2005年07月31日

こんな情ない国家に誰がした、その責任を既成政党に問う。

 
     青年に告ぐ!怒れ、そして結集しよう。
 
現在北京で行われている6ヶ国協議の報道を見るにつけ、怒りが湧いてくるのを抑えきれない。
北朝鮮は核保有を宣言、核の放棄には金正日の独裁体制の保証と経済援助が条件だとしている。
独裁体制を保証するということは、拉致された日本人の問題は永遠に解決できなくなることを意味する。
そのような中で日本は植民地時代の補償を要求され、それに応じなければならない。
何と言う理不尽さか、このことに対する国民の怒りが日本中に澎湃として湧き上がている。
 
日本をこんな情ない国家へと堕落させたのは、第二次世界大戦の敗戦から今日までを容認する全ての政治勢力の責任に他ならない。
 
保守対革新はいかにも喧嘩をしているように見せかけては来たが、実際のところは裏で結託しただ惰眠を貪っていたに過ぎない。
 
多年の自由主義と享楽主義に毒され、一億総骨抜きとなった弱腰分子が
個人の利益追求のみに狂奔している。
 
これからは諸君達、青年の時代である。
 
ここまで国家を堕落せしめた為政者、何食わぬ顔をして「国家国民のために・・・・・・・・」などとほざいている政治家に徹底した批判を!
 
新しい政治勢力<極右>の結集こそ、変革への一歩となる。
新体制創造への革命的運動、それは形骸化した既成政治勢力を一掃する闘いである。
 
極右に興味のある若き、青年学生諸君!共に闘わん。
 
  

Posted by the_radical_right at 18:04mixiチェック 青年に告ぐ! 

2005年07月30日

共産中国は覇権を握れるのか?

     共産中国の覇権国家への挑戦は成功するか

現在の米国の覇権に挑戦できる国を、その可能性から割り出すとすれば、どうしても中国を考えないわけには行かない。中国には世界に覇権を唱えるだけの潜在的な力がある。

中国には米国の5倍、世界人口の約2割強に当たる13億人の人々がいる。それだけではない、中国大陸外で巨大な力を持つネットワーク・華僑の存在がある。

 二十一世紀は中国の世紀と、世界中で喧伝されてきた最大の理由はそこにある。この点に関しては異論はないであろう。勿論これ迄通りの経済成長を持続できたとしての話ではある。また、これは中国が言う所の、社会主義市場経済というまったく不可解な経済システムが続くとした上でのことであることは言うまでもない。

 なぜならば、国営企業や農民から搾取,簒奪した巨大な富を、共産党の一党独裁で絶対権力を持つ為政者が、おもうがままに使うことが出来なければならない。米国や日本と同じ資本主義国家で、複数政党の政治活動の自由が確立された時は、その挑戦の権利は喪失する。

 では、、中国は経済力において世界を凌駕する程の成功を納めることが可能なのだろうか。

実はこの点については、中国にはその力がないという説もある。

これまでのヘゲモニー国家を誕生された背景として産業の構造的な変革があった。

 例えばイギリスの場合は石炭を多用した「鉄道文明」がパックス・ブリタニカを生み、米国の場合は石油を多用とした「自動車文明」がパックス・アメリカーナを生んだ。

とすれば中国の場合と言えば、この石炭、石油に代わるものとしてのエネルギーがなければならない。

それは現在の所、原子力しかあるまい。

 中国は原子力エネルギーに頼るしか経済大国への道はない言いきれる。

例えば中国13億人の人々が日本並みに石炭・石油などの化石燃料を使って経済成長を続けようとしたら、それは大変な事態を招くことにな。

世界の化石燃料はたちまちのうちに枯渇し、同時に大量の酸性雨に襲われ自然は破壊され尽くしてしまう。

この資源と環境問題は一人中国だけの問題ではなく、世界的規模で地球を危ういものとする。

もう、これを解決する道は石炭・石油に代わるエネルギーとしての原子力しかない。

 では、中国は原子力の大国に成り得るであろうか。

残念ながら、こと原子力に関してだけ言えば、日本の方がはるかに先進国である。

この分野においては,中国が独裁体制であることは非常に有利となる,なぜなら反対活動を全くきにする必要がないからだ。

 次に来世紀のキー・インダストリーとなる情報産業についてである。

情報を制するものは世界を制するなどとも呼ばれる今日、果たして中国がこの情報産業の分野において米国を打ち負かすことが可能なのであろうか。

農業革命―情報革命という流れの中で果たして中国はこの第三の波に乗れるのであろうか。

この部分に関してはかなり悲観的にならざるを得ない。

 情報産業が育つには自由闊達な社会が絶対条件とも言える。

共産党の一党独裁下にある中国において、それが保証されるのか。

ヘゲモニー国家はどこよりも経済社会システムが開放的で、そのライフスタイルは自由で魅力に富んだものでなければならない。

 事実歴史上その様な国が常に勝利を納めてきた。

イギリスとドイツではイギリスにはブルジョア的なライフスタイルがあり、ドイツにはそれがなかった。

米国はまさに自由の国であり、行きすぎと思われる程の自由があったが、旧ソビエトには全くそれがなかった。

中国はこの二つを果たしてどう克服して行くのであろうか、原子力エネルギーと情報産業革命この問題こそ、来世紀の中国が世界国家としてヘゲモニーを握るかどうかのポイントになるものである。

我々の中国の覇権国家説は以上の条件をクリアした時に成り立つものである。

 

※私は共産中国に対する警鐘を鳴らし続けてきた。

それは共産中国が覇権国家として、日本に対して最大の脅威に

なると判断したからだった。     平成10年頃の論文です。

  
Posted by the_radical_right at 17:25mixiチェック 特定アジア(中国・領土) 

2005年07月29日

極右とは何か〜 懐かしの2ちゃんねる大論争 (10 )

 
             英雄待望の時代と極右誕生
反京さんへ
>瀬戸さんの主張される国家社会主義的な便法というのも、どうかと思われます。
 
国家社会主義イコール独裁ではありません。戦前の日本の国家社会主義者もドイツのナチスも議会制民主主義を否定していた訳ではありません。
挙国一致の戦時体制への移行によって翼賛政治体制となったものです。
 
>愚民に代わる強力な治者がプロレタリアート独裁である。
或いは民主集中と言い換えても良いかも知れませんが、
どのような末路を辿ったかは瀬戸さんも良くご存知でしょう。
 
社会主義、共産主義的手法を最初に唾棄すべきなのは言うまでもありません。左翼は言葉では民主主義を唱えていますが、彼らのいうプロレタリ独裁は民主主義を否定しています。
日本共産党も公明党も党首がどのようなプロセスで決定されているのか非常に判りずらいものがあります。
さて、私が主張する賢者による政治とは、強力な指導力を持った人間が選挙によって直接選ばれ政権を担うというものです。
私の持論は民衆を指導する政治には<英雄>の存在が不可欠というものです。
民主主義とは選び出すという一手法に過ぎない。大切なのは民衆がいかにすぐれた指導者を選びだせるかであり、英雄を育て上げることの出来ない政治ほどつまらなく退屈なものはない。
 
三郎さんへ
>「モラル」や「義務」や「責任」を強調する時代に来ていると思います。
 
そうですね、最近の若者はモラルがないと言う人もいます。しかし、これは何時の時代においてもその様な人はいたでしょう。今の時代だからとは言えないでしょうが、多くなったことは事実でしょう。
昔は躾が厳しかったが、今はそうやかましくなくなった事が関係しているかも知れません。
私は今日の時代を<英雄待望>の時代と位置づけました。
いくらモラルや義務や責任を求めた所で、若者がそれに素直に従うとは思えない。
若者が求めてやまないのは、自己犠牲を納得させられるだけの<英雄>の存在ではないでしょうか。
日本の社会は今真の変革の時期に来たのです。
これを果たすのには、一人一人の力を一つにまとめることの出来る個人の存在を超越した<英雄>の存在をおいては考えられません。
 
皆さんへ
 
私の小学校5年生頃の体験です。私はこの頃から英雄伝が大好きで図書館でよく読んでいました。当時生徒会長を選ぶには生徒全員が投票しました。
各クラスから立候補して選出されたのです。私はこの選挙に異議を申し立てました。
私は他のクラスの人のことはよく判らない。たぶん皆そうではないのか?
だったらよく理解している先生が選んでくれれば良いじゃないか、と質問しました。
先生方にはこっぴどく叱られたのを覚えている。民主主義とはこのようにやるものなのです、と説教された。
しかし、何も知らない者がただ人気投票で選ぶよりは、経験も見識もある大人が指名した方がわかり易いと最期まで納得しなかった。
今、大阪府の横山ノック知事や青島都知事の誕生を目の辺りにした時、あの子供時代の人気投票が我々世代の学んだ民主主義であったと納得させられるものがある。
民主主義は衆愚政治に陥り易い。幼少時代に教え込まれた民主主義は今や危機に瀕している。
 
三郎さんへ
 
私は議会制民主主義や資本主義経済も歴史的な産物に過ぎないという立場です。
歴史的な一面における価値はあっても、それは永遠不滅な存在ではないという考えです。
それは常に政治の不安や経済の混迷という形で示されています。
自信を持って青年にモラルや義務や責任を語れるのは、政治家や実業家ではなく、全く違った人であるべきなのです。
また、それは机上の思想家でもなく、社会運動家という言葉で呼ばれる人間であると考えます。
勿論、政治家を否定するものではありません、しかし、今日の政治家は国民の信頼を裏切っており、国民も信用していません。
 
>三郎さんへ
 
私は極右の活動家であり、このことに自分の人生を賭けてきました。
わが国において極右とは言葉だけで、何らの政治勢力にも成り得ていません。
しかし、極めて少数であっても存在することに意義があると思っています。
共産中国などは日本における軍国主義の復活や極右勢力の台頭を口にしますが、どれ程本気なのかと笑ってしまいます。
彼らが日本の実情を知らない筈はありません。
しかし、我々が国会に一議席でも有したら、彼らは震撼することでしょう。
余り理不尽に日本を追いつめると、本当に日本に極右は誕生するでしょう。
そのことを彼らに分からせる意味においても、我々極右の存在は意味があることなのです。
 
 
反京さんは、2ちゃんねるでよくお見受けしました。 ブログランキング
また、ちゃちゃ思想板でも投稿されていました。    参加中
どのような方だったのか、興味がそそられました。
 
  
Posted by the_radical_right at 08:26mixiチェック 極右2ちゃんねる論争 

2005年07月28日

<親米論者VS反米論者>の論争

私が『日米共同覇権構想』を超極右掲示板に投稿したところ、昨日に続き今日も反論があった。
今回の投稿文は前段の部分においては、私への理解をある程度示してはいるが、後段の部分においては真っ向から否定する立場となっている。
この方は私の記憶に違いがなければ、今から5年以上前に今回の極右掲示板や右翼共和派の掲示板で、鉄扇会のリーダーと激しく渡り合った方ではないかと思う。
私もこの頃、鉄扇会のリーダーではないかなどと一部で噂のあった<棺光一>なる人物と激論を交わしたことがあったが、この方とは直接的論争はした事がなかった。
 
皆さんに、この<親米論者VS反米論者>の激論をこれから楽しんで頂きたい
 
 
この高橋博彦さまには悪いとは思いましたが、あえて議論を戦わせる意味からも、相手を「感情的な反米論」と挑発してしまいました。
 
彼も愛国者であり、国の将来を憂える一人です。
今後が楽しみです。
 
  
Posted by the_radical_right at 08:34mixiチェック 日米関係 

2005年07月27日

「日米共同覇権構想」への批判に答えて。

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私が提唱している新たな日米の同盟関係『日米共同覇権構想』について、超極右HP掲示板に私への批判があったので、反論文を投稿したが、ここでも紹介させてください。
 
東アジアの将来を見据えた日米の連携
 投稿日: 2665年7月27日(水)08時44分 投稿者: 瀬戸弘幸 削除

親米か反米か、日本の将来にとってこの二つの対立と選択は難しくはあるが、避けて通る事の出来ないものでる。
第二次世界大戦の勝利によって獲得された米国の軍事的・経済的な特権はあらゆる方面において発揮され続いてきた。
この特権を認めざる得なかった「戦後日本社会」とは、果たして屈辱的ではあったが絶対悪として唾棄すべきものだったのか?
私は現在はそうは思っていない。祖国の再建に当たっての米国の手助けはこれを正しく認めなければいけない。
わたしは昭和27年生まれであり、学校給食においては米国より支給された粉ミルクを飲んで育った世代である。
また米国のテレビドラマを見て、素朴に米国社会に対して憧憬の念があったのは事実だったと思う。
我々の世代の中には大学に進み反米的な左翼の社会運動を志した者も多かった。
私は高卒で実家の農業を継いだが後に右翼へなった。若かりし頃は反米愛国のスローガンを掲げ活動してきた。
国粋右翼の多くは反共を掲げながらも反米志向が強かった。ただ、大日本愛国党の赤尾先生だけは声高に親米反共を唱えていた。
日比谷公園の定例街宣において、赤尾先生はソ連、北朝鮮、共産中国が真っ赤に染まった東アジアの地図を開き、日米関係が堅固でなければ赤化され飲み込まれてしまうと声高に訴えておられた。
当時この赤尾先生の考えは分からなくはなかったが、それではいつまで経っても日本の自主独立は望めず、米国に一方的に追従する道に他ならないと思っていた。
米国は東アジアにおいては日本の真のパートナーではなく、戦略的な思考によって米国の国益追求のために、ただ日本を利用しているに過ぎないと考えてきた。
しかし、時代はその後大きな変遷を遂げた。旧ソ連は崩壊し最大の脅威であったソ連の軍事力は影を潜めた。
一時的に日本の経済成長は米国をも凌ぐ勢いを感じさせた。しかし、バブル崩壊によって失速する。
この頃から米国の戦略にも微かながら変化が見られ、9・11以降はそれが明確になってきた。
と同時に東アジアにおける米国の考えも、クリントン時代とブッシュ政権とでは明らかに違ってきた。
これまでのように日本が口を出す事を許さず、自らの国益追求のみで動くその姿勢を改め出した。米国は自らの国益と日本の国益をいかに合致させるか、
それを「対日戦略」の基本に据えてきたと私は思っている。
そこで私は東アジア地域に限定した「日米共同覇権構想」を提唱しています。

なお、文明の衝突における日本の立場とその衝突を回避するために、西欧諸国
と一定の距離をおこうという中東政策の是非論はまた別の機会に述べます。

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Posted by the_radical_right at 08:44mixiチェック 日米関係