THE ANOTHER SIDE

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イギリス・ロンドン留学記

もしも英語が話せたら、一体何が変わるのか

No.80 新た彼方

May.26

居なかったのはたった半年間なので、
大して日本は変わってないと思いきや、
牛丼が無くなっていたり、
消費税が訳分からなくなっていたり、
東横線の桜木町駅が無くなっていたり、
横浜ベイスターズがまだ最下位ではなかったり、
微妙だが、変化はどこかで起きていた。
ではイギリスにいるみんなは?

旧友たちがいる遥か西へ放ったメールが、
点在するサーバを渡り歩き、
ようやく電子の旅路を終えて帰ってきたようだ。

韓国・ヒーヤンはまずいホストマザーの料理に心底嫌気が差し、
自炊できるアパートを何人かで借りるらしい。
ビビンバを毎日食うんだと張り切っていた。

帰る1ヶ月前に入ってきた、品川出身のホストメイトによると、
ホストマザーは手紙を読んでくれたのか、
私のことを nice boy だったと連呼しているらしい。
嬉しい限り。
でも福山君が帰った時も、同じ事を言っていたような、、、
たぶん誰かが帰ると連呼してしまうのだろう。

韓国コンビの一角、ジサンからは、
日本食はどう?スシ食べているの?羨ましい、、、と
非常に恨めしいメールが届き、
ユンジュン母さんからは、あと一ヶ月で私も韓国に帰るよ!
そして帰ったら食いまくるという、非常に旺盛なメールが届いた。
奇しくも内容は食への想いだったのが、やはりコンビだと思わせる。

メキシカンはジムに通いだしたらしく、
次に会う時はスタローンのようにムキムキになっているから、
楽しみにしてろ、とのこと。
、、、全体的に濃く、毛深いメキシカン。
どうやら夏に会うのだけは、やめたほうがいいのかもしれない。
私があげた帽子は大切に保管しているらしい。
いや、かぶってよ、、、

NOVは、そのメキシカンが午後クラスに移ってしまったので、
放課後が暇になってしまったらしい。
イエッツPUBの会は、あっという間に崩壊してしまったようだ。
でもまあ、人当たりの良い彼のことだ。
すぐに新しい友達ができるさ。

また初級部屋・シンディー先生は、
ご懐妊のため休養に入ったとのこと。
謎の検査で何度か休まれ心配もしたが、めでたく杞憂に終わった。
そしてNOVメールの最後には、
私が帰る前日にアッシュリーはプレゼントを用意してくれてたが、
恥ずかしくて渡せなかったみたい、と書いてあった。
あの別れ際、モゾモゾとした奇妙な動きを思い出す。
気の強いアッシュリーでも、そんな事が。
何か気の利いた事でも言ってあげれば良かった。

そのアッシュリーには皆で撮ったデジカメ写真を送ってあげたのだが、
もっと映りの良い写真を送ってこい、とのこと。
やはりあの性格は健在だ、、、

とにかくみんな元気で過ごしているとのこと。
日本に帰っても、時々思い出すよ。
青の空に浮かぶ気まぐれな雲を、
空腹を満たすクリスプを砕く音を、
公園でクリケットしてる少年の影を、
蝶のように回るラウンダバウトの道を、
イエッツPUBの1パイント・フォスターズの苦さを、
床屋の上に建つ茶色い学校を、
リズミカルに並ぶ教室の椅子を、
そこに座るみんなの事を。

この半年間の事は、長い人生の中におけば、
あっという間に薄れゆくもので、
悪い事は淘汰され、良い事はさらに浄化されて、
都合よく膜がかかった淡い思い出として、
脳の端っこのほうにしまわれてしまうだろう。

そしていつしか、楽しかった、
だけしか説明できなくなるほど忘れてしまうのは、
あまりにも哀しく、勿体無い。

だからあれらのことは、いつか記録に残そうと思う。
良きも悪きも偽りなく鮮明に。
そしてネット上に残そう。
留学に興味がある人には、何か役に立つかもしれないし、
あの学校に行っていた人は、懐かしむ事もできるだろう。

スタートは2004年11月から、ちょうど一年前の出来事を
現在から見た、もう一つの側面として書いて行こう。
そして最後は空港で約束した、あいつとの一年後の再会で、
その記録を終わらせよう。