先に選ぶ日本人は石井ちゃんと自分以外に殆どいなかった

ぶっちゃけ言うと最初の体験入門の日も「石井ちゃんがいるからとりあえず行ってみるか」くらいの感じでした

当時のアリアンシの道場は
“イタインビビ”と言う高級住宅街にあり
アカデミア・オリンピアと言うプール付きのフィットネスジム内にありました

日光が沢山入る仕組みになっている建物で
室内が明るく
加えてマットはホワイトカラーなので
すごく清潔感があり明るい場所なので気持ちがよかったです

このアリアンシでの体験入門は
記念すべき本場ブラジルでの初練習であり
書きたい事が山ほどあますが
長くなりすぎてしまうので割愛します

後に親友となるエインヒケとの一進一退のスパーや
2010年には世界王者にも輝いた若き日のターシス・フンフェリーと弘中のスパーなど
後々のドラマに繋がって行く出来事が沢山ありましたしね

練習後には
まだポルトガル語が殆ど分からない自分に
エインヒケを始めとするアリアンシのメンバーが英語も交えて
とってもとっても優しく話しかけてくれました

ファビオ・グージェウのクラスの雰囲気も最高だったし
皆が皆
笑顔で大歓迎してくれて
「こんなに良くしてくれたのに、他に通うのは心苦しいな〜」と思って
気まずかったです

皆にお礼を言い
いよいよアリアンシから帰る時に
マルセリーニョが僕らを呼び止めて
満面の笑顔で「アテ・アマニャン」と言ったのです

ポルトガル語がまだわからない俺が「へ?」みたいな顔をすると
「see you tomorrow」と英語で言い直してくれて

自分の考え過ぎの可能性もありますが
マルセリーニョはとても勘の鋭い人間だから

あの時になんとなく気まずそうにしている俺を見て「こいつもう道場に来ないかもな」と察したんではないかと勝手にですが思ってます(笑)

だから呼び止めてまで
「また来なよ!」って言う意味での
「アテ・アマニャン」だったのかなって

大量離脱を経験したアリアンシは
やっぱりあの時はかなり厳しい状況であったのは
間違いない事実なんですよね

だから
まあ以下は単なる自分の妄想・想像・憶測の域を出ないんですが

皆その大量離脱の痛みを知り
それを乗り越えようと必死だんだんじゃないかと思うんです

みんなの明るさや優しい笑顔の中にも
ふとした瞬間の表情に悲しみや淋しさが見え隠れしていたように感じました

想像してみてください

ある日自分の道場から七割くらいの人間がトップ選手含めてゴソッと居なくなるわけですから…

その寂しさは尋常ならざるものだったでしょう

そんな悲しみを知る彼らだからこそ
ちょっとしたビジターでも本当に大切にしてくれたんじゃないかと

あ、もちろん
ビジター来たらお金になるけど
そんな目先の小さな金とかの部分じゃなくてね

その時は他にもっと有名選手がいるアカデミーが沢山ある中で
「うちに来てくれてありがとう!また来てね」って言う
そんな気持ちがビシビシ伝わって来てさ

大量離脱にはついて行かなかった人

つまり

本当にアリアンシと
恩師ファビオ・グージェウを信じ
愛する人間が残り
「俺たちの手でアリアンシを再建しよう!」という結束とチーム愛を感じたし

ここで踏ん張るぞって覚悟と
溢れんばかりのパワーや気概を感じたんです

なので
他の道場を巡りながらも
アリアンシの人々の優しさと
マリセリーニョの「see you tomorrow」がずっと頭から離れませんでした

〜編集中〜←まだまだ加筆修正します

新道場設立への覚悟を決めた2004年の夏

私はアーザの同門
弘中邦佳と共にブラジリアン柔術の本場
ブラジルはサンパウロへ修行の旅に出ます

歌手辞めて
ウクレレ辞めて
バンドも辞めて
(今までコラムで触れてないが柔術と並行して再デビュー目指してバンド組んでた時期もあり)

ブラジリアン柔術で飯喰うためにブラジルまで修行しに行くって…俺も思い切ったな〜としみじみ

今後の人生が楽しみなのはもちろんですが
正直言って30近くもなってまだ紫帯だから
これから柔術の道で果たして本当に食えるのか
将来に関しては不安もいっぱい

将来どころか
今そこにある危機として
まず飛行機着いてから下宿先まで行けるのかも心配だし
旅行のガイドブックみても治安悪いとかボラれるとか
不安になる事ばかり書いてある…

一応は3ヶ月くらい前にサンパウロに先乗りして柔術修行してる和道さんの弟弟子の石井ちゃんが空港に迎えに来てくれるって事にはなっていましたが
当時は連絡手段もネットカフェでのE-mailぐらいしかないから
ちょっとした手違いや遅延だったりトラブルがあれば連絡もすぐには出来ないので
果たして本当にそのタイミングで来れるのかは分からない

とにかくブラジルまでのフライトは長くて長くて
映画を全て見尽くして
持ってる本を全て読み尽くして
更に寝て起きてを何回か繰り返して
それでもまだまだ着かない…

格闘技を始めてからはゲームなど殆どやらなかった自分ですが
移動やら何やらでヒマするのが嫌だったのでゲームボーイアドバンスか何かを買って持参した記憶があります

ソフトは確か“熱血硬派くにおくん”と“メトロイド”を購入
後は忘れました

自分はブラジル着いてからはブラジル生活が楽しくてゲームは全くやらなかったけど
練習以外は基本引きこもりだった弘中は
旅の中盤くらいにはメトロイドの達人になっていて笑った😂

話を戻しますが
アメリカを経由して
24時間くらいかけてサンパウロの空港に到着

空港ロビーには異様な匂いが立ちこめていて
最初はなにかが腐敗してるのかと思ったら
後に判明したのはブラジル人の国民食とも言えるポンデケージョ(直訳するとチーズパン)の香りでした

チーズの匂いってチーズと分からないで嗅ぐとヤバいからね

ゲートを出たら
石井ちゃんは約束通り来てくれていて一安心👊

バスに乗り
石井ちゃんの近況を聞いたり
ブラジル生活に必要な知識を教わりながら
何となく河の向こうに見える建物や風景が沖縄を連想させるな〜なんて思っていました

自分たちが宿泊する施設は
島根県人会と言うところ

ブラジルにはこの“⚪⚪県人会”と言う組織=建物があり
母体はブラジル都道府県人会連合体なる組織で…なんて書いてみましたが、それ自体が何なのかは未だに全く分かっていません😅

多分移民の方々が暮らしやすいように作った組織なのではないかとおもいます

弘中と自分が宿泊する島根県人会に到着すると
そこにはヨシコさんと言う
日本語が八割くらいは理解出来る日系人のキュートで優しいメガネのおばさんがいまして
最初言葉が全く分からなかった自分たちには彼女の存在がとても心強かったです

石井ちゃんが泊まっていたのは広島県人会で
そこには広島の原爆の被害の写真が沢山展示してありまして
それらの資料を見ながら
地球の裏側の異国の地で
初めてちゃんと自分の国の悲劇を意識すると言うのも
何だか不思議な気持ちでした

ちなみに
何故うちらが島根県人会に宿泊したかと言うと
それは弘中の更に知り合いの知り合いの方が島根県人であり…
みたいな感じで
きっかけがそれなだけで
関係はほぼありません
石井ちゃんも広島県人ではありませんし

多分ですけど
その県人会に宿泊施設があって(無い県人会もあるらしい)申請が通れば他県の県民でも利用料を払って泊まれるんではないかと思います

この県人会の施設は
ホテルに比べたら安いですが
もちろん無料ではありませんし
県人会が違えば宿泊料も変わって来ます

で、最初の方に書いた
バスから見えた沖縄っぽい風景ですが
後から聞いて分かったのは
ブラジルでは県人会として最大規模の沖縄県人会がある地域で沖縄からの移民が多い地区だったそうです

なるほど
初期の日本のブラジリアン柔術界にはホドリゴ・キンジョウさんとか
明らかに沖縄移民の名前の柔術家がいましたもんね

同じく日本柔術界の黎明期に活躍したアギナルド・タバさんの“タバ”もおそらく沖縄の姓です

県人会が大きい=移民の数も多い…だと思うんですよ
多分ね

ちゃんと調べろよ!って話ですが😅

ちなみに
自分がいた島根県人会の2軒隣には納豆や豆腐や豆乳を売っている日系人が経営するお店があり
日本の味が恋しくなるとここで買い物してました

この日本食材屋さんの店長さんは名前がわからないのですが
有名な格闘家兄弟
エンセン井上さんのお兄さんの
イーゲン井上さんにそっくりだから
心のなかでイーゲンさん呼んでました

イーゲンさんは日本語はからきしでしたが
いつも島根県人会からの出掛けと帰りに
「コニチハ!」「ゲンキ?」と笑顔で挨拶してくれて
とっても癒やされましたね

ブラジルに来た目的はもちろん柔術ですが
それ以前にまず生活をしなければならないので
買い出しにと
メトロ(地下鉄)に乗り
島根県人会のある“プラサダアルボレ”の駅から日本人街がある“リベルダージ”まで行きました
行ったは良いがとにかくまだポルトガル語もわならないし
英語はほぼ通じないんで
困ってたら売店のお兄さんが日本語が出来て助けてくれました

余談ですが
地下鉄の改札は遊園地の入り口みたいにチケットを入れて
レバーを押すとガチャッとレバーが回転して中に入れるようになっているのですが

このステンレス製のレバーは…
う〜ん
文字で伝わるかが不安ですが…
カメラとかの三脚が横倒しになったような形状に3本が広がっていて
それが回転して行くんですよね

で、後に友達になったブラジル人が
「ナオが得意なホレッタスイープのホレッタはこれの事を言うんだぞ」と
3本の指を立体的に立てて回転させて
ほらな?みたいに説明してくれまして
「なるほど!」確かにホレッタだ
と思いましたね

あ、でもブラジル人は冗談が好きだから
冗談の可能性もあります(笑)

次章からは修行先を探す為の道場探し編になります👍

〜編集中〜←まだまだ加筆修正します

パンナムで世界を体感し
日本に帰国した私は
ブラジル修行をどう計画するかで頭が一杯になります

しかし同時にまた将来の自分の進路の問題も表面化してきました

この頃もう20代の後半になっていた私は
父親にも「お前もそろそろ30だし格闘技は趣味にして本格的にウクレレを修行して指導員になりなさい」と言われ始めていました

自分の親父は日本ウクレレ協会創設メンバー3人のうちの1人で
ウクレレの教則なども出してロングセラーになっているウクレレ界の大御所だったんです
※数年前に他界しました

そんな親父は俺以上の自由人で
自分が小学校くらいから確定申告の時期しか家に帰って来なくなり(笑)
ほぼ交流はなかったのですが

自分がK'zに入門し
それからしばらくして音楽事務所を辞めて収入が無くなってからは
久しぶりに連絡して
親父の経営する“日本ウクレレスクール”と言うウクレレ教室で働かせてもらっていました

自分はウクレレはたいして弾けなかったので
初心者クラスのみ
もしくは
アドバンスクラス開始前のチューニングや基本的なコード進行だけを教える時間だけを担当し親父にバトンタッチしたり

歌手時代の経験で人前で喋ったり歌ったりは慣れていて
ギターも上手くはないですが
基本的なコードは弾けるので
まあ何とか初心者クラスぐらいなら対応は出来ました

ウクレレを柔術に例えたら
自分は帯の結び方やエビ
十字や三角の打ち込みなど
基礎ムーヴのみを教える先生な感じですかね

ウクレレスクールの本部は池袋にあり
出張で教えていたカルチャースクールなども七割方が池袋周辺に集中していましたので
夜に始まるウクレレ講座を教えた後は
相模原にあるK'zはもちろん
水道橋のアーザのクラスの時間に間に合わない事もあったので
池袋から近いパラエストラ東京さんによくお邪魔させていただいてましたね
ミッドナイトスパーリングみたいな時間も確かありましたし

そんなウクレレバイトの日々だったのですが
もちろん親父としてはそれだけではなく後継者として自分を見ていたので
冒頭に書いたように30歳を前に後を継ぐかどうかの選択を迫られます

申し訳ないですがウクレレを人生のメインにするつもりは全く無かったので
どうしようと言う事になり

当時のジムの経営者の方に何とか給料を出していただけないかと

紫帯の身分で何と自分勝手で偉そうな相談とは思いつつも
それでも生活はしなければならないと言う理由も話して
交渉させていただいてました

しかし当時のアーザは
会員数もそこまで多くは無く
和道先生の給料を払うのでやっとの経営状況

当たり前なのですが
給料は出ませんでした😢

それまでの自分は
バイト感覚でのウクレレ講師を親父に許されていたので
練習をメインに生活出来ましたが
それも永遠には続く筈も無く

ウクレレ修行をするにしても
どこかに就職するにしても

その道に進んでしまえば
ブラジルや海外への長期修行はもちろん
短期での遠征試合すら危うくなり
趣味でしか柔術に関われなくなります

3年間はスリーエス→アーザと
無償で指導員をやって来ましたが
いよいよそうも行かなくなり

その人生の岐路で悩んでいた時に相談に乗ってくれたのが
現師匠でトライフォース柔術アカデミー総代表の早川光由先生でした

当時ストライプル所属で
“リアル・グラップラー刃牙”平直行先生の下にいた早川さんは
本当に平先生を尊敬していて
その現状に不満はないものの
あれだけのブラジリアン柔術への拘りと技術と哲学を持っている人だから
やはり自分の道場を持ち己が
“これこそが100%の早川柔術だ”と言うモノを作り伝えて行きたいのではないかなと
私は思っていて
度々その事を話題に出していました

別に私がそそのかしたのでは無いのですが(汗)
そんなこんなで
何となくシンクロニシティ的に
同じようなタイミングで
こう言った悩みがお互いに出て来まして

最初は
冗談やさぐり合い的な感じではありましたが
独立もありかな?的な雰囲気の内容もちらほら話題に登るようになりました

やがてそれは
迫り来るウクレレ指導員への道のタイムリミットの関係もあり
真剣な話になってきます

早川さんの門下に行こうと思った理由は
後に述べる
早川さんが約束してくれた生活面の保障が目当てだということだけではありません

以前の章でも触れましたが

和道さんは当時(今現在もそうかも)日本一ブラジリアン柔術のテクニックを知っていて
その数は膨大で
その量はとても自分如きが覚えられるようなモノではありません
和道さんは本物のブラジリアン柔術の申し子です

そして早川さんも和道さんと同じように天才肌の柔術家であり

2人は柔術が服を着て歩いているような人間なんですね

しかし私は、二人に比べたら
謙遜は一切抜きで
凡人も凡人

で、今は和道さんも
もしかしたらそうかも分かりませんが

当時に関しては

そんな凡人にも分かり易いように
技術を整理整頓して
才能に関係なく誰しもを指導者として育て
将来ブラジリアン柔術で飯が食える為の道を切り開く事を考えていたのは早川さんでした

全ては書けませんが
大きくは
・まず柔術と毎日関わる為の今現在の生活面と
・私のような凡人柔術家が柔術で生きて行く為の将来的な生活面

それらを考えて
私は早川さんに付いて行く考えを固めて行ったのです

誤解されないように書いておくと
和道さんと早川さんのどちらが優れているか
という意味ではありません

僕みたいなタイプの人間が柔術で生きる場合の選択が
そうであったと言うだけです

とにかく
和道さんにはカリスマ性があり
その人間性からか
いつも周囲に沢山の支援者が集まります

対して私はと言うと
これは全然ヒネクレてのグチとかじゃないんですが(笑)
・GI-01丹裕戦
・コパストライプの小齋戦
・GI-03のエドムンド・カバウカンチ戦
など
どんだけ人の記憶に残るような試合や
セミナーやクラスを提供しても
全く支援者は現れずw

ここまでやって柔術で生活出来ないなら
もうダメだろうと
半ば諦めてもいました

これは私の不徳と致すところであり、全て自分のせいなのです

そして遂に

そんな
夢のような柔術漬けの生活もいよいよ終わろうかと言う最後の最後

早川さんが救いの手を差し伸べてくれました

「誰も支援者なんか居ねえ」と挫けそうになった時
近くで一緒に戦ってきた仲間が
最大の支援者になってくれたのです

だから
これには絶対に恩返ししようと思い

まあ当たり前なんですが
トライフォースを始めてから
本部での指導を終えるまでに
遅刻は電車が遅れた時の1回だけ

しかも開館に15分遅れただけなんでクラス開始までには全て開館し
自分の部屋はめちゃくちゃ汚い自分ですが
トライフォース巣鴨本部のトイレもシャワーもいつもピッカピカに磨いており
これには早川さんも大変満足してくれました

「もし直さんが本気で独立に付いて来てくれなら俺は絶対に直さんを路頭に迷わせるような事はしない、必ず成功させる!」と力強く言ってくれた事は生涯忘れないでしょう

しかし
段々と独立の話が現実味を帯びてくる中
それが近付いてリアルになってくる分だけ揺らぐ気持ちも強くなりました

和道さんはもちろん
苦楽を共にし兄弟のように過ごした弘中、荒牧、丸ちゃん、まきどん、石井ちゃん
そして他にも
書き切れない沢山の教え子たち
その全てにかけがえのない思い出がありました

そこを離れるかと思うと辛くて
しかも「移籍をどう告げよう…」と言うので悩んで悩んで
胃が痛くなる毎日でした

でもそんな時に自分を奮い立たせてくれたのは
「自分は絶対に柔術で生きて行くんだ!」と言う覚悟

柔術の道で生きて行けば
また彼らとどこかで必ず会える筈だ!って
思ったんです

柔術が趣味で終わってしまえば
逆に皆と遠く離れてしまう

だったら一度離れて
もし仮に
例え裏切り者と言われようと
柔術の道で生きて行けば
いつか必ず彼らと再会して笑い合える日がくるって
そう言い聞かせて
早川さん石川さんとの新道場設立の決意を
より強固なものにして行きました

この頃はまさに
“トライフォース誕生前夜”と言える時期だったですね

〜編集中〜まだまだ加筆修正します

初の海外遠征
初の海外試合で

初戦の相手は黒人選手の
エダー・パシリアーノだかエデル・ペリシリアーノみたいな名前😵
読み方や日本語表記がわからない
※日本では無名だが後に黒帯で杉江アマゾン選手にも一本勝ちした強豪(だが細川顕選手がこの試合前アマゾンに深刻な怪我があった事を語っている)

黒帯カテゴリーの試合はもっと後なので早川さんは確かまだ会場に到着していなくて
石川さんもほぼ同時刻の別マットで試合
なので誰もチームメイトがいない私のセコンドには現ドラゴンズデン代表の澤田真琴さんが付いてくれました👊

初っぱなの出会い頭に飛びつきクロスをされ
クローズドを解こうと腰を上げた瞬間に
相手はクローズドの脚を解かないで両足クロスしたままの巴投げをみたいなのを仕掛けてきて
これを食らった私は
「うそーん!!こんな技あるのぉ〜?」と思いながら宙を飛んで1回転
そのままマウント取られるもなんとか脱出
試合中盤くらいに
1回だけホレッタ十字が綺麗に入り
これが唯一のチャンスで相手の腕がミシミシ鳴るが
マウント→バック取られかけから逃げるので体力使い果たしていて極め切れず
腕をぶっこ抜かれ
その後にまたマウントか何かを取られて
ポイント12ー2で敗退

初の海外遠征は大敗を喫しました

そのパシリアーノさん?も
マイケル・ファウラーとの立ち技勝負に敗れ
マイケル・ファウラーもルーカス・レイチに敗れ
改めて“世界に出たら自分は何者でもない”と言う現実を知ります

「やっちまったな〜」と思いながら会場を歩いていたら汗だくの石川さんを発見

「どうだった?」って聞いたら
二人とも占い通りの1回戦負け…

石川さんの相手は強豪ジョナタス・グージェウでした

杉江アマゾン選手は
日本にも来日経験があり
GIグラップリングにも出場した
スティーブ・マグダレノ選手と対戦し、確か一本勝ち
次の試合か、その次の次の試合で
ポイント的には勝っていた筈なのに誤審で負けたような記憶があります

しかも酷い事にアマゾン選手は小手絞りか袖車か送り襟絞めか何かをした時に
その手を相手選手に噛まれて
手にはクッキリと歯形が残っていました😠

早川さんは“ポルトゲイス”と言う
日本では無名ですが
ブラジルでは有名で
“神童”マルセリーニョ・ガッシアをして最大のライバルだったと言わしめる強豪選手と対戦し敗退

内容や対戦相手のレベル
初海外遠征での緊張や時差ぼけとか
そう言った要素はあったかもだが
それらはさておき
結果としてはJFT3人ともに初戦敗退

小齋さんとの試合や
スパーでヘナーやデミアンに善戦した自信も塵と消え

テレレやジャカレイなど
次元の違う“神々”の試合を見せつけられ
体育館の椅子に坐りながら
ただただ呆然とするしかありませんでした

この夜に早川さん石川さんと反省会ミーティングをします

自分と石川さんより早くから世界で戦っていた早川さんが
世界のレベルっていう言うのはこう言うもんだ的な話をしてくれて「なるほど」と

和道さんからレオジーニョやテレレやシャオリンなど
黒帯トップ選手の凄さは聞いていましたが
色帯までもがここまで凄いとは正直分かってませんでした

この夜に自分はブラジル修行に行く決意をします

敗者に休息は無いと言う事で
石川さんと俺は翌日と翌々日に出稽古をしました

確か1日目がトーランスのマシャド柔術で
出稽古のビジター料金は1回70ドルくらいして
いい値段でしたね

旅費もカツカツで来てたんで一瞬迷いましたが
「せっかく来たんだから勉強して、払った分だけのモノを持って帰ろう」と石川さんが言って奮い立たせてくれたんで覚悟が決まり
70ドルを払って柔術着に着替えました

テクニックは何をやったかサッパリ忘れましたが
スパーリングでは
元立ち(勝ち残りスパー)をやり
俺と石川さんは
平均100キロくらいのアメリカ人色帯たち相手に全勝!

「俺たちなかなか強いじゃん!」と
試合で失った自信を少しだけ取り戻します(笑)

全勝の余韻に浸る自分のところに
遅れてやって来た最強のオーラを纏いし
これまた100キロ近くはある貫禄バリバリの茶帯が
「日本の紫帯のお兄ちゃん、俺がもんでやるよ」的な雰囲気でやって来てスパーリングをお願いされ

これはマズい…と思ったら
私が仕掛けた腕十字が速攻で極まり
意地を出してタップが遅れた巨漢茶帯は腕を痛めて怪我をしてうずくまってしまいます😅

もうこれで全員とスパーして
やがてクラスも終了かと言う雰囲気になって来ました

その時、早川さんはポルトゲイスとの試合で軽く負傷していたので練習はせずに
マシャド道場のソファでマシャドの人達と「あの二人は俺の生徒だよ♪」みたいに
うちらの活躍を見ながら嬉しそうに語っていたのですが
やがて伝説のヒーガン・マシャド(ヒクソン・グレイシーの最強のライバル)が道場にやって来て
明らかに座りたそうに早川さんに対して
「そこ俺のソファなんだけど…」的な視線を送っているのですが
「オー!ヘイ、ヒーガン!」なんて言いながら握手しつつ全く移動しない早川さんw

それを見た石川さんが
「なんて言うか…早川さんのああいうところはマジで天然と言うか…大物だよね…いやいい意味でね、俺ならヒーガン来たらビビって隅っこ行っちゃうからさ、世界で戦うにはああ言うメンタルも必要かもな」なんて
そんな事を呟いてました

クラスの時間は終了しましたが
勝ち残り練習に全勝したうちらに
「君たちが練習やり足らなかったら相手してもいいよ」とでも言いたげな感じで
クラスを仕切っていた
小太りで中年体型のおじさん黒帯がイヤーガードを付けて準備し出したので
※石川さんがお願いしたんだったかも
自分は
「あの先生は一体誰なんだろう?」と思いつつ
「昔は強かったんだろうけど、今は多分練習してないんだろうな…今日はお世話になったしあんまり本気は出さないでおこう」なんて思っていたら

5秒でパスされて
抑えられたら全く動けず
30秒で絞められタップ!!

気を取り直して本気モードでかかるも
結果は全く変わらず
ありえないくらいバッキバキに繰り返し極められて😵

まあ強さってその時の自分のレベルで相対的に感じるものだから分からないけど

あの時点では間違いなく
人生で組み合った人間で過去最強クラスに感じました

その人は後で名前を聞いたらホジャー・マシャドと言いまして
本気で尋常じゃなく強かったです

褒め言葉なんですが
見た目は運動不足のジョージクルーニーみたいな感じで
全然強く見えないんですよね

この見た目と強さのギャップには自分も石川さんも感動して
しばらくはホジャー・マシャドの話ばかりしてました

マシャド兄弟と言えば
ヒーガンやジアンが有名ですが
そこまで有名でなくとも
こんなに強い人がいる

ブラジルの層の厚さと奥深さを感じました

翌日は
現地で友達になったばかりのマックス増沢さんに紹介していただいた
もう一つの出稽古先であるカイケ道場へ

こちらでも練習させて頂いたのですが
旅疲れが極限に達した早川さんが練習開始前にマットで熟睡してしまい

起こそうとしたら道場の人も「疲れてるんだから寝かせてあげなさい」みたいなジェスチャーされて

ウォーミングアップのマット運動では40〜50人近い生徒や
もちろん俺も石川さんも
皆が寝ている早川さんの上をジャンプしたり避けたりしながら移動していて
その状況がシュール過ぎて爆笑しながら走ってましたw

「いやマジで…マシャドでもそうだけど…早川さん大物だわ…ありえんでしょ」と石川さんも笑いを必至にこらえながら走っていて(笑)

早川さんの大物っぷりと
カイケ道場の皆さんの優しさと大らかさが生み出した
とっても素敵なシチュエーションでした♪

私は
この旅で本当に沢山の事を学びました

完全ではないまでも柔術界全体の世界観とか
他にも色々な事が段々と分かって来て

それまでは
まだちょっと怖いと思っていた
早川さんや石川さんが
実は基本的にお茶目な人間で
ある意味では俺と変わらないくらい天然だと言う事もw

だから一緒にチームを作って
やって来れたのだと思います

〜編集中〜←まだまだ加筆修正します

2004年だったと思うんだけど
初めて試合での海外遠征を経験します

今はパン柔術選手権とか言うのかな?←違うかもw

当時はパンアメリカン柔術選手権みたいな名前で
通称パンナムと呼んでいたね

そこにまだ当時は所属の違う早川さん石川さんと共に遠征し

現地で杉江アマゾン選手や服部恵子選手のアライブ勢
他には
現・ドラゴンズデン代表の澤田真琴選手も来ていて合流します

当時はアメリカ在住で後にJFTに参加するマックス増沢さんとも
この大会で初めて会いました

そうそう
自分は結構アライブの皆さんに仲良くしていただいていて
パンナムでもお世話になり
その経緯を書き忘れてたから
パンナム記の前に軽く触れますね

アライブの鈴木社長と
ある合同練習会でスパーしたら
社長が凄く自分の技を気に入ってくれて
社長が初めての“渡辺直由セミナー”を名古屋のアライブで開催してくれたんです

今にして思えば参加メンバー凄くて
※以下敬称略・順不同
杉江アマゾン大輔、日沖発、岩間朝美、木部亮
…他にも誰か強豪がいたような気がするが忘れたので思い出したら追記します

練習後のスパーでは2人目のアマゾンで完全にガス欠して
もうボロボロで
社長に案内されてホテルでチェックインした時にはボールペン持った途端に掌がつって名前も住所も上手く書けず😅

そんなんだから初セミナー大失敗だったかな〜と思ったら
後に“伝説のセミナー”として語り継がれるくらい
評判良かったらしい✨

「こんなに深く柔術の技を考えてる人がいたんだ…」と思ってくれた

らしい!…が…いや、どうだろう

皆さん優しいから嘘かも分からんので
真に受け過ぎたら良くないけどねw

アマゾンとは名古屋の全日本選手権で紫帯時代に対戦して
パス→ニーオンの5ー0で負けたことあり

そんなこんなでアライブの皆さんには色々と良くしてもらいました
※パスされてニーオンされた部分だけは良くされてないかw

余談だけど
歌手時代に初めてライブとか営業行ったのも
名古屋だった

名古屋は自分の仕事の始まりの地なんです

さてパンナム記に戻ります

試合の時はみんな大体
“試合会場から近くて安い”
みたいな基準でホテル選ぶから
似たような場所に泊まるんで
ホテルは柔術家だらけ

まずエレベーター乗ったら柔術着のズボン履いた眉毛繋がった兄ちゃんがいるから
カテゴリー何?と聞いたら「アダルト紫帯レーヴィ」って言うから
一緒やん!と意識していて
後で分かったんだけど
そいつが結局俺のカテゴリーを優勝した後のアダルト黒帯世界王者ルーカス・レイチだった

しばらくしたら
テレレが門下生を連れてホテルに来て
早川さんを見つけてかな?
うちらに話しかけて来たんです

石川さんと
「名前とか知らないけどテレレの横にいるあいつとか無茶苦茶強そうじゃない?」って二人で噂してたのが
これも後の黒帯世界王者
アンドレ・ガウヴァオン

他にも
柔術世界王者にして
MMAで大活躍中の
ビビアーノ・フェルナンデスやジャカレイも同じホテルで
その辺うろうろしてるし
右を見ても左を見ても強そうなのばっかでとにかく不安で不安で仕方なかったね

ジャカレイは超ハイテンションで
ホテルの朝食の時に
エレベーターから降りて来たら
「いえーい!」みたいにいきなり叫んで
朝食食べてる全員と握手しだしてさ😆
すんげー陽気な兄ちゃんでした

試合の2日前くらいかな
日本人皆でトーランスのグレイシーアカデミーに出稽古に行って

そこで
まだあどけなさが残るハレック・グレイシーと杉江アマゾンがスパー対決してたが
流石にこれはアマゾンが圧倒してたね

その後にヘナー・グレイシーが俺を指名してくれて
どんだけボコされるかと思ったら
意外なくらい善戦出来て
早川さんも「おー!直さんすげー」と盛り上がってました(笑)

結局は確か8分くらいで
面白い形の十字絞めを取られてタップ!

早川さんも「ヘナーにこれだけ善戦したら直さんの活躍は約束されたもんだ」と太鼓判を押してくれました

それよりちょっと前の話だと記憶してるけど
アーザ高島平で行われたデミアン・マイアのセミナーでも
何故か奇跡的にデミアンに大善戦出来て
これは確かどっかにスパー画像残ってる筈だな

「スパーとか練習で善戦して喜んでるなんてアホじゃん?」と思う人もいるかもだが

流石に俺くらい長くやってたら
本気か本気じゃないかはわかるね
※有名選手は来日すると遊びまくって体調崩すし、セミナーで技教えた後のスパーは疲れてるから勿論それらは差し引いて考えてますよ

また後々詳しく書くけど
スパーでの相手の本気度が分からない人は
あまり強くなれない人が多いですね

それに気付けないと
相手の罠に引っ掛かり易いのです

ま、それはまた詳しく後程👍

コラムの初期にも書いたけど
当時の自分は軟体の変則スタイルだから
ハマったら格上にも
まあ希にだが
善戦する事があったね

そんな早川さんからの太鼓判で
少し不安から解放され
試合当日を迎えます

石川さんと俺は
紫帯のペナと紫帯のレーヴィなんで
カテゴリー的に試合開始時間が近いので(一階級違う)ホテルのロビーで待ち合わせて
タクシー呼ぼうか迷ったけど
リラックスしたいからゆっくり一緒に歩いて試合会場に向かおうっていう話になり
歩き始めました

大通りに出たら石川さんが
突然小石を俺の前にコローンと蹴ってきて

「この小石を会場まで蹴り続けられたら俺たちは優勝だ…だが!もし
あの1つ目のブロックを越せなかったら俺たちの1回戦負けが確定する!」
と宣言し謎の占いを開始

応じた私が石川さん目の前に小石を蹴り返すと…

なんと
次の3回目でイキナリ石川さんが思い切り高速道路並みのスピードで車の行き交う大通りの真ん中に小石を蹴飛ばしてしまい

二人で「あぁ!!!…」と叫ぶも
時既に遅し

小石は車に飛ばされて行方不明…

うつむいた石川さんが
「…これは…うん…忘れよう」と呟き

不吉な予感に包まれた私たちは
そこから会話もあまりないまま会場入り

果たして結果は

2人揃って1回戦負けでした(T_T)

次章に続く

〜編集中〜←まだまだ加筆修正します

このページのトップヘ