2006年03月28日
思いを人に伝えてゆくこと
ちょっと報告が遅くなってしまいましたが、25日に、わたしと、大学2年生の女子・福田は尊厳死の法制化に反対する人々の集会に行ってきました。わたしは「蟻の兵隊」のビデオを抱えて。福田はサークルの部室から借り出したプロジェクタをカートに載せて。
この「蟻の兵隊」の中には、尊厳死を法制化してはならないと考える人、逆に法制化してほしいと考える人々、どちらにも強く訴えかけるシーンがあります。わたしと福田はそのシーンを集会に参加する皆さんにぜひ見てもらいと思ったのです。
そのシーンとは、奥村和一さんが病床に伏す宮崎元中佐のもとへ最高裁上告棄却を報告に行くところです。宮崎元中将は現在97歳。10年前に脳梗塞で倒れ、5年前から経管栄養によって病院のベッドに横たわったまま命をつなぐ日々となりました。言葉は話せません。体も自力では動かせません。娘さんがお世話をしていらっしゃいますが、この5年間は意志の疎通がまったく図れないでいたそうです。娘さんは、宮崎元中佐を「意識不明」の状態だと思っていました。
ところが、奥村和一さんが病室に入り、「宮崎参謀、申し訳ありませんでした」と頭を下げたとき、宮崎さんがベッドの上で体をよじり、口を大きく開けて「うぉーーーー!」と声を上げたのです。その後、奥村さんが一言二言話すたびに、宮崎さんは「うぉー」「うぉー」と言葉にならない無念の声を上げました。
宮崎さんは、敗戦時に兵士を武装解除し日本へ帰すよう、軍上層部に強く働きかけたのだそうです。しかし軍の翻意を促すことはできず、2600人もの兵士が山西省に残ってしまいました。そのことを戦後60年間、悔やんできたのでした。満身の力を振り絞って発せられる慟哭に、宮崎さんの思いの強さが込められていました。
このシーンを「研究集会<死の法> −尊厳死法案の検証−」
http://soshisuru.fc2web.com/report/060325.htmlの場を借りて、参加者の皆さんに見てほしかった理由を書きます。
尊厳死を法制化しようと主張する人々は、管を付けてまで生きていたくはない、人とコミュニケーションもとれない状態では生きている意味がない、人の世話にならないと生きていけないなんて情けない、だから尊厳死だ、と言ったりします。しかし、この集会に参加していた人の多くは、そう主張する人々に対して「もっと慎重に考えてほしい」と考えていて、人の尊厳とは死に方に存するものではないのではないか、無駄な生などというものはないのではないかと異議を唱えようとしていました。
宮崎元中佐を見れば、管をつけても人の世話になってでも生き続ける意味のあることは明らかです。宮崎さんの思いを映像に観て、その声を聴いてわたしは、彼が抱き続けてきた思いを代わりに伝えてゆくことができるのならしなければならないと感じました。死に方よりも、どう生きていくか、そのことに心を注ぎたいと思いました。
集会用の資料に「蟻の兵隊」についての一文を寄せました。そこにはこう書きました。
*******
“尊厳死”を美しく枯れるような死と理解して、ただ憧れから口にする人々にとり、宮崎さんの置かれた状況はどのように映るのであろうかと考える。97歳で、誰ともコミュニケーションがとれず、管によって生命をつなぐ日々を、彼らはただ無駄な生と切り捨てるのであろうか、と。
そんな人こそ、「蟻の兵隊」の宮崎さんを観るがいい。その慟哭の声を聴くがいい。そしてひるがえって、自らを思うがいい。自分は何のために生き、生かされて在るのだろうか、と。その生の果てに、“憧れの尊厳死”は本当に必要なのだろうか?と。
宮崎さんの思いを、そしてまた宮崎さんと同じようにして病床に伏す人々の思いを、かき消してはならない。そう考えて、私は尊厳死の法制化に反対します。
******
とまあ、かっこいいことばかり書いてきましたが、この世の中、そう事はうまくおさまらないものです。機器の不適合やら(まあそれはなんとかなったんですが)、頭出しをしてあったはずのテープが一番最初まで巻き戻ってしまったりやらで、結局、会場では宮崎さんのシーンをお見せすることができませんでした。準備不足を痛感しております。期待してくれていた人に、本当に申し訳ないことをしました。ごめんなさい!
宮崎元中佐を見れば、管をつけても人の世話になってでも生き続ける意味のあることは明らかです。宮崎さんの思いを映像に観て、その声を聴いてわたしは、彼が抱き続けてきた思いを代わりに伝えてゆくことができるのならしなければならないと感じました。死に方よりも、どう生きていくか、そのことに心を注ぎたいと思いました。
集会用の資料に「蟻の兵隊」についての一文を寄せました。そこにはこう書きました。
*******
“尊厳死”を美しく枯れるような死と理解して、ただ憧れから口にする人々にとり、宮崎さんの置かれた状況はどのように映るのであろうかと考える。97歳で、誰ともコミュニケーションがとれず、管によって生命をつなぐ日々を、彼らはただ無駄な生と切り捨てるのであろうか、と。
そんな人こそ、「蟻の兵隊」の宮崎さんを観るがいい。その慟哭の声を聴くがいい。そしてひるがえって、自らを思うがいい。自分は何のために生き、生かされて在るのだろうか、と。その生の果てに、“憧れの尊厳死”は本当に必要なのだろうか?と。
宮崎さんの思いを、そしてまた宮崎さんと同じようにして病床に伏す人々の思いを、かき消してはならない。そう考えて、私は尊厳死の法制化に反対します。
******
とまあ、かっこいいことばかり書いてきましたが、この世の中、そう事はうまくおさまらないものです。機器の不適合やら(まあそれはなんとかなったんですが)、頭出しをしてあったはずのテープが一番最初まで巻き戻ってしまったりやらで、結局、会場では宮崎さんのシーンをお見せすることができませんでした。準備不足を痛感しております。期待してくれていた人に、本当に申し訳ないことをしました。ごめんなさい!
leiko_i at 00:05│TrackBack(0)│LEIKO@たいちょ。

