東北巨木調査研究会 掲示板

東北巨木調査研究会の掲示板です 当会のホームページはこちら→  東北巨木調査研究会

6月24日(土)に十和田市一本木沢のコナラの森で行われた植物救出作戦の模様が24日、20:50~青森放送のニュース番組で放映されました。



6月26日の東奥日報の朝刊です。
 
6月24日(土)に行われた十和田市一本木沢のコナラの森の山野草救出作戦が記事になりました。

イメージ 1

      下は私のフエースブックです!



久々の投稿です!

長文です!6月15日、2月10日の十和田市緑化審議会でこのようなコナラの巨木は何処にでもある等、不適切と思われる発言をして一本木沢スズラン山のコナラ巨木群を市の保護樹指定を受けられなくし太陽光発電に向かわせた審議委員の一人である市議会議員にスズラン山の巨木群を超える物を見せて欲しいと案内して頂いた。
私たち東北巨木調査研究会は審議会終了と同時に市の担当課に何故これだけ素晴しい県内最大級のコナラ巨木群15本が指定を受けられなかったのか議事録開示を請求し指定を受けられなかった理由を知った。
朝9時に市役所職員2名と某議員が市役所の車に乗り、私の車には小沢理事と下山理事が乗り3名で案内して頂き旧四和地区等を巡り道路沿いにある4~5本のコナラを見せて頂いたが幹周り3メートルを超える巨木は1本も無かった。
私は一本木沢には400本以上のコナラがあり、この程度のコナラは沢山あり15本の巨木以外は全て伐られることを告げた。
審議会で家の山に立派なものがあると言ったそれに案内して頂きたいと話したが、あれはコナラだと思っていたがミズナラだったと間違いを認めた。私たちは樹種の間違いは誰にでもある、その間違ったミズナラに案内して欲しいと話したが鍵をもってくるのを忘れたから今日は行けないと言われ今日のこの結果を申請者である土地所有者と全国にいる私たちの会員に報告させていただきますと言って終了した。
土地所有者からは3月23日に郵便物等配達証明書付きで当日の指定に反対した審議委員を務めていた市議会議員に要請書が送付されている。
.
(1)貴方は平成28年度十和田市緑化審議会において、保存樹木につき審議の席上「なに、このコナラというものはこういう風体な事になっているけれども、家の山にもあるよ、こういうコナラは。貴方方は知らないでしょうけど,ありますよ立派なコナラが。」と発言しております。
①そこで貴方の発言が本当ならば、次回の審議会までに場所を明示の上、その樹木の現状を写真、あるいは録画などで発表して下さい。私所有の樹木(15本)と同等、もしくはそれ以上ならば私所有の樹木を指定して頂かなくて結構です。
②万一貴方が明示できない場合は、無責任な資質に欠ける不法な審議委員として、しかるべき処置がなされるべき事案と思います。
③是非立派な樹木をご披露下さい。
(2)100億と保存樹木について
何が言いたいのか明言して下さい。いかにもいわくつきの土地だから、何かの利権あさりでもするかのごとき言動を、審議会でかつ公開の場で、発言することは許されることではありません。
(3)私の名誉とプライドを傷つける言動は、決して許されることではありません。
(4)重ねて要請します
私所有の15本の樹木以上のコナラを明示ください。
市議会で100億円の話をしたとされる市議もスポーツ施設の話をしただけなのにと怒っている。
当会としても議員の、このコナラというものはこういう風体な事になっているけれども、家の山にもあるよ、こういうコナラは。あなた方は知らないでしょうけど、ありますよ立派なコナラが。何で私はこういう風体になって出てきているのかなと不信感を持っているんですよ。の発言には素晴らしい巨木群発見とマスコミに発表し土地所有者に保存をお願いし所有者に代わって保存樹木申請の手続きをしてきたことから看過できない問題である。
この件で進展があり次第随時報告する。
下記は立ち入り禁止の看板。
車やバイクの乗り入れ・植物の採取・BBQなどによる山火事の心配等から立入り禁止にして約50年間にわたり草を刈るなど原生林を保護してきた。
この保護があったから今は希少種と言われる自生のニホンスズランが咲き誇り地元の人々からスズラン山と呼ばれてきた。

イメージ 1


      最後までご覧いただき感謝です!


     私のフエースブックです!

東北巨木調査研究会の会報でもあります「しるばにあっぷる」Vol,97に掲載されたものを紹介します。

いきいき人生 地域で活躍する人々を紹介                   十和田湖の禊ぎの里 高渕英夫さん 十和田市

奥入瀬川「禊ぎの里」淵沢集落 奥入瀬川「禊ぎの里」淵沢集落
熊野神社 熊野神社
「禊(みそぎ)の里」と呼ばれている法量の淵沢は、青森県の南東部を流れる奥入瀬川の上流にある地域である。江戸時代から明治時代にかけては法量村となり、明治中期に近隣の村と合併して「法奥沢村」、「十和田湖町」を経て現在は十和田市と合併している。
 十和田湖は、いまから千年ほど前に、南祖坊たちが十和田湖を聖地として開山している。淵沢は十和田湖に入山する修験者たちがここで身を清めてから分け入った場所と云われている。
熊野神社で、右から東北巨木調査研究会の高渕英夫さん、畠山桂子さん、佐京三義さん佐京和子さん。 熊野神社で、右から東北巨木調査研究会の高渕英夫さん、畠山桂子さん、佐京三義さん佐京和子さん。
 また平安時代、この場所に善正寺という古刹が建立された際に植えられたと伝えられている国指定天然記念物の「法量のイチョウ」は、南祖坊お手植えの銀杏と云われる。そして神の使いと云われる白蛇が棲むという伝説がある。太い幹から垂れるいくつもの気根が乳房に似ていることから、かつては母乳の出ない母親が「乳もらいの木」とか「子安めのイチョウ」と呼んでお参りをしたと云う。
 現在この「法量のイチョウ」の入口にある、「レストパーク淵沢」にある、大町桂月の歌碑には「渕沢をすぐれば人の里ならず蔦をわたりて神園に入る」という短歌がある。今は「禊ぎの里」を知る人は少ない。今回この淵沢の地に住む、東北巨木調査研究会の高渕英夫会長から案内をしてもらった。

法量のイチョウ 法量のイチョウ
法量のイチョウの入口にある、大町桂月の歌碑 法量のイチョウの入口にある、大町桂月の歌碑
山岳信仰

 「法量のイチョウ」の側に「山の神」と「白蛇大明神」の社がある。また、奥入瀬川で一番深いとされる渕や滝があることから淵沢には「高渕」の姓が多いのだろうか。そして小高い巨石群の上に「熊野神社」がある。
 この神社は、有史以前からの自然信仰の聖地であった熊野(紀伊国牟婁郡)に成立した。熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての中世熊野詣における皇族・貴族の参詣によって、信仰と制度の上での確立をみた神社である。
 「十和田記」(十和田山縁起・文政十二年書写)には、南祖坊が廻国修行をしたり、加持祈祷を行ったり、熊野権現へ三十三度の参詣をしたなどの話があり、その全てに修験の特徴が色濃くあらわれている。
法量のイチョウの前の、畠山桂子さん。 法量のイチョウの前の、畠山桂子さん。
奥入瀬川で一番深いという淵 奥入瀬川で一番深いという淵
雪降りの太陽 雪降りの太陽
十和田湖参詣の目的

 十和田信仰の特徴は、自然そのものが神域・神体という原始信仰の名残を色濃く残している。大権現社から右手の山を越えた所が占い場の入口で、そこの断崖を下りたところが占い場(オサゴ場)、深淵と岩場に杉の巨木がそびえる場所で、最も深く澄んだ水域で「神門」と呼ばれる場所があるように、南祖坊(青龍大権現)が住む場所とされている。ここから占い場の正面に見える御倉半島の赤い断崖「色ある山」は神秘の霊域、その左り窟「御室」は十和田山の「奥の院」とされ信仰の中心であった。
笠石家住宅と東北巨木調査研究会 畠山桂子会員 笠石家住宅と東北巨木調査研究会 畠山桂子会員
栃久保の石合せ砥神社入り口の鳥居 栃久保の石合せ砥神社入り口の鳥居
十和田参詣とは、占い場に下り、おひねり(おより)を占い場に落として占う。そして、中湖と御倉半島の御室(奥の院)を拝してはじめて参詣を果たしたといえるものであった。現在は十和田神社から占い場に降りる鉄のハシゴは腐食し行くことができない。占い場は南祖坊が八の太郎と戦うため、九つの頭を持つ龍となり入水した神聖な場所。また、奥の院である御室のある場所は、国立公園の中でも「特区」といわれる場所で現在は入ることが許されていない。
熊野神社 熊野神社
奥入瀬渓流 奥入瀬渓流
禊ぎの里をテーマパークに
 
 高渕さんはこの淵沢の地を、聖地・十和田湖の入口として皆に知っていただき、聖地十和田湖を参詣した意味を考えてもらいたいという。現在の十和田湖はかつての「信仰の湖」の歴史は忘れ去られ、地元の方でさえ聖地であったことすら知らないのが現実。
 しかも、十和田湖観光は明らかにかげりが見えてきている。十和田湖の原点を知り、この地を何故南祖坊一派が聖地として開山したのか、この地が何故人々を魅了してきたのかを改めて考えてみる事が必要であると語る。
笠石家住宅 笠石家住宅

このページのトップヘ