2017年09月23日

司馬遼太郎『夏草の賦』読了

戦国期、土佐にひとりの英雄が生まれた。
長曾我部元親、それが英雄の名前だった。

その時代、土佐は日本の辺境だった。
広大な国土を持ちながら、その国土は山と海に囲まれて、必然「雅」とは程遠く、いわば田舎侍(蛮族と言ってもいい)の巣窟だった。

戦国の世に生まれた長曾我部元親が、臆病者で万事慎重にならざるを得なかったと言う司馬遼太郎の定義は面白かった。
長曾我部元親は、戦に先立って戦略的にできることはすべて整えて、然る後に攻勢に転じる。
そして無駄な争いは避けて、権謀術数をもって相手を陥れる。

戦略的に勝てる状況を作り出してから行動に遷るというのは織田信長を髣髴とさせ、権謀術数により四隣を切り崩すというのは毛利元就を髣髴とさせる。

土佐特有の一領具足という制度を発案した企画力も素晴らしい。

信長による四国侵攻は幸運なことに本能寺の変により回避されたが、怒涛のように押し寄せる秀吉の四国征伐にはもはや抗う術もなかった。(後に島津でさえ屈したのだから、もはや時代の趨勢は変え得なかった。)

惜しむらくは土佐が辺境であり過ぎたこと。
辺境であるがゆえに、元親の構想は洗練されることはなく、職業軍人としてその能力を特化させた上方(信長および秀吉)の軍勢には、半士半農の一両具足では太刀打ちできる筈もなかった。

秀吉による四国の仕置きが終わり、秀吉は九州平定へと目を向ける。
強兵である島津とあたる際に、長曾我部元親が不幸だったのは、険悪な関係にある十河存保(そごうながやす。阿波三好家の人で讃岐の領主。かつて長曾我部に侵略されて、ほうほうの体だった武将。凡庸ではないが、私怨を捨て切れない。)と轡をならべ、総大将が極度に器の小さい仙石某(淡路から四国征伐に向かい、長曾我部にさんざんに打ち負かされた。)だったこと。
すでに秀吉は耄碌し始めていた時期だったのだろうか、それとも敢えて長曾我部の力を削ぐべくこういう陣立てにしたのか、今となっては知る術もないが、結果としてこの戦いで元親は最愛の継嗣信親を失った。

その後は、信親を失った落胆に加えて、老年ということもあり、元親は豊臣政権後の布石を打つこともなく(家康に接近すべきだった。)、お家騒動に発展しかねない継嗣問題を断行して、元親は死去してしまった。

その後を継いだ盛親は、後の大阪の陣の活躍から思えば、けして凡庸なわけでもないが、関ヶ原の時点では未だ少壮で、時局を読むほどには成長していなかった。
盛親は訳の分からぬまま西軍に加担して所領を失い、続く大阪の陣の敗戦で長曾我部家は歴史から完全に姿を消した。

そういった「もののあはれ」を感じさせる結末は、私の心にしずかに染み入った。


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究極のレベル上げ【DQXI日記】

『ドラクエXI』は、転職や転生といったシステムを採用していないので、レベルが99になってしまえば、もはやそれ以上の拡張性はない。
そういう意味では、前々作の『ドラクIX』よりも総合的なプレイ時間(期間といってもいい)は短いのかもしれない。
何せ『ドラクエIX』は二年か三年くらいちびちびと遊び続けても遊びつくせなかった。(各種最強武器だけじゃなく、レアモンスターとの遭遇も、おまけ要素のダンジョンの地図に依存されていた。)

さて、クリア後もやるべきことはいろいろとあるが、とりあえずレベルを99にしてみようと思う。

今回は、『ドラクエXIII』にあったようなメタルスライム系モンスターしか出てこない地域もないようだし、『ドラクエIX』のメタルキングしか出てこない宝の地図みたいな痛快な要素もないようだ。

もうネタバレも怖くないので、インターネットで調べてみた。

あらかじめ勇者、マルティナ、シルビア、カミュをゾーン状態にしておく。
ロウもゾーン状態だとなお良い。

勇者とマルティナとシルビアの連携業に「スペクタクルショー」というのがあるらしい。

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これを使うと出現モンスターが高確率でメタル系モンスターと入れ替わる。(体感75%くらいの確率。)

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私のレベルだと確実に「メタルキング・強」と「はぐれメタル・強」×2だった。

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メタル系モンスターが出現したら「きせきのみ」一個でマルティナを、勇者を特技「ゾーン必中」でゾーン状態にする。
メタル系モンスターは、ロウの「ユグノアの子守歌」で寝かせてしまうとさらに安定する。

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さらに勇者、カミュ、マルティナの連携業「スーパールーレット」で、取得経験値、レアアイテムゲットの効果を付与する。(あとで考えたら、先にスーパールーレットを発動しておいた方が効率がよいことに気づいた…。莫迦げた話だ。)

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止めはカミュの「会心必中」とマルティナの「雷光一閃突き」で。

これで100万ポイントくらいの経験値を得られる。

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一気に5レベルくらい上がる。

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おまけにメタルキング・強が、「きせきのしずく」を落とす(使うと戦闘メンバー全員がゾーン状態に突入する。)ので、メタル系モンスターの呼び出し失敗(外れだとマシーン系が来てしまう。)やメタルキング・強に逃げられない限り、レベル99までエンドレスで繰り返すことができる。

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※呼び出し失敗でがっかりの図。

あっという間にレベル99に到達したので、次は試練にでも挑もうかなと思う。

(つづく)


thanks_dude at 22:32|PermalinkRPG 

2017年09月20日

秋刀魚の味2017

日本国民にとっての大衆魚である秋刀魚は、昨今不漁が続き高騰しているらしい。
土佐行から帰ったあと、会社のクソ面白くもない研修で、講師がふいに秋刀魚のことを話題にあげていた。
それ以来、ムショウに秋刀魚が食べたくなった。
ある日スーパーマーケットに立ち寄ると、秋刀魚が一尾300円以上とかいう信じられない価格だった。
もはや秋刀魚は高級魚で、庶民には手が届かないものなのかと私は落胆した。

今宵、スーパーマーケットに立ち寄ったら、三尾500円でかつ見切り品半額になっていた。
私は涎を垂らしながら、それを購入し、家に帰って徐に焼いた。
塩焼きにして、大根おろしをかけて食べた。
ほろ苦いわたの味わいも、青魚特有の肉の旨みも堪能した。
今宵もビールが旨かった。


thanks_dude at 21:20|Permalink気が狂う程まともな日常 

2017年09月18日

【映画鑑賞】『ダンケルク』

クリストファー・ノーランの『ダンケルク』という映画を鑑賞した。

ダンケルクとはフランスの海岸線にある一都市。
第二次世界大戦、ナチス・ドイツの快進撃は続き、仏国戦線で英仏連合軍はダンケルクという街に封じ込められて、完全に包囲されていた。
ダンケルクに駐留していた英軍人は30万人から40万人、それに加えて追い詰められた仏軍人も多数存在していた。

英軍は持てる艦船を用いて将兵の退却を目論むのだが、その度に艦船は独軍の航空戦力により沈められ、犠牲は増すばかりだった。

英軍は、ここを落とされれば本土決戦となるという怖れから、救援部隊を出し渋っていた。
せめてじゅうぶんな航空戦力さえ派遣していれば、ここまでの惨状にはならなかったとも思えるが、そんなことを今さら言っても仕方がない。

英軍にとって、最優先課題は英国人の救出だった。
その為には仏人は見捨てられなければならなかった。
そのような状況の中で、この物語は始まる。

物語の軸は、主に三つに分かれていた。

ひとつめはダンケルクの一兵士。
彼は生き延びることを切に願っていた。
ふとしたきっかけで知り合った兵士と共に、この脱出行を必死で駆け抜ける。

ふたつめは英国の民間人の物語で、ひとりの父親とひとりの息子、そして息子の友人が、ダンケルクに駐留した軍人を救出する為に義勇軍的に手持ちのプレジャーボートを向かわせる。

みっつめは英国空軍戦闘機スピットファイアのパイロットが、絶望的な状況下でそれでも自らの義務を果たすべく奮闘する物語。

全体的に落ち着いた演出だった。
娯楽映画のような狂躁的な演出は少なかった。
盛り上がりには欠けるが、何故だかこの映像には説得力があった。
こういう手法もあるのかという不思議な映画だった。

正直なところ、この映画について記述するのは難儀だなあと思っていたが、悪くない映画だったとも思える。


thanks_dude at 23:57|Permalink戦争 

2017年09月17日

そして伝説へ…【DQXI日記】

※ネタバレは避けられそうもないので、完全クリア後に閲覧してください。よろしくお願いいたします。







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『ドラクエXI』でひとまずのエンディングを迎えたのは、8月23日のことだった。
こちら側の世界で、ロトゼタシアではなく土佐に旅に出ていたこともあって、あっという間に三週間半が過ぎた。

様々な伏線が回収されぬまま、もやもやとした気持ちを残して物語は終わってしまった。
けしてハッピーエンドとは言えないその結末も、私にとってはとても美しいものだと思えた。

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だが物語はまだ終わらなかった。
その先の世界で、私は失われたもうひとつの可能性をみつけた。

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ドラクエの主人公は、いつだって自分の分身だった。
ロトゼタシアの勇者の表情(そのまま気持ちと言ってもいい。)は、とあるシーンで完全に私自身の表情と重なった。
それはとても素晴らしい演出だった。
インタラクティブなメディアであるテレビゲームというものの利点を最大限に生かした演出だった。

その世界の神である「ほりいがみ」様は、そういう演出に長けていた。
『ドラクエV』で少年時代の自分と接触するシーンもそうだったし、『クロノトリガー』で運命のあの時間に戻るシーンもそうだった。

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その先の世界で、私はいつ果てるともない冒険を続けていた。
最初のエンディングまでの時間は106時間43分だった。

さらに50時間くらい冒険を続け、もはや勇者様が解決すべき事件は起こりそうになかった。
ここに来てようやく私は最後の戦いに挑むことにした。

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大好きなゲームについては、全力でその世界を愉しみ、然る後に結末を迎えるという傾向のある私は、いつだって人よりも歩みが遅い。

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だがこんなところで人と競っても仕方がない。
それは個人の嗜好の問題で、他者がとやかく言うことでもないし、とやかく言われる筋合いもない。
そんなわけでパーティーの平均レベルは71とか72くらいだった。

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このくらい成長していれば、まったくもって余裕だろうと思っていた。
だが、ヤツは相当に強かった。
序盤こそ攻勢に出ていたが、あまりにもヤツの攻撃が激し過ぎて、次第に防戦一方になる。
4ターンか5ターンしのいで、ふと大事なことを思い出した。

あれれ…?
あの人はレベル60で討伐したと言っていた筈なのに、私はと言うとレベル70で大苦戦してるなんておかしいぞ?

ああ、そうだ。
今こそ勇者のつるぎの力を発揮すべき時だった。

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“うっかり勇者”が佩いていたつるぎをかざすと、ヤツの猛攻は鎮まった。
うむ、これなら余裕でいけそうだ。

それからは危なげなく戦闘を続けた。

一軍は、相変わらず勇者、カミュ、シルビア、セーニャ。(物語的にはベロニカが大好きだが、使い続けるにはいろいろと都合が悪かった。)
主なダメージソースは、やはりカミュ。

二刀流、ぶんしん、バイキルトからのはやぶさ斬りで2000ダメージくらい叩き出す。

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しかもビーストモードを発動しちまった日には、ぶんしんから即座にはやぶさ斬りに移行できるので、さらに兇悪さが増してしまう。

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昔から盗賊(シーフ)が大好きな私にとっては、盗賊が最強アタッカーというのは嬉しい。
やりようによってはその先の世界で仲間になるアイツ(最初の冒険の中盤あたりでコイツ来るなと思っていた。)も凄いことになりそうだが、盗賊好きな私はカミュを重用した。これは好みの問題だからこれでいいと思う。

<最終レベル>
勇者71
カミュ72
シルビア70
セーニャ69
マルティナ71
バトマスパラディン71
あの子73
ロウ70

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すべてが終わった後の世界で、勇者はあの人に会いに行く。
あの人はきっと勇者が感じたのと同じ痛みをはるか昔に感じており、悠久の時をしずかに過ごしていた。
だからあの人の痛みは癒されるべきだった。
それはこの世界が迎え得た別の可能性を模索する行為だった。
その世界があの人にとっても、しあわせになったらいいと勇者は思った。

個人的にこの物語は「後悔」という言葉が鍵になっていると思った。

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マルティナのあの日の後悔が彼女を突き動かし、ロウの後悔は孫との再会でひとつの救いを得て、カミュの後悔は勇者の相棒となることで解消され、さらには勇者の後悔が彼に大きな決断を下させた。

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そしてあの人の後悔は、時を超えて再来した勇者によって、大いなる癒しを得るだろう。

最後に勇者はささやかな旅に出て、物語はひとつの結末を迎えようとしていた。
これで物語が終わるのかと思うと、とても寂しい気持ちでいっぱいだった。

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こんな風に物語を愛しく感じ、その世界から去りがたく感じることなんて久しぶりだ。
だが、それはとても美しい結末だった。
残されていた伏線は見事に回収され、物語はあるべき場所へと落ち着いた。

不思議な充足感が私の心を包んでいた。

職人が、丹精込めて丁寧に丁寧に、ひとつのものを仕上げる。
それは珠玉のような価値を持ち、後世にマスターピースとして語り継がれる。
時が経ち、匠の業は芸術作品として認められることもあるだろう。
ドラクエ11は、たかだか商業作品に過ぎないが、私にとっては芸術作品に匹敵するほどの価値を持っていた。

二度めのエンディングは、一作めからの物語を再び想起させるものだった。
過去作品の音楽のアレンジも最高に美しかったし、それぞれの作品の初出の時の画面を見せてくれるのも嬉しかった。
思えば私はドラクエと共に成長し、歳を重ねた気がする。
そういうことを汲んだ素晴らしいエンディングだった。
(ドラクエIIのエンディングテーマの「この道我が旅」が流れて来た時に泣きそうになったのは内緒だ。)

そのエンディングを見終えて、その余韻を味わいつつ、私はこちら側の世界で実際に旅した各地で購入してきた物産を味わっていた。
讃岐のうどん、土佐の酒、土佐の焼酎、肥後の焼酎、そしてスリランカのミントティー。
現実の世界では、失われた時を求めても仕方がないけれど、記憶だけは残される。
戻らない時間の中で、きっと人は思い出にすがって生きて行くのかもしれない。
後悔することもあるけれど、記憶を頼りにそれを未来に生かして生きてく。
それがこの世界のルールなのだろう。

酔いにまかせて、そんな取りとめもないことを考えていた。

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それにしても、『ドラクエXI』を156時間もプレイしたが、全然物足りない。
やり残したこともたくさんあるし、どうやら『ドラクエXI』は、まだまだ私を離してはくれないらしい。

(つづく?)


thanks_dude at 23:59|PermalinkRPG 

【映画鑑賞】『エイリアン: コヴェナント』

『エイリアン』の最新作を鑑賞した。
テレビの予告編でも言及されていたが、これはエイリアンの原点となる物語らしい。
外宇宙への移民船コヴェナントは、航行中にある恒星のフレアをまともに受けて修復を余儀なくされた。
コールドスリープから目覚めたクルーは、その宙域近くにある惑星からの救難信号を受けて、探索へと向かうのだが……。


映画を観ていると、「プロメテウス」という単語が出てきた。

ああ、しまった。

リドリー・スコット監督の映画『プロメテウス』は、「エイリアンと関係があるんだ…」と何かのテレビCMで俳優の誰かがつぶやいていた。私はまだ『プロメテウス』を観ていない。
わりと順番にうるさい私は、こっちを観る前に『プロメテウス』を観ておけばよかったと後悔する。

オリジナルの『エイリアン』は、舞台が宇宙空間とはいえ、狭い宇宙船の中だけで事件は展開し、登場人物も少なく、わりと小さな物語だった。それだけに密閉空間での恐怖が増幅されていた。(主演のシガニー・ウィーバーが「ジョンジー」と猫の名前を呼ぶ声を今でも思い出せる。テレビで観たので、その声はアンパンマンやガンダムのマチルダと同じく戸田恵子のものだった。)

ジェームズ・キャメロンがエイリアンの二作目を撮り、シリーズは大娯楽映画となって、その後は何だか迷走してあまり記憶にも残っていない。

さて、『コヴェナント』である。
エイリアンの得体のしれない怖さは表現されていたと思う。
エイリアン誕生の種明かしは、こういう後付けの物語にはありがちな展開という印象で、それほど意義のある再定義とも思われない。
結局、何だかよく分からないままエイリアンと遭遇して、そいつが何だかよく分からないままにそれを撃退するという方が夢があるような気もする。

結末も含めて映画自体は面白かったが、物語とは別のところですこしだけもやもやが残った。


thanks_dude at 14:46|PermalinkSF 

【映画鑑賞】『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 激突 ルウム会戦』

最近は、『ドラクエXI』に夢中で、映画も観ていなかった。
『ドラクエXI』は、通常エンディングの後の世界で物語が続いていて、まだまだひと区切りというところまでは行っていない。
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の新作が9月2日に劇場公開されているのは知っていたが、生憎私はその翌日から土佐への旅に出ていた。
これまでの『THE ORIGIN』は、二週間の特別上映で劇場公開が終わっていたが、今回はそんなに短い上映期間でもないらしい。上映時間も前作までは一時間とかそんなものだったのに対して、今回は一時間半弱らしい。

さて、久しぶりに映画館に足を運んでみた。

『ガンダム THE ORIGIN』は、1980年代に一大ブームを巻き起こしたテレビアニメーション『ガンダム』の物語冒頭へと至るまでの道筋を描いた物語である。
映像作品『『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 激突 ルウム会戦』は、『ガンダム THE ORIGIN』の五作めとなる物語。

今回は、地球連邦軍からの独立を宣言したジオン公国が、宣戦を布告して、いよいよ本格的な軍事行動を起こし、テロリズム的な破壊行動の後、ルウムでの会戦へと至るところまで。

物語自体は悪くない。
直接物語に関わるわけではないが、戦争へと至る時代背景の中で、失われていく命を描いていたり、重要人物のひとりであるランバ・ラルが理想とは異なる方向へと進んでしまった国家を憂う場面(なぜかハモンがピアノ弾き語りで熱唱する)があったり、そこはかとない味わいもなくはない。
だが少なくとも今回は(前作までもそうだった)、物語的なカタルシスがない。ヤマ場がないと言い換えてもいい。
今までは上映時間も短く、結末へと至る経緯を見ているんだろうなと思っていたから、まあこういうものかと納得していたが、今回は90分弱と通常の劇場映画の尺なので、体感的時間の短さとは裏腹に物足りなさも際立った。

もうちょっとモビルスーツ戦が見たかったなというのが正直な感想。
最後に、次回作への重複となってもよいから、あのザクIIにもうひと暴れさせてもよかったんじゃないかなと思う。
そういうサービス精神には欠けていると思った。

だがそれは、きっと来年に向けて製作されている六作めまでおあずけということなのだろう。


thanks_dude at 11:54|Permalinkアニメ | 機動戦士ガンダムXXX

2017年09月15日

司馬遼太郎『功名が辻(一)〜(四)』読了

司馬遼太郎の『功名が辻』を読了した。

<あらすじと感想>

※あらすじは重要なネタバレも含みます。(古い小説だし、大河ドラマになったからもういいだろうと思うけど。大河ドラマに関しては、私は見ていないので知らない。)

この物語は、足軽同然の身分から土佐一国の領主にまで成り上がった山内伊右衛門(一豊)という武将とその妻千代の人生を描いたものだった。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と三代の天下人の配下として戦場を駆けめぐった伊右衛門は、いわゆる猛将型の武将でもなく智将型の武将でもなかった。運の良いそこそこの戦巧者だが、むしろ外交や内政、兵站に長じていたのかもしれない。

物語の中では無能ではないが、やや凡庸とも取れる人物として描かれている。伊右衛門は自らの凡庸さを知り、それゆえに周囲の人間の意見をよく聞き入れ、家臣からも領民からも慕われるような武将として描かれている。そして、千代という賢婦人を持ち、その内助の功によって、さしたる才能も持たない山内伊右衛門は、土佐二十四万石を手に入れた。

ふと思ったのは、これは幾分規模を小さくした『利家とまつ』的な物語だなということ。
それから王道と覇道についての物語でもある。むろん基本的には伊右衛門は王道を歩み、それは漢の高祖劉邦や、三国時代の蜀の劉備玄徳的な美質(これも相当に規模が小さい。)も伊右衛門は備えている。

関ヶ原の戦いの折、山内一豊の所領は遠州掛川六万石に過ぎなかった。
それまで兵站の巧みさに定評はあったが、槍働きで大きな戦功を挙げたこともなかった。

関ヶ原の戦いの直前、家康は会津の上杉家討伐の為に北上しようとしていた。
その動きを好機と捉えて、石田三成は家康との全面対決の準備を進めていた。
この間、両者による大大名、小大名への工作もまた着々と進んでいた。

伊右衛門は、大阪にいる妻千代からの書状を受けとる。
ひとつは未開封の書状だった。
それは三成からの協力要請の書状だった。
伊右衛門は、その未開封の書状をそのまま家康に渡し、家康は三成挙兵についての確信を得た。

家康の上杉討伐軍に従軍した諸侯の旗色は、未だ明確ではなかった。
家康につくか三成につくか、それは諸侯にとっても我が家の命運を賭けた決断だった。
軍議において、伊右衛門は自領の掛川六万石をすべて家康に差し出すと発言した。
この発言を皮切りに、東海地方の諸侯はすべて伊右衛門に倣った。
豊臣恩顧の諸侯について、未だ疑心暗鬼だった家康にとって、これほど政治的かつ戦略的に重要な発言はなかったであろう。

戦後、家康は上記ふたつの功績により、伊右衛門に土佐二十四万石を与えた。山内伊右衛門は関ヶ原でそれほどの戦功を挙げたわけでもないのだから、破格の褒賞といっていいだろう。

物語の終盤、土佐入りした山内一豊は、長宗我部元親(当時元親は既に死去し、その後は四男盛親が家督を継いでいた。)の支配下にあった辺境国の統治に難儀する。
土佐には、上士の他に「一領具足」と呼ばれる半農の土豪たちが存在していた。ふだんはそれぞれの集落に居て、租税を免除された田畑を耕して生活しているが、いざ戦争が起こると粗末な武具を携えて単騎で戦場に駆けつける。
一領具足の土豪たちは、長宗我部氏こそが主君で、どこぞから新しくやって来た山内氏など領主として認めようとはしない。
初期の山内一豊の政策が、強行一点張りだった為、いつまで経っても反乱は収まらなかった。
最後の手段として、姑息な謀略をもってそれを制圧するのだが、この場面は読んでいて胸糞が悪くなった。
だがそれは、それから260年後に一豊の甥の子孫(一豊と千代に子は生まれなかった。)の山内容堂がやった攘夷志士たちへの弾圧を想起させるようで興味深くもあった。

土佐一国を手に入れてからの一豊は、それまでの温厚で人望のある領主という印象から、暴君としての顔をちらつかせ始めた。
千代は夫の伊右衛門とその家臣団を評して、「所詮掛川六万石の地方領主がお似合いで、一国を統べるほどの器ではなかったのだ」と慨嘆するのだが、これがそのまま司馬遼太郎の評価なのだと思う。
だが、山内一豊は暴君になり得るほどの器でもなく、反乱鎮圧後は無茶なことをするはずもなく、程なくして数え六十一歳で世を去った。

結局、山内一豊の土佐入りから反乱鎮圧までの政策が、土佐特有の上士下士という身分制度を作り出し、幕末の頃にはその弊害が澱のように蓄積されて淀んでいた。そしてその中から幕末の志士たちが生まれた。薩長出身の明治維新の元勲たちが自藩という括りの中で活動していたのに対して、坂本龍馬や中岡慎太郎は藩という小さな枠組みを越えて日本という国家を見据えて物を考えた。考えざるを得なかった。坂本龍馬に関しては、さらにそれを飛び越えて世界規模で物を考えようとしていた。
そういう歴史的な因果を考えるのも面白いと思った。

現在の高知市を開拓したのは、山内一豊である。
その功績は大きい。
現在も残っている高知城は、江戸中期に火災で焼失したオリジナルを、数年後に忠実に再現したものであるらしい。江戸中期にそれほどの経済的な体力が残されていたというのも意外な話だと思う。これが上杉鷹山の頃の米沢藩だったら、絶対に天守閣の再建なんてできなかっただろう。(気候風土的に寒い東北は稲作に向いていないし、まともな産業もなかった。)
先日土佐を十二年ぶりに訪れた時、私は高知城の美しさに目を瞠った。
将としての器はきっと土佐の元々の領主だった長宗我部元親の方が上だろう。
だが、高知の街割りとその城を見るに、山内一豊はただ人の好いだけの凡夫だったというわけでもないだろうと思う。

山内一豊の妻千代は、この物語の実質上の主役だが、実は彼女の正式な名前はよくわかっていないらしく、「おまつ」とも「千代」とも呼ばれている。一豊の死後、出家して「見性院」と呼ばれたことはわかっているらしい。

余談だが、この物語の中では、徹底的に徳川家康が陰湿で臆病で嫌なやつとして描かれている。大阪人(河内だっけ?)の司馬遼太郎は、やはり秀吉贔屓で、家康が嫌いなのだろうか。
個人的には、私は狂気に駆られていた観のある後年の秀吉が嫌い(たしかに青年期からある時期までは、これ以上ないくらいに魅力的な人だったのだろうと思う。)で、かつ石田三成の官僚的な怜悧さと冷酷さといやらしさが嫌だったりもする。
先日訪れた彦根城で、現在劇場公開されている『関ヶ原』のプロモーションイベントが行われていた。
たぶん映画は司馬遼太郎の『関ヶ原』という小説をベースにしていると思う。宣伝のポップには、三成に「正義」、家康に「野望」という言葉が添えられていた。
つまり『功名が辻』や『関ヶ原』が執筆された頃の司馬遼太郎の歴史観は、そういうものだったのかもしれない。


thanks_dude at 22:46|Permalink読書 

2017年09月02日

さぁさワンマンライブ 〜なんでもない日に煌めきを。東京編〜@板橋ファイト!

板橋ファイト!という店で、さぁさのワンマンライブが行われるという。
板橋という駅で降りたことはないが、どうやら池袋の先にあるらしい。

9月2日の関東地方は、初秋とは思えぬほどの涼しさだった。日の照りながら夏日にもならないというのは、この季節にしては奇異な状況だった。

板橋駅から歩いていくと、店はすぐに見つかった。
さぁさがTwitterで壁面が工事中だというライブ会場の画像をアップしていたので分かりやすかった。

入場待機場所は通りを挟んだ公園だった。
涼しいとはいえ短パンだった私は、たくさん蚊に刺されてしまった。

本日のライブはリクエストライブ。
エントランスをくぐって中に入ると、さぁさの持ち唄のタイトルが印刷された紙が、壁に貼られていたり、天井から吊るされたりしていた。

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どうやらこれが今日のセットリストのようだ。(ライブ中のさぁさの言葉で知ったが、1位から3位はまだ秘密らしい。)
私はそれらを眺めながら、私のリクエストした「金魚のうた」を見つけて、どうやらその唄も演奏されるようだと知った。

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ステージは定刻通りに始まり、いつものようにさぁさは愉快で軽妙な話を交えながら、さぁさにしか紡げない世界を表現していた。

ある種の人の声には、それを聴く者に心地よさを与える特殊な波長が含まれているのだという。
少なくとも私にとっては、その波長がさぁさの声にはあり、それがさぁさの創り出すメロディーと重なると、ある種の魔法として作用するようだ。
そんなことを考えながら、さぁさの歌を心から愉しんだ。

ステージは、リクエストされた20曲とアンコールの新曲の計21曲で2時間くらい。


<セットリスト>

01.ハローハローハロー
02.ポジティブモンスター
03.手のひらで
04.eyes to eyes
05.Voice
06.桜ポラロイド
07.ケサランパサラン

ここまでギター
続いてウクレレ装備へ

08.恋サラダ
09.スペシャルな24h
10.あなたと居られたら
11.ココロカメレオン
12.金魚のうた
13.タイムマシンな、ゆめ

ここからギター装備

14.Over the rainbow
15.little girl
16.△ -triangle-
17.じゃんけんYOU
18.パ・パリラ♪(リク3位)
19.MY HERO(リク2位)
20.リセット(リク1位)

アンコール
21.ライオン

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9月3日は18きっぷで阿房電車の旅に出るので、午前4時には起きていなければならない。
物販でさぁさと言葉を交わしたかったが、長居はせずに帰宅した。


<以下、駄文長文、時々脚色>

ライブを合間、つれづれにさぁさは、その曲に関するエピソードや他愛のない日常のエピソードをゆったりと話していた。

以下はつらつらとメモ帳から書き起こす。

挨拶は「改めましてさぁさだよ。蚊に刺されませんでしたか?」
「eyes to eyes」は皆さんの目を見て歌います。(実際に、フロアに視線を走らせながら歌っていた。)

今回のワンマンの為に少し早めに東京に出てきた。
歌うたい仲間の天田優子が「夏らしいこと何もしていない!」というので、高尾山に行くことになった、上の方までリフトで行くことになったが、さぁさはリフトみたいなしっかりとしていない構造のものに宙ぶらりんで揺られることが怖い。ジェットコースターだって飛行機だって、あれはしっかりとしているから大丈夫なのだけれど、リフトは駄目。それを知っている天田優子は「さぁさちゃん、リフトやで!」と笑顔で言う。さぁさはしぶしぶ「う、ううん」と頷く。さぁさがぶるぶると怯えている様子を、隣で乗っている天田優子は両手放しをしてスマートフォンで撮影していた。それはさぁさにとって辛い体験だった。

「Voice」という曲は19歳か20歳の頃に作った唄。さぁさにしては重めの歌詞。ずっと大事に歌っていきたい。

「桜ポラロイド」について。
東京のワンマンは春に行うという印象がある。
メジャーレーベルから離れて活動休止する前の最後の東京のワンマンは北参道ストロボカフェだった。ストロボカフェの近くで桜がとても綺麗に咲いていた。(早咲きの河津桜)

「ケサランパサラン」について。
夭折した従姉妹のことを歌った唄。週刊ジャンプに連載を持っていたおじちゃんがPVの絵を書いてくれた。六本木の森ビルでジャンプ展というのが開催されている。さぁさは連載時のことは知らないが、ジャンプ展に行くとおじちゃんの絵がジャンプの表紙を飾っていたりして改めてすごいと思う。

リクエスト30曲から20曲に絞った。

「恋サラダ」からはウクレレで演奏します。
ウクレレを弾くようになって、ウクレレの講師の仕事ももらうようになりました。
7月は二週間くらいギターを触らない日がありました。
今まで、ギターにしろウクレレにしろ、誰かに教えてもらったことがないので、ウクレレを教えるようになって、どのように人に教えたらいいのか分からなくなって、改めてウクレレと向き合うことによって気づくこともあった。

「あなたと居られたら」の前に、さぁさのお母さんの話。
この夏公開のトム・クルーズ主演の『ザ・マミー』という映画に、ジョニー・デップが透明人間役で出演するという話を、さぁさの母がさぁさ言った。
実際にさぁさが『ザ・マミー』を観に行った後に母に電話したら、「あれ、夢やってん」と母は言う。どうやら一時期本気で、そう思い込んでいた節がある。母はどこまで天然なのだろう?

楽しい?私は楽しい。

「金魚のうた」は、ギターからウクレレにコードを変換してみた曲。最近ではウクレレで弾くことが多い。もはやギターでどうやって弾くのか分からなくなってしまった。(私はあまり関東では演奏されないこの曲をリクエストしたが、今度はギターバージョンも聴きたい。ちなみにこの唄は7月末のウクレレピクニックでデモ演奏してくれた。)
モチーフとなった金魚は、さぁさが18歳の頃にお祭りの日に買ってきた子で、それ以来今に至るまでさぁさの実家で元気に泳いでいる。大きさは30cmくらいで、今年で15年目。金魚の寿命は15年と言われているらしいので、いつかお別れすることになる日もあるのかもしれない。
さぁさはひとり暮らしの自分の部屋で、ピクシーシュリンプという小さなエビを買っていたが、7月に二日間家を留守した際に、室温上昇の為に死なせてしまった。ひどく反省している。

11月12日はバースデーライブを行います。同じ誕生日の大阪のミュージシャンたち四組でライブをします。ひとりは同い年の男の子で血液型も一緒。あとのふたりは年下の女の子。年下の子が、ライブの段取りを進めていて、お姉さんの筈のさぁさはラインで「了解」と答える日々。

「Over the rainbow」について。
同じ年代のバンドがどんどん解散して、同じ年代のミュージシャンがどんどんいなくなる。とあるバンドの解散ライブの後で出来た曲。同じ世代の人たちを励ますような唄。

「little girl」は、さぁさの姪御さんの「なんで?なんで?」という問いかけから生まれた唄。そんな姪っ子も、今ではさぁさのうちで習字をする時に、自分の服が汚れるのが嫌なのでさぁさのティーシャツを上に着る。

「△ -triangle-」は、メジャーレーベルの頃の唄。当初、二人の男の間で揺れ動く心を描いた歌詞だったが、プロデューサーやマネージャーに見せたら、「いやいや、この悩みは贅沢過ぎる。これでは共感してもらえない」と言われて、さぁさも「たしかに」と思って、今の形に収まった。「トライアングルぐるぐる」。

「じゃんけんYOU」について。
最新アルバムからリクエストが全然来なかった。(リスナーからすると、たぶん聴く機会が多かったからだと思う。)
ようやく最新アルバムから。
演奏が終わって、「まるでライブのラストかのような盛り上がり」とさぁさ。

リクエスト数第3位は「パ・パリラ♪」だった。
ほぼ毎回、この唄は演奏されるし、さぁさにとっては名刺代わりの一曲かとも思うので、個人的には1位だろうと思っていたが、やっぱり聴く機会が多いから他に票が行ったのかもしれない。
大阪でさぁさはイラストの個展を開いたりもしている。東京でやるとしたら、ここかもしれないとのこと。それを踏まえて、コール&レスポンスのパートは、「ル、ル、ル、パ・パリラ♪」に加えて、「板橋ファイト♪」、「その時は来るよ♪」と続く。
やっぱり「パ・パリラ♪」はとても盛り上がって、さぁさは「まだ最後じゃないよ」と微笑んでいた。

リクエスト数第2位は「MY HERO」。
二枚目のシングル「ドラマチック」のサンプルが届いた日は、2009年の誕生日だった。その日にレコーディングしたのが「MY HERO」。レコーディングを終えてスタッフが、ふいにぽんぽんと肩を叩き、「がんばりや」と声をかけてくれて、思うところも多かった。
「MY HERO」は、応援してくれるからこそ、私は頑張れる。だから私にとっては、私を応援してくれる皆さんが「MY HERO」なのです。

リクエスト数1位は「リセット」。

たまたま私は「金魚のうた」をリクエストしたが、それ以外の19曲のどれも全部大好きな唄だった。個人的には、1位は「パ・パリラ♪」かと思っていたが実際は「リセット」だった。これはさぁさも意外だったみたい。

さぁさはたぶん、20曲しか想定していなかったと思うが、アンコールの拍手は響いていた。
フットワークの軽いさぁさはステージに舞い戻り、「たくさん歌ったけれど、みんなお腹いっぱいじゃない?」なんて言う。
もちろんリスナーはお腹いっぱいじゃないし、それが許されるのなら、いつまでだってさぁさの唄を聴いていたかった。

ワンマンをするよって告知したら、こうやって集まってくれる人がいるというのは幸せなことだと思います。
ここから見える景色を皆さんに見せてあげたいです。
皆さんニコニコしていて、とても素敵ですよ。
うまく演奏できるかわからないけれど、この前できた新曲を歌います。
大阪ではマンスリーライブを行っていて、この前のマンスリーライブのために書いた曲です。

子どものころから母がみせてくれたモノクロ映画の『オズの魔法使い』が好きで、その物語の中に登場するライオンに自分を重ねた歌詞になっています。
自分はある人から見るとしっかり者のに見えるらしいけれど本当はそんなこともなく、ある人から見るとふんわりと印象を受けるらしいけれど、それもまた違うような気がします。
『オズの魔法使い』には、勇気が欲しいライオンが登場する。誰が見ても強そうに見えるライオンは、実は誰よりも臆病で、そんなライオンに親近感を覚えていました。
だからそのライオンのことを唄にしました。


thanks_dude at 23:59|Permalinkさぁさ 

2017年08月28日

司馬遼太郎『竜馬がゆく』再読(超々々々々長文)

久しぶりに司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読むことにした。
この時期の司馬遼太郎の小説は、後年に擡頭する理屈っぽさが控えめなので、単純に面白い。

坂本龍馬という人は暗殺者の兇刃に斃れて夭折した。
彼は気宇壮大にして、その時代には奇跡的なほどの開明的な思考と論理を有していた。
たぶんあの時代に、坂本龍馬の代替となるような人物は生まれていなかったと思う。

ある人が「エジソンに比べたら坂本龍馬なんか」と言っていた。
私はエジソンは、単なる偉大なるビジネスマンに過ぎず、電話を発明したベルのように、それなりに賢い人なら誰だって代替可能な人だったんじゃないかと思う。
私はむしろエジソンに虐げられたテスラの方に愛着を感じてしまうタイプの人間なのだ。(それを古来より日本人は判官贔屓と呼んでいた。

歴史が回転し、坂本龍馬という幕末の志士は、ほとんど歴史の中に埋もれかけていた。一時期、明治維新直後に三十三歳(満三十一歳)の若さで暗殺された英雄が、巷間で語られることはほとんどなくなったらしい。だが、坂本龍馬という人物は、市井の人々から明治の元勲に至るまで、数多くの人々の胸に強い印象を残していた。

だから司馬遼太郎が、その人物を描きたいと思って、資料を精査し、方々に取材してこの長編を完成させ、広く坂本龍馬の事績を物語という形で流布させたことは、日本人にとって喜ぶべきことだと思う。

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私は十二年ぶりに『竜馬がゆく』を読み返してみた。
意図してはいなかったが、今年は龍馬の没後150年だった。
(その為の展覧会もあったようだが、茫っとしている間に終わっていたようだ。残念。)

『竜馬がゆく』を読了したので、おりおり気まぐれに思ったことを記述してみた。
思いのすべては語り尽くせないし、それを表現する方法を私は知らない。
だからつらつら書いたことを記載する。
それでいいと思う。
別に誰かに読んで欲しいとも思わない。
これはただ自分の為に書く記録に過ぎない。

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第一巻

龍馬の生い立ちから剣客として当代随一の使い手となるところまで。
龍馬は、その器の大きさをちらつかせながら、今はまだ一介の剣客にすぎない。
盟友の武市半平太や長州の桂小五郎との対比が面白い。

ちらっと三菱財閥の始祖たる岩崎弥太郎もお目見えする。
坂本龍馬に対する贔屓目を差し引いて、合理的に拝金的に唯物的に考えると、この時代の人物で最もすごい結果を残したのは、この人なんじゃないかと思う。龍馬の事業を引き継いで成り上がれた運の良さも含めて、偉くはないけれど凄い人だと思う。その分人間的には灰汁も相当強い。だからこそとても面白い。たしか司馬遼太郎は岩崎弥太郎をモチーフにした長編は書いていないと思う。岩崎弥太郎は個性的な人物だから、他の作品で触れられることも多いが、この人を主人公にした司馬遼太郎の小説があったら面白いだろうなと思う。久しぶりに『竜馬がゆく』を読んでそんなことを思った。(この物語では、それほど多くは弥太郎のことに触れられていない。物語が進むにつれて、紙面的にも作業的にも弥太郎のことに触れる余裕がなくなったのだ思う。終盤とあとがきで漸く詳細が語られる。)

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第二巻

龍馬が江戸での剣術修行を終えて、土佐で志士として開眼した頃の話。
萩へ遊説に行き、久坂玄瑞と意見を交わす。
高杉晋作はまだ龍馬の物語には関わっていない。

<長州訛りについて>
時代劇を見ていて、不思議と長州訛りというものを意識したことがない。
そういえば、なぜか大河ドラマの長州人は、いつも標準語を話している。
松陰も高杉も桂も久坂も、維新後に成り立ったと思われる標準語を話している。
本を読んでいて、「長州訛り」という言葉が出てきたが、直感的にイメージができなかった。
たまたま私の上司が長州の人だったと思い出して、ああ、こんな感じかと理解した。
つまり横浜生まれの相模育ちの私にとっては、広島弁に似ていると思える語感の訛りである。
江戸時代に狭い周防長門に押し込められた毛利氏は、もともと中国地方一体を席捲していた。戦国期は広島を居城としていたから、長州訛りが広島弁に似ていると思うのも当然だと思う。
なぜ映像作品では、長州訛りが再現されないのか?
それはたぶん時代劇なのに『仁義なき戦い』みたいなイメージになってしまうから。

安政の大獄
吉田松陰死す。

桜田門外の変
安政の大獄の主導的立場だった大老井伊直弼が暗殺される。

竜馬、土佐に戻り、武市半平太が吉田東洋暗殺の為のきな臭い陰謀をめぐらせていることに眉を顰めつつ、狭い土佐から脱藩(くにぬけ)することを決意する。

吉田東洋暗殺から始まる武市半平太による土佐藩のクーデター。

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第三巻。
寺田屋騒動。
生麦事件。

竜馬、勝海舟と邂逅。
勝の許可を得て、幕府機関「軍艦操練所」へ通う。
幕府蒸気船で大阪へ。
京でおりょうを見い出す。

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第四巻

神戸海軍塾、開塾。

壬生浪(新撰組)の擡頭。

土佐で攘夷派への粛清はじまる。

竜馬、松平春嶽へ五千両の資金援助を無心する。

幕府への軍艦貸出要請。

政変により長州系志士及び攘夷派公卿、京を追われる。
(後の寺田屋事件、蛤御門の変への導線)

京で長州系攘夷運動が衰退したため、山内容堂が土佐藩内で大鉈を振るう。
武市半平太を首魁とする土佐勤王党が粛清される。
岡田以蔵が落ち、半平太に切腹が申し渡される。

土佐藩士に帰藩命令が下るも、龍馬以下土佐系の神戸海軍塾生これを無視。

幕府が肥前鍋島藩に貸与していた観光丸が返却されると同時に、神戸海軍塾に貸与。
竜馬念願の汽船を手に入れる。

(元治元年)
馬関海峡で長州による外国船への砲撃相次ぐ。
英米仏欄、長州への攻撃の機運高まる。
勝海舟、坂本竜馬をつれ長崎へ。
長崎で列強の長州攻撃を抑えるべく交渉を開始し、長州と列強の衝突は回避される。

幕府、第一次長州征伐を画策す。

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第五巻
長州系志士、各藩脱藩浪士と京都にて内乱を画策する。
池田屋事件。
宮部鼎三をリーダーとする志士たちが池田屋にて新撰組の襲撃に遭い、そのほとんどが惨殺される。
(新選組はあまり好きじゃないけれど、この過激志士たちの計画は京を火の海にしそうだから、個人的には賛同できない。)

蛤御門の変
長州、緒戦にて善戦するも、薩摩勢の戦線投入で潰走する。
この負け戦により、長州が朝敵と見なされる。

列強五か国、馬関海峡の長州砲台を攻撃。

勝海舟、西郷吉之助(隆盛)会談。
竜馬、西郷と邂逅す。

(まだ元治元年七月下旬)
神戸海軍操練所閉鎖。

長州藩内で佐幕派が勢力を盛り返し、尊王攘夷派が弾圧される。
高杉晋作、ゲリラ戦を展開し、維新回転の機会をうかがう。

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第六巻

幕府による第一次長州征伐。
長州藩内は佐幕派が主流となっていた為、大規模な戦闘もなく幕府に恭順。
一方、その直後に高杉晋作率いる奇兵隊と長州藩政府部隊との戦闘が勃発。
奇兵隊200人、政府軍1000人という状況だったが、奇兵隊が勝利を収める。

竜馬、薩摩を訪れる。
西郷吉之助(隆盛)に薩長同盟を打診し、内諾を得る。
竜馬、日本史上初となる海運商社・亀山社中を発足。
下関で桂小五郎と共に西郷を待つも西郷は訪れず。
同盟工作は不調に終わる。

幕府による長州包囲網狭まる。第二次長州征伐の機運高まる。
亀山社中、薩摩名義で長州の武器弾薬、戦艦を購入。(実利による薩長融和策。)

竜馬の斡旋により、薩長同盟締結。
二大雄藩が秘密裏に手を握ることにより、幕府に対抗しうる勢力となる。

竜馬、長州人三吉慎蔵と共に京都伏見船宿寺田屋にて、幕吏に襲撃される。
総勢100名ともいわれる捕り手方を振りきり、両名敵中突破に成功するも、竜馬左手親指を切断寸前まで負傷。
薩摩藩邸に逃げ込むが、傷と出血のため、竜馬はしばしの療養を余儀なくされる。

騒動の鎮静化を待つことと療養を兼ねて、竜馬、おりょうを連れて薩摩へ。(日本人初のハネムーンと伝えられる。)塩浸温泉に滞在し、霧島連山の高千穂峰に登る。

薩摩から長崎へ。
薩摩藩出資の帆船が、長崎への回航中遭難し沈没。
船将池内蔵太をはじめ亀山社中の士官数名が死亡。

同時期、近藤長次郎が秘密裏に英国留学を目論むも失敗。
少才子的な長次郎は、仲間から孤立していた為、無断での脱盟を責められ割腹。
竜馬、事後に事件を知り、その死を惜しむ。

幕府による第二次長州征伐開始。
芸洲方面に幕府軍艦が集結。
幕府軍、大島の一部を占領し、橋頭保として駐留す。

高杉晋作、芸洲方面の幕府艦隊(四隻)を一隻の中型汽船で夜襲。幕府艦隊を退却せしめ、その動きに応じた大島の長州軍も大島から幕軍を一時的に追い出すことに成功する。

竜馬、下関に到着。高杉晋作と呼応し長州海軍の一翼を担う。
芸州口、石州口、馬関海峡にて戦闘が激化。
長州軍が門司、小倉へ討って出る。
霧に乗じた奇襲が奏功し、小倉城陥落。
竜馬自身も臨時の提督として戦果をあげる。

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第七巻

海軍力だけで言えば、幕軍は圧倒的に有利だったが、時勢がすでに幕府という旧勢力を見限っていた。
その状況を関ヶ原に於ける東軍と西軍になぞらえている観点が面白い。

関が原での開戦時、負けようのない布陣で挑んだ西軍だが、その中でまともに戦ったのは、石田光成直属の兵と、大谷刑部の陣営くらいで、後は戦いには消極的で、造反者まで出す始末だった。逆に東軍は、豊臣政権に倦んだ社会的気分を反映してかよく戦った。大勢の決した時には気がつくと東軍が優勢となっていた。

第二次長州征伐の際も同じで、幕軍は負けようのない陣容だったが、積極的佐幕藩以外は及び腰だった。小倉での敗走を聞いた直後に、俊才だが逃げ癖のある徳川慶喜のやる気が一気に萎えたのも大きな要因のひとつだった。慶喜に関しては、この逃げ癖のおかげで、後に続く革命戦争で日本全土を焦土にするほどの悲劇的な結末を見ることもなく、たとえば会津のような不運な藩を生贄にすることによって、日本という国家のある程度の国力は維持されたので、慶喜の存在は極めて皮肉めいたことながら、大きな役割を持っていたとも言える。

長州戦の戦後処理。
竜馬、長州から借りていたユニオン号を事実上返却。
実質上亀山社中の所有だった船を失い、社中の資金繰りに頭をいためる。

竜馬、長崎の女傑商人お慶と知遇を得る。
お慶、困窮している亀山社中に300両出資。程なくして古い風帆船の購入代金一万二千両を出資。担保は陸奥陽之助宗光。

竜馬、土佐仕置家老に昇進していた後藤象二郎と会談す。
後藤象二郎は、竜馬の親友武市半平太の仇ともいえる存在だが、竜馬は昔日の恨みには拘泥しない。
後藤象二郎との会談の結果、海援隊結成が決まる。(前身は亀山社中。)
名目上は土佐藩御預かりだが、実際は独立不羈を保った海運商社兼私設海軍的な位置づけ。
同時に中岡慎太郎を長とする陸援隊の構想も俎上に上る。

風帆船により海運業はある程度軌道に乗る。

この時期、岩崎弥太郎が土佐藩長崎留守居役に抜擢される。

海援隊、伊予大洲藩の出資により蒸気船いろは丸を得る。
だがその直後、いろは丸が鞆の浦近海で紀州藩の蒸気船陽光丸と衝突し沈没。
海援隊、天下の大藩紀州藩に万国公法をもって賠償責任を問う。
紀州、権力を笠に着て責任の所在をうやむやにしようとするも、竜馬の粘り強い交渉と、薩長土及び長崎の世論を巻き込んだ工作により、交渉のテーブルに付かざるを得なくなり、ついに自藩の非を認める。賠償金八万三千両で決着。

中岡慎太郎、岩倉具視に接近、岩倉と三条実美をはじめとする都落ちした過激派五公卿との盟約を取り付ける。

この時期、高杉晋作没する。

四賢公会議。(薩摩:島津久光、越前福井:松平春嶽、土佐:山内容堂、伊予宇和島:伊達宗城)
薩長の主導にて、討幕の正当性を確立しようとの目論見だったが、佐幕派の山内容堂に悟られ、容堂は病を理由にして土佐へ逐電。

竜馬、大政奉還を提唱。
「船中八策」と呼ばれる大政奉還後の国体を規定する条文を残す。
竜馬、大政奉還について、土佐の後藤象二郎を始めとして各方面に遊説す。
後藤が山内容堂を説得し、竜馬と中岡慎太郎が薩長・公卿(岩倉具視)らを説得。

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第八巻

中岡慎太郎を隊長として陸援隊結成。屯所は洛北(今の今出川周辺?)の土佐藩陣屋。

竜馬がさらに大政奉還に向けての工作を進めている矢先に、海援隊士とみられる者(濡れ衣)による英国水兵惨殺事件勃発。
竜馬、事態の収拾に奔走。判決の結果、海援隊士の疑いは晴れる。
(実際の下手人は筑前福岡藩士だったが、真実が露見するのは明治になってから。)

竜馬、土佐藩を動かし、大政奉還へ向けて大きく前進するが、土佐藩山内容堂は、兵を京へ送ることに難色を示す。
結果、仕置家老後藤象二郎と佐幕派重臣のふたりが工作を担当。
薩長、後藤の説く大政奉還を迂遠なものとして煙たがる。

一方、竜馬は長崎から下関経由で土佐に赴き、高知城下で工作後、京へもどる。
京にて薩の西郷、公卿の岩倉を訪ね、大政奉還の利を説く。

この時期、土佐藩主導による後藤象二郎の大政奉還工作(作・演出坂本竜馬)と、薩摩、岩倉による武力討幕(討幕の為の勅許獲得)工作が、別々に進行していた。

突如将軍徳川慶喜が諸侯を二条城に召喚し、大政奉還を受け入れる旨を伝える。
これは妄想だが、徳川慶喜はもしかしたら薩摩と岩倉の工作を偵知していたのかもしれない。朝敵にされることを恐れて、それに先んじて大政奉還策にのるという佐幕側からしたら暴挙に出たのかもしれない。結果的には江戸城無血開城に至るまでの慶喜の方針(逃げ腰)が、新政府にとっても、徳川家にとっても、日本という国家にとっても利となったと思える。(その代わりに会津藩などが貧乏くじを引かざるを得ない状況に嵌まり込んだ。不運な会津は革命の為の人身御供だった。)

竜馬、西郷吉之助(隆盛)、大久保一蔵(利通)、小松帯刀と会談す。
新政府の体制と、新政府の運営を行う人員を提案する。
特筆すべきは、竜馬本人がそのリストの中にいないことと、前土佐藩主の山内容堂(実質上の藩主)がいないこと。それからまだ無名の士だった越前福井藩士・三岡八郎(のちの由利公正)を財政担当に推挙したこと。

竜馬、岩倉具視を訪ね新政府の態勢を示唆する。

越前福井に入り、藩主松平春嶽に閉門中の三岡八郎の赦免を請う。
竜馬、蟄居中の三岡八郎と会談する。

竜馬、京に戻り、河原町近江屋にて暗殺者の凶刃に倒れる。
慶応三年十一月十五日(1867年12月10日)、享年三十三歳(満三十一歳)。

竜馬の最大の功績は、薩長同盟締結と大政奉還の成立。
その死後、歴史は未だ風雲の中にあり、時局は鳥羽伏見の戦いに端を発する戊辰戦争へと続く。

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岩崎弥太郎について、合理的に拝金的に唯物的に考えると、この時代の人物で最もすごい結果を残したのは、この人なんじゃないかと思うと記述した。
もしも龍馬が兇刃に斃れなければ、今の三菱は、今とは違った形になっていただろうと思う。
きっと龍馬が海援隊の事業をもっともっと発展させて、世界を相手にビジネスにおける闘いを繰り広げたことだろう。
もちろん岩崎弥太郎だって、転んでもただでは起きぬ、人間的なパワーを有した人だし、才気だって溢れていたから、成功者になったこと間違いないとも思うが、龍馬ほどの人間的な魅力はなかったと思う。
きっと龍馬なら巨大な財閥の総裁になったとしても、不意にそれを放り出して、気まぐれに別の道へと踏み出していたんじゃないかと思う。

私は取るに足らない存在だが、旅に出る事をこれ以上ないほどの喜びと感じている。
日本各地を旅していると、坂本龍馬の事績を目にすることができる。
ある種の歴史的な偉人は、全国各地を訪れてそれぞれの事績を残した。
そういう人を、旅人は身近に感じる。
松尾芭蕉も伊能忠敬も松浦武四郎も小泉八雲も種田山頭火もそうだ。

この秋は坂本龍馬の事績を訪ねて、土佐に行こうと考えている。
むしろ、龍馬の事績は長崎の方にあったりもするのだけれど。


thanks_dude at 00:12|Permalink読書 

2017年08月27日

感情移入について(ネタバレあり)【DQXI日記】

※ネタバレありなので、物語的には完全制覇したくらいの人以外は読まないでね。(いや私もまだまだだけど。)

















ロールプレイングゲームというインタラクティブな物語において、その物語に感情移入できるかどうかというのは、重要な要素である。

『ファイアーエムブレム』で泣いてカミュを斬ったあの日、『タクティクスオウガ』で「僕にこの手を汚せというのか」と葛藤したシーン、『ロマシング・サガ2』でバレンヌ帝国という国家自体の衰亡に一喜一憂した日々、それは今でも忘れられない。オンラインゲームの『ファイナルファンタジーXI』や『ドラゴンクエストX』では、一人の冒険者として物語に深く関わることによって、その世界を身近に感じることができた。

ドラクエの主人公はいつも無口である。
自らは発言することなく、周囲の人々がその思いを代弁してくれる。
あるいは、その発言はプレイヤーに委ねられている。

ドラクエXIの物語は、エンディングを見たあとでも続いていた。
クリア後の世界をひと通りめぐって、物語は思わぬ方へと向かい始めていた。

ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて_20170827181010

その先の世界で、主人公とプレイヤーの表情が重なる場面があった。

ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて_20170827181949

うまいなあ……、とつくづく思う。

ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて_20170827182127

相変わらず主人公の勇者様はしゃべらないのだけれど、そもそも泣きそうだったプレイヤーの私は、彼女のことを堪らなく大切に思って、どうしても守りたいと願う。
その瞬間、物言わぬ勇者様とプレイヤーの心は重なった。

国産RPGの双璧だった『ファイナルファンタジー』の最新作は残念な内容だった。

FINAL FANTASY XV_20161211062513

それを貶めても栓なきことながら、それを作った人たちも、プレイヤーの感情移入というものの機微を察してくれたらよかったのにと、古いゲーマーは思ったりもする。


thanks_dude at 22:44|PermalinkRPG 

2017年08月23日

終幕【DQXI日記】

ようやく『ドラクエXI』の物語を終わらせた。
今回の物語は、ベロニカとマルティナのエピソードが好きだな。
マルティナは、後半存在がかすんでいたので、もうちょっと掘り下げて欲しかった。

終盤の物語はちょっと物足りなかったと思う。(※)

ラスボスは、ちょっと面倒くさいかと思ったが、寄り道プレイでレベルが50くらいだったので、一軍全滅したあとも、二軍が躍り出てすぐに態勢を立て直せた。

一軍メンバーは、勇者、カミュ、シルビア、セ−ニャ。
勇者は主人公だし、強力な固有技がある。
カミュは、うちのパーティーの最強アタッカーだった。
ぶんしん→バイキルト→はやぶさぎりで、1000以上のダメージを叩き出す。
シルビアとセーニャは回復と補助を担当。

エンディングはムービーを録画できないみたいなので、もう一回見るためにラスボスに挑んでみる。
二回目のラスボスはまったく危なげなく倒せた。(一回目に一軍がやられたのは、ほとんど事故みたいなものだった。)予備知識は重要だ。

ファミ通を見ると、PS4版よりも3DS版の方が売れているらしい。
PS4の美麗グラフィックによるムービーは、物語にものすごく惹き込まれるくらいに演出が冴えわたっている。
3DSだと同じシーンでも、ディフォルメキャラクターなので、何だか物足りない。
2Dモードだとムービーすらなく、単純に物語を体験することしかできない。(超サクサク進むけどね。)
私は「凝ったムービーなんかいらねえよ」と思っていたが、やっぱり美麗ムービーで秀逸な物語を見せられると、それも重要な要素なのだと気づかされる。
ムービーについて言うと、一貫してノーボイスという時代に逆行した演出が素晴らしいと思う。
これは個人的な意見だが、テレビゲームというインタラクティブなメディアでは、プレイヤーの側がその世界に影響を与えない時間(ボタンを押していない時間)は、冗長なものとして時にストレスとなる。イベントシーンが長い上に演者さんががっつり演技をしてしまって、イベントが終わらないので眠いのになかなか眠れないシチュエーションなんて、私にとっては最悪な時間以外の何ものでもない。ドラクエXIにおいては、そういうことはなかった。(あったとしたらルーレットのジャックポット待ちの時だけだった。)

さて、これからは物語のその先の世界を旅しよう。
クエストも全部こなせていないし、まだ作っていない武器、防具、アクセサリーもある。
最後に流れた映像も気になるし、ナレーション字幕の言葉も気になる。
まだまだじっくりと愉しめそうだ。

ちなみにクリア時間は106時間43分。
寄り道し過ぎだ…。
だが100時間以上もプレイした感覚がしない。
それはこのゲームがとても快適で、ほとんど嫌な気持ちにならなかったから。
そして物語がとても面白かったから。

ちなみに3DS版はヨッチの集落周辺でときわたりの迷宮だけしている。そのうちこちらも進めて行きたい。2Dモードで。

<以下は一行だけのちょっとネタバレ?核心ではないが閲覧にはご注意ください。>






















(※)終盤の物語がちょっと物足りなくと感じた理由。
収集されていない伏線もあるし、そもそもサブタイトルの意味も分からない。
もしかしたら、この後も物語的な拡張性があるのだろうか?


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2017年08月21日

ミーファイユー(ありがとう)【はるか、ニライカナイ2】

<2017年7月某日 土曜日・九>

ゆいレールの高架下を歩いて、私は三年前に訪れた店を探した。

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いつものように道に迷ったので、コンビニエンスストアでWi-Fiの電波を拾って、場所を調べた。
そこから歩いて数分なので、懐かしいその店に這入ってみる。

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店に這入ると、予約をしているかと訊かれた。
もちろんしていない。
まだ午後6時過ぎの店内は、未だ満席とは思えないが、予約でいっぱいらしい。
お内儀さんが8時くらいまでなら大丈夫と言うので、私は「飛行機の時間があるので、長居はできません。だからそれで一向に構いません」と答えた。
実際、少し早めに空港には行きたいから、30分くらいしか時間がない。晩飯にいくつか料理を頼んで、ビールさえ呑めればそれでいい。
品書きを捲って、前回に来た時に食べられなかったアダンの実を使ったチャンプルーを探してみたが載っていなかった。

■ふーちば(ヨモギ)チャーハン

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豚肉、よもぎの香り。ほどよい塩加減。
美味しい。

■島ドーフとザーサイのラー油がけ

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島豆腐。
甘い、旨い、濃厚。

時間がないので注文はこれだけ。

会計時に、値段を書いた紙片を渡された。
そこには「ミーファイユー(ありがとう)」という八重山の方言が書かれていた。
これも3年前に訪れた時と一緒だった。
帰り際、アダンの実を使ったチャンプルーのことを書いた紙が壁に貼られているのに気づいた。今度来るときは、きっとアダンの実を食べようと思った。

お内儀さんは、「今度はゆっくりして行ってください」と言う。私は「実は三年くらい前にも、この店に来たことがあるのです」と付け加える。お内儀さんは「ありがとうございます」とやさしく微笑んでいた。

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そのままゆいレールに乗って空港まで行き、夜のフライトで羽田まで飛んだ。

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沖縄は、たった一日の自由時間でもじゅうぶんに充実した時間を過ごさせてくれる場所だった。

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(おしまい)


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2017年08月20日

SalleyとRihwaと【DQXI日記】@OTODAMA BEACH TERRACE

海へ行こうと思った。
鎌倉の海に行こうと思った。
泳ぎに行くためじゃない。
湘南や鎌倉の海はそれほどきれいじゃないから、別段出かけたいとも思わない。(湘南の海も南国や異国の海と比べられたらひとたまりもない。)

鎌倉の由比ヶ浜海岸で、Salleyがフリーライブを行うという。
フリーライブはOTODAMA BEACH TERRACEというところで行われる。
その名の通り、それは音霊の系列の海のレストランだった。(今年のOTODAMA SEA STUDIOは三浦海岸らしい。)

由比ヶ浜海岸には12時40分頃に到着した。
音霊の文字を探して由比ヶ浜海岸の端っこまで歩いたが見つからない。
海岸を間違えたのかと思って私は途方に暮れる。
引き返してようやくOTODAMAの文字を見つけたが、そこは私が由比ヶ浜海岸に入ったところに一番近い海の家だった。

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ステージではSalleyのリハーサルが行われていた。
どうやらこのあと午後1時からSalleyのステージが始まるらしい。

Twitterで、ボーカルのうららが、「3DSを持っていくから、『ドラクエ11』やってる人は私のヨッチを拾っていって」とつぶやいていた。
私は今朝それを見て、大急ぎで3DS版を進めて、ヨッチ族の村までたどり着いた。(PS4版は寄り道プレイの末、100時間になろうとしているが、物語はまだまだ終わらない。PS4と3DSは、ふっかつのじゅもんで連動させない方針。)

リハーサル終了後に3DSを取り出して確認してみると、うららのヨッチだと思われる個体が私のヨッチ村に来ていた。もちろん、そのヨッチはVIP登録した。うらら勇者様はレベル30代中盤だった。私はまだ13とかそんなもん。私はうーちゃんをゲットできたので、にんまりとして3DSを仕舞い、ライブが始まるのを待つことにした。

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よくみると物販用の卓子の上に黒い3DSが乗っている。黒いボディの上面にメタリックの装飾が付いていた。(うららによると、これがうららの愛機で「はぐれメタルバージョン」とのこと。)

午後1時、ほどなくして登場したうららは、「今日のSalleyのステージは撮影OKですよ。SNSにはきれいに撮れた写真だけアップしてね」と言って微笑んでいた。
というわけで、私は徐ろにカメラを取り出して、何枚か写真を撮影した。

編成は、Salleyのメンバーのボーカルうららとギター上口浩平に加えて、サポートメンバーにキーボード。キーボードの人はいつもの人だ。

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いつものようにうららの歌声は響き、私を異世界へといざなった。

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<セットリスト>
01.Wonderland
02.green
03.夏はゆく
04.キスしてbayby
05.赤い靴


「夏はゆく」や「キスしてbayby」は夏唄に分類される。
特に「夏はゆく」は今の時期には最適なセットリストだと思った。
空は雲に覆われていたけれど、開放的な空間でSalleyの唄を聴くことが出来たので満足した。

物販で売られていたのは、ツアーグッズなど。
私は物にはあまり興味がないので購入はしなかった。

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続いてお笑いコンビ「ライス」のステージ。
ライスはM−1優勝したんんだっけ?
音霊の社長をリスペクトしているどうか知らないが、「何とかしてクレーイ」というギャグが印象深い人たちだ。

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それなりに面白いネタを20分くらい披露して終了。
ライスも写真撮っていいと言っていたので撮影する。

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出来れば早く帰りたいので、次がRihwaだったらいいなと思っていたら、見覚えのある黒いアコギがセットされていたので、どうやら私の希望通り次はRihwaらしいと確信する。

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リファーサルの後、本番ステージ。
サポートは、ギターとペダルスチールの両刀使い。

Rihwaはとても力強い歌声で歌い、心から海辺のステージを愉しんでいるようだった。
そういうことが直に伝わってくるようなステージだった。


<セットリスト>
01.CHANGE(G)
02.LAST LOVE(HM)
03.How Far I’ll Go(HM。英語詩カバー)
04.明日はきっといい日になる(G)
05.春風(G)


「LAST LOVE」について、Rihwaは「水の中の花火」と話していた。
私は何となく「Fireworks in water」という歌詞を深く考えもせず「水面に映る花火」としてイメージしていたが、それは間違いだったようだ。その歌詞は具体的な意味合いではなく、抽象的な意味合いにおいて水の中で炸裂する花火をイメージしているらしい。
そんな私の過ちは別にして、とても心に沁み入るような美しい唄だった。
「How Far I’ll Go」はディズニー映画『モアナと伝説の海』の唄らしい。Rihwaはこの映画が大好きと話していた。私はスリランカ行きの飛行機で見ようと思ったら音声が英語で中国語字幕しかなかったので、別にここで観なくていいやと思ってスルーした。それ以来機会を逸したままである。
モアナの唄と「明日はきっといい日になる」では、サポートの人がペダルスチールという「ぽよんぽよん」というハワイアンな音のする楽器を演奏していた。ぽよんぽぽよんペダルの音が心地よかった。モアナの唄の後に、Rihwaが「気持ちいい!」と言っているのが微笑ましかった。
「春風」はゆったりと丁寧に、その唄が聴衆に届くように歌っていた。

ずっと曇りだったが、Rihwaのステージの頃には、時おり晴れ間も見え始めていた。

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SalleyとRihwaを続けざまにフリーライブで聴けるとは、なんとも贅沢な午後だった。
Rihwaの出演についてさえ、Salleyのうららのつぶやきで知ったくらいだから、その後の出演者のことなどしらなかったが、社長のクレイ勇輝もこの後に登場したらしい。前座でライスが「何か歌ってクレイ!俺を許してクレイ。女を紹介してクレーイ!!」とか言ったりしなかったのだろうか?

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砂の造形物。

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私はRihwaのステージが終わったと同時に鎌倉駅へ走ったが、行き過ぎて鶴岡八幡宮が見えてきたので、小町通りに入り、そのまま南下して鎌倉駅に戻った。

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おかげで帰る電車が一本遅くなった。
「それにしてもこの気温で街を走っても、ほとんど汗をかかない俺の体質すげえ」とひとり悦に入っていた。

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さすがに喉が渇いたのでコンビニエンスストアで生ビールを購入して、それで喉を潤した。

(おしまい)


thanks_dude at 20:01|PermalinkSalley 

旅は道連れ【はるか、ニライカナイ2】

<2017年7月某日 土曜日・九>

斎場御嶽から降りて、バス停でバスを待っていると、タクシーの運転手が声をかけてきた。
バス停でバスを待つ人は私を含めて三人。
ひとり当たり1000円で那覇市内まで送るがどうかという売り込みだった。
バスだとひとり800円くらいだからタクシーで行くのも悪くないが、後のふたりは女性だったので「私はおふたりがよいのならそれで構わない」と答えた。
女性ふたりも承諾したので、相乗りで那覇市内に戻ることにした。(後で考えたら、スリランカ仕込みの値切り術で100円か200円くらい値切ってみればよかった。)

相乗り客のひとりは中年の日本人女性で、もうひとりは若い中国人女性だった。中国人女性は達者に日本語を操っていた。
タクシーの運転手は75歳のおじいだった。

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斎場御嶽のことを「あんな何にもない所」とおじいは言う。
地元の人にとっては、琉球時代からの聖域も、特に面白くない場所に過ぎないのかもしれない。

おじいははじめ、沖縄の桜は一月に咲くとか、あの花は何で、あの花はかにでとか言った当たり障りのないことを話していた。
沖縄から持ち出してはいけないものに、サツマイモとアメリカマイマイがある。アメリカマイマイには寄生虫がいるから駄目。(サツマイモが持ち出し禁止の理由は特に言及しなかった。)サツマイモや焼酎は沖縄から薩摩に伝わった。アメリカマイマイは昔は食用にしていた。たくさん取ってきて煮るのだという。きっと寄生虫は加熱すれば死ぬ。
そういう話を聞くのは楽しかった。

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だが、だんだん話がきな臭くなってくる。
あの団地には放射能を恐れて関東からたくさんの女子どもが引っ越してきている。原発のことを報道したら、たいへんな事になるからメディアは絶対に報道しない。沖縄で北関東から持って来た腐葉土を使って子どもたちが畑を作ったら、腐葉土から放射能が検出されて大騒ぎになった。
そして話題はISやアルカイダのことに及ぶ。日本人が捉えられても政府は見殺しにするだろう。東京でいつテロが起こっても仕方がない状況である。オリンピックの時は気を付けなきゃ駄目だよ。そんなことをたとえ穏やかな琉球訛りで言われても困ってしまう。私は基本的に人見知りだから、そういう深刻な問題について、初対面の人と活発に意見を交わすことなんて出来ない。だんだんと車内の空気も重くなり、おじいだけがぽつぽつと喋っている状況が続いた。

やがて、タクシーは那覇市内に到着し、私たちは車を降りた。
最後に相乗りの中国人女性に日本には何日滞在するのかとか、他にどんな土地をめぐったのかということを興味本位で訊いてみた。
彼女は10日間滞在し、京都の祇園祭りを見て来たと言った。(祇園祭りってこの時期なのか…。中国人の方が祇園祭りについて詳しいという笑い話。)
これからは友人と合流し、またどこかに行くらしい。
質問をしているうちに、気のせいか、彼女は私がナンパでもしているのだろうかと怪しんでいる表情をみせていたが、私にはそんな気持ちはさらさらなかった。
ただ同じ旅人として、外国人がどんな風にこの国をめぐるのか知りたかっただけである。
たぶん相手が男だろうと西洋人だろうと同じ質問をしただろうと思う。

(つづく)


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斎場御嶽【はるか、ニライカナイ2】

<2017年7月某日 土曜日・八>

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安座真港からは斎場御嶽(せーふぁうたき)を目指した。
バスの時間を確認したが、すぐには来そうにないので、ここからは海と久高島を見ながら、坂道を歩いて行くことにした。

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安座真サンサンビーチのバス停から斎場御嶽入口までは徒歩30分くらい。

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そこから斎場御嶽までは10分もかからなかったと思う。

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斎場御嶽は、琉球における最高位の御嶽。
琉球王族の女子が、神女(ノロ)の最高位、聞得大君(きこえおおきみ)に就任する際に儀式を行った場所。
ここも本来は男子禁制だったのかもしれない。

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斎場御嶽はガイド(ひとり300円)付きで見学すると50分かかるらしい。
だが帰りのバスの時間を考慮すると、今から50分間滞在することはできない。
ガイド付きで見るのとそうでないのとはだいぶ違うと案内のおじいは言うが、私は泣く泣く断念した。

石段を歩いて御嶽を見学した。

■御門口(うじょうぐち)
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■大庫理(うふぐーい)
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■艦砲穴

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太平洋戦争末期の沖縄戦で、海上の戦艦から打たれた大砲の弾が着弾した跡。

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この聖域でも、激しい戦闘は繰り広げられた。

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艦砲跡には、今は水が溜まり、イモリが泳いでいた。

■寄満(ヨンイチ)
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■シキヨダユルとアマダユルの壺

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鍾乳石から水が滴る場所。

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雫滴る下には壺が配されており、水を湛えていた。

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その水は神聖なもので、儀式に使うらしい。

■三庫理(さんぐーい)

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三角形の洞門をくぐり抜けた先には四畳くらいの開けた空間がある。
このあたりが祭祀場だろう。

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木々の向こうには、海が広がり、東方楽土ニライカナイに一番近いという聖地・久高島も拝することができる。

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岩の裂け目はどことなく幻想的な雰囲気である。

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この時間帯は、観光客が引きも切らないが、早朝とかに来たら、きっと厳かな気持ちになるに違いない。(ただし早朝は、門が閉ざされているだろう。)

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■砲台跡
斎場御嶽の正規ルートから外れたところに階段があった。

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降りて行くと、沖縄戦の際に日本軍が構築した砲台の跡地があった。

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今回の琉球行では、戦跡のようなものに訪れる時間はないと思っていた。

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だが思いもかけずにこういう場所に行き当たってしまう。こういうところに沖縄戦の凄惨さというものが感じられた。
もちろんここに観光客なんか訪れる筈もなかった。

■ウローカー

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砲台跡のさらに先にある。
斎場御嶽に入る前にみそぎをした場所。

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水場。

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私は来た道を引き返して、那覇市内へと向かうべくバス停に向かった。

(つづく)


thanks_dude at 19:18|Permalink【きまぐれ旅日誌】 

イラブー汁【はるか、ニライカナイ2】

<2017年7月某日 土曜日・七>

この島でやり残したことはただひとつ。
食事処でイラブー汁を食べること。

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かつて伊良部という野球選手がいた。
豪快な体型をしたふてぶてしい顔立ちの投手で、結果は残さなかったがメジャーリーグでプレイしたこともある。
名監督のひとりである野村克也監督が、伊良部のことをある時「イラブくらげ」と呼んでいた。
久高島のイラブー汁は、そんな伊良部の汁を食材にした料理。

ええいッ!!
気持ち悪いわッ!!!

悪ノリの法螺話は置いておいて……。

イラブーとは海蛇である。
この島では伝統的にイラブー漁が行なわれ、琉球王家にも献上されてきた。

私は蛇なんか食べたこともないので、この琉球の聖地でそれを体験してみるのも面白いと思っていた。
テレビ番組などで見る限り爬虫類を食べるということは、私にとってはそれほど違和感を感じない行為だった。
虫は食べられないけれど、蛇とか鰐なら正しく調理されていれば問題なく食べられそうだと思っていた。

イラブー汁定食は、一膳2000円だった。(けっこうなお値段。)
炎天下の中、自転車を漕いでいたので、冷たいオリオンビールの生を呑みながら料理が来るのを待った。

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■イラブー汁

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具はイラブーとソーキと結んだ昆布と大根。
淡い味噌仕立て。
やさしい味わい。
イラブーは鱗が黒光りして、どことなくグロテスク。

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蛇の皮革は、思いのほか柔らかい。
臭みや嫌味はまったくない。
ジャーキーとか鰊の干物みたいな食感と味。

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そういえば島にイラブーの燻製小屋があった。
つまりこのイラブーは、燻製にしたものを水でもどして、じっくりと柔らかくなるまで煮込んだものらしい。(お店の人にも確認した。)
それ故に骨まで軟らかくなっていたのだ。

※イラブー汁を食べると、体温が上昇し、血行が良くなり、免疫力が高まる為、年に二回食べると風邪もひかないと言い伝えられてきたという。

■ニガナ和え

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この小鉢がニガナ和えだと思う。たしかにちょっと苦みのある草。野菜が好きならこの草も好きだろう。とても美味しい。

■さぁたぁあんだぎー
沖縄のドーナツ。ひと口サイズ。甘さ控えめだった。

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イラブー汁も食べたので、この島を離れることにする。

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港に停泊していた船に乗り込み、沖縄本島へ戻る。

(つづく)


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久高島をゆく(三)【はるか、ニライカナイ2】

<2017年7月某日 土曜日・六>

集落に戻り、祭祀場や施設をめぐる。

■御殿庭(うどぅんみゃー)

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手前の二棟が祭祀場で、奥がイラブー(海蛇)の燻製小屋らしい。

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百甕(むむはめー)は賽銭箱か?

■大里家(うぷらとぅ)

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五穀の神が祀られている。島の始祖家のひとつ。

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なぜだか「むむはめー」の響きに惹かれている自分がいた。

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■外間殿(ふかまどぅん)

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多くの祭祀が行われる拝殿。

■はんちゃたい

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集落の中にあり、天と地をつなぐとされる石が置いてある。
一見するとただの広場にしか見えず、見つけるのに難儀した。

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■めーぎ浜

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集落に近い浜。

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海に入って、青い熱帯魚を水中カメラで撮影してみる。

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これでひと通り久高島の島内をめぐったので自転車を返した。
自転車を借りた船の待合所には物産も置いてあり、イラブー粉末というものが売られていた。

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イラブーとは海蛇のこと。試食用の分をちょっと味わってみる。
うん、粉っぽい、
何かのスパイスのような味わい。
どんな味だかよく分からない。

(つづく)


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2017年08月19日

ふたりのベロニカ【DQXI日記】

(なるべくネタバレにはならないように書きますが、閲覧の際は、ドラクエ11の物語をひと通り完了させてからにすることを推奨します。)

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今回はベロニカについて。














以前のDQXI日記で、マルティナの事を記述した際に、『マルティナは海』という映画のタイトルを拝借した。

ベロニカのことを書くとするならば、何がいいだろう?

ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて_20170808033256

『バイオハザード:コードベロニカ』……。ちがう。

パウロ・コエーリョの小説『ベロニカは死ぬことにした』、うーーーん。駄目。

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クシシュトフ・キェシロフスキ監督の映画『ふたりのベロニカ』、よしこれにしよう。

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ベロニカは、幼児のような姿をしたこまっしゃくれた性格の女の子だった。

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見た目は幼な児だが、魔力は超一流で、その押しの強い性格と、的確な決め台詞で、いつしか勇者様の心を射止めていた。

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勇者様にロリータコンプレックス的な傾向は皆無だが、なぜだかその幼な児に心を惹かれていた。

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物語は佳境に入り、勇者様御一行は再び聖地ラムダへとたどり着いた。

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それにしても、この再び訪れた聖都ラムダでのエピソードは素晴らしい。
これまでの冒険で物語に惹き込まれていたプレイヤーを、さらに没頭させるような演出がびしびしと冴えわたっていた。

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(比較しても栓なきことながら、FFXVの人たちはDQXIのストーリーテラー“ほりいがみ”の爪の垢を煎じて飲ませたい。)

何だかロックでちびちびと呑む泡盛がとても沁みる。

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今のところプレイ時間は95時間。
たぶん100時間以内では終わらない。

明日はSalleyを聴きに海に行くので、あまり冒険はできない。
来週末は出張で、「福岡からの18きっぷで熊本」である。
なかなか思う通りに冒険は進まない。

(つづく)


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久高島をゆく(二)【はるか、ニライカナイ2】

<2017年7月某日 土曜日・五>

■ロマンスロード

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ここからは西側の海岸線。

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東側と違って、碧い海に海底の陰影が反映されて、とても美しい光景が広がっている。

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こちら側はせり出した岸壁の下に砂浜が広がっているという地勢。

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岩場に架けられた梯子を降りて行った砂浜には誰もいない。

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そもそも自転車で島をめぐっている観光客だってそれほど多くはない。

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誰もいないのをいいことに、私はその場で何も隠さずに水着に着替えて、しばしの間海水浴を楽しんだ。

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ひとりじめの美しい砂浜は、最高に気分がよい。

ちなみに「安全に泳ぐならめーぎ浜かココがおすすめ」と手作りマップには書いてあるので、ここで遊泳することは公認されていると思う。

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■うぷうがみ(フボー御嶽)
琉球の七大御嶽のひとつとのこと。

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この御嶽は、神女(ノロ)と呼ばれる巫女が祭祀の時のみ立ち入ることを許されている。
神女が祭祀に大きく関わってきた琉球王国には、先にこの記事でもふれた斎場御嶽(せーふぁうたき)と同じように、男子禁制の場所も少なくはない。(斎場御嶽は、現在は男子禁制というわけでもないらしい。私も見学できたから。)

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フボー御嶽は、男子禁制であることはもちろんだが、普段は何人も立ち入ることは許されていない。

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それゆえに、許可されている場所から密林の向こうを覗き見ることしかできない。

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結局なんだかよく分からない密林を拝むのみで撤収した。

■やぐるがー

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「神女が禊に使う神聖な井戸」とのことだが、道の途中で仕切りがあったので、ここも立ち入りは制限されているのかと思って引き返した。

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そろそろ集落に近づきつつある。

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琉球の墓は、屋根もある石室のような形状。
沖縄本島とはまた少し形状が違うようにも見える。

■ちみんとぅまい(君泊)

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琉球国王と聞得大君(きこえおおきみ)が渡島する際に船が停泊した港らしい。

■めーぎ浜
集落に近い浜。
海に入って、青い熱帯魚を水中カメラで撮影してみる。

(つづく)


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