2010年に放送され、最高視聴率25.7%を記録した大河ドラマ「龍馬伝」龍馬伝-1
には、脇役ではありましたが三菱の創始者である岩崎弥太郎が登場してまいります。そのドラマの中で描かれた岩崎弥太郎は、ずいぶん史実と異なるような気がします。恐らく、あのドラマをご覧になっていた三菱関係者の中には、「あれ、何これ?」と感じたり、「失礼な!」と憤ったりした方も多いのではないかと思います。もちろん主役の坂本龍馬もしかり。謎に包まれた人物の原型は、もちろん実在したわけですが多くは司馬遼太郎の創作によって生み出されたものですから…。

弥太郎が登場してくる文章には必ずと言ってよいほど「土佐の地毛浪人」という修飾語が付され、その身分の低さが強調されています。その「地毛浪人」とはどれだけ身分が低かったのでしょうか。

土佐藩の武士身分は上士(上級武士)と下士(下級武士)に分かれており、上士は関ヶ原の合戦のあと山内一豊に付き従って土佐に入った家臣等の子孫であり、下士は長宗我部氏の旧家臣や土着の豪族層等の子孫が主な者でした。上士と下士も細かく身分が別れており、下士の身分としては、郷士、用人、徒士、足軽、組外、庄屋等がありました。

土佐藩-1

岩崎家はもともと郷士の身分でしたが、生活のために仕方なく弥太郎の曾祖父が郷士株を売却して、下士よりも身分の低い地下浪人となったのです。郷士は、無禄無役ではありましたが、士分の格式を維持しており苗字帯刀は許されていたそうです。生計手段としては、田畑を持っている場合は半農半士となり、町人として生計を立てた者もいたようです。岩崎家は農業を営んでいたようで、武士でもなく農民でもない、中途半端な存在ではなかったかと思います。

この時代の土佐の農民は非常に貧しい暮らしをしていたようです。その苦しい生活の中にあって、母の美和は、かなり強烈な教育ママであり凛とした存在の人格者でした。そして、お家の再興を強く願った美和は弥太郎に学問を強要しました。そのようなわけで、1213歳の頃から弥太郎の塾通いがスタートしたのです。

 

話しは飛んでしまいますが、三菱のマークは山内家の家紋がモチーフになっていたのですね。

つづく