■関連SS
【モバマス】 楓「日高屋には人生がある」
【モバマス】 速水奏「ゴーゴーカレーには人生がある」
【モバマス】 城ヶ崎美嘉「ステーキ宮には人生がある」
【モバマス】 塩見周子「なか卯には人生がある」
【モバマス】 和久井留美「富士そばには人生がある」
 

1 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/02/22(金) 10:14:47.74 :o3T9ndbd0

 [過去作]

【モバマス】 楓「日高屋には人生がある」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1510688379/

【モバマス】 速水奏「ゴーゴーカレーには人生がある」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1511034585/

【モバマス】 城ヶ崎美嘉「ステーキ宮には人生がある」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1512221196/

【モバマス】 塩見周子「なか卯には人生がある」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1517075122/



※独自設定あり。今回は地の文メインなので特に長いです、すみません。


7 :1 :2019/02/22(金) 12:06:56.56 :o3T9ndbd0

 私、一体何をやっているのかしら――


 楽しい時はあっという間というけれど、そんな饗宴のような時間が過ぎて我に返ったとき、色々な感情が錯綜した結果いつもこの文言が頭に浮かぶ。


「――お疲れ様でしたぁ!」


 自身が出演しているドラマの収録や、司会者の補助を務めるサブMCとしてレギュラー出演しているバラエティ番組、そしてメインのアイドルとしての芸能活動。そういった仕事で目まぐるしく過ぎていく日々……そう、ついさっきまでそのような仕事をしていたところだ。


 バラエティ番組の収録を終え、所属事務所に戻り、そうして諸々の業務を済ませ外に出る。


「……寒っ」


 いつの間にか年が明けて、あっという間に2月某日。時刻は18時を過ぎたところ……
 ここ東京都心にも大寒波の影響で雪が降る――そんな言葉が街角やテレビや人々の会話からしきりに溢れていた一週間。週末となる今日、金曜日の街は人で溢れ、そして気象予報士の予報は見事に的中し雪がチラチラと舞っている。


(あの予報士、こんな時に限って予報を当てるなんて)


 どうせなら週始めか週の真ん中で降ってくれれば良かったのに――肩をすぼませ、背中を丸めて歩くサラリーマンの心中が聞こえてくるようだ。
 私が会社勤めであったなら、雪がどかっと降り積もって仕事がなくなったとして、それはまさに僥倖であったかもしれない。



 しかし今の私にとって、それは青天のへきれきである。


8 :1 :2019/02/22(金) 12:10:14.11 :o3T9ndbd0

「さてと……」


 今の私……自然に紡がれたはずの言葉が、自身の心境の変化を慎ましく伝えていた。

 丈の長いPコートにマフラー、革の手袋にブーツ――いつ雪が降っても大丈夫なよう万全の準備で臨んだはずだったが、微かに吹き抜けた冷たい風が衣服の隙間を通り抜け押し寄せたとき、私は噛ませ犬のようにあっさりと白旗を上げる。


(早く帰りましょう……)


 ビル街に舞い散る雪に感傷的になるような年頃でもないだろう……そう言い聞かせ、最寄り駅へ向かった。
 今日の仕事は全てやりきった。そして明日は何もない、いわゆるオフだ。早く帰って熱いシャワーで疲れを癒したい。


「次は――です。お出口は――」


 今となっては芸能界に身を置く芸能人の端くれとなった私であるが、移動手段は電車を利用することが多い。芸能人といえば華々しい世界にいて、そして移動手段もタクシーだけを使う――そんなイメージを持つ人間は多いと思う。しかし当然そうではない人もいるし、私に限っては想像よりも意外と現実的な世界だと思っている。私に限っては……

 もちろん周囲には華々しいオーラを纏った人間がいて、そういう人で溢れて、極彩色のように爛爛としてかえってくどくどしいように感じてしまう、それほどの夢幻な世界であることも事実。


「次は――です」


 そうそう……前の仕事の影響か分からないけど、経費だとかそういうつまらない雑念がついつい頭を過って、こうして安い移動手段に走ってしまう。場合によってはもちろんタクシーも利用するけれど。


(一円に笑う者は一円に泣く――ああ、そんな言葉もあったかしら)


こんな性格をしているから、「私に限っては芸能界も意外と現実的だ」と思えてしまうのだろう。決して自分をお高く見積もっているわけではない――これはつまらない自分に対しての皮肉である。



私には「華々しい夢」がない。


9 :1 :2019/02/22(金) 12:14:44.49 :o3T9ndbd0

「お待たせしました。次は新宿、新宿です。お出口は――」


 人混みに流される――そうだ、この時間は帰宅ラッシュの時間帯だ。
 準・満員といった様相の電車内。車内中ほどに立って、そしてつり革を握っていた私は、世界有数のターミナル駅で乗り換える乗客の群れに流される。


(智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ……)


 昔の文豪はよく言ったものだ。そう、とにかくこの世は住みにくい。


(意地を通せば窮屈だ……)


 愚痴りたくもなるけれど、この場合意地を通せば角が立つ……
 だから私は流される――電車中ほどから。
 このような乗車率の高い電車で流れに逆らおうものなら、私のような華奢な人間は押しつぶされてしまうだろう。
 そう思って、一旦降車してから再び乗車することに……


「扉、しまりまぁーす。無理なご乗車はおやめ下さーい。発車しまぁーす」


 乗車することに……しようと思ったのだが、不覚だった。停車位置がちょうど駅の階段の前であった。
 下りてすぐ、扉の横に立ってやり過ごそうと思った。しかし狭い通路は人でごった返し、一方通行で進まざるを得ない。例えるならそれは初詣の参拝列に同じ。

 そうしているうちに電車は発車し、そのまま流されて流されて――気付けばホームにぽつんと取り残された。


「情に掉させば流される……か」


 世界一忙しいと言われる新宿駅のホームに立ち竦む。


「……」


 この東京、そしてこの路線では僅か数分で次の電車が来る。だからこのまま待っていればまたすぐに帰宅の途に就けるだろう……


(いいじゃない――だったら、このままどこまでも流されてやるわ)


 人混みに流され、思考まで流されて……
 私の足は自然と階段へ向かう。無意識というわけではないが、人の群れに酔って、それまでの様々な思念が渦巻いて、その結果半ばやけくそのような状態となっている。
 様々な思念……そう、皮肉と哀愁と空虚と、そして空回りする憧れと。

 週末の駅、行き交う人々は皆足早に通り過ぎていく……仕事から解放され宴会へ向かうサラリーマン、若さのまま夜を往く学生グループ、仲睦まじく体を寄せ合う恋人たち、誰か大切な人を待っている一人一人……それぞれの物語が、私の虚無感という風船に次々と息を吹き込んでいく。


(きっと、空腹のせいだわ――)


 真冬、空腹を感じると更に体温は下がる。そしてその現象が精神を蝕む。
 だから、まずは空腹を満たすことにしよう……
 そう思って私は改札を抜け、歌舞伎町方面の出口へ向かった――


10 :1 :2019/02/22(金) 12:19:33.24 :o3T9ndbd0

「お待たせしましたー。カシラの赤と白と、レバーと赤ウインナーフライでーす」
「ありがとうございます。あ……、追加で生一つお願いします」
「かしこまりましたー」


 はあ、私は一体何をやっているのかしら――


 空腹を満たすため繰り出した新宿。
 人で溢れる歌舞伎町方面の出口を出て、アルタ前から路地に入る。
 あれもこれもと決めあぐねて、偶然目にとまった立ち飲み屋の赤ちょうちんへ夜光虫のようにひかれていった。


「お待たせしました、生ビールでーす」
「ありがとうございます」


 狭い立ち飲み屋。地下のフロアへ通され、同じく窮屈なカウンター席の隅で串焼きを肴にビールを流し込む。立ち飲みと謳っているが、それは一階のフロアのみで地下は座れるらしい。

 目の前は壁……いわゆる花金の夜はどこへ行ってもグループばかりだ。この店を見てもおひとり様は私くらい……新宿という土地柄のせいもあるが、それにしても少し居心地が悪い。


(ただ、この喧騒はかえって好都合かもしれないわね……)


 私はあまり人混みが好きではない。進学を機に地元を出て、そうしてそのまま東京で就職してずっと都内にいた。
 当初は東京に対する憧れはあった。しかしこの人混みと都会特有のドライな気質になかなか順応することができず、ホームシックのような状態に陥った時もある。

 ただ一回りしてそれに慣れると、踏み込んで干渉してこないこのドライな街にかえって安心する自分もいて――
 歓喜、絶望、悲哀、醜悪、そういった感情がひしめくこの新宿という場所ならなおさらだ。曲がりなりにも芸能人な自分がいたとしても、誰一人として気に留める人はいない。まあ、単純に知名度がないのかもしれないが――もちろん最低限伊達眼鏡をかけたり帽子を被ったりと変装はしている。


「すみません、生一つお願いします」


 気付くと中ジョッキが空になっている……
 スマートフォンを置いて虚空を仰ぐ。すきっ腹に近い状態でアルコールを入れたせいか回りが早い。じわじわと全身に染み渡るアルコール、上気して火照る体、ふわふわとした浮遊感……


「お待たせしました、生でーす」
「すみません、もつ煮込みと串焼きのネギを二本、あとメンチカツを……」


11 :1 :2019/02/22(金) 12:24:06.84 :o3T9ndbd0

 私は一体、何をしてきたのだろう。


 こうして酔っている時でさえ、ふと我に返るとそういった言葉が脳裏に浮かぶ。


 自分を中心に世界は回らない、自分は選ばれる人間ではない。


 そう気付いたのはいつだったか。
 学生時代の部活動だったか、はたまた職場の中であったか。
 
 自分は表に立てる人間ではないのなら、せめて誰かを表舞台に立たせるような人間になろう――そう思って裏方に徹するようになった。


「お待たせしましたー。もつ煮込みとネギ二本、メンチカツでーす」
「ありがとうございます。あ、生一つお願いします」
「かしこまりましたー」


 そうやって、いつの間にか秘書という職務に就いていた……
 いわゆる丸ノ内のOLになって、事務職に就いて、ひたすらPCとにらみ合いを続けていた日々……とある役員秘書が諸事情で退職されて、そこでなぜか平社員の私に後任として白羽の矢が立った。秘書検定だとかそういう資格を持っていた影響かもしれない。


「お待たせしましたー、生でーす」
「ありがとうございます」


 追加のビールを煽る……酒に強いという自負はないけれど、何故か今はすいすいと酒が入っていく。


(君のせいだ。どうしてくれるんだ――申し訳ないが、解雇とさせてもらう)


 ああ、今でも思い出す……
 秘書という職務に就いて、周囲の人間からは羨ましがられた。しかし、実際就いてみるとそれは幻想であった。
 山のように積み重なる書類を捌き、役員のスケジュールを管理し、来客に対応し、時には助言役を任されることもある。


 当初の私はやりがいを感じていた……誰かを表舞台に立たせる、その裏方になることができると。
 しかし、実際は裏方役というよりかは使い走りだった。
 着任当初は気鋭があって将来性のある役員だと思った。蓋を開けてみると「重役の息子、お坊ちゃん、コネ」といった背景を持つ人間なのだと痛感した。前任秘書が退職した理由もなんとなく窺い知ることができた。


 そうして、自身の職務を放棄し私に全てを押し付けた役員に解雇を言い渡される。後になって知ったことだが、自分のミスを私の不手際として言い触らしていたらしい。


「ご馳走様でした」
「ありがとうございましたー!」


 思い出すつもりはなかったのだが、酒を煽っているうちに嫌な思い出ばかりが脳裏を過る……
 これ以上まずい酒にしたくなかったので居酒屋を出た。


12 :1 :2019/02/22(金) 12:26:28.70 :o3T9ndbd0

「……寒っ」


 立ち飲み屋を出ると、外は依然として雪がチラついている。積もる気配はないが、吐く息は白く、火照った体を冷気が締め付けるようだ。


「もう、どうにでもなれよ……」


 鬱陶しい、意地汚い客引き。煌びやかなホストクラブ。昭和の色を残した場末のバー、ラブホテル……
 洗濯機のようにぐるぐると回る頭――冷静を取り戻す為に冷気の世界をさまよい歩く。


「……あ」


 すると、軽快な音が突然やって来る。


「バッティングセンター……」


 規則的に鳴り響く軽快な音が何故か心地よい。


「やってやろうじゃない」


 勝手に思い出して、勝手にドツボにハマって。情けない自分をリセットできるような気がして、そうして私はバッティングセンターへ向かった。


13 :1 :2019/02/22(金) 12:29:13.99 :o3T9ndbd0

「おう嬢ちゃん久しぶり!」


 タバコ臭い通路を抜けて、バッティングセンターに辿り着く。
 アーケードゲームの騒音にたじろいでいると、受付のおじさんから声をかけられる。


「え……」
「ホームラン、期待してるよ!」


 無数の人が出入りするこの場所で、まさか無名兵士の私を覚えているとは……


「これ、見てみ……?」


 そう言って、受付横に貼りだされた紙をおしさんが指し示す。


「ホームラン男……」
「相変わらず奴は飛ばしまくってるぞ」
「……やってやろうじゃない」
「その意気だ! 期待してるぞ!」


 ホームラン男さん、月間TOP――その貼り紙を見て、私は闘志を燃やす。


「やってやるわ、ホームラン男――」


 まばらな客――私は意気揚々と120キロのブースに入る。
 コートを脱ぎ、ヘルメットを被り、バットを持って……小銭を入れてマシーンの起動を待つ。


14 :1 :2019/02/22(金) 12:31:55.42 :o3T9ndbd0

(――いいスイングしてるな)


 マシーンの起動音に合わせて、いつかの情景が脳裏で投影される。


「……くそっ!」


 諸々の記憶と、情けない自分を振り払うようにスイングするが、空振りやファールの連続で嫌気が差す。


(腰と膝を落として。スイングは腕じゃない、下半身でするんだ)


 分かってるわよ――誰かの言葉を拭い去るようにスイングすると、ライナー性の打球が右方向に鋭く飛んでいく。


(タイミングが遅い! ボールをよく見て、タイミングはもうちょい前だ!)


 ライト方向の打球、マシーンに差し込まれている。振り遅れていることは分かっている。ボールをよく見ろ。


(九回の裏、ツーアウト満塁! 君の一本でサヨナラだ!)


 分かってるわよ――マシーンの投球が真ん中からややアウトコースに逸れる。




「ホームラン! ホームラン! おめでとうございます!」




 先程のタイミングを修正しやや早めにスイングした。自分では早すぎたと思ったが、芯を捉えた打球は鋭く、ライナー性でセンター方向へ。右方向へ斜めに曲がっていった打球はそのまま「ホームラン」と記された枠組みの中へ吸い込まれていった……


「嘘……」


 打球は枠組みの中へすっぽりと入り、その後にホームランを知らせる機械的なアナウンスが。


(やるじゃねぇか。今日から君は『ホームラン女』だ!)


 客もまばらなバッティングセンターにアナウンスが響く。少し恥ずかしい。
 いつか誰かが言った言葉がリフレインのように何度も再生される……


15 :1 :2019/02/22(金) 12:35:28.27 :o3T9ndbd0

「嬢ちゃんやったね!」


 僅か数打席でホームランが出るとは――自分でも驚いて、呆然としていた。
 そうして投球は規定数に達し、終わりを迎え、フロアへ戻るとおじさんに声をかけられる。


「――これ、ホームランの景品ね」


 呆然としていると、おじさんからホームランの景品を渡される……ささやかなお菓子の詰め合わせだ。


「あと、これはおまけね」


 続いて、おじさんはそう言ってウインクをする。ホットの缶コーヒー。微かな温もりが冷えた手に染み渡る。


「――また来てくれよ! ホームラン女!」
「その呼び方は……」


 やがて、私はバッティングセンターを後にする。
 ホームラン男には追い付けない。だけど、いつかは近付くことができるだろうか。


「さてと……」


 バッティングセンターを出て、再び外へ。


(そういえば――)


 あの時も、私はやけになっていたわね……
 おじさんから貰った缶コーヒーをさっそく頂くことにする。
 少し温い缶コーヒーが、冷めた体に浸透していくのを感じる……

 秘書を解雇され、会社も辞めた私――自分を見失った私は、こうして連日の如く自暴自棄になり飲み歩いていた。
 そうして辿り着いたバッティングセンター。貯金も底をついてきていよいよ地元に帰ろうと思っていた時だ(なんだか負けた気がして帰りたくもなかったのだけれど)。


(今度は、君が打席に立つ番じゃないか? あんな風に――)


 そう言って私をアイドルの世界に誘ったのが、紛れもないホームラン男だ。
 あの時も酔っていたし、記憶は定かではない――きっと酔った勢いで洗いざらい吐き散らかしたのだろう。
 そんな私をあの男は全て受け止めて、「アイドルにならないか」と突拍子もないことを言ってのけたのだ。


16 :1 :2019/02/22(金) 12:38:55.56 :o3T9ndbd0

「あ……」


 缶コーヒーを飲み終え路地をさまよっていると、路地を横切る野良猫を発見する。



「猫ちゃ~ん……!」



 ええ、充分酔っていることは自覚しているわ。
 猫好きの癖に猫アレルギー……せめて近くでその姿を堪能したくて、私は猫の背中を追っていく。
 こうやって、私は名も知らない誰かに憧れて、そうしてそのおぼろげな背中をずっと追いかけている――


「ここは……?」


 野良猫を追いかけていくと、いつの間にか開けた場所に出る。


「花園神社ね……」


 ビル街の隙間にひっそりと鎮座する花園神社。喧騒に支配されている新宿でも、この場所は神秘的で荘厳な雰囲気を纏っている。
 雲の隙間から差す月明かり、鮮やかな朱色の本殿。いつの間にか雪は止んでいる……


「……」


 この場所には縁結びの稲荷神社や芸能の神を祀った芸能浅間神社もあるようだ。
 野良猫は見失ったものの、これも何かの縁と思って参拝する。
 初詣にしては遅すぎるけれど、こうやってちゃんとお参りしたのはいつぶりだろう……
 私を支えてくれる全ての人に幸せがあるように、その想いを込めて参拝した。


(わくわくさん、今度は君の番だ!)


 うるさいわね――あの男の顔がチラついて思わず笑ってしまう。
 寒空の下、誰もいない神社で参拝する女が一人……ほどほどにして、早々に神社を後にする。


(私、一体何をやっているのかしら――)


 酔って、やけになって、そうしてあのホームラン男の言葉に流されて、私はアイドルになっていた。二十代は後半のこの私が今やアイドル――誰が想像できただろうか。

 家族一同、もう呆れたのか何も言ってこない。孫の顔がどうとか、結婚はどうとか、そんなことを言われた記憶も今や昔――
 この私がアイドル……しばらくは詐欺か何かと疑っていたが、初対面こそ軟派な雰囲気を漂わせていた浅黒肌・彫りが深いホームラン男は堅実で、しかし斬新で、そんなプロデューサーにプロデュースされた私は一人のアイドルとして今ここにいる。

 あの男は私を芸能界に引きずり込んで、そしてあっという間にアイドルにしてしまった。それどころか今やアイドル業だけではなく、俳優として、はたまたバラエティタレントとして育て上げた。



 捨てる神あればなんとやら――嬉しさの反面、その裏であの言葉が染みついて離れない。


17 :1 :2019/02/22(金) 12:41:47.25 :o3T9ndbd0

「私は、一体――」


 裏方にいた私が、気付けば表に立っている。
 喜ばしいことだけど、果たして私はここにいていいのか――この時代、いわゆるアイドル戦国時代と呼ばれるこの時代。無数の人々が華々しいスポットライトの下に立つため日々研鑽している。地下アイドルにしても養成所の研究生にしてもそうだ。悲しいことに、その大半は日の目を見ることができずに夢破れる。


 一人のアイドルとして生きる私は、ひょんなことからアイドルになってしまったこの私は、努力してもなれなかった人々の想いを背負って舞台に立つ資格があるのか。


 もちろん、私自身何の努力もしてこなかったわけではない……様々な挫折を経てここまで来た。
 何が何だか分からないままあっという間に過ぎていった数年間だったけれど、今の仕事は楽しいし満足はしている……


 ただ、私がここにいていいのか――裏方の私が。


 その疑問が、拭いきれない。


「……」


 新宿駅へ向かい歩いていると、とある飲食店が目に入る。


「……富士そば」


 また、あの男の言葉が再生される。


(わくわくさん、君は『コロッケうどん』になれ!)


 そばと謳っている店で、何故かうどん……しかもコロッケうどんというニッチなメニュー……


「うるさいわね……」


 運動してある程度酔いは醒めたつもりであったが――まだ完全に抜けていない酔いを醒ますため、そして飲んだ後のシメを必要としている本能に従って、私は富士そばに入店した。


18 :1 :2019/02/22(金) 12:44:34.11 :o3T9ndbd0

「いらっしゃいませー」


 ふらふらと夜の迷子になっていたら、気付けば時刻はもう深夜へ向かっている。
 明日はオフとか、でも終電が――とか、どうでもいいような懸念がふわふわと浮ついた脳内でバウンドしている。それを無理やり彼方へ放り投げて、目の前の券売機に集中することに。

 富士そば……都内をはじめ首都圏の駅前で必ずといっていいほど目にする立ち食いそばのチェーン店。23区内であればもはや見つからない方が珍しいといった様相の超有名店である。
 立ち食いそばという名前からして、客層は男性が圧倒的だ。その中でもスーツを着たサラリーマンが大半を占める。時間に追われるサラリーマンというレーサーにとって、まさしくここはピットガレージといったところか……


(迷うわね……)


 立ち食いそばなので、券売機のラインナップもシンプルなイメージ――しかし想像よりも様々なメニューがあり困惑してしまう。これが朝の時間帯であったなら、私はたちまち後ろの客に弾き飛ばされているだろう。しかし今は金曜夜の深夜帯。私の後ろに客はいないのでじっくりと決めさせてもらう。幸い、店内にいる客もまばらだ。


(温かいもの、冷たいもの、それからご飯もの、サイドメニュー……)


 それに加えてセットメニューもある……これは迷わざるを得ない。


(天ぷらそば――いや、肉そばも捨てがたいわね。きつねうどんも美味しそう)


 シンプルに安いかけそばもいいけれど、それだけではどこか味気ないような……だったら、奮発してこのカツ丼セットは……? あら、この店舗には生ビールもあるの!?


「いらっしゃいませー」


 やってしまった。迷い過ぎて遂に後ろの客が来てしまった……


「……こうなったらヤケよ」


 私、今日だけでも何回「ヤケ」になったのかしら……


19 :1 :2019/02/22(金) 12:49:01.28 :o3T9ndbd0

「そばにしますか、うどんにしますか?」
「……うどんでお願いします」


 カウンターで食券を出し、店員さんにうどんをお願いしてようやく着席。立ち食いと謳っているが、この店もカウンター席がずっと並び座ることができる。
 私がまだスーツ組だった時、富士そばは何度か利用したことがあったけれど――あの時はこんな風に迷ったりはしなかった。


「お待たせしました。コロッケうどんとカツ丼と生ビールでお待ちのお客様―」
「ありがとうございます……」


 やってしまった……まだ酔いが残っているらしい……
 コロッケうどんにカツ丼に生ビール――これ、完食できるかしら。
 思えば私、何かに流されてばかりだわ……


「……いただきます」


 立ち食いそばで生ビール……完全におじさんまたはおじいちゃんじゃない。
 傍から見たら会社帰りのおじさん、もしくは競馬・競艇帰りのおじいちゃん――きっと悲壮感が漂っていることだろう。


「……ふふっ」


 完全に変人。酔いを醒まそうと入ったそば屋でアルコールを飲み、そして一人ほくそ笑む女……完全無欠の変人よ。


(わくわくさん、あんたは『コロッケうどん』になれ!)


 そうよ、あんたのせいよ――ホームラン男。
 あんたがコロッケうどんとか言うから、結局頼んでしまったじゃない。


「……」


 コロッケうどんになれ――だって? このコロッケうどんが私?


「……」


 まずはコロッケをひとかじり――うん、ごく普通のコロッケだわ。


(ただ、つゆを吸ってくたくたになったコロッケ――口の中でしんなりとほぐれて不思議な感触)


 例えるなら、それは先程まで降っていた雪のような……コロッケといえばパサパサなイメージがどうしてもあるけれど、つゆによってほぐれたそれが、口内でじゅわりと溶けて消えていく……

 後に残るのは衣の油――ただ、その油も余韻のようにどこか心地よくて。


(これは、なかなかいけるかも……!)


 ただのコロッケではない。このしょっぱいつゆの風味も吸っている。


(もう一口……いや、待って……!)


 間髪入れずもう一口――しかし、とある考えが浮かぶ。


(このコロッケ、つゆを吸っていい感じになっているけれど……)


 もう少し時間を置いて、更にくたくたになったコロッケを楽しむこともできるんじゃ……


(それに、今度はこのコロッケの油がつゆに溶けて、完全なる一杯が出来上がるかもしれない……!)


 コロッケうどん――恐るべし。


(可能性の化物ね……)


20 :1 :2019/02/22(金) 12:51:59.93 :o3T9ndbd0

 完全なる一杯が出来上がるまで、しばしの辛抱――うどんをいただきましょう。


「……ずずっ」


 うん、ごく普通のうどんね。コシもへったくれもない「ただの麺類」だわ。
 何の障害もなく呑み込めてしまう、麺という形状をとった炭水化物……それがこのうどん。


(さてと……)


 いや、まだ我慢よ――そうだ、ビールとカツ丼を忘れていたわ。


「カツ丼は……」


 ……うん、悪くない。美味しい。

 少しレトルト――というか、冷食のような感じは否めない。けれど、そばつゆか何かを出汁に使っているのか、まさに「そば屋さんのカツ丼」という一品。
 ほろほろのカツと、つゆが染みたごはん、とろとろの半熟卵――やわらかな、シルクのような口当たり。何のストレスもなく、名残惜しささえ感じてしまう。

 酔っているせいもあるけれど、一口が更なる一口を求めてしまうような、後を引くような美味しさ。女性として行儀が悪いかもしれないけれど、思わずかき込んでしまいたくなる。


「……ぷはっ!」


 カツ丼をビールで流し込む。ご飯ものとビールのマリアージュ、意外と悪くない――それどころか、最高だ。
 完全におじさん……だが、それでいい。


(まだ、コロッケはまだ我慢よ……)


 すかさずうどんを啜る。コロッケ、カツ、ビールという個性が強い組み合わせの中、唯一の無個性(失礼)。
 無個性かもしれないが、それでいいのだ。個性も主張が強すぎると喧嘩する。このうどんは言うなれば寿司屋のガリ、刺身のツマ――強すぎる個性をリセットし、新鮮な状態でリスタートする為のつけあわせなのだ。


(うどんをつけあわせと思える日が来るなんてね……)


 うどんを啜り、ビールを一口。そしてカツ丼を頬張り、更にビールで喉を鳴らす。


(圧倒的、背徳感……!)


 いいのよ。今夜くらい、いいでしょ……?
 周りにどう見られようが気にしない。深夜に食べて体重が増えようが気にしな――それは気にするかもしれないけれど。


21 :1 :2019/02/22(金) 12:54:45.08 :o3T9ndbd0

「……ふぅ」


 ビールジョッキを置いて、しばし休憩。


(たかが立ち食いそば、されど立ち食いそば――哀愁漂うこんな場所でも、それを必要としている人がいる)


 店内に流れる有線放送の演歌……そうだ、富士そばはこんな感じだったわね。


(あの頃は、こんな演歌なんて聞こえなかった)


 スーツを着て、仕事に追われ、残業終わりに立ち寄った富士そば……あの頃は、店内の演歌に聴き浸っているほどの余裕なんてなかった。
 何も聞こえなくて、ただ「誰かの為に」という一心で思考停止していて。安いかけそばで苦い思いを呑み込んでいた。
 誰かの為に――それも、今思えば私の独りよがり、ありがた迷惑だったのかもしれない。


(そういえば……どうして『コロッケうどん』なのかしら)


 休憩がてら、改めて考える……
 富士そばを何度か利用したことがあるといっても、このコロッケそば・コロッケうどんという存在を強く意識したのは今回が初めてだ。

 コロッケそばならまだ分かる――いつだったか、ワイドショーで立ち食いそばを特集していた。その中で「立ち食いそばマニア」なる人が、このコロッケそばを紹介していたのだ。

 なんでも、マニアにとってこのメニューは「ツウ」な一品らしい。様々な楽しみ方があるんだとか。一見するとアンバランスな組み合わせだけど、紐解いていくと実に奥深い、面白いメニューらしい。

 だから「コロッケそばになれ」と言われたとしたら、まだ理解できたかもしれない。
 しかし、彼が主張したのは「うどん」だった……


「……」


 答えに辿り着かない。手元のコロッケうどんに視線を落とす。



(いけない、そろそろ頃合いかもしれないわね)


22 :1 :2019/02/22(金) 12:58:14.56 :o3T9ndbd0

 今は食べることに集中しよう――切り替えて、コロッケに手をかける。


「……ッ」


 これは……つゆを完全に吸って、くたくたを通り越しグダグダになったコロッケ。


(……これは、好きだわ)


 箸で掴んだ瞬間、砂のお城のようにホロリと崩れるコロッケ。崩れたそれを掴んで口に入れると、もはや油とつゆが主成分となった物体が口の中で溶ける。溶けてなくなる。
 そしてコロッケの中身――じゃがいもの味も残っていて。それが微かに口内を漂って消える。


「……ッ!」


 すかさずジョッキに口をつける。
 合う、ビールに合う……ビール、飲まずにはいられない。


(もう一口といきたいけれど……)


 そこで、さっきの「ワイドショー」の記憶が蘇る。


(そう、まずはつゆを……)


 コロッケの油、いい具合に溶けているだろう。


(うん……! いけるわ……!)


 しょっぱいつゆに溶け込んだコロッケの油、コロッケの風味が口内を満たす。
 コロッケジュース――油と塩分、嫌いになる方が難しい。


(健康診断……? なにそれおいしいのかしら?)


 コロッケのうま味が溶け込んだつゆを飲み、二割がた残したところでストップ。


23 :1 :2019/02/22(金) 13:01:18.14 :o3T9ndbd0

(そして、これよ……!)


 ここで、辛うじて原型を保っていたコロッケをボロボロに崩す。
 なんだかもったいないような気がするけれど、これも「楽しみ方」の一つなのだ。
 くたくたになったコロッケと、グダグダになったコロッケは堪能した。後は、全てを崩して一緒くたにしてしまう。
 これこそ、コロッケうどんの真骨頂。鍋料理でいうシメである。

 崩れてボロボロになったコロッケのかけら。それが少なくなったつゆに混ざって、シメの雑炊のような形となる。
 コロッケうどんの全ての味がこのかけら一つ一つに完全に浸透しているのだ。濃縮されているのだ。
 そんなコロッケのかけらが、残ったうどんと絡み合い、更にそこへ……


(七味をかける……!)


 ああ、これで全ては整った……
 決して褒められた行為ではない。そんな、「ザ・底辺」といった様相の丼。
 だけど、これでいい――むしろ、この為にコロッケうどんはあるのかもしれない。
 これが意中の男性の前であったなら……しかし、今はそんなことはどうでもいい。


(これでいいのよ……!)


 華々しい夢はなくとも、最悪な見栄えでも――それを必要とする誰かがいるなら。


「……ッ!」


 そして、残ったうどんを一気に啜る……啜る。


(白飯、白飯が欲しい……!)


 不覚。目の前にあるのはカツ丼。
 カツ丼も美味しいけれど、この楽しみ方があるなら白飯にすれば良かった。というか、富士そばには単品ライスがなかったかもしれない……
 後の祭り――カツ丼を頬張る。美味しいけれど、カツ丼のカツが邪魔に思える日が来ようとは。


(よし、ラストスパートよ!)


 残り僅かとなったコロッケ雑炊うどん(意味不明)とカツ丼を一気に平らげ、最後のビールで総仕上げ。


「……ごちそうさまでした」


 空になった器をぼーっと見つめながら呟く。
 幸福の余韻が続く……この地球上に、これ以上の幸福があろうか。
 誰かの目にはみすぼらしく映るかもしれない。けれど、他人の幸福が自分のそれじゃないように、私には私なりの幸せがあるのだ。
 誰がなんと言おうと、これは私の幸せなのだ。その権利は誰にも奪わせない。


24 :1 :2019/02/22(金) 13:04:47.52 :o3T9ndbd0

「……寒っ」


 店を出て、今日何回目の定型句を漏らす。


(そういえば――)


 あの疑問は、結局解消されないままだ。


(私は、一体……)


 私はここにいていいのか。そして、「コロッケうどんになれ」の真意は……


「時間は……」


 腕時計をかざして見る。
 終電まで余裕はあるけれど――このままじゃ、どこか虫の居所が悪い。気持ち悪い。


「……乗り掛かった船よ」


 夜は長い。私の夜はこれから……どうせオフはダラダラと過ごしているだけだから、前日の夜をこうやって無計画に行動したって罰は当たらないでしょう。
 あの頃の私だったらこんなことはできなかった、しなかった……
 果たしてこれは心境の変化なのか、成長したということか、それとも――


「そうね……」


 スマートフォンで地図のアプリケーションを起動する。


「行きましょうか」


 こうなったら――都心ナイトハイクよ。
 体調管理を特に徹底しなければならない立場にいながら、この極寒の夜を一人歩く……まさに愚の骨頂ともいうべき行為。
 けれど、この夜を往けばどこかに辿り着けそうな気もして……このもやもやの終着点が見つかりそうな気がして。
 そうして私は国道20号をスタートし、ひたすら東へ向かう……


25 :1 :2019/02/22(金) 13:07:46.64 :o3T9ndbd0

 状況はどうだい 僕は僕に尋ねる 旅の始まりを今も思い出せるかい 




「……」


 少し手持ち無沙汰な感覚がやってきて、私はスマートフォンの音楽を漁る。
 イヤフォンを装着し、結局ランダムで音楽をかけた。


(こういう時に限って、好きな曲が一発目に来るのよね……)


 長らく聴いていなかった、ずっと好きだったあの曲が一発目でかかる。


(そういえば、今年の某駅伝大会のCMソングにも選ばれていたわね)


 名曲は色あせない。曲は一人一人の人生と共にある――イントロの一発目から様々な感情が蘇り、いつかの思い出が鮮明に投影される。
 車道を行き交うヘッドライトが走馬灯の役目を果たし、私という物語がぶつ切りとなってスライドのように切り替わっていく……
 こんな名曲のように、誰かの思い出の中でずっと、そっと、生きていけたなら……

 名曲は、それそのものが永遠の命だ。


「ここは――」


 20号を歩いていると、すぐ横に現れる新宿御苑。


(そういえば、ここで撮影したこともあったわね)


 もとは皇室の庭園だったこの場所は、今や日本だけではなく世界的にも有名な観光地となっている。
 私がまだアイドルになりたてだった頃、そういえばここで雑誌用の撮影をしたんだっけ……、
 あの時は確かあいにくの雨だった――けれど、「雨の御苑もなかなか乙でしょ」などとあの男は言っていたっけ。
 あの撮影を皮切りに、様々な物事がスタートした。



 選んできた道のりの 正しさを祈った



「四谷ね……」


 白い息が上がり、瞬く間に霧散する。
 御苑の横を通り過ぎ、四谷に入る……この時間帯、都心と言えども繁華街を過ぎれば人通りもまばらになる。
 そのまま四谷の街をひたすら歩く、歩く……たまに通り過ぎる人はみな足早、仕事帰りだろうか。
 そんな人たちを横目に、私は行き場所も知れずただ歩く。


26 :1 :2019/02/22(金) 13:11:57.09 :o3T9ndbd0

 色んな種類の足音耳にしたよ たくさんのそれが重なってまた離れて



「ここは――」


 四谷をしばらく歩いていると、やがて赤坂離宮、迎賓館が視界の彼方に映る。
 華々しい時代を象徴する豪華絢爛な建物。この国がどん底へ落ちてもなお生き残り、そして現在も堂々とした佇まいでここにある。
 雅な西洋建築――ハリボテではない歴史を抱えたその姿は、栄枯盛衰の真理を見る者に感じさせる。


(そういえば、バラエティ番組でここを見学したこともあったわね)


 昨今、ゴールデンタイムで流行っている教養・バラエティ番組。その収録でこの迎賓館の内部を見学したことがある。
 アイドルにならなかったら、この世界に入らなかったら、絶対に経験できなかったことだろう。



 寂しさなら忘れるさ 繰り返すことだろう
 どんな風に夜を過ごしても 昇る日は同じ



「ああ、そういえばここにあったんだっけ――」


 迎賓館を通り過ぎ、また少し歩く。

 上智大が所有する真田濠(さなだぼり)のグラウンドを過ぎ、外濠の池の前を横切り、なだらかな坂道を上っていると、横に現れたのはホテルニューオータニの入口。
 日本を代表する、日本の顔と呼べるような高級一流ホテルの一つ――その威風堂々とした面構えは、訪れた者に格式の高さをこれでもかと主張し、その圧倒的な存在感をありありと表している。


(そうそう、ここにも来たわね……)


 あれはアイドルになる前、職場関係の結婚式だった……このホテルで盛大に行われた結婚式――秘書になる前に在籍していた、もとの部署の仕事仲間の結婚式。

 特に親しかったわけでもないが、何故か招待状が届き――その流れに流されて参列した結果、これでもかと幸せを「見せつけられた」。いわゆる玉の輿結婚という様相で、王妃を気取ったような態度の新婦から「あなたも絶対に幸せになれるわ」と言われたあの日……同じく参列していたもとの同僚によれば、当時私をライバル視していたらしい。

 あの子は、今も幸せにやっているだろうか――


27 :1 :2019/02/22(金) 13:16:33.08 :o3T9ndbd0

 破りそこなった手作りの地図 辿った途中の現在地
 動かないコンパス片手にのせて 霞んだ目凝らしてる



「……」


 苦い思い出を振り切って、坂道を下る。
 硬いアスファルトの上をずっと歩いて、ブーツの中の足は微かに軋むようだ。




 君を失ったこの世界で 僕は何を求め続ける
 迷子って気付いていたって 気付かないふりをした




「……」


 坂道を下り、またなだらかな坂道を上り……城西国際大の横を通り過ぎ……新宿通りへ出る。


「麹町か……」


 新宿通りをずっとまっすぐ歩くと、程なくして麹町へ差し掛かった。




 忘れたのは温もりさ 少しずつ冷えていった
 どんな風に夜を過ごしたら 思い出せるのかな




「……皇居ね」


 そこも通り過ぎると、やがて開けた場所に出る。
 半蔵門――皇居の外濠だ。




 強く手を振って 君の背中にさよならを叫んだよ
 そして現在地 夢の設計図 開く時はどんな顔
 これが僕の望んだ世界だ そして今も歩き続ける
 不器用な旅路の果てに 正しさを祈りながら




(国立劇場……か)


 そのまま、皇居の外濠に沿って歩く……
 横に現れたのは国立劇場。伝統芸能をメインとした演劇が行われる劇場だ。


(舞台……)


 劇場という単語で思い出す――初めて出演した舞台や、稽古部屋での日々。
 この劇場に演者として立ったというわけではないが……、いつか、このような大きい舞台に立つことができるだろうか。




 時間はあの日から 止まったままなんだ 遠ざかって消えた背中
 ああロストマン気付いたろう 僕らが丁寧に切り取った
 その絵の名前は 思い出


28 :1 :2019/02/22(金) 13:19:49.94 :o3T9ndbd0

(ああ、そうだ――)


 皇居の外濠……日中はランナーが絶え間なく行き交うこの場所も、今はただぼんやりとした街灯が滔々(とうとう)と続くのみで、溜池の水面は水鏡となって摩天楼の幻想を映している。



 強く手を振って あの日の背中に サヨナラを告げる現在地
 動き出すコンパス さあ行こうか ロストマン



(私が辿ってきた道のり――私が残してきた足跡)


 気付けば、こんなにもある……
 何もないと思っていた、この私に。


(そうか、『コロッケうどん』の意味は……)


 一見するとニッチなメニューに見えるそれも、実はコアなファンが存在して。様々な楽しみ方があって、可能性があって……
 そして、そばではなくうどん――ツウな一品として今や広く知られたコロッケそばと、そばに比べればまだ知名度の低いコロッケうどん。
 裏を返せば「これから流行る」という可能性も秘めていて――そして、それを必要としている人もいる。


(つまりは……)


 例え今の私に華々しい魅力がなかったとしても、私には様々な居場所がある――そして、それぞれの居場所で輝ける可能性があって。
その様々な場所でベストを尽くせば、やがて煌びやかなステージに立つことができるかもしれない。


(そうか――答えはもう出ていたのね)


 私はここにいていいんだ。私には居場所があるんだ。


「私は、私のままでいいんだ……」


 外濠に沿ってずっと歩き、やがて皇居外苑へ。東京駅を通過して、大手町の駅に辿り着く。


「皮肉にも、この街へ来てしまったわね」


 高層ビルの街、そこで迷子になっていたあの頃……二度と来るものかと思っていた街。
 でも今は帰る場所があって、目指す場所もある。
 このビル街で迷子になっていた私――いつかの私と、今の私がリンクする。


「あなたは、あなたのために生きていいのよ」




 ここが出発点 踏み出す足は いつだって始めの一歩


30 :1 :2019/02/22(金) 13:27:10.86 :o3T9ndbd0

「――すみません、ちょっと職務質問いいですか?」


 大手町駅の前で立ち止まっていると、背後から声をかけられる。


「……?」
「アイドルがこんな時間にふらついているのはいけませんねえ」
「P(プロデューサー)君……」


 振り返ると、なぜかそこにはホームラン男――もとい、私のプロデューサーが。


「P君、なんで――」
「なんでも何も、わくわくさんがラインを鬼のように送ってきたんでしょ」
「……あ」


 スマートフォンのメッセージアプリを起動する。


「……」


 ああ、これは酔っているせいだわ――プロデューサーに宛てて、私が鬼のようにメッセージを送っている。
 ええ、これは酔っているせい……寒さで酔いが完全に覚め、自分の過ちにようやく気付く。


「わくわくさんがここに来るっていうから――プロデューサーとして放っておけませんよ、これは」
「……ごめんなさい」
「いいってことよ。幸い、俺は今日午後出勤だから」
「もし、午後出勤じゃなかったら……?」
「普通にスルーだな」
「――ちょっと」


 そう言って、私たちは笑い合う……


「ほら、行くぞ」
「え……?」
「そこに車止めてあるから。家まで送ってく」
「……いいの?」
「いや、ここまで来てダメって言ったらどうすんの。まだ始発までだいぶ時間あるのに」
「……ごめんさない」
「いや、謝らなくていいよ。俺が好きでやってることだし」
「ありがとう……」
「それより――」
「……?」
「わくわくさん――今日は何を作るの?」
「ぶち殺すわよ?」
「わぁ凄いっ!」


 ビルの隙間を吹き抜ける風――真冬の冷たい風なのに、何故か春の温もりを感じた。




 君を忘れたこの世界を 愛せた時は会いに行くよ
 間違った旅路の果てに 正しさを祈りながら
 再会を祈りながら


31 :1 :2019/02/22(金) 13:31:29.37 :o3T9ndbd0

「留美さん――」


 あれから数日経ち、所属事務所にて。


「楓さん? どうしたの?」


 同じ事務所に所属していて、同じくあのプロデューサーにプロデュースされているアイドル仲間の高垣楓さん――彼女に声をかけられる。


「聞きましたよ」
「……え?」
「留美さんも、結構お酒を飲まれるんですね」
「いや……あの、その話はどこから……」
「プロデューサーです」
「……」
「いや、実は私も思っていたんですよ――留美さんは絶対お酒を飲むお方だと」
「嗜む程度よ」
「なるほど……」


 これは全て私の失態である……あのプロデューサーでさえ根を上げたほどの酒豪、楓さんに声をかけられてしまうとは。
 なんとしても回避しなくては――


「では、さっそく今夜飲みに行きませんか?」
「いや、お仕事が……」
「私と留美さん、今日は一緒の現場ですよね?」
「……」
「大丈夫です。終電までには帰りますから」
「あなたの基準は一体どこにあるのかしら」
「最近、プロデューサーが一緒に飲んでくれないんです」
「それは……」
「留美さんとお酒を交わしながら本格的にお話してみたいです」


 飄々と不思議な雰囲気を漂わせている美女――しかし、そよ風のようにスッと懐に入ってくる彼女はどこか憎めない。


「思えば、留美さんとガッツリ飲んだことないですし」
「……しょうがないわね」
「やった……♪」


 今の私が正しい道を歩いているか……それは分からない。
 だけどここには愛すべき人たちがいて、愛する場所がある。
 だから私はここで生きる――未来でもなく、過去でもなく、今ここで生きる。



 いつか「これで正しかった」と、胸を張って言えるその日まで。








32 :1 :2019/02/22(金) 13:34:28.23 :o3T9ndbd0

なんとか最後までいけました、ありがとうございました。


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【SS速報VIP】【モバマス】 和久井留美「富士そばには人生がある」
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