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裸の王様は、デンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンによって1837年発表された作品である。その後世界中に翻訳され、現実を見ない人には例えとしてよく使われるようになった。ネパールでも小学校のときに勉強することになっている。

当然ギャネンドラ氏もこれを勉強したはずだ。しかし王室の中にいる王様(当時)には国民は馬鹿に見えたのだろう。治安維持をすることを理由に全閣僚を解任し、自ら委員長となる国家の指揮を執るのだと政治介入をしたのだった。当時ギャネンドラ氏は自分だけの独断でそうしたのか?答えはノーである。ギャネンドラ氏にはブレーンもいたがそのほとんどが王様の洋服がすばらしいと褒めるものばかりだった。旧制パンチャヤット時代(1960年から1990年まで)故マヘンドラ国王と故ビレンドラ国王の時代に任命制で閣僚になった王制親政の人々を集めてギャネンドラ氏がネパールの政治を強権的に治めようとしたのは、時代遅れという以外に他ならない。

1996年から衛星放送のスタートしたネパールではそれと同時にマオイスト活動が開始していた。王制廃止が叫ばれているさなかにも200万人のネパール人は在外に暮らしていた。総人口の1割ぐらいが異国での生活を余儀なくされているのは、ネパールの経済が安定していないから出稼ぎに行っているに違いない。多少勉強や他の理由があるだろうが、それでも安定して国に帰れるものなら大半はかえるはずだ。ギャネンドラ氏が独裁的な第一歩として電話とインターネットを遮断した。非常事態宣言をし、基本的人権を剥奪、憲法で保障されたものも停止するというのだった。海外に住んでいるものとしてはいたたまれない状況だった。家族と連絡取れないのは目先のことで、そのうち取れるが、もっとネパールの将来は心配になっていた。いても立ってもいられない状況だった。

2006年8月に事態が動いた。各政党が力を合わせて抗議行動を始めた。19日間に死者も出てすべての交通やマーケットが麻痺した。ギャネンドラ氏が民主の力は強権的王様より強いことをはじめって認識し、権限を議会に返上した。それまできっと周りの軍やケライには『大丈夫です。なんとかなります』といわれたのでしょう。それを信じた王様がやはり裸だった。

ネパールの王制は240年の歴史の幕を引いた。過去にもさまざまな事件はあったが、開放的な国王と知られた故ビレンドラ氏は日本や欧米でも留学経験があり、近代的な国づくりの一方で農業政策を真剣に考えていたようだった。国民からの強い支持と尊敬の念を背景に南アジアの中では格別のリーダーと言われていた。地理的状況と政治家の汚職が原因で国自体が貧困から抜け出せなかったが、1990年以降の立憲君主の状況では彼は王様という儀式的な役割はしっかり担っていたから、2001年の暗殺事件に自分の親が死んだかのように国民が悲しんだ。

その事件の真相を求める声が再び浮上し始めている。ギャネンドラ氏の行いとその次に王様になるであろう(過去形)皇太子も悪い奴で、一家の行いが伝統あるアジアの山国の王制そのものを廃止することとなった。王室からの退去命令に対して、内務大臣と昨日会談した国王が、息子が泊まっている家には戻れず、年寄りもいるので、当面の間どこか泊まる場所を斡旋してほしいと頼んだそうだ。留学生の部屋探しのように保証人を探しまわる破目になった。

今日ネパール連邦共和国の閣議決定で、ナガルジュン『カトマンズ北部にある』元国王の別荘だったところで、既に国有化したところをしばらくの間貸すことが決まった。制憲議会選挙の民意に従うと今回王宮から引越しを決めた元国王は今はちゃんと服を着ているように感じた。

昨日のThe Daily Yomiuriという日本の英字新聞ではマオイストの党首のインタービューで元国王が一般市民になって政治活動をしても良いと書いてあった。国王が経営しているスリヤタバコという企業が早くも共和国万歳と新聞に大々的に広告を出している。ギャネンドラ氏は将来政治に出るために土台を作るためにイメチェンしているのかもしれない。

連立組めずにごたごたする政党とは違って、民意を尊重する国王のほうが同情を買う。政治家が今しっかり国民のことを考えずに、政党の利権で争いをしたら、伝家の宝刀と再び勘違いして復活を心みたらどうするの?

『写真:王様だったころ、靴の紐もADCに結んでもらていたギャネ氏』