2007年02月16日

元素、水素、酸素などの化学用語を考案したのはどこの誰?

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江戸時代、19世紀前半頃の話です。現在私たちが使っているいろいろな化学の専門用語、たとえば元素、水素、炭素、窒素、酸素、塩酸、蟻酸(ギ酸)、硫酸、希硫酸、酢酸、琥珀酸(コハク酸)、蓚酸(シュウ酸)、青酸、蒼鉛、水鉛、尿酸、白金、炭酸、燐酸(リン酸)、澱粉、王水、物質、試薬、金属、塩、酸、金属塩、結晶、溶液、酸性塩、中性塩、圧力、温度、酸化、還元、気化、凝固、煮沸、昇華、蒸気、蒸散、蒸留、親和、飽和、吹管、成分、装置、中和、潮解、沸騰、分析、法則、容積、流体、坩堝(ルツボ)、濾過(ろ過)などなど、すべてある人物が外国語から日本語に翻訳する過程で考案し、著書で発表しました。この人物によって日本における化学用語は一挙に確立され、その大部分は今日まで変わらず使われ続けているのです。

さてこの人物、どこの誰だと思いますか。

その答えは、岡山出身の宇田川(うだがわ)榕菴(ようあん)先生(津山藩の元藩医)です。

元素、酸素、窒素、水素、酸化、還元、硫酸、塩酸、親和、等々、およそ化学の専門書に出てくる極めて基本的な化学用語は、ほとんど宇田川榕菴先生が考え出した日本語です。

私も実際に舎密開宗の一部を読んでみましたが、現在そこらにある化学の専門書と、ほとんど違和感ありません。宇田川榕菴先生の作り出した化学用語は、見事なまでに現在まで使われ続けているということです。

この舎密開宗、ヘンリーの法則で有名なイギリスの化学者William Henry氏(1774-1836)の著書"An Epitome of Chemistry"(1801)をドイツ人がドイツ語に翻訳、そのドイツ語の翻訳書をオランダの化学者イペイ氏がオランダ語に翻訳した"Chemie Voor Beginnende Liefhebbers"(1805)を、さらに日本人である宇田川榕菴先生がまずは熟読、さらにその他の専門書二十数冊も読破、自ら一部は化学実験をして確かめた上で考察を加え、「舎密開宗(せいみかいそう)」という本格的な体系的化学書(全21巻、1837-47)を日本語で何年もかかって書き上げたのだそうです(実は、最後まで"Chemie Voor Beginnende Liefhebbers"を全部は訳し終わらなかったという話、英語→ドイツ語→オランダ語→日本語の伝言ゲームの過程で、おかしくなった箇所もあるなどの、面白い話もたくさんあります)。

近代化学の父と言われるフランスの化学者ラヴォアジエ氏(Antoine Laurent Lavoisier,1743-1794)が“化学概論”を出版したのが1787〜1789年、それから半世紀も経たずに日本で体系的な化学専門書が出版されていたという事実、しかもそれが現在で言う岡山県ご出身の先生が成し遂げただなんて、凄いことだと思いませんか。日本の化学史上、特筆すべき事であるのは言うまでもないことです。

宇田川榕菴先生が生まれたのは寛政10年(西暦1798年)3月9日です。1798年といえば、フランスの化学者タサエール(Tassaert)氏が塩化物イオンとアンモニアを含む不思議なピンク色のコバルト塩Co(NH3)6Cl3を元素分析によって化学組成を同定、報告した年です。塩化コバルト(III)CoCl3をアンモニア水に溶かして100度Cに加熱すると、アンモニアや水は追い出されてピンク色の塩が析出します。タサエール氏はこのピンク色の塩を150度Cまで加熱乾燥して成分元素を分析してみたのです。

当然タサエール氏は、このピンク色の塩はただの塩化コバルトCoCl3だと思っていました。何しろ、塩化コバルトをアンモニア水にいったん溶かしたとはいえ、カラカラの粉末になるまで加熱乾燥した(乾固させた)のですから、アンモニアNH3も水H2Oも全部飛んでしまって、ピンク色の塩は元の塩化コバルトに決まっていると考えたのです。

ところがどっこい、タサエール氏の元素分析結果は、コバルトが22.07%、塩素が39.78%(いずれも重量%)という奇妙な結果でした。

コバルトと塩素以外に、いったい何が含まれているというのか。

タサエール氏は念のために窒素と水素の分析も行ってみたところ、なんとピンク色の塩には窒素が31.42%、 水素が6.73%含まれていることが分かったのでした。これはどういうことでしょうか。一生懸命加熱乾固したのに、まだアンモニアNH3が残っているということでしょうか。窒素がこんなにも沢山含まれているということは、どうやらアンモニアNH3が残っているとしか考えられません。

コバルトが22.07%、塩素が39.78%、窒素が31.42%、水素が6.73%、これを全部合計すれば、ちょうどぴったり100.00%です(こうした元素分析の重量%の計算には、岡山理科大学の錯体化学研究室で開発したソフトウェア(Excelファイル)が便利です。無料でダウンロードできますので、是非お試し下さい)。

タサエール氏はこの元素分析の結果、ピンク色の塩の化学組成がCoN6H18Cl3、すなわちCo(NH3)6Cl3であることは突き止めましたが、実際に三価のコバルト陽イオンCo3+に塩化物イオンが結合しているのか、アンモニア分子が結合しているのか、一体全体実際の分子の形はどうなっているのか、皆目見当がつきませんでした。

実際のこうした金属塩の構造が明らかになるのは1893年(明治26年)のことです。当時27歳の化学者ウェルナー(Alfred Werner)氏が、例えば塩化物イオンとアンモニアからなるコバルト塩の場合、コバルト金属イオンが中心位置を占め、一定数(例えば6)のアンモニア分子や塩化物イオンがその周りを立体的に取り巻く構造をとっており、残った塩化物イオンはコバルト金属イオンとは直接結合せずに外側にいる、という画期的な新しいアイデア「配位説」を思いついて提唱したのです。もちろんこの配位説の提唱により、ウェルナー先生は1913年のノーベル化学賞を受賞されています。

さてさて、話が脇道に大分逸れてしまいました。宇田川榕菴先生が生まれたのが寛政10年(西暦1798年)3月9日という話から脱線してしまったのでした。1798年(18世紀末)といえば11代将軍徳川家斉の時代です。伊能忠敬氏が蝦夷地を測量したのが1800年(寛政12年)、ワシントン(George Washington)氏が米国初代大統領に就いていたのが1789年(寛政元年)〜1797年(寛政9年)です。件のタサエール(Tassaert)氏はフランス人ですが、フランスでは1789年(寛政元年)にかの有名なフランス革命が起こり、1799年(寛政11年)にはナポレオン(Napole'on Bonaparte)氏が第一統領に、1804年(文化元年)には皇帝に即位しています。宇田川榕菴先生の活躍された時代背景を大方イメージしていただけましたでしょうか(高等学校等ではしばしば日本史、世界史、化学史と別々の教科書で別々の教員により別々の授業で紹介されますが、同じ一つの惑星「地球」の表面で起こった出来事故、一緒に考えてみると面白い(理解・想像しやすい)と私は常々思っております)。

そうそう、話の脱線ついで今日(2月16日)は、某近隣国の(悪)代官の誕生日でもありますが、実は私(坂根)の誕生日でもあります。九州の福岡・博多の山下病院で大雪が降る中、私は地球上に這い出してきたそうです(我が母談)。

ところで話を元に戻しますが、宇田川榕菴先生の「舎密開宗」の実物、これはけっこう現存しています。例えばインターネット上では、龍谷大学学術情報センターのウェブページで舎密開宗の電子版(スキャナーで取り込まれた画像のjpgファイル)が全文公開されています。

さらにこの「舎密開宗」の復刻版や研究書も出版されております(岡山理科大学図書館にはこれらの書籍はしっかり所蔵されています)。

舎密開宗―復刻と現代語訳・注 (1975年)
舎密開宗研究 (1975年)

しかしいくらネット上で閲覧できたり復刻版をみることができたりとはいえ、やっぱりホンモノの迫力は重たいものがあります。これぞ「舎密開宗」の現物、といった書籍は理系書籍の蔵書数には自信満々の岡山理科大学図書館も、さすがに所蔵はしておりません。

ところで私、実家は千葉県(松戸市)なのですが、帰省するたびに、お茶の水(神田)の古書街をうろつきます。この前帰省したとき、なんと馴染みの古書店で「舎密開宗」の実物を見つけてしまいました。なんとその価格は六十ウン万円!!!

この実物をうちの化学科の学生さんに見せたら、きっと「岡山の化学」の現実に感動していただけるのではないかと思い、本気で買ってしまおうかと考え、実物の「舎密開宗」の前で1時間ぐらい腕組みをしながら考え込んだのですが、残高がゼロになった銀行通帳とそれを睨み付ける妻の顔を想像してしまい、結果的には購入という行動には移せませんでした。

岡山理科大学の図書館で購入して、ガラスケースにでも入れて展示したら良いのに、とも思いました。何と言っても、江戸時代の岡山(正確には津山)が、日本の化学(用語)の発祥の地(宇田川榕菴先生、舎密開宗を執筆された当時は江戸にお住まいだったようですが)であるという事実は、もっとみんなが知っていてしかるべき事実だと思うからです。

岡山理科大学の近くにある岡山駅から、津山線に乗って約45分で津山駅に到着します(現在は土砂崩れ事故で一部不通区間があり、JRの代行バスがご利用いただけます)。現在は岡山県津山市と呼ばれるこの場所は、江戸時代には津山藩と呼ばれていました。宇田川家は代々津山藩の藩医であり、代々優秀な人材に恵まれ(岡山県下最初の洋学者玄随氏、その養子・玄真氏、その養子・榕菴氏など)、江戸時代後期から明治時代にかけて日本の学問(洋学) の発達に大きな功績を残しています。特に榕菴先生は、フランス語の百科全書をオランダ語に翻訳されたものを和訳する作業を通して西洋の学問体系に触れ、長崎にやってきたドイツの医師、あの有名なシーボルト氏ととも学術交流がありました。そして前述のように、榕菴先生によって日本の近代化学の扉は開かれたのです。

私はこの津山という土地が好きで、休日には時々訪れて散策をします(先週末も津山散策に行ってきました)。津山洋学資料館つやま自然のふしぎ館(津山科学教育博物館)津山郷土博物館などがおすすめです。もちろん桜の季節には津山城趾(鶴山公園)も最高ですよ。風光明媚な日本庭園「衆楽園」でお抹茶を戴きながらのんびりとした時簡を過ごすのも一興です。

ところで件(くだん)の「舎密開宗」実物、さすがに我が家の経済状況に鑑みて購入は無理でしたので、舎密開宗に比べればもう少し時代の新しい化学本を手に入れました。「小學化學書」という書籍です。本ブログの口絵写真がその表紙です。

この教科書、小学校用といっても当時の上等小学の3・4年生用ですから、現在の中学校1・2年生用にあたります。

著者はイギリスの化学者H. E. Roscoe氏(1833-1915)、1867年にバナジウムを遊離し、その酸化物が五酸化バナジウムV2O5であることを示した人です。日本語翻訳は市川盛三郎氏(1852-1882)、1866年に幕府からの英国留学生としてロンドン大学で物理学を学んだ方です。

明治7年という時代の「小學化學書」、現在の中学校の化学の教科書より本格的なんですよ、これがまた。

私は化学に関する古書の収集・読書が大好きです。「小學化學書」以外にも興味深い古書を所蔵しておりますので、折を見てこのブログで紹介していきたいと思っております。



tgs0001 at 22:07│Comments(3)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote 自然科学 | 教育

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この記事へのコメント

1. Posted by 三宅隻嶺   2008年02月23日 00:34
 シェミイはもともとフランス語でオランダにはフランスから伝播したのではないかと想像します。日本人で化学をフランス語で学んだ人は江戸時代にいなかったのか。

 私は東京の渋谷の宇田川町によく行きますが榕菴先生が岡山の人は初めて知りました。舎密開宗は渋谷区の図書館に蔵書があり読んだことがありますがドンドロチウス雷酸水銀のことなど書いてあったと想います。この本間もなく書架からなくなり盗まれたらしい。図書館の責任です。
2. Posted by 三宅隻嶺   2008年02月23日 00:38
 シェミイはもともとフランス語でオランダにはフランスから伝播したのではないかと想像します。日本人で化学をフランス語で学んだ人は江戸時代にいなかったのか。当時仏語は技術の言葉で文学の言葉ではなかったようです。

 私は東京の渋谷の宇田川町によく行きますが榕菴先生が岡山の人は初めて知りました。舎密開宗は渋谷区の図書館に蔵書があり、読んだことがありますがドンドロチウス、雷酸水銀のことなど印象深く想いだします。この本、間もなく書架からなくなり、盗まれたらしい。図書館の責任です。図書館は笹塚図書館。
3. Posted by 坂根弦太   2008年02月25日 11:19
5 東京に“宇田川町”という地名があるとは知りませんでした。津山藩の宇田川家と縁のある土地なのでしょうか。
図書館からの舎密開宗の盗難の件は心が痛みます。日本で化学に携わっている一人として、“舎密開宗”は貴重な遺産だと思っているからです。
“舎密開宗”は比較的多くの本が現存していますが、個人コレクターで購入できるような価格ではありません(軽自動車が一台買えます)。

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