19591月、キューバのフィデル・カストロは親米軍事独裁政権を打倒して首相の座に就きました。キューバ革命です。

キューバ


革命政権樹立の後、カストロ首相は革命政府がキューバの正式な代表であることを世界に認めてもらおうと必死に行動します(現在のアフガニスタンにおけるタリバンのような立ち位置ですね)。まずは隣国であり、外交上の最重要国として位置づけていた米国、アイゼンハワー大統領と会談すべく訪米しました。しかし、農業の制度改革について難癖をつけられ、公式会談をドタキャンされてしまいます。ゲバラ・カストロ結局、カストロ首相は副大統領と会談し「これまで同様、親米の姿勢を維持する」と約束させられたのですが、キューバ本国では農業改革を断行。農地を次々と接収していきました(この時点で、社会主義国家を目指していたのではないようです)。 

当時、キューバにおける農地の70%はユナイテッド・フルーツ社(1899年創業・現チキータ・ブランド/米国の企業。20世紀初めから半ばにかけて中央アメリカ・コロンビア・エクアドル・西インド諸島などを支配した)という米国企業のプランテーションだったわけで、突然接収という憂き目にあった同社は、米国の上院・下院問わず必死のロビー活動を展開して、「カストロはけしからん!」、「キューバは共産主義国家を目指している」という世論を形成していったのです。それでも、国際社会において正式な政府として認めてもらう必要のあったカストロ首相は、革命を共に戦ってきた盟友チェ・ゲバラを世界各国に派遣しました。この時、ゲバラは日本にも来ています。モーターサイクル

ちなみにゲバラが革命に身を投じるきっかけになったのが、アルゼンチンの医学生だった当時、友人とバイク二人乗りで南米大陸縦断の旅をしたとき目の当たりにした、ユナイテッド・フルーツ社のプランテーションで奴隷のように働かされる現地人の姿でした。そのゲバラの旅は「モーターサイクル・ダイアリーズ」として出版され、今でも世界中で愛されています。

そしてさらにカストロは、後に後継の首相となる弟のラウル・カストロをソヴィエトに派遣。その時点から、ソヴィエトとキューバが急接近するわけです。ケネディ

東西冷戦下にあった米国はその情報に焦り、CIAを巻き込んで米国に亡命したキューバ人を組織して軍隊を編成し革命政権の転覆を画策。しかし、革命政府軍に簡単に撃退されてしまいました。

 そのような混沌とした国際情勢の中、アイゼンハワー大統領の任期満了に伴う選挙でジョン・F・ケネディが当選したのが1961年。丸山運送創業の1年前のことでした。