2021年01月16日
逝く人、来る人
PATTIさんが逝った。
竹薮より若い人が先に行くのはなんとも。
PATTIさんはシンガーで、いかにもシンガーで
かっこいい人だった。
何がきっかけだったか、昭和歌謡の話になって
その流れで竹薮のハードディスクの中にはPATTIさんからもらった音声ファイルがいくつもある。
2006年は今みたいに通信事情がよくなかった。スマホもなかったし。分割して圧縮して解凍して、どのソフトを使ってとか、試行錯誤して送受信したものだ。
上京の際、一度お会いしたことがある。
深くて湿り気のあるいい声で、うらやましかった。
このブログにはPATTIさんのカテゴリもあって、記事が三つアップされている。
一番上の記事の書き出しはこうだ。
「蟻の兵隊を観る会@札幌ひとり支部のPATTIです。」
札幌の街角にふわりと立つPATTIさんの姿が浮かぶ。
札幌ひとり支部のPATTI。。。かっこいい。
上映運動などというものは動員してナンボのもので、竹薮のようなその手の活動に馴れたものは、ついつい人を集めよう集めようとしてしまう。でも理想は、ひとり支部がたくさんあるってことだろう。
人間みな生きている場所が、それぞれ<ひとり支部>というわけだ。
PATTIさんと一度飲みたかった。
飲んで酔っ払って一緒に歌いたかった。
そうだ、PATTIさん
PATTIさんといれ違いにやってきた人間もいるよ。
あの頃20代だった女性が40代になって女の子を産んだの。
↑ の文章の最後の方にこうある。
「この映画に出会えたことが、誰かが誰かへと伝えていったことの成果ならば、
そこに感謝の意を込めてここに意思表示する。」
PATTIさん、ありがとう。
観る会メンバーはみんな、これからも<ひとり支部>をやっていきます。
また、会おうね。
そっちで奥村さんが飲みすぎないように、ちゃんとご飯食べるように監督してください。
合掌。
2021年01月03日
2019年02月15日
13年経った蟻を見る

高円寺の座・高円寺という施設で
ドキュメンタリフェスティバルがあり、
そこで九日「蟻の兵隊」が上映された。
2006年の春に「蟻の兵隊を観る会」が作られた。
それから13年だ。
暦を一回り以上したわけだ。
今回もたまたま会いたいと声をかけられた若い人たちに
だったらこういうのはどう?と提案したら
付き合ってくれた。
高円寺という街も懐かしい。
しばらく住んでいたのだ。
40年も前に
当時の男友達が歌を作った
「恋を一つ見つけたのは、🎶n高円寺
夢を一つなくしたのも、🎶n高円寺
東京生まれの人にはただの街でも
初めて暮らした僕にはいつまでも
駅前の噴水、思い出の高円寺」
歌詞だけ書くと全く無意味なんだけど、
生ギター一本でボサノバのリズムでコーラスが入るとなかなかなんだ。
今は、その噴水はない。
でも、高円寺は他の街に比べると変わらない方だと思う。
待ち合わせは南口のトリアノン。
ここの「ドボス」というケーキが大好きなのだ。
残念ながら上映日にはなかった。
昔風のケーキショップでいわゆる喫茶店の佇まい。
そこで二時間お喋りをした。
高円寺のこと、蟻の兵隊のこと、
宮崎参謀のこと
若い人の一人は前期の授業で尊厳死について学んだそうだ。
竹薮が死の自己決定を疑っているというと
どう答えていいかわからないという表情だった。
外は雪で空が白くて、雨の時は黒いのに雪だとなぜ白いんだろう。
もう一人が空を見ながらポツンと言った。
なぜだろう。。
この二人は竹薮に対していわゆる敬語を使わない。
タメ口というのも違う。
自然に人格が対等なのだ。
生徒だった頃から、先生と生徒ではない関係だった。
最後のコマの授業だったから、終わると帰るのだが、
竹薮が事務を終わらせるのをエレベーターホールで待っていて
あらどうしたの?
え?一緒に帰ろうよ。
そんな間柄だったなと思い返す。
なんでこんな話をしているかというと
蟻の兵隊は人をつなぐ映画だからだ。
LEIKO隊長はあったこともない竹薮を一本釣りした。
それを筆頭にあれやこれや、蟻の兵隊に関わった者たちは
蟻の兵隊を共有することによって人間関係を豊かにした。
この映画はそういう映画なのだ。
泉津もたくちゃんも観る会に参加してくれた。
多くの元生徒たちがチケットを買ってくれたし
アースデイの池谷作品上映会で同窓会をしたこともあったなあ。
雪の空の方が「何回目ですか?」と聞く。
何回目だか、20回は見てると思うよ。
どこから見ようが隅から隅まで見てるんだから。
でも、ここ何回かは大学の視聴覚室だったから、
久々にちゃんとしたスクリーンできれいな映像をみたと思う。
そのせいかしみじみともう一度奥村さんを見た。
大状況のなかに巻き込まれる個人
なぜそうなったのか、そのことを小状況を生きながら
見極めていく。
夫婦で故郷の味を楽しむ日常と
中国で自分が人を殺した場所に立つ非日常
その振れ幅が奥村和一という人物の横顔に見え隠れする。
その人格の力が人間関係をつなぐのだろう。
上の写真は今回買ったパンフレットの裏表紙
公開当時、パンフレットは買ったのだけど
一回もサインなんかもらったことがない。
監督の本も奥村さんの本もただ書店で買い求めただけだ。
今回、初めてサインをもらった。
日付は2006.8.15と入れてもらった。
平成の渋谷、8月15日に奥村さんをステージに立たせるというのが
当時の私たちの目標だったから。
通常、7月に上映を開始したら、2週間がせいぜいで8月になど上映はあり得ない。
だからできることは全部やった。人が来てくれるようにチケットを売った。
買ってくてるだけじゃなくて、来てくれる人に。
このブログを読み返すと、本当にいろんな人が感想を寄せてくれている。
みんな自分の経験の中の戦争を思い返している。
戦争体験のない人も、例えば、えっちゃんは(mixiの知り合いだった)子どもたちにパソコンを教えた時のなんとも言えない感じを書いている。ここです。それはえっちゃんの大状況と小状況だ。
その後、えっちゃんとは水族館劇場や渋さ知らズでつながっている。
そういうつながりを作る作品なんだ。蟻の兵隊は。
あと何回、蟻を見るのだろう。
一生なんども見続ける映画があるというのも贅沢じゃないか。
どうか、あなたもまた蟻の兵隊をみてください。
まず映画館にきてください。
6月に東中野のポレポレで池谷作品の特集があります。
6/1から2週間。
映画4作品とNスペ作品4本が1日2本ずつ日替わりで上映される予定です。
お友達とご一緒にいらしてください。
もっともっと多くの方に観て頂きたいのです。
『蟻の兵隊の進軍は続きます』/奥村和一
2011年05月31日
ポレポレ坐のスクリーンで奥村さんに会えます。
池谷監督が、お別れの会をつくってくださいました。
生前の奥村さんを直接ご存じない方も、
どうぞいらしてください。
そしたらきっと、奥村さん、とても喜びます。
以下、池谷監督から、お別れの会のお知らせです。
引用、転載、転送、どうとでも! 歓迎、大歓迎です!
「奥村和一さん お別れの会」のお知らせ
奥村さんの葬儀には雨の中、大勢の方が駆けつけてくれました。
長男の一朗さんの「父は、闘い続けた真のファイターでした」という挨拶、立派でした。胸に響きました。
息子にそう言ってもらえる奥村さんは幸せだと思います。
生涯を山西残留問題の真相究明にささげた奥村さん。
その人柄を振り返り、思いを受け継ぐ「お別れの会」を下記の通り行います。
奥村さんが一番喜ぶことは何かと考え、「蟻の兵隊」の上映を中心にした会にさせていただきました。
他にも写真家・岡本央さんが撮影した奥村さんのスチール写真や
奥村さんが執念を燃やして収集した資料の一部も展示する予定です。
酒をこよなく愛した奥村さんとともに、大いに飲み、語り合いましょう。
記
奥村和一さん お別れの会
日時:2011年6月19日(日) 午後1時から
会場:Space&Cafe ポレポレ坐(東京都中野区東中野4-4-1)
※シアター「ポレポレ東中野」と同じビルの1階です
アクセス:http://za.polepoletimes.jp/map/
会費:2千円(飲み物と軽食をご用意させていただきます)
※参加ご希望の方は6/12までにお知らせください。
問い合わせ先:池谷(090−4096−3974)
スケジュール
第1部(ポレポレ坐)
午後1時 オープニング
午後1時30分〜 「蟻の兵隊」プロジェクター上映
午後3時10分〜 追悼トーク及び歓談
午後5時 終了
第2部(シアター・ポレポレ東中野)
午後6時40分〜 「蟻の兵隊」35ミリ追悼上映
以上、皆さまのご参加をお待ちしています。
奥村さんに会いに来てください!
「蟻の兵隊」監督 池谷 薫(いけや・かおる)
生前の奥村さんを直接ご存じない方も、
どうぞいらしてください。
そしたらきっと、奥村さん、とても喜びます。
以下、池谷監督から、お別れの会のお知らせです。
引用、転載、転送、どうとでも! 歓迎、大歓迎です!
「奥村和一さん お別れの会」のお知らせ
奥村さんの葬儀には雨の中、大勢の方が駆けつけてくれました。
長男の一朗さんの「父は、闘い続けた真のファイターでした」という挨拶、立派でした。胸に響きました。
息子にそう言ってもらえる奥村さんは幸せだと思います。
生涯を山西残留問題の真相究明にささげた奥村さん。
その人柄を振り返り、思いを受け継ぐ「お別れの会」を下記の通り行います。
奥村さんが一番喜ぶことは何かと考え、「蟻の兵隊」の上映を中心にした会にさせていただきました。
他にも写真家・岡本央さんが撮影した奥村さんのスチール写真や
奥村さんが執念を燃やして収集した資料の一部も展示する予定です。
酒をこよなく愛した奥村さんとともに、大いに飲み、語り合いましょう。
記
奥村和一さん お別れの会
日時:2011年6月19日(日) 午後1時から
会場:Space&Cafe ポレポレ坐(東京都中野区東中野4-4-1)
※シアター「ポレポレ東中野」と同じビルの1階です
アクセス:http://za.polepoletimes.jp/map/
会費:2千円(飲み物と軽食をご用意させていただきます)
※参加ご希望の方は6/12までにお知らせください。
問い合わせ先:池谷(090−4096−3974)
スケジュール
第1部(ポレポレ坐)
午後1時 オープニング
午後1時30分〜 「蟻の兵隊」プロジェクター上映
午後3時10分〜 追悼トーク及び歓談
午後5時 終了
第2部(シアター・ポレポレ東中野)
午後6時40分〜 「蟻の兵隊」35ミリ追悼上映
以上、皆さまのご参加をお待ちしています。
奥村さんに会いに来てください!
「蟻の兵隊」監督 池谷 薫(いけや・かおる)
2011年05月27日
奥村和一さん、永眠。
5月25日午後7時7分、奥村和一さんが86年の生涯を閉じられました。
5月の連休に入ってすぐお見舞いにうかがったときには、「ありがとう、ありがとう」と何度も繰り返しておられました。でも奥村さん、御礼を言わなければならないのは、わたしたちのほうです。どうもありがとうございました。
写真は、厳しい闘病のうちにあった2月、亀戸の上映会へいらしたときのお顔です。撮影は、とやまん、こと外山泰三カメラマンです。

――――瞑目。
5月の連休に入ってすぐお見舞いにうかがったときには、「ありがとう、ありがとう」と何度も繰り返しておられました。でも奥村さん、御礼を言わなければならないのは、わたしたちのほうです。どうもありがとうございました。
写真は、厳しい闘病のうちにあった2月、亀戸の上映会へいらしたときのお顔です。撮影は、とやまん、こと外山泰三カメラマンです。

――――瞑目。
2011年02月06日
久しぶりの上映会です。
皆さま、ごぶさたしています。立春も過ぎ、新たな一年がまた始まりました。お元気ですか?
今日は久しぶりの上映会のお知らせです。2月19日(土)13:30〜 すみだ中小企業センターにて。池谷薫監督がトークに登場します。そして、もしかすると、サプライズもあるかもしれません!
どうぞ皆さん、お心当たりの方をいっぱい誘って観に来てくださいね!
チラシのPDFファイル(361KB)をグーグルドキュメントに公開しました。リンクはこちらです→ http://bit.ly/hSchG9 リンク先をクリックしてパソコンに保存して利用してください。印刷、転送ともに自由です。プレビューが出ませんが、デザインは↓こんな感じです。

ではでは、みんな、待ってますよ〜
今日は久しぶりの上映会のお知らせです。2月19日(土)13:30〜 すみだ中小企業センターにて。池谷薫監督がトークに登場します。そして、もしかすると、サプライズもあるかもしれません!
どうぞ皆さん、お心当たりの方をいっぱい誘って観に来てくださいね!
チラシのPDFファイル(361KB)をグーグルドキュメントに公開しました。リンクはこちらです→ http://bit.ly/hSchG9 リンク先をクリックしてパソコンに保存して利用してください。印刷、転送ともに自由です。プレビューが出ませんが、デザインは↓こんな感じです。

ではでは、みんな、待ってますよ〜

2010年08月05日
8月15日は映画館へ――
今年も8月15日には、「蟻の兵隊」を映画館のスクリーンで観ることができます。
新宿ケイズシネマで開催されている「中国映画の全貌」でその日、朝から池谷監督第1回作品『延安の娘』、午後イチに第2回作品『蟻の兵隊』が上映される運びとなりました。
同シリーズの上映スケジュールはこちらをご覧ください
→ http://www.ks-cinema.com/movie/china_2010.html
『延安の娘』が10:40〜、『蟻の兵隊』は13:20〜 です。
K'sシネマの地図はこちらです→ http://www.ks-cinema.com/map.html
今年はどんな人が観に来てくれるでしょうか。楽しみです
新宿ケイズシネマで開催されている「中国映画の全貌」でその日、朝から池谷監督第1回作品『延安の娘』、午後イチに第2回作品『蟻の兵隊』が上映される運びとなりました。
同シリーズの上映スケジュールはこちらをご覧ください
→ http://www.ks-cinema.com/movie/china_2010.html
『延安の娘』が10:40〜、『蟻の兵隊』は13:20〜 です。
K'sシネマの地図はこちらです→ http://www.ks-cinema.com/map.html
今年はどんな人が観に来てくれるでしょうか。楽しみです

2010年07月28日
『蟻の兵隊』が文庫になりました!
池谷薫監督が映画の公開後に執筆したノンフィクションの労作『蟻の兵隊』が、文庫本になって本屋さんの棚に本日並びます。2時間に切り詰めたドキュメンタリー映画だけでは、山西残留問題の全貌を描くことはできないと感じていた監督が、資料の山に埋もれながら書いた作品です。
単行本として新潮社から出版された際、監督は雑誌「波」にこう寄稿していました。
手に取りやすい文庫版が出版されたことで、前よりまたいっそういろいろな方に薦めやすくなりました。たくさんの人に知ってもらい、元日本兵たちの無念を少しでも多くの人で分けもつことができたらうれしいです。
お求めは、こちらのリンク
からどうぞ。
単行本として新潮社から出版された際、監督は雑誌「波」にこう寄稿していました。
本書のタイトル「蟻の兵隊」は、軍命による残留を国に認めさせるため元残留将兵たちが手記を寄せ合った文集の表題であった。上官の命令にただ黙々と従って残留し、敗戦後の戦闘という不条理な戦いに身を投じつづけた自らを、彼らは蟻になぞらえていた。
八十歳をとうに過ぎた「蟻」たちは、もう一度、裁判をやり直す覚悟でいる。
「嘘の歴史を残すわけにはいかない」──それが全てだという。
真相は何か。その判断はお読み頂いた方にゆだねたい。
(「波」2007年8月号より抜粋)
手に取りやすい文庫版が出版されたことで、前よりまたいっそういろいろな方に薦めやすくなりました。たくさんの人に知ってもらい、元日本兵たちの無念を少しでも多くの人で分けもつことができたらうれしいです。
お求めは、こちらのリンク

蟻の兵隊―日本兵2600人山西省残留の真相 (新潮文庫 い 102-1) | |
池谷 薫 著 新潮社 2010-07-28 売り上げランキング : 18109 関連の作品 |
![蟻の兵隊 [DVD]](http://images.amazon.com/images/P/B0017XYF7S.09._SCTHUMBZZZ_.jpg)

2010年07月20日
また夏が来ますね

みなさまお元気ですか?
今年はまた格別に暑いですねえ。
上の写真は蟻の兵隊上映前のアーズデイの写真です。
この写真に写っているたくちゃんとたかしはもう社会人になりました。五年前なんですね。彼らは一年生でした。
おなじアースデイで「延安の娘」の上映会をしました。社会人になった子たちがいっぱい見に来てくれて、チケットも買ってくれたっけ。その子たちと、つい先週集まりました。結婚したり、子どもがいたり、独立してたり。
五年経って、また別の一年生のゆうきが
わたしに情報をくれました。
新宿K'Sシネマで5度目の夏です。
http://www.ks-cinema.com/movie/china_2010.html
こうやって毎年誰かに「蟻の兵隊」の話をし、映画というものは買ってみるものではなくて、自分で見ようと努力してみるものだと伝えてきました。
だれか受け取る人はいるものです。
ゆうきにビルマVJの話をしたのです。そしたら、これはすごい、見なきゃ!!という返事のあとに
「新宿K's cinemaで中国映画の全貌2010っていう中国映画60本くらいやるのがあるんですけど、そん中に蟻の兵隊と延安の娘もやるらしいです。映画館で観れますね」
とありました。
映画館で観る。そうだね。
映画はそういうものだね。
ビルマVJの話は、昨日、ヒマナイヌの川井拓也さんがUストリームしたネイキッドロフトのトークセッションでみたのでした。アーカイブされています。是非ご覧ください。
ドキュメンタリストという生き方
川井さんにも蟻の兵隊で出会ったのでした。
↑のセッションのなかでも触れられていますが、ドキュメンタリというのは「切り結ぶ」ものではないか。たしかにそうだとおもいます。
表面的な人間関係を切り、あらたな関係を結ぶ。
ドキュメンタリをめぐる人間関係とはそういうものなんでしょう。
というわけでみなさま
8月15日は新宿K'Sシネマへ。
そして
ビルマVJは「蟻の兵隊」がロングランされたイメージフォーラムでレイトショー。
その他、いっぱいドキュメンタリあります
見てくださいね。
ではまた、どこかで。
2010年03月05日
金子傳さんへ
LEIKO@たいちょ。です。今日は寂しいお知らせです。
「蟻の兵隊」に登場された元中尉・金子傳(かねこ・でん)さんが昨日朝、入院先の仙台の病院で亡くなられました。

この写真は、「蟻の兵隊」から切り出したものでパンフレットのプロフィール画像にもなりました。撮影は“とやまん”こと外山泰三さん。場所は、東京駅の東北新幹線のホームです。東京地裁での公判の帰り、交通費を少しでも節約するために自由席の切符を買い、列に並んでいるところです。
パンフレットにあるプロフィールをここに引用します。
*****
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*****
1919年(大正8年)、宮城県仙台市生まれ。1942年(昭和17年)、徴兵され中国戦線へ送られる。奥村と同じ独立混成第3旅団の中隊長として終戦を迎えるが、同旅団の高級参謀から残留を命じられ、1949年(昭和24年)に日本軍部隊が壊滅するまで戦闘を続ける。日本兵100人が戦死した牛駝塞(ぎゅうださい)の戦いでは、指揮官として30数回にわたって突撃を繰り返した。その後、人民解放軍の捕虜となり戦犯容疑者として太源戦犯管理所に収容される。起訴を免れ帰国を許されたのは、1956年(昭和31年)のことだった。撮影当時は85歳であり、家庭では妻の介護に追われていたが、公判が行われる日は必ず仙台から上京していた。
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*****
わたしが初めて金子さんにお目にかかったのは、東京駅地下の貸会議室でした。地裁の公判を終えて帰る前、元山西残留兵の原告団はいつもここで会議をもっていました。
裁判の進捗状況ははかばかしくありませんでした。原告全員が80歳代以上。その表情には明らかに疲労の色を映し、ともすれば諦めに近いような言葉もつぶやかれるなかで、金子さんはひとたび自分に発言の機会が巡ってくるや、額に青筋を立て口から唾を飛ばしながら激烈な口調で国の姿勢を批判しました。怒りは後から後からとめどなく沸き出るかのようで、誰かが(村山隼人さんだったように覚えていますが)制するまで少しも止まる気配がありませんでした。
部屋の隅っこの椅子に座ってただ聴いているだけのわたしにも、ビンビンと伝わってくる「本気」。これほど強い怒りに対し、いったいわたしなんかに何ができるのだろう…と気おされ、監督に誘われてホイホイと会議に顔を出してしまった自分の軽率さを悔い、また、恥じました。でも、逃げ出せませんでした。
「何ができるかはわからない。でも逃げ出さない」と、金子さんの鬼の形相を見て、わたしは決めました。日本映画学校での土曜試写をきっかけに「蟻の兵隊を観る会」をつくったのは、それからほんの1か月ほど後のことでした。
金子さん、あなたが種を蒔いてくれたんですよ。これからもちゃんと見守っていてくださいね。
あと3時間で通夜の法要が始まります――合掌。
「蟻の兵隊」に登場された元中尉・金子傳(かねこ・でん)さんが昨日朝、入院先の仙台の病院で亡くなられました。
この写真は、「蟻の兵隊」から切り出したものでパンフレットのプロフィール画像にもなりました。撮影は“とやまん”こと外山泰三さん。場所は、東京駅の東北新幹線のホームです。東京地裁での公判の帰り、交通費を少しでも節約するために自由席の切符を買い、列に並んでいるところです。
パンフレットにあるプロフィールをここに引用します。




1919年(大正8年)、宮城県仙台市生まれ。1942年(昭和17年)、徴兵され中国戦線へ送られる。奥村と同じ独立混成第3旅団の中隊長として終戦を迎えるが、同旅団の高級参謀から残留を命じられ、1949年(昭和24年)に日本軍部隊が壊滅するまで戦闘を続ける。日本兵100人が戦死した牛駝塞(ぎゅうださい)の戦いでは、指揮官として30数回にわたって突撃を繰り返した。その後、人民解放軍の捕虜となり戦犯容疑者として太源戦犯管理所に収容される。起訴を免れ帰国を許されたのは、1956年(昭和31年)のことだった。撮影当時は85歳であり、家庭では妻の介護に追われていたが、公判が行われる日は必ず仙台から上京していた。




わたしが初めて金子さんにお目にかかったのは、東京駅地下の貸会議室でした。地裁の公判を終えて帰る前、元山西残留兵の原告団はいつもここで会議をもっていました。
裁判の進捗状況ははかばかしくありませんでした。原告全員が80歳代以上。その表情には明らかに疲労の色を映し、ともすれば諦めに近いような言葉もつぶやかれるなかで、金子さんはひとたび自分に発言の機会が巡ってくるや、額に青筋を立て口から唾を飛ばしながら激烈な口調で国の姿勢を批判しました。怒りは後から後からとめどなく沸き出るかのようで、誰かが(村山隼人さんだったように覚えていますが)制するまで少しも止まる気配がありませんでした。
部屋の隅っこの椅子に座ってただ聴いているだけのわたしにも、ビンビンと伝わってくる「本気」。これほど強い怒りに対し、いったいわたしなんかに何ができるのだろう…と気おされ、監督に誘われてホイホイと会議に顔を出してしまった自分の軽率さを悔い、また、恥じました。でも、逃げ出せませんでした。
「何ができるかはわからない。でも逃げ出さない」と、金子さんの鬼の形相を見て、わたしは決めました。日本映画学校での土曜試写をきっかけに「蟻の兵隊を観る会」をつくったのは、それからほんの1か月ほど後のことでした。
金子さん、あなたが種を蒔いてくれたんですよ。これからもちゃんと見守っていてくださいね。
あと3時間で通夜の法要が始まります――合掌。