2006年11月

2006年11月30日

落陽

もう冬になるのに一年を振り返ると夏のことばっかり思い出す。そういうときにはいつも最近ではあの曲ばっかりがきいているような気がする。吉田拓郎の「落陽」
この曲は僕が北海道の礼文島のユースホステル「桃岩荘」でみんなで歌った曲だ。
このユースホステルはとてもユニークでミーティングといってみんなで歌ったり踊ったりする。かなり癖のあるところで好き嫌いが分かれるところだけど、僕は一回行って感動した。ただもう一回行きたいとは思わなかったけれど(笑)凄くいいところだとは思う。なんだかこんなこと今の時代には無いだろうなって言うものがあった。
人の温かさまで言うといいすぎだけど見知らぬ人と一緒に歌い踊っているときは昔の忘れかけていた人の良さみたいなものに似ているような気がした。
ただ疲れがたまっていたので休むために泊まった自分の思惑が外れて朝うるさいし、休めなくて目的としては失敗だったけど・・・。
ともかくこういうところがまだあるんだなんて思った。あれを題材にしたドラマか映画かなんかを作ってもっとみんなに知って欲しいと思う。それくらいのものがあるんじゃないかなって思う。
人の温かさって難しい。それは大事なことだけれど面倒くさい。今の時代の速い流れではもっと他のことに目が行っていてたまにそれが足を引っ張る存在になるところにもなって、色々と後々困るんだなあって感じた。

自分はまだそういう時代よりも遅れて生きているから困る。

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2006年11月26日

あの頃の僕は今の自分になんて言っていたんだろう

僕は年が明けたら成人式です。二十歳という大人の境界線をまたいでしまった僕は、どれだけ成長したんでしょうか?
小学校5、6年位のときにタイムカプセルに手紙を入れた。そん時小学校の隣の保育園の土地の一角に埋めて、それは成人式のときにクラスのみんなが集まって開けることになっていた。でもなんかの工事でセメントで固められたために1回掘り出されてある友達の家の倉庫の中で成人式まで置いてあることになっていて、成人式にその家に行ってみんなで開けることになっている。正直僕はみんなは覚えているんだろうか?と思ってしまう。ただ僕は覚えている。
10年前の自分が今の自分になにを言ったんだろう?恐いもの見たさな所はあるけれど、きっとそのメッセージは今見たらずっと稚拙だけど、純粋な気持ちなんだろうなって思う。
当時の僕が東京で大学に来て、物理科なんかに入って今ちゃりんこサークル入っているなんて思いもしなかっただろうなぁ。

大人ってみんなそうだと思うけど、もっとかっこよくて凄いもんだと思ってた。なんだかんだで大人になってしまったけど憧れていた大人像には成れなくてずっと子供のときのままなきがしてしまう。
結婚して子供が出来たらもう少しだけわかるんじゃないかなって思う。

the_wings_of_god at 21:57|PermalinkComments(0)

2006年11月25日

ギャップ

最近強く意識していることは自分と相手の中にあるギャップを出来るだけ埋めること。今までの僕の悪い癖、自分は分かっていることを相手に説明するときにあるギャップに僕は気づいていないことがある。相手が理解してくれないときに何でこんなこともわかんないだろうと思ってしまう。僕は最近そんなことを考えている。
でも実際にそれは普段なら意識してできることだけれど無意識になると出来なくなる。長年で培ってきたものはなかなかすぐには治らないもんだ。

そういうことは僕の中でよくある。冷静になれば出来ることが、無意識になると僕は人並みのことも出来ないことがあって、ずっとそれを隠して生きてきたような気がする。今実際目の前で直面してみて、それを正すことってとても大変だなあって思う。

今までの歴史の中でいろんな新しいものを作り上げてきていてそれはいつも挫折の繰り返しであきらめかけたこともあったって最近良くテレビで見るような気がする。不可能を可能にするって言うのは自分の悪い部分を直すのに比べればたいそうなことだけど、同じくらい重要なことじゃないかなって思う。


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2006年11月23日

僕が「大人」になる前に

三年生は就活も始まって、年末には高校サッカーの季節ですね。
二十歳になるにあたって僕はいろんなことを考えています。そう、夏くらいからかな。まず一番大事なことは自分がどんな人間なのかを知らなきゃならないことです。
そのために自分はいろんなことに挑戦しなきゃならないし(実際してるのかもわからないけど)常にアンテナ張ってたいです。

話は変わって高校サッカーがそろそろ始まります。組み合わせも決まって(愛知代表はまだだけど)年末はテレビにかじりっぱなしなんだろうなあ。
今高校サッカーに大きな変革期きています。去年の高校サッカー選手権大会の優勝は滋賀代表の野洲高校という高校。そして今年のインターハイ優勝は広島代表の広島観音高校。この高校はきっと今までの高校サッカーの「普通」を打ち崩すようなことをして、強い印象を与えています。

広島観音→http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/column/200501/at00003496.html
野洲高校→
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/84th/column/200602/at00007823.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/84th/column/200602/at00007957.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/84th/column/200602/at00008003.html

この指導者たちは明確な意図を持ってしかも、他の指導者の枠から外れているようなことをしています。でもそれは結果が出なかったら外からバッシングされるようなことかもしれません。でも対話をみているとなるほどと思うところがある。
今までずっと国見に代表されるようなフィジカル重視の「つまらない」とよく酷評されているサッカーから大きく変わろうとしている気がします。
この高校サッカーの状況は日本の社会の縮図のような気がします。
社会に求められているものもきっと「それ」なんだと思います。

the_wings_of_god at 23:29|PermalinkComments(0)

2006年11月22日

青空の行方

僕は二十歳になってからいろんなことが既に起こっている気がします。僕の中ではごちゃごちゃになっているようです。時間に身を任せてなるようになってほしいと思うくらいに。
こんなときにみんなはどうしているんでしょう?僕は東京に来てこんなことばっかりです。いやむしろ東京に来たが故なのかもしれません。最近僕が本当に勉強が出来なくて、高校卒業してずっとそのまま死ぬまで静岡にいたら困ることなんて今よりも少なかったはずだなんて思ってしまう。
きっとその悩んだ分だけ僕は成長できているのかもしれないけど、それは簡単なことじゃない。大学にいけるくらいに中途半端に勉強が出来ても困る、困難を乗り越えるだけの頭が無かったから余計に。結局なるようになるんだろうけど。

青空の行方は雲にもわかんない。そんな感じ。

the_wings_of_god at 00:41|PermalinkComments(0)

2006年11月19日

たっしー

僕は今サークルでは幹事学年になっていて後輩というものがいます。でも正直僕は自分のことが「先輩」と呼ばれることはそんなにうれしくはうれしくはありません。それはきっと中学に出会った「たっしー」という人のせいかも知れません。
「たっしー」は僕の一つ上の野球部の先輩でキャプテンをしていた人でした。
ぼくにとって憧れの存在で、いつもは笑顔でニコニコしていて周りの同じ代の先輩には良くいじられていて後輩にはとても優しい人ですが、言うときにはびしっとはっきりと言う人でした。凄く人望が厚くてやっぱり誰が見てもその代のキャプテンにふさわしい人なんだなって思うような人でした。

たっしーも最初後輩には「田代先輩」と呼ばれていたんだけど、ある日「自分のことはたっしーでいいよ」と言ってきました。それは先輩と呼ばれるのが恥ずかしくて、もっとフレンドリーに接してほしいからだといっていました。
それまで僕は一個上の先輩で先輩だからという理由偉そうにしてくる先輩を見てきて、その人たちはたっしーのようにレギュラーでもなくてたいしてうまくも無いのにまるで後輩をこき使うかのように(実際そんなに言葉から感じるほど酷くはなかったけど)していて、自分は「一年早く生まれただけで何偉そうにしているんだ」と心の中で思っていました。

だからたっしーのような人は本当に尊敬できるし、尊敬できるからこそ「先輩」とかいう上辺だけの言葉で敬うようなことじゃないんだなって思うようになりました。
だから僕にも後輩ができたときにも、先輩って言わないでと言うようになりました。
まあそれは自分自身も後輩に対して偉そうにしたいんじゃなくて、もっと仲良くなりたいという思いがあったからなんだけど。
「一年早く生まれただけで何偉そうにしているんだ」ということがを輩のときに強く思っていたからだと思います。

the_wings_of_god at 13:03|PermalinkComments(0)

2006年11月18日

何事も無かったかのように

映画を見て感動して涙を流す人はいるかもしれない。でも美しい景色を見て感動しても涙を流す人はいない。でも僕は映画で感動しないけれど素晴らしい景色を見て感動する人のようだ。意外と自分は無感動なんだなんて思うところだったけどそれは感覚の違いなのかもしれないと思えるようになった。
中学の頃は思春期というやつで自分というものについて色々考えるようになって、例えば自分がちょっと常識というやつから離れた感覚だったときに、それを直そうとしていたきがする。今でもそれはそのままだけど、東京に来ていろんな人種がいて、自分の考えもそれはそれで一つなんだと受け入れられるようになった。常識というものにとらわれすぎていたなあと思うようになった。
最近いろんなことが嵐のように起こりそして去って行く中でまた一つ今日嵐が(?)去って行って、また新しい何かがすぐに来る。忙しいときはそんなこといちいち考えてられなかったし、考える余地も無いようにあえて忙しくしたのに、いろんなことについて考えさせられる最近。

「考えれば考えるほどわからなくなる」
でも考えてわかんなくなっても考え抜いて結局考えれば考えるほどわからなくなるということに気づいて、実は凄く単純なことなんだって気づくんだと思う。
だからそれって無駄じゃないんですね。
よく何をいいたいのかが分かりません。それは今考えすぎてわからなくなっているからかもしれません。でもそれは簡単な答えにたどり着くまでの話。


the_wings_of_god at 21:36|PermalinkComments(0)

2006年11月16日

なんかの壁

先輩たちは就活に動き始めていて自分たちにもいずれやってくるものだと考えると少しだけ不安にもなる。
今まで人生の節々で不安というものは尽きない。でもだからといってそれが苦痛だとか、楽しくなかったというわけではなくて、それはそれで楽しかったし、今となってはいい思い出でもある。つまりこれは誰かの言葉を借りれば「人生を彩るスパイスのようなもの」なのかもしれない。
不安とか悩みとかって良くないイメージを持たせる言葉だけど、実際そうでもないと思う。悩めば悩むほど今まで見えてこなかったものが見えたりするし、それを乗り超えたときにはきっとやっぱ悩んでよかったななんて思えるもんだと思う。

僕は常々思っているけど、大学受験とかはやってよかったなって思う。それは結果として自分の中では失敗してなかったからかもしれないけど、なんかの壁を乗り越えようとがんばるということは必要だし、正直そういう苦労をしないということはそういう意味でかわいそうだなあと思う。また就活でそういう経験をするのかもしれないけれど、就活をすると自分とはなんぞやみたいなことが分かってくるらしい。自己分析というやつですか。それでまた人間として成長できるらしいので、苦しくとも楽なほうには行かないほうが後々いいのかもしれないとも思う。

the_wings_of_god at 11:38|PermalinkComments(0)

2006年11月10日

馬鹿息子

僕はついさっき二十歳になった。
二十歳の誕生日を迎えるに当たって僕は初めてでとてつもなく恥ずかしいことをしようと思った。

それは親に手紙を書くこと。

普通、誕生日は誕生日を迎えた人が祝われて何かプレゼントもらったりするものだけど、自分が去年の誕生日について書いたことのように誕生日は感謝の日であるということをずっと思っていた。
今までずっと誕生日にも父の日母の日、結婚記念日にも何もプレゼントをしなかった僕は生まれて初めて親にプレゼントを贈った。
それが何で自分の誕生日なのかというと、自分の中では決められた父(母)の日とかよりも自分にだけ特別な日のほうがいいんじゃないかって思ったから。
二十歳になったし、無事大人になるまでの今までの感謝の気持ちというのも一人暮らしをしてから実感するようになったから。
普段じゃあ絶対そんなこと言えないし、でもやっぱり気持ちを伝えるということは大事なことだから恥ずかしさを抑えて今回自分なりに頑張ってみた。

裏を返せば、恥ずかしければ恥ずかしいほど、きっとそれは自分がその手紙の言葉に気持ちがこめられているということなんだと思う。それだけ自分は親に感謝の気持ちがあるんだなぁと、手紙を書きながら実感した。

まだまだ親に心配かけっぱなしの馬鹿息子の少しだけの親孝行でした。



the_wings_of_god at 01:35|PermalinkComments(0)

2006年11月09日

今まで建前ではブランドなんていらないなんて意地張ってたけど、実際にそういうもので自分の周りを取り繕うとしも、やっぱり自分は自分なんだなんて思うようになった。
「ブランド」というものは自分の評価を最低限保障するものという意味らしい。
「ブランド」でみんなが真っ先に思い出すファッションのブランドなんかは品質とか、金持ち度合いや広くは身分(?)まで保障してくれるものなんだということ。

僕は大きなブランドをひとつ身につけていて、それでもやっぱりそんなもんじゃあ自分が変わるわけでもなくて、最後は人間としての人間力を試されるんだなあなんて思うようになった。

美容整形みたいに見た目をよくして、コンプレックスを解消して、前向きになれる。
そんな感じになれるかと思って僕が身に着けたブランドは結構強いものだけれど、
それで自分が思っていたように自分がそのおかげで自信を持てたとは思わない。
ただそれはもっと自分に貴重なものを与えてくれたもの事実。それは自分から掴み取ったものでもあるけれど、環境というものは細かく自分で選べないのが事実だから感謝している。
自分の周りを価値のあるもので埋めるんじゃなくて自分が価値のある人間になれ。
僕の中にある印象的な言葉だ。
どんなにうまく化粧をしていても、どんないい服着ていても、それは裸になれば自分自身だから、裸になっても変わらないものを持てたら。と思う

the_wings_of_god at 01:43|PermalinkComments(1)