2014年12月

2014年12月20日

2014.12.12/シス・カンパニー「鼬」 at 世田谷パブリックシアター

[作]真船豊
1934年発表

東北の山村の落ちぶれた名家「だるま屋」を舞台とする、相続争いの話。
近代戯曲の名作を、長塚圭史が演出。
全編訛りの強い東北弁で、とっさには意味がはっきり分からない台詞が結構あった。
義理の姉おかじが取り仕切る家を乗っ取ろうと故郷に戻ってきた主人公おとりを演じる鈴木京香が良かった。
彼女の出身が宮城だからだろうか、語尾が独特な上がり方をする方言を軽やかに操っていて、台詞を聴いていて心地良かった。
一方、他の多くの俳優は台詞を区切り、言葉を絞り出すように発話していた。
役柄や演出上の工夫という側面もあるのかもしれないが、あれだけ特徴のある方言の台詞なら、唄うように聴かせてもらった方が観る方としては楽しい。

おとりは信州での工場経営でため込んだ資産を長男・萬三郎に貸して「だるま屋」の借金を清算し、一方で近所の馬医者を丸め込んで家屋敷の名義を自分とする書類を作ってしまう。おかじはそのことを知って絶望して死んでいき、芝居の幕は閉じる。しかし現代の感覚からすると、おとりがそこまでの悪女には見えない。金のために平気で人を殺す事件は珍しくないが、おとりは子供をこき使ってあくどい稼ぎ方をして貯めた財産とはいえ、自分の金で故郷の姉の実家の借金を引き受けて、その家と土地を自分の物にしただけだ。彼女の生き方がその時代のある側面を象徴しているという点がおそらくこの戯曲の要諦なのだろうが、それが何なのかが芝居を観ただけでは分からなかった。

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2014年12月03日

2014.11.15/Bunkamura「皆既食―Total Eclipse―」 at シアターコクーン

[作]クリストファー・ハンプトン
1967年 初演

アルチュル・ランボーとポール・ヴェルレーヌという19世紀を代表する二人の天才詩人の歩みを描いた作品。
どちらの詩人も自分は知らない上、劇中でその詩に詳しく触れることがなく、見所がよく分からなかった。 

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2014.11.13/新国立劇場「ご臨終」 at 新国立劇場 小劇場

[作]モーリス・パニッチ
1995年 カナダ初演

二人芝居。一人暮らしの叔母から危篤の知らせを受けた男は仕事を辞め、彼女の元に駆けつける。ところが老女は一向に亡くならない。夏が過ぎ、秋も終わりを迎え、クリスマスも一緒に過ごす。やがて翌年の冬も越し、二人の生活が一年にもなろうかという頃、やっと男は気づく。叔母の家は今いる家の隣で、彼女は窓越しにこちらを見つめたまま、とうの前に死んでいた。男は住所を間違えたのだ・・・・・・。

ストーリーはこれだけの、言ってみればバカバカしい話。こういう芝居はいかに観客を笑わせるかにかかっていると思うが、温水洋一と江波杏子の芝居はとても良かった。温水の演技はコント風。ほとんど台詞のない江波はベッドに横たわっている設定が多く動きも少ないが、温水に向ける表情の加減がとても豊か。
照明の使い方や音楽の選曲、衣装など演出を担当したノゾエ征爾のセンスの良さを感じた。

この作家の別の作品を読んでみたいとは思わなかったけど、こういう芝居も楽しい。 

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2014.11.12/劇団昴「ラインの監視」 at 座・高円寺 2

[作]リリアン・ヘルマン
1941年 米初演

『リリアン・ヘルマン戯曲集』 (新潮社)に所収の6作品のうち、ダントツで最も好きな作品。
ニューヨーク演劇批評家サークル賞受賞。
ダシール・ハメットの脚本で1943年に映画化され、こちらも同年のニューヨーク映画批評家協会賞を受賞している。

戯曲集の他の作品は基本的に同時代の政治・社会状況を直接的には触れていない。対してこの戯曲は台頭するファシズムの脅威を正面から描いている。
ヘルマンは自伝「ペンティメント」(邦題『ジュリア』)の中で幼少からの親友であるジュリアとの思い出を綴っている。ジュリアは医学校を出たのちに社会主義の活動に身を捧げていた。モスクワの演劇祭を観るためにパリに滞在していたヘルマンはジュリアから、列車に乗ってベルリンに立ち寄ったあと、モスクワに行ってほしいと頼まれる。親友の頼みならとヘルマンは快諾するが、実は反ファシズム運動に必要な資金の運び屋の役目を担うことになるのだ。映画にもなった「ジュリア」における一番の見所の場面である。この時の実体験がヘルマンにひりひりするような臨場感たっぷりの戯曲を書かせたことは想像に難くない。 

結婚や人生に対する価値観の相違や、「旧大陸」と「新大陸」の人間の違いなど戯曲には様々なモチーフが織り込まれている。ユーモアあるキャラクターを配したり台詞にウィットを効かせたりと、観客が物語を楽しめるような仕掛けも随所に散りばめられている。しかしこの作品の一番の醍醐味はやはり、厳しい環境で身を寄せ合い、ユーモアを忘れずに生き抜いてきた親子5人がやっと落ち着いた妻サラの実家で、夫クルトがひとりドイツに旅立つことを選択するというストーリーにある。クルトは今度の旅が「片道切符」であり、命の保証はないことを承知している。しかし、自らの命や家族との絆よりもこれまでの人生を賭してきた反ファシズム運動の火が消えてしまうことを恐れたのである。戯曲中にはクルトが決断にあたり葛藤する様子は描かれない。サラや子供たちと淡々と別れの言葉を交わす。サラも夫を引き留めないばかりか、クルトならナチに捉えられた同僚を助け出せる、以前もやれたんだからと励ます。しかし観客にはクルトやサラの張り裂けんばかりの心の裡が想像できる。あれだけ可愛らしい3人の子供たちと金輪際会えないなんて、誰だって耐えられない。

好きなシーンがたくさんある。まずミューラー一家5人の登場シーン。誰もいないリビングルームにまずサラが姿を現す。ゆっくりと部屋の中ほどまで進み出て、感慨深げに周囲を見回す。やがて恐る恐るジョシュア、バベット、ボードーが部屋に入ってくる。まるで今までこんな立派な居間を目にしたことがないかのような様子である。そして最後にクルトが登場する。長男のジョシュアがクルトの鞄とブリーフケースを預かる。バベットはサラの荷物を預かる。しばらく間があったのち、クルトがソファーにゆっくりと腰を下ろす。それを見たバベットがそばのカウチを指さし、座っていいかどうか恐る恐る尋ねる。5人の登場からそこまで、一言も台詞がない。がらんとした広いリビングルームに佇む親子5人、だからこそ彼らの感慨が深く伝わってくる良い場面だと思う。ちなみに映画版だと、一家がサラの実家へ向かう車中のシーンが差し込まれたり、サラの兄デーヴィッドが一家を駅で出迎えるように変更されたりしていて、この感動的なシーンがなくなっている。実にもったいない。
クルトの別れのシーンも切ない。ジョシュアもバベットもボードーも、もう二度と父と会えないかもしれないことを半ば理解しているが、それを言葉や態度に出さない。いつも通り明るく親想いのよくできた子供を演じる。3人がクルトとおやすみの挨拶を交わし、二階に上がっていく。だがクルトが旅立った後、ジョシュアがひとりリビングに姿を現し、ボードが泣いていてバベットも様子が変だとサラに告げる。そして祖母ファニーとデーヴィッドにこう言うのだ。「ボードーはあれこれよくしゃべるので、まだちっちゃい子供であることをぼくたちはときどき忘れてしまうんです」。ボードーのおしゃまな口振りを微笑ましく思っていた観客の心に、この台詞はこたえる。
居間には一台のピアノが置いてある。サラが子供の頃に弾いていたものだが、劇中でクルトは負傷した手とは反対の手ひとつでドイツの軍歌を演奏し、ハミングする。歌っているのはスペイン内戦時にクルトが参加した旅団で流行っていた替え歌だ。中盤以降の緊迫したやり取りが続く芝居のアクセントとなるこのシーンも好きだ。戯曲中では歌うのはクルト一人だが、今回の舞台では確かバベットとボードーがクルトの傍に歩み寄り、合唱していたように思う。

昴の舞台は俳優の台詞回し、動作共にとてもスローであり、台詞の間も空きすぎで、物語の疾走感を殺してしまっていた。 そのスローさも各俳優にばらばらであり、演出が行き届いていないのだと思った。だが後日、映画のDVDを改めて観て、役者の芝居では比べるべくもないにも関わらず、舞台の方がより物語に感情移入できた。これだけ戯曲が素晴らしいと舞台の出来なんて関係ないのである。

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2014.10.18/青年団「暗愚小傳」 at 吉祥寺シアター

[作]平田オリザ

詩人高村光太郎と妻・千恵子を取り巻く日常を描く。
日本が泥沼の戦争に突き進んでいき、市井の人々の意識も「お国のため」に従順になっていくなか、プロの物書きが抱える葛藤を描いてほしかったが、芝居は光太郎の内面に踏み込まず、淡々と進むばかりだった。青年団の俳優は相変わらず上手いが、作品として物足りなさを感じた。

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2014.9.18/葛河思潮社「背信」 at 東京芸術劇場 シアターイースト

[作]ハロルド・ピンター
1978年 英初演

ピンターの代表作。登場人物は若い夫婦と二人の友人である男の計3人。時間を遡行させて芝居が進んでいく点を除けば、シンプルなストーリー。
観客からすると話の結末が見えてしまっている分、三人の人間関係の微妙な変化を巧みに表現する役者の演技を期待したいところだが、イマイチだった。

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