2018年06月30日

関西生コン討伐運動の成果やいかに

連帯ユニオン関西生コン闘争は早6ヶ月目に (8)

関西生コン討伐運動の成果やいかに

 
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4種サンプル
                                                                                                                                 
我々は今年1月からこの6ヶ月間このようなスローガンのもとに、関西各所で訴えてきました。昨日取材で大阪市内の生コン会社を訪れると、彼ら連帯ユニオンが一般住宅にまで配布しているチラシを見せて頂いた。

 連帯ユニオンニュースのチラシ4枚ほどは相当お金をかけたもので、カラー刷で豪華なものだ。10ページもある小冊子もある。資金源は豊富で配布する労組員も多い。

 我々は「連帯ユニオンのゼネストは威力業務妨害事件だ、司直はただちに捜査せよ!」

    「国税庁は巨額な闇資金を解明せよ!」

 とこの6ヶ月間訴え続けてきた。

 日曜日行われた連帯ユニオン本部へのガサ入れは威力業務事件の告訴を受けての捜査が、進んでいることを物語るものだ。

 そして、この警察車両に運び込まれた大量のダンボール箱には何が入っていたのか?



 この光景は東京地検特捜部などのガサ入れの際によく見られるシーンにも似ていた。巨額な脱税容疑の捜査などを連想させるものだ。

 我々が毎日のように近畿地方一帯で繰り広げられてきた、その街宣啓蒙活動は広く国民に浸透していることを物語るものだ。

 このような読者からのメールも頂いております。

 

2月1日のブログに先生も書いていらっしゃいましたが、近酸運輸は武健一の支配下にある経営者会(上納会社)のひとつです。

関生支部本部と裏の学働館(近酸運輸が入っている)が秘密の連絡通路で繋がっているのもご存知のことと思いますが、3月のガサ入れの時の対象のひとつとなっていたホクセツ蝓代表:朝夷健二)も関連している、つまり、当局は上納金の流れも追っているのではないかと思われます。

その辺の事は、京都政経.comでも確認していただけるとよろしいかと思います。
武委員長系列の会社:朝夷健治氏支配の会社(中)!

ホクセツ蠅猟夷健二は武健一が最も信頼を寄せている「集金人」で、昔から連帯ユニオンへの上納金の窓口の一つを管理しています(和歌山の中西正人も子飼いの集金人の一人)。→参照:京宝

●京宝(旧JMK〜)の代取=朝夷健二、監査役=武洋一


今回のことで、私も武健一にまで捜査の手が及ぶのではないかと期待しているのですが、どうなんでしょう。


 以上


 >今回のことで、私も武健一にまで捜査の手が及ぶのではないかと期待しているのですが、どうなんでしょう。


 間違いなく行くでしょう。7月には大きな山場を迎えることになる。


 7月に入れば更に我々は強力な資金源を手にすることになります。いずれ公表というか、明らかになるでしょう。戦いには資金が必要となりますが、その資金も活動と同時に手にすることが可能となります。


 このシリーズは後2回で終了します。来週からは新シリーズ「関西生コン支部は今・・・?」と題して、映像を中心にお届けして行くことになると思います。


 この半年のまとめサイト

 
一般社団法人「大阪兵庫生コン経営者会」の近酸運輸(関生支部本部会館に隣接)に家宅捜索 6月24日


 

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2018年06月29日

私が朝鮮人差別主義者になぜされたのだろう?

人種(民族差別)問題と我が人生 (3)

 私が朝鮮人差別主義者になぜされたのだろう?

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 私のことを紹介しているウィキペディアがある。その中には次のように紹介されている。

【 在日韓国・朝鮮人に対して好意的で、特に日本への帰化を希望するものは広く受けいれるべきとした。また、北朝鮮・中国と対峙するために韓国との連携が必要と考えていたが、支持者の反応は「韓国人の本質は反日・犯罪者体質」といったものが主であった。瀬戸は「南北朝鮮と日本の反日勢力が、このような根深い対立を作った」と残念がり「日本に帰化して一生懸命頑張っている人にだけは、温かい気持ちで接してくれるように願うだけ」と結んだ[73]】

 私の長いブログ記事の中で、いわゆる炎上したことが一度だけあった。それは私が積極的な帰化推進者であって、特に在日朝鮮・韓国人の帰化に関しては無条件でこれを受け入れるべきと書いたときです。

 実際にその活動にも取り組んでいた経緯なども説明したので、余計炎上に油を注いだ。それを少し紹介しておくことにします。

 ただ今回読み直して見て、若干私に勘違いの部分があったのかとも思った。それをネットで検索しても朝鮮総連の国籍返上運動というものが、全く出てこなかった。私の勘違いなのか?当時私はそのように聞いた記憶があるのですが、どうも検出出来なかったので間違いだったのかも知れません。

 これは、2006年6月21日の記事です。

 朝鮮民族は日本社会においてはマイノリティーな存在です。歴史的な経緯もあって、左翼や人権派団体は常に彼らを抑圧と差別の犠牲者として祭り上げ、そのような構図こそ日本帝国主義がもたらす必然的行為であると糾弾してきました。

 私は不法滞在外国人問題に取り組んで来ましたが、左翼や人権派団体は「在日」と呼ばれる特別永住者と不法滞在者を同列にして、不法滞在者を正当化させようとしていました。我々としてはこの問題から先ず取り組まねばならなかったのです。

 日本は戦前、韓国を併合しました。西欧列強の植民地支配のような一方的な搾取ではなく、共に栄えるという基本的な考えが根底にあり、それ故に日本人と同じように国籍を与え、移動や居住の権利も認めました。

 日本に住み着いていた朝鮮民族は200万人ほどであったと言われます。彼らは自らの意思で日本に来て生活していた人達であり、過去に問題とされたような強制的に連行された人々ではありませんでした。また、不正入国者でもありません。

 この中から戦後、朝鮮半島に約140万人ほどは帰って行きましたが、60万人ほどは日本に残りました。元々これらの人々は日本国籍を有していたわけですが、日本政府は日本国籍から離脱させ、その代わりに特別に永住する資格を与えました。

やがて消滅する「在日」社会

 現在(※平成17年度の時点)、特別永住資格を持つ人は約45万1千人です。入国管理局はその内訳を公表していないので、この中には台湾人も含まれますので、朝鮮人は40万人を切っているかも知れません。

 ちなみに同13年度は53万人ですから、この5年間で約8万人減少したことになります。この主な原因は少子高齢化、朝鮮への帰国、そして日本への帰化ですが、特に帰化する人が年々増加しています。

 単純に数字から推測すれば10年で半減、20年で消滅してしまいます。民団や総連は組織を挙げて、この日本への帰化に反対していますが、最早この流れは加速されることはあっても、止まることは考えられません。

 特別永住者は犯罪を犯した場合、その犯罪が日本国の利害を害したと認められる時には法務大臣の名において退去強制の措置が取られます。日本国籍を有する者以外には認められない権利(選挙権)などを除けば、後は日本人とほぼ同等の権利が保障されています。

無条件帰化提唱について

 日本に帰化するのは申請して認められるかどうかですが、条件的なものは何一つ明らかにされていません。法務省民事局は「総合的な判断による」としているだけです。

 認められない場合も「総合的に判断した結果である」とだけ通知されます。かつて総連の活動をしたことのある親族がいるケースや親が前科前歴のある場合は、その子供も帰化出来ないと云われていました。

 最近はかなり緩やかになったと言われていますが、どのように変化したのかも含めて公表されていません。では、このような状況の中で、かつて私が提唱した無条件帰化とはどのようなケースだったのかを説明します。

 朝鮮人の父と日本人母の間に生まれた子供は、朝鮮と日本の両国の国籍を有しています。ところが総連などは日本国籍の離脱を組織的に進めました。まだ子供が小さい頃に日本国籍離脱の手続きを親が行なったのです。

 実際に私の知人の息子にそのような人がおりました。自分が結婚するのに戸籍を調査して初めて分かったのです。既に母は離婚して行方が分からず、彼はそれまで自分は朝鮮人であるとだけ信じて生きて来たのです。実際は日本国籍を有して生まれてきたにも関わらず、自らの意思とは関係なく離脱させられていたのです。

 民事局に相談したら帰化申請をすることを勧められたが、結果は「総合的に判断した結果認められない」というものでした。本人は日本人であるにも関わらず日本人になれなかった…。

 私はこのようなあまりにも不条理と思える帰化問題で、このようなケースは全て無条件で行なうべきと主張しましたが、回答は得られませんでした。本人はその後、日本人の女性と結婚。子供が出来たので再度申請して日本に帰化しました。

 さて、これまでこの「在日」問題では、多くの方から批判を頂きました。しかし、批判した皆様と私の考えで根っ子の部分では違いはなかったと思います。一番強硬に反対された「声優さん」なども限定的な帰化には反対しないと述べておりますし、「農民さん」は一括帰化には反対と述べられていました。

 つまり、皆さん殆ど同じ事を言っているのに、かなり主張が真っ向から対立しているように捉えられてしまいました。これは私の問題提起のやり方が不味かったのと、自分がこの問題では先駆者的に活動してきたという自負心が、これまでとは違った感情的対応を自分自身の中に呼び起こしてしまったのではと反省しています。

 これは皆様の理解を得るために書いたものではありません。どうしても理解できないという人がいるのも事実です。ただ正確な情報を提供するために書きました。

 先日、30歳になったばかりの若手論客グループと議論しました。

「朝鮮人の人達も変わってくると私は思うのだが」

「朝鮮人は変わらない、何を言っても無駄なんです。彼らが反日姿勢を変えることなどないですよ」

「犯罪者の子供は犯罪者というような決め付けには納得できないのだが」

「彼らは犯罪者の子供だから犯罪者なんですよ、日本人とは違いますから」

 日本の若者にこう言わせてしまうようになった韓国、北朝鮮の「反日」プロパガンダに心底怒りを感じた。勿論、韓国や北朝鮮は反発するだろう。しかし、どう考えても、このような根深い対立をつくり出したのは、南北朝鮮の「反日」と、それを煽った日本の「反日」勢力であることに疑う余地はない。

 最後に私はこの若者らに、日本に帰化して一生懸命頑張っている人にだけは、温かい気持ちで接してくれるように願うだけであった。


 以上


 朝鮮人の父と日本人母の間に生まれた子供は、朝鮮と日本の両国の国籍を有しています。


 これは間違いでした。正しくはこちらです。

1984年(昭和59年)までは,お父さんが日本国籍でなければ,子どもは日本国籍になれませんでした。
 外国籍のお父さんと日本国籍のお母さんの夫婦の子どもは,日本国籍になれなかったのです。でも,それは男性と女性を平等にあつかわない,おかしなことでした。
 国籍法が変わって,1985年(昭和60年)からは,お父さんかお母さんのどちらかが日本国籍なら,その子どもは日本国籍になれるようになりました。


 お父さんが日本国籍でないと、子供は母親が日本人でも日本国籍にはなれなかった。だから昭和59年までは母親が日本人でも日本国籍はなかった。

だからこれは朝鮮総連が主導して子供の日本国籍を返上したというのは、間違いだったのではないか?

現在はそのように考えます。ただし、無条件で帰化を認めるべきとの考えで二人で法務省を訪ねたことは事実で、当時雑誌や新聞にもそのように自説を書いていた。

 それは3番目に知り合った在日朝鮮人の男性でした。この男性は私と出会って右翼団体を作って活動した男です。その彼が「瀬戸さん、私は在日ですが日の丸を上げて天皇陛下万歳を唱えても変じゃないですか?」と聞いてきた。

 私は「何も変じゃないよ。しかも、あなたのお母さんは日本人でしょう。どちらかの親が日本人なら日本国籍があるはずだよ」

 私がそのように言うと「実は朝鮮人の父が私の日本国籍を返上したので、なかなか取れないんですよ。」そのように答えた。

 そこで、それはおかしいと言って法務省に何度も足を運び、帰化を無条件で認めるべきと訴えたのです。これらの件も過去のブログに掲載されています。

 これらの経緯から私は維新政党新風というところから、参院全国比例区に出馬した時に、在日韓国・朝鮮人の「特別永住制度の廃止」を公約とした。それはどうしても日本国籍を望まない人以外には、日本国籍を与えるという考えでした。

 実はその後、私と同じ考えでこの「特別永住制度」の見直しを言ったのは、日本維新の会の橋下徹氏です。彼も私と全く同じ考えを表明しています。それを明日は紹介しますが、その私を朝鮮人差別主義者と呼ぶ、神奈川新聞石橋学君、連帯ユニオン関西生コン支部とは、本当にどのような人達なのだろう?


 

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落書き事件に違和感・本当に日本人が犯人なのか?  

2018・川崎言論封殺事件(13)

 落書き事件に違和感・本当に日本人が犯人なのか?
 
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 6月3日の川崎市教育文化会館の講演会が、反対派の暴力によって中止に追い込まれた後に、公園のベンチに落書きが見つかる・・という事件があった。この報道は何回も何回も執拗に報道されたが、いまだに目撃者が見つかったとの報道はされていない。



 以上

 この記事によれば初めて発見されたのは6日でそれからほぼ毎日のように発見されていると報じています。一回に大量に書かれたのではなく、第1回目が発見された後にも続けられた。

 普通、最初に大々的に神奈川新聞が報道しているわけですから、警戒して1回目でやめるのが普通ですが、それからの度々この周辺に出没して書いていたことになります。

 この辺に住んでいるか、或いは住んでいた事がある地理的事情に詳しい者による犯行であることは間違いないでしょう。警察に川崎市は被害届を出しているので、捜査は行なわれていると思いますが、目撃情報などはその後報道されていないように思います。

 タイミングと言い、全く目撃者がいない。1回だけでなく、立て続けに行なわれた可能性もあるなど、余程大胆な犯人像が浮かび上がります。この犯人を石橋くんはどうしても日本人差別主義者と結び着けたいようです。

 一つだけ紹介

 〈時代の正体〉川崎の公園に差別落書き ヘイト集会「許可」の影響指摘
    神奈川新聞|公開:2018/06/08 06:00 更新:2018/06/08 10:23

    【時代の正体取材班=石橋 学】川崎市は7日、同市高津区の五つの公園・広場のベンチなどで在日コリアンを差別する落書きが見つかった、と発表した。同一の筆跡で「朝鮮人こそレイシスト」「朝鮮人こそ反日ヘイト」などと書かれていた。市は器物損壊容疑で高津署に被害を届け出た。
    (中略)
     見つかった差別落書きには、やはり抗議への「仕返し」を思わせる「朝鮮人は犯罪民族」「被害者のフリに注意」といった中傷や、会館周辺で警備に当たった県警に対する差別を交えた逆恨みと受け取れる「神奈川県警は朝鮮人の犬」といったものもある。市民団体「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」の三浦知人事務局長は差別落書きについて「市長の判断と発言が招いた結果だ」と指摘。「ヘイト集会を許可した揚げ句、市民の側を『遺憾』と批判したことがレイシストを勇気づけ、差別があおられている。市長の判断と認識の誤りは明らかだ」と断じた。
     市人権・男女共同参画室の担当者は「誰が書いたか分からず、落書きがされたことや背景をどう見ているかについてはコメントできない」と話し、差別落書きを非難すること自体を避けている。
     三浦事務局長によると、川崎区でも市の掲示板に貼られた法務省作成の啓発ポスターで差別落書きが確認されたという。在日コリアンの子どもたちも多く通う小学校のすぐそばで、「ヘイトスピーチ、許さない」というキャッチフレーズに「コリアを」と書き加えられ、「コリアを許さない」と読めるようになっている。

以上

 しかし、果たしてこのような決めつけが報道する側の立場として正しいものなのか?確かに犯人が日本人であると決めつけた記述は見当たりません。しかし、我々の講演会が暴力によって中止に追い込まれた事に対しての意思表示という点で論じているので、どうしても我々の仲間や支持する人の犯行だと思わせたいのだと疑ってしまいます。

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確かに同じ人が書いた文字に見えます。

 朝鮮人こそレイシスト

 朝鮮人こそ反日ヘイト

 この2つの文言ですが、朝鮮人こそレイシストの方はそれほど違和感がありません。

 レイシストの文言を検索 → 人種差別主義者

 反日ヘイトという文言を同じく検索 
 ↓
dic.pixiv.net > ... > 一般 > 人 > 心 > 感情 > 憎悪 > 憎しみ > ヘイト > Hate - キャッシュ

反日ヘイトがイラスト付きでわかる! 反日ヘイトは基本的に日本および日本人に対する憎悪・差別的な感情や思想から起こるヘイトスピーチ・ヘイトクライムという意味である。 概要 日本国内外において日本や日本人に対する批判的・差別的>差別な感情や思想 ...


 同じ意味で書いたのだとは思いますが、検索してからでないと意味が分からなかった。つまり、我々が普段から使っていません。少なくとも私は「反日ヘイト」などの言葉は使用したことがありません。


 日本ヘイトという言葉は使います。


 朝鮮人こそ日本人ヘイト


 だったら耳にし目にしたこともあったが、反日ヘイトは使ったことがなかった。



裁判費用などのご寄付は→こちらとなります。よろしくお願いします。



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2018年06月28日

人種(民族差別)問題と我が人生 (2)

人種(民族差別)問題と我が人生 (2)

 朝鮮人差別の経験はゼロ、しかし、性差別をしたことがあった。

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 このシリーズは将来自分の自叙伝を書く時に、忘れないで覚えておきたいことを記述していくもので、別に差別排外主義者などと呼ばれても、私自身は一向に気にかけてはいない。しかし、周りに迷惑をかけるので、余り行き過ぎた新聞記事やそれを元に制作したチラシなどには反論して、近く内容証明を出す考えでいる。

 右翼は明治維新を高く評価するが、その精神とは尊王攘夷であった。この攘夷という思想は一体どのようなものかと言えば、次のように一般的に解釈されている。

 「尊皇攘夷(そんのうじょうい)とは、君主を尊び、外敵を斥けようとする思想である。江戸時代末期(幕末)の水戸学や国学に影響を受け、維新期に昂揚した政治スローガンを指している。」

 異民族の外国勢力を打ち払う考えであり。多くの右翼人の共通の理念でもある。よって排外主義者と呼ばれることは少しも恥だと思わないし、自分の思想に準じた人生の誇りでもある。

 ただ時代は変わってきており、今では外国人をむやみに排斥などしていないが、不法滞在者の追放運動においてはそれなりの働きをしてきたと自負している。それを持って排外主義者と批判されるならば、それは甘んじて受けたい。

 ただ、差別排外主義者とのレッテル貼りについては、特に朝鮮人差別などをした覚えが全くないので、承伏しかねる部分があるので、このシリーズを書き始めた。

 私が一番先に人生で会った在日朝鮮人の方は、前回も書いたがそれは強盗殺人という前科を持った人物で、その冤罪事件を取り上げたのが、私のジャーナリストとしての第一歩でした。

 次に会った在日の人間は当時18歳から19歳の可愛い若者でした。この若者は私に心酔して私の事務所に寝止まりして活動し過ごしていた。しかし、あることが判明したので、私はそれを責めてしまい、その結果この若者は私のところから去って行った。

 当時の私にしたら、どうしても自分の事務所にはおいておけない事実が判明した。それはこの若者が在日の若者という事ではなく、又違ったことで私は放逐してしまった。今だったら許せたのかもしれないが、その意味では私は当時は差別主義者であったと思う。

 当時の私はまだ34歳の若者だった。

        我が回想録『静岡市長選挙出馬』
 
8fb3a6dd-s ところで、私も若い頃一度だけ選挙に出馬したことがある。今から21年も前の事です。当時私は32歳の若さだった、当時のポスターの顔写真を見ると本当に若かったとビックリする。
 
 私が挑戦したのは昭和58年の統一地方選挙の年で、静岡市長選挙に立候補した。当時私は『日本憂国会』という右翼団体を主宰していた。黒塗りの大型宣伝カーに乗り、戦闘服に身をつつみ、誰一人知人などいない静岡市に乗り込んでの選挙でした。
 
 告示日の2週間前にアパートを借りて、そこに隊員数名と寝泊りしての活動だったが、選挙期間が非常に長く感じられたのが今でも忘れられない。

 2005年8月20日のブログ

 この選挙の時にこの若者と知り合った。彼は柳井と名乗ったので、私はそれから柳井君と呼んでいた。この頃の私は在日問題に余り関心がなく、この柳井という名字では在日系の人間だとは全く思わなかった。

 濃紺の戦闘服に身を包み、日の丸の刺繍を縫い付けたいでたちで毎朝やってきた。私が演説する大きな黒い街宣カーの下で日章旗を掲げ、日の丸を高く掲げ君が代を歌った。

 私も良い会員を得たと満足だった。この後選挙が終わり東京に戻ると、その二日後には私の事務所にやって来て寝止まりするようになった。当時私は一水会の初代の書記長だったI 君と住んでいた。この柳井君がやって来て、狭いマンションには3人の雑魚寝となった。

 静岡の市長選挙で知り合った国粋会系の右翼団体の会長と偶然会合でお会いした。その時に初めて柳井くんのことを知らされた。「瀬戸さんの所に居候している若い子、あの子は在日だよ。知っていた?」

 本人の口から聞いた事はないので、少しびっくりしたが、同居していたI君とも話したら「こちらの右翼団体にはいますよ、そういう人は気にしなくても良いんじゃないですか」とのことだった。本人も言いづらのかも知れないとおもったので、問うこともせずにそのまま一緒に活動していた。

 私は福島にも帰っていたので、そこにばかり住んでいたわけではない。福島から戻るとI君が私に話があるというのだ。当時の私は会長と呼ばれていた。

 「会長、会長が福島に戻る土曜日に彼は決まって夜外出して、月曜日の朝がた戻ってきます。いつもそうなので不思議に思っていたが、彼が置いていったバックが少し開けて中が見えたので開けてしまいました」

 そして、そのカバンを私の目の前に出した。中身は化粧品や女性のかつら、女性の下着と洋服だった。一体何をしているのか?もう問い詰めない訳には行かなかった。

 本人が戻ってきたので聞いた。本人は貧しいので静岡時代から夜の街で体を売って生活していましたと涙ながらに答えた。男娼という言葉は知ってはいたが、何をどうしているかまでは全く知らなかった。

 女性モノのかつらや下着があるので、今で言うホモセクシャルとは違う。しかし、当時の私は右翼団体にそのような人物がいて、それを知られることを恐れた。致命的であるとさえ思った。同居していたI君も同じ意見だった。

 在日の人間が右翼として仲間にいても、それは全く気にせず問題とも思わなかったが、性と職業の差別する感情があったのは事実だ。彼とは話し合い、互いに涙を流し別れを告げた。

 今思うと、自分を慕ってついてきた若者に、余りにも無情な仕打ちをしてしまった。その自分に今でも忸怩たる思いで反省をすることがあります。

 民族差別の経験は皆無ですが、有為ある若者の将来をいとも簡単に終らせてしまった、その自分の足らなさは何であったのか?本当に申し訳ないことをしてしまった。

 当時私は『世界戦略』という雑誌を発行していたが、その記事の中にフィリピンのモロ解放戦線潜入記というものがある。彼が単身フィリピンに渡り、モロ解放戦線の兵士と一緒に過ごしたルポ記事だ。

 当時の20歳で、そのようなことが出来る若者はいなかった。今の私ならこれくらいで突き放すことはしないだろう。

 
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関西生コンへの本格捜査は7月開始か

連帯ユニオン関西生コン闘争は早6ヶ月目に (7)

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 この午後のガサ入れ前の午前中は関西生コン支部の幹部自宅数カ所に、大阪府警のガサ入れが行われたとの情報が飛び交っていました。本部事務所だけではなく、大幹部や執行委員クラスの自宅にまでガサ入れがあったとすれば、次は身柄拘束つまり逮捕が考えられます。

 よって非常に緊迫感を強めているとの理由で、川崎市で行われた朝鮮人7名の暴徒によって殺害された端山税務官の9回目の慰霊祭への参加を取りやめました。大幹部逮捕ニュースをより早く多くの読者に伝える為です。

 しかし、ここ数日その動きは見られませんので、今回の大規模な捜査は逮捕を前提としたものではなく、証拠固めをする為のものであったと考えられます。その意味では捜査はかなり進んでおり、多くの人が望んできた関西生コンへの本格捜査は7月にずれ込むと見られます。

 よって、私は今週末は福島に戻り、最終段階のりんごの摘果作業と落花生の播種を行い2日にまた大阪に戻ることにしました。

 今回の捜査は大阪府警によるものですが、関西生コン支部が12月12日早朝に行った、大手セメント会社のサービスステーションに対する威力業務妨害事件でした。彼らはこれをゼネストと呼び労働者の権利などと称していますが、単なる妨害行為に過ぎません。

 大手セメント会社が連帯ユニオン関西生コン支部を相手取り「威力業務妨害事件」として告訴しており、それを受理して動き出しているものです。今回は前回に引き継いで2回目のガサ入れとなりました。

 私の予測ではこれはトップまでは行かず、実際に大手セメントメーカーのSSに対して押しかけた実行部隊(近酸運輸)とそれを指揮した執行委員止まりと思っていたが、今回幹部宅にも捜査の手が伸びていることで、この事件で多くの関係者が逮捕される可能性も見えて来ました。

 生コン業界の大ボスこと関西生コン支部の武建一執行委員長にまでは到達しないと読んでいましたが、どうも嬉しい誤算となるかも知れない。秋頃(9月中旬)に『暴力労組・関西生コン支部と武建一』(仮称)の単行本の出版を計画している私は、まだ1割も書き上げていません。

 7月からは急ピッチで取材を進め、8月中旬までには完成させたいと思う。我々が考えているよりも早く司直の動きが早いので、7月に入ったら目が離せなくなります。

 被害届を受理して捜査しているのは大阪地検だけではありません。他の近畿3県でも捜査が進んでおり、どこが次に手を付けるのか?非常に興味があります。いずれにしても関西生コン支部は大きなショック状態にあることは間違いありません。

 しかし、昨日も川口の本部からは嫌がらせ街宣部隊が3台ほど出動しています。動揺している姿を見せたくないのでしょう。流石は50年の歴史を感じさせます。しかし、これまでの彼らの長い歴史の中でも最大の危機を迎えることになるでしょう。

 これまでだったら、マスコミは黙ったままでした。何とかその間に政治工作で切り抜けてこられた。しかし、今はマスメディアが取り上げなくても我々が映像をお届けします。彼らに引導を渡す時が近づいて来ていることだけは間違いありません。

 なお、このシリーズ(7)は今月末を以って(10)で終了となります。

 
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