2015/08

2015/08/31

ディケンズ『イタリアのおもかげ』読了

十九世紀イングランドの文豪、チャールズ・ディケンズの紀行文『イタリアのおもかげ』を読了した。
ディケンズのイタリア紀行は、これまで読んできたイタリアをモチーフにした創作物とは違って、イタリアの闇というか汚い部分に焦点をあてて、そこに風刺や皮肉や問題提起を織り込んで展開される。
美術品や建築についても、独自の審美眼で審判を下す。
尖がったスタンスの紀行文は、とても個性的だと思った。
ディケンズの見るイタリアは、街々に物乞いがいて、彼らは旅人に群がり、少しでもおこぼれを頂戴しようと狙っている。
人々には無気力と怠惰が蔓延していた。
イタリアという歴史のある土地は、長い年月を費やして、そんな人々を醸成した。

イタリアはユーロ圏の中でも絶えず経済的には揮わないという印象がある。
経済危機にあるギリシアとも、そういった意味では共通性があるのかもしれない。
あれだけの観光資源を持ちながら、その恩恵に与るだけで満足している。

誰かが、イタリア人がカーニバルやカルチョやら何やらに捧げる情熱の少しでも政治や経済に向けたなら、イタリアはもっといい国になるのにと皮肉を言っていた。
つまりディケンズが言いたいのは、そういうことなのかも知れない。

それにしてもイギリス人の書く英語的な文章のリズムは、翻訳とはいえ最後まで馴染めなかった。


十九世紀イングランドの文豪、チャールズ・ディケンズの紀行文『イタリアのおもかげ』を読了した。
ディケンズのイタリア紀行は、これまで読んできたイタリアをモチーフにした創作物とは違って、イタリアの闇というか汚い部分に焦点をあてて、そこに風刺や皮肉や問題提起を織り込んで展開される。
美術品や建築についても、独自の審美眼で審判を下す。
尖がったスタンスの紀行文は、とても個性的だと思った。
ディケンズの見るイタリアは、街々に物乞いがいて、彼らは旅人に群がり、少しでもおこぼれを頂戴しようと狙っている。
人々には無気力と怠惰が蔓延していた。
イタリアという歴史のある土地は、長い年月を費やして、そんな人々を醸成した。

イタリアはユーロ圏の中でも絶えず経済的には揮わないという印象がある。
経済危機にあるギリシアとも、そういった意味では共通性があるのかもしれない。
あれだけの観光資源を持ちながら、その恩恵に与るだけで満足している。

誰かが、イタリア人がカーニバルやカルチョやら何やらに捧げる情熱の少しでも政治や経済に向けたなら、イタリアはもっといい国になるのにと皮肉を言っていた。
つまりディケンズが言いたいのは、そういうことなのかも知れない。

それにしてもイギリス人の書く英語的な文章のリズムは、翻訳とはいえ最後まで馴染めなかった。



thanks_dude at 21:35|Permalink 読書 | 【2015遠い太鼓(イタリア紀行)】

2015/08/30

2015年度Club ancoroの集い KOKIAサロン@原宿クエストホール

八月も終わりを告げようとしている。
今年の八月はここ数日で急激に気温が下がり、ぐずついた天気が続いていた。

そぼ降る雨の中、私は原宿を目指した。
KOKIAに会いに行く為に、その街を目指した。

KOKIAは毎年ファンクラブの会員向けにライブイベントを行う。
それはファンクラブの会費から考えると、首都圏在住ならそれだけでおつりがくるくらいの大盤振る舞いだった。

会場は昨年と同じクエストホール。
エントランスで受付をしていたのは、Victorの音楽プロデューサーの助川さんだと思う。
クエストホールに入場してロビーを見ると大きなパネルが設置されていた。
それはKOKIAと象の写されたパネルで、パネルからは“ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね、そうよ母さんも長かった♪”と歌うKOKIAの声が聴こえていた。微妙に歌詞がオリジナルと違うのも面白かった。
KOKIAが当日は一緒に写真を撮れるような試みを用意しているからカメラを持ってきてくださいとどこかに書いていたのは、このパネルのことだったのか。

席を確保して、ウェルカムドリンクのスパークリングワインを受け取り、私はロビーでゆっくりとすることにした。

やがて開演時間が近づいたので席に戻った。
ステージにはグランドピアノとギターが設置されていた。
照明が暗転し、見覚えのあるマッシュルームカットの男が現れたのを見て私は歓喜した。
久しくKOKIAのステージでは見かけることのなかった松尾さんが今日のサポートギターだった。
そして、KOKIAがステージに現れた。

…うん?
KOKIA肥えたか?

まったく情報収集をしていないし、KOKIAのブログもしばらく見ていないから、よくわからないが、KOKIAはマタニティドレスを纏っているように見えた。もしかしてKOKIA御懐妊か?とも思った。

KOKIA
ようこそおいで下さいました。
KOKIAサロンは、一年に一度のKOKIAからの皆様への心からのおもてなしという気持ちで開催しています。
アットホームな雰囲気でリラックスして聴いていただけたらと思っています。
最後まで楽しんでいってくださいね。

01.Family Tree

KOKIA
改めましてこんにちはKOKIAです。
久しぶりの方もいらっしゃるかと思いますが、何よりも久しぶりなのは、松尾さんですね。
二年ぶりくらいかな?
ちょっと久しぶり過ぎですよね。
松尾さんとは10年以上の付き合いで、ご無沙汰する前はずっと一緒にやっていたのだけれど、やっぱり久しぶりに一緒に演奏すると楽しいですね。

ロビーにあったパネル、皆さんご覧になりましたか?一緒に写真を撮ってもらえるように用意にしたので、是非記念撮影をしていってくださいね。実はあのパネルは、昨日の集いではセンサーがうまく働いていなくて、私の声が流れるのは、今日だけなんですよ。センサーはスタッフさんが何とか治してくれて、急遽、象さんの唄を録音したんですよ。そうしたら、“お鼻が長いのよ”のところが、“長かった”って過去形になっちゃったんだけど、撮り直しするのも何なのでそのままにしておいたんですよ。

それからあのパネル、本当は二つ折りで発注したのだけれど、KOKIAの集いの前日の夜に届いてみたら、二つ折りになっていなくて、これじゃ車に積めないじゃないということになって、急遽、夜にこちらの会場にえっちらほっちら担いで運びこんですよ。もちろんひとりでじゃないですよ。

02.花

基本的にKOKIAの集いは、唄の合間は質問コーナー。

質問1
昔の曲をセルフカバーというか、今のKOKIAで歌うようなCDを製作していただけませんか?

KOKIanswere
いいですね。タイミング的にも抜群です。
次の曲も随分長いこと歌っていない唄なのですが、久しぶりに唄ってみると新しい命が吹き込まれるようなそんな思いがします。ただ、これからジャズのカバーアルバムを秋くらいに仕上げて、動物をモチーフにした動物シリーズのアルバムを春先くらいに仕上げないといけないから、具体的に作るとしたら来年になるかもしれないですね。
でもいいですね。やってみますか。もう一度背中を押された感じがします。ありがとうございます。

質問2
いつだったか、マイケル・ジャクソンに関する唄を作っていると仰っておりましたが、その後、あの唄はどうなりましたか?

KOKIanswere
“あの日ラジオから〜♪”って唄ですよね。
あれはまだ引き出しの中に眠っています。
私にとってもお気に入りの曲で、98%くらいまでは完成しているのだけれど、最後の一手が決まらずにいます。
もしかしたら、明日歌ってみたら、“あら、これいいじゃない”と思って、完成してしまうかもしれません。

03.かわらないこと〜since1976〜

「かわらないこと」は過去一番松尾さんと演奏した唄かもしれないですね。

質問3
松尾さんのマッシュルームカットと天使の輪が、相変わらずでまさに“かわらないこと”だったのが嬉しいです。ところで松尾さんはどんなシャンプーを使っていますか?

松尾nswere
普通のシャンプーですよ。
パンテーン。

KOKIA
松尾さんとはしばらくご一緒していなかったので、ファンの人たちは“喧嘩したの?”みたいなことも囁きあっている節も無きにしもあらずですが、共演していない間もたまに会ったりしていましたし、KOKIAからオファーすることもありましたよ。でもタイミングが悪くて、松尾さんの方が別の仕事で忙しくてお断りされていたんです。

質問者
ところで、KOKIAさんの得意な手料理ってなんですか?

KOKIanswere
料理はあまり得意ではありません。
だから手間のかからないカレーライスです。
タイ風カレー(グリーンカレー)と普通のカレーライスを作り分けるくらいなんですよ。
旦那さんは、私の料理で何が好き?と訊くとお好み焼きと答えていました。
ううん、でもお好み焼きって最後にお好みソースをかけて味付けするから、誰が作っても同じですよね…。


質問4
私は「moment」という唄が好きなので、「moment」が出来た経緯を教えてください。

KOKIanswere
「moment」が表題曲になっている『moment』は不思議なアルバムで、お客さんを集めて公開録音という形で収録したのね。
その収録の三日後にあの大きな地震が起こって、あの頃、ミュージシャンはこんな時期だからリリースを遅らせるべきなんじゃないかとか、むしろこんな時だからこそ皆を勇気づけるために唄を歌おうとかいう動きがありました。
私も迷いました。
曲を書いた時は、誰かを勇気づけようとかそういう気持ちはなくて、今リリースしてそういう風に受け手側に捉えられるのは何かが違うかなとも思いました。
あの唄は、自分が人生のいろいろなことを乗り越えられるように自問自答して出来た曲なんです。
製作をしていると、私には実にそういう自分に対する唄が多いことに気づかされます。
でも、そういう曲に共感してもらえることは、とても有難いことだと思います。

質問5
地方のフリーライブやイベントライブなどで歌われる唄が、普段聴けない唄だったりして嬉しかったりもするのですが、先日の京都の八坂神社のライブでは、一曲目に突風が吹き、KOKIAさんも非常に喉がたいへんそうだったけれど、あれは仕切り直した方がよかったのではないでしょうか?KOKIAさんとしてはどうだったのでしょうか?

KOKIanswere
やり直すことも脳裏をよぎりましたが、あの時のその場の雰囲気や曲調のことも考慮して、このまま行った方がいいと判断しました。でもそういう意見や感想を訊けるのは、とても新鮮で有難いです。

質問者
そういえば、いつだったかの六本木ミッドタウンでも変なおじさん(酔っ払い?)が乱入しようとした事がありました(私もよく覚えている。)が、あの時は大丈夫でしたか?

KOKIanswere
うん。
けっこう冷静でした。
だれかが止めてくれるだろうとなんて思っていました。
実際に何とかなりましたしね。

ここから数曲は弾き語り。
次の曲はアルバム以来初ライブですね。

05.音の旅人
06.もう愛せない

そして松尾さん再び。

質問6
今の二曲、とてもよかったです。
大きなホールのライブもよいけれど、こういった小さな会場のライブでもよい唄を歌われているので、ベストテイクを集めたCDなんかを製作していただきたいのですが、いかがでしょうか。
いや、一瞬で消えてしまうのは実に勿体無い。

KOKIanswere
それがライブです。
ライブとはそういうものです。
でも確かに、今のうまく歌えたな…、録っておけばよかったなと思うことも多いですが、実際に録ってみるとその日はそうでもなかったりすることだってあります。だからライブとはそういうものと割り切るしかないのかもしれません。ただ、録れる時はインラインで音だけ録音していたりもします。

質問者
追加で質問です。
KOKIAさんはいろいろなことをやってきましたが、これからどんな方向へ向かうのでしょうか?

KOKIanswere
私にも分かりません。
切り開いていろいろとやってみたら、それが進むべき方向だったというのが、その答えかもしれません。
何にせよ、自分のインスピレーションに身を任せて進んで行きたいと思います。

ここで発表があります。
KOKIAは、なんとびっくり、妊娠六ヶ月なんですよ。

ああ、やはりと私は思う。

10月の山梨県の湖畔のライブはやりますよ。
私は“ぽんぽこコンサート”とか“ぽんぽこ祭り”とか呼んでいます。
ぽんぽこ祭りでは、ゆったりしたコンサートになればいいと思います。

質問7
今後、松尾さんとライブの予定はありますか?

KOKIanswere
具体的にはないが、いずれそういうこともあるでしょう。

追加質問
DVDよりもBrue−Rayで映像作品を制作してください。

KOKIanswere
どうしてもコスト的なことを考えると、大量生産が出来ないから、小売価格が高くなってしまう。
それでも買ってくれます?
損益分岐点を考慮すると今は難しい。
20周年のアニバーサリーで頑張ってみるとかは考えています。

質問8
「Color of Life」のライブ盤が素晴らしかったので、他のライブもライブ盤を出してください。

KOKIanswere
いつか出来たらいいですね。

質問9
KOKIAと松尾さんに、これからの夢はなんですか?

マッシュ松尾
死ぬまで生きる。

KOKIA
同じく。

07.Dear Armstrong

質問9
質問がみっつあります。
六月のコンサートのDVDはいつでますか?

KOKIanswere
10月くらい。ぽんぽこ祭りには間に合わせようかと思っています。

来年二月のオーケストラコンサートで演奏が決まっている曲はありますか?

KOKIanswere
世界の終わりに
戦火の花
唄う人
usaghi

特にusaghiはギターの曲なので、ギターのないオーケストラでどんな風に生まれ変わるのか楽しみです。きっとゾクゾクするようなものになると思います。

ずっと売れ残っていたツアーグッズの傘の売れ行きはどうですか?

KOKIanswere
よさげです。
昨日も今日も雨模様だったのが良かったのかもしれません。
今日で売り切れそうな勢いです。
さようなら♪
在庫ともやっとお別れできる♪

質問10
御懐妊おめでとうございます。
生まれてくるお子様にこういう風に育って欲しいとか思うことはありますか?

KOKIanswere
いい具合に育ってくれたらいいと思っています。
はじめてのことなので、あまりよくはわかりません。

質問者
KOKIAさんの唄には、生きるとか愛とかそういう重厚なテーマが多いのですが、私個人としては「I Catch a cold」とか「ライアーライアー」みたいな悪戯っぽい唄も好きなので、今回の御懐妊を気にそういう唄が増えてくれると嬉しいとおもうのですが、いかがでしょう?

KOKIanswere
え?私の曲ってわりと変なのも多くないですか?
“ニャンニャンニャン”っていう唄もあるし、動物シリーズみたいなお茶目なのもありますよ。
そういう曲がいいスパイスになればいいと思っています。

質問11
動画サイトなどの楽曲の二次使用についてどうお考えでしょうか?

KOKIanswere
私の立場的には、“どうぞどうぞ”とは言えないのですが、私のことが好きで使ってくれているのなら、それは純粋に嬉しいです。ただ、回転数を変えて誰が歌っているのか分からないようなのは嫌です。
(そう言って、子門真人のような声で“だぁれもぉがぁぁぁ〜〜〜”と「ありがとう…」のフレーズを唄う。)

08.あたたかい場所

質問12
お二人に質問です。自分の持ち楽器以外でやってみたいものがありますか?

KOKIanswere
ギター

松尾nswere
うた、歌いたい。
もしくはドラムかな。

KOKIanswere追記
私はむかしドラム教室に通っていました。
でも不器用なのか、手足を別々に動かすことが出来ませんでした。
先生にはリズム感がないと怒られたりもしました。
以前、コンサートでシェイカーを振りながら唄を歌おうとしたら、巧くいかなくてドラマーのピースケさんに笑われてしまいました。

質問13
いつか心の季節を歌ってください。
それから植物の唄もたくさんあるので、植物シリーズでアルバムを一枚お願いします。

KOKIanswere
いいですね。
今頭にサボテンが浮かびました。
ありがとうございます。
すぐにやりたくなって来ちゃった。
家に帰ったら、まずサボテンの唄を作ります。

これで質問は終了。

ancoroの集いは、私にとっては皆さんとおしゃべりできる大切な時間です。
こういった時間をこれからも大事にしていきたいと思います。
これからも応援してくださいね。
宜しくお願いします。

09.この地球がまるいお陰で

挨拶をして、目の前をKOKIAが通り過ぎていく。
この後は、KOKIAによるお見送り。
KOKIAと会話を交わし、持参した何かにそれぞれサインをしてもらえる。

私の番の前の方の人たちが、KOKIAのお子様が男の子であることを訊いていた。

私は春に発売されたCDのブックレットにサインをしてもらった。
“まさきち”という名前を書いてもらったら、KOKIAはシンメトリーなものがあると、よくわからなくなってしまうと言って、書き淀んでいた。そんな姿を見ながら、やはり芸術的な仕事に携わる人は普通とは違うところがあるのだなと思った。

私が“お母さんになったKOKIAさんから、今度はどんな新しい音が生まれてくるのか妄想すると楽しみで仕方がありません”と言うと、KOKIAは“私も楽しみ”と悪戯っぽく微笑んでいた。
その微笑がいつまでも私の記憶の中をたゆたった。

秋のぽんぽこ祭りの頃は、私はイタリアに居てそれに参加することは出来ないが、来年のオーケストラコンサートがとても楽しみだと思った。

(おしまい)


thanks_dude at 19:10|Permalink KOKIA 

2015/08/29

奥華子 10th Anniversary Consert Tour 2015 〜弾き語り〜@関内ホール

20150829

今年、奥華子はデビューしてから十年を迎えるのだという。
私がはじめて奥華子の唄を聴いたのは、たしか八年前の隣街の夏祭りだった。
その前の年には植村花菜やいきものがかりが出演していた夏祭りのステージで、私は奥華子のライブを体感した。
あの日、とても蒸し暑かったのだけれど、演奏が始まったら、そんなことはまったく忘れてしまった。その不思議な感覚を私は今でも覚えている。ちょうどそのころ、奥華子が挿入歌と主題歌を提供したアニメーション映画の『時をかける少女』が地上波で初放送された時期だった。(私はもう少し前から一度奥華子の唄を生で聴いてやろうと画策はしていた。)
その時のセットリストが私にとっては、ベストとも言える選曲だったこともあって、私は今でも奥華子のライブにはしばしば脚を運んでいる。そして今日もそんな一日と相成った。

関内駅から会場のホールへと赴き、少し時間があったので、私は近くのバールのような店で、パスタを頼み、生ビールを呑んでいた。
ビールを二杯呑みながら、昼下がりに赴いていた別の歌うたいのライブのことを記述して過ごした。

奥華子のライブがはじまる十五分前に会計を済まして、そしてホールへと這入っていった。

ステージには、向かって右側にグランドピアノがあり、左側に電子ピアノがあった。
ステージに派手な飾りなどなく、今回はシンプルな印象である。
中央の上空に、“奥華子10th Anniversary”と印刷された正方形の赤い幕のような布が垂れ下がっていた。

音源化された奥華子の唄もだいぶ増えているので、私はそのすべてのタイトルを覚えられないでいた。
だけど、奥華子は演奏される唄のすべてのタイトルを教えてくれるので、とても有難い。(終演後にセットリストも張り出されいた。)
奥華子は相変わらずの歌声で、とても綺麗な声だった。そして安定性のなさもまたいつもと同じで彼女らしかった。
いちばん奥華子らしいと思ったのは、終盤にステージから降りて、不器用なステップで飛び跳ねながら、息を切らして客席の間を駆け回り、客席にハミングを促す場面だった。そんな彼女の姿を見ているだけで、こちらも何だか楽しい気分にさせられてしまう。こういうことが出来るから、私は奥華子のことが好きなのだった。

そうして、楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、心にはただ楽しい記憶だけが残された。


<セットリスト>

01.そんな気がした
02.君がくれた夏
03.魔法の人
04.ロスタイム
05.友達のままで(新曲)
06.夕立(E)
 リクエストタイム(ちょっとだけ演奏)
  二人記念日
  明日咲く花
  幸せの鏡
  タイムカード
07.海風通り
08.嘘つき(新曲)
09.恋
10.初恋
11.未来地図
12.一番星
13.花火
14.楔
15.笑って笑って(E)
16.変わらないもの
17.ガーネット

アンコール
 ちょっとだけリクエスト(Encore)
  BIRTHDAY
18.流れ星(新曲)
19.東京暮らし(新曲)
20.HAPPY DAYS


以下、メモ書き

二曲目終わりあいさつ。
みんな元気ですかーっ!!
イエーイッ!!
コールアンドレスポンス、四回くらい。

今日は皆さんに一緒にライブを作ってもらいたいんです。
最後までよろしくお願いします。

皆さんのいい夏の思い出になるといいな。
いや、するよ。

次の曲は「君がくれた夏」。
本田翼さん主演のドラマの主題歌が家入レオさんで「君がくれた夏」というタイトルなんですよ。奥華子の方は春先にリリースされて映画の主題歌だったんです。でもこういうのって時期が過ぎると忘れ去られてしまうこともあるけれど、今なら家入レオさんの「君がくれた夏」を検索すると漏れなく奥華子もついてきます!と奥華子はお道化ていた。

10年という月日は、けして短いものではなく、たくさんの人との出逢いがあって、今の自分へと繋がっているのだと思います。そんな気持ちで今日のセットリストを考えました。皆さんも楽しんでいってもらえると有難いです。

全国のツアーで何が楽しみかというと、ライブが一番だけれど、各地のお弁当というのも楽しみなんです。
横浜は絶対にシウマイ弁当が用意されています。
お弁当の楽しみは、こんなのだったらいいなとか、よし、今日は何々だ!!っていうのがあるのだけれど、横浜はシウマイだったらいいなと、よし、今日はシウマイ!!というふたつの喜びを味わえる。横浜ではシウマイ弁当についてスタッフと語ることが多いのだけれど、シウマイ弁当のご飯の小分けにされた感じもとても素晴らしいという結論になりました。

今年のツアーの合間には奥華子は新しいアルバムをリリースする。
ツアーの合間にアルバムをリリースするなんて珍しいんだけれど、新しい唄をいち早く皆に聴いてもらえるというメリットもあると奥華子は語っていた。皆で新しいアルバムを育てていけたらいいですねとも話していた。肝心のアルバムの方は、まだ完成していないらしい。

そんな風に話して、“何かが気になってしまって…”と彼女はもぞもぞしはじめた。
“あれっ?これチロの毛かも!!”と言って、奥華子は笑っていた。
ちなみにチロとは奥華子が昨年くらいから一緒に暮らし始めたキュートな白猫のことである。

ちょっとだけリクエストのコーナーでは、アンケートでも皆の好きな曲がばらばらでいつもセットリストに悩みますと言う。
自分が好きな唄を選ぶとすべて失恋ソングとかになってしまうし、アルバム製作でもそんなだから、最後に明るい曲も必要だよねということになって、最終的にバランスを取ることが多いらしい。
リクエストされる曲は幸せな曲が多かった。
いろいろな唄がリクエストされた。
「明日咲く花」では、あれいい曲だよねと言って、“自分で言ってる”と苦笑いをしていた。
「タイムカード」では、“このキーであってたっけ?ちょっと自身無いけど…”と言いながら、問題なく演奏していた。

「海風通り」は、もうずっと前インディーズ時代の曲。
二十歳そこそこの頃、毎週山下公園でフリーライブをしていた。
その頃に山下公園の海沿いの道をイメージして作った唄。
オムニバスCDでしか聴けないレアな曲。

「恋」や「初恋」の後、こういう曲多いですね。
自分で選ぶといつもこうなってしまう。
新しいアルバムでも頑張って明るい曲をこれから作ります。
でも、いつかテンションが下がるような唄ばかりのアルバムを作ってみたい。

この前、山形県の高校の学園祭に呼ばれた。
山形県の南の日本海側の鶴岡市というところのほど近く。(鶴岡には私は行った事がある。懐かしい。)
前日に現地に行って、トレードマークの赤メガネを忘れたことに気がついた。
さらにその前日、社長の車にメガネを忘れて、社長がスタジオの目に付くところに置いておいたが、何の言付けもなかったので、気づかずに忘れてしまった。
困ったけれど、ふだんしている茶色メガネでもいけるかなと社長に話すと、ものすごい剣幕で奥華子は“赤メガネだろう!”と怒られた。奥華子としては“いやいやいや、黒メガネの時もあったですやん…”と思ったが、そこまで言われたら仕方ないので何とかすることになった。社長の娘のアカネちゃんに東京から深夜に車で持ってきてもらうという話で落ち着きそうだった(アカネちゃんは全然大丈夫っすよ的な感じでどちらかというと乗り気だったらしい。)が、結局インターネットで検索すると、車で二十分くらいのところにドンキ・ホーテがあり、そこで赤い縁のメガネを手に入れることが出来た。それを何とか養生して、ライブに臨む事が出来そうだった。それをアカネちゃんに伝えて、アカネちゃんに御足労願うこともなく、事なきを得たという。
奥華子はよく物を忘れるらしい。父親はとても心配性だからその反動かもしれないとも話していた。ある時、新幹線で移動するために車で駅に赴き、そこでキーボードを忘れたことに気がついた。慌てたがどうしようもないので、家電量販店で急遽新しいキーボードを購入してライブに臨んだ。それでも問題なくライブは行うことが出来た。
そして………
ライブから戻り、駐車場で車に乗ろうとしたら、なんと後部座席のドアが全快だった。
そんなことがあっても、これまで大きな問題もなく活動できたのだから、きっとこれからも大丈夫。
そんな話がとても楽しかった。

どんなことがあっても、自分の考え方次第で見えてくるものは違う。チロのようにありのままの自分で過ごしていきたいと思っています。

二十歳そこそこの頃、私はいつでも自信満々で、メジャーデビューだって出来るし、私はミュージシャンとして成功するだろうと思っていた。
そんな頃、今の事務所の社長に、それだったらお前はとっくに売れているだろうと言われた。
そして、その言葉をきっかけにして自分を見つめ直し、路上ライブを始めることにした。
路上ライブを始めたころは、今度は逆に自信を失くしていて、それでも人との出逢いが嬉しくて、CD一枚を買ってくれることの有難さというものをいつも感じていた。その頃にはもう、メジャーで売れたいとかそういう思いは影を潜めていて、ただ路上での人との出逢いを大切にしたいと思うようになっていた。
ある時、千葉の某所で路上ライブをしている姿(「花火」を唄っていた。)を、ある人が見てくれていて、今もお世話になっている音楽プロデューサーに紹介してくれた。Nさんという音楽プロデューサーは、奥華子を気に入ってくれてライブハウスに来てくれると言ったが、その頃の奥華子は路上ライブがしたかったので、お客さんでいっぱいなのでとか言って断った。Nさんはその後も路上ライブに来てくれたりして、奥華子へのアプローチを何度か続けた。その度にすげなく断っていた奥華子だったが、ある時、今の社長がCDはメジャーで流通させてもらって、活動は路上とかいう形式はいかがでしょうかと打診した。それが駄目ならこの話は無かったことに、というくらいの回答だった。Nさんがうちの会社にはそういうシステムは無いのですと答えると、話はそれまでということになりそうだった。だが最後にNさんは、それでも僕は諦めきれないんですよねとぽつりと言った。その言葉にほだされて、結局奥華子はメジャーデビューをすることになった。
そのぎゅっと胸をつかまれるような言葉がなかったら、Nさんがいなかったら、今頃奥華子はまだどこかの路上で唄を唄っていたのかもしれないし、寿司屋のお内儀さんに収まっていたのかもしれない。(奥華子は若い頃、寿司屋でアルバイトをしていた。)

そんなエピソードのある「花火」と、昔から唄ってきてファンからも支持されている「楔」を夏にリリースしたので、これから歌います。

次で最後の曲ですと言った奥華子に、会場はお決まりの“ええ〜〜〜ッ!!”で返す。
その声が物足りなかったので、もう一回やり直して、華子御満悦。
その声に、皆けっこう本気だね。
夜通しライブとかやりたいよね。
でも誰も来なかったらやだよね。
大丈夫かな?
私はずっと歌っているので、出入り自由とかも面白いよね。

最後は、映画「時をかける少女」の挿入歌と主題歌。
細田監督には、どこの誰とも知れぬ奥華子に、自由に唄を作らせてもらったことに感謝しています。
細田監督の「バケモノの子」っていう映画が今公開されていて、この前私も観て来ました。
三回くらい泣きました。
キャッチコピーが「君となら、強くなれる」なので、私は“チロとなら、強くなれる”と思いながら泣きました。
「時をかける少女」は女の子がタイムリープ(時間と空間を越えて移動)する話で、うまくいかないいろいろなことをやり直したりする話だけれど、人生はやり直しがきかないからこそ人は生きていけるのだと思う。そんなやり直しのきかない人生の中では、未来は流動的で、それでも変わらないものというものはあって、変わらないものというのは過去であって、過去があるからこそ人は未来だって変えられる。
「変わらないもの」や「ガーネット」にはそんな思いがこめられています。

アンコールでは、ボーダーのツアーティーシャツを着て、ひょこひょこと奥華子が跳ねながら登場した。
そしてまずはツアーグッズの宣伝を。
今回のグッズはすべて奥華子のデザイン。

新曲の「流れ星」は昨日歌詞がすべて出来上がったばかりの唄。
新曲はどういう風に聴いてもらえるか、いつもどきどきする。

もう一曲新曲を歌います。
ひとり暮らしをはじめてからも10年。
ひとり暮らしをはじめることも人生にとっては大きな転機。
誰にでもそういう時期はあると思う。

最後は「HAPPY DAYS」。
ハミングするパートで前述のように会場を練り歩く。
いつものように息切れ。
でも楽しい。
みんな楽しい。
奥華子が聴衆ひとりひとりを識別し、指差し、手を振っている姿もいつもの光景だった。
その動きがとても奇妙で何だか可笑しなこともいつものことだった。

最後のフレーズはアカペラで、しっかりと歌いあげていた。
マイクロフォンもアンプリファイアも通さないその歌声は、18列目中央の私のところにもしっかりと届いていた。

そして同じく肉声でメッセージを伝える。

ほんとに来てくれてありがとう。
こんな風に同じ時間を過ごせることをとても嬉しく思います。
もしよかったら、是非また脚を運んでくださいね。
最後に出口でハイタッチで皆さんをお送りしたいと思います。
本当にありがとうございました!!

そうして奇妙な動きをしながら、奥華子は何度も何度もお辞儀をして、名残惜しそうに去って行った。
ステージは三時間弱の満足の行く内容だった。

終演後のアナウンスも奥華子の声によるものだった。
この遊び心はいつもながらとても嬉しい。

ハイタッチの際に、“私がお疲れ様でした。とても楽しかったです!”と言うと奥華子はきらきらとした笑顔で、私の目をみつめて、“ありがとう。嬉しいです!”と応えてくれた。

そんな風にして、奥華子の10周年記念ライブの横浜公演は終わりを告げた。
とても充実したステージだった。

(おしまい)


thanks_dude at 23:30|Permalink 奥華子 

唄い処 星村亭 〜其の参拾七〜@北参道ストロボカフェ

星村麻衣は月に一度、小規模なライブハウスでマンスリーライブを行っていた。
昨年の私は、かなり頻繁に“唄い処 星村亭”というマンスリーライブに出かけていたが、頑張ってもポイントカードの恩恵には与れないと気がついたので、今年は心のままに来たい時だけ来るようにした。結局ポイントカードの導入が私を星村亭から遠ざけた観は無きにしもあらずだが、まあ気まぐれな私の心は、仕事のこともあって、月末の土曜日には家の中で引き篭もることを欲していた。

四ヶ月ぶりに星村麻衣のマンスリーライブ“星村亭”に脚を運ぶことにした。
三年間続いた星村亭はどうやら九月で一旦休止するらしい。
これからは星村麻衣を聴く機会もコンスタントには転がっていないと思うので、来月も行きたいとは思うのだが、家の電話回線が死にインターネット環境は失われ、携帯電話でチケットを購入しようとしてもうまくいかないので、まだどうなるかはわからない。(来週くらいには復旧するだろうか?)

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まだ八月だというのに、ここ数日は肌寒い日々が続いていた。
八月前半の猛暑は影を潜めて、それはまるで冷夏のような気候だった
それが夏の終わりを示唆しているのか、単なるお天道様の気まぐれなのか、私には一向に判らなかった。

霧雨の降る中、代々木駅からストロボカフェまで歩いた。

街の片隅にあるストロボカフェで受付を済まして、私はエントランスを潜った。
カウンターで生ビールをオーダーし、いつものように椅子に座って星村亭がはじまるのを待った。

ほどなくして照明が暗転し、星村麻衣とギタリストのこがっちがステージに現われた。
久しぶりに見る星村麻衣は、気のせいかもしれないが、以前よりも髪が短くなっている気がした。そして以前よりも痩せているような気がした。

星村亭はいつだって星村麻衣の乾杯からはじまる。
私は星村麻衣の“乾杯!”の声にあわせて、ステージの方にグラスを傾けて、生ビールをぐびぐびと呑んだ。

あいにくの天気だけれど、まだまだ夏は終わらないから、今日のセットリストは夏の唄を多く集めてみたと星村麻衣は話していた。

そして演奏がはじまった。

01.Merry Go Round
02.恋愛ビギナー

ここからは映像のコーナー。
先月の星村亭では、星村麻衣が両親と訪れた北海道の東側、知床半島で野生のヒグマを見つけて父が興奮している映像を流したらしい。今月はその北海道旅行の後半部分。
私はちょうど去年に道東と呼ばれるあたりを訪れたので、先月の映像が見たかったなと思った。私が訪れたときは残念ながらヒグマには会えなかったので、その映像を見てみたかったのだ。(それでもキタキツネやタンチョウヅルやシカには出会えた。)
今月の映像は、知床で泊まった国民宿舎(たぶんウトロ港の近くだと思う。その民宿には見覚えがある。)の温泉の様子や札幌で星村麻衣がいちばん大好きだという味噌ラーメンの店の食レポ。ちなみにその店の名は“千寿”といい、星村麻衣によると“泣けるほど美味しい”らしい。
本当は摩周湖の北の外れにある上の子池にも立ち寄り、その映像も見せたかったのだけれど、手違いがあってこの日の星村亭ではお見せできなくなってしまったと星村麻衣は話していた。
映像が終わって、“入浴シーンはないのが残念!かといってお見せできるようなものでもないですけどね”と星村麻衣は冗句を言っていた。

03.かけがえのない人へ
04.手紙

「かけがえのない人へ」は、バンド編成では演奏したことがあるけれど、こがっちとふたりでというのは初めてらしい。

続いてトークコーナー。

この夏、勝どきのあたりで、星村麻衣は東京湾の花火大会を見たという。
東京湾の花火大会は、いつも誰かの家で見ていたりすることも多かったけれど、今回は近くで見る機会を得たという。
勝どき周辺は交通規制もされていて、車ではなく人の渋滞が出来ていて、実際に花火を見る場所まではだいぶ時間がかかったけれど、やっぱり間近で見る花火は格別なものがあると星村麻衣はひとり頷いていた。
星村麻衣は枝垂れ花火の余韻を残すような散り方が好きだという。
何枚か写真を撮影し、あとは目で見たほうが絶対に綺麗だから、ずっと見ることに集中していたという。
花火大会はお決まりの中だるみがあり、そして最後に派手な花火で盛り上げるという一連の流れがあり、とても楽しかったという。
私はこの夏の旅先の山口県岩国市にある錦帯橋の袂で図らずも花火大会に遭遇して、夏の風物詩を満喫した。
そのことを思い出しながら、星村麻衣の言葉に耳を傾けて、私もまた頷いていた。

それからKALDIという輸入食品や珈琲なんかをあつかう店の話になった。その店でウニひしお(ひしおは醤油のこと)なるものを発見して購入したとか話していたが、どんな流れそんな話になったのかは忘れた。

かき氷の話から、なぜかカレーのエピソードへと話題は飛んで、神戸かどこかで星村麻衣とこがっちとスタッフでかなり辛いと評判のカレー屋に這入った話をしていた。その店は1から30まで辛さの段階があり、こがっちは20、星村麻衣は30を食べたという。星村麻衣は30でも全然平気な顔で食べていた。すると店の人がそれを察してこんなのもありますよと、“デスソース”とかいう小瓶を見せてくれた。なので、それを彼女はがばがばとカレーに降りかけていた。その姿を見ていた店の人は、けっこう辛いですよと後から言った。実際に食べてみたら、かなりのもので食べている間、星村麻衣はずっと汗が止まらなかったという。星村麻衣のその時の店員に対する気持ちは“早く言ってよ”ということだったらしい。

ここからの二曲はハンドマイクで。
カバー曲のコーナーはプリンセスプリンセスを選択。
星村麻衣がステージでプリプリを唄うのは初めてらしい。

05.世界でいちばん熱い夏
06.Summer of Love

「Summer of Love」は夏の海辺で恋人たちがじゃれあっているようなイメージから作り上げた唄だと星村麻衣は話していた。そんなシチュエーションに憧れていた部分もあると彼女は言った。

それから星村麻衣は釣りに行った話をした。
釣り船に乗り、アジを狙ったのだけれど、結局釣れたのはサバ一匹だけだったという。
釣りは松江にいた頃から家族に連れられて行っていたという。松江にいた頃は、ゴズ(ハゼ)を釣ったりしていたらしい。
私は羽田空港に近い祖父母の家の近くにある東京湾にそそぐ川の河口でよくハゼ釣りをしていた記憶を呼び起こされた。
当時の東京湾はこの世の終わりにみたいに絶望的に汚れていた。
きっと出雲の海は、この世の楽園みたい綺麗だったろうと想像してみた。
ハゼつりの餌はゴカイで、脚が何本もあって牙を持つうねうねした長いものだった。星村麻衣はゴカイを千切ったりするのも平気らしい。ただ、噛まれるのはけっこう痛い。これは誰でも一緒だろう。
さて、星村麻衣の釣ったサバは、ただのサバではなく房総半島あたりのブランドサバ(そんなものもあるのか)だったらしい。
身はブリのように脂がのっていて美味だったらしい。
釣り船では、サバの他にヒトデも釣ったと星村麻衣は苦笑いをしていた。

二曲目のカバー曲はサザンオールスターズの「涙のキッス」。
サザンの唄は昨年の八月の星村亭でも歌ったのだが、その時に唄っていて、とてもしっくりと来る感覚があったので、今年の八月もセットリストに組み込もうと思ったらしい。

ここからは再びピアノ演奏。

07.涙のキッス
08.ひまわり

「ひまわり」はたくさんある私の大好きな星村麻衣の唄のひとつでバラード曲だった。
しっとりとした唄だがこの唄はいい…、いつもそう思っている。

最後は「Candy」と「GET HAPPY」で元気よく締め括り。

09.Candy
10.GET HAPPY

アンコールで星村麻衣は、本当にあっという間だよねと言って、みんな何時に起きているの?と問いかける。
私は今日は午前十時前に起床した。今週は持病が悪化してずっと寝不足で、かつ朝早く出社してアフターファイブを有意義に過ごそうという会社ぐるみの施策を試みているので、まとまった睡眠が必要だったのだ。
星村麻衣は八時に起きたという。それから支度して、リハーサルが十一時からだったという。

アンコールでは、ふとピアノの音でワンフレーズが降りてきて、そこから膨らませて出来上がったという「I miss you」を演奏した。どことなく星村麻衣はこの唄に夏の終わりをイメージしているようだった。

11.I miss you


四ヶ月ぶりに星村亭に訪れてみて、やはり感じたのは星村麻衣の唄が、どれも素晴らしくて多彩であるということ。
出来れば来月も星村亭にふらりとやって来たいものだが、果たしてどうなることやら。


thanks_dude at 21:25|Permalink 星村麻衣 

闇の去りゆく暁【ファイアーエムブレムif〜白夜行〜】

<その18>

私は夢をみていたのだろうか?

 ここは…?
 真っ暗で何も見えない…
 それに…とても…眠い…
 
懐かしい声で目を醒ました。

フローラ:
 …朝ですよ、
 クライフ様。

クライフ:
 …フローラ?
 あれ…じゃあここって、
 僕の部屋なのか…
 
リリス:
 はい。
 本日は、朝の訓練の日ですね。
 
クライフ:
 リリス…
 そうか…今日は訓練の日か…
 でもまだ眠いんだ…
 とても眠いんだ…
 
フローラ:
 そうですか…
 では、起こして差し上げ…
 ………
 …いえ、やめておきましょう。
 あなたがここでそれを選ぶなら、
 誰も邪魔をすべきではありません。

……何かがおかしい。
いつもならフローラは、妹のフェリシアと一緒に私に冷気を浴びせる筈だ。
すると、思いもよらぬ方向から別の声が聴こえた。

エリーゼ:
 お兄ちゃん、
 まだ寝てたの?
 
マークス:
 お前という奴は…
 あまり家臣に迷惑をかけるなよ。

私は暗夜王国でガロン王を父として、兄弟姉妹や使用人たちと平穏な日々を過ごしているつもりでいた。
そんな私に長兄マークスは疑問を投げかける。

マークス:
 本当にガロン王は、お前の父親だったのか?
 
クライフ:
 間違いない…!
 ガロン王は父だった。
 あの日、私に魔剣を授けられて…
 白夜王国に送り込み…
 そして……

 ッ!!
 そうだ…!
 違う、ガロン王は…あいつは、
 あいつは、僕の敵(かたき)だ!!!
 
そうだ、私は先ほどまでガロン王と闘っていた。
そして大事な人たちを守るために、あいつの攻撃を身に受けたのだ。

もしかして、私は既に黄泉比良坂(よもつひらさか)を渡ってしまったのだろうか?
そんな私の問いかけに義兄のマークスは、お前がそう望むのならば、まだ仲間たちの元へと戻ることは出来ると教えてくれた。

---------------------------------------

どこからかガロンの声が聴こえた。

ガロン:
 ははははははッ!
 クライフは死んだ!!
 もう諦めろ、
 お前たちの負けだとなッ!!

リョウマやアクアの声が聴こえる。
みんな私の生存を信じていた。
どれだけガロンの攻撃を受けても、屈することはなかった。

リョウマ:
 クライフ、お願いだ…目を覚ませ!
 もう二度と…遠いところに行かないでくれ!!
 
仲間たちの声はすべてこの胸に届いていた。

ヒノカ:
 お前が目を覚ますまで、私たちは負けない。
 決して死なないから、だから、お前も…!
 
サクラ:
 私、傍にいます…目が覚めるまで。
 どんな攻撃が来ても、守ってみせます…!
 
タクミ:
 しっかりしなよ!
 何の冗談だよ…早く起きなよ!
 あんたはここで死ぬような奴じゃないだろ!

---------------------------------------

クライフ:
 みんな…!
 戻らないと…
 僕はみんなと一緒に、闘わないと!

信じていてくれる仲間がいる限り、私は諦めるわけにはいかなかった。
立ち上がる私にフローラが問いかける。

フローラ:
 …行くのですか?
 
クライフ:
 うん。ごめん、僕…
 やっぱり、行かなくちゃ・
 このままみんなと
 ずっと一緒にいたいけど、
 僕にはまだ…
 やらなければいけないことがあるから!!
 
フローラ:
 …そうですか。
 ご立派になられましたね。
 あなたはもう、自分の力で
 起き上がれる強さを持っている。
 どんなに冷たい現実にも
 凍えないで立ち向かっていく姿…
 ここからずっと…
 見守っています。

クライフ:
 ありがとう。フローラ…
 最後にもう一度、
 僕を眠りから覚ましてくれて。
 君がいたから僕は、闇に凍えずに
 光へと向かうことができた…
 
そしてリリスが語りかける。

リリス:
 私はいつも…あなたを想っています。
 もう戻れない、懐かしい肩の上や、
 頭を撫でてくれた手の温もり…
 全部覚えています。
 もし寂しくなったら、
 私を思い出してください。
 私はきっとまた…
 いつものように、あなたの傍にいますから。
 
クライフ:
 …うん。これからも、
 何度でも、傍にいてくれ。
 僕はいつまでも…
 忘れたりしないから。
 君の温もりも、優しさも…
 …その勇気も。
 
大好きな義妹のエリーゼは、笑顔で私を送ってくれた。

エリーゼ:
 行ってらっしゃい、
 おにいちゃん!
 あたしね、今でもいっちばん、
 おにいちゃんのことが大好きだよ!
 今なら言えるの、
 最後まで、無事でいてって…
 平和な世界を…
 みんなで生きて、って。
 レオンおにいちゃんと、
 カミラおねえちゃんをよろしくね。
 またケンカなんかしたら、
 許さないよ?
 …ふふふっ。
 
クライフ:
 ああ。
 今度こそ、約束する。
 きょうだいみんなで、
 ずっと…仲良しでいるよ。
 僕も、お前が…
 …だいすきだった。
 …エリーゼ。
 
最後にどこまで大きくて絶対に越えられない存在だと思っていた義兄のマークスが私に言葉を贈ってくれた。

マークス:
 私たちの時間は、
 もう動くことはない…
 だがお前はこれからいくらだって、
 前に進める。
 いくらだって、
 私たちを越えて行ける。
 未来を生きてくれ…
 私たちの代わりに。
 …さあ、行ってこい。
 愛する私の弟よ…
 
クライフ:
 …はい。
 行ってきます。
 これから僕が進む道は、
 あなただけには誇れるものでありたい…
 僕はいつか、
 あなたを越えてみせます。
 
そして、みんな幻のように私の視界からゆっくりと消えていった。

クライフ:
 …みんな、ありがとう…
 いつかまた、
 この道の行く末が重なる時に…
 …きっともう一度会おう。
 
 …僕は戻るんだ、
 みんなの元へ。
 
 もう諦めちゃいけない。
 迷ったりしちゃいけない。
 
 僕はまだ…こんなものじゃない!
 お願いだ、夜刀神!!
 もう一度だけ…
 力を貸してくれッ!!!!
 
私の祈りを夜刀神は受け入れてくれた。
まばゆい光と共に、夜刀神は私の手の中に舞い戻った。
そして、私は仲間の元へと戻ろうとしていた。

クライフ:
 良かった…
 応えてくれたんだね…
 僕の…夜刀神…

---------------------------------------

ガロン:
 ッ!?
 なんだ、この光は…!

リョウマ:
 みんな!
 クライフが…!!
 
クライフ:
 うん。
 ごめん、みんな。
 僕はもう、大丈夫だ。
 マークス兄さんやエリーゼたちが…
 僕をここまで導いてくれた!
 今からは僕も…
 みんなと一緒に闘う!!
 
ガロン:
 …ふん、死に損ないが。
 再び玩具を振り回したところで、結果は同じだ。
 こんなもの、先程と同じように
 粉々にしてくれる…!!
 
そう言ってガロンは、私に激しく襲いかかった。

カキーン、カキーーン!!

だが、私はそれを受け止める。
みんなの祈りや希望を受け止めて復活した夜刀神は、もはやガロンの言う脆い玩具などではなかった。
それは絆の紡ぐ“光の剣”だった。
古来、暗黒竜を打ち倒すのは“光の剣”であると相場が決まっていた。
今、私は古に語られる“ファルシオン”の如き光の剣を手にしていた。

ガロン:
 小癪な…ッ!!
 
クライフ:
 僕は選んだ!
 お前と闘うこの道を!!
 だから…何度その道を捻じ曲げようと、
 最後にはお前の元に辿り着く!
 僕は信じているんだ。
 この道の先が平和に繋がっていることを!
 何度だって立ち向かって見せる!
 この折れない刀と心で!!
 
ガロン:
 おのれええ!
 ならお前が諦めるまで
 何度も何度も絶望させてやるのみ!
 刀が折れるのが先か、
 お前が折れるのが先か、
 見物だな!?
 クライフッ!!!!!
 
クライフ:
 行くぞッ!!
 僕はもう諦めない!
 もう迷わない!
 
 覚悟しろガロン王…
 今度こそ、お前を倒す!
 
 これが、僕の…
 僕たちの――
 ――
 最後の闘いだッ!!
 
 
決戦の時は訪れた。
戦闘に先立って、アクアはあの唄を歌うという。
身を削って歌う唄を歌うという。
私はアクアに確かめる。
けして消えたりはしないでくれと。
アクアはそうならないことを約束すると誓った。
私はそれを信じて疑わなかった。

“ユゥラリ、ユゥラリ、ユゥラユラァ、ユルレリィ…♪”

戦場に歌声が響いていた。
そして、ガロンは明らかにその動きを少なからず封じられていた。
竜に変化したガロン王の表情は見えなかったが、それでもガロン王は不敵に佇んでいた。
ハイドラ神に祈りを捧げ、そして臨戦態勢を整える。
ガロン王は魔兵団を召還し、いよいよ雌雄を決する時は迫っていた。

敵を蹴散らし、私は仲間たちと闇の竜と化したガロンへと肉迫した。

ガロン:
 何度やっても結果は同じ…
 お前たちは…
 わしに負けるためにこの道を選んだ…
 ここで死ぬのが…
 運命なのだ…
 
波状攻撃の末に、私は夜刀神・白夜で斬りかかった。
もはや、ガロン王の息は絶え絶えだった。
そして渾身の一撃は、過たずガロンの野望を打ち砕いた。

ガロン:
 ゴハァアッ!!
 …バカな…!
 わしの、体が…!
 わしの…野望…が……!
 認めん、認めんぞ…!
 う、ぐう…ッ、
 ぎゃああああああああああ…!!
 
野望から解き放たれたガロンは、もっと早く私を殺しておくべきだったとつぶやく。
なぜそうしなかったのだという問いにガロンは、私を使って白夜王国王女ミコトを暗殺する策のためだったと告げた。
崩れゆく体を確かめながら、ガロン王は今はなぜだか安らいだ心地だと言う。

ガロン:
 もしかしたら…
 わしは…こんな結末を
 望んでいたのかもしれんな…
 
 身が滅び…
 意思を無くした…
 あの…時より……
 
そうしてガロンの身体は音を立てて消え去った。

私は疑問に思う。
ガロン王の最後の言葉は何を意味するのだろう?
彼はすでに死んでいたというのだろうか?
だとしたら、私の知る義父は、本当のガロン王だったのだろうか…?

すべてが終わった時、アクアが苦しそうに倒れた。
アクアに歩みより、助け起こそうとする私は、アクアの身体が消えようとしているのを目にした。
私にはそれが信じられなかった。

あれだけ強く約束したのに…。
アクアは消えたりしないって約束してくれたのに…。
私はアクアの夢を一緒に叶えようって約束したのに…。
それなのに……。

アクア:
 ねえ…
 最後にひとつだけ…
 お願いを聞いてくれる…?
 
 これからは…
 どうか…幸せでいて…
 
苦しそうに喘ぎながら消えゆくアクアのことを、私は見ていられなかった。
だけど、目を反らすことも出来なかった。

アクア:
 あなたはどうか…
 笑顔で…いて……
 私の…分まで……
 しあわ、せ…
 に、なって……
 
アクアの瞳から流れ落ちる涙は、皮肉なことにとても美しかった。
見つめる私の瞳の中で、アクアは泡のように弾けて、中空に吸い込まれて消えてしまった。

クライフ:
 アクアッ!!
 こんな…こんなことって……
 ………
 ………………
 ………………………
 ………わかったよ…
 アクア…、君の願いは、
 みんなで叶える。
 君がいつ戻って来ても
 幸せだよって言えるように、
 この闘いで死んでしまった人たちにも
 胸を張れるように、
 僕はこの世界で、生きていくよ。
 だから…
 …アクア。
 いつかまた…
 君の歌声を、
 聴かせてくれ……
 
---------------------------------------

あの激しい闘いが終わって、いくらかの時が過ぎた頃、白夜王国にて戴冠式が執り行われていた。
あの戦で、白夜王国は女王ミコトを失った。
その後を継ぐのは第一王子リョウマだった。
生まれながらにして王の器を受け継いでいたリョウマは、自らの戴冠式で素晴らしい演説を披露する。

リョウマ:
 先の戦争では前女王ミコトを失い、
 民たちにも多大な犠牲を払わせ、
 本当に辛い思いをさせてしまった…
 しかし…
 あの痛ましい悲劇は去った。
 ここにいる英雄たちが力を合わせ、
 平和な世界を取り戻したんだ。
 暗夜王国とも和解し、
 手を取り合って生きることを約束した。
 ここにいる者の中には、
 まだそれを受け入れることのできない者も
 いるのかもしれない。
 しかし、光があれば闇があるように、
 両国は表裏一体の存在なんだ。
 両国にはお互いに無いものがある。
 そして、それを分け合うことだってできる。
 陽の光を分け合い、
 実りを分け合い、
 その喜びも悲しみも…
 全てを分かち合えるような関係を、
 暗夜王国と築いていきたい。
 ここにいる皆となら、
 それができると信じている。
 …生きていこう。皆で。
 俺たちが選んだ道を信じて…
 平和な未来へと歩んでいこう。
 新しい時代を、
 ここにいる皆で創っていこう!

私は兄リョウマの言葉に心から頷き、いつしか涙していた。
そして兄リョウマの偉大さを再認識させられていた。

---------------------------------------

戴冠式を終えて、広間で話をしていると、暗夜王国王女カミラと王子レオンが姿を見せた。
私にとってふたりは義理の姉で弟だった。
あの苦しい闘いの末に、カミラとレオンとは分かり合うことが出来た。
それだけでも私は恵まれていたのかもしれない。
レオンは素直じゃないから、相変わらずひねくれた物言いをするけれど、カミラ姉さんによると私と久しぶり会える事をレオンは心から楽しみにしていたらしい。そんなレオンも、それを見守るカミラも私にはかけがえのない存在に思えた。
それでも、義兄マークスや義妹エリーゼを、私は救うことが出来なかった。
そのことは少なからず、暗夜王国と白夜王国の間に、わだかまりとして残るだろう。
それは私たちが背負っていかなくてはならない業(ごう)なのだと思う。
我々のせいで生命を落とした人たちのことを忘れないこと、それを背負っていくことが、我々には必要なのだ。
そうして、散っていった者たちの為にも、世界をよりよい方向に導かなくてならないのだ。

出来ることなら、マークスやエリーゼ、そしてアクアたちにもこの世界を見て欲しかった…

そんな思いを胸に前に進んでいくしかないのだ。

---------------------------------------

暗夜王国は、これからレオンを王として再建への道を歩むという。
王位継承権はカミラの方が上だが、カミラはそれを辞退したという。
カミラは自分は王の器ではないというが、兄弟姉妹に対するあの慈愛が民に向けられたとしたら、それは素晴らしい国家になるだろうと思う。とは言え、レオンだって非凡な存在で、彼ならば善き王となり、その知識と見識が民を正しく導くことだろう。そうしてレオンのすました顔の裏側に潜む、愛すべき一面は心から民に愛されることだろう。

そんな風に思いながら、カミラとレオンとは一時の別れを告げた。
次に会う時は、きっとレオンの戴冠式になるだろう。

その日、白夜王国は歓喜の声に包まれ、街では祭が開催されていた。
それは、私たちがずっと夢見ていた平和な国の姿だった。
私は万感の思いをこめて、みんなに感謝の言葉を告げた。

クライフ:
 僕たちは…
 信じた道の先に、
 やっと辿り付けたんだね。
 ありがとう…
 みんながいてくれて、僕は本当に…
 …しあわせだよ。

---------------------------------------

祝典の夜、私はすこし休もうと思って、水辺にやってきた。

ふむ、そういえばここは私がはじめてアクアと出合った水辺である。
懐かしい思いに浸っていると、不意にアクアの歌声が聴こえた。

聴こえた気がした。

振り向くとそこにアクアが居た。
アクアはゆらりと佇み、私にしずかに語りかける。

アクア:
 ねえ、この泉に何が見える?
 ほら、目を凝らして見てると…
 今まで気づかなかった世界が
 広がっているかもしれないのよ。
 
 きっと、あなたにも見えるわ。
 しばらく泉から
 目を逸らさないでいて。
 
私は泉に目を凝らし、アクアに話しかけた。

君とこうしていることがとても懐かしくて、心が安らぐよ。
あの闘いで、もし君がいなかったら、僕は生命を落としていたのかも知れない。
だから……。

アクアいる方へ振り返った私の視界に、もはやアクアはいなかった。
それは幻だったのだろうか?

だが、気のせいなんかじゃない。
たしかに私はアクアの声を聴いた。

アクア:
 ありがとう。
 いつかまた、どこかで……
 
思えば、私にとってアクアとは出会いの時から別れの際(きわ)まで、幻のような存在だった。
彼女は暗夜王国王女だと言ったが、それすらも私には正鵠を射ているとは思えない。
彼女の存在は、ゆらゆらとゆらめき、私の中に固着することなくイメージだけが残された。
いつか、彼女のことをもっと知る機会は訪れるのだろうか?
そんな曖昧な想いだけが、その水辺には残されていた。

---------------------------------------

ヒノカとの天馬の相乗りを終えて、白夜王都・ミコト女王の広場へ戻ると、兄リョウマたちがミコト女王の像に祈りを捧げていた。

リョウマ:
 母上に、お伝えしていた。
 母上が願った永久の平和…
 その想いは、
 俺たちきょうだいが受け継ぐ。

 けして容易い道のりではないことは
 理解している。
 だが、たとえ
 どんな艱難辛苦が降りかかっても、
 俺たちは歩んで行ける。
 お前と一緒なら……

---------------------------------------

世界に平和が訪れ、私は運命のあの日、もしも違った選択肢を選んでいたらどうなっていたのだろうかと考える。

もしも…

もしも、あの時、私が暗夜でも白夜でもない別の道を選んでいたら、戦争は今とは違った結末を迎えていたのだろうか?
隠された真実を垣間見ることは出来たのだろうか?

詮無きことを考えながら、平和な一日の余韻の中で、私はまた眠りに就いた。

---------------------------------------

夢を、見ていた。

夢の中で、私は白夜王国の王子だった。

白夜王国の王子として、長く続いた戦争を勝利へと導いていた。

(おしまい)


thanks_dude at 19:00|Permalink ファイアーエムブレムif 

2015/08/27

エピローグ【201508阿房列車】

<2015年8月某日・後日談>

18きっぷの旅は、私が思っているよりも身体に負担をかけたみたいだ。
当たり前だ、連日短い睡眠時間で、始発の電車に乗り込み、電車に揺られながらうとうとするなんて、まともな人間の生活じゃない。それに加えて、好奇心の赴くまま物見遊山の旅を続ければ、歩行距離もいや増し、時には山にも登ってしまう。
だから帰宅して、翌日から仕事を始めると、いろいろなところに身体の不調を感じる。
免疫力も落ちているから、普段なりを潜めているウィルスだって活動を始める。
扁桃腺はすこし痛いし、リンパ腺はすこし腫れている。
ささくれだった指先が異様に腫れあがりとても痛い。
口の周りにぶつぶつが出来て、口の中は炎症を起こしている。
しばらくは襤褸襤褸(ぼろぼろ)の生活が続くだろう。
週末くらいはぐっすり寝たいと思った。

私が旅した期間はちょっと水蒸気が多かったがとても天気がよく、気温は暑すぎるくらいだった。
その翌週は、長崎に豪雨が襲い、電車の運行が滞っていると報道されていた。
さらに翌週は台風が発生して日本列島に襲いかかろうとしていた。
私はきっと運が良かったのだと思う。

会社の人たちにお土産を買った。
外装の包装紙には軍艦島が印刷されていたが、開けてみると個包装の袋は長崎らしいものを示す表示がひとつもなかった。
完全に騙された。
世界遺産効果で、こういう詐欺まがいのお土産も増えているのかもしれないと思って、私はシニカルに笑った。

(おしまい)


thanks_dude at 20:00|Permalink 【201508阿房列車】 

2015/08/26

阿房列車の旅は熱海で終焉【201508阿房列車】

<2015年8月10日・その三>

富士宮といえば富士宮焼きそばだが、まだ午前九時の町で開いている店などないので、富士宮を去り、熱海に移動することにした。

熱海駅に降りると小雨がぱらついていた。

IMG_8220

熱海に来るのは何十年ぶりだろう。
子どもの頃、家族旅行で熱海には来た記憶がある。
昭和という時代の庶民にとって、熱海は手軽に出かけられるリゾート地だった。
神奈川県で暮らすうちの家族は、夏休みによく熱海とか伊東とかの海に家族旅行に来ていた。
何十年も訪れていないから、懐かしいという気持ちは少しもなかった。

IMG_8221

駅前の足湯に浸かり、観光案内所で日帰り入浴の出来る温泉宿を教えてもらい、商店街を通ってその宿に向かうことにした。

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その温泉の湯は飲用不可だというので、味だけ確かめてみると少し苦くて塩気があった。

IMG_8226

ゆっくりと湯浴みをして、程なくして上がった。

IMG_8227

海辺を歩き、魚料理を喰わせてくれそうな店を探した。
熱海銀座で、ランチ営業をしている店を見つけて這入ることにした。

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刺身定食と生ビールを注文した。

IMG_8233

刺身定食の刺身は、金目鯛、カンパチ、マグロ。
刺身の分量が非常に少ないが、観光地だから仕方ないのかもしれない。
金目鯛の刺身はあまり食べた記憶がないので、これはありがたかった。

IMG_8234

金目鯛はぷりぷりで噛むと身が程よくとろけ、旨みが口いっぱいに広がった。
カンパチは脂がのっていて美味しかった。
マグロはすこし筋張っていたが、マグロとはそういうものだと理解していた。
刺身はさすがに海辺だけあって美味しかった。

一息ついて私は家に帰ることにした。
午後十二時三十一分の上り電車に乗り、横浜まで行き、そこから私鉄に乗り換えた。
駅からの帰り道、スーパーマーケットで食材を購入した。
熱海から家までは二時間半くらいだった。
家に帰り、荷物を解き、洗濯をした。

こうして、神奈川県から長崎まで青春18きっぷで行って帰ってくるという阿呆らしい計画は無事に成就された。
出だしからして、莫迦らしいトラブルに見舞われ、非道く心を掻き乱したりもしたけれど、阿房列車の旅は結果としてとても愉しい旅に終わった。
また機会があったら、阿房列車の旅をしてみたい。
さて、今度はどこに行こうか。

(つづく)


thanks_dude at 19:00|Permalink 【201508阿房列車】 

2015/08/25

富士山本宮浅間大社【201508阿房列車】

<2015年8月10日・その二>

午前四時五十四分横浜発の東海道本線下り線に乗って、私は富士宮駅を目指した。

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午前七時二十八分に富士宮駅に到着し、富士山本宮浅間大社まで歩いた。
神奈川県から見える富士は、山頂付近が平だが、富士宮で見る剣ヶ峰のある側なので、山頂付近がちょっと膨らんでいた。

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夏の富士は雪が溶けて黒々としている。黒富士も雄大だが、どちらかというと冠雪のある富士の方が美しい。

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富士山本宮浅間大社にお参りをし、新しい御朱印帳に御朱印をいただいた。

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本殿は国の重要文化財。

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浅間大社の御朱印帳は奈良の興福寺で購入したものよりもひと回り小さかった。
おみくじを引くと、めずらしく大吉だった。

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境内を一巡し、私は湧き水の方へと移動した。
池があった。
その池は、それほど美しくなかった。

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確かに水は澄んでいるが、私の思い描いていた湧玉池とは程遠い光景だった。
池の脇に参道があり、奥に祠がある。
参道の片側には管があり、そこからじゃばじゃばと水が流れ落ちていた。

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これが富士の湧き水のようだ。

がっかりして歩いていると、先ほどの池は別の池へと続いていて、こちらの池は目をみはる程に美しい。

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こっちが本当の湧玉池か……

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噂に違わぬ美しい水を湛えて、池は水底にゆらゆらと揺れる水草を映し出していた。

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美しい池に、鴨が棲んでいた。

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鴨は水面に顔を突っ込み、逆立ちしては水草を食んでいた。

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水鳥は小魚を食べるものだと思っていたが、時には草だって食べるのだということを初めて知った。

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しばらく澄み切った水を眺めて、そして立ち去った。

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(つづく)


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横浜に戻って来たが、まだ終わらせない。【201508阿房列車】

<2015年8月10日・その一>

目覚めると時刻は午前四時三十八分で、あと二分で横浜駅に到着するところだった。
大急ぎで荷物を取りまとめ、電車を降りた。
18きっぷ五日分で、長崎まで行き、無事に帰ってきた。
はじまりは架線トラブルで大きく出遅れたけれど、それは結果的には大勢には影響することもなく(新幹線カード使用で無駄な出費は余儀なくされたけれど)、進むことが出来た。
初日は鉄道による移動時間が十九時間で、その他の日は連続で長時間移動のみなんて行程も多々あった。
電車移動はまったく苦にならなかった。むしろ楽しかった。18きっぷの旅に、私は適性があるのかもしれない。

横浜まで帰ってきたら、私の家は今までの行程から比べたらもう目と鼻の先。
普通の人ならもう旅を終えてよさそうなものだが、私は吝嗇家(けちんぼ)だった。

私には静岡県に訪れてみたい場所があった。
静岡県の富士宮には、富士山本宮浅間大社というお宮がある。
これまで浅間大社の奥宮(それは富士山の山頂にある)には、何度か訪れたことがあるけれど、本宮には訪れたことがない。
富士山本宮浅間大社には、霊峰富士から流れ出る雪解け水が湧き水となって流れ出すとても美しい池があるという。
湧玉池(わくたまのいけ)と呼ばれるその池を私はずっと見たいと思っていた。

18きっぷの有効期間が、まだ十九時間もあるのならば、それを使わない手はない。
この旅は、まだ終わらせない。

(つづく)


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2015/08/24

ながらに乗って帰ろう【201508阿房列車】

<2015年8月9日・その七>

名古屋駅に移動した私は、旅の汗を流せる場所を探した。
適当に歩いていたら、シャワー設備完備のインターネットカフェを見つけた。
そのままするするとその店に這入り、いちばん安い三十分のコースでシャワーだけ借りることにした。
現在シャワーはふたり待ちらしい。まあ三十分で二百円だし、それまでにシャワーが空かなければ延長すればいいやと気長に構えていたら、すぐにシャワーは空いた。私もカラスの行水でそんなに長くはかからないので、三十分もしないで店を出て、二百円しか使わなかった。いつだったか、京都駅前のインターネットカフェでシャワーだけ借りようとしたら、いろいろとしばりがあり結局千円くらいになりそうなのでやめたことがある。地域によっても、インターネットカフェの値段設定には違いがあるのだなと今さらながら思った。(ふだんこんな店を使うことはない。)

それからスターバックスでコーヒーを呑みながら、夜行電車の来るまでのんびりしようと思っていたら、午後十時三十分で閉店と言われて追い出された。せめて十一時くらいまでやっていて欲しかった。

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午後十一時二十分名古屋発のムーンライトながらに乗り込み、缶ビールを呑みながら、電車に揺られた。
その夜はすぐには眠れずに、午前一時くらいに意識を失くした。

(五日目・了)


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“ひつまぶし”はけして“ひまつぶし”ではない【201508阿房列車】

<2015年8月9日・その六>

矢場町駅の三越は地下鉄の駅構内と直結していたので、エレベーターに乗り、レストランフロアの“あつた蓬莱軒”という店に赴いた。
かつて私は熱田神宮のそばにある、あつた蓬莱軒の本店に赴いたことがある。あの時はまだ今ほどうなぎの値段も高騰していなかったと思う。あつた蓬莱軒のひつまぶしの値段はあの時と変わらないような気もする。あの時は開店時間の十分くらい前に店に行って、開店と同時に待つことなくひつまぶしを堪能して帰ったのだった。

時刻は午後七時過ぎだった。

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店には長い行列が出来ていた。
お店の人の話によると、現時点で一時間待ちくらいらしい。
私が横浜に帰る夜行電車は午後二十三時二十分名古屋発なので、まだまだ時間はいくらでもある。
私は行列の最後尾に並び、気長に待つことにした。
同じフロアにはみそかつで有名な“矢場とん”という店があった。
この店も名古屋駅地下街の店はいつも人が並んでいるのだが、ここでは待たされている人はいなかった。(その後あつた蓬莱軒を諦めた人が矢場とんに流れ、こちらも少しだけ待ち時間が必要になったようだ。)矢場とんからは賑やかな声が聴こえていた。耳を凝らすと“矢場とんじゃんけん、じゃんけんぽん”とか言っている。どうやらイベントでじゃんけん大会が不定期に開催されるらしい。そういうのも面白そうだなと思ったが、今回はうなぎしか頭になかった。

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店の人の予測通り一時間後にカウンター席に通された。
私はひつまぶしとビールを注文した。
数年前に本店に訪れた時もそうだったが、この店には樽生のビールは置いてなかった。(しかも瓶ビールなのに普通の店の生ビールの代金より高い。)これで樽生のビールさえ置いていたら、名古屋最強になれるのにと勝手なことを思った。

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ひつまぶしは、もはや説明するまでもないと思うが、おひつに入ったうな重を三種類の食べ方で味わう贅沢で遊び心に富んだ逸品である。
たしか“ひつまぶし”は、あつた蓬莱軒の登録商標だったような気がする。

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一、まずはおひつのうな重をしゃもじで十文字に四等分する。

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一、四等分した一区画を椀に盛り、そのままの味わいを楽しむ。

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一、さらに別の一区画を椀に盛り、薬味(ねぎ、わさび、のり)を乗せて食べる。

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一、さらに別の一区画を椀に盛り、薬味を乗せ、だし汁をかけて茶漬けにして味わう。
 
一、最後の一区画を椀に盛り、お好みの食べ方でいただく。

うなぎは炭火で香ばしく焼き上げられていた。
風合いも食感も絶妙な焼き加減だった。

三種類の食べ方を試すことが出来るというのは、実際に自分の手を動かしてやることだから殊更に愉しい。
こういう愉しい食べ方を考案した人は偉大だと思った。

私は薬味を乗せて食べる食べ方が好みだったので、最後はそれにした。

お吸い物はゆずの上品な香りがして、そこに浮かんでいる湯葉には“蓬”の字が刻印されていた。

私はゆっくりとひつまぶしを愉しんで、ごちそうさまとつぶやいて店を後にした。

(つづく)


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宮島口駅から金山(名古屋)までの九時間はひたすら移動【201508阿房列車】

<2015年8月9日・その五>

以下、名古屋(金山)までの行程。

9:38
宮島口駅発、糸崎行きの電車で糸崎まで。

11:40
糸崎で相生行きに乗り換え。

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14:19
相生で姫路行きに乗り換え。

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14:42
姫路で野洲行きに乗り換え。

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16:44
野洲で米原行きに乗り換え。

17:33
米原で豊橋行きに乗り換え、金山まで移動。

18:48
金山に到着。
移動中は、うとうとしている時間が長かった。
連日、夜遅くに寝て、朝早くに起きていたので、睡眠不足もピークに達しているらしい。

金山はたしか名古屋のひとつ先の駅だったと思う。
ここで地下鉄に乗り換えて、ひつまぶしを食べる為に矢場町駅まで移動した。
地下鉄は矢場町駅を通り過ぎて(私が乗り過ごした)次の駅に停まったので、一駅引き返した。

(つづく)


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2015/08/23

暗夜王ガロン【ファイアーエムブレムif〜白夜行〜】

<その17>

義兄マークスを討った私は、暗夜王ガロンの鎮座する玉座の間へと続く螺旋回廊を走った。

玉座の間へと歩を進めると、ガロン王は深々と玉座に沈みこみ、不敵な笑みを浮かべていた。

ガロン:
 ふはははは…
 来たか…

 歓迎してやろう!
 我が子よッ!!

心にもないことを放言するガロンに私は、お前のせいでマークス王子もエリーゼ王女も死んでしまったと告げる。
ガロンはその事実を平然と受け入れ、優秀な“駒”を失って残念に思うぞと半ば挑発的につぶやいた。
私はその言葉を聞き咎めて怒りにまかせてガロンに斬りかかった。

カキン、カキーンッ!

だが夜刀神・空夜の斬撃は、ガロンには効かなかった。

ガロン:
 無駄だ…
 そのような鈍らでは、
 わしに傷一つつけることもできはせん。
 威勢だけはいいようだが、
 それでは戦に勝つことなどできぬぞ。
 
アクアが、歌の力でガロンの力を削ごうとした刹那、アクアはガロンの手に落ちた。
アクアを人質にとられた我々は為す術もなく、ガロンの攻撃を一方的に受けることしか出来なかった。

クライフ:
 どうしてだ…!
 どうしてこの刀じゃ、
 あいつを倒せないんだ…ッ!
 僕は…僕は…
 もっと力が欲しい!!
 これ以上…誰も死なせはしない力が!
 みんなを守れる力が!!
 
リョウマ:
 ああ。
 俺も同じ気持ちだ…
 俺にもっと力があれば…
 そうしたら、アクアや皆を、
 助けてやれるのに…!
 
その思いが交錯した時、兄リョウマの雷神刀と私の持つ夜刀神が共鳴し、光を放った。
そして力が、夜刀神に力が流れ込む。
タクミの風神弓とリョウマの雷神刀とリンクして、その力を宿した夜刀神は新たな進化を遂げた。

夜刀神・白夜の柄を握り締め、私は油断をしているガロンに斬りかかった。

ぶしゅあああッ!!

ガロン:
 なにッ…!?
 
隙を突いて私はガロンからアクアを引き離す。
これで、絶望的なほど不利な状況は脱した。

ガロン:
 …くッ…
 小癪な真似を…
 少し手加減してやれば
 図に乗りおって…
 …いいだろう。ここからは
 本気で相手をしてやろう!
 お前たちは全員、
 この暗夜の闇に散らせてくれるわ!!
 
クライフ:
 そうはさせない!
 白夜の名を持つこの刀でなら、
 この世界の闇を晴らせる!
 これ以上、争いを生まないためにも…
 ガロン王!
 お前はここで討つ!

暗夜王ガロンの手勢を蹴散らした私は、暗夜王に迫る。
それでもガロンは高笑いをやめなかった・
それのことが私には不気味に思えた。

ガロン:
 ククク…お前などでは
 この暗夜王ガロンに勝つことはできぬ…
 
 ふあッははははは!
 愚か者めッ!
 貴様ごときが、このわしに、
 暗夜王ガロンに何ができるというのだっ!
 身の程を知るがいいっ!
 
クライフ:
 僕だって…
 お前を倒すことはできる!
 そうすることでしか、
 この戦争は終わない!
 これは…闘いを終わらせるための、
 最後の闘いだ!
 
私は夜刀神・白夜を抜き放ち、かつては父と崇めたガロン王に斬りかかる。
剣閃はきらめき、斬ッ先はガロンをかすめる。
何合目かの斬り合いで、ガロンは倒れた。

ガロン:
 ぐ、う……ッ
 
クライフ:
 勝負あったね…
 暗夜王ガロン。
 
 この闘いは、白夜王国の勝利だ。
 これでついに、
 両国の間に、平和が…
 
すべてが終わったと安堵した刹那、斃れた筈のガロンが目を見開いた。
そして、ガロンは人ならざる者へと変化した。

ガロン:
 ククク…
 甘いな…クライフよ…
 
 どうした?
 なぜそんなに驚いている…?
 
クライフ:
 そんな…
 その姿は、いったい…!?
 
ガロン:
 わしもお前と同じなのだよ…
 クライフ…
 竜の血を濃く受け継ぎ、
 その身を竜へと変化させられる。
 それも、お前のようなひ弱な竜とは
 比べ物にならぬほどの力のな。
 
 だから言ったであろう…
 お前たちはわしに敵わぬと。
 今のわしには、怖いものなど
 何一つありはしない。
 お前の刀も…
 こうしてくれる…!
 
そう言うとガロンは私に強力な一撃を加えた。
私は夜刀神でそれを受け止める。
そして、我々の望みの綱だった夜刀神は砕けて散った。

クライフ:
 …う、く…ッ!
 …!!!
 夜刀神が…!?
 まさか、そんな…!!
 
ガロン:
 ふあッはッはッはッは!!
 なんと脆い刀よ!
 それがお前たちの信頼の証か!?
 合わせた力の結晶か!?
 白夜の名を冠する神刀の力、
 どのようなものかと思っていたが…
 このわしの力で砕ける程度の
 玩具ではないか!!
 
私はもはや為す術もないのかと絶望し、崩れ落ちそうになる。
絶望する私を支えたのは、兄リョウマと弟タクミだった。

リョウマ:
 大丈夫だ、クライフ!
 夜刀神が無くとも、
 まだ俺の雷神刀がある!

タクミ:
 僕の風神弓だって!
 
だが立ちはだかるふたりをガロンは一蹴する。

ガロン:
 …終わりだな。
 そろそろお前たちの相手にも飽いた・
 次で全員、息の根を止めてやろう…
 
 死ねええええええい!!
 
兄弟に襲いかかるガロンの一撃を私は身を呈して阻んだ。
みんなの絶叫がはっきりと聴こえる。
それと同時に私の意識は薄れていった……

どうやら私は彼岸を渡ろうとしているようだ…

ごめん…
みんな…
この…戦争を…終らせる、ことが…
できなくて…

(つづく)


thanks_dude at 23:14|Permalink ファイアーエムブレムif 

あなごめし【201508阿房列車】

<2015年8月9日・その四>

来た時と同じように18きっぷでフェリーに乗り、デッキで缶ビールを呑んでいた。

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そういえば、あなごめしで有名な“うえの”という店は何時から開いているのだろう?

そう思って電話をしてみると、弁当は午前九時から販売しているという。
店は午前十時からだそうだが、元々悠長に店で食べる気はなかった。
これからフェリーに乗って宮島から宮島口に行くので予約は出来ないかと訊くと、今は夏休みの時期ということもあって予約は受け付けていないらしい。

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フェリーを降りて、あなごめしのうえのに赴き、弁当をひとつ頼んだ。
弁当はすぐに出されて、電車の時間にやきもきすることもなかった。

予定よりも一時間早く宮島を後に出来たので、またしてもガラパゴス携帯でルート検索をして行程の見直しを図った。
これからはずっと移動で、一気に名古屋まで行って、名古屋でひつまぶしを食べる。

その後はどこかで風呂かシャワーを浴びて、ムーンライトながらで横浜に帰るというのが私の予定だった。
行程を見直すと、当初の予定よりも一時間早く名古屋に着くので、ひつまぶしを食べる時間に余裕が出来る。
行こうと思っている店は行列の出来る店なので、これは順調にことが運んでいるなと思った。

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電車に乗り込んだ私は、あたたかいうちに“うえの”のあなごめしを食べることにした。

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香ばしく焼き上げられたあなごに、ほどよい味付けに炊き込まれた御飯が調和しており、絶妙な味わいを演出していた。

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あなごめしに満足した私は、そのままうとうとと眠りについた。

(つづく)


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牡蠣カレーパンを肴に登山の余韻を愉しむ【201508阿房列車】

<2015年8月9日・その三>

山を降りた私は、五重塔を見上げた。

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丘の上には豊臣秀吉の建てたお堂も見えた。
厳島神社に戻り、お社正面の湾を見ると、だいぶ潮が引いていた。

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あと一時間もすれば大鳥居の下まで歩いて行けるかもしれない。

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私は二年前に、引き潮も満ち潮もこの宮島でじゅうぶんに堪能したので、今の状態の厳島神社を目に焼き付けて立ち去ることにした。

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喉が渇いていたので、厳島神社の門前町で缶ビールを探した。
午前九時の門前町は、まだ開いていない店も多く、すぐにはビールが見つからなかった。

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程なくして私は缶ビールを手に入れて、それをぐびぐびと喉の奥に流し込んだ。
やはり登山の後のビールは旨い。

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フェリー乗り場へ戻る途中で、牡蠣カレーパンなるものを見つけた。
旨そうなのでひとつ買ってみる。

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開店直後ということもあって、カレーパンは揚げたてだった。

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ひと口かじってみて、私は思わず“旨い!”とつぶやいた。

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それほどたくさんカレーパンを食べてきたわけではないけれど、このカレーパンは私が今まで食べてきたカレーパンの中でいちばん美味しいカレーパンだった。
カレーパンというのは、具材のカレーがたいていは水分が飛んでドライカレーのようになってしまうのが常識だと思っていたが、このカレーパンはとろとろのカレーがカリカリのパン生地に包まれていた。牡蠣は大粒のものがふたつも這入っていて私を喜ばせた。
カレーのとろみも牡蠣がふたつ這入っていることも私の予想外だった。
これはもしかしたら、揚げたてだったのがよかったのかもしれない。

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おまけ:朝のまどろみ

(つづく)


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第二次弥山攻略戦【201508阿房列車】

<2015年8月9日・その二>

宮島は島全体が御神体で、その最高峰は標高五百三十五メートルの弥山(みせん)という山である。
二年前の秋に私が訪れた時、ちょうど太平洋上の沖合を台風が通過していて、暴風圏内ではなかったものの、ずっと曇り空が続いていた。
弥山の頂上から見る景色は格別だと、かつて伊藤博文が言ったとかいう話もあるが、その時はほとんど何も見えなかった。
今回はその時の意趣返しの意味も込めて、宮島と弥山の攻略を旅程に組み込んだのだ。

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登山コースは前回と同じ大聖院コースにした。

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弥山は標高五百メートル程度の山だし、それほど急斜面じゃない。

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苦しくはないが、そこそこのよい運動にはなるちょうど良い山だった。
ただ、手持ちの水が心もとなく、頂上で呑むためのビールもなかった。
水は、途中の沢でいざという時の為に補充した。
流れる水は綺麗で、たぶん飲用しても問題ないだろう。
熊野古道中辺路を歩いた時は、沢の水をがぶがぶ呑んだからたぶん大丈夫。
山道を登っている近くに雉が歩いていた。雉は警戒して、すぐにどこかに行ってしまった。

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見覚えのある仁王門を抜ければあともう少し。

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弥山の頂上には登りはじめてから一時間ほどで到達した。
 
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まだロープウェイも動いていない午前八時の弥山頂上には、ほとんど人影もなかった。

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見晴らし台のベンチで、フランス人(のように見える)の男女が寝転がっているだけだった。

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海上の空気は水蒸気をはらみ、見晴らしは最高というわけではなかった。

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やはり最高の絶景を見るためには冬場にでも訪れるか、台風一過の晴天を狙うしかないのかもしれない。
それでも二年前よりは遥かに気持ちのよい空の下、瀬戸内海の風景を心に刻んだ。

ふと思ったのだが、この場所で宮島の花火大会を見たらどうなのだろう?
それは絶景だろうか?
それとも下で見た方が絶景なのだろうか?

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帰りは紅葉谷コースから下山することにした。

ある場所で鶯が鳴いていた。見ると鶯が枝からちょこちょこと顔を出していたので、望遠レンズを取り出し、暫くシャッターチャンスを待ったが、人間がひとつところに留まっている異常事態を察知したのか、彼らはもう姿を見せてはくれなかった。五分くらい待ったけれど、全然出てきてくれないので、あきらめて立ち去った。

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これから山を登ってくる人たちと挨拶を交わし、気の早い私はさっさと山を駆け下りる。
下山には四十五分くらいかかった。

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結局、沢で汲んだ水は飲まなかった。

(つづく)


thanks_dude at 07:30|Permalink 【201508阿房列車】 

何だかんだで今日も呑む

久しぶりにいつもの仲間と酒を呑んだ。
最初は幻魔を囲む会とかいうことだったが、幻魔が土壇場でキャンセルをしたようで、普通のいつもの呑み会になった。

横浜で集まり、鶴屋橋の方に本店がある魚虎の廉価版の店に這入った。

この店は魚がそこそこに旨い。
魚が好きな私には有難かった。
生牡蠣はちょっと生臭くて、やはり牡蠣は産地の近くで喰うのがベストだと思った。

はじめから終わりまで、莫迦みたいな話をしていた。
時々仕事の話や、それぞれの近境を話した。
二週間くらい前にJRが架線断線でとまった夜の話は、それぞれに面白いエピソードを持っていて、とても面白かった。

もはや地元に帰ってしまった仲間たちに酔った勢いで電話して、迷惑な会話を交わした。
そんな何やかやも愉しかった。
(彼らにしたらいい迷惑だろうが…) 

私は生ビールを何杯か呑み、秋田の刈穂や北海道の国稀といった日本酒を呑んだ。
刈穂は水の如しみたいで美味しかった。
国稀はちょっと甘ったる過ぎると思った。

今宵はそれほど深酒をしないで解散した。
帰りの電車の中で、私は旅の話を聞き、旅の話をしていた。

ひとつの旅が終ると、また違う旅が始まって、それは連綿と終ることなどなかった。
その先に何があるのだろう?
未来を覗き込んでも、今の私には何も見えなかった。
それでいいのだと思った。


thanks_dude at 01:59|Permalink 気が狂う程まともな日常 

【映画鑑賞】ターミネーター:新起動/ジェニシス

『ターミネーター』の新作を観に行った。

ターミネーターは、1980年代にジェームズ・キャメロンが生み出したSFアクション映画で、未来から送られてきた人型ロボットとそれを追ってやってきた未来戦士が、未来のキーを握るひとりの女性をめぐって死闘を繰り広げるという物語だった。
その人型ロボットがターミネーターで、無表情にただターゲットの暗殺だけを遂行しようとする姿はまさに驚異的で、そしてやつはその動きをまったく止めようとしなかった。

二作目は一作目を踏まえて、それを逆手に取り、物語を観る者をよい意味で裏切り、そしてひとつのテーマを示した。機会が涙を流し、彼は人類の未来の為に自らの存在を消去した。

三作目と四作目のことはよく覚えていない。
キャメロン監督の離婚訴訟のごたごたで、ターミネーターの権利をエクスワイフに奪われただとか、そんな話を聞いたような気もする。
だからだろうか?
それらの作品は、二作目までと比べてだいぶ印象の薄いものになってしまった。

五作目となる“ジェニシス”は、始まりからして一作目や二作目に対するオマージュのようなものの感じられる内容だった。
ただし、物語は三作目・四作目の失敗から、もはやこれ以上縦軸方向に展開させても幅が出るわけでもなく面白くなるわけでもないと製作サイドが気づいてしまったのか、始まりの1984年に戻り、パラレルワールドを舞台としていた。T−800は相変わらずシュワルツェネッガーだけれど、もはやカイル・リースはマイケル・ビーンではなく、サラ・コナーズはリンダ・ハミルトンではない。そしてT−1000はロバート・パトリックではなく、イ・ビョンホンだった。たぶんターミネーターは、シュワちゃんさえいれば成り立つのだと思う。

映画は、まったく期待をしないで行ったのがよかったのか、思いのほか面白かった。
もちろん、所謂“つっこみどころ”はいろいろとあったし、これは今までのシリーズを全部ぶち壊しにしちまう展開なんじゃないかと思うこともあった。
それでも、アクションシーンは単純に面白くて、飽きることはなかった。

最後は、さらなる続編の製作を匂わせて物語は終わった。

この物語の究極の結末は、スカイネットがサラやジョンやカイルと共に闘ったターミネーターと同じように、感情のようなものを手に入れ、人間との争いをやめるというようなものなのかもしれないと妄想するのだけれど、きっとターミネーターという格好の金蔓的な素材が利益を生み出す限り、映画製作会社がこの物語を完結させることはなく、かつまたその素材が金を生み出さなくなってしまえば資本化は金を出さないから物語の結末が描かれることもないのだろう。
ショービジネスとは所詮その程度のものなのだ。
そういう世界に僕らは生きているのだ。 



<以下ネタバレ(まだ観てない人は読まないでね)>


















二作目のターミネーターが少年時代のジョンと接するうちに感情を手に入れたように、今作のオールドターミネーターもサラに対する父性愛のようなものを芽生えさせていた。その演出は二作目を彷彿させるものだったと思う。

ジョン・コナーはマシン側に乗っ取られ、細胞レベルで変化させられて、もはやあちら側の存在になってしまった。これは事実上の死だと思う。ジョン・コナーがこんなことになってしまったら、“ターミネーター”というシリーズ自体をぶち壊すことになると思うのだけれど、どうなのだろう?
(きっと続編か続々編でハリウッド的な御都合主義でジョンは人間に戻るのだろうと予測してみる。)

最後に、オールドターミネーターがアップグレードして帰って来るのは、理論的に無茶苦茶な気もするが、ターミネーターシリーズは裏を返せばコメディー映画にもなり得る(今回のT−800の不気味な笑顔がそれを象徴している。)のだから、これはこれで冗句として受け入れるのが妥当なようだ。

(おしまい)


thanks_dude at 01:27|Permalink SF 

2015/08/22

出生の秘密【ファイアーエムブレムif〜白夜行〜】

<外伝>

白夜王国第一王女ヒノカは、勇ましい女武者だった。
天馬を操り、天空を駆ける姿は、伝承に語られる戦乙女のようであった。

幼い頃のヒノカは、今のように薙刀を振るうような女の子ではなかった。
ヒノカが変わったのは、私が暗夜王国に連れ去られた後のことだという。
私が消えてから、ヒノカは来る日も来る日も泣いていた。
そして泣き止んだ時、彼女は薙刀を手に取って、毎日のように修行に励んだ。
そして、ヒノカはいつか私を暗夜から取り戻そうと決意を固め、やがて白夜王国随一の秀麗な女武者へと成長していった。

白夜王国に戻って再開したヒノカの美しさに、私は目を奪われた。
共に闘う内に、私は姉ヒノカに惹かれていく自分の気持ちに気づいてしまった。
しかしこれは道ならぬ恋。
それは押さえ込まなければならない感情だった。

ある日、ヒノカは私に告げた。
先王である母ミコトは、先々代の王である父スメラギの後妻で、私はミコトの連れ児だった。
母ミコトを尊重していた父スメラギは、義理の息子である私を実の子どもたちと分け隔てなく扱い、そしてあの日、私を守って暗夜王ガロンの手によって殺害された。
兄リョウマ、姉ヒノカ、妹サクラと私は血の繋がらない兄弟姉妹だった。

この事実に私は仰け反った。
仰け反るくらいに驚いた。
ということは、私は暗夜王国の兄弟姉妹と同じように、白夜王国の兄弟姉妹とも血の繋がりがないということになる。
もちろん母ミコトは王女に即位するくらいなので、いずれにせよ王族の血は受け継いでいるだろう。
だからこそ私にも竜の力が宿っているのだ。だから遠い親戚くらいの薄い血の繋がりはあるのかもしれない。

ならば私の父は?

ミコト亡き後、その問いに答える者はもはや存在しない。
結局のところ私は何者なのだろうか?
どこから来てどこへ帰るのだろうか?
それでも私の出自がどうあれ、兄弟姉妹との絆は消えることはないだろう。
今はそれだけでじゅうぶんだった。

真実を告げたヒノカは、頬を紅らめながら私に愛の告白をしていた。
むむう、事ここに至っては、周囲に近親相姦だと罵られても添い遂げねばなるまい。
私はヒノカの想いを受け入れ、あっという間(5秒くらいで)にカンナという赤毛の娘が生まれた。
カンナは、これまたあっという間(3秒くらいで)に成長して、我が軍の仲間として、暗夜王国との戦争に身を投じることになった。

さて…思わぬことになってしまった。
我ゆく道は、花の咲き乱れる道か、茨の道か……
いずれにせよ前に進むしかなかった。

(つづく)


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暗夜王子マークス【ファイアーエムブレムif〜白夜行〜】

<その16>

暗夜王国第一王子マークスは、王の間へと続く回廊の武者返しで、決意をしていた。
暗夜王子として共に過ごした義弟のクライフは、暗夜王国を去って、白夜王国へと奔った。
クライフ率いる白夜の手勢が、我が暗夜の隙を突いて、この王城まで這入り込んだ以上、義弟のクライフとはここで決着をつけなければならないだろう。
ならば、無駄な血を流さない為にも、クライフとは一騎討ちで雌雄を決する必要がある。
マークスは、家臣の勇者ラズワルドと騎士ピエリに、その想いを伝えていた。

“お前たちはここに残れ、後は私が決着をつける”

その言葉は、ラズワルドとピエリにとって、マークス王子の遺言のように思えたと伝えられている。

---------------------------------------

私とその手勢は、王の間へと続く塔を駆け上がっていた。
もうすぐ目的の場所へとたどり着く筈の回廊に人影が見えた。

その後姿を私は見誤らなかった。
どれほどの時を経ても、どれほどの実戦経験を積んでも、その背中は大きかった。
追いかけても追いかけても追いつかないその背中は、間違いなく彼だった。

マークス:
 来たか…
 決着をつけようッ!!

振り向いたその凛々しい姿は、暗夜王国第一王子マークスに他ならなかった。

クライフ:
 マークス…兄さん…
 
マークス:
 待っていたぞ…クライフ。
 ここまで来たことは、褒めてやる。
 
クライフ:
 …うん。
 できれば兄さんには、
 会わずにいたかったけど。
 
マークス:
 やはり甘いな、お前は。
 私を倒さずに父上のところに
 行けると思ったか。
 この戦争を終らせたいなら…
 …私と闘え。
 
宣戦布告するマークスに、妹のエリーゼが制止にかかる

エリーゼ:
 やめて…お願い。
 マークスおにいちゃん!
 なぜ、きょうだいで
 殺し合わなくちゃならないの?
 血はつながってなかったとして、
 二人は兄弟よ!
 それなのに…
 
マークス:
 …なに?
 お前まで寝返ったか、エリーゼ。
 
エリーゼ:
 違うわ!
 あたしは…
 二人に闘ってほしくなくて…
 
マークス:
 なるほど…
 そう言ってカミラやレオンを惑わせたか?
 だが、私はそうはいかん。
 暗夜王国第一王子として、
 王国に仇なす者の存在を許すことはできん。
 誰が何と言おうと、
 私は今から…
 …お前を倒す。

 いいか。
 私は卑怯な手は使わん。
 正々堂々と…
 一騎討ちで、決着をつけよう。
 
 では、場所を変えるぞ。
 あちらに大広間がある。
 
エリーゼ:
 ま、待ってよ、二人とも!
 
マークス:
 下がれ、エリーゼ。
 そこから動くな。
 
クライフ:
 すまない…
 エリーゼ…
 マークス兄さんを止めることができなくて。
 兄弟同士で
 争うことになてしまって…
 …ありがとう、エリーゼ。
 ここまで一緒に来てくれて、
 嬉しかったよ。
 君ときょうだいでいられたことは、
 嬉しかったよ。
 君ときょうだいでいられたことは、
 間違いなく僕の人生の幸せだった…
 
エリーゼ:
 やだよぉ…!
 そんなこと、言わないで…!
 あたし、クライフおにいちゃんと
 マークスおにいちゃんが
 ふたりとも無事じゃなくちゃ嫌なのに、
 ふたりが争うなんて絶対に嫌だよ…!
 
クライフ:
 ありがとう。
 僕にはその言葉だけでじゅうぶんだよ。
 これで最期になるかもしれないけれど、
 行ってくるよ、エリーゼ…
 
エリーゼ:
 ああ…
 
 …………
 
 どうして…
 こんなことになっちゃったの…
 あんなに仲良しだったのに…
 あんなに一緒にいたのに…
 あたし、
 やっぱり何もできないの…?
 
 ………………
 
 ううん、そんなことない…
 本当に叶えたいことがあるなら…
 絶対にあきらめちゃだめ。
 
 もう一度、
 話を聞いてもらおう。
 
 ぜったい大丈夫よ、
 今度こそ…
 
 マークスおにいちゃん、
 クライフおにいちゃん…!
 
 
---------------------------------------
 
 
マークス:
 さあ、行くぞ…クライフ。
 この先を目指すなら…
 私を倒し、道を開け。
 昔のように、躊躇するなよ?
 もし少しでも躊躇すれば…
 …次の瞬間に、
 お前の首が飛ぶことになる。
 
クライフ:
 マークス兄さんこそ、
 昔みたいに手を抜かないでくれ。
 僕だって、昔の僕じゃない。
 
マークス:
 面白い。
 そうでなければ…
 剣を交える価値もない。
 
 行くぞ、 はあああッ!!
 
交わされる剣閃。
私はマークスの剣を受けるのが精一杯だった。

クライフ:
 ……くッ!!
 強い…やっぱりマークス兄さんは…
 圧倒的だ…
 でも僕は、
 ここで倒れるわけにはいかないんだ!!
 
気力だけが私を支えていた。

マークス:
 さすがに腕を上げたようだな?
 だが…
 やはり、まだまだだ!!
 
私はマークスの渾身の一撃をまともに喰らってしまった。

長兄のリョウマとアクアが、私の身を案じて加勢に入ろうとしている。
だが、それを受け入れるわけにはいかなかった。

クライフ:
 はぁ、はぁ…
 来ないでくれ、二人とも!
 これは、僕とマークス兄さんの
 闘いだ…
 
マークス:
 どうしたクライフ、
 もう終わりか?

クライフ:
 マークス兄さん…
 なぜだ…なぜわからない…
 それほどの力をもっていながら、なぜ
 その力を正義のために使おうとしない…
 
マークス:
 正義など…
 …ありはしない。
 
 戦争や、国同士の闘いに…
 正義などどこにもない!
 そうだろう!?
 
クライフ:
 あるさ…
 …、正義派…
 曇りない目で見渡せば、
 何が正義なのかは、わかるはずだ…
 マークス、兄さん…

 ほう…?
 
 ならば、お前が信じる正義とやらに、
 殉ずるがいい!!

次第に押され気味だった私に、マークスは追い討ちをかける。
もはやこれまでかと覚悟を決めたその刹那、信じられない出来事が起こった。
それは今でも信じたくない出来事だった。

私たちの失ったものは余りにも大きく、それは取り返しのつかない出来事だった。

私を狙った義兄マークスの渾身の一撃を、マークスの実妹で私の義妹である心優しきエリーゼが受け止めた。
身を呈してふたりの諍いを止めようとしたエリーゼは、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。

マークス:
 エリーゼッ!?

 しっかりしろ!!
 エリーゼッ!!!

マークスはエリーゼに駆け寄り、その小さな身体を抱き上げる。
エリーゼは、致命傷を負っていた。
長兄マークスの腕の中で、エリーゼはそれでも言葉を続けた。

エリーゼ:
 ねえ…きいて…
 マークスおにいちゃん…
 それが正義?
 愛する者を守る為に…
 必要…なの?
 
 ほんとうに…
 ひつようなのは…
 剣じゃなくて…
 あたたかい手と…
 涙なの…
 
 ねえ…、おねが、い…
 たたかいを…、やめて…
 
それだけ言ってエリーゼは目を閉じた。
長兄マークスの涙を拭おうと差し伸べられた手は、マークスの頬に届くことなく力を失い、そのままゆっくりと床の上へと落ちていった。
私の大好きなエリーゼはもういない。
それが私には信じられなかった。

クライフ:
 ああ…ううう………
 …嘘だ……
 そんな…エリーゼ…
 
 うわああああああああああッ!!!
 エリーゼーーーーーーーッ!!!!
 
私は慟哭した。
マークスはそれでも矛を収めなかった。
深い哀しみを含んだ表情で、暗夜王国第一王子としての威厳を保ち続けていた。
本当は、彼がいちばんの苦しみを背負ってしまった筈なのに。

マークス:
 ………
 …来い、クライフ。
 終わりにしよう。
 この暗黒剣『ジークフリード』の
 露となるがいい。
 
クライフ:
 うっ…ううう…
 …兄さん…?
 まだ、闘いを続けるっていうの…?
 もう、エリーゼはいないのに…
 
 僕たちに闘いをやめさせるために、
 死んでしまったのに…
 
マークス:
 …ああ。
 だからこそ、ここでお前との闘いを…
 最後にするんだ。
 
クライフ:
 どうしてだ…
 僕には…
 できないよ……
 だってエリーゼは、この闘いが終ったら、
 またきょうだいみんなで、
 昔みたいに、楽しく話そうって…
 またみんなで一緒にいようって、
 そう言っていたんだよ…!
 エリーゼはきょうだいで争い合うことを
 望んでいなかった!
 それなのに!
 実の妹の最期の願いにさえ、
 聞く耳を持たなくなったのか!!!
 兄さん!!
 兄さんッ!!!!!!
 
マークス:
 …何度も言わせるな。
 剣を抜け、クライフ。
 
クライフ:
 兄さ……
 
マークス:
 剣を抜け!!!
 クライフッ!!!!!!

クライフ:
 !
 兄さん…!
 
 …わかったよ。
 もう、兄さんは…
 昔の兄さんじゃ、ないんだね…
 ならばもう、僕も何も言わない。
 
 ごめん、エリーゼ…
 君を守ってやれなくて、
 君が命を懸けて願った、
 最期の想いも叶えてやれなくて…
 
 でも僕は…闘うことで、
 この闘いを終わらせる!
 
 兄さん…
 
 あなたに教わった勇気で、
 僕はあなたを倒す!!!
 
 覚悟してくれ…
 マークス兄さん!!!!!
 
後は雌雄を決するのみだと腹をくくった私は、この広間にマークス配下の将であるラズワルドとピエリが突入するのを確認した。

エリーゼはすでに亡くなっていた。
それを見つけたラズワルドとピエリは、この状況を暗夜王国の仕業と判断した。
そして手勢を呼び寄せた。
彼らを巻き込みたくないというマークスの思いとは裏腹に戦場は乱戦状態に突入した。
悲劇は悲劇を生み、もはやハッピーエンドなど望むべくもなかった。
もしかしたらと思い描いていた未来は、私の望む形ではけして訪れないことに気づいてしまった。
哀しみは連鎖して、いつまでもやむことがなかった。

戦争は誰にとっても幸せな結末などもたらさない。
その事が悔しくて、寂しくて、耐えきれないほどにこの胸を刺した。
心が血を流していた。
血の涙を流していた。

激しい動揺の中、戦闘は始まった。
広間の中央には小部屋があり、広間の外廓とは隔離されていた。
その場所で、私と義兄マークスは対峙していた。
お互いに踏み込むタイミングを窺いながら、呼吸を整えていた。

広間の外廓では、暗夜軍の将ラズワルドとピエリの指揮する部隊と、白夜王国王子リョウマを筆頭とする我が軍が激しい戦闘を行っていた。
将の号令が聞こえた。
戦士たちの怒号が聞こえた。

未だに躊躇う私に向かって、義兄のマークスは斬りかかる。
事ここに至っては闘いは避けられない。
私は、夜刀神・空夜を鞘から抜き払い覚悟を決めなければならなかった。

マークス:
 …さあ、行くぞ。
 もう迷いは無いな?
 今、目の前にいるのは…
 お前の兄などではない。
 暗夜王国第一王子…
 憎き敵国の戦士、マークスだ。
 
クライフ:
 うん。もう迷いなんてない。
 僕はあなたを倒す。
 これまで一度も敵わなかったあなたを、
 今度こそ越えてみせる。
 
マークス:
 そうだな…
 その意気だ。
 …来い!!!
 
私は義兄マークスと剣を交えた。
お互いの気合いは部屋に満ち満ちて、剣閃は火花を散らした。
数合の打ち合いのあと、小部屋への扉が開き、白夜王国の仲間たちが小部屋に殺到した。
私は、仲間の加勢を制した。

クライフ:
 みんな、手は出さないでくれ。
 これはマークス兄さんと僕の闘いなんだ…
 
マークスのジークフリードの一撃を交わした私は、夜刀神・空夜を大上段から斬り下げた。
その一撃はマークスを捉え、義兄の身体は後方へと弾け飛んだ。
 
マークス:
 やれば…できるじゃないか…
 クライフ…
 そう…その一撃だ…
 
 迷いのない瞳で向かってくる…
 その姿…
 あの頃の私がずっと…
 ずっと教えたかったものだ…
 
 今のお前なら…
 きっと……
 
 強く…なったな…
 …クライフ…
 
クライフ:
 違う…
 僕は強くなんて、なっていない…
 僕の腕はまだ、
 マークス兄さんには及んでいない。
 …なのにどうして、
 わざと僕を勝たせたんだ!?
 兄さんッ!!!!
 
 答えてよ、兄さん!
 僕は、強くなったはずだった!
 この国を出たあの日から闘い続けて、
 虹の賢者様から力だって得た!
 なのに僕はまだ、あなたに
 勝たせてもらっているクライフのままだ!
 これじゃまるで…
 まだみんなで一緒にいたあの頃…
 訓練でいつも僕を
 勝たせてくれた時と、同じじゃないか…
 
マークス:
 ふ…懐かしいな。
 そんな頃もあった…
 あの頃は、楽しかったな…
 みんな一緒に、笑い合って…
 思えばあの時が…
 私にとって最も幸せな時間だった…
 
クライフ:
 ならどうして、
 僕と闘ったんだよ…
 どうしてエリーゼの願いを
 聞いてあげなかったんだ…
 もしあの時エリーゼの話を聞いて
 闘いをやめていたら…
 エリーゼもマークス兄さんも、
 死ぬ必要なんて無かったのに!!
 
マークス:
 この世界に、もしもの話は無い…
 選んでしまった道は、
 変えることはできない…
 私たちは…自分の選んだ道を…
 正しいと信じて…進むしかないんだ…
 
 それでも…
 もし…お前の言うような、
 違う未来があったのなら…
 お前と共にこの戦争を終らせて、
 きょうだい一緒に…
 また仲良く過ごしたかった…
 
 だが、私は…
 暗夜王国の第一王子だ…
 エリーゼや、
 他のきょうだいたちのように…
 お前と歩み寄る道を
 選ぶことは許されない…
 この国の…父上の意に反する道を
 選ぶことはできなかったんだ…
 だから私は、本当にお前を
 殺すつもりだった…
 お前たちを倒して、
 暗夜王国を勝利させるつもりだった…
 なのに、最後に一片だけ残っていた
 『兄』としての気持が…
 それを…
 許してはくれなかった…
 
クライフ:
 そんな…
 ずるいよ…兄さん…
 そうやってかっこいいことを言って、
 このまま逃げる気なのか!?
 …敵わないよ…
 このままじゃ敵わないんだ、
 僕はもう、一生!!
 マークス兄さんに…
 憧れだった兄さんに敵わない!
 
マークス:
 …敵うさ…
 私は結局…この世界を…
 暗夜王国を…平和には…導けなかった…
 だが…お前なら…
 私に…できなかったことが、きっとできる…
 その時こそ、お前は…
 私を……越える……
 
 頼む…
 父を…ガロンを…
 
クライフ:
 …わかったよ。必ず…
 ガロン王を、『救って』みせる…
 
マークス:
 ありがとう……
 クライフ……
 
どこまでも大きく、どこまでも心やさしかった義兄のマークスは、静かに息を引き取った。
私は言葉もなく立ち尽くし、運命の過酷さに押しつぶされそうになっていた。
だが、エリーゼや義兄マークスの最期の言葉が、私に立ち止まることを許さなかった。

クライフ:
 …………
 みんな…行こう。
 いつまでも泣いていたら、
 マークス兄さんとエリーゼに笑われる。
 僕は、強くならなきゃいけないんだ…
 …今度こそ。
 エリーゼに貰った、
 諦めない気持ちと…
 マークス兄さんに貰った、
 迷わずに立ち向かう覚悟と優しさ。
 それを手に、ガロン王と闘う。
 
 マークス兄さん…
 エリーゼ…
 見ていてくれ…
 
最後の決戦を前に、私は新たな誓いを胸に秘めていた。

(つづく)


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安芸の宮島・厳島神社【201508阿房列車】

<2015年8月9日・その一>

午前五時十五分起床。
今日は七十年前に長崎に原子爆弾が投下された日。
これから広島県の安芸の宮島に赴く。

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午前五時三十五分の電車に乗り宮島口駅まで赴いた。

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今朝はこれから宮島でいちばん高い山に登るので、どら焼きをひとつ食べてエネルギー源とした。

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午前五時五十八分に宮島口駅に到着し、午前六時二十五分のJR系列のフェリーに乗った。

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なんとJR系列のフェリーだと18きっぷで乗船出来てしまうのだった。

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宮島に渡り、二年前と同じ景色を眺めた。

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仔鹿が母鹿の乳を呑んでいた。

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足早に厳島神社まで歩いた。

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潮は満潮でも干潮でもなく、その中間くらいだった。

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まだ大鳥居の足元は海水に浸かっていた。

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厳島神社に到着し、ひとまず参拝をする。

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二年前に御朱印は頂いているので、今回は頂かない。

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二年前に改修中だった橋は、工事が終わって、その姿を見せてくれていた。

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乱雑に厳島神社の参拝を終えて、私は大聖院というお寺の脇から、山を登って行くことにした。

(つづく)


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錦帯橋花火大会【201508阿房列車】

<2015年8月8日・その六>

今回の旅程を計画にするにあたって、錦帯橋で花火を見ることが出来るなんて予想だにしていなかった。
可能性としては、錦帯橋には訪れない選択肢だってあり得た。
だが、数奇なめぐり合わせに導かれて、私は今ここにいた。
この場所で、少し賑やか過ぎる嫌いはあっても、夜空を眺めていた。

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花火大会の開始に先立って、対岸に船が三艘するすると現れた。

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見ると舳先に篝火を焚いている。
篝火を焚いた船は川面をくるくるとめぐり、やがて岸につき、篝火を川に落とした。

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川面からはしゅうしゅうと水蒸気が立っていた。

そうして、橋の向こうの河原から、花火が盛大に打ち上げられた。

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色とりどりの花火は夜空を埋め、時に火の粉は菊や牡丹や金色の柳の枝のように煌めいては消えていった。

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花火があがる度に歓声と溜息が周囲から聞こえ、夏の夜は風雅に過ぎて行った。

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周囲にはアマチュアのカメラマンもたくさんいた。

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下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。
私は三脚もないまま、適当な設定で、たくさんの写真を撮った。

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そこで一時間ほど花火大会を見て、残りの三十分は別の場所で見ようと思い、より打ち上げ場所に近い方へと移動した。

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最後の花火は、とても華やかで豪勢だった。
本当に花火が夜空いっぱいに埋め尽くされていた。

花火大会が終わると、人々は一斉に駅へと移動した。
川西駅には長い行列が出来ていた。

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三両編成の電車に、これだけの人が一度で乗り切れるのだろうかと不安だったが、やって来た電車に乗り込んでみると、意外にも鮨詰めというほどの状態でもなかった。
川西駅から岩国駅まで移動して、コンビニエンスストアで軽食と缶ビールを買い、今宵の宿にチェックインをした。
もう午後十時三十分くらいだったので、晩飯は花火大会の前に喰った岩国寿司とコンビニエンスストアで買った軽食で済ますことにした。

その夜は、午前零時三十分に眠った。

(四日目・了)


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錦帯橋で待ち受ける試練?【201508阿房列車】

<2015年8月8日・その六>

15:08

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下関駅で電車に乗り込む。

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電車の扉が手動という見慣れない形式だった。

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道中では缶ビールを呑みながら車窓の景色を楽しんだ。

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新山口駅で電車を乗り換えて、二両か三両くらいのローカル列車の旅。
ローカル列車なのに、徐々に乗客が増えて、車内はだいぶ混雑していた。
見ると浴衣の男女や、高校生の集団も多い。
どうやらどこかで祭りでもあるらしい。
この雰囲気だと、花火大会でも行われそうだ。
若い娘が持っていた切符をちらりと盗み見たら、乗車してきた駅から670円区間とあった。
車内には料金表もあったので確認してみると、果たして彼女たちの行き先は私がこれから行こうとしている錦帯橋の最寄駅となる川西駅のあたりだった。
そこから推測するに、花火大会は錦帯橋のそばで行われるらしい。

参ったな…、ゆっくりと錦帯橋を見たかったのに、今宵はだいぶ騒々しいことになりそうだ。
いや、まてよ…、最悪の場合、入場規制で橋を渡れない可能性も出てきたぞ。
困った、困った。

そんな風に思いながら、車内の会話に耳を傾けるでもなく過ごしていると、やはり錦帯橋付近で花火大会があるのは本当らしい。

18:23
下関駅から三時間の列車の旅を終えて、川西駅に降り立った私は、意外に思った。
川西駅は思ったよりも鄙びていて、普段は無人駅なのかもしれない。
プラットフォームから狭い階段を降りて行くと、駅前に祭のスタッフがいて帰りの電車の時刻表を配っていた。(今日は臨時便も出るらしい。)花火大会は何時から何時までなのか訊いてみると、20時から21時30分までだという。錦帯橋に関しては入場規制されるかどうかは分からないとのことだった。
人の流れに沿って歩けば、おそらく錦帯橋へはたどり着ける。だが、橋を渡れるかどうかはまだ分からなかった。

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錦川に架かる大橋で警官が交通整理をしていた。
ここからも錦帯橋は見えた。橋を見遣るとまだ人はその上を往来していた。

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婦人警官に錦帯橋は、これから入場規制されるのだろうかと訊くと、今から入場規制を行うので、これからはもう渡れないと応えた。
どうしても渡りたいならば、花火大会が終わるまで待つしかないのか……。
そう思って私はうなだれた。

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錦帯橋までは川沿いの道は規制されていて歩けなかった。

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裏道を歩き、ほどなくして錦帯橋のたもとにたどり着いた。

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錦帯橋を渡るには通行料が要る。
橋のたもとには料金所があり、それはまだ閉まっていなかった。

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よく見ると、“本日、花火大会のため午後7:30から午後10:00までは通行止めになります”という表示がしてあった。
時刻はまだ午後七時前だったので、まったくもって問題なく錦帯橋には渡ることが出来た。
情報が交錯しており、私は酷く翻弄されてしまった。

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とにかく私は大急ぎで橋を渡った。

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そして錦川の対岸で、また錦帯橋を眺めた。

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無事に錦帯橋を往復できてよかった。
これで満足だった。

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それから店で岩国寿司という散らし寿司のような押し寿司のようなもの(分量の割には高い)を購入し、生ビールを手に入れた。

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別の橋から錦川の対岸へと移動し、錦帯橋と花火が同時に見えそうな場所に位置取って、花火大会のはじまりを待った。

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今年は隣町の神奈川県下でも有数の花火大会を近くで見れなかったから、思いがけずに山口県岩国市で花火大会に遭遇したことがとても嬉しかった。

(つづく)


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2015/08/21

下関三つのミッション:その三・関門トンネル人道【201508阿房列車】

<2015年8月8日・その五>

関門トンネル人道は、関門橋の下にある“みもすそ川公園”の近くにあったと記憶している。
今回、下関の地図は用意していない。
赤間神宮も関門トンネル人道も、とても分かりやすいところにあった筈だから。

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赤間神宮を後にした私は、とても焦っていた。
下関駅からここまで徒歩で三十分かかっている。
帰りのことを考えると、海底トンネルの本州と九州の県境に行って、予定時刻までに下関駅に戻れるのか疑問だ。
それでも、私は前に進むしかなかった。
どうしても海底トンネルには行きたかった。
旅の荷物を背負って私は走った。

みもすそ川公園で、平知盛と源義経の銅像を見つけて懐かしく思う。

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信号待ちの間に、ふたりの像を写真に収めて、私は関門トンネル人道へのエレベーターを探す。
それはすぐに見つかって、幸いなことにエレベーターのドアもすぐに開いた。

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地下55メートルを下降して、時々走りつつ山口県と福岡県の県境を目指した。

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このトンネルは全長780メートルだった。

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数百メートル進むと床には線が引いてあり、それぞれの側に山口県、福岡県と書かれている。

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私はその線を乗り越えて、にやりと笑う。

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壇ノ浦の対岸の和布刈(“めかり”と読む。九年前にこの土地に訪れるまでは、こんな難読地名は絶対に読めなかった。)地区にまで行く時間的余裕はなかったので、これで引き返す。
以前の旅のおさらいなので、今回はこれでじゅうぶんだろう。

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みもすそ川公園にはバス停留所があった。
下関駅行の時刻表を見ると、三分後にバスが来るらしい。

ミッション・アコンプリッシュド。
ううむ……、エクセレント。

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絶妙なタイミングに私は安堵し、長州の砲台のレプリカを撮影したり、ボランティアガイドの「耳なし芳一」の紙芝居に耳を傾けたりした。

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程なくしてバスが来たので、それに飛び乗り、これで今日の夕方には錦帯橋に到着出来ると思って、ひとりほくそ笑んでいた。

IMG_6961

バスのシートが“ふく”をあしらった意匠なのも愉しかった。

(つづく)


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下関三つのミッション:その二・赤間神宮【201508阿房列車】

<2015年8月8日・その四>

ふくを食べた私は東の方へ徒歩で向かい、最終的には関門海峡の真下の“みもすそ川公園”のあたりに行こうと画策していた。
九年前の記憶では、たしか下関駅からみもすそ川公園までは、徒歩で二十分か三十分のような気がしたので、まだまだ時間的に余裕があるだろうと思って、悠々と海沿いの道を歩いていた。

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対岸は北九州の門司港で、その景色も懐かしかった。
水族館の壁には窓があり、窓の向こうはイルカのいる巨大水槽だった。この光景も懐かしい。

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イルカが(たぶん彼または彼女も外の景色を見るのが楽しいのだろう。)窓の近くを回遊してくるので、私はあの時と同じように“こんにちは”とつぶやいた。

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唐戸市場の脇を通り、なかなか最初の目的地である赤間神宮にたどり着かないことに焦りを感じた私は、炎天下の中、小走りで進むことになってしまった。

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やがて赤間神宮にはたどり着いた。
赤間神宮は、元々は壇ノ浦の合戦で崩御した安徳天皇を祀ったお社で、小泉八雲の再話文学でも物語られている“耳なし芳一”にゆかりのある神社だった。

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壇ノ浦の合戦後、戦で亡くなった平家の無念はこの地に呪縛として残り、“耳なし芳一の話”のような怪談が生まれたのかもしれない。

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私は大急ぎで参拝を済ませて、御朱印をいただいた。
赤間神宮で、私にとっての一冊目の御朱印帳がすべて埋まった。
二冊目はこの旅の最終日に訪れる富士山本宮浅間大社で買おうかと思う。

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お社の脇にある芳一堂にも訪れ、そして足早に立ち去った。

(つづく)


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下関三つのミッション:その一・ふく【201508阿房列車】

<2015年8月8日・その三>

9:51
武雄温泉駅から下関を目指す。

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ロマンシングな佐賀を過ぎる。

鳥栖駅の近くにあるスタジアムはサガン鳥栖のホームスタジアムだろうか?

12:52
三時間の列車の旅ののち下関到着。
時々うとうとしただけだが、三時間も列車に揺られていたとは思えないほど、快適な道のりだった。

下関では二時間強滞在し、午後三時八分の列車で岩国方面へと旅立つ。
“ふく”(下関ではふぐは濁点をつけずに“ふく”と呼ぶ。)を喰い、赤間神宮に行って、海底のさらに下に穿たれたトンネルの中を歩き、山口県と福岡県の県境を徒歩で越える。
この三つのミッションは、すでに九年前に達成しているが、今回の旅でも是非とも達成したい。
あの時とは異なる知識、異なる感覚、異なる機材で、その詳細をレポートしたい。

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まず駅の近くにある“おかもと”という店に立ち寄ることにした。
たしか昔、友人のゴエが話していた店の名が“おかもと”だったような気がして、私はその店を選んだ。
店に這入ると、巨大な冷蔵庫に魚がたくさん並んでいた。
この店は鮮魚店が本業らしく、冷蔵庫の前を通って行くと、飲食スペースにたどり着くという店構えだった。

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私は即座に、ふく刺しとおにぎりと生ビールを注文した。
それから冷蔵庫の方に行き、岩牡蠣がないかとあたりを見回してみた。
岩牡蠣は夏が旬で、それ以外の時期は食べられない。
いつか旅先のどこかの海辺で岩牡蠣を食べたいと思っていたのだが、長崎では縁がなかった。九十九島が岩牡蠣の産地らしいが、そちらへは行かなかった。
あわよくば下関でと思って探してみると、果たして岩牡蠣は冷蔵庫の脇に積み上げられていた。
鮮魚店なので、ある魚は頼めばさばいて出してくれる。
もちろん魚だけでなく貝も同じだ。
私は岩牡蠣をひとつだけ注文した。
一個八百円くらいということだった。

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ふく刺し(とらふぐ)は、身はうす造りで、皮と身の間の部分と皮そのものが添えられていた。


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ふぐの旬の時期がいつなのかわからないが、数年前の秋に別の店で食べた刺身の方が、歯ごたえがあり、そのしっかりとした食感を味わえたような気がする。ちょっと今回のふくは身がやわらかいような気がする。もしかしたら真夏はいちばんふくの身が弛緩している時期なのかもしれない。とはいえ、ふく刺しは噛むごとにその旨みが感じられてとても美味しかった。
注文したおにぎりは、大きい鮭のおにぎりがふたつ。

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岩牡蠣は、冬に食べる真牡蠣とはすこし食感も味わいも違って、ぷりこり感を楽しみ、ほのかなあまみとほんのりとしたクリーミー感を愉しんだ。これは一点の曇りもなく、とても美味しかった。
生ビールを二杯呑み、昼飯(遅いブランチ)に四千四百二十円也。
移動はケチだが、食事だけは豪勢な旅である。

“おかもと”から出て大通りに歩く途中で、私が九年前に晩飯を喰った小さな店を見つけた。

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もちろん今は営業時間ではないが、その小さな店が今も営業していることが、何だかとても嬉しかった。 

(つづく)


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2015/08/20

佐賀県武雄市【201508阿房列車】

<2015年8月8日・その二>

07:25
武雄温泉駅には午前七時二十五分に到着した。

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駅から楼門のある温泉まで歩いた。
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楼門は国指定重要文化財だった。
 
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楼門の先に入浴施設の入口があった。

さっそく湯浴みをすることにした。
湯の温度は42度から43度くらいで、けっこう高めだった。
ふだんぬるま湯のシャワーしか浴びていないので、長くは這入ってられなかった。
湯浴みを終えて、次の電車までの時間を確かめると、まだまだ二時間近い余裕があった。
この辺りは電車の運行本数が少ないため、予定を前倒しにすることも出来そうにない。
そして周囲に訪れてみたいような場所もなく、店が開いている時間でもなかった。
これにはとても困った。
温泉施設は無料Wi-Fiスポットも完備していたので、何かないかタブレットで検索してみると、武雄市図書館という施設が近くにあることが判明した。
これは以前テレビでみたことのある佐賀県知事肝煎りで生まれ変わったあの図書館なのだろうか?
蔦屋とかスタバと提携して図書館としては過度にお洒落で快適になったというあの図書館なのだろうか?
ここから歩いても二十分か三十分くらいなので、とりあえず行ってみる。

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それは、なかなかにスタイリッシュな図書館だった。

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図書館には、“武雄の大砲を見に行こう”という企画展示も行われていて、時間を潰すにはちょうど良かった。

二階から写真撮っていたら、一階から司書のお姉さんに注意されてしまった。
館内は撮影禁止だったらしい。

ごめんなさい。

(つづく)


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ロマンシング佐賀のRUN【201508阿房列車】

<2015年8月8日・その一>

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05:05
午前五時過ぎに起床した。
今日からは18きっぷで行く阿房列車の旅も帰路に突入し、長崎県諫早市から佐賀県の武雄温泉と山口県の下関を経由して、山口県の岩国まで行く。
岩国で錦帯橋を眺めて、本日の行程は終了という目論見である。

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05:46
午前五時四十六分諫早駅発の電車に乗る。
鳥栖(佐賀方面)行きの電車は、私の個人的な妄想の中では、ロマンシング佐賀行きの阿房列車だった。

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やがて日が昇り、列車は佐世保方面に向かい、ハウステンボスをかすめた。

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車窓からはそれらしい建物が見えた。
さすがにひとりでテーマパークに行く趣味はないので、遠くからその様子を眺めるだけでじゅうぶんだった。

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列車は佐賀県下を走っていた。
駅には“佐賀のRUN”とかいうポスターが貼られていた。
これは明治維新後、新政府を相手に反乱を起こした江藤新平の“佐賀の乱”と掛けているのだろうか?

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早岐(はいき)という駅は、普通には読めないなと思った。

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有田のあたりには陶磁器の窯元がいくつもあった。

(つづく)


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諫早ごはん〜予期せぬ出会い〜【201508阿房列車】

<2015年8月7日・その七>

大波止から長崎駅まで歩き、駅で会社用の土産を購入することにした。
今回は、18きっぷの旅ということもあり、荷物を増やしたくないので、土産はほとんど買わなかった。
とりあえず適当に軍艦島が印刷された包装紙にくるまれたクッキーを買った。
後日会社で配ろうと思って開けてみたら、中身の個包装は長崎らしさが何もないというか、長崎という文字すら印刷されてないただのクッキーにだった。職場で、“なんだこれ?詐欺じゃねえか…”と思って、私は思わず吹き出してしまった。
それから“龍馬が愛したコーヒー”とやらを買った。それは亀山社中のマークが入った缶バッジ付きで、インスタントのドリップコーヒーだった。

長崎駅から今宵の宿がある諫早まで電車で移動した。
約三十分の道のりだった。
今宵の宿にチェックインをして、シャワーを浴びてから晩飯を食べるために街に繰り出した。

宿でグルメマップと割引券をもらった。
グルメマップに記載されているいくつかの店を物色した。
外から店の様子を窺った限り、候補は二店舗だった。
ひとつは宿のグルメマップにある店で、もうひとつはグルメサイトの“利き酒無料”クーポンをあらかじめ用意していた店。
どちらもそれなりにお客が入っていて、賑やかな声が漏れてきていた。
私は二軒梯子しようかと画策していた。

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まずは宿のマップにあった方に這入ってみる。

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注文をしたのは、刺し身の盛り合わせとアマダイの唐揚げと地鶏たたき。

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刺し身の盛り合わせは、ヒラス(ヒラマサ)、ヒラメ、イカ、サーモン、タコ。

刺し身を味わいながらその感想をメモ帳に書こうとしていたら隣の人に話しかけられた。
隣の人も旅人だった。
どうやらひとり旅らしい。
我々はお互いの旅程について話し、旅先でのエピソードなどを披歴した。
旅人は五島列島に行ってきたらしい。五島列島は過疎化が激しく、酒を呑む店もそれほどたくさんあるわけじゃない。一軒目を後にして、別の店を探したがよい店がなく、また一軒目の店に戻ったら、主人にもうお金はいいよと言われて、ただで呑み喰いさせてもらったなんていうエピソードが楽しかった。
私は、出雲の八重垣神社や神魂神社を松江市内のホテルで借りた小さな性能の悪い自転車でめぐるうちに、山間の道(というよりも好奇心)に導かれて須賀神社まで行ってしまい、玉造温泉まで苦しい思いをしてたどり着いた話や、桜島の周囲36kmを自転車で周遊している時に、半分くらい行ったところでタイヤがパンクして、もう今夜中に鹿児島市内の宿には戻れないんじゃないかと不安になって、非道く難儀な思いをした話などをした。
私が四十七都道府県をすべて踏破したと言うと、どこがよかったですか?とよく訊かれる質問を投げかけられた。
地域(旧国名)で言ったら八雲立つ出雲なのだ(本と旅を複合的に楽しむ私は小泉八雲の愛した出雲がとても好きだった。)けれど、旅人は出雲には行ったことがあると話していたので、私は宮崎県の高千穂町と北海道の摩周湖と硫黄山(アサトヌプリ)を推奨しておいた。
高千穂町は、晴れた日の朝の天安河原(あめのやすがわら)が素晴らしく、本当に日本的な風景だと思うし、夜は神楽が愉しめ、明け方には雲海を眺めることが出来るし、高千穂峡ではボートに乗って風光明媚な渓谷を眺めることが出来る。九州に関して言えば、熊本、宮崎、鹿児島については、どこに出かけても愉しかった印象がある。
摩周湖は、摩周ブルーがあざやかでとても美しく、その近くにある硫黄山(アサトヌプリ)はしゅうしゅうと火山性のガスと水蒸気を噴き出し、その奇観を間近に眺められて愉快であった。
その旅人は島に行くのが好きで、今回の五島列島もよかったが、島根県の隠岐がとても好きだと話していた。私の好きな小泉八雲も隠岐について書き残しているので、いつか隠岐には行ってみたいと思った。
私の住む町を訊かれたので答えると、“ああ、私はいきものがかりが好きなので、そのあたりの町のことは分かります”と言う。
いきものがかりとは、私の暮らす街の隣町の学生が集まって結成された音楽グループで、NHK紅白歌合戦には毎年出演するくらいの人気者である。
その旅人がいきものがかりのファンだというので音楽に関する話になった。
私は横浜のランドマークプラザで、ステージから1メートルくらいの距離でフリーライブを聴いたこともあったと、ちょっとした自慢話をして、最近はステージとの距離があまりに遠くなり過ぎて、チケット確保にも走っていないと話した。
旅人は私にブログか何かをやっているのかというので、私はやっていると応えた。サイトのURLを訊かれたので、例によって口に出すのは恥ずかしいタイトルなので、タブレット端末の画面を見せた。
旅人がスマートフォンで検索すると、上位にヒットしたのはよりによって奥華子の記事だった。
少し恥ずかしいなと思っていると、彼もまた奥華子のファンだという。
そしてまた奥華子に関する会話で盛り上がってしまった。どこかの奥華子のライブでばったりその旅人と再会したりしたら、それはそれで面白いのかもしれないと思う。

旅の話や奥華子の話やらで盛り上がってしまい、結局刺し身の味の細かい描写はメモ帳に書けなかった。

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地鶏たたき

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甘だい唐揚げ

魚も地鶏も、とても新鮮で美味しかった。
昨晩長崎で旨い魚を食べられなかったので、この店を選んだことは大正解だった。

旅人が注文したきびな一夜干しをすこしおすそ分けしてもらって、しばらくしてから私は店を出ることにした。
時刻はすでに午後十一時に近く、二軒目に行こうと思っていたのだが、思いのほか長く話して時刻が遅くなってしまったので、翌日の行程も考慮し(明日も始発で出かける)、面倒になってやめた。

思わぬ所で人と人との出会いがあり、何気ない会話に華を咲かせる。
旅とは本当に愉しいものである。

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そんなことを思いながら、その日はデザートにカップの白くまを食べて、午前零時過ぎに眠りについた。

(三日目・了)


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2015/08/19

軍艦島クルーズ・セカンドアタック【201508阿房列車】

<2015年8月7日・その六>

時刻は正午過ぎだった。
午後は二度目の軍艦島クルーズに参加する。
二日予約したので、どちらか一方はキャンセルしようかとも思ったが、長崎市内で行きたいところも他にないので、二日目も参加することにした。特に二日目のツアーは高島という島にも寄港するそうなので、どちらか一方に行くなら、出来ればこちらを外したくはなかった。
クルーズにはまだ時間があった。
非常に眠いので、スーパーマーケットの休憩スペースでベンチに腰かけて少しの間眠った。

午後一時に目覚めて、大波止まで歩いた。
昼間の市街地は灼けつくような暑さで、まるで白い炎の中に放り込まれたような気さえした。
灼熱地獄の中では、視界はうっすらと白く、意識は朦朧としてきた。
白熱とはこういう状態なのかと可笑しな思考が頭をよぎる。

ツアー会社の事務所で乗船手続をして、桟橋の場所を確認し、スーパーマーケットの地下にあるフードコートに逃げ込んだ。
幸いにそこで私は、アイスクリーム屋を見つけ、カシューナッツとチョコレートのアイスを求めた。
アイスを食べて、水をがぶがぶと呑んだ。
思案橋ラーメンで呑んだ瓶ビールが思いのほか効いていて、私は非常にのどが渇いていたのだ。

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午後二時からは、昨日に引き続き二度目の軍艦島上陸ツアーに参加した。
幸いにして天候もよく、海上は波も穏やかのようだ。
この日のツアーはいったん高島に寄港してから、端島(軍艦島)へ赴くというもの。
高島も元々炭鉱の島で、資料館などがあるらしい。
昨日のツアーと異なった部分はもうひとつ。
船が伊王島に立ち寄り、ツアー客をピックアップしていたこと。

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道中の解説もすこしだけ違った。
中でも興味深い内容だったのは、横島という岩礁地帯のことだった。

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横島はかつて炭鉱のあった島だった。
今はとなっては、ぽつぽつと岩場が海面から顔を出しているに過ぎないその岩礁は、かつては人が住めるくらい大きな島だったという。
それがこの横島である。
だが、横島は猛烈な地盤沈下に襲われ、島はほとんど沈んでしまった。
そのなれの果てが、今私が見ているあの岩礁地帯なのだった。

最初に上陸した高島では、ゆっくりと島を見学している暇などなかった。

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まずはミニチュアの軍艦島をツアー客が取り囲み、ひと通りの説明を受けた。

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それから近くの資料館を足早に見学し、

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海辺の広場に建つ岩崎弥太郎像に別れを告げて、また船に乗り込んだ。

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少し予定時刻よりも遅れてツアーが推移しているというので、軍艦島に上陸してからは、変則的な見学シフトになった。

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まず第一見学広場でガイドの説明を聞き、続いて第三見学広場に赴き、最後にガイドの説明が聞きたい人だけ急いで第二見学広場に集合してくださいということだった。

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私は前日も訪れているので、写真撮影はほどほどにガイドの話に耳を傾けた。

天気も波の状態も前日の方がより良好だった。
今日は少し雲が多かったし、船の大きさの違いかもしれないが、この日は乗下船時にだいぶ船が揺れているのを感じた。

軍艦島の詳細は前日のツアー一回目の記事で記述したので割愛する。

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ツアーは夏休み時期ということもあり、参加人数が多い為、終始遅れ気味に進行していた。
この日に参加したツアーは、船の乗客が全員見学広場に集まったところでガイドの解説が始まる。
時間的なことを考慮して、変則的に第一見学広場、第三見学広場と解説を聴き、最後に第二見学広場で解説を聴いた。
第二見学広場が、今メディアなどにも最も注目されている場所だとガイドは話していた。

この日のツアーは帰路はまっすぐ長崎港に帰る。
端島の西側は回らない。
スタッフに訊いてみると、スケジュールが遅れ気味だからというわけではなく、それが既定路線なのだという。

軍艦島から、高島、伊王島に寄港して、長崎港に帰った。
長崎港の近くで船のそばをアゴ(トビウオ)が三匹続けざまに跳ねていた。
予定より二十四分遅れて長崎港に帰ってきた。

二日連続で別々の会社が催行する軍艦島上陸クルーズに参加してみて、結果的には二日連続で訪れてよかったと思った。

一日目は、やまさ海運という会社のツアーに参加した。
説明はそれほど詳細ではないが、軍艦島をぐるりと一周するのがよかった。

二日目は、軍艦島上陸クルーズ・ブラックダイヤモンドというツアーに参加した。
高島上陸は、他の会社ではあまりやっていないプランだが、高島の上陸時間はちょっと短すぎる。
ガイドの説明がかつての住民から聞いた話なども交えたもので、とても親切で充実していた。
その言葉には情感がこもり、なんともドラマチックだった。
軍艦島の西側を航行せずに、まっすぐ長崎港に帰るのが非常に残念。

締めくくりの言葉は、一日目と二日目ではだいぶ印象が違った。

一日目
世界遺産に登録されたこともあり、何棟か手を入れて修復される予定なので、今度は今日とは違った形の軍艦島を見られると思います。是非また軍艦島にいらしてください。

二日目
端島の建物が今のように廃墟と化したのは、すべて自然倒壊によるものである。
ひとたび嵐が来れば、激しい波は島を打ち、西側からの大波は島を越えて、東側に抜けていくことも珍しくないという。
これほど過酷な自然環境では、現代の技術をもってしても、今の景観を維持することは難しい。
昨年各地に被害をもたらした大型台風は、端島にも猛威をふるい、立ち入り可能区域の手すりをぐにゃぐにゃにして、見学広場を瓦礫で満たした。その復旧の為に昨年の夏休みの期間中、端島は全面的に立ち入り禁止となっていた。
これから端島がどうなるかなんて分からないから、是非ともじっくりとその姿を目に焼き付けて、写真という形で記録をたくさん残して帰っていってください。

今回、二者を比較してみて、一長一短だと思った。
両者の良さを兼ね備えた会社もあるかも知れないが、長崎には二日間しか滞在しなかったので、確かめることは出来なかった。

(つづく)


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いこかもどろか思案橋【201508阿房列車】

<2015年8月7日・その五>

昼飯にちゃんぽんを食べようと思っていた思案橋ラーメンには開店時間の三十分前に到着してしまった。
暇を持て余した私は、何となく周囲を散策することにした。
ぶらタモリ風に散策することにした。

思案橋のあたりは、かつて花街が広がっていた。
思案橋は、花街を訪れようとする者が、この橋を渡って行くべきか、引き返すべきかと思案するところからその地名が根づいたのだという。

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裏道を歩いて行くと、何だかよい雰囲気の交番を見つけた。

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ぶらぶらと歩いていると、昔日の面影を思わせる料亭を見つけた。

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そのすぐ傍には、かつてこの界隈が花街であったことを示す碑が建っていた。

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開店時間の十分前に思案橋ラーメンに行くと、何人かの気の早い人たちが並んでいた。
程なくして店が開き、私は“爆弾ちゃんぽん”と瓶ビールを注文した。

思案橋ラーメンは、長崎出身の歌うたいで俳優の福山雅治が行きつけにしていた店で、“爆弾ちゃんぽん”が福山のお気に入りだったという。

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そんなわけで、店の壁には何枚もの福山雅治のサイン入り色紙と、NHK大河ドラマ『龍馬伝』の出演者たちのサイン入り色紙がずらっと並んで貼られていた。

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もしかしたら、長崎ロケの時に、福山雅治が共演者を連れて来たのかもしれない。

“爆弾ちゃんぽん”は、通常のちゃんぽんにラードの塊がどかんと乗っかっている豪快なこってりした一品だった。

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スープはマイルドでクリーミーだが、昨日食べた四海楼ほどじゃない。
味つけはあっさりだが、ラードのこってり感は半端ないという代物だった。
絶対に健康にはよくないだろうが、私はスープを呑み乾し、もちろんビールも呑み乾し、会計を済ませて店を出た。

(つづく)


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出島跡地【201508阿房列車】

<2015年8月7日・その四>

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出島跡地は、修学旅行で来た時よりも施設が拡充されていた。
昔はミニチュアの出島くらいしかなかったような気もするが、何しろ遠い昔なのでよくは覚えていない。

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その施設は出島オランダ商館跡といった。
かつての出島の風景が再現されていた。

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再現された建物には、様々な展示品が並んでいたが、それほど強く興味をひくものはなかった。

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出島にも飽きたので、私は思案橋まで歩いてみることにした。

(つづく)


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オランダ坂を歩こう【201508阿房列車】

<2015年8月7日・その三>

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大浦天主堂下電停から、孔子廟の方まで歩き、

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そこから坂を上がると、東山手町並保存地区の洋風住宅群があったので、中に這入って展示物を見ることにした。

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洋風住宅群は四棟あり、そのひとつに上野彦馬という幕末の写真家に焦点をあてたものがあった。

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私は上野彦馬に詳しくはないが、以前三谷幸喜の舞台に「彦馬がゆく」というタイトルのものがあり、私はたまたま衛星放送でその舞台を鑑賞した。幕末の志士たちを撮影した写真で私たちがよく見かけるものは、あの人もこの人も実は上野彦馬が撮影者だったりするらしい。

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そこからオランダ坂の方へと歩き、十二番館、十三番館という建物を見物し、

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それからオランダ坂という碑の建っている坂道を登った。

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実際のところオランダ坂とはどこからどこまでを言うのか分からない。

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とにかく十二番館の横の女子大学へと続く、見覚えのあるこの坂がオランダ坂の一部に間違いないだろうと決めた。

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この界隈も見るべきところがなくなったので、出島の方へと歩いて行くことにした。

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 居留地の標。

(つづく)


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2015/08/18

大浦天主堂【201508阿房列車】

<2015年8月7日・その二>

グラバー園を後にした私は、大浦天主堂へと向かった。
グラバー園の出口から少し下ったところに大浦天主堂の入口はある。

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その教会は高台に建てられており、石段を登って行く。
教会の正面には三つのアーチが並んでいた。

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中央のアーチは人が通るためのものではなく、聖母マリア像がやさしく二十六人の殉教者が受難した地を見つめていた。

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大浦天守堂は、日本に現存する最古の教会で国宝にも指定されている。
創建は1865年。

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天井が奇妙な角度で折り重なり、幾何学模様のような風合いを見せていた。
これはリブ・ヴォールト天井(蝙蝠天井)と呼ばれるゴシック様式の天井で、見る者をして、まるで天上へ引き上げるかのような感覚をもたらすという。
ひとしきり、祭壇やステンドグラス、偶像などを見て、繰り返し流れる説明のアナウンスを聞いた。

幕末にこの地に赴任したプティジャンという仏人神父の元に、あるとき日本人の一団が現れた。
彼らはこの建物を見、そこに自分たちの信仰対象と同じ偶像が存在することを認めて、神父に自分たちも同じ信仰を持つ者だと告げた。
そのようにして、鎖国時代、耶蘇教禁止の時代を越えて、約二百五十年ぶりに西洋の伴天連(バテレン)と日本の切支丹(キリシタン)たちが再開を果たしたのである。

そんなエピソードを、アナウンスは伝えていた。
キリスト教がこの地に根付き、人々が辛抱強く実に三百年に渡ってそれを信仰してきたということを考えると、その教義には人々に救済を与える強力な効能があったのだろうと思う。宗教には様々な生臭い問題も付き物だけど、この地方で自らの信仰を秘匿しながら暮らしてきた人々の慎ましやかなエピソードは印象的だった。

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帰り道、坂道に家電量販店があった。
なぜこんなところにこんな店があるのだろうか?
よくよく見てみると免税店だった。
日本の性能のよい家電製品に中国人が群がっていた。
そういうことか。
中国人観光客の絶大な購買力を当て込んで、ここに出店しているのか……。
なかなかに商魂たくましいと思った。

(つづく)


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グラバー園【201508阿房列車】

<2015年8月7日・その一>

午前五時三十分に起床した。

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期待していた朝焼けは、曇り空だったのでほぼ見えなかった。
宿に戻り湯浴みして、出かける支度をした。
グラバー園や大浦天主堂は午前八時に開くらしい。
その時間にあわせてバスに乗ろうと思ったが、宿の送迎バスは午前八時二十分が始発だった。
幸いにして路線バスがあったので、路線バスで長崎駅まで降りた。

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そこからはまた市電で大浦天主堂下電停まで赴いた。
まだ午前七時三十分を回ったところだったので、コンビニエンスストアで缶ビールを購入し、それを呑みながら悠々とグラバー園までの坂道を歩いた。
大浦天主堂やグラバー園へ続く坂道の両脇には土産物屋が軒を連ねていた。

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これはさながら京都清水寺の門前町の異国風ミニチュア版みたいだった。
(ただし、この時間帯に開いている店などひとつもない。)

グラバー園の門前で門が開くのを待っていたら蚊に喰われた。
それからは、蚊がふくらはぎや腕にたかる度にそいつをぶち殺し(野蛮人)、お腹の中の卵と一緒に叩き潰した(殺戮者)。
長崎の蚊の吐く毒とは相性がいいのか、刺された後に特に後遺症などもなくかゆみも長続きはしなかった。

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グラバー園が開いたのと同時に入場し、エスカレーターや動く歩道でいちばん高台まであがった。

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いちばん上にある旧三菱第二ドックハウスは耐震工事中で見学出来なかった。

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そこから下りながら、グラバー園内の建物を見学した。

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時々長崎港と長崎市内を見おろし、その景色が素晴らしかったので、昨晩夜のグラバー園にも来ればよかったと思った。

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旧グラバー邸は、玄関に張り出した多角形を半分にしたような屋根が特徴的な家だった。

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この家の構造だけは、何となく修学旅行の時の記憶が残っていた。

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グラバー氏は、どうやら現在のキリンビールの前身となる会社設立にも一枚噛んでいるらしく、グラバー邸にはキリンビールのマークの元になった狛犬なども展示されていた。

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一時間ほど園内を散策し、私はグラバー園を後にした。

どうでもいいが、グラバー氏の子息の苗字は倉場氏だった。

(つづく)


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2015/08/17

長崎ぶらぶら節【201508阿房列車】

<2015年8月6日・その九>

眼鏡橋の近くにある市電の電停から乗り込み、長崎駅前に向かった。
市電はすぐに長崎駅前に到着したので、これなら歩いて来れたなと思う。

今宵の宿は稲佐山の中腹にあった。
稲佐山は長崎湾の北側を取り囲む岬にある。
長崎駅から歩いて行くには、湾に注ぐ浦上川を渡らないといけなかった。
歩いたら三十分くらいかかるかもしれない。
長崎駅の南に架かる橋を渡ろうと思って、橋のたもとまで歩いたら、その橋は車両専用だった。
やはりこの街の都市設計は歩行者の事を考えて為されていない。
駅に戻り観光案内で、宿に行くにはどういうルートがいいか訊こうとしたら、宿の名前を出しただけで、“それでしたら毎時五分と三十分に無料の送迎バスが来ますよ”と教えてくれた。
そんなわけで私は送迎バスに乗り込み、いとも容易く宿にたどり着くことが出来た。

宿は通常の宿泊施設と簡易宿泊施設を併設していた。
簡易宿泊施設は、インターネットカフェ(もしくは漫画喫茶)の一ブースを宿泊用に改装したという印象。
二畳くらいのスペースに、床に布団が敷かれ、棚にテレビと卓上ライトと金庫があるという質素な設備。
実際に漫画本もたくさんある。(普段でもほとんど漫画を読まないので、旅先でわざわざ漫画を読むことなんてあり得ないけれど。)
風呂は温泉で快適だった。

湯浴みして、晩飯を食べに街に繰り出すことにした。

昼にちゃんぽんを食べたので、夜は日本的な物を食べたかった。
特に魚が食べたかった。

宿の送迎バスが止まったので降りたら、そこは大波止だった。
バスは大波止を経由して長崎駅まで行くらしい。
私は長崎駅まで行きたかったのに、間違えてその手前で降りてしまった。
悔しいので長崎駅まで歩き、さらに浦上駅まで歩いた。
そこから今宵の晩飯を喰おうと思っていた店に行った。
だが、外から伺うとその店は客もいなくて、店主は店の中の入口付近で煙草をふかしていた。
ああ、駄目だ。
この店はきっと駄目だ。
この店主は客にいい気分で旨いものを喰わそうという気がないのだろう。
この店に這入ったら後悔する。
そう思って踵を返した。

長崎市内では、どうにも旨そうな店が見つからなかった。
どこに店が集中しているのかもわからなかった。
結局、私は浦上から思案橋まで市電に乗って引き返した。
だが、この辺りにもよさそうな店がない。
夜にまでちゃんぽんを喰うのは芸がないし寂しい。

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思案橋の商店街で、長崎産の牛と魚を出す店を見つけて這入って見た。
呑み放題をつけてもらって、長崎牛の定食と刺し盛を注文した。
店には客がいなかった。
給仕の初老の婦人は要領を得ない人だった。

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刺身の盛り合せは、タイ、ヒラメ、タチウオ、ハマチ。
刺身はひどく筋張っていて美味しくなかったが、タチウオが入っていたのだけは嬉しかった。

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さしの入った長崎牛は、いかにも牛の旨みたっぷりで肉らしい美味しさだったが、それ以上でもそれ以下でもない。

結局、生ビールは四杯呑んだ。

夜のグラバー園にも行きたかったが、ちょっと晩飯を食べる場所を探すのに難儀してしまったので、閉門時間を過ぎてしまった。

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仕方ないのでライトアップされた眼鏡橋だけ見て、長崎駅まで歩き、そこから午後十時五分の送迎バスで宿に帰ることにした。

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宿に帰って稲佐山中腹からの夜景を楽しみ、また湯浴みして眠った。

(二日目・了)


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眼鏡橋から亀山社中へ【201508阿房列車】

<2015年8月6日・その八>

一日目の軍艦島クルーズを終えて、大波止の桟橋に降りた私は、徒歩で眼鏡橋まで歩くことにした。

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(眼鏡橋よりも手前にある橋もまた趣深い)

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川沿いを歩いて行くと、眼鏡橋はすぐに見つかった。

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石造りの橋の橋脚は、ふたつのアーチを形作り、水面に映る姿が眼鏡のようだった。

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眼鏡橋は、ただの橋でしかなく、風情はあってもいつまでもしげしげと見ているようなものでもなかった。

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ひと通り写真を撮影して、山の方の寺町へと歩いて行くことにした。

途中、喉が渇いたので酒屋で缶ビールを買った。
やはり暑い日のビールは旨い。

眼鏡橋の架かる川の周辺から寺町、さらにその先の坂道は、とても心地のよい道だった。
不快な大通りと比べて、自動車の数は少ないし、寺町や坂道に至っては自動車が通れるような道じゃない。
午前中に私は長崎の街割りを憎んだが、大通りではない山側の街並みは、とても素晴らしいと思った。
こういうところだけしか歩かないでいいのなら、長崎に住んでみてもいいかもしれないと思った。

寺町の一角から細い道が延びていた。
それは山の上へと通じる道だった。

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「亀山社中跡←」というプレートがあった。

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手作りの“龍馬通り”という表示板が微笑ましかった。

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しばらく階段と坂道を登って行くと、坂本龍馬の銅像があった。

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そこで地図を眺めてみる。
ううむ、目指すべき亀山社中跡に行くには、坂を登り過ぎたらしい。
引き返して、たまたま玄関から出てきた住人のおじいさんに訊いてみると、そこの脇道を這入って行った先に亀山社中跡はあるという。

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私は高校の修学旅行で一度だけ長崎に訪れたことがあった。
長崎市内で自由行動があり、坂本龍馬が好きな友人は亀山社中に行きたいと言った。
だが、亀山社中がどこにあり、どのように行けばいいのかわからないまま、その話はうやむやになり、今となっては長崎市内の小さな店でちゃんぽんを喰った事とちゃんぽんのスープを呑み乾したら金だわしの欠片が出てきたことしか覚えていない。

実際に来てみると、亀山社中跡はあの自由行動の時間でも来れたんじゃないかと思う。
ただ、あの当時(携帯電話どころかインターネットもない時代)の高校生の私たちには、亀山社中は物理的な距離以上に遠かったのだ。

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亀山社中は、坂本龍馬の率いる海援隊が起こした日本初の商社と言われ、たしかNHK大河ドラマの『龍馬伝』では、坂本龍馬たちがカステーラを作って甘楽甘楽(かんらかんら)と笑っていたような気がする。

亀山社中跡は、亀山社中があったと言われる場所に屋敷を再現したもの。

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展示物は海援隊院の写真とか、龍馬の所持品(複製品)とかそういった類のもの。

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別に資料館が近くにあるらしいが、資料館は土日しか開いていない。

亀山社中の雰囲気を愉しんで、私はその屋敷を後にした。

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坂を下り、寺町でなんとなく興福寺という寺に寄った。

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黄檗宗の唐様の寺院だった。

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建立は1620年だという。

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羊角灯籠という羊の角を飴状に溶かして作るという灯籠が私の興味をひいた。

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(つづく)


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蝙蝠の正体【ファイアーエムブレムif〜白夜行〜】

<その15>

ガンズを倒し、暗夜王城を進む私の前に、暗夜王直属の軍師マクベスが姿を現した。
不敵な笑みを浮かべるマクベスが、何か合図をすると、驚いたことにこれまで共に闘ってきたタクミが、アクアの腕を締め上げた。

クライフ:
 …たっくんッ!?
 なぜだ、なぜ…君がアクアを…!?
 
マクベス:
 …わかりませんか?
 タクミ王子は最初から…
 我々、暗夜王国についていたのですよ。
 だから忠告したでしょう。
 あなた方の中に、コウモリがいると。
 彼のおかげで、あなた方の行動は
 筒抜けになっていたというわけです。
 
 ハハハハハ! どうです?
 お仲間に裏切られた気持ちは?
 
 相手を信じる心?
 仲間同士の信頼?
 
 ばかばかしいですねぇ!
 
 そんな下らないものを持つから、
 こうして騙されるのですよ!
 
その中身のないくだらない演説を私は信じなかった。
タクミの目は正気を失い、うつろに光を煌かせていた。

タクミは劣等感を持っていた。
他の兄弟姉妹たちが称賛される中で、自分だけが何も持たないと思い込んでいた。
おそらくタクミが無限渓谷に落ちた時、その弱さに付け入られて、タクミは闇の側の傀儡となった。
普段は本人がそれと気づかぬままに、暗夜王国と繋がることになってしまった。

タクミはアクアを締め上げ、その力はアクアを傷つけようとしていた。
だが、私はタクミに語りかける。
それでもお前を信じると。
その刹那、タクミの力がすこしだけ緩められた。
その隙をついて、アクアがあの不思議な力を秘めた唄を歌った。

“ユラリ、ユルレリ…♪
“ユラ、ユラ…♪” 

マクベス:
 まずい、あの歌を歌わせては…!
 
サクラ:
 え、えーいっ!

暗躍するマクベスをサクラの放った矢が制止した。
でかした、サクラ。

マクベス:
 うぶっ!?

サクラ:
 ア、アクア姉様の邪魔をしたら
 許しません…っ!
 
マクベス:
 小癪な…
 いくら王女でも許しませんよ…
 少し痛い目を見せて差し上げないと
 いけないようですね…?
 
サクラ:
 きゃ…!
 
サクラに迫るマクベスを制止したのは、タクミの矢だった。
タクミは正気を取り戻した。

タクミ:
 …よくもこの僕を操って、
 コケに…してくれたね?
 さっきお前の言っていた、
 きょうだいに対する僕の劣等感は本当だ…
 でも僕は、この闘いで分かったんだよ。
 僕には僕にしか、できないことがあるって!
 
 だから…
 愛するきょうだいを、
 そして大切な仲間を裏切るなんて真似は、
 絶対にしない!
 誇り高き、
 白夜王国の王子としてね!!
 
クライフ:
 終わりだよ、マクベス…!
 卑怯な手を使って
 僕たちを殺し合わせようとしてお前は、
 絶対に許さない!!
 
 お前との因縁は…
 ここで決着をつける!!
 
我が軍は、マクベスの手勢を各個撃破し、マクベスを追い詰めた。
もはや戦場にマクベスひとりになった時、マクベスの前にタクミが立ちはだかった。

タクミ:
 許さない…
 よくも…よくも僕を利用してくれたな。
 マクベス…
 
 洗脳が解けた時、
 全て思い出した…
 毎晩、自分の居場所を
 フクロウに預けて飛ばしていたこと。
 朝になれば全てその記憶を失くすこと。
 自分がみんなを裏切ってたことさえ
 気が付かず、仲間を疑っていただなんて…
 この上ない屈辱だよ…

マクベス:
 だったらその罪を悔やんで
 さっさと死んでください。
 このまま生き恥を晒すよりは
 ましなのでは?
 
タクミ:
 うるさい!
 この罪は、生きて償っていく!!
 まずはマクベス、
 お前を倒すことで…
 今まで自分のしてきたことに、
 ケリをつけさせてもらう!
 
マクベスはいちばん怒らせてはいけない人間を怒らせてしまったのかもしれない。
タクミはその抱え込んだ複雑な思いのせいで、怒らせたら手がつけられない。
タクミの引き絞る風塵弓は、ぎりぎりとその弓弦を唸らせていた。
刹那、タクミの腕に力が籠もり、古代彫刻のような造形をつくりだす。
それは一瞬の間、すぐに矢は放たれ、矢は過たずマクベスの胸を捉えた。
その矢はただマクベスを貫いたのみではなかった。
タクミの怒りは、所謂クリティカルヒットとなって、マクベスを襲った。
数値に換算すると、マクベスの耐久力が50だとしたら、タクミの与えたダメージは102だった。
そう、マクベスはいちばん怒らせてはいけない人間を怒らせてしまったのだ。

マクベス:
 死にたくない…
 私は、まだ…!!

クライフ:
 勝負あったね、マクベス。
 今度こそ本当に…
 …君の負けだ。
 
マクベス:
 ひっ…! ひいいっ!!
 し、死にたくない
 なぜ私が、死なないといけないのです…
 
 私は、
 私は…
 
 そ、そうだ、実は私もガロン王の魔術に
 かかっていたのですよ!
 
 ですからこのような真似、
 本当はしたくなどなかったのです!
 
 助けてください…!
 悪いのは全てガロン王なのですよ…!
 
 私は可哀想な駒だったのです…!
 どうか、どうか語慈悲を…!
 
この期に及んでマクベスは寝惚けたことを言う。
だが、その言葉を制したのは、意外にも暗夜王国第三王子レオンだった。

レオン:
 お前のような卑劣な者を見ると…
 虫唾が走る。
 
 …恥さらしめ。
 覚悟はいいね?
 
 塵になるがいい!!
 
レオンの放つブリュンヒルデの魔法により、マクベスは斃れた。

あの日、暗夜王国天蓋の森で別れたレオンは、真実を見つけて帰ったきたのだろうか?
すくなくとも今のレオンに敵意は感じられない。

クライフ:
 レオン…帰って来たんだね。
 …君の真実は、
 見られたかい?
 
レオン:
 …ああ。
 あなたのことを、
 もう『兄さん』とは呼ばない。
 ただ、水晶球の導きに従って、
 僕は見てきた。
 あなたの『成すべきこと』が、
 正義だということを。
 …でも、僕はやっぱり、
 この暗夜王国の王子なんだ。
 手を出せるのはここまでさ。
 
クライフ:
 うん。わかってるよ。
 それでも、ありがとう…レオン。
 もう兄と呼んではくれなくても、
 君は僕にとって、
 かけがえのない…大切な人だよ。

そして私はレオンの着る法衣が裏返しであることを指摘する。
レオンは照れ笑いをして、こちらを見つめていた。
それはレオンの美点でもあった。

レオンは言う。

レオン:
 …強いよ、マークス兄さんは。
 とてつもなく。
 僕なんか話にならないくらい。
 そしてもしかしたら、父上は…
 もっと強いかも。
 
クライフ:
 うん…
 そうだとしても、行くしかない。
 その『成すべきこと』のために命を落とした、
 かけがえのない仲間たちのためにも。
 もし闘うことになったとしても、
 僕はもう迷わない。
 闘うことで、
 この闘いを終わらせて見せる。

レオンに別れを告げ、我々は王宮の奥へと進んでいった。

(つづく)


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2015/08/16

軍艦島ツアー3・第三見学広場【201508阿房列車】

<2015年8月6日・その七>

第三見学広場は、島の南西の端にある。

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ここから北を見ると、正面に真四角の鉄筋コンクリートの廃墟が見え、その奥左側に“へ”の字型の居住棟が見えた。さらにその奥には“ハ”の字型の居住棟もあるはずだが、防波堤に遮られてここからは見ることが出来ない。
西側は外海に面しており、それだけに波も激しい。
東側の防波堤が8mなのに対して、西側の防波堤は12mと高くなっているという。
波の激しい西側に住居棟を建て、東側に炭鉱施設を設置していたのは、この島にとって何が重要であったかを示していた。

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正面の四角い廃墟は、大正五(1916)年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート製の集合住宅で、世界的にも注目されている建物である。
七階建の各階には、六畳一間の部屋が二十あり、全部で百四十世帯が入居していた。
上から見るとこの建物は“ロ”の字型をしており、中央部分は中庭になっていた。

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“ヘ”の字型の住居棟は第31号棟と呼ばれ、防潮棟としての役割も担っていた。その奥の“ハ”の字型の居住棟も同様である。
その為、西側居住棟は“潮降り町”などとも呼ばれていたらしい。

島の西側には、他に木造の寺があり、寺の下には映画館があった。居住棟の下には娯楽施設や商店などがあり、ずっと奥の北端には病院と隔離病棟があった。
(木造建築はさすがに暴風や波浪に耐え切れず、完全に倒壊して現在では見る影もなくなっている。)

娯楽施設や商店街のある区域は端島銀座と呼ばれていた。
元島民の話によると、当時の端島銀座の様子は、現在の東京と比べても遜色ないくらいだったという。

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この島を訪れる元島民の人々も少なくはないという。
ただのストレンジャーは、この島の姿をぱしゃぱしゃと臆面もなく撮影するが、かつてこの島に住んでいた人たちはほとんど写真など撮らないのだという。
当時――日本にとっての産業革命の時代――この島には日本の未来があった。
かつての島民たちは、いま目の前にある瓦礫の山が、本当に自分たちが住んでいた島の姿なのだろうかと違和感を覚えるのだという。
私はそんなガイドの言葉を聴きながら、当時の島の光景は、それだけ鮮烈で活気に満ちていたのだろうと思った。
そして、かつて殷賑を極めたというこの島の風景を思い描きながら、深く深く想像の世界へと旅立ち、そして二度と帰らなかった。
(帰らなかったというのは嘘である。)

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立ち入り可能区域はここまで、ひと通りガイドの説明を聞いたら、船に戻り長崎港へと帰る。

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一日目に参加したツアーでは、船は島の西側をぐるりと回り、上陸ツアーでは見られない軍艦島の様子を船上から眺めることが出来る。

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西側から見る端島の様子が、旧日本軍の戦艦土佐に似ていた為に、端島は軍艦島と呼ばれるようになった。
その姿を眺め、無常なる時の流れの苛烈さを思った。

この端島炭鉱では三菱の公式見解では凡そ250名の人が事故などで亡くなったという。(病気その他はおそらく集計されていない。)
その中にはたしかにアジアの他の国から来た労働者もいたという。
世界遺産の登録に当たって、隣国とのすったもんだがあったことはさておき、それはまぎれもない事実だったし、それを隠すことは正しいことではないともガイドは話していた。

船は桟橋を離れて、軍艦島の周囲をめぐった。


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小中学校、65棟など


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病院棟、隔離病棟

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軍艦島西側の様子


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寺院後地(今は木材が散乱しているのみ)


やがて船は、端島を離れ、長崎港へと進路を向けた。
徐々に小さくなっていく、島影がどこかぽつんとして寂しげに見えたのは、私が感傷的になり過ぎているからだろうか。
島はただそこにあり、わずか百年程度の期間でうつろい、変わり果てた姿を潮風にさらしていた。
その姿は、様々な思いを私にもたらして、その記憶を深く刻み込んだ。
甲板で海を見ていた私は、連日の睡眠不足の為、気が付くと眠っていた。
時刻は午後三時を回ったところで、まだ陽の光は射すように痛かった。

(つづく)


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軍艦島ツアー2・第二見学広場【201508阿房列車】

<2015年8月6日・その六>

第二見学広場は島の南側にあり、炭鉱施設が置かれていた場所。

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正面左に赤レンガの壁が残り、右手にはコンクリートの階段の先に四角い箱状の一室が残っていた。
岩礁の上には、白い灯台が建ち、その右側には給水タンクが設置されていた。

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この区画の地下には三つの浴槽があったという。
ふたつめまでは海水の風呂で衣服を着用したまま入浴でき、ふたつめからは服も一緒に洗えたらしい。
みっつめの浴槽でようやく真水となり、そこまで来ると石炭で真っ黒になった炭鉱夫の身体もきれいになったという。

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赤レンガは白く変色していた。ここ数日は雨が降っていないので、潮のせいでこんなに白くなってしまったらしい。

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あと数日雨が降らなければ、赤レンガは白レンガになってしまうそうだ。
赤レンガの向こうは総合事務所があったところ。

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右側にある階段と四角い部屋は、炭坑へと続くエレベーターがあった場所。
ここから606m(スカイツリーと同程度)下の坑道まで粗末なエレベーターは秒速8m(時速28.8km)で下降したという。その為、慣れない者は失神する場合もあったという。(二日目のガイドは、2分30秒で降りると言っていたので、秒速4mの計算。これはサンプルとなるデータ取得の時期により異なると思う。エレベーターは時代により改修され、下降速度に違いがあった筈だろうから。)
そこから人車と呼ばれる小さな電車に乗り、炭坑夫たちは2km先まで進み(時期や場合により徒歩のこともあったと推測される。)、さらに300m〜500mほどを徒歩で下って行くのだという。
坑内は摂氏30度、湿度90パーセント以上という過酷な状況下にあり、グループで行動していた炭坑夫たちの一日の最初の仕事は、具合の悪くなった人を介抱することだったという。
そんな過酷な状況下での危険な作業だから、給料は一般的な庶民の三倍くらいもらっていたらしい。
その為、まだテレビが三種の神器と言われて、一般家庭の普及率が10%にも満たないころ、この島では全世帯にテレビアンテナが立っていたのだという。ガイドは、その急速な普及の理由についてこんな話をしていた。
もちろん世帯主が高給取りで、家賃も公共料金も会社もちだったこともあるが、当時の日本はまだ地域コミュニティーというものが密接に人と人とをつないでおり、この島でもそれは同じで、ある世帯がテレビを導入したとしたら、その日の午後にはそれがその居住棟の全世帯に知れ渡るような状況だった。
だから人々は競うように家電製品を買い求めたんじゃないかと、この島に住んでいたある主婦がそう話していたそうだ。

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炭坑へと続く階段は、黒く煤けたようになっていた。
これは炭坑夫たちの歩いた黒い足あとの名残りだという。
毎日毎日何百人もの人々がこの階段を上り下りして、遥か地下に広がる危険な炭坑へと降りて行った。
なぜそんな危険で過酷な職場で何十年も働いたのだろうか?
その答えは単純で、家族を守り、養う為に他ならなかった。
そういった名もなき人々の執念のような思いがその階段には刻まれていた。
それはかつてこの島に人々が住み、あたり前の生活をしていたことを証明していた。
そうして、この炭坑で採掘された良質な(カロリーの高い)石炭は、八幡製鉄所などに送られ、日本の近代化に大きく寄与したのだという。

坑夫だったある男は、その黒ずんだ階段を見て、ガイドにこう言ったという。

ここだけは昔と変わらない。
過酷な自然の猛威の前に、炭鉱施設は瓦礫の山と化しても、この階段だけは永久に残るんじゃないだろうか?
俺たちの執念が刻まれたこの階段だけは……。

そんな言葉が印象的だった。

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正面上へと視線をやると、岩礁の上には給水タンクが見えた。
この給水タンクは、端島炭鉱が開いてからだいぶ経過した昭和三十二(1957)年に設置されたものだった。
当初、端島には水道がなく、もちろん水源なんかないから、水は船で運ばれてきた。
だが、ここは孤島で海は外海だった。だから海が荒れると補給船は停泊できず、一週間以上水をはじめとした物資が届かないこともあったらしい。そのため海底に6.5kmに渡る水道を引いて、九州本土長崎の外れから水を供給する設備を整えたのだという。
給水タンクの上から管が伸びているのが微かに肉眼でも見えた。これが送水管で、直径15cmくらいの管だという。
島にはプールもあったのだが、島の人は最後までプールの水に真水を使うことに抵抗があり、プールはいつだって海水で満たされていたのだという。

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岩礁の上で一際目立つ真っ白な灯台は、端島炭鉱が閉鎖されて、この島が無人島になった一年後の昭和五十(1975)年十二月に建てられたもの。
端島炭鉱が稼働していた頃は、この島は殷賑を極め、夜でも煌々とあかりが灯っていたという。それゆえ灯台など不要だったが、炭坑閉鎖後すべての住民が島を去り、あかりひとつない闇と化したあとは、船の航行に危険がある為、灯台が設置されたのだ。

(つづく)


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軍艦島ツアー1・上陸から第一見学広場まで【201508阿房列車】

<2015年8月6日・その五>

今は廃墟となった建造物が立ち並ぶこの島には、往時最大で五千人以上の人々が暮らしていたという。
端島炭鉱の人口密度は日本で最も高く、当時の東京二十三区の人口密度の九倍以上だったともいう。
この狭い島に、無いものはほとんどなかったという。
娯楽施設も充実しており、パチンコ屋、雀荘、居酒屋、映画館、ダンスホールなどが島の西側に設けられていたという。
当時(昭和五年ごろ)、映画館は長崎市内にもなかったので、長崎市内から端島に映画を観に来る人さえいたらしい。
 
ただし、この島にはないものが三つあり、それは火葬場と墓場と高等学校だったという。 
火葬場と墓場がないのには、それだけの理由があった。
この炭鉱の島は炭鉱だけの為に存在し、ここに住まう人はもちろんここが故郷ではない。
だから、この島で簡単な葬儀だけを済ませ、向こうの中ノ島で荼毘に付し、骨は故郷に埋めるのだ。

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波は穏やかだった。
この季節、台風の接近だけが心配だったが、ここ一週間というもの日本列島は高気圧に包まれており、晴れすぎた空にはあま照らす太陽が存在感を示して、わだつみ(海神)は平穏そのものだった。

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船から端島に上陸すると、すぐに破れた堤防が見え、その向こうに廃墟の群れが見えた。
この時点で私は、それぞれの廃墟がどんな建物で、どんな役割を担っていたのかを知らない。
それはガイドの説明を待つ他なかった。

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破れた堤防は一度の大波の為に破壊され、それ以来修復されないまま今に至るという。
破壊されたのは、この島が炭鉱の町として機能していた頃の事だという。

一般のツアー客は、軍艦島の三分の一程度のスペースしか見学することが出来ない。
倒壊の危険もあり、施設保護の意味あいもあって、ほとんどが立ち入り禁止となっていた。

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桟橋から少し進むと短いトンネルがあった。
トンネルの出口付近には分かれ道があり、一方にはフェンスが張られ、立ち入り禁止と表示されていた。

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このフェンスの向こうは往時南側の炭鉱施設を通り、西側の居住区へと赴く為の道だったという。
端島の人々は、このトンネルを通って、桟橋からそれぞれの施設に行き来していたのだ。

トンネルの先に比較的広いスペースがあった。
ここはガイドがツアー客を集めて軍艦島の説明をするところ。
こういったスペースが現在の歩行可能エリアには三つあり、それぞれの区画について、ガイドが説明をしてくれる。
今回私が参加した一日目のツアーは、ツアー客を二つのグループに分けて、時間差で別々の場所を見学させるという方式を取っていた。

この島の陸地のほとんどは埋め立て地で、もともとあったのは、中央の小高い山になっている岩礁部分だけだった。

岩礁は、当時三菱が現金十万円で買い取ったのだという。単純に当時のお金を現在の価値に換算することは難しいが、だいたい現在のお金で言うとそれは二十五億円で、設備投資にさらにその十倍、埋め立てにさらにその十倍の資金が投入されたと言われている。私は“三菱、どれだけ金あるんだよ”と呆れたが、きっとこの炭鉱はそれ以上の利益を形状したのだと思う。結局、富が集まるところにはさらなる富が集まり、勇気も才覚もない庶民はいつまで経ってもうだつのあがらない庶民のままなのだと思って、私はシニカルに笑った。

埋め立てには、炭鉱から掘り出された石炭にはならないボタと呼ばれる砕石が使われた。陸地ではボタはその辺の平地に捨てられ、そこはボタ山と呼ばれるのだが、この島には土地がない為、ボタは海に捨てられた。捨てられたボタは海底に積み上がり、結果として埋め立てをする為に有効利用された。そのようにして現在の端島が形成された。五度に渡る埋め立ての後、これ以上埋め立てられなくなると、今度は東側の海にボタを投棄したのだが、東側は桟橋があり、あまり海を浅くし過ぎてしまうと船が接岸できない。最終的にボタは島の中心となる岩礁に穿たれたトンネルを通り、居住棟を突き抜け、居住棟の合間からベルトコンベアで西側の海に投棄されていたという。

第一見学広場は、桟橋の近く、埋め立て地の南東にある。
軍艦島は細長い島である。

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広場に立ち、北東方向に向かって立つと、正面に大きな建物が見える。これは小中学校だった建物である。
小中学校手前左にある建物は居住棟で第65棟と呼ばれる集合住宅で、往時には三百世帯、一千人以上の人がこの棟で生活していた。
また65棟の屋上には、土地のない島で少しでもスペースを有効利用するという意味合いもあり、幼稚園が設置されていたのだという。全国でも集合住宅の屋上に幼稚園があるというのは、ここだけだったらしい。
65棟では、この夏に公開されている実写映画『進撃の巨人』の撮影が行われたという。

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海側の埋め立て地に四角い柱石が列をなしているが、これは炭坑から掘り出されたものを運ぶベルトコンベアーを支えていた柱である。

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左側には岩山があり、これが島の根幹を為す岩礁で、その上には幹部棟の建物が建っていた。

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幹部棟には、この島で唯一内風呂があり、水が貴重なこの島で海水ではなく真水の風呂に入れたという。
幹部棟の屋上は庭園になっており、植物の育たない埋め立て地(埋め立てにボタを使っている為)に少しでも緑をという思いがこめられていたらしい。もしかしたら、それは日本で初めての空中庭園だったのかもしれない。

幹部棟の奥、高台に小さな祠のようなものが見える。

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これが端島神社で、御祭神は山の神(炭鉱の守り神)のオオヤマヅミノミコトと海の守り神の金毘羅様であった。

第一見学広場から南へと目を向けると、そこには鉄の柱がぐにゃぐにゃとひしゃげて、その残骸を残していた。

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この鉄骨の残骸は、25mの立坑櫓(たてこうやぐら)の名残りだという。

(つづく)


thanks_dude at 16:43|Permalink 【201508阿房列車】 

軍艦島へ【201508阿房列車】

<2015年8月6日・その四>

湾から外海へ続く手前に、ふたつの岬をつなぐ大橋が架かっていた。

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これは、“女神大橋”という橋らしい。
西側の岬が“女神崎”で、東側の岬が“コウ崎”だとガイドが話していた。
音声で訊き、後で思いを巡らせてみると“コウ崎”とは“神崎”なんじゃないだろうかと予測した。
現代的な建築ながら、女神と神(もちろん男神)をつなぐかけ橋とは、なんとも風流な橋だと思った。

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船は外海に向かって波を蹴立てていた、右前方に見えるきれいな三角形の小さな島は高鉾島という島で、幕末にはお台場(砲台)の設置された場所らしい。

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湾のまさに門口となる西側の小半島の最先端は神之島という集落らしい。
江戸時代、キリシタンは国家政策として禁じられていた。
このあたりを治める佐賀鍋島藩は、キリシタン弾圧にはそれほど積極的ではなく、僻地のキリシタンについてはお目こぼしをしていたらしい。
だから、この辺りは今でも日本でいちばんキリスト教徒の多い土地なのだという。

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海岸の岩場の上にマリア像が立ち、山裾には白亜の教会が建っていた。

<うんちく>
幕藩時代の国名や国割を熟知しているわけではないから、この辺りまで鍋島氏が治めていたのかと意外に思ったので調べてみた。
長崎市内は、当時唯一外国船が寄港し、鎖国政策の中で唯一対外貿易が許されていた港(例外として島津氏は琉球を通して対外貿易を行っていた。他にもそんな藩はあっただろうと思う。)だった。その性質上、よく考えてみれば当たり前だが、長崎は天領(江戸幕府直轄領)だった。
幕末の雄藩として知られる薩長土肥の肥前国は、今の佐賀県と長崎県の一部を治めていた。
その領地は、長崎市にほど近いこの辺りや、これから赴く島々にまで及んでいたらしい。

左手に巨大な造船所が見えてきた。
ここでも巨大な豪華客船が建造されていた。
これは先ほど右手に見えた建造中の豪華客船の姉妹艦なのだという。

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港湾施設の主だったものは、ほとんど三菱グループのものだった。
こんな莫迦みたいに大きな企業を一代で築き上げた土佐人の岩崎弥太郎という人は、呆れるくらいにすごい人だと思う。
私は土佐人の坂本龍馬が好きなのだが、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」という意味では、結果として坂本龍馬は岩崎弥太郎の足元にも及ばない。
岩崎弥太郎は具体的に物や金でこの国を変えた。
坂本龍馬は、もっと政治的なアプローチでこの国を変えようとした。そして大きな仕事を成し遂げる直前に兇刃に倒れた。
物語の中で坂本龍馬は心の大きな快男児で、岩崎弥太郎はくせがあって自我の強い人だった。
おそらく、一代であれだけのものを築き上げるには、汚いこともえげつないこともしたであろうし、庶民に恨まれることも多々あったろう。それでもその恩恵はどれだけの末端の労働者とその家族が暮らしていく糧になったことだろう。そう考えると、下級武士から身を起こした岩崎弥太郎のやったことは、近代でも類を見ない偉業なのだと思う。


やがて伊王島が左側に見えてきた。伊王島を左手に見ながら、船はそのまわりを旋回し、伊王島と高島の間を航行する。
伊王島は、今ではリゾート地となっているが、もともとはここも炭鉱の島で、ピーク時には九千人が暮らしていた。そしてこの島もやはりキリスト教信者が多いらしい。

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先ほどの神之島と同じく、海に面して白亜の教会が建っていた。

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高島の周囲にはいくつかの島があり、併せて高島町を形成している。(二日目のツアーではこの高島にも上陸した。)
高島町の群島は江戸時代から海底炭鉱の島で、当時は陶磁器の燃料としても石炭は使われていたらしい。
近代以降は八幡製鉄所などに送られ、日本の近代化に大きく貢献したのだという。

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しばらくすると右前方に軍艦島(端島)のシルエットが浮かび上がってきた。
空は晴れているが、海面にはうっすらと水蒸気が充満しており、視界は完全にクリアというわけでもなかった。
灰色の軍艦のような島に目を凝らすと、そのシルエットはひとつの島によるものではなかった。

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端島の手前には中ノ島という島があり、端島と中ノ島のシルエットは重なっていた。
中ノ島も端島とはゆかりの深い島らしい。

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中ノ島を過ぎると、端島単体の姿が目に映る。
“軍艦島”という俗称の所以となったのは、島の東側を北東方向か見るシルエットではなく、西側を西の海上から見るシルエットが “戦艦土佐”に似ていたからだと言われているが、それでもこの島が軍艦島と呼ばれるようになった理由は一目瞭然で、埋め立てられた平地と護岸工事により人工的に海面から岩壁が垂直に切り立っている様相は、間違いなく戦艦を連想させるものだった。

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そうして、船は軍艦島と呼ばれる端島の桟橋に接岸した。

(つづく)


thanks_dude at 15:54|Permalink 【201508阿房列車】 

【映画鑑賞】ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション

「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」を観に行った。
言わずと知れたスパイ映画の最新作である。
最近の映画は、タイトルにナンバーを入れないから、これが何作目なのかよく分からない。
一作目は、アンジーの親父さんが黒幕で、二作目はジョン・ウーが撮って、三作目はホフマンが暗躍して、四作目はゴーストプロトコルだったっけ?
じゃあ、これが五作目なのかもしれない。

相変わらずスパイ映画らしいスパイ映画で、この道の先達である「007」的な要素も臆面もなく取り込んでいる。
ドラマ部分もスパイ映画らしく展開していき、退屈させなかった。

それはとても手堅い演出だった。
惜しむらくは、手堅すぎて語るべきことがほとんどなかったこと。
このクソ面白くもないテキストを見ればわかるが、私にとってはもう少し隙を見せてくれるかぶっ飛んだ内容の方がよかった。
 
とはいえ、総合的にはじゅうぶんに楽しめた。
深夜上映で観たからすこしだけ眠たかったけれど。


thanks_dude at 13:29|Permalink スパイ 

【映画鑑賞】ジュラシックワールド

映画「ジュラシックワールド」を観に行った。
本作は「ジュラシックパーク」シリーズの続編である。
「ジュラシックパーク」はたしか三作目までが製作されていたと思う。
まだ私が映画館に足しげく通っていた頃の物語なので三作目は劇場で観たと思う。
「ジュラシックパーク」については例によってよく覚えていない。
アッテンボローとかサムニールとかあまり可愛らしくない子どもが恐竜に追いかけまわされていた気がする。
T−レックスとかヴェロキラプトルとかが、人間を襲っていた気がする。

「ジュラシックワールド」は「ジュラシックパーク」から十五年か二十年くらい後の話。
大惨事を起こしたジュラシックパークは、経営母体を別の資本家にすげ替えられてジュラシックワールドという新しいテーマパークとして大繁盛していた。

ジュラシックワールドでは。遺伝子交配による新種を生み出し、それを新しいアトラクションとして、次々と来場者に提供していた。
そしてジュラシックワールド開発部は、T−レックスに様々な生物の遺伝子を組み込んだ“なんとかレックス”を生み出して、その公開時期が間近に迫っていた。

最強の“なんとかレックス”は、やっぱり大暴走して、テーマパークのスタッフも来場者もまとめて恐竜たちに襲われてしまうというそんなお決まりのお話。

久しぶりだったけれどやっぱり“ジュラシックなんとか”は、何も考えずに楽しめるアトラクション映画だった。


thanks_dude at 13:00|Permalink SF 

長崎港出航【201508阿房列車】

<2015年8月6日・その三>

午後一時の便の軍艦島(端島)クルーズに予約をしていたので大波止の方まで歩くことにした。
長崎の街は、町割りが不規則な上に歩行者にやさしくない。
あるべき所に横断歩道もなく、歩道橋すらない為、歩行者は遠回りを余儀なくされる。
暑さのせいで気が立って発狂寸前の私は、この街の近代都市設計をした奴は大馬鹿者だと思った。
いずれにせよ、長崎市には絶対に住みたくないとすら思った。

今は世界遺産に登録されるだとか、それに伴い某国の横槍が這入るだとかの報道のあとで、実際に世界遺産に登録されもした為、大人気観光スポットとなっている軍艦島には、数年前から訪れたいと思っていたまま、時間だけが経過していた。
数年前でもじゅうぶんに有名な場所だったけれど、今は観光客が大挙して訪れ、何だか混沌として満足に見て回ることも難しいんじゃないかと私は先入観を持っていたが、とにかく訪れたいという願望が先に立って、今回の旅を計画した。(結果としてはツアー船の定員は限られている為、混沌状態の中で見学するような事態になり得なかった。)

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定期便は出ていないから、軍艦島に上陸するには、観光ツアーに参加しなければならない。
ツアーを催行している会社はいくつかある。
私はまず翌日の午後の便を予約した。
だが、天候や波の状態によっては軍艦島に上陸できないこともあるという。
不安になったのでこの日も別の会社で予約した。

心配していた台風もやっては来ず、空はよく晴れていた。
天気予報はここ一週間、“晴れ”か“晴れ時々曇り”だった。
港のチケットカウンターで予約した旨を伝え、あらかじめ用意していた誓約書を渡した。
これに署名しないと、軍艦島には上陸させてもらえない。

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手続きが終わったので、私は桟橋に移動した。

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スタッフの人に訊いて、進行方向に向かって右側の方が景色がよいことを確認し、甲板の右側の席に座った。
太陽はじりじりと肌を灼き、私は冷たいビールを欲していた。
だが、船内で飲酒をした者は上陸させてはならないという当局からの指導があるらしいので、私は我慢をして水を飲んだ。
ちなみに出航前に呑むのも駄目らしいが、規則なんか破られる為にあるのだし、多少は許してくれるらしい。
一時間ちょっと前に生ビールを二杯呑んでいたが、まったく酔っていなかったし、赤ら顔ですらないので特に何も言われなかった。
明らかに酩酊状態だとさすがに差し止められるかもしれない。

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(※軍艦島ツアーには二日続けて行った。天候や波の状況によっては上陸できない日もあるというので、念の為二日予約した。場合によってはキャンセル料を取られてもいいと思っていた。結局、長崎市内には見るべきところもそれほど多くなかったので、二日連続で軍艦島に上陸することになった。ガイドの説明は会社によって異なり、その言葉も同一ではない。語られる物語も、それぞれ微妙に異なる。当記事では少なくとも説明部分は、二日間で得た知識を統合する形で記述したい。その他感じたことなどは適宜記述する。ちなみに二日目に行ったツアーの方がガイドの物語る言葉が印象深かった。)

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船は長崎港を出航した。

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長崎県は複雑な形をした半島のようなものがくっついて九州の北西部、佐賀県へとつながっている。
長崎県の北西部は多島海で、その景観は風光明媚だというが、今回の旅ではそちらまで足を運んでいる余裕がない。
長崎港は海面に突き出したふたつの小半島のような地形に囲まれた湾の中にある。
小半島のひとつには稲佐山という山があり、その反対側、九州本土に近い本土側もまた同じように傾斜を為していた。
細長い港の北側の奥に、軍艦島(端島)クルーズの船が出る港はあった。

船は長崎港の桟橋を出た。
向こうに稲佐山の展望台が見える。

細長い港湾の左右には造船所や整備工場が建ち並んでいた。
その中にも今回の明治日本の産業なんたらとして登録されている施設がいくつか存在していた。

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ハンマーヘッド型の巨大な構造物は、ジャイアントカンチレバークレーンといった。
これは百年以上前に建造され、今も現役稼働中の老兵らしい。

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三菱造船の参番ドックも今回登録された世界遺産のひとつである。
もちろんこれも現役稼働中である。

お隣の弐番ドックでは、戦艦大和の姉妹艦である武蔵が建造されたらしい。

それらの対岸にはそろばんドックというものあるそうだ。

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(黄色い支柱のサルベージ船の奥にあるのがそろばんドックらしい。)

私はそれらの施設を“へええ”と眺めながら、世界遺産も登録数が増えるに従って、ひとつひとつに有難みがなくなるものだと苦笑いをした。
そんな考えは罰当たりなのかもしれない。

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造船所では巨大な豪華客船が建造されていた。

(つづく)


thanks_dude at 03:42|Permalink 【201508阿房列車】 

2015/08/15

星竜の涙【ファイアーエムブレムif〜白夜行〜】

<その14>

暗夜王都ウィンダムの地下通路を抜けて、王城を目指す我々は、よりによって練兵場にたどり着いた。
訓練をしている兵士たちを窺っていると、練兵場で兵士を指揮しているのはこれまでに何度か出会ったガンズという武将だった。

こそこそとしている我々をある兵士が見咎め、そして戦闘になった。

ガンズ配下の兵士たちの攻撃を捌いていると、不意にガンズ自ら私に斬りかかる。
私はそれに対応出来ない。
あわや、と思ったところで身を呈して私を守ってくれたのは、星竜のリリスだった。
リリスは、私が無限渓谷でガンズに襲われた時にも一度救ってもらった。
そしてまたしても、ガンズの一撃から私を庇ってくれた。
リリスは、あの時人としてのうつし身を失い、そして今回はその生命を失おうとしている。
運命の女神は気まぐれに、そして理不尽に、リリスの運命を断ち切ろうとしている。
そのあまりも脈絡のない展開はさておき、私はガンズを許せないと思った。
そして何よりリリスを守れなかった自分を許せないと思った。

ガンズの手勢は思いのほか多かった。
戦闘単位が20ターンを過ぎても飛兵が援軍として現われた。
だが、ガンズと側近のバーサーカー以外はいくら現われても物の数ではなかった。

ガンズの予備兵力が枯渇し、打ち止めになったころ、私は仲間たちにガンズへの攻撃を許可した。

ガンズは馬鹿だった。
この阿呆は射程1の武器を装備して、しかもその場から一歩も動かない。

私は仲間に投射攻撃をもって当たらせた。
別に肉弾戦を仕掛けても構わなかったが、馬鹿に対するに、こちらも阿呆になってやる筋合いなんてない。

あとはアクアの歌で攻撃を仕掛けた仲間を退避させればこちば無傷でガンズを嬲(なぶ)ることができた。

ガンズ:
 近衛隊長ガンズの斧、
 その首で受け止めるがいい!!
 
そんなことを放言しているが、阿呆は反撃することすら出来ずに茫と突っ立っていた。

ガンズ:
 来たか、クライフ。
 この俺に首を取られるためにな!

クライフ:
 そうはさせない!
 お前に、僕は倒せない。
 お前の闘いには、信念がない。
 
 自分の欲望のためだけに振るう
 その斧では、
 僕を倒すことはできない!
 
 僕は…お前を倒す。
 今、ここで。
 
 この力で、この心で、
 最後まで闘い抜いてみせる!!
 
 ガンズ、覚悟――!!!!!
 
我ながら芝居地味た言葉だった。
ガンズには信念がない上に、知恵もなかった。
圧倒的におつむがたりなかった。
阿呆の斧は、我が軍に届くことなく虚しく空を切った。
いや、素振りしかさせてやらなかったという方が妥当かもしれない。
こうして、私の投げた小太刀によって、ガンズはいとも呆気なく崩れ落ちた。

ガンズ:
 ぐふっ…!
 馬鹿な、俺が…
 こんなところで…?
 嘘だ、嘘……だ……
 
隊長のガンズを討ったことでその場にいた暗夜兵たちは戦意を喪失した。

私を庇って倒れたリリスは重症を負っていた。
もはや治療も不可能なほど深刻な状態だった。

そして、リリスは人として暮らしていた頃の姿をひとときだけ取り戻した。

リリス:
 …ああ…、星竜モローの…
 情けかしら…
 最期に…
 この姿に…戻れるなんて……
 
 どうか…悲しまないで……
 私はとても…幸せでした……
 
 あなたが私を助けて…くれたこと
 お傍に置いてくださったこと…
 楽しかった日々の思い出は…
 ずっと…ずっと憶えています…
 
 泣かないでください…
 最期くらい、
 笑顔を見せて……
 
 あなたの胸の中で、
 こうして眠りにつけるなら…
 私はなんの悲しみもございません…
 
 …………
 
 …………

それだけ言ってリリスは静かに目を閉じた。
私を二度までも救ってくれたリリスは、私になんのお返しもさせてくれないまま、逝ってしまった。
悲嘆にくれて、泣き続ける私に、長兄のリョウマは言葉をかける。

リョウマ:
 涙を拭け。
  
 リリスが何のためにお前に尽くし、
 お前を庇って散ったのか。
 その意味を考えろ。
 そうやって泣いていても、
 リリスは喜ばんぞ。
 
 いいか?
 リリスがその命と
 引き換えてでもお前を守ったのは…
 お前が、幾多の悲しみや
 苦しみに耐えられる、
 強い心を持っているからだ。
 
 今のお前には残酷かもしれない。
 だが、リリスはその心を見抜き、
 お前を主として選んだ。
 ならばお前は、その期待に応えなくてはならない。
 
 お前はここで泣いていてはいけない!
 闘いを終わらせるんだ。
 闘うことで!!
 
 夜刀神に選ばれたお前になら、
 きっとできるはずだ。
 
やはり、長兄のリョウマは王の器を持っている聡明な男だった。
彼の言葉は打ちひしがれた私に鞭を打ち、そして鼓舞するものだった。
私は決意を新たにした。

リリスやフローラ、そして死んでいった者たちの為にも、この戦争を終らせる。

そう、心に誓った。

(つづく)


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浦上天主堂から四海楼へ【201508阿房列車】

<2015年8月6日・その三>

浦上天主堂は平和の像のある丘を下り、また少し坂を登ったところにある。

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現在も教会として使用されている施設なので、キリシタンじゃないと奥の方までは這入れない。
建設当初の建物は、原爆で破壊されてしまったので、今建っているのは1959年に再建された鉄筋コンクリート製の建物。
この日は実際に葬儀が執り行われるらしい。

時刻は午前十一時前だった。
近くに宝来軒別館という店があるので、早い昼食にちゃんぽんを食べようと思ったら、開店までにはまだ三十分以上あった。
ならばと思って、路面電車の大浦天主堂下電停近くにある四海楼に赴くことにした。
路面電車は普段乗り慣れないから楽しい。

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どこまで行っても百二十円という明朗な運賃設定だった。

四海楼は、ちゃんぽん発祥の店と言われているので、是非とも訪れたかった。

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四海楼の建物は想像していたよりも大きくて、正直なところびっくりした。
エレベーターで五階まで上がり、席についてメニュー眺める。
四海楼は中華料理屋らしい。
ちゃんぽん以外のメニューもあったような気がする。
注文したらすぐにメニューを引っ込められてしまったので、じっくりとそれを見ることは出来なかった。

注文はすでに決まっていた。

生ビールとちゃんぽん、以上でお願いします。

そう言って、料理が来るのを待った。
四海楼の窓からは長崎港が良く見えた。

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空は晴れ、海は青く、港には豪華客船が停泊していた。

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ちゃんぽんは、白濁したスープに太い麺が特徴だった。
スープの下には麺が沈み、スープの上には野菜や魚介がいて、その上にたっぷりの錦糸玉子がふわりといかにも居心地がよさそうに乗っていた。
スープはマイルドでクリーミーな味わいだった。
あまりにもクリーミーなので本当に牛乳を使っているんじゃないかと思う。
生ビールを二杯呑んで、スープも呑み乾したので満腹になった。

感動を覚えるほどではないせよ、結構な御点前でした。

(つづく)


thanks_dude at 07:00|Permalink 【201508阿房列車】 

2015/08/14

長崎、原爆の碑【201508阿房列車】

<2015年8月6日・その二>

今日は広島に原爆が投下された日だった。
 
神だか悪魔だか知らない(私にとっては二者に大きな違いなどなかった。)が、それは何者かの手により一般市民の暮らす街の上空から落とされ、炸裂し、閃光を放ち、一瞬で周囲を破壊し尽くし、辛うじて生き残った人々にさらなる苦しみをもたらした。
無神論者の私が言うのもおこがましいが、それを落とした人が信じる神は、彼らの行為を容認するのだろうか?
歴史を見れば分かるが、それは愚問である。
そんなものはその時代に力を持つ者によっていかようにも解釈出来てしまうのだ。
魔女狩りだって十字軍だって異端審問だって、その時代のある種の人びとにとっては正しかったのだ。

取り留めもなくそんなことを考えていたからというわけではないが、私は長崎駅の手前の浦上駅で降りるのが平和記念公園方面への近道であることを失念していた。
浦上駅に停車中の電車から大慌てで電車を飛び降り、私は改札をくぐった。
まずは原爆資料館へと向かう。
どちらに行けばいいのか分からないので、その辺に歩いている人に道を訊ねた。
浦上駅からは十分くらいだろうか。
程なくして長崎原爆資料館にはたどり着いた。

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広島の資料館よりは小規模な建物には、爆風によってひしゃげた柱時計や熱波で溶けてしまったガラス瓶、それから酷い火傷を負ってしまった患者や炭化した遺体の写真に加えて、被曝した人たちの声も映像として流されていた。

広島で時計は午前八時十五分を指したまま止まっていたように、長崎では午前十一時二分で刻は止まっていた。

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悪魔は人の顔をして暮らしている。
当たり前だ。
悪魔は人の似姿なのだから。
そして悪魔は本当に存在する。
戦争という極限の状況下では人は悪魔にもなる。
もちろん神や天使になる者さえ存在する。(これは皮肉ではない。)
それは、国籍や人種など関係ない。
人とはそういう存在なのだ。

そして、あの狂気の時代、もしもこの国があの悪魔の力を手に入れていたとしたら、この国の政治家や軍人たちは、(それが戦術的に可能であるのなら)彼らが鬼畜と呼んだ国々の 都市に対してその力を行使することを寸毫も躊躇わなかっただろう。そう、あの時代は世界中で何かが狂っていたのだ。

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アメリカは広島にウラン型の爆弾を投下し、長崎にプルトニウム型の爆弾を投下した。これは明らかに実験的な意味合いが強いと思う。科学者たちが無邪気に悪魔の兵器を創り上げていき、嬉々として実験的な実戦投入を上奏する姿を想像すると恐ろしくてたまらない。(アインシュタインをはじめ核分裂を利用したエネルギー研究を米国政府に奨励した科学者たちの多くは、それを後に酷く後悔し、兵器利用に反対をしたそうだが、頭のいい人たちなら、政府や軍人がそれをどのように使うかなんて最初から予測できない筈がない。アインシュタインに関しては、発達障害を抱えていたのではないだろうかという話もあるので、その限りではないのかもしれないが……。)

原爆資料館に訪れている人々の中には西洋人も多くいた。それら西洋人はアメリカ人というよりはヨーロッパ人のように思えた。あきらかにゲルマン民族らしい顔立ちの人も少なくはなかった。訪れている東洋人は、日本人と中国人が半々くらいだろうか。

被曝した五歳の子供の、

 もう一度むかしにかえして…
 ああ、お母さんがほしい 
 お父さんがほしい
 兄さんも、ほしい
 妹たちも、ほしい
 
という悲痛な言葉が胸に迫り、妻や子供の遺体を見つけて、自ら火葬することを和歌として書き残した人の言葉が胸を突いた。

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NHKの調査によると、日本人の七割以上が原爆の投下された日を答えられないという。
また原爆投下について四割以上の人があれは仕方がなかったと答えているという。
戦後七十年でこの国の人々は、被爆した人たちの苦しみを理解することすらやめようとしている。この国があの戦争で占領下に置いた隣国は、未だにこの国の糾弾をやめようとはしない。たしかにこの国は隣国にとって屈辱的な行為を犯した。被害者は加害者の事を忘れない。それは当然だろう。隣国の有り様とこの国の有り様のどちらが正しいのかは分からない。ただ昨今のこの国の政府のやり方や世論の推移を考えると何だか国家が嫌な方向に向かって行きそうで怖い。怖いが議会制民主主義という体制の下で、数の力で押し切られるのなら、それはそれで仕方のないことだし、個人がどのようにいちゃもんをつけても、それは絶対に変えられない。結局、選挙で与党を勝たせたのは国民なのだし、きっとまた選挙があっても、永遠に何も変わらないのだから。たまに何かが変わっても政権を担当した政党が無能集団だったりして、結局また元に戻ってしまうのが政治というものなのだ。
大丈夫何も変わらないさと大多数の人は無関心を決め込むが、何かが起こった時にはもう遅い。
その時、その人たちはどう思うのだろう?

とはいえ、隣にある超大国の政府はいつだって強気な姿勢だが、本気で戦争なんか望んでいない。不安な要素があるとすれば、彼らが末端の人たちを制御しきれていないケースが過去にあったことだろう。(今どういう状況なのかは余り報道されないから分からない。)

おそらく私の心配は杞憂に終わるだろう。
空は落ちてこないし、本格的な戦争にこの国が巻き込まれる可能性は極めて低いだろう。
だが、派兵されたどこかの国で人は死ぬかも知れない。その為のシミュレーションも政府は抜かりなく行っているらしい。そんな時代にこの国は突入しようとしているのだ。

またしても取り留めもなくを連鎖する思考は、しばし頭の中をめぐり、長崎の空の下で落着点もないままに霧散した。
結局のところ、頭の良くない私は、落ち着きのなさも兼ね備えているので、炎天下を全速力で歩いているうちに、結論もないまま次の思考へとうつろうた。

それから、私は公園の一画にある原爆落下中心地を訪れた。

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爆心地にはモニュメントが建ち、近くには原爆で破壊され片側の柱石のみ残った浦上天主堂のアーチが移設されていた。

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この一画は川沿いの平地にあり、川岸へ降りて行くと原爆のせいで磁器などが埋没してしまった地層を見ることができる。

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平和の像は原爆落下中心地から小高い丘を登ったところにあった。
三日後が長崎に原爆が投下されて七十年となるので、式典の為の準備が進められていた。
平和の像を見るのは修学旅行以来だが、この像はこんなに明るい色だったろうかと思う。
平和の像は興味深い造形でもないので、平和への祈りを願って、その場所を後にした。

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やはりあの戦争の痛みを体感できるような施設は、広島にしろ、知覧にしろ、沖縄にしろ、長崎にしろ、胸をうつものがある。
この時期に、長崎を訪れる事が出来たのはよかったと思う。

(つづく)


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オーバーチュア【201508阿房列車】

<2015年8月6日・その一>

午前五時前に目覚めた。
三時間くらいしか眠っていない。
今朝は始発で長崎まで行く。

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18きっぷの旅は、道中で電車が三十分くらい乗り換えでもなく通過電車待ちでもなく停車するので、博多から長崎までは四時間もかかる。

佐賀県下は薄曇りだった。
私は徐ろに携帯型音楽プレイヤーを取り出して、『ロマンシング サ・ガ2』オリジナルサウンドトラックから「オーバーチュア」を選択して聴いていた。佐賀はすっ飛ばして長崎に行くのだけれど、佐賀を経由して長崎に赴き、折り返して少しだけ佐賀にも滞在する私自身の極めて個人的なミニマムオペラの前奏曲(オーバーチュア)として、その曲はとても相応しかった。

道中の駅には鍋島という名前の駅があった。
佐賀藩は、鍋島直茂という戦国時代の九州でも屈指の名将を藩祖としているから、ここは鍋島氏と浅からぬ縁のある土地なのかもしれない。

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長崎のほど近くには現川(うつつがわ)なんて駅もあった。

午前九時過ぎに電車は浦上駅に到着した。
到着してから私は慌てて荷物を取りまとめて、電車を降りた。
原爆関連の資料館や、浦上天主堂に立ち寄るには、ここで降りるのがちょうどよかったのだ。

(つづく)


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博多ラーメンを食べよう【201508阿房列車】

<2015年8月5日・その五>

特に腹はへっていないが、晩飯を喰うことにした。

今日は朝昼とも家で握ってきたおむすびだけで事足りたので、今宵から旅先の食の愉しみが幕を開ける。
普段は修験者のように至って粗食なので、私は旅先で贅沢をする。
ただ、今日はもう遅いし、博多のラーメンが食べたかったので、旅先の晩餐としては比較的安くあがった。

博多ラーメンといえば一蘭とか一風堂を真っ先に連想する。
ラーメンがそれほど大好物というわけでもない私でさえその店の名は知っているし、どこにでも支店があるという印象だ。それらの本店に行ってみるのも良かったが、今回は宿と博多駅に近い一幸舎という店の支店に行くことにした。

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そういえば、外でラーメンを食べるのはいつ以来だろう?二年前の秋に青森でサクに教えてもらった店に行って以来だと思う。

一幸舎のラーメンは、博多ラーメンらしく豚骨醤油スープで麺は細麺。
焦がしにんにくの黒と、唐辛子の赤などのバリエーションあるらしい。
私は取り敢えず、ノーマルバージョンを注文した。
スープは豚骨の旨味や甘味が凝縮されてとろりとしていた。
細麺との相性もよいスープだった。


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一口めはとても美味しいと思った。
だんだん味に慣れてくると、やっぱりよくある旨いラーメン屋のラーメンだった。
要するに私の舌は馬鹿になっていて、微妙な味わいまでを感知する能力にかけていた。
味玉の旨さは格別で、それは私がたまご好きであるからに他ならなかった。

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ホテルにチェックインし、シャワーを浴びて、博多の街を徘徊した。
もうお腹いっぱいなので、屋台は眺めるだけにした。

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櫛田神社に立ち寄り、前回飲めなかった稲垣早希が「からいからい」と言っていた湧き水を味わってみようと思ったが、本殿のある櫛田神社の中心は閉まっていて入れなかった。

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宿に帰り、昨晩の出来事を記述し、それを終えてから眠りに就いた。
それは短いが深い眠りにだった。

(一日目・了)


thanks_dude at 00:00|Permalink 【201508阿房列車】 
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