2006年09月24日

「富田メモ」に新たな見解!

b77ec3ee.jpg

日経「捏造報道」その?

 昨日のコメント欄に「富田メモ」捏造報道の新たな情報が寄せられたので紹介します。

 <1988年2月16日の日本経済新聞夕刊が伝えている記事> 

 神話教育復活を、郵政相ら強調――公式発言、野党の追及必至

 『十六日の閣議後、建国記念の日の式典に関連し奥野国土庁長官、中山郵政相らが神話教育の復活や「君が代」「日の丸」の定着の必要性を強調した。形式上は閣議終了後にせよ公式の場でのものであり、今後の国会審議などで野党側が「問題発言」として追及しそうだ。
 これらの発言は小渕官房長官が閣議終了を告げたあと、さる十一日の「建国記念の日を祝う国民式典」への各閣僚の出席にお礼を述べたのに関連して飛び出した。

 奥野長官は「建国記念の日の式典が様々な形に割れているのは、どこの国でもやっている神話や伝承について教科書で取り上げていないからではないか」と指摘。「戦後、占領軍が神話教育を否定したのはやむを得ないとして、独立後復活させるべきだった。復活しなかったのが問題だ」と強調した。

 中島文相は「地理や歴史の中で教えているが、検討させてもらいたい」と答えた。また、郵政相は「国旗や国歌を否定したのが問題だ。もっと定着させるべきだ」と主張すると同時に、「今後はできるだけ閣僚全員が出席した方がいい」と式典への全閣僚の出席を求めた。
 これに対し式典に欠席した石原運輸相ら四閣僚が「所用があり出席できなかった」などと説明した。ただ、この一連の発言についてはかん口令が敷かれたようで、「官房長官が記者会見でまとめて話す」と申し合わせたものの、小渕長官は会見で内容を明らかにしなかった。』

 天皇陛下の発言とされた部分の上にあったのは、
 「前にあったね どうしたのだろう
 中曽根の靖国参拝もあったか
 藤尾(文相)の発言
 =奥野は藤尾と違うと思うが
 バランス感覚のことと思う
 単純な復古ではないとも」

 この「バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも」。これは、この記事が伝える奥野国土庁長官の発言、神話や伝承について教科書で取り上げることに対する言葉であったとしたら…合う! ぴったり合う! 
 
 1988年4月22日の奥野国土庁長官の発言をどう読んでみても、靖国神社参拝の批判に対する批判、中国への批判であり、「バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも」という言葉は合わない。しかし、1988年2月16日の奥野国土庁長官の発言ならぴったり合う!

 1988年4月22日の奥野国土庁長官の発言は大変な騒ぎになり、これが元で奥野国土庁長官は長官をクビになっている。
そんな大変な騒ぎになっている中、しかもメモの3枚目で「“嫌だ”と云ったのは 奥野国土庁長 の靖国発言中国への言及にひっかけて 云った積りである」と言った後で、それ以前の発言を取り上げて、批評するなどまったく考えられない。

 メモは1988年4月22日より前に書かれたものだ!!!

 間違いなく捏造だ!!!

 この「富田メモ」については疑惑だらけである。これまで多くの方がネットで指摘したように、なぜ先帝陛下(昭和天皇)のお言葉とする部分だけを取り出して報道したのか―である。

 今回のこの発見者もそこに何か、隠されているものがあると疑惑を抱いて調べていたのでしょう。天皇陛下のお言葉の前に書かれているこのメモ書きの意味ついては、幾つかの解説がなされてきたが、今回の解説にはかなり説得力がある。

 この解説をしている方は「城岡辰矢」という人です。この方が「ほそかわ・かずひこ・ブログ」にコメントとして投稿されております。

http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/8b8cf0efe21f086a3cb8522c5e1d2129

 私のブログへの投稿ではありませんが、マスコミにも送っていると書かれているので、無断で申し訳なく思いましたが、紹介することにします。

私は独自で調査した結果、富田メモの3枚目までは日経新聞社がいうように昭和63年4月28日のものであっても、メモの4枚目はこの日より前に記録されたものが3枚目の後に付けられ、前の3枚に続けて書かれたもののように捏造されたものである可能性が極めて高いという確証を得ました。
以下にその証拠を示します。

証拠1:「バランス感覚のことと思う」の一文

メモの4枚目には天皇陛下のお言葉とされた箇所の上に次のような文章があります。

「前にあったね どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったか
藤尾(文相)の発言
=奥野は藤尾と違うと思うが
バランス感覚のことと思う
単純な復古ではないとも」

最後にある「バランス感覚のことと思う/単純な復古ではないとも」とはどのような意味でしょうか。=は富田長官の発言を示すメモの特徴、と8月3日の日本経済新聞が伝えていますので、=以下は富田長官の発言だと思われますが、これはどのような意味か。
奥野国土庁長官は63年4月22日の閣議後の会見で、靖国神社について「戦後四十三年たったのだから、もう占領軍の亡霊に振り回されることはやめたい」「訒小平氏が言っていることを無視することは適当ではないが、日本の性根を失ってはならない。中国とは国柄が違う」と述べ、当時は大変な騒ぎになりました。
 3枚目のメモの末尾にも8月3日の日本経済新聞が伝えているように「嫌だと云ったのは(当時の閣僚の名)の靖国発言中国への言及にひっかけて云った積りである」と記載されており、天皇陛下が戦争の感想を問われたとき嫌な気持を表現した理由は奥野国土庁長官の発言によるとされています。(この発言も天皇陛下の発言ではないと思いますが、それは後で述べます)
もし4枚目のメモが3枚目のメモの続きであるのならば、「バランス感覚のことと思う/単純な復古ではないとも」は、奥野国土庁長官の発言に対してのもののはずです。しかし、「単純な復古ではない」とは靖国神社参拝のことであると言われれば、そうかもしれないと思えますが、「バランス感覚のことと思う」とはどのような意味でしょうか。靖国神社参拝のこと、または中国に対する批判のことが、なぜ「バランス感覚のことと思う」のであるか。
 実は奥野国土庁長官はこの発言の前にも、別の発言を行っています。1988/02/16の日本経済新聞 夕刊や、1988/02/17の朝日新聞や読売新聞は奥野国土庁長官が次のような発言をしたと伝えています。
「建国記念の日の式典が様々な形に割れているのは、どこの国でもやっている神話や伝承について教科書で取り上げていないからではないか。戦後、占領軍が神話教育を否定したのはやむを得ないとして、独立後復活させるべきだった。復活しなかったのが問題だ」(1988/02/16の日本経済新聞 夕刊より抜粋)
 神話や伝承について教科書で取り上げること、これであれば、「バランス感覚のことと思う/単純な復古ではないとも」の意味がわかります。
色々な歴史を教科書に載せて子供達に教えるべきであるが、神話や伝承について教科書で取り上げることは、事実とされる歴史とは別にそのような歴史もあるということを知る必要があるという意味でバランス感覚のことであり、単純な復古ではない。
 確かに当てはまります。どう考えても「バランス感覚のことと思う/単純な復古ではないとも」は、神話や伝承について教科書で取り上げてはどうかとした発言に対してのものであると考えるのが一番しっくりいきます。
 なぜ、3枚目のメモで奥野国土庁長官の63年4月22日の発言のことが書かれ、4枚目のメモでそれより前の発言のことが書かれているのか。しかも当時は、奥野国土庁長官の63年4月22日の発言は大変な物議をかもしている最中です。富田長官がその前の発言のことを引き合いに出して感想を言われるとはとても思えません。
 こう考えると、4枚目のメモは奥野国土庁長官の63年4月22日の発言より前に書かれたものである可能性が極めて高いと言えます。

証拠2:4の字の筆跡

 メモ帳の左側のページの右上にある。4.26 1425−1450 と4枚目のメモの右上にある。4.28 ? を写真を拡大してよく見てください。
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060721082842.jpg
http://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1359.html
4の字の筆跡が明らかに異なっています。4枚目のメモの右上にある4.28 ? の4はかどが鋭く曲がっています。同じ人が4の字を書いても、ゆっくり書く場合はかどが鋭くなり、速く書く場合はかどが丸くなることがありますが、日付と番号を後から書いたとしてもゆっくり書くことがあるでしょうか。普通、日付や番号は後で書いたとしてもメモをとり終わった後にすぐ書くはずであり、ゆっくり書く可能性は低いと思います。その証拠に3枚目のメモの63.4.28の4を拡大してみるとかどが丸くなっています。反転して鮮明にした写真でも裏側から見た写真でもそうなっています。
すなわち、4枚目のメモの4.28 ? は富田長官以外の誰かが後から書入れた可能性が極めて高いと言えます。


証拠3:?の4の字を修正した跡

 4枚目のメモの右上にある。4.28 ? の?を写真を拡大してよく見てください。よく見ると、4以外の数字(3のように見えます)が書かれていたのを強く4の数字を入れることで?に修正しているように見えます。富田長官が書くときに間違えて修正したとも考えられなくありませんが、?、?,?と数字を打ってきて?を間違えることがあるでしょうか。また間違えたとしても、人には見せないメモですから棒線で訂正して新たに書くのが普通ではないでしょうか。
すなわち、4枚目のメモの4.28 ? の?は別の数字が書かれていたものを富田長官以外の誰かが後から4の数字を書入れた可能性が高いと言えます。


証拠4:3枚目のメモの書き方と4枚目のメモの書き方がかなり違う

 8月3日の日本経済新聞が伝えていますように、3枚目のメモは次のように書かれています。
 Pressとの会見
 昨年は
  ? 高松薨去間もないときで心
も重かった
  ? メモで返答したのでごつごつ
  していたと思う
  ? 4.29に吐瀉したが その前で
   やはり体調が充分でなかった
   それで長官に今年はの記者
   印象があったのであろう
    =(2)については記者も申して
    おりました

 記者質問に対して?、?、?と番号が打たれ、文章の内容も読めば意味がわかるようになっています。この後の戦争の感想の箇所も、桜井よしこさんが週刊新潮の8月10日号で書かれているものや、インターネットの多くのサイトに掲示されている画像(3枚目を反転して鮮明にしたもの)にあるよう、番号が打たれ、文章の内容も読めば意味がわかるようになっています。
 しかし、4枚目のメモは冒頭から文章の省略が多く意味がわかりません。戦争の感想から靖国神社参拝に内容が変わっているのに、番号もうたれていません。
 これはとても連続して書かれたものとは思えません。

以上の証拠から、メモの4枚目はこの日より前に記録されたものが3枚目の後に付けられ、前の3枚に続けて書かれたもののように捏造されたものである可能性が極めて高いと言えます。

 では、メモの4枚目はいつ書かれたものでしょうか。私は、徳川侍従長が勇退される昭和63年4月12日あたりではないかと思います。メモの4枚目の発言者は既に週刊新潮がそれとおもわせる記事を書いているように徳川侍従長だと思います。
 理由は発言内容が別で行っている発言内容にぴったり一致していること、「松平の子の今の宮司」とメモに書かれているように、松平永芳宮司を松平の子と呼ぶ事から近親者で年配者であることからです。
 4枚目のメモは横に、「そうですがか多い/余り閣僚も知らず」と注記され、「関連質問  関係者もおり批判になるの意」とメモの下に注記されていることから考えて、実際の記者会見での回答をメモしたものと考えていいと思います。それであれば、文章が省略されて書いた本人しか意味がわからない場所があることも説明がつきます。

 私が推測するに、徳川侍従長は記者会見でこのように言われたのではないかと思います。
「(奥野国土庁長官が首相に靖国神社公式参拝を申し入れたり、神話や伝承について教科書で取り上げてはどうかといった復古主義的な発言をしたことが)前にあったね。(かなり過激な発言をされているようだが、神話や伝承について教科書で取り上げてはどうかとはいったい)どうしたのだろう。(以前)中曽根(首相)の靖国(神社公式)参拝もあった(が1度きりでなくなってしまったのでよほど立腹されているのだろうか。靖国神社公式参拝と言えば)藤尾文相(が首相が公式参拝を取りやめたことに対して大変厳しく批判したり、中国に対してかなり過激な)発言(をされて罷免されたことがあったが、奥野国土庁長官も発言が過ぎると藤尾文相と同じようになる可能性がある。少々発言を控えたほうがいいのではないか)」
これに対し富田長官が

「奥野(国土庁長官)は藤尾(文相)と違うと思(います)が、(神話や伝承について教科書で取り上げてはどうかとは、歴史をあらゆる面から教えなければいけないということで)バランス感覚のことと思(われます。奥野国土庁長官は)単純な復古(主義的な意味)ではないとも(言われています)」
と言い、そして記者が
 「徳川侍従長は靖国神社の参拝を行っていませんが、その理由は何でしょうか」
と訊き、徳川侍従長が、天皇陛下の言葉としてマスコミが報道した箇所の内容を述べられたのだと思います。

 そしてメモの3枚目は確かに昭和63年4月28日に書かれたものだと思いますが、日経新聞が伝えているように天皇陛下が記者会見の感想を述べられたことを富田長官がメモするなどということは、非常に考えにくいことですので、これは4月25日に行われた天皇陛下の記者会見の際、天皇陛下の体調が悪く十分な回答をいただけなかったので、富田長官とどなたかが4月29日に新聞に載せる天皇陛下の会見内容について打ち合わせを行ったときの記録のメモではないかと思います。天皇陛下の会見での記者質問は多くありましたから3枚目のメモの後にもメモはあったと思いますが、捏造した者はこの後のメモを取り除き、都合のよいことが書かれているメモを4枚目として加えたのだと思います。
 以上、非常に話は長くなりましたが、私の見解を述べさせていただきました。もし私の見解が的を得ていると判断されましたら、あなたのブログで取り上げていただき、世間に向けて発信していただきたくお願いします。

  城岡辰矢
 
 取り急ぎご紹介しておきます。

ブログ・ランキング参加中!  応援よろしくお願いします!

  

Posted by the_radical_right at 17:07mixiチェック

2006年09月08日

「富田メモ」渡部昇一先生が「国会での調査」を提案!

7a75c2a9.jpeg

日経「捏造報道」その

「富田メモ」が新聞協会賞を受賞

渡部昇一教授が「国会での調査」を提案

 一昨日(6日)の日経新聞に、「富田メモ」報道が日本新聞協会の本年度の協会賞を受賞したことが報じられてあった。このことについてはジャーナリストの大谷昭宏氏が当初から大スクープと誉めそやしてきた。

 社会民主党の機関紙『社会民主』9月号でも大谷氏は「まず協会賞は間違いない。それほどの大スクープだ」と書いていた。この「富田メモ」報道ほど謎に包まれたものはない。

 インターネット上では早くから、この「富田メモ」報道に対して疑惑の目が向けられてきた。最近においては月刊雑誌でも取り上げられるようになり、6日の産経新聞の「正論」の中で、上智大学教授・渡部昇一先生が「富田メモの真相を国会も調査せよ」とその真贋をはっきりさせようと呼びかけておられる。

 渡部先生は次のように述べられている。
「先ず、その手帳はどこから、誰の手に渡り、誰によって、まさにあのページが報道されたのか。手帳に貼られた糊はいつ頃、どの会社製のものであるのか、貼られた紙のインクは、そのページの手帳のインクと同じであるのか」

 これは明らかにあの部分のページだけが偽造され貼られたという私の主張と同じである。これはこれまでの「富田メモ」報道においては、最も踏み込んだ内容となっている。

 先生はこの「正論」の最後を次のような文章で締めています。
「富田メモを鑑定した人達の名前に権威を置くことなく、国会が少なくとも外的証拠だけでも調査に乗り出すことを切望する次第である」

 全く同感であります。国会議員の中にだって少なくとも疑問を持つ人は何人かいるのではないか。取り敢えずはそのような人たちが中心となって早急に『富田メモ調査特別チーム』を旗揚げして欲しい。

 私の質問にも個別箇所においては、何一つ答えていない。これは答えようにも答えられない―と言うべきだろう。一つの答えが次々にボロを出す事を恐れるあまり、抽象的な回答しか示せなかったと思う。

 この問題は今後も引き続き追及していくつもりでおります。必ずや彼らの陰謀を白日の下に晒し、その恐るべき謀略を暴くまで闘い続けます。

 閲覧者の皆さんへのお知らせ

 さて、ここで熱心にアクセスして、応援クリックを押して下さる皆様方に最近の状況をお知らせしたいと思います。

 これまでの過去最高の応援を頂いたのは今年8月17日の8933でした。この時は加藤紘一氏の生家への放火事件があり、それを是認したとして、猛抗議を受けた日でもありました。

 批難を覚悟の上でのエントリーでしたが、やはり凄まじい批判を受けました。同時にそれを上回る支援があったことも事実でした。これは普段応援していない人が、この時に限って応援してくれたという興味深いデータがでました。

 この理由については、いつも考えています。おそらくは「極右などいらない」という批判が相次ぐ中で、発言の中身というよりは、「極右」の存在を消してはいけないと考えた人達の暖かい声援であったと感謝しています。

 その後、残念ながら低迷状態が続きランクも落ちましたが、秋篠宮妃紀子殿下の御快挙に際しましては久しぶりに7992の応援クリックを頂きました。

 ところで、これを過去の応援クリック数が多かった時点と比較して見るとあることが分かりました。

 7月5日  6279(2880) 北鮮ミサイル発射

 8月17日  8933(4073) 靖国参拝問題→加藤邸放火事件

 9月6日  7992(4181) 親王ご誕生

 この( )の中の数字は、直接『極右評論』を打ち込んで見られて、尚且つ応援している方達です。お気に入りに登録している方達でもあります。

 着実に増加していることが分かります。例えば極右評論が初めてベストテン入りをした頃の昨年末のデータによれば、次のようになっていました。

 詳細なデータは消えてしまっているので、当時保存していたブログランキング昨年12月28日10時半のデータです。順位は8位、週間INは4580でした。

 これを現在の数字と比較して見て下さい。何と週間INは10倍近くにまでなっている事が分かります。インターネットによる思想啓蒙運動は着実に皆様方のご支援を賜りながら、驚異的な伸びを示しています。

 やがて我々が大手新聞社の横暴を糺す強力な手段を持つ日はそう遠くないと確信している次第です。皆さん共に頑張りましょう。

ネットと政治運動関連エントリー
 http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/30636348.html
 http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/30706059.html

明確なる世界観と政治理念 「世界戦略研究所」

ブログランキング参加  応援よろしくお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 09:01mixiチェック

2006年09月01日

日経からの回答文書

日経「捏造報道」その

日本経済新聞社からの回答文書

 ようやく日本経済新聞社から私、『極右評論』ブログ主宰・瀬戸弘幸殿として、8月30日付で質問に対する回答書が来ました。内容については極めて短い文章で、具体的に回答したものではなく、日本経済新聞社側の見解に過ぎません。

 しかし、今回の質問書に日本経済新聞社が文書において、回答を寄せたことは、インターネットにおける報道や主張に対して、既存のメディアが無視することが出来なくなった現実を示しています。

 私は質問書の中で、この質問は私一人の質問ではない、として多くのネットを利用する方々の声をお伝えするとしました。なお、質問は10項目に整理して送付しております。

日経への質問状

 
これに対する日本経済新聞社の回答は極めて短い文章である。それをこれから紹介しましょう。

 
拝啓 時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
 
当社は、貴殿の平成18年8月2日付の「質問状」につき、以下のとおり回答します。 

1 当社は、「富田メモ」につき、歴史家の意見などを聴したうえで十分な検証を加えており、その信憑性に関しては揺るぎない確信を持っております。

2 当社は本年5月に「富田メモ」を入手し、上記の検証作業を行なった上で、現代史を探る資料の発掘を主眼としてすみやかに報道したものであり、もとより政治的意図などはありません。

 

具体的な質問箇所に対する回答は一切避けており、ただ「回答書」を出したという、それだけの意味しかないものだ。しかし、具体的に期日だけは「本年5月に富田メモを入手した」と記述されている。

 

実は日経新聞社は質問に対する文書での回答はしない方針だ―という話が漏れ伝わってきたのは、先月の20日過ぎの頃でした。こちらは「日経捏造報道」としてキャンペーンを張っており、それは十分考えられることでした。

 

そこで一計を案じたのです。それが次の二つ目の文書です。

 

日本経済新聞社

代表取締役  杉田亮毅殿

私は平成1882日付で、貴殿に対して、質問状を送付した者です。期限を設けていなかったために、未だにご検討中なのか、或いはお忘れかも知れませんので、本日ここにまた回答を頂きたく、催促の文書を送らせて頂きました。

前回の質問に加えるべきものは、ありません。ただ入手時期について、明確にお答え下さい。

と申しますのも、貴紙の720日付の新聞やその後の紙面を見ても、この日記とメモがいつ頃貴社が入手したか、明らかにされていないように思われたからです。

もし、既に紙面で明らかにしておられるならば、それは私の見落としですので、申し訳ございませんが、その紙面の期日をお知らせ願いたいと思います。

 

平成18825

  東京都千代田区外神田2−13−3竹屋ビル2F

                   瀬戸弘幸 

 

実はこの「富田メモ」を入手した期日を朝日新聞社の「アエラ」は昨年末と一旦は報じておきながら、その後これを訂正し、今年5月であるとの記事を載せていた。

 

また、日経新聞も「アエラ」への記事の訂正を求める主張を掲載したようだとのお話を聞いていました。そこで、「私は見落としているかも知れないので、お知らせ下さい」と書いたわけです。

 

日本経済新聞社もそれには素早く反応して、次のように付け加えてきました。

 
なお、貴殿指摘の「アエラ」報道につきましては、当社より同誌に訂正を申し入れましたが、8月7日号の同誌にて「富田氏の妻が日経新聞の記者にメモを渡した時期について『昨年』とあるのは、『今年5月』の誤りでした」との訂正記事が掲載されていることを付記します。

 

予測した通りの素早い対応ではあったが、肝心の「アエラ」で指摘した最大の疑惑である次の点には沈黙したままだ。

 

「昨年秋ごろ、日経新聞の記者が久しぶりに自宅にやってきた。懐かしさも手伝って、一周忌のCD‐ROMを見せ、日記の現物と自分も読んだことのない『輪ゴムのメモ』を手渡したという」

「今回の昭和天皇の発言はこの中にあった」      以上

メモは日記に張り付いていたとして公表されたが、「アエラ」の記事はそのようには書いていない。そして、この件に関しては日経新聞社は抗議も訂正も求めていない。そこで次のように質問しました。

 この文章によれば、メモは張り付けてあったのではなく、「輪ゴムでまとめてあった」と連想させる記述となっておりますが、貴社の記者が故富田氏の遺族からお預りした時はどのような状態であったのでしょうか?

しかし、この点については何も答えていない。

 

―とするなら、結論は一つしかない。輪ゴムで止めてあったメモを、日経が勝手に日記に張り付けたのである。これが捏造でないとしたら、どのように申し開きするのであろうか。

ブログランキング参加    応援よろしくお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 09:20mixiチェック

2006年08月31日

日経疑惑報道に中国共産党の影

dc7c3549.jpeg

日経「捏造報道」その

中国共産党指導部との連携プレー

世論操作に一役、恐るべき謀略機関へ

 日本経済新聞社の「富田メモ」捏造報道を考察すると、どうしても共産支那指導部との共同戦線を疑わざるを得ない。中国共産党指導部を利する目的で、この捏造報道を行なったと思われる。今日はそれを検証してみたい。

 何と言っても最大の疑惑は杉田日経新聞社社長が4月13日に訪中し、中国の唐家旋国務委員と釣魚台国賓館で会談していたのに、日経がそれを一切報じていなかった事実である。

 この国務委員という立場が、どのような立場かといえば、国家主席、首相の次にくるほどであると云われる。なぜ、それ程の人物と会っていながら、それを伏せておかねばならなかったのか。

 これは若手民族派学生団体の「皇国史観研究会」の諸君等が中国大使館のHPから見つけた。それは現在も掲載してあり見ることが出来る。

唐家セン国務委員、杉田日本経済新聞社長と会見
2006/04/14

 

 唐家セン(王+旋)国務委員は13日、北京の釣魚台国賓館で日本経済新聞社の杉田亮毅社長と会見した。

 唐国務委員は次のように指摘した。中日関係は国交正常化以来、これまでにない困難に直面しているが、中国政府と人民は中日関係を重視しており、中日友好の基本方針は終始変わっていない。胡錦涛主席は先の日中友好7団体の責任者との会見の際、中国政府の対日政策を全面的に説明し、中日関係の改善に努める中国側の積極的姿勢と心からの願いを十分示した。われわれは「日本経済新聞」はじめ日本のメディアが現在の中日関係と中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導き、中日関係の改善と発展のために積極的かつ建設的役割を果たすよう期待している。

 杉田社長は、日中関係は現在、重要な時期にあり、日本経済新聞は両国民の理解増進、日中関係の改善のため積極的に努力したいと表明した。
(北京4月13日発新華社)

 なぜ、この事実を中国側は堂々と掲載していたのに、日本経済新聞社は全く明らかにしてこなかったのか。

 この会談の事実はこれが明るみになった後、産経新聞社の取材に対して、日本経済新聞社は「公式なものでなく、それほど(報道する)重要な価値あるものと判断していない」からと、この会談を公表してこなかったと理由について返答している。

 中国側にとっては新華社で伝え、現在においてもHP上に掲載しているのに、日経新聞社はまるで反対のことを言っている。この違いこそ今回の「富田メモ」捏造報道の核心とも言えるものではないだろうか。

 中国共産党指導部はこれまで日本の総理による靖国参拝を批判してきた。しかし、そのトーンは昨年春頃はそれほど高いとは感じられなかった。むしろ抑え気味に発言していたと感じられた。

 しかし、そのような姿勢が対日弱腰と受け止められ、昨年春には大規模な反日デモが発生。このデモがまかり間違えば自分達、権力側に飛び火する危険性を彼ら共産党指導部は感じ取っていたはずだ。

 だからこそ、共産党指導部は今年3月5日から北京で始まった中国の第十期全国人民代表大会(日本でいう国会)の最終日に、ナンバー2の温家宝首相が「靖国問題の解決なくして日中関係の改善は極めて困難」であり「靖国問題が両国の関係改善の障害」と言明していた。

 「胡・温体制」が発足して3年目になるが、都市部と農村部における貧富の差の拡大、市場経済発展による自由への渇望など、国内においては益々矛盾が拡大している。

 地方でも暴動が多発しており、その引き締めのために警察・軍隊による取り締まり強化は当然ながら、靖国問題を取り上げて不満を日本に向けさせる必要性も強く意識していたはずだ。

 4月に入って日中友好7団体の訪中が行なわれ、民間の使節団に胡主席自らが歓迎会に出席。
 「次の首相も靖国に参拝したら首脳会談には応じない」と言い放った。故橋本龍太郎氏などはかしこまった態度でこの胡主席の話を聞いていたのである。

 カタールのドーハで5月24日、約一年ぶりに日中の外相会談が行なわれた。この会談で李外相は「A級戦犯が祀られている靖国神社に参拝することは、戦争被害国の人民の気持ちを傷つける」と述べ、小泉首相の靖国参拝の中止を改めて要求した。

 実はこの3月から5月にかけて、中国側から日本の親中国派議員や新聞社に働きかけがなされていた。それは「靖国問題とはA級戦犯問題であり、この問題に何らかのケジメをつければ、中国は譲歩する」という内容であったという。

 つまり、A級戦犯分祀論である。中国側は自分達の靖国問題に対する姿勢が、日本国民から「内政干渉」に取られ、中国に対する不信感が高まっていることを内心では恐れていた。

 そこで閣僚級の対話を拒否していた強硬姿勢を取り下げたり、靖国参拝を自粛すれば、関係改善は可能だとのシグナルを出していた。しかし、小泉首相の「不屈の精神」はそう簡単には変わらない。

 さて、このような一連の流れの中で、中国共産党最高指導部の一員である唐家セン国務委員と日経杉田社長の会談が行なわれていた。唐家セン氏の「中日関係の改善と発展のために積極的かつ建設的役割を果たすよう期待している」との言葉に対して、日経・杉田社長は次のように答えている。

杉田社長は「日中関係は現在、重要な時期にあり、日本経済新聞は両国民の理解増進、日中関係の改善のため積極的に努力したい」と表明した。

 昨日、皇国史観研究会さまからのコメントには次のようにあった。

 今年四月の唐家旋との隠密会談のあと、日経は四月十六日の社説で日中関係を題材に「首相がA級戦犯を合祀した靖国神社に参拝すべきでないことは繰り返すまでもない」と書いています。

 そして7月20日の問題の日経新聞社の記事になる。

A級戦犯靖国合祀  昭和天皇が不快感

参拝中止「それが私の心だ」 富田氏発言をメモ

 もう、皆さんにも分かっていただけたと思います。見事なまでの中国共産党と日経新聞社の連携・世論操作ではありませんか。

  この日経報道に対して中国共産党は、どのように応えたのでしょうか?さすがに共産党の要人の発言は聞こえてきませんが、中国共産党機関紙『人民日報』は7月23日に次のように伝えました。

 『深刻に反省するのは、この時をおいてない』

 反省を求められているのは、靖国神社でも政府でもない。

 反省するのは日本国民なのだという、『日本は天皇の真意を深刻に受け止めよ』と書いてある。

 これって、唖然としませんか。共産主義者から「おまえら日本人は天皇陛下の『御心』に従え」と説教されているのです。

 この記事の中には、トンデモナイ記述もあるようです。

 「靖国神社はアヘンだ」という論法なのですが、これは日本は兵士に死後の魂は靖国神社で神になると言っているが、これはアヘンだというのです。その理由は兵士は生きて帰りたかったのに、騙されて死んだとでも言いたいのでしょう。

 皇軍兵士も共産主義者にかかっては、仕事をする気力も薄れ、やがて廃人となるアヘン患者と一緒にされてしまうのですから、本当にビックリです。しかし、なぜアヘンと靖国が結び付くのかが分からない。

  (以上の「靖国とアヘン」については、サンデー毎日のインサイド中国・上村幸治氏の記事を引用させて頂きました。先生ほどの中国通でも分からないのだから、とても私などには意味不明なのだろう。)

 日経新聞社はもう共産支那の日本工作基地の役割を担っているのです。質問にも答えられない…もう報道機関としての義務さえも果たせない。もはやマスメディアの資格もない謀略機関に過ぎないのです。

ブログ・ランキング 応援クリック宜しくお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 08:57mixiチェック

2006年08月30日

日経・杉田社長訪中の謎?

c368e0de.jpeg

日経「捏造報道」その

杉田社長の訪中はなぜ秘密だったのか?

その訪中翌日に異例の日本メディア批判!

 昨日も取り上げた朝日新聞社の電波男こと若宮啓文論説主幹の記事『風考計』に掲載された「テロとの戦いはどうした」から、また見ていくことにしましょう。

 卑劣な脅迫は今も絶えない。昨年1月『新日中友好21世紀委員会』の座長・小林陽太郎氏(富士ゼロックス会長)の自宅玄関脇に火のついた火炎瓶が2本置かれていた。首相の靖国参拝について「個人的にはやめていただきたい」と語ったあとだ。

 この7月には日本経済新聞社の玄関に火炎瓶が投げ込まれた。昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示したという元宮内庁長官のメモを、同紙が報じた直後である。

 こうして靖国参拝について、異議を唱え難い空気ができていく。それがテロの狙いなのだ。
(若宮啓文論説主幹の記事『風考計』)

 この記事の事実関係については間違いない。そのような事件が起きた。しかし、そのことによって「異議を唱え難い空気ができていく」と書くが、冗談でしょうと言いたい。

 何を大袈裟に―と皆さんも思われたのではないか。日経新聞社の報道によって、逆に靖国参拝し難い空気がつくり出されたのではなかったか。マスコミは盛んに「昭和天皇の『御言葉』が明らかにされた以上、小泉首相は靖国に参拝すべきではない」と牽制した。

 右翼の火炎瓶を批判する前に、なぜそのような行動が起きたのか―、その背景こそ正確に伝えるべきではないか。原因には目をつぶり結果だけを批判しても、それで解決されることは何もないだろう。

 今日は右翼の反発を生んだ、その背景について考えていくことにしたい。特に後者の日経新聞社の問題を取り上げてみることにしましょう。

 共産支那は国内においては、共産党の独裁支配体制に対する批判を一切認めていない。もし、批判するようなマスメディアがあれば直ちに廃刊に追い込まれ、反政府的記者は逮捕・投獄される。

 まず、このような共産主義と言論の自由について、不思議な事に日本の新聞社は批判を加えない。批判を加えないどころか、その反対に共産党の新華社で逆に批判され沈黙している。

 今年月11日、中国外務省の孔泉(コン・チュワン)報道局長の、「日本の一部メディアは中日関係の報道で、遺憾な方法をとることがある」との日本のマスコミ批判を掲載した。(新華社報道)

 私などは、この中国(支那)が言う一部メディアとは、産経新聞社を指すのではないかと思っていました。しかし、この一部メディアというのが、仮に産経新聞社でなかったとしたら、どうでしょうか。これまでの考えは一変するかも知れません。

 これは一回だけでなく、その後も続いた。中でも4月14日の批判は大々的であった。これ以降はこれ程大きな扱いは私は目にしていない。

 【北京14日共同】14日付の中国有力紙、光明日報は「でっち上げや不誠実な報道によって、中日関係の健全な発展を阻害している」として、日本メディアを批判した特集記事を国際面の1ページすべてを使って掲載した。
 中国政府は最近「日本のマスコミは中国のマイナス面ばかり書いている」(崔天凱外務次官補)などと、改善しない日中関係へのいら立ちの矛先を日本メディアに向けており、特集記事はこうした当局の意向を反映した内容だ。
 記事は、2002年5月、遼寧省瀋陽の日本総領事館に亡命を求めて駆け込んだ北朝鮮住民を中国の武装警官が連行した事件で、日本メディアが繰り返しビデオを放映したことを「日本人の対中感情を著しく悪化させた」と批判。
 一方、04年4月に在大阪中国総領事館に街宣車が突っ込んだ事件を小さくしか報じなかった中国メディアを「中日友好の大局」に立ったと自賛した。
(共同通信) - 2006年4月14日18時22分更新

 この記事はやはり異例ですね。4年前、2年前にまで遡って、1ページの特集。デッチ上げと不誠実という言葉には怒りさえ込められています。

 さて、ここでまた若手民族派学生団体の「皇国史観研究会」がすっぱ抜いた驚愕の事実と照らし合わせて見なければならない。

 日本経済新聞社の杉田亮毅社長が今年4月13日に訪中して、中国の唐家旋国務委員と釣魚台国賓館で会談して、日経がそれを一切報じていなかった事実を突き止めて書いたことである。

 日経新聞社・杉田社長の訪中は4月13日。その翌日の4月14日に中国共産党は異例の大きさで日本メディア批判を掲載した。

 日経社長は中国で厳しい叱責・批判を受けた。このままでは中国本土における取材活動に差し支えるような事態を招きかねない。それで帰国して杉田社長は、かねてより入手していた「富田メモ」に手を加え、捏造してこれを報道した。 (これは私の推測ですが)

 われわれは『日本経済新聞』はじめ日本のメディアが現在の中日関係と中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導き、中日関係の改善と発展のために積極的かつ建設的役割を果たすよう期待している」(中国共産党の言葉)

 この言葉は共産支那政府の公式ページに書かれていたもので、杉田社長に対してのものであった。この意味するところは非常に興味深い。

 当時、共産支那政府と日経新聞社の間で何らかの問題が起きていた可能性もある。

 それを詫びるための社長訪問であったなら、それを記事にして明らかにすることなど一切できなかったはずだ。

ブログ・ランキング 応援クリック宜しくお願いします!

  
Posted by the_radical_right at 08:18mixiチェック