2017年03月30日

【テレビ映画鑑賞】『アナと雪の女王』

一時期社会現象と言ってもいいくらいに大ヒットしたディズニー映画の『アナと雪の女王』がテレビで放送されていたので録画視聴してみる。
コンピュータグラフィックスの質は、当時のレベルから考えてもすごいというほどではないが、映画は映像美よりも物語の方が重要だと思うので、細かいことは気にしない。

冒頭、唄から物語は紡がれ、唄で世界の外郭や登場人物の位置づけや性格や心情が表現されていた。
このあたりの演出はとても素晴らしい。やはり音楽の力は偉大だと思った。
エルサ出奔のシーンくらいで冒頭のシークエンスは最高潮に達し、中盤は従来のディズニー映画らしい安定した内容となっている。
後半は雪だるまの献身のシーンが好き。あいつは表面上は冷たいやつだけど、根は頗るいいやつだ。
みんなが凍りつくあのシーンは、えっ?真実の愛ってそっちでもいいの?という意外な展開。だが、意外な展開にしたことにより、雪解けのシーンが自然な流れになっている。このあたりは計算されているのだろうか?
そして物語は当然あるべき帰結へとたどり着き、アナトエルサはありのままの自分で生きていくのだった。(ハッピーエバーアフター。)

『アナと雪の女王』は冒頭で私にとってのクライマックスが終わったが、総じて面白い映画だった。

テレビ版なので、エンディングはどうでもいい人々が映像と声で割り込む白けた映像が垂れ流される。
これもまた仕方のないことだと思った。

ちなみに「Let it go」は劇中歌でもある松たか子版の方が好き。


thanks_dude at 21:41|Permalink アニメ 

2017年03月28日

【ゲームの話】『地球防衛軍2 PORTABLE V2』

有料サービスのPS PLUSで、『地球防衛軍2 PORTABLE V2』が無料配信されていたのでダウンロードして遊んでみる。

『地球防衛軍』は、二年前くらいに同じくPS PLUSのフリープレイで『3 PORTABLE』をプレイした。『3 PORTABLE』が非常に面白かったので、せっかくだからその前作にあたる『地球防衛軍2 PORTABLE V2』もプレイすることにした。

『2P』は、基本的なルールは『3P』と変わらないが、幾分か作りが雑で、演出面でも洗練されていない印象。(加えて『3P』プレイ済みなので新鮮味がない。)

『地球防衛軍』は、もともとがシンプルなゲームで、開幕後に無駄に冗長な演出が挿入されたりなどしないし、ムービーシーンはごく簡素であっさりとしている。
だからプレイヤーは、すぐに戦場に放り出される。
この辺の潔い作りは、シンプルゲームの雄としてのノウハウが存分に生かされている。

突如として襲来した地球外生命体を一度は撃退した人類は、その脅威が未だ去っていないことを知り、愕然とする。
プレイヤーは地球防衛軍(EDF)の一兵士として、戦線に身を投じ、激戦の地球を生き抜くのだった。

このゲームは、次々と課されるミッションをこなしていくというステージクリア型のアクションシューティングゲーム。
兵種はいくつかあるが、私は一番使いやすい突撃兵(トゥルーパー)でしか遊んでいない。
突撃兵が装備できる兵装は二種類。
戦闘中にアイテムを拾うことにより、武器の種類は増えていく。
お気に入りの武器は、ロケットランチャーと誘導ミサイル。
ときどき至近距離で爆発して、爆風をもろに受け、自爆死したりもする。

シンプルなゲームシステムは概ね成功しているが、キャラクターの成長システムと武器種増加のシステムまわりが、ちょっと不満。
敵を倒すと落とすWEAPONやSEALDといったアイテムを拾わないといけないのだけれど、戦っている最中に全部拾っている余裕がないので、結局は敵を一体だけ残して最後に回収に回るというまどろっこしいことをしなければならないのが問題。これはステージクリア時に自動で回収されるシステムにしたら、もっと良いゲームになったのにと思う。(この辺は続編の『3P』でも改善されていなかった。)

物語の演出は、さすがに続編の『3P』の方が圧倒的に上。
『3P』の最終バトルは本当に胸が熱くなった。
『2P』はそこまでじゃないが、それでも名もなき英雄にでもなった気分には浸れる。

(プレイ時間は20時間程度)

総じて面白かったので、『地球防衛軍4』の購入も検討してみよう。(え?もうすぐ『5』が出るの?)


thanks_dude at 00:06|Permalink【ゲームの話】 

2017年03月27日

【DQX日記】残り火、その先の景色を。

音楽ユニットSalleyのうららさんによるラジオの発言で、DQXのWii版サービス終了を知った私は、何となくアストルティアでの冒険の日々を思い出していた。
それは、はじまりの季節の賑わいや、困難をくぐり抜けた先のカタルシスのことだった。

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神々である“運営者”から電子メールが届いていた。
その電子メールには、「カムバックさん限定 96時間フリープレイキャンペーン」のお知らせが記載されていた。
私は自分自身の中にある残り火を掘り出して、再びアストルティアに降り立つことにした。

DQXの良いところはバージョンアップのダウンロード中は、フリープレイの期間が加味されないこと。
長い手続きの末、私は再びアストルティアの地に降り立った。
昨年のカンバックキャンペーン時にも少しだけアストルティアに降り立ったが、あの頃は復帰したヴァナ・ディール(『ファイナルファンタジーXI』)に夢中でアストルティアで活動する余裕なんか少しもなかった。
そんなわけで約二年八ヶ月ぶりに彼の地に戻った。(それしか経過していないんだ。)

復帰して、とりあえず各種お役立ち機能のクエストをこなしつつ、ストーリークエストをこなしてみる。

前回冒険していた頃はレベルキャップが80だったので、まずは85までのレベルキャップ解放。
それから計らずも受注したメガルーラストーン入手クエストをこなす。
そしてドルボードにターボチャージャーを搭載。
さらにどうぐかばんを60個収納まで拡張。(以前は拡張する度に24時間待たされたものだが、今回は待ち時間無し、その場で拡張してくれる!!)
それでもアイテムは逼迫している。倉庫拡張クエストは二個目の倉庫で打ち止めなのか?ちょっとその辺の弱さは、このゲームの難点かもしれない。(FFXIは最終的にはわりと倉庫は充実していた。)

バージョン2.2以降のストーリークエストを攻略し、バージョン2.2のメインストーリーのパート2まで終了。



<バージョン2.2パート2まで>
(古い記憶は失われているので、パート1までの記述は適当。まあ、2.2の記述も適当だ。)
勇者姫アンルシアの兄トーマは、勇者姫を守るために生命を散らした。
アンルシアの導きの盟友たる冒険者は、真のグランセドーラ各地に起こる事件を解決しているうちに、トーマ王子の遺体がどこかに消えてしまったことを知る。

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冒険者は数々の冒険のくぐり抜け、魔元帥の後を追う。そしてトーマ王子が魔王マサデゴーラにより復活されられ、悪しき存在として使役されていることを知った。

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冒険者はアンルシアと協力して、魔の四天王の一画を打ち崩し、次なる冒険への準備を進めるのだった。

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現在のレベルは84だが、最終的に90までのレベルキャップを開放。

私は毎日課される日課にうんざりしてアストルティアを去ったけれど、日課を無視して物語だけ進めていれば、この世界はとても面白いと再認識させられた。問題は、この世界が冒険の区切りとなる時期に、必ずソロではクリア不可能な試練を課すこと。すでにバージョン2をプレイしている冒険者などいないだろうから、そこで躓きそうな気がする。それさえ何とかなるのならば、復帰してもいいのかもしれない。

キャンペーンの時間は96時間。
それが、純粋なログイン時間を意味しているのか、それともキャンペーンでログインを開始してから96時間ということなのかは分からない。
とりあえず行けるところまでは行ってみようかと思う。

今のところ本格復帰の予定はないが、バージョン4がリリースされる頃にはWindows版で復帰してもよいと今では考えている。

最後にSalleyのうららさんにちなんで、ニューアルバム『Clear』から「Wonderland」。

Wonderland
誰も見たことのない景色をいつか見てみたい

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隠れて笑うシマ模様の猫たち
出ておいでよ 怖がらず
夢を描こう♪

ということでシマシマキャット。

(つづく)


thanks_dude at 00:51|Permalink【DQX日記オンライン】 

2017年03月26日

【DQX日記】ひとつの黄昏

『ドラゴンクエストX』のニンテンドーWii向けサービスが終了するらしい。
そのことはSalleyという音楽ユニットで、ボーカルのうららさんが語っていた言の葉で今更ながら知った。

元々『DQX』はWii用のソフトウェアとしてサービスがスタートした。
それからWiiU、Windows、その他へとプラットフォームを広げてきた。

私は2012年8月2日のサービス開始時期から、その世界を旅していた。
その後、二年間私は大いなる惰性のまま冒険者としてアストルティアで過ごした。
こちら側の世界で、アイヌモシリ(北海道)を旅して帰って来た時期に、ちょうど『DQX』の課金が切れた。そしてすでに私があちら側の世界に興味を失っていることに気付いた。
Version1のシナリオはラスボスまで攻略した。
改めて調べてみると、Version2の進捗は、バージョン2.1までだった。

『DQX』のWii向けサービス開始から5年足らずでサービス終了というのは、同じくコンシューマ機を母体としてサービスがスタートした『FFXI』と比べるとずいぶん早いなと思う。
あの頃のWiiは次世代機のWiiU発売を控えていたので、世代交代の時期にあった。それを考えても粘りが足りないような気がする。そもそも『DQX』はオンラインRPGとしては後発で、『FFXI』ほどの成功を収めてはいないというのも大きいのかもしれない。(けして失敗はしていない。じゅうぶんに利益は上がっていると思う。)

『FFXI』は、初期プラットフォームでのサービスを14年間も続けた。そのPS2のサービスが終了したのは昨年3月末だった。すでにメインコンテンツのアップデートも完了し、物語も大団円を迎えていた。『FFXI』は、元々PS2専用として開発しており、むしろ他機種版を開発する際にそれが制約となっていた部分もあった。だが、処理能力はPS2は圧倒的に非力な為、ハードウェア的な課題は都度持ち上がっていただろうと推測される。加えてPS2ユーザーは大幅に減少していたんじゃないかと思われる。サービス終了時に残っていたのは、複数アカウントでPS2を使っている人くらいしかいなかったんじゃないだろうか?(ハードウェアの寿命の問題もあるし。)だからだいたいの冒険者はWindows版に移行していた。それでも14年間もサービスを続けていたことはすごいことだと思う。

昨年末に私がPS2版からWindows版へ移行した際、すでにPS2でレジストレーションコードを入力しているコンテンツについては、無料で移行できた。
『DQX』は移行する場合、レジストレーションコードを別途購入しないといけないらしい。そこまでしてあの世界に帰りたいだろうか。結局私は毎日の日課に追われるように過ごすアストルティアの生活に嫌気がさして冒険をやめてしまった。物語の続きは気になるが、もうあの生活に戻りたいとは思わない。(『FFXI』は結果的には無料で移行できたが、別途料金を支払ってでも戻りたかった。)

きっと両者の違いは、その世界の持つ熱量の質または大きさの違いなのかもしれない。

(まだつづく)


thanks_dude at 23:36|Permalink【DQX日記オンライン】 

【DVD鑑賞】『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を鑑賞した。

『マッドマックス』はたしか1980年代のオーストラリア映画だったと思う。
監督はジョージ・ミラーで、主演のメル・ギブソンはこの映画で一躍スターダムにのし上がった。

私は一作目や二作目のことはもうほとんど覚えていない。思い出すにはあまりに時間が経ち過ぎていた。
三作目となる『マッドマックス サンダードーム』は劇場で観たので、なんとなく覚えている。
ちなみに、このシリーズが多大な影響を与えた作品には『北斗の拳』がある。『北斗の拳』の世界観は、ほぼマッドマックスのパクり(インスパイア)と言ってもいいと思う。(扉絵とかマッドマックスまんまのものもあった。)

『怒りのデス・ロード』は、マッドマックスの最新作である。
監督は、一貫してこのシリーズのメガホンを取ってきたミラー御大。

主演俳優はさすがにメル・ギブソンでは厳しいので代替わりした。
物語が、シリーズの中の時系列のどこに挿入されるべきかは知らない。
元々マッドマックスは、どの時系列に別のエピソードを挿入しても問題ないような物語だった。

『怒りのデス・ロード』は、核戦争後の世界で繰り広げられるイカれた闘争の物語。
冒頭でいきなり何者かに拉致られたマックスは、荒廃した世界で大きな勢力を持つ悪玉の砦で、その戦士の輸血袋として活用されることになる。戦士たちはどうやら放射能の影響で白血病かなにかを発症しており、輸血袋が必要だったのだ。
その砦から進発隊が送り出される。隊長はキュリオスという女戦士。(おお、シャーリーズ・セロンだ。)
ヒュリオスは実は一計を案じていて、悪玉に捕らえられて無理やり花嫁にさせられた子供を産むことのできる女たちを連れて緑の大地へと導こうとしていた。
ヒュリオスの裏切りに気づいた悪玉は陣頭指揮を採って追撃部隊を繰り出す。
戦士の輸血袋として拘束されつつ戦場を引き回されるマックスは、開始30分以上少ししか見せ場がない。(笑)
案の定、マックスは拘束を解き、怒りのデス・ロードへと身を投じるのだった。

この世界観が何よりも魅力的だし、激しいアクションの連続で息もつかせない映画だった。
ジョージ・ミラーって何歳くらいなんだろうか?
とにかくミラーの若いもんには負けねえぞっていうくらいの気迫を感じる面白い映画だった。


thanks_dude at 01:22|Permalinkアクション 

2017年03月25日

渋谷利雄『祭りと社会変動 スリランカの儀礼劇と民族紛争』読了

■悪霊(ヤカー、ヤクシャ)および死霊(プレータ)

森、焼畑、村はずれ、三叉路、墓地、橋などは、悪霊や死霊に遭遇しやすい場所である。時間は、夕暮れ、深夜、夜明け前で、夕暮時が最も危険という。出会ったときには、呪文やわいせつな言葉、わいせつな態度で撃退する。


■パッティニ女神

船首の娘カンナギと王族商人コーワランの叙事詩。
コーワランが妾に財産を騙し取られて、妻のカンナギと共に街へと落ち延びて行った。コーワランが売ろうとしていた足輪が王宮から盗まれた物だと告発され(告発した奴が下手人)、コーワランは処刑されてしまう。カンナギはその事を呪い、街が焼き払われてしまえばいいと願った。コーワランの無実は証明されたものの、失われた生命は戻らない。カンナギは左の乳房を取り、それを街の一画に投げつけた。そこから炎が上がり、ブラフマー、善人、障がい者、老人、子ども、牛、その他まともな人々以外は焼き払われた。カンナギの命が尽きた頃、天は街に雨を降らせ、カンナギを神の序列に加えた。カンナギはパッティニ女神となったのだ。
乱暴に要約するとそんな話。


■ソカリ・アンマ

ソカリ・アンマとはシンハラ人による儀礼劇のこと。またその主人公となる女神の化身の名称。
儀礼劇の一座はゴイガマ(農業従事者が所属する階層。多数派。高位カースト。)が担う。
儀礼劇は、パッティニ女神の化身ソカリ・アンマとその旦那や従者、町医者などが登場する滑稽劇。滑稽さの中に通過儀礼と試練の克服などが描かれる。
儀礼劇の描写は、何となく日本の宮崎県高千穂町で見た夜神楽(私が見ることを得たのは観光客向けのもの)にも通じるものがある。


※パッティニはマイトゥレヤ(弥勒)とかボーディサトゥワ(菩薩)と呼ばれることはないが、弥勒とほぼ同じ役割を担っている。


■1983年に後の内戦に発展する事件。
契機となったのはシンハラ人兵士三名によるタミル人女性への暴行。その報復としてタミル人ゲリラはシンハラ人兵士を待ち伏せして十三名を殺害した。血で血を洗う応酬が繰り返されて、国家は内戦へと突入していった。


■まとめ
儀礼劇としてのソカリ・アンマの中に、まだ評価の定まっていない事象(シンハラ人とタミル人の対立の図式、社会的風潮、具体的な事件。)が取り込まれ、社会的意識となる。
一般的に祭りが騒乱や擾乱に発展することは多い。
植民地時代から大きな反乱やデモは、農閑期つまり祭りの行われる時期に起こっている。


thanks_dude at 16:48|Permalink【2017年遠い太鼓・セレンディップの旅人】 | 読書

2017年03月24日

途中下車で篠崎愛

今宵も川崎で途中下車。
ラゾーナを通り過ぎたら、篠崎愛がライブをしていた。
篠崎愛はグラビアアイドル。
禿治療 のCMでサムシングエルスの唄を歌っていたのが記憶に新しい。
時間があったので、ちょっとライブを聴いてみる。

聴衆は300人から500人くらい?
テレビに出ていても動員はこれくらいなのか。
アイドルってもっとお客を集めるものだと思っていた。
たまにしかテレビで見ない(私もそれほどたくさんテレビを見ているわけでもないが)から、彼女はこれくらいのポジションなのかもしれない。

篠崎愛は、テレビで見た通り、可愛らしい顔立ちをしていた。
アイドルなので、振り付けなんかもばっちり決まっている。
やばい、愉しい 。

唄が人類を救う莫迦げたアニメーション(でも大好き)を実写でやるとしたら、歌姫役は篠崎愛なんかちょうどいいんじゃないかと思った。

CDを一枚買うとサイン会、二枚買うとツーショット写真撮影という特典があるらしいが、そんなものに参加するのは恥ずかし過ぎるので、私は買い物を済まして足早に川崎駅を後にした。 続きを読む

thanks_dude at 21:23|Permalinkその他 

2017年03月22日

『moumoon BEST -FULLMOON-』リリースイベント @ラゾーナ川崎

moumoonがベスト盤をリリースするらしい。
数日前にそれを知った私は、その内容を確かめて見ることにした。

ええいッ!!
バリエーションが多過ぎて訳が分からんッ!!

ボーカルのYUKAがラゾーナ川崎でリリース記念ライブを行うとつぶやいていたので、会社帰りに川崎で途中下車をすることにした。

HMVに新譜を買いに行ったら、ここで購入してもイベント参加券は貰えないとのこと。
ルーファ広場の物販に赴くとBlu-ray同梱版は売り切れとのこと。

いやいやいや、数くらい確保しておけよ。

やる気のない運営と無駄にバリエーションを増やす商法に嫌気がさして、私は今日ベスト盤を買うのをやめた。

機会損失。

私のように気まぐれで天邪鬼な消費者が存在することも売り手側は考慮しなければならない。
ミュージシャンに罪はないが、別にベスト盤なんか本当は買わなくてもいいんだよとつぶやく。

改めてBlu-ray同梱版を買うかどうかは分からない。
つまりは「ジアンサー、 マイフレンド、イズブロウウィンインザウィンド。ジアンサーイズブロウウィンインザウィンド」としか答えようがない。

やがてリハーサルが始まった。
moumoonのライブは久しぶりだ。調べてみたら、2015年の12月以来だった。
ホールライブに物足りなさを感じる私は、基本的にホールライブが多いmoumoonのライブからは遠ざかっていた。
リハーサルでは、軽い感じで終わろうとしたが、袖からまだ不十分との指摘を受けたのか、今日は歌わない曲をやりますねと言って「flower」なども歌っていた。
風邪気味の私は缶ビールを片手にそれを見ていた。
まったりとした雰囲気の中でリハーサルは終了。

午後六時三十分、定刻通りにライブは始まる。
YUKAが、生身の体でお会いするのはお久しぶりですと話す。
どうやらmoumoonは、配信ライブは別にして、ここしばらくライブをしていないらしい。
そしてYUKAが、元気よく楽しんでいってくださいと言う。

一曲めは「 I Say You Say I Love You 」。ゆったりとしたやわらかな音。
二曲めは「YAY」。moumoonは心から久しぶりのライブを楽しんでいる様子。
三曲めは「シンデレラ」。
昨日の雨のこと。今日じゃなくてよかった。あんな雨の中で昨日東京に開花宣言がだされたこと。そんな話をする。
四曲めは「Sunshine girl」。きらきらとした唄。
待たせてごめん。待っていてくれてありがとう。伝えたい言葉はたくさん。新しい曲は、待っていてくれたみんなが走ってきてぽよんって抱きついてもぎゅってしてあげられるような曲になりました。
五曲めは新曲の「夕轟(ゆうとどろき)」。たしかにやわらかさとあたたかさを内包した唄だった。

今宵のmoumoonのフリーライブは、ギターとトラックメーカーのマサキもボーカルのYUKAもゆったりとまったりと丁寧に言葉を紡いでいたので、全部で四十分くらいのステージだった。
私はやわらかな月の光に抱かれるように、その美しい音に沐浴し、充足した気分で川崎の街を後にした。


<セットリスト>
01. I Say You Say I Love You 
02.YAY
03.シンデレラ
04.Sunshine girl
05.夕轟


thanks_dude at 22:21|Permalinkmoumoon 

2017年03月21日

【ゲームの話】『影牢 もう 1人のプリンセス』(PS Plus)終了

PS4用の『影牢 もう1人のプリンセス』を終了した。
これはPS Plusのフリープレイとして配信されているもの。(2017年3月)

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『影牢』というシリーズは、元々プレイステーションの頃に開発された『刻命館』というゲームを祖としている。
ゲーム内容は館に迷い込んだ人々や館に魔女狩りや魔物狩りにやって来た冒険者や勇者様を、華麗なる、あるいは残虐なる、あるいは屈辱的なる罠に嵌めて殺害するというインモラルなゲームだった。
タイトルが『影牢』になってから、ゲームシステム的にもプログラム的にも洗練されたという印象がある。

最新作の『影牢 もう1人のプリンセス』は、前作『ダークサイドプリンセス』に追加要素を加えて、再調整した商品らしい。

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最初、あまりよく分からずに、ゲームモード選択画面の一番上にあった「クエストモード(ナイトメアプリンセス)」の方を進めてみた。
クエストモードは、基本的にはひと部屋がバトルフィールドであり、クエストクリアのための細かい条件が設定されており、制限時間も存在する。
比較的短い時間で終わるワンマッチバトルを楽しむといった内容だった。
だが達成率が50%を超えたあたりで、クリア条件が初心者には厳しく、なんだかうんざりしてしまった。

影牢 〜もう1人のプリンセス〜_20170313215335

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それから「ストーリーモード(ダークサイドプリンセス)」を進めてみる。
どうやらこれが前作の『影牢 ダークサイドプリンセス』本編らしい。
こちらの方は、特にクリアに条件はなく、妙な足枷を感じることなく楽しむことが出来た。
ただ、侵入者(敵)の動きが、とてもいやらしいし、中には超回復をして、いくらダメージを与えても、油断をするとすぐに回復してしまうやつまでいる。
だんだん面倒臭くなってきたので、最後は「チャージゼロ」(罠設置後、即発動可)のスキルで、単純な罠のコンボで嵌め殺しに終始した。
ストーリーモードはいくつかの部屋を行き来しながら、侵入者を迎撃するので、部屋の間の扉の前に「テツクマデ」を配置して、「ムービングチェア」と床トラップか天上トラップのコンボだけで×ボタンを連打していれば、よそ見をしていても殺害できる。これに脱衣系のトラップを絡めると、鎧も脱がせるのでとても有効。(これは×ボタン連打に厭きなければ無限コンボとなる。私は900コンボくらいで厭きた。)
物語終盤は、侵入者の体力も高く、やつらはトリッキーな動きをしたり嫌な魔法を放ってくる。それらを捌くのが非常に面倒なので、ほぼ作業として無限コンボを実行した。(大味なゲーム)
ストーリーは、それほど面白くもなかった。魔神の娘が魔神復活のために闇のサーバント的な三人の魔女と共に館に訪れる有象無象の人々を虐殺するというもの。わりと取ってつけたような話。

ストーリー分岐があり、四種類のエンディングをコンプリートした。
一個目のエンディングでもうじゅうぶんな気もしたが、脱衣系トラップの解放ができたので、続けてみた。(特定キャラクターのアーマーブレイクが分岐条件。)

キャラクターに関しては、ストーリーモードの三人の魔女がどうにも好きになれなかった。とりわけ「キュフー」という奇声を何度も発する子どもには辟易した。こういうのがいわゆる媚びたキャラクターなのだろうか?そちらの趣味がないのでよく分からない。

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クエストモードは面倒臭いからもういいかと思っていたが、ストーリーモードを終えてからだと、意外にも少しずつだがクリア可能なクエストが増えていった。(前半部では「チャージゼロ」の有用性に気づいていなかったことが一因。)
中には非道い条件のクエストもあるにはあったが、それは全体から見たらごく微量だった。(本当に非道いのはひとつだけだった。それは初代『影牢』主人公のミレニアを使用して部屋の仕掛けを四つ当ててから特定の仕掛けで殺害するというクエスト分岐条件。No.56。ミレニアは一度に設置できる罠がわずか四つで、かつ「チャージゼロ」のスキルもない。とても面倒。)

ストーリーは、ナイトメアプリンセスことヴェルギリエが、自らの統べる悪夢の世界に迷い込んだ人々を、容赦なく殺害していくというもの。
クエストを重ねるごとに、物語の真相は明らかになり、エンディングは二種類存在した。
100のクエストをすべてクリアして、ふたつのエンディングに到達して、このゲームは終了。

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クエストモードを終えてみて、このモードのゲームバランスが理にかなったものだということが分かった。
ストーリーモードではプレイスタイルによっては大味なゲームになってしまいがちだったシステム的欠点を、クエストモードでは補おうとしているのかもしれない。

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鎧を引ッ剥ぐと、下着姿のようになるのは、同社の対戦格闘ゲーム『デッド オア アライブ』シリーズのノウハウが生かされているのだろうか。とても莫迦莫迦しく、とてもコミカルだ。だが、せっかくのダークな世界観をぶち壊しているとも言える。

最後まで遊んでみた結果、ちょっと苛々することもあったけれど、総じて面白いゲームだったと言える。

プレイ時間は44時間ほど。


thanks_dude at 23:54|Permalink【ゲームの話】 

2017年03月20日

三連休は風邪で終わった

何年かぶり(それ以上かも)に風邪らしい風邪をひいている。鼻がつまって仕方がない。
昨晩に長い眠りから目覚めたので徹夜をした。
昼過ぎから頭痛が非道くなってきた。
若い頃によく襲われていた偏頭痛も、もう十年くらいぶりなので、家に頭痛薬なんてものはない。

とりあえず、ビタミンを生野菜から摂取して、後は自然治癒力で何とかするしかない。
昼過ぎに、明日からの弁当を作成する。
外からは鶯の声が聞こえる。
改めて考えると、私が鶯の麗しい声を聞くのは、今年はじめてだ。
(たぶん二月くらいから鳴いていたのだろうが、私のアンテナの受信力が弱すぎた。)

夕方になって、だいぶ頭痛も落ち着いた。
レンタルDVDを返しに行かないといけないのだけれど、まだ頭痛はふいに暴れ出しそうになるので、出かけるのは億劫だ。
今日が返却日だが、明日の朝に返却ポストに入れておけば大丈夫。


thanks_dude at 19:29|Permalink気が狂う程まともな日常 

【DVD鑑賞】『世界にひとつのプレイブック』

この作品でジェニファー・ローレンスがアカデミーなんとか女優賞(主演と助演どっちだったかは定かではない。)を受賞したというくらいの予備知識で鑑賞してみたら、主演男優は一緒に借りた『ハングオーバー』シリーズのブラッドリー・クーパーだった。

予備知識はなく、勝手にストレートな恋愛映画なのかと思っていたら、主人公が躁鬱病でヒロインも精神的に問題を抱えているという変化球的な恋愛映画だった。

主人公は元々躁鬱の兆候を抱えていた。それでも教師としてうまく生きていた。だが妻が自宅で歴史教師のじいさんと浮気をしているのを目撃したときに何かが弾けて、彼の理性は吹き飛んだ。彼は裁判を受け、妻への接近禁止命令が出され、療養施設でのリハビリテーションを余儀なくされた。彼は妻との復縁を異常なほどに強く望んでいるが、そもそも接近禁止命令が出されている時点で、そんなことが難しいことは周囲からは分かりきっていた。

なかなかジェニファー・ローレンスが登場しないので、彼女はきっと助演女優賞を受賞したんだなと思っていたころに、主人公の友人の義妹という役で登場した。ヒロインは、旦那を亡くしたショックで誰とでも寝てしまうという問題を抱えた未亡人だった。

問題を抱えたふたりは、はじめは反発するものの、奇妙な流れから社交ダンスのパートナーを務めることになり、気がつくとお互いにとってお互いがよき理解者となっていた。

ただし、主人公は妻と復縁しなければならないという妄執にも似たオブセッションを抱えているので、物事はそんなに単純には進まない。
後半は、これに親父(デ・ニーロ)の悪い病気であるギャンブルの問題(この親父相当ヤバい。)もからまり、物語の奇妙さは加速される。

ちょっと奇妙なシチュエーションの恋愛映画だが、もはやあらゆるシチュエーションが出尽くしているのだから、こういう変化球があってもいいと思った。

ちなみにジェニファー・ローレンスは、この映画で主演女優賞を受賞したらしい。


thanks_dude at 00:31|Permalink恋愛 

2017年03月19日

I Catch a Cold

風邪をひいた。
昨日は37度に届かないくらいだったのに、さっき計ったら37度7分だった。
鼻づまりが非道い。鼻かぜをひくのはとても久しぶりだ。
気分はよくはないが、熱がなかったらジョギングにでも出かけようと思っていたくらい。
酒はいつものように飲む。
食欲はそれほどない。
結局、今日はほとんど寝て過ごした。トータルで十五時間くらい寝てたかもしれない。鼻呼吸ができないので、非常に口の中が渇く。
昼夜逆転の生活になってしまった。
明日は祝日だけど、月末なので会社は休めないから、明日で治さないと。
ツタヤにレンタルDVDも返しに行かなきゃならないし。


thanks_dude at 23:47|Permalink気が狂う程まともな日常 

2017年03月18日

【DVD鑑賞】『ハングオーバー!!!最後の反省会』

『ハングオーバー』シリーズの三作目にして完結編。
第一作も第二作もいまいちノリ切れなかったが、ついでなので最後まで付き合うことにした。

一作目、二作目と同じことの繰り返しだったが、三作目はまったく異なる構図だった。
前作までは冒頭にバチェラーパーティーがあり、史上最悪の二日酔いを明けてから物語が展開されるのだが、今作では導入部はぶッ飛んではいるが落ち着いたものである。

冒頭で言うと、ビリー・ジョエルの『My Life』が素晴らしく効果的に使われているのがよかった。
このシリーズで初めて頗る笑った。

誰に何を言われたって構うもんか。
こいつは俺の人生だ。君も好きに生きるがいい。

かの名曲の後ろではたいへんなことが起こっており、そのコントラストが最高に笑えた。

全体的に見ても、個人的にはシリーズでいちばん面白かったと感じる。
まったく期待をしていなかったから、これは嬉しい驚きだった。

要するにこのシリーズは、イカれた中年ニートのデブの成長物語で、トリックスターのイカれたチャイニーズの暗躍の物語だった。

ハングオーバー(二日酔い)というタイトルは、最後のシーンで溜飲を下げられて、私は素直に笑った。

ただし、私が面白いと思ったのは、私にとっては一作目がつまらなかったからであり、一作目とは毛色の違う三作目は、一作目が好きな人にとってはつまらないと感じるのかもしれない。


thanks_dude at 00:30|Permalinkコメディ 

2017年03月17日

『スリランカを知るための58章』読了

『スリランカを知るための58章』という本を読んだ。
この本には、スリランカの横顔を歴史や民族や風俗など様々な観点から噛み砕いた細切れの文章が収録されている。
時々退屈に感じることはあるが、スリランカのことなど何も知らない私が読むにはちょうどいい本だったのかもしれない。

<心に留めおこうと思った記述、あるいはそれに対するちょっとした感想>

植民地時代にプランテーションが成立した。
それは西洋人がもたらした彼らが利益を得るためのビジネスモデルだった。
元々シンハラ人の多くは土地所有という考え方を持たなかった。
ポルトガル人は、ほとんどの土地を接収し、そこにはプランテーションが築かれた。
国民の多数を占めるシンハラ人よりも、少数派のタミル人の方が社会的な地位は低いとされていた。
ゆえに賃金もシンハラ人の方が高く、雇用主に対して要求するべきところは主張した。
要するに彼らは扱いづらい雇用者だった。
西洋人は、安価な労働力を確保するために、タミル人を多く雇った。

時代は流れ、支配者がポルトガルからオランダ、オランダからイギリスへと変遷していった。
タミル人はプランテーションで働くうちに、西洋人の言葉を習熟していった。金を貯め、中には土地を購入するものも現れた。
シンハラ人が気が付くと、多数派であるはずの自分たちが少数派であるタミル人よりも下位にあり、しかも数的優位すら脅かされている。
そうして、シンハラ・ナショナリズムという考え方が擡頭し、民族的な軋轢が生まれ、スリランカは血で血を洗うような内戦へと突入していくのである。

ちょっとこの辺りの人種・民族間の軋轢が生成される経緯は、起点となる事象に違いこそあれ、ユダヤ人と西欧人との関係に似ていると思った。


アダムス・ピーク(サマナラカンダ)は、それぞれの宗教から聖地とされている。
仏教徒にとっては、スリーパーダ(仏足蹟)。
ヒンドゥー教徒にとっては、シヴァパーダム(シヴァの足跡)。
ムスリムとキリスト教徒にとっては、アダムの足跡。
一部のキリスト教徒にとっては、十二使徒トマスの足跡。
残念ながら私はスリーパーダには訪れない。交通の便が悪いらしく、ここを訪れるためにはいくつかの場所を諦めないといけないので断念した。二週間くらい滞在できれば、この山にも登れたのだけど。

2004年12月26日のスマトラ島沖地震とインド洋大津波からの復興。スリランカでは死者行方不明者あわせて四万人の人が犠牲になったという。元々スリランカは地震のない国で、記録に残る歴史上では大きな津波の被害を受けたことがなかった。(同じ島国でも日本とは全く違う。)それゆえに住民の心構えも災害に対する備えも十分ではなかった。太古より津波という災厄に度々さらされてきた日本でさえ、数百年から千年に一度の規模の大津波の前では、為す術もなく多くの生命を失う結果となってしまった。スマトラ島沖地震では、被災地全域で二十数万人が犠牲になったと言われている。あの当時、私はその数字に圧倒されて戦慄した。本当にそんなことが起きるなんて信じられなかった。それはもはやただの観念的な数字ではなく、具体性を持った脅威だった。それから2011年3月11日に東日本大震災が起こったとき、日本にも同じような災厄が襲ってきたのかと思い、驚愕し涙した。

1983年から約四半世紀にわたって続いた内戦。元々シンハラ人の暴動がエスカレートしてタミル人を無差別に殺害にするに至った事件を契機にして国内は内戦状態に突入した。戦闘は激化し、追い詰められたタミル・イーラム解放の虎が「人間の盾」という手段を講じたこと。少年兵問題。政府側の猛攻。そこで犠牲になった民間の人々。スリランカは私の想像していた以上の闇を抱え、人々はその闇と戦ってきたのかもしれない。

北東部や南東部に街ではシンハラ人よりもタミル人やムスリムの方が人口比率が高いことも多いというのが意外だった。(シンハラ人の方が少数派という国内の比率との逆転現象が起きている。これも内戦の影響か?)

キャンディは内陸部にあり、コロンボなどの港湾地区と違って、西欧の影響が比較的少なかった。ゆえに西洋文化やキリスト教に対抗するための一種の旗印のようなものになった。ガイドブックなどに「もっともスリランカらしい都市」として紹介されているのには、そういう裏があるらしい。

ヌワラエリヤのプランテーションの下層労働者の生活は観光客には見えないが、それほど恵まれたものではない。狭い長屋に一家が暮らし、女性は朝から晩まで家の内と外の仕事をこなさなければならない。

トリンコマリーとコロンボは太平洋戦争期に日本軍の爆撃を受けた。重要施設を狙ったのだろうが、この時期の爆撃はほぼ無差別爆撃。そんなことを意識する日本人観光客はごく少数だろう。

これは他の本の方が詳しく書いていたことだが、太平洋戦争後、セイロン(現スリランカ)代表のジャヤワルダナ氏がサンフランシスコ講和条約の際に、日本の処遇について、興味深い(そして日本人とっては有難い)スピーチを行った。

<以下要約>

我々の被った被害は甚大で、損害賠償を請求してもよいくらいのものでした。

ですが…

我が国はそうしようとは思いません。何故なら我々は大師の言葉を信じていますから。
大師のメッセージ、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」はアジアの数え切れないほどの人々の生活を高尚にしました。

仏陀のメッセージこそが、人道の波を南アジア各地及びセイロンに伝え、そしてヒマラヤを通ってチベット、中国へ伝え、最後には日本へ伝えました。これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。この共通文化は未だに在続しています。それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。又日本の様々な階層の人々から、日本の普通の人々は今もなお、仏陀の影響下にあり、それに従って生きようと願っているのを見つけました。我々は日本人に機会を与えてあげねばなりません。
だからこそ我々は、ソ連代表の主張する日本の自由が制限されるべきであるという見解には賛同出来ないのです。


thanks_dude at 23:07|Permalink読書 | 【2017年遠い太鼓・セレンディップの旅人】

【ゲームの話】久しぶりにPS Plus

ソニー・コンピュータ・エンターテイメントが運営するPS Plusというサービスは月額500円かそこらで、各種サービスを提供してくれるというもの。
私にとって一番食指が動かされるのは、ちょっと古いパッケージ版のゲームをフリープレイという形で配信してくれること。
例えば一年前くらい前にリリースされた6,000円くらいのゲームを、PS Plusに加入している間は、思う存分にしゃぶり尽くすこともできる。

三月のフリープレイの目玉商品は、『バイオハザード アンブレラコア』と『影牢 もう一人のプリンセス』というゲームだった。
『アンブレラコア』の方は、昨年リリース時に、本気でパッケージを買おうかと悩んだが、結局『FFXI』で忙しかったので購入を見送った。
『影牢』の方は、昔PSでプレイして面白かったのは覚えているが、新作にはそれほど興味が無かった。

PS Plusの加入権は1ヶ月でよかったのに、手続き時に途中でエラー画面が出たので、もう一度やり直したら2ヶ月分の手続きが通ってしまっていた。
自己責任だが騙された感は残る。金銭面は別にいいんだけど、これに加入していると配信されるゲームをやらなきゃいけないというオブセッション(強迫観念)が生まれるから嫌なんだよな。
結局、VITAでプリープレイの『地球防衛軍2 ポータブルV2』(タイトルうろ覚え)もダウンロードしちまったし。

さて、さっそくプレイしてみる。
まずは『バイオハザード アンブレラコア』から。

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■バイオハザード アンブレラコア

これはほぼオンライン専用ゲーム。バトルアクション。

【物語】
物語はない。事前設定があるだけ。
正直なところ、物語が何もないならバイオである必要はないと思う。

【感想】
わりと大味なゲームという印象。
ゲーム自体も、3人対3人でバトルゲームを短い時間遊ぶと言ったもので、長くプレイする必要性を感じないものだった。
実際に遊んでみると時間を忘れるくらい楽しいが、何となく不毛な印象。

昨年のリリース直後から残っている人ってどれくらいいるのだろうか?高レベルの人はベテランだと思う。フリープレイ開始直後の今はルーキーの方が多い。マッチングシステムが完全にランダムなので、一方のチームにベテランが偏ったりして、とてもバランスが悪い。このあたりはもうちょっと調整できればいいのに。

総合的な結論は、これは発売日に買わないで正解だったという感想。これは500円のフリープレイでじゅうぶんだ。

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■影牢 もう1人のプリンセス

とりあえずの寸感。
前作『影牢 ダークサイドプリンセス』の本編丸々と、追加要素の『もう1人のプリンセス』が入っている。
ダークサイドの方は中盤のはじまりあたりまで。敵が超回復してうざい。
もう1人の方は、クエストモードを半分以上こなした。クエストごとにクリアの為の課題が設定されており、クソゲー臭がする。

素材はとてもよいのだけれど、敢えてプレイヤーを楽しませない要素をふんだんに盛り込んでいる感じは否めない。

いつからゲームってこういうベクトルに向かうようになってしまったんだろう。
PSの『影牢』の方が純粋に楽しかったと思う。


thanks_dude at 00:35|Permalink【ゲームの話】 

2017年03月16日

【テレビ映画鑑賞】『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』

HDDにずっと前に録画した『ハングオーバー』の続編が入っていたので鑑賞。
このシリーズの邦題はエクスクラメーションマークの数でナンバリングを確認すればいいらしい。
原題は『THE HANGOVER II』なんだから、そのままワン、ツー、スリーにすりゃあいいのに……迷惑な話だ。

前作はすっきりイケメンが消える花婿で、セクシーイケメンとメガネとデブが花婿を探すという話だった。
今作はメガネがタイ系アメリカ人と結婚することになったので、一行は挙式の為にタイへと赴く。
前作の構図はそのままに、皆が記憶を失くしたバチェラーパーティーの翌朝に、今度は花婿の義理の弟(つまり花嫁の実弟)が消えるという話。

基本的にやっていることは前作と同じ。
セクシーイケメンとメガネとデブが、消えたアジアンボーイを探して東奔西走する。
前作の花婿が物語の蚊帳の外という構図も同じ。

舞台が変わっただけの前作と同じような話が展開される。ゆえに正直なところ新鮮味はない。
前作にはそれほど嵌まらなかった。
前作と同じようなスタンスで、ちょっと白ける部分もなくはないが退屈せずに今作もそれなりに楽しんだ。
そんな映画。

さて、せっかくだから『最後の反省会』まで付き合おうかな。
さらにつまらなくなっている可能性は大だけど。


thanks_dude at 22:01|Permalinkコメディ 

2017年03月15日

【DVD鑑賞】『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』

『ハングオーバー』という映画が面白いらしいと聞いたのはだいぶ前のこと。
中田映画祭(友人宅でDVDを見る個人的な会)の時のことだったろうか?

なんとなく観る機会を逸して、今頃になってこの映画を鑑賞することにした。

レンタルの店の棚には『ハングオーバー』というタイトルでいくつかの作品が並んでいた。ナンバリングはされていない。ひとつのヒットタイトルがあると、似たような作品の邦題はそれに寄せる傾向が日本の映画DVD業界にはあるので、類似作品を掴まされないように注意しなくてはならない。どれが正当な作品なのか私には分からず、たぶんこれだろうと思って、『消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』というサブタイトルのやつを借りてきた。
結局、借りてきたサブタイトルのものが正当な作品で、それがこのシリーズの一作目で、他のは類似作品ではなく正当な続編だった。

『ハングオーバー』とは二日酔いという意味。西洋のいくつかの国には、新郎が独身最後の思い出に、友人たちと一緒に羽目を外して、大騒ぎをするという習慣があるらしい。
それはバチェラーパーティーと呼ばれており、その昔トム・ハンクス主演で『独身SaYoNaRa! バチェラー・パーティ』とかいう映画が製作され、日本ではよく深夜に放送されていた。
『ハングオーバー』はバチェラーパーティーの翌朝に、新郎の友人たちが目覚めるとホテルのスウィートルームに新郎の姿はなく、部屋は滅茶苦茶になっており、おまけに彼ら自身の記憶もないという状況から消えた花婿を探すという話。

とても下劣で品の無いジョークを満載したコメディー映画。
下ネタも満載で中には中学生レベルの笑いも含まれている。
それなりに笑える。『TED』よりジョークは面白かった。だがそれなり止まり。大笑いはしなかった。
物語が単純なので、物語的な面白さはほぼないし、捻りも効いていない。
だが最後まで興味を失わせずに観せるだけのパワーはあると思う。(勢いだけの気がしないでもないが。)

序盤で登場人物が911のテロをジョークにしていたが、これにはちょっと眉を顰めてしまった。このジョークで笑う精神性を私は持ちあわせていなかった。(昔、ボストンマラソンのテロを冗句にしている人がいて、私はその人をひどく軽蔑したことがある。親会社のどこかの部署の偉い人なので心の奥で穏便に。)

アメリカではこの手のジョークに対する批判って行らないものなのだろうか?
むろん過度の検閲は好ましいものだとは思わない。(むしろ憎むべきだ。)

チャールズ・チャップリンがヒトラーをコメディーにしたとき、あんなろくでもない独裁者を映画にするなんて何事だという批判があった。そのことで彼はハリウッドを追われた。だが、チャップリンは、「あんなやつはみんなで笑いものにするしかないんだよ」と考えていた。チャップリンの主張は正しいと思う。だからハリウッドはだいぶ後になってチャップリンに謝罪した。

きっと『ハングオーバー』の監督には、チャップリンほど高尚じゃないにしても、その人なりの主張もあるのだろう。
だから細かいことはもう気にしない。

そういうことを差し引いても、この映画はちょっと面白いくらいのコメディー映画だった。


thanks_dude at 22:01|Permalinkコメディ 

2017年03月12日

村上春樹『騎士団長殺し 第二部 遷ろうメタファー編』読了

その昔、隠喩と明喩の違いを講釈してくれた映画があったような気がする。(その定義は理解しているつもりだったが、私にはそのことについて深く考える必要がなかった。)映画のタイトルは忘れてしまった。主人公は高校の教師で、授業の中のワンシーンだったような気がする。(
これは今回の記事とはあまり関係がないが、皮肉という言葉の定義を改めて考えさせてくれたのは『リアリティ・バイツ』という映画だったような気がする。
そういう意味では、映画は私にとって教師であった。

まあそんなことはどうでもいい。

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村上春樹の新刊『騎士団長殺し』を読了した。

第一部の「顕れるイデア編」は、リアリズムから謎めいたマジック・リアリズムへと移行して、第二部の「遷ろうメタファー編」へと引き継がれた。

主人公は画工(えかき)。
突然に妻から別れ話を切り出された主人公は、途方に暮れて東北と北海道をあてもなく彷徨うことになった。
二、三ヶ月の放浪のあと、主人公は友人の雨田政彦の父親が所有する小田原の山の上の家で暮らすことになった。政彦の父親は高名な日本画家だった。
その家で暮らすうちに主人公の周りには奇妙なことが起こり始める。

村上春樹らしい、平易で麗しい日本語による物語だった。ときおり奇妙な出来事は起こるけれど、それでも物語はごく自然にすうーっと私の心に沁み込んだ。

物語の中で、みみずくが印象的な存在として登場するのだけれど、これってアイヌの民間伝承と関係があるのだろうか?アイヌ人にとって、フクロウは叡智の象徴であり、最高位のカムイ(神)である。いずれにせよ、フクロウ科の鳥はとても哲学的に見える、それだけは間違いがない。

冒頭で主人公は、妻のユズを失った。見失ったと言ってもいい。だからこの物語は、ある意味では主人公によるユズ探索の旅でもあったのかもしれない。その旅はイデア(観念)に導かれて、メタファー(暗喩)によって新たなパースペクティブを浮かび上がらせる。(主人公は、イデアとメタファーにより、自分自身をも取り戻したのかもしれない。)



<引用>
優れたメタファーはすべてのものごとの中に、隠された可能性の川筋を浮かび上がらせることができます。すぐれた詩人がひとつの光景のなかに、もうひとつの別の新たな光景を鮮やかに浮かび上がらせるのと同じように。言うまでもないことですが、最良のメタファーは最良の詩になります。



あまり、ネタバレはしたくないので、詳細はもう語らない。
第二部のマジック・リアリズム的な展開の中での思考もとても味わいがあり、もちろんそれが一段落した後の主人公の思考もとても心に馴染む。
物語の導き方や収束の仕方も素晴らしいと思った。

先の大戦の事も触れられていた。
この時期(20170310読了)に、東日本大震災のことにも触れられていたことは殊更に印象に残った。




<引用しても害のなさそうな一節>


エイハブ船長は鰯を追うべきだった。
しかしそこから芸術は生まれない。


(うろ覚え)
あるいは金貸しの婆さんを殺すべきだった。
あるいは美しくて無垢な娼婦に恋をするべきだった。


<以下、自分専用あらすじ>
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続きを読む

thanks_dude at 07:00|Permalink村上春樹 

2017年03月11日

【DVD鑑賞】『それでも夜は明ける』

『それでも夜は明ける』という映画を鑑賞した。

舞台は1840年代のアメリカ。
この頃、まだ南北戦争は始まっていない。
かの国はアフリカ系の人種を奴隷として使役していたという負の歴史がある。
かの国にとっては、ネイティブアメリカンを駆逐したことと奴隷を使役していたことは、原罪として今も何かしらの精神的な作用をもたらしているのかもしれない。
当時のアメリカは、北部と南部で黒人奴隷に対する考え方が大きく異なっていた。
北部の人たちは奴隷を開放すべきだと考えており、実際に裕福で平穏な生活を送っている黒人も数多く存在していた。
その落差に今更ながら驚愕する。 

主人公はワシントンで暮らす自由黒人のソロモン・ノーサップ。
彼はある日、白人に謀(たばか)られて奴隷商人に売り渡されてしまう。
ソロモンの南部における末端価格は1000ドルだった。
当時の1000ドルは大金だったと思う。
奴隷承認からしたらボロ儲けかもしれない。
だから、ソロモンの事例は氷山の一角に過ぎない。

売り渡された南部で、ソロモンは地獄のような過酷な体験をする。

この物語は、ソロモン・ノーサップが出版した体験記を基にしているようだ。
あまりにも残酷で苛烈な物語だった。
こんなことが本当に起こっていたということが信じられない。
だが、目を背けるべきではなく、人はその現実を認識すべきなのだと思った。

アメリカという国は、多人種の国だからというものあるが、過去の罪に対して、真摯に向き合おうとする姿勢を映画という形で示したりもする。
 
それとは逆に私の祖国は、そういうことはあまりしない。自分の国の立場から物語を紡ぐことは多いが、物事の本質は一方的なものの見方からは見い出せない。
太平洋戦争に関しては、わが国は、都市では米軍の無差別爆撃によって甚大な被害を受け、沖縄では市民を巻き込むような大規模な地上戦が行われ、最終的にふたつの都市に原子爆弾を落とされた。
その記憶はけして風化させるべきではないと思う。(だからそういう映画も重要だと思う。)

軋轢のある隣国に媚びを売ったり、卑屈になったりすることが正しいとは思わない。
文学者の一部は、どちらの立場にも通じるような物語を紡いでいる人もいる。
だから、バランスは取れているのかもしれない。それでいいのかもしれない。

この『それでも夜は明ける』という映画は、プロデューサーとしてブラット・ピットも名を連ねていた。だから美味しい役でピット自身も出演している。監督はスティーブ・マックイーン。往年のスーパースターかと思った(彼は死んだ筈だ…?)が、実際は同名のアフリカ系の監督らしい。(そういえばこの作品がアカデミー賞を受賞したころにも同じことを思った。)







<以下ネタバレ>































分りきっていたことだが、終盤に主人公は救い出される。
そのシーンがとても印象的だった。
たしかに主人公は救われた。
だが、その農場には救われれない人々が残されていて、きっとその苦しみは死ぬまで続く。
主人公にも誰にもその人々を救うことは出来ない。
そのやる瀬なさが強く胸を打った。

主人公が、残酷な農場主に対して、いつかその報いを受ける日が来るだろうと断罪していた。それは生きている間か死んだ後かは分からない。無神論者の私は神はその惨状を黙殺して、何もしないだろうと思う。死は虚無への回帰であり、そこには何者の断罪も介入する余地はないだろうと思う。

だが、それでも夜は明ける。
南北戦争で、白人たちが血を流すことによって、ひとまず奴隷制度は撤廃された。それでも人種差別はいつまでも消え去ることはないが、少なくとも黒人(奴隷を祖とする人ではないが)が米国大統領になれる時代は訪れた。(またまた時代は逆行しそうだが…)

そうやって、少しずつ世界は変わっていくのだ。 


thanks_dude at 23:47|Permalinkドラマ 

【テレビ映画鑑賞】『言の葉の庭』

深夜に新海誠の映画が放送されていたので、録画して視聴する。
タイトルは『言の葉の庭』。
この映画はたしか劇場公開されていたと思うのだが(チラシを手に取った記憶がある。)、放送時間は50分程度だった。CMその他あるので実際は40分くらい。本編中は一度もCMに入らないという無料で垂れ流される放送にしては至極親切な構成。それにしても劇場公開時40分くらいの短編を通常料金で上映していたのだろうか?と謎は残る。

まあ、そんなことはどうでもいい。

靴職人を目指す高校生の主人公は、雨の日には授業をサボタージュして新宿御苑で過ごす。
お気に入りのその場所で、ある日、年上の女がチョコレートを肴に金麦を呑んでいる姿を見つけた。

雨が降る度に、ふたりはその場所で、それぞれの時間を過ごす。
去り際に、女がこんな和歌を口ずさんだ。

<なるかみの すこしとよみて さしくもり あめもふらぬか きみをとどめむ>

やがて梅雨が明け、主人公がその場所を訪れる理由もなくなった。

そして時間が流れ、物語はそれぞれの日常へ。
ここでこの物語の種明かしが行われる。

秋になってその庭でふたりは再開する。

主人公は、彼女が口ずさんだ歌の返歌をつぶやく。

<なるかみの すこしとよみて ふらずとも わはとどまらん いもしとどめば>

これはとても美しい日本の情景を映し出した物語だった。

物語はこれで終わりではなく、その後も続く。
その物語のその後を、観る者がいつまでも想像しては愉しめる、これはそんな映画だった。

新海誠の映画は、『秒速5センチメートル』と『君の名は。』を観たけれど、『言の葉の庭』はその二作品にも増して好きな作品だと思った。


thanks_dude at 22:52|Permalinkアニメ 
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