THE ANOTHER SIDE

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イギリス・ロンドン留学記

もしも英語が話せたら、一体何が変わるのか

No.73 last mother

May.04

別れは突然やってくる。
感謝の念は出来るうちにしておいたほうが、良いのかもしれない。
それが親でも友人でもホストマザーでも。

朝食はいつものように、うっすいパンを2枚ほど。
寝起きで視界が定まらず、パンは板のような薄さに見え、
突然、視界へ飛び込んできたホストマザーは人形のようだ。

「TOM、食事中ごめんなさい、大事な話があるの。」
朝っぱらから、ややこしそうな展開だ。
「ジョンの奥さん知っているでしょ?ほら、クリスマスに来た、、、」
クリスマスのロイデンライブの時に、
孫狂いのジョン爺さんはもちろん、奥さんも来ていた。
「彼女、目を悪くしてしまって手術しなくてはならないの。
 私は今からブライトンに行って、
 身の回りをお手伝いしなくてはならないの。」
つまりホストマザーは、お姑さんの手術のため、
来週まで帰れないそうだ。
と言う事は、、、
「これが最後なのよ、TOM。見送れなくて本当にごめんなさい。」

ホストマザーは料理の腕はイマイチだったが、
常に話しかけてくれたし、具合が悪いときは沢山薬をくれ、
クラスが上がったときは自分のことのように喜び、
襲われたときも本当に心配してくれた。
その気遣いは、不安な異国で暮らす身にとって、
どれほど心強く思ったことか。

今こそ、やっと身についた英語で、
深い感謝の念を伝えたかったが、
想いが先走り、言葉が出ないことへの焦りが、
さらに次の言葉をせき止める。
自分の脳が苛立たしい。
「あなたが来たばかりの頃は会話にならなかったけど、
 よく頑張ったわね、、、日本に帰ってもチャレンジを忘れずに、
 人生を楽しく生きてね、TOM。」
Thank you と私。そんなの中学生でも言える。
言葉!言葉よ!何のための言葉だ!感謝の言葉を出せ!!
「それでは、、、元気で!Good luck、、、TOM!」
後ろ髪を引かれるように去り行く姿へ、
せめて笑顔で手を振り、送り出すことしかできなかった、、、

ようやく脳が動き出した頃、
もう会えないことを理解し、何も言えなかった事を痛感する。
このままでは帰れない。
手紙を書こう。