http://www.unicef.or.jp/kodomo/osirase/2009/05_02.htm
http://www.unicef.or.jp/kodomo/osirase/2009/05_02.htm
フェスティバルの初日と二日目の写真が届きました。番組見てくださる方、ネパールからのお知り合い、大学でお世話になった方、後輩、同級生、親戚など大勢が駆けつけてくれました。ありがとうございました。
8/8(Sat)

8/9(Sun)
例年に比べて盛り上がり度がアップしたネパールフェス2009初日の模様はYoutubeでもご覧いただけます。

国際協力機構(JICA)のガバナンス支援で現在ネパールの法改正が進められている。ネパール政府の関係省庁の努力と国際支援もあって、100年以上も古いムルキアイン法典を近代化し、刑法、民法をそれぞれ分けて時代にあったネパールの司法制度改革を行われていて、最高裁判事や法務省事務次官など10名が来日され、法整備支援の専門家や大学教授らと連日議論し、国際的な比較をしながらネパールの法を作る仕事をした。
私はこのネパールの国づくりの基本ともなるプロジェクトに文化や言葉の違いがある場合にサポートする立場で全行程(10日間)講義に参加した。
日本の国際協力の支援の仕方はインフラ開発から行政の能力向上といったハードからソフト面まで幅が広い、しかも歴史的にレジームが変化したネパールのような新たな国づくりに向かう国のためには国家の制度や仕組みにかかわる支援も数多く行っているので、JICAが世界のために協力の手をさしのべていることは多くの日本人にも理解していただきたい。
こんなすばらしいプロジェクトの一員として仕事ができたことは誇りに思っている。
今年もやってまいります。ネパールが日比谷公園に・・・。
司会をする予定でーす。詳細はwww.nepalfestival.jp
記念式典の開会式は12:00から大使が開会し、私が司会を務めまる予定です。
東京MXテレビの人気番組ザ・ゴールデンアワーのまさにゴールデンタイムで27日も出演します。お楽しみにー。
基礎自治体である村の場合、地方選挙が行なわれていないので、村長は存在しない。村落開発委員会(9の地区からなり、各ワードに5人代表、必ず1名は女性)などと決められたのだが、5年任期満了してから選挙実施できないまま、事実上の地方自治体は郡開発委員会(DDC)から派遣される公務員一人のみが機能し、村落開発委員会やVC(村議会)は存在しない。
そんなことは住民は100も承知だが、今回の記事は唯一の書記が不在のままの村が多いという記事だ。中には同僚がいなく3つの村を担当させられ、村から村まで3日間かけて歩く書記もいるそうだ。
1999年の地方分権化の波が流れたが、草のレベルの村の現状はさらに悪化している。
ネパールからの報道によると国家公務員のダウンサイズ(人数を少なくする)マオイスト政府の方針に従い、早期退職したいと期日中に申し出た国家公務員は1400人を越えたそうだ。職歴20年、年齢50歳以上であれば、定年退職を待たずに早期退職する人に向こう7年間の退職金をまとめて退職時に払うというスキームが仕事をやめたい人には大変人気のようだ。
当時の政府は述べ5000人の公務員を減らしたいとしていたが、期日日を越えても退職したいという申請は述べ4000通届いているという。ネパールの公務員制度は大変複雑で、新総務大臣は公務員制度について真剣に考えて取り組むようにお願いしたい。
実はこの新総務大臣はもともとマオイストの中央委員、制憲議会選挙を前に、マオイストと決別し、UMLに移籍。ネパール首相に気に入られ、来日時にも同行させた。そのため昨年の9月には彼も来日した。駒ヶ根市訪問時の社内で僕が考えるネパールの分権化と公務員制度について語ったが、そのときは賛同してくれたようだった。
そんな中ネパール有力紙カンティプールに気になる記事がある。総務省というよりか、地方開発省(MLD)との関係する記事だが、ネパールの新憲法を制定するための小委員会の中の一つ国の自治体のあり方を検討する委員会では議員同士が話し合い、既存のJILLA(郡)は必要ないと話し合ったそうだ。中央政府、州政府と村(基礎自治体)にする気のようだが心配だ。専門家の話を聞く耳を持ってもらいたい。
同じカンティプール紙の別面にJILLA(郡)の役割が大きいという記事が出ている。市町村と中央政府の間の橋渡しとしてのネパールの75の郡は数多くの国々にとっても見本になると研究にこられたことがあるとの記事が載っていた。見本はともかく、権限と財源の移譲を地方自治体におとし、国の重要なことを草の根レベルの意見を吸い上げて国家の政策に反映させるための地方分権を進めることは急務であると考えています。
(総務大臣は手前右側の方、ジャイカ本部にて)写真提供:Kantipur紙

先週の不動滝の写真

今日も歩いて帰りました。写真を目当てに比較的早く帰る(サボっているわけではないが)。歌歌ってもとめる人なんかいません。植物や鳥の泣き声を楽しみながら帰ると鈍い感性の私でも感受性が高くなる気がする。←気のせい? 今日も次はアルプス、アルプスと言わんばかりにすぐそこにきれいな中央アルプスが見えていた。その手前に車用のミラーがあって、私がアルプスを写そうとしたが、自分も写っていました。探すのが大変ですが、青ジャンです。(興味ないっか!)
近所の畑では菜の花が咲いていた。初夏の青空の下で咲き誇る春のシンボル。もう少しいてくれるそうです。
私が現在暮らしているのは駒ヶ根市の中心地区である。自宅から職場までは送迎車があるため、行きも帰りも歩く必要はない。街の中心部に住んでいるとスーパー、マック、ミスタードーナツ、しまむら(服)、牛丼、100円、コンビニ(最近見つけた裏道にある)、AOKI(紳士服)、カメラのキタムラなどいずれも徒歩10分園内にある。それだけにいかに歩く機会ないか想像できるだろう。 そこで考えたのは徒歩通勤作戦。行きはのみ車で、帰りは歩いて帰ることにした。自宅までちょうど5KM.しかし車道を使用せず農道を歩くと少し遠回りのため5.5キローぐらい毎晩歩いている。歩くときによく山が見えている。ネパールと一緒だ。駒ヶ根市はネパールの山岳都市ポカラと姉妹都市関係。
私たちが結婚して既に三年が経った。離れたのは毎年一度の海外出張の1週間ぐらいだったので、今回の単身赴任はお互いつらいものだ。AUの家族割りのおかげで毎日電話してお互いの一日の出来事を話すのが日課であり、楽しみでもある。家族と離れて海外に来ているもの同士がであって、家族になったが、しばらくの離れ離れでもやっぱりつらいのだ。この間お互いの良さを改めて再確認する機会でもあり、勉強や自然の中の発見を見つけてあったときの喜びを分かち合うための材料にしたいと日々の生活の中で考えるようになった。そんなことを想うことがもしかしたら離れた中の収穫かもしれない。今度あったとき駒ヶ根のこれを紹介したいというものがたくさんある。 そんなことを考えていると寂しく思うが、日がすっかりアルプスの向こうに沈んで巣に戻る鳥たちも恐らく身を暖かくしている頃私は一人で職場から帰宅した。研修センターでは新人なのでなれないことが多く、人一倍時間がかかるのだ。そうこう考えながら歩いているうちに、ふと空を見上げてみた。そこには三日月がきれいな形をして、涼しく微笑んでくれていた。横浜でエスが見上げて見た月も、親族や友達がネパールや他の世界の国々から見た月も、同じだと思うと、繋がっていることを思いほっとする。私たちが見ている月は???(同じ)
1998年(18才)に初めて行った海外はインドでした。主な目的はインドに住んでいる親族の結婚式に出席するためでした。日本語の恩師と従兄三人で行きました。このとき驚いたことがたくさんあるが、一番にはやはりインドの都市部のインフラはネパール国内しか見たことない自分にとっては大変刺激になり、またうらやましくも思った。それまで政治的にインドはネパールをいじめているなどとネパールに流れる勝手なうわさを信じて、やや見下すようになっていたのだろうと思うが、インドはすごい国だった。であった人々も皆親切だったし、私はヒンディー語も普通に話せるので、問題なかった。
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ネパールでは1990年の民主化運動のあと立憲君主にかわり、絶対君主からしてみれば大きな変化があった。当時はカトマンズと大都市だけの抗議運動が伝えられ、今に比べれば地方での反感など取り上げるメディアも無かったことも原因としてあげられる。カスト(身分制度)の廃止で平等を訴えることが当時のアジェンダーだった。
残念ながらこの平等は実現できることなく、次から次と政党は失敗を繰り返した。足の引っ張り合い、政党間の分裂と政治とカネの問題で、底辺の職員も腐敗まみれになったという事実がある。
国民が考える平等は単にカストや政治的枠組みではなく、多くの場合都市と地方の差、政治家へのアクセスの差、情報の差、機会への不均等さなど極めて社会的な問題と、その不平等から生まれる経済格差を埋めたいという要望だったように私自身想像します。
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ネパールの伝統的な家造りは都市部を中心にほとんど見られない。自分は小学生のとき(20年前)は近所だけでなく、人口2000人当時の村のどこかで家を建てることは全員が周知のことになっていた。特別な技術が必要な仕事は大工さんがやっても、家が完成するまで何度か近所の協力が必要な節目があった。
両家に国際電話をかけて無事生活を営んでいる報告し、その後私は高速バスに乗って再び信州へ戻った。エスもしばらくは仕事、次回会うのは金曜日(ゴールデンウィーク)。私が駒ヶ根でお世話になった方々にも会わせたいし、案内した場所を今から探しておこうっと。(写真ネパール大使館のパーティー後大使館前にて)


